はてなキーワード: ポケモンgoとは
赤緑当時小学校低学年〜中学年くらいの女児だったけど、ピカチュウもアニメ化されるまでそんな可愛くはなかったのでは…
公式イラストはなんかちょっとヌボーっとしてて意思疎通できないモンスターみがあった。クビがなくて微妙に垂れ目で、微笑っぽく見える無表情って感じで。青版の頃のイラストだとまんまるさがハムスターみたいな感じで可愛げ出てきたけど。
ロコンとか当時から露骨に可愛くて好きだった。ニドランもオスメス両方可愛い。
あと普通にプリン激推しでした。推しという言葉は当時はなかったけど。
思えばプリンもちょっとヌボーっとしてて、言葉通じなさそうな感じだったな。ヤドン的な雰囲気があったというか。進化後もあんなでっかいお目目の焦点が微妙に合ってない感があって、そういうとこも好きだった。わざマシンで覚えられるわざが多彩で体力あったからパーティで活躍してたし、大好きだったな。だったというか未だに好き。
現ジャンルに参入して、2ヶ月が経とうとしている。
小さいジャンルだからフォロワーは少ないけど、以前のジャンルより絵の感想をいっぱいもらえるし、いいねもRTもしてもらえる。
調子が良ければ、1日2枚は簡単なイラストを描けるし、どんなに空いても2・3日に1枚はコンスタントにアップしてる。
自称落書きだけどフルカラーだし、とても他人には落書きに見えないらしい。
キャラクターがかっこいいとか可愛いとか言ってもらえると、嬉しい。
学生だろうと、みんな一所懸命絵を描いて色を塗って、作品をアップしてる。
スマホで描いてるのかな。
私はiPad Proだから、指でちまちま描くという苦労が理解できるには程遠い。
ポケモンGOがサービス開始した頃、ボールを投げすぎて人差し指が痛くなってしまったのを思い出した。
あんな感じ。
いいねだけつけてくれる人、
ずっと見ていたけど、恥ずかしくてなかなかコメント出来なかったから、ようやく感想を送れた、と言ってくれた人もいた。
いろんな人がいて、対立してる人もいないし、心地いいなと思った。
恥ずかしくて感想が送れなかったなんて私に言ってくれる人、本当にいたんだと思った。
私も、以前にいたジャンルでずっと閲覧していた人がいた。
見ていたけど、BL表現は苦手で、顔をしかめる表現も多かった。
でも、その人はとにかく毎日のように、日記に添える簡単なカットを描いてはアップしていた。
すらすらと描いているみたいに感じて、
数年前のイラストよりもだんだん上手くなっているのが一目瞭然だった。
至ってシンプルなのだけど、男の子が華奢で小綺麗で可憐だった。
ちょっと間の抜けた表情のイラストは、本人が何か思い立った時くらいしか見たことがない。
ギャグみたいな豊かな表情は苦手らしい。
多分、その人は、私にとって神絵師だった。
アナログ線画デジタル塗りのその人は、つけペンの線一本一本が綺麗だった。
同人誌を買いに行ったけど、一般向けのものを2・3冊しか買えなかった。
他はBL色が濃くて、どうにも買う気になれなかった。
少ない同人誌を何回も見返して、
と思った。
「この人の作風は、こんなにスカスカでも物語が成立してうらやましいな、1ページのペン入れにかかる時間は30分か1時間だろうか」
と思った。
結局はBL作家も、少女漫画のようなモノローグの多いコマ割りを好むんだと思った。
対する自分はどうだろう。
あの人に比べたら、キャラだけでも6倍は描いていると思う。
少しでも緻密さをあの人に近づきたいから、
あの人みたいに、描写をシンプルに出来るところは少しでもないか、描き込みとデフォルメの間でずっと悩んでいた。
多分小綺麗な絵柄に寄せていけば、今までBL本目当てで買っていた人も、私の同人誌を目に留めてくれるかもしれない。
そんなことを暴露しても、誰が気付くだろうか。
漫画が上達するのは、アマチュアであろうと漫画家の当然であり義務みたいなものか。
原作は、絵柄が独特だった。
みんな大体、二次創作でも原作の絵柄に忠実に描く人が多かった。
その人は、どうにも原作に寄せ切ることは出来ないらしい。
心ばかりの原作に寄せた顔のパーツはあったけど、
それでも、サークルの前に足を止めて同人誌を買っていく人は多かった。
50冊くらい売れたのか、早々に切り上げて14時頃にはいつも撤収していた。
でも、私にだって私の絵柄がある。
自分の絵柄で物語が描けたら、こんなストレスを感じなくていいしどんなに気楽だろう。
あの人みたいに、自分の絵柄を尊重して、最初から原作に似せずに描く方法もあったか。
色んな後悔が押し寄せる。
不満はどんどん溜まっていった。
ある時、新刊用に書いていたシナリオと、別の同人作家の新刊告知とが
「ネタ被りした」気がした。
かなり長いこと悩んだ結果、
と割り切って、描き切ることにした。
作品は無事仕上がったし、パクリを疑われるようなこともなかった。
私がこの作品の二次創作をするために書いたシナリオは、きちんと私が原作を考察して書き上げたものに間違いなかった。
ある時、別のジャンルにハマった。
まったく別のベクトルのセンスを求められるファンアートを描く必要があった。
しかもそこには、プロの漫画家もファンアートを投稿しているらしい。
ここも小さいジャンルなのに、友達になれたら、イラストをお互いに描き合ったり出来て楽しそう。
私は、箸にも棒にもかからない。
またたく間に飛ぶように売れた。
次の日、友達になってくれた子が、サークルに私の本を数冊置いてくれた。
「いない間に飛ぶように売れて、完売しちゃったらどうしようかと思った」
と言われた。
あの人もまた、新しい作品と巡り逢って、サイトを閉じて、名前も変えて、別ジャンルの同人誌をせっせと描き始めた。
現在、私は新型感染症のとばっちりで、コミケに参加できていない。
でも、今いるジャンルはもうたくさんの同人誌を描き上げたし、あの飛ぶように同人誌が売れた時代も一瞬で終わった。
ファンは見切りをつけるのがとても早い。
そんな風に、ファンと購買層を分けて考えられる余裕があるのは、二次創作にあまりに慣れすぎたせいか。
私は筆が速いので、ファンアートを描き上げるのもあっという間になってしまった。
あの人に憧れて、もっと上手にとか、もっと速くとか思い悩むことも今はない。
自分の思い通りの品質で絵が描けるようになったから、あとは何枚もイラストを描いて、何人も私の作品に目を留めてくれたらいい。
絵が上手だと思われているかもしれない。
可愛いとか、かっこいいとか、思ってもらえてるかもしれない。
「原作の絵柄」なんて前提も取り払われたので、私は現在、無敵状態だ。
その中で、私は感じた。
誰か私に憧れているのだろうか。
私の絵を見て悔しいと思っているだろうか。
自分の執筆の手が止まってしまうくらい、私に嫉妬しているだろうか。
そう考えたら、私はあの人のことを思い出した。
あの人は、あの時の私にとって神絵師だった。
どんな気持ちで日々絵を描いているのか、
よく澄ました感じで絵を描き続けられるものだと悔しくもなった。
だって、自分はここまで憧れて悔しくて苦しんで、原作と自分の絵柄との間に苦しんで、逃げるようにジャンルからいなくなったのに。
苦しんでいる私を、神絵師は知らない。
知恵熱を出そうが、ガリガリに痩せようが、神絵師はそんなことをいちいち聞かされないんだもの。
今の私は、誰かから「よく澄ました感じで絵を描き続けられるものだ」と思われているのだろうか。
あれほど苦しんだことを度々思い返しながら、
私は今日も黙々と絵を描き続けている。
誰の苦しみもいちいち聞かされないから。
なるほど、確かに元増田さんみたいにポケモンGOを楽しんでいる人がいるのに自分の感想だからと適当に文を書いて、ポケモンGOを貶めるようなやり口になってしまったかもしれん
すみませんでした
①ポケモンGOはゲームと現実体験と運動をうまく組み合わせたアプリである
②僕がポケモンGOで楽しんでいた部分は現実体験と運動によるところが大きい
③素朴な体験を楽しむということはゲーム自体は楽しくないのでは?と指摘される
④僕がポケモンGOで楽しんでいた部分について素朴な体験(散歩や運動)とゲーム部分を切り分けて考えることが難しい(どこまでがゲームなのか問題)
⑤そのため、ゲーム自体は楽しくないのでは?という質問に答えるのが個人的に難しい
⑥また、ゲーム自体を楽しくないのでは?と指摘された方がポケモンGoやドラクエウォークのどこまでをゲームだと考えているかがわからないため、さらに答えるのが面倒
⑦加えて、コロナ禍において、ポケモンGOはポケストップの距離判定が緩和されたり、遠距離でのレイド参加が可能になった
⑩相手がポケモンGOをどう楽しんでいるかわからない以上、自分がポケモンGOをどう楽しんでいるか説明しないと話が交わることがない
⑪僕の楽しみ方ではコロナ禍では楽しみにくくなったからポケモンGOをやめたよ
まだ整理できていない部分があるかもしれんが眠いからこれで許してくれ
説明しないといけない要素が多いし、自分以外の他者の楽しみ方の多様性への理解がいるから誠実に書こうとすると本当に大変だと思う
その前提を共有するのすら面倒だったから大分適当な文章を書いて元増田を混乱させてしまったことは詫びたい
すまん
僕はポケモンGOが好きだったからゲームとしても面白いよって言いたいけど、運動や体験をゲームデザイン自体に含ませているから擁護がちょっと難しいところがある
ポケモンGOって基本的には歩いてポケモンを捕まえるゲームだから「歩く」という運動と「ポケモンを捕まえる」というゲーム要素が合わさっている
だから「ポケモンGOの出歩いてポケモン捕まえるの楽しいよ」って言っても、「それは散歩が楽しいだけじゃない?」って言われると否定しづらい
僕自身、遠出できないし、マスクしながら散歩することがきついし、家から出なくてもレイドできるし、ポケモンも捕まえられるようになってやめちゃったからなあ
最近、ポケモンGoでポケストへのアクセス距離がまた元に戻りそうなんですよね。
俺はどうでも良いと思ってましたが、著名人を中心に反対運動が過激化していてグループの空気も悪くなっている。
そもそもなんでポケストに近づく必要があるのか、考えたことある人いますか?40mだろうが80mだろうが実は大した意味は無いと思いませんか。仮に1km先のポケストにタッチできるとして何か不都合があるのか。このゲームはポケモンを捕まえることが目的であってポケストに近づくのは副次的なものだから外に出る目的を達成できればポケストに触れる距離に拘る理由は存在しません。
なぜあそこまで近づく理由があるのだろうか。
理由の一つはポケスト自体に意味があるから。ドラクエの補給スポットと違ってポケストは具体的なものを利用しています。これは元々他のゲームの影響が大きく、株ポケが強引にそれを流用しようとした経緯があります。40mという距離も元になったゲームから来ている。そのゲームでは実際にスポットを発見して共有・活用することが前提なので実際にそのスポットが現実にあることや近くに行って触ることを強く意識しています。
一方でポケモンGoではそういうことはあくまでも二の次。大事なのはポケモン捕まえることなので補給とかジム戦とかは正直どうでも良いはず。仮にレイドを行うにしてもわざわざ近づく理由が実はありません。リモートレイドが普及したことからもユーザーはその場所に実際に行き退治することが本質ではないと見抜いている。そもそもコロナ前からレイドにおける対人トラブルは多数報告されているので距離が近いことにメリットはあまりないのです。
今回のオリンピックの開会式では、賛否両論があるらしい。もちろん、「表現」において賛否は重要である。誰もが絶賛するような作品は存在しないし、存在してはいけない。ただ、作品の批評を超えて、ゲームを「メインカルチャーではなくサブカルチャー」と見下したり、「ゲーム音楽程度」という表現を使う者が散見された。
これは作品の批評とはかけ離れた評価であり、差別的であるとすら言える。そして、さらに悪いことに時代遅れの認識でもある。ここではそれを書き留めて、指摘していきたい。
(そもそも文化に「サブ」と「メイン」という区分けを設けること自体が異様にも思うが、ここではそれに言及しない)
何を持って「文化」というのかは不明であるが、ゲームは映画に負けず劣らず文化性がある。
例えば、社会性。オンラインゲームは、良くも悪くもコミュニケーションを促進する。これは社会性と言える。
また、ゲーム談義。これも映画を評論し、議論し合うのと同じだろう。もちろん、ときに罵倒や難癖、アンチなどを生み出し、建設的な議論など難しい場合も多いが、それは映画もさほど変わらない。映画ファンが、お高く止まってゲームを見下す理由にはならない。
また、社会を風刺するゲームだっていくらでもある。「Say No! More」や「還願 Devotion」、「Not Tonight」など。他にも様々なディストピアを描いたゲームや、政治を皮肉った表現など、ゲームには珍しくない。
他にも、「BEYOND」や「James Bond 007:NightFire」、「Until Dawn」など、古くからゲームのモデルに俳優を起用する例も多い。また、ゲーム関係者が映画の演出を担当したり、逆に映画関係者がゲームのプロデュースになったりなど、そもそもこれらの業界は対立関係にない。これらを差し置いて、ファンが「ゲームは俺の趣味より低俗」と見下すのは、なかなかに滑稽で、わりと風刺的でもある。
文化には経済という側面も重要である。寄付にしろ収益にしろ、何らかのお金がないと芸術は先に進まない。
歴代で最も集積を上げた映画は、「アバター」の3146億円らしい(2019年に「アベンジャーズ」がトップになったが、2021年にアバターが中国などで再上映されたため、トップに返り咲いた)。
さて、これに対抗できるゲームタイトルはあるだろうか。もちろん、存在する。ポケモンgoは、サービス開始以来の5年で5500億円の収益を出したという(2021年7月時点)。
もちろん、映画は上映以外にも、サントラやグッズ、DVDなども売上になる。だから、これらがプラスされれば、ひょっとしたらアバターのほうが上になるかもしれない。また、基本的に1度の上映で客が満足する映画と、5年もユーザーが継続するゲームでは、比較することがナンセンスかもしれない。
しかし、単純な収益で見れば、ゲームは映画とガチンコで戦えるレベルの経済性も有していることが証明されたわけである。
さて、これらをもって、どうして「ゲームはサブだ」と見下せるのか。
マイクロソフトがゲーム業界に殴り込みをかけて久しいし、昨今ではGoogleやAmazon、Appleなどが、独自ゲームを作ろうと躍起にすらなっている。
このように、もはやゲームは、文化の面でも経済の面でも「サブ」とは到底言えない存在感を有している。その事に気づかないのは時代遅れであると理解し、そろそろ「価値観をアップデート」すべき時期に来ているのではないだろうか。
そもそも、(言い尽くされた話でもあるが)100年くらい前には「映画は低俗」「小説は下劣」という時代があった訳だ。そんな価値観を「古臭い」と笑いながら、その古臭い人々と同じ価値観でいることなど、本当の文化人なら耐えられないはずである。
- 台湾のポケモンGOは複端末使いが普通におって認められてる感もあるな。数十台使いのおじさんがニュースにも出てASUSがスポンサー買って出てた記憶。街中でも5、6台使いレベルの高齢者は普通に見かける。
- ポケモンGOは複垢禁止です。 https://asus.blog.jp/archives/1077014382.html
- ポケモンgo 日本だって両手に足りない端末持ってワゴン車にみっしり詰まってるジジババどもいるし自分が回復アイテムの使用回数制限突破の升を使ってるのに位置偽装晒すと息巻くガキはいるし
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210720123332
上の増田の条件にほぼほぼあうのはポケモンGoだと思う。ある程度ポケストがある街を歩けば、端末複数持ったおじさん達は1日一人くらいは見かけるし、ジムは明白に複垢・位置偽装に占拠されているし、通称ブランコという歩数稼ぎのアイテムを使えば家の中だけでポケゴーをプレイできる。もちろん町中にあってもオートでゲットできる規約違反のサードパーティ製のグッズを使えるし、コミュニティに入ればこれらのどれかしらは目にする。ほとんどのコミュニティは規約違反を「表向き」は禁止しているが、実際はやりたい放題だし見つからないようにプレイするというのが暗黙のルールであることは誰でも知っている。
そもそも規約違反であることを意識していない場合も多い。SNSには堂々と複垢を名乗る人が多いし会う人のなかにも自身が複垢であることを告げるパターンはかなり多い。コミュの中で引退勢の垢を引き継ぐことは一種の伝統だったりする。
Youtubeで違法動画をみるのと同じ感覚でポケゴーをしている人は気軽にそういう不正行為をしている。これは事実であり肌感覚としては3割強がそれに該当する。もちろんそれは目に見える分だけだ。実際はより多いだろう。単にサーチツールを使うだけの人も規約違反に加担しているのは明白だ。そういうのを含めれば、ポケモンGoをしているプレイヤーで不正行為に全く加担していない人など存在するのか疑うレベルだ。
確かに複垢はポケモンGoでは禁止されている。しかしそれ自体がゲームに多大な悪影響を及ぼすものではないのは明白だ。
学校における「廊下を走るな」程度の注意に等しいというのが自分の中での価値観。走って怪我をする可能性があがるのはわかるが、禁止にするほど危険な行為ではない。マルチプレイヤーゲームにおいて複垢が有利不利につながることは承知だが、そもそもコレクション主体のゲームにおいてはソロが大半でありジム戦にも加わらない人が多いのだ。ほとんどの人にとって重要なことは「たくさんのポケモンを捕まえられる」「新種やイロチや衣装付きのレアポケモンを捕まえる」「強いポケモンを捕まえる」ということに集約される。そうするとどうしても不正は横行するのだが、だからといってポケゴーの不正がそういう大半の人にとって不公平感につながるわけではない。
「不正して捕まえたポケモンを自慢されたくない」という意見はあるが、他人の行為にそこまでシビアになるゲームではないことを忘れてはいけない。これが例えば限定品グッズなら話はわかるが、あくまでもゲーム内で誰でも入手の可能性があるポケモンというデータだ。自分が必死に数時間かけてやっとゲットした伝説ポケモンを他人が不正しながら100匹捕まえた、ということに怒る気持ちはわかる。だが無視できる話だし自分に害は一切ないのだから問題ないはずだ。
不正をしていたも両方とも楽しんだことに変わりはない。仮にその不正プレイヤーが垢を売買する目的で使っていたとして、自分がそれに怒る根拠はあるのだろうか。それ自体は法律には違反していない。単に運営にとって不都合なだけでプレイヤー自身にはほぼ影響がない。いやジムという糞システムには影響あるが、あれはそもそも不正が起こりやすくほとんどの人に意味のないものなので無視していいだろう。
不正がイヤなら自分がしなければいいだけだし、街ナカで普通に見る行為であり同じコミュニティで
これだけ不正が堂々とされていると世間からもプレイヤーからも認知されているものは多くない。運営当初からこの問題は取り上げられているが抜本的な解決は何もされず、放置されているのが実情だ。現在のポケモンGoの姿は不正プレイヤーとともに形作られていると言っても過言ではない。
にもかかわらず数々のゲーム賞を受賞している。つまりポケモンGoの楽しさは不正自体も内包していると言っていいのだ。
そのわかりやすい例が台湾のオジさんだ。彼は堂々と複垢をしてスポンサーまでついている。しかし彼を咎める声より応援する声のほうが多い。なぜなら彼は全力でポケモンGoを楽しんでいるからだ。
そう、複垢をしているから不正をしているからといってポケモンGoが楽しくないわけではない。むしろ彼のように堂々と活動することで不正であっても楽しめる姿をみせたほうが良い例だってある。
コロナによって位置情報ゲームは窮地に立たされたと思われた。しかしポケモンGoはそんな中でも頑強にいき、逆に売上を伸ばしたほどだ。公式による位置偽装ツールが登場しサークルが拡張された。遠隔地との交換の範囲も大幅に伸びた。これはNianticの位置情報ゲームにおいて現地で行うことが必ずしも重要ではないことを意味するし、現実にそういう声明も出している。
今までがおかしかったのだ。ひとり1アカウントに固執し、現実のフィールドでプレイすることを強要し、人と距離を縮めることを良しとしたことは正解とは言えなかった。
ポケモンGoじゃないの?年齢層ぴったりだし
固定化されているからポケストにふさわしい、というのは見た目から入った誤った仮説。
ならばそもそもポケストが固定化された実物をもとにする理由があるはずだ。でもそんな理由がポケモンGoの中には存在しないと思うよ。
横だが、ポケストの成り立ちを説明すると手間なので簡潔に言うと
日本で言えばキリストの生誕祭やイースターエッグとかが近いと思われる。宗教・歴史的に重要な祭典や物であっても直接関わる機会を喪失したままイベントの名前や概要だけが残ると今のような形になる。もちろん他の国でも似たような物だが、日本でクリスマスやサンタってのはコスプレイベントと余り変わらないでしょ?ポケストも元々のポータルの意義や存在理由を喪失したまま使っているから、もうどうしようもないくらいにどうでもいい存在になっている。
恐らくポケモンGo的にはポケストの意味が後付けされていくだろう。本来存在しない意味を誰かが勝手に解釈して作り、それに基づいてポケストが作られていく。サンタの衣装が赤いと同じように。
真面目な話、ポケモンGoしている人で歴史的構造物に興味持つことはまずないぞ。
そういう真面目な人が申請や審査をするのは構わないが、大多数のポケGOトレーナーは「とりあえず数さえあればいい」という考えだ。ならば厳しい基準を設けて一部の人が作っている今の制度は大多数のトレーナーには百害あって一利なし
そもそもそんなものがポケストになる理由がないし、歴史的な物とそうでない庭先の花瓶との間に何が違いがあるのか。それに城や面白い造形の銅像というものをポケモンGoというゲームの中では一切活用していない。なら、どんなものがポケストになろうと殆どの人には関係ないし、基準を超えていようが集まっていれば文句は言わない。
何言ってるのかわからないが、ポケモンGoにとって重要なのはポケストでそのポケストを全く関係ないゲームユーザーが勝手に作って自慢している上に、全然足りないってのが腹立つんだ。なんで神社を登録しただけでどや顔するんだよ
ポケモンGOやってるけどさ、ポケストとして神社とか寺とかいっぱい登録されてるわけだ。でも俺たちからするとそんなものより自宅前の電柱とか花壇とかがポケストになって欲しいんだわ。そんな辺鄙な場所にあるものがポケストになっていたところで誰も喜ばない。人が多いところにはプレイヤーの数に応じて沢山欲しいから、セルにいくつとかそういう制限はホント辞めて欲しい。そういうのを最初からあるどうでもいい神社とかのポケストが占拠していると腹が立つ。
なんでポケGOにとって重要なものを他のゲームユーザーが勝手に自慢げに語るの?
そんでもって自分達の功績のようにしているのが腹が立つ。とっとと俺の家から届く岩を登録して欲しいんだが、5回くらい申請しても通らない
本家にしてもプラットフォーム変えた上にリメイクも出している。ナンバリングだけでも凄いけど、さらに派生作品も驚くほど多いな。その点で言えばドラクエやFFもそうなんだが、とにかく認知度としてポケモンは抜群だと思う
ゲームだけに限っても
もう数えたり調べるのも大変なくらいあるよね。他のゲームにキャラとしてコラボする例も多々ある上に、グッズ展開とか鬼かってくらいある。ポケカとかも歴史長いしポケモンという区切りだけで数えるのも厳しい。アニメ・映画もコナン並みだ。
なんていうか、ここまで派生があって本家も続いているってことは、それだけポケモンへの価値観って多様なんだろうなって思った。
昔はポケモン好きってテレビチャンピオンとかでやっていたと思うけど、今は派生が多すぎてコレクターになることも難しいんじゃないかな。
【追記】
一晩経ったら伸びてたね
マリオはうっかり忘れていたけど、多分そっちの方が多いだろうね