はてなキーワード: 予告編とは
まとめ:「インターネットの世界を最新のCGアニメーションで表現」「ディズニープリンセスが多分長編映画としては初の全員集合」など、個々の要素はそれなりに魅力的な映像となっているが、それらが上手く噛み合ってなくて一本の映画としては冗長でいて唐突な話だった。
あらすじは公式サイトを読んで貰うとして、
話は「(主人公達のせいで)ゲーム機のハンドルが壊れたので、ゲームキャラクターの居場所を守るためにゲーム機が撤去される前に新しいハンドルをインターネットでゲットしよう」という話と、「平穏だが退屈な故郷(ゲームセンター)を出て、新しい刺激的な世界(オンラインゲーム)に移住する若い娘と、それを受け入れられず暴走する父親ないし恋人的存在の男」という話が前半と後半で切り替わる。
まあその話の筋自体は良いとして、冒頭に挙げたインターネット世界の描写とかプリンセス大集合とか、予告編映えするシーンは実は本筋にあまり関係ないんだよね。話としてはプリンセス軍団はいなくても成立するし。YouTuberで金を稼ぐくだりも結構長かったけど実はその間話の展開が停滞してたわけで…そういう「単体の映像としてはキャッチーだけど映画全体に対してはあまり寄与していないシーン」が多かったという印象。商売としては予告編映えするシーンが多い方がいいんだろうが。
個人的な独断と偏見で言えば、本当はオンラインゲーム(スローターレース)内でもっと話を展開させるべきで、なんとかっていうかっこいいお姉ちゃん(娘の方の主人公が憧れる存在)の内面をもっと掘り下げるべきだったと思う。結局余計なことに時間を費やしてやることやってない感じというか観ながら「これ、どーやってまとめるかすごい悩んだ感じがする…」と思った。
同じ監督のズートピアはもっと引き締まった映画だったので、やっぱりジョンラセターが抜けた穴は大きかったのだろうかとかスタッフロールを観ながら考えた。
超えかけたというか、思い切り超えた。
美しく飛翔して、ボーダーラインが霞んで見えなくなる高さまで。
それは某ギャルゲーの妹キャラで、「○○くーん!」と親しげに呼ぶ。
私自身抱き枕に全く興味が無かったが、友人が誕生日プレゼントに両面にそのキャラクターが性器を丸出しにしている抱き枕を持ってきた。
もう手元には無いので分からないが、公式ではなく恐らく同人であろう。
ちなみにかなり高かったようだ。
友人と家で酒を飲み結構酔っ払い、友人が帰った後、不覚にも私はその抱き枕を見てエレクトしてしまった。
そして、友人が置いていったもう一つの物。
気がつくと右手にカッターを持ち、抱き枕のある部分に切れ込みをいれ、そこにTENGAを……。
翌朝、冬鳥のジョウビタキの声で目が覚めた私は、昨晩のことを思い出し静かに泣いた。
シャワーを浴びた後母親に電話をして、元気にしてるかと心配したようなことを言って、それで抱き枕との性行為を相殺しようと思った自分にまた呆れて泣いた。
その後私は目をつむり「悪霊退散」と叫びながら抱き枕をガムテープでぐるぐる巻きにしてゴミ袋に入れて捨てた。
友人には正直に話した。
人ってあんなに腹抱えて笑うんだね。
New York Timesはシリコンバレーのヨーダというタイトルで「The Art of Computer Programming」の著者でTeXの開発者としても有名なドナルド・クヌース博士(80)の紹介記事に25ブクマ。
https://www.nytimes.com/2018/12/17/science/donald-knuth-computers-algorithms-programming.html
GuardianはGuardianの会社がmysql派生のMongo DBからPostgreSQLに乗り換えるという記事に20ブクマ。今年の3月に上げられた記事。
https://www.theguardian.com/info/2018/nov/30/bye-bye-mongo-hello-postgres
BBCはSlackがアメリカが経済制裁中の地域に行ってきた人をアカバンしているという記事に18ブクマ。
https://www.bbc.com/news/technology-46642760
もう1件ルワンダ虐殺から数十人の人を救ったZura Karuhimbiさんの訃報記事に6ブクマ。
https://www.bbc.com/news/world-africa-46618482
South China Morning Postはカール・マルクス生誕200年記念として中国で伝記アニメが作られておりビリビリ動画で予告編が配信されてるという記事に3ブクマ。中国政府肝いりで作られるという。
久しぶりに映画見てきた。その時に流れた予告編の感想を覚えてるだけ書く。
※見に行った映画本編は(仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER)
アメコミ系?
半沢の作者のやつにまた香川照之が出てるってそれもはや面白いんか?って思うけど
実際に見たら面白いんだろうなあって思う。だって主演野村萬斎だもんなあ。
実はドラえもんに限らず夕方にやってる子供向け?長寿アニメの類をほとんど見たことがなくって、(見たことがあるのはポケモンとコナンぐらいかな)
ちびまる子ちゃんもサザエさんも当然のように一回も見たことがなくて全く話が分からないのだった。
でも何となく一般教養というか、みんな概要は知ってそうなので私も多少話を知っといたほうがいいのかしらみたいなことは時々思う。
あまり興味はないから見るには至らないんだけど、知っといたほうがいいのかな…みたいな。
落語とか一回ぐらいは見たほうがいいのかな…みたいな。
ワンピースもみんな結構知ってるっぽいけど私は知らない漫画の一つなんだよなあ。
宣伝の戦略かもしれないけど、予告からは全然完成してない雰囲気が出ていてめっちゃ不安になった。
◇翔んで埼玉
クソ映画は好きなんだけど、この映画は映画銀魂的な感じでB級面白いに落ち着きそうなのでむしろあまり惹かれない。
個人的に地方ネタがやや食傷気味であまり惹かれなくなっているというのもある。
反省…。
映画が好きで、毎週のように観に行く。
地元のシネコンは近隣駅に競合チェーンが多いこともあり、超話題作でも公開初日の入りは7割程度、普段は週末でも3〜4割程度の動員でで営業していて、いつか潰れるんじゃないかと心配になるほど。
私は前の方の席が好みなのでなおさらなんだけど、隣に誰かが座ることはまずない。いや、これまではほとんどそんなことはなかった。
私はいつも席をわりと早い段階でネットで予約し、当日は予告編の後半あたりで滑り込むんだけど、ここ2年くらい、入場すると私の隣の席にオッサンが座っていて「え? 」と思うことが多くなってきた。周りの席は全部、空いてるのに、よりによって座席指定の画面で、隣に人がいると解ってて予約してるんである。
こーゆーの、全然気にしない人なのかな? と思ってたんだけど、最近、「もしかしてこの人たち、ポツンと埋まってる席が若くて綺麗な女性かも、と期待して隣を指定してんのかな? 」と思うようになってきた。
レイチェル・ワイズのことをワイツと表現するのを珍しい、と思ってスペリング検索ついでにWIKIPEDIA見たが ”父の母語ハンガリー語ではヴェイス、母の母語ドイツ語ではヴァイスと発音される。レイチェル自身は、自分の姓の発音は「ヴァイス」であると表明している[1]。” 「否定と肯定」出ていた人だ。両親ともユダヤ系なのか。納得。
”ファースト・マン” は 女性キャラ(専業主婦)が弱いらしい (男女平等社会の実現を図る視点)
”ちなみに Netflix でも来月に配信される。” 予告編さらっていると ”Only in theaters” というアピールの作品もあって、時代の変革期だ。
”ジョエル・エドガートン監督” ザ・ギフトでも監督だったのか。個性的な顔の俳優という認識だった。
”LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ” エディ・レッドメインの出世作もそうだった。(ノミネート)
”『A GHOST STORY』” といい、ケイシーアフレックが#Metoo系スキャンダルで干されていないのはなぜなんだぜ
すごい。MD4X超すごい。最初はプラス1000円かーと思ったけど、1000円で大体2時間も楽しめるとかお得すぎる。いや、今日日1000円あればカラオケなりアンデルセン公園なりいけるけど、遊園地のアトラクションを2時間分って考えたらすごい。だって、ドラゴンボールの予告編までだけで1000円分は楽しめた。そこから本編とか信じられる?実質タダじゃないの?ゼロの執行人、控えめに言って最高だった。揺れる!風くる!上も下もすごい風!尻まで臨場感!すごい尻!最初の爆発からしてド肝抜かれて紆余曲折ここもか!ここも尻か!尻だけじゃないけど尻!と色々あってもう、一番楽しみにしてた運転シーンは昇天するかと思った。天国へのカウントダウンかと思った。自分は絶対に安全と保証されながら大迫力のスリルを味わえる、なんという贅沢。ねえ、ほんとに1000円でいいの?映画代も払ったからレイトショー2300円だったけど、それにしてもいいの?TOHOさんサービス良すぎない?しかも、一応ドリンクとかフードは持ち込み可能って言われても揺れるこぼれるって聞いたら持ち込まないじゃん。ドリンクとフードで儲けてるんでしょ?なのにいいの?ジョンソンヴィルホットドッグ大好きなんだけど。欲を言わせてもらえるならばシャリアピンソースが最高だったから復活希望なんだけど。100円のコインロッカー代だって全然払って惜しくないのに返却式ってあなたもう。いや、返却式じゃなかったら見る前はちょっと損した気になってたかもしれないけど、見た後にチャリンいって100円さんまたお会いしましたねマジかよってなったわけで。で、TOHOさんには申し訳ないけど、4DXは更にすごいらしいと聞いて。としまえんが最強と聞いて。シートベルトゼロの謎が解けないと聞いて。あと、ハリー・ポッターは更にすごいと聞いて。嘘でしょ…大満足だったんだけどあれより上があんの。個人的には、全編揺れると酔いそうだからMD4Xのメリハリ感が丁度良いのかもしれないけど。1000円あったら色々出来るし庶民派としてはたまの贅沢だけど、それにしてもコスパ良すぎる。なんでもっと早くこんなに面白いって知らなかったんだおい。ありがとうMD4X、絶対また行くわ。
東京高裁の岡口基一裁判官について最高裁が戒告の分限処分を下したことについて,法曹界隈からは岡口氏を擁護する言説ばかり喧伝されているので若干のコメントを。
彼の擁護者らは,裁判官自身の表現の自由無くして市民の表現の自由を守れるのか云々などといった声を上げる者がいるけれども,もしかかる主張が,裁判官の特殊な地位に鑑みて裁判官の私的な表現の自由は一般市民のそれよりも強く保障されなければならない,という意味だとすれば,全くの失当である。裁判官の表現行為について,憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきであることは言うまでもないが,裁判官はその職責上,品位を保持し国民の信頼を得ることが何よりも求められており,その職責の点から私的行為についても一定の節度あるいは限度があるというべきであり,その意味では,裁判官の身分との関係では裁判官の私的表現の自由は一般市民のそれよりも制約されると解さなければならない。
要するに,表現の自由と言ったところで,およそどのような表現を行うことも自由であるかというと,そんなことはない。
たとえばもし仮に,現役裁判官が,Web版週刊ポストの「都内の人気公立小学校 小渕優子の息子のクラスで学級崩壊」という記事のリンクとともに,
小渕優子の息子が一番暴れてたりして(^_^)
http://www.news-postseven.com/archives/20180309_658021.html …
とTwitterに投稿したと想像してみてほしい。上記のツイートは,公人でもない一人の児童について,それが政治家の子であるというだけで,個人を特定して揶揄するものであり,憲法が禁止する門地に基づく差別表現である。仮にこのようなツイートを現役裁判官が投稿したならば,裁判官の人権感覚ひいては司法制度に対する国民の信頼が害される。これが戒告で済めばむしろ軽いくらいである。
このように,裁判官のツイートには一定の節度と限界がある。彼の支持者らは,この前提から争うような主張を繰り返すのであるが,全くの失当である。
以上を前提に検討するに,本件で問題とされたツイートは下記の通り。
公園に放置されていた犬を保護し育てていたら,3か月くらい経って,もとの飼い主が名乗り出てきて,「返して下さい」
え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・
裁判の結果は・・
通常の理解力を有する一般人が上記ツイートを見たときに,「岡口氏は原告の請求が不当だと思っているな」という感想を抱く者が,10人中1人もいないと,言えるであろうか。
岡口氏は,上記のツイートは単に両当事者の主張を要約したに過ぎない,リンク先に対する予告編でありリンク先を読めば原告勝訴とわかる,すぐに消したから問題ない,自分は裁判官であるとは明示していない,等と反論している。
しかし,原告の主張については「返して下さい」と鉤括弧を付けているのに対し,岡口氏が言うところの「被告の主張」には鉤括弧がなく,むしろ情感を込めた独自の表現になっている。
(鉤括弧がなくても自身の見解ではない,との言い訳をするためであろうか,岡口氏はしばしば,彼の好みに適う他人の表現を,引用であることを明示せずにTwitterやFacebookに投稿する。)
このツイートを見たときに,「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・」という表現が岡口氏の意見であるとの印象を持つ人がいたとしよう。岡口氏や彼の支持者らは,そのような理解をした人は知能が劣るかあるいは精神異常者であると言うのだろうか。
もしそうでないとすれば,上記のツイートは,相当数の一般市民に対して「高裁の裁判官から見ておかしな主張をする原告がいる」との印象を与えるものであることを認めなければならない。リンク先まで読めば,高裁判事である岡口氏が地裁判決をも批判しているとの印象を抱くであろう。
本件ツイートの上記欠陥は,岡口氏やその支持者が大量の紙幅を費やして弁明したからといって治癒されるものではない。むしろ説明に大量の紙幅を要していること自体が,本件ツイートの欠陥を如実に示している。
そして,一般人のツイッター閲覧・利用方法を前提とした評価は,ツイートのスクリーンショットのみから判断可能できるから,最高裁としては,それ以上の事実関係に関する資料の提出を求めて審理を継続する必要は無いであろう。なお,分限裁判の性質上,職権探知主義が妥当するものと思われるが,岡口氏の本件に関する近時の言動や,情状資料としてのその他の事情を収集されなかったのは,むしろ幸運ですらある。たとえば岡口氏がChange.orgでの署名集めを試みたがごときは,あたかも裁判官が署名の証拠価値を高く評価するかのごとく受け取られかねない(署名は基本的に多数決原理であって,司法と相容れない)。署名が目標数である100人に達せず,証拠提出しなかったのは,国民の司法に対する誤解が未然に防がれた点で幸運であった。
なお彼の支持者らは,本件の分限裁判の結論をもって裁判官の表現活動が萎縮する等と声高に叫ぶ。
しかし,そのような宣伝活動はあたかも本件分限裁判が裁判官の表現活動を厳しく制限したかの如き誤解を広めるものであって,却って裁判官の表現活動を萎縮させること大である。
5 ちなみに,現役裁判官が,ツイッターにせよ何にせよ,SNSその他の表現手段によってその思うところを表現することは,憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきであることは,いうまでもない。しかしながら,裁判官はその職責上,品位を保持し,裁判については公正中立の立場で臨むことなどによって,国民の信頼を得ることが何よりも求められている。本件のように,裁判官であることが広く知られている状況の下で表現行為を行う場合には,そのような国民の信頼を損なうものとならないよう,その内容,表現の選択において,取り分け自己を律するべきであると考える。
そして,そのような意味での一定の節度あるいは限度というものはあるものの,裁判官も,一国民として自由な表現を行うということ自体は制限されていないのであるから,本件のような事例によって一国民としての裁判官の発信が無用に萎縮することのないように,念のため申し添える次第である,