2012-10-24

好き嫌いの問題

嫌いなものが出されたとき、例えばフランス料理のコースとか、そこまで行かなくてもちょっとしゃれた雰囲気の食事会ならメニューを吟味する際に出来るだけ避けるようにし、それでも出た分は仕方が無いので出来るだけ食べる。味付けが上手いので大体は普通に食える。

飲み会なら食べない。そもそも手を出さないようにするが、出てきたら除けて残す。除ける量が多すぎなら仕方がない、半分くらい咀嚼せずに飲み込む。

自宅ではむろん食べない。調理自体を避ける。

「好き嫌いはしつけの問題」と言っている奴らは大体勘違いしてる。

そこにしつけの要素が入り込めるのは「それを嫌いと大げさに騒ぎ立てる事で場の空気を悪くするのがマナー違反から」だ。

あくまでそういった周囲への気遣いとしてしつけは許容される。

黙って皿に残しておくのも気に入らないという奴は勘違いに加えて「出されたものは残さず食べる」という調理者への気遣いのしつけとも混同している。

「しつけ」を盾に味覚の好みにまで介入すべきではない。それならメシマズスレ案件のうち栄養成分として健康に影響のないものは全て黙って食うべきだという話になる。

もしも幼少期に「好き嫌いするなとしつけられた」人間がいたとしたら、そしてそのしつけを根拠に周囲に同様のふるまいを強いたとしたら、そいつは可哀想なやつだ。他人から押し付けられた行動原理を他人に押し付け返すことしかできない、不快で頭の悪い可哀想な連中だ。

俺は幼少期、アジサバを焼いたもの以外の魚と緑色の物とニンジンは基本的に食わない、加えて唐辛子のような辛いものネギ類は食物とみなさないというかなりの偏食だった。だが俺の親は(特に母親は)好き嫌いするなとは「しつけ」なかった。

その代わり彼女はあらゆる手を試した。食べなければ大きくなれない、病気になると俺を論理的に説得し、手を変え品を変え調理法を変えして(主に野菜類を)食卓に出し、むろん頻繁に「○○も食べなさい」と食事中に俺に口出しした。

が、断固拒否した俺に対して、無理矢理口をこじあけてねじ込むとか、俺の嫌いなものばかりで食卓を埋めて食べざるを得ないように追い込むとか、食べ終わるまで食卓から離れるなと命じるといったことは一切しなかった。

それは別に俺の意志を尊重したとかいうことではなくて単にそんな気力が無かっただけだろうが(嫌な顔もしたし不機嫌にもヒステリックにもなったし何より食事時が近づくとため息を死ぬほどついていた)、結果的に俺の成長にはプラスに働いた。

俺は嫌な事は嫌だと言って抵抗する権利自分にあることを身を以て確信できたからだ。

当然摩擦があることは覚悟していた。母親自身が警告していた。「大人になってお食事の席で食べ物を残すと皆に嫌われるよ」と。

だが彼女はそれ以上はしなかった、つまり残すか食べるかの選択自体はあくまで俺自身に委ねたのだ。

教育だったかと言われれば疑問かもしれないが、少なくとも俺は大いに学んだ。「悪」の定義マナー意味、何より意志とそれに伴う責任について。

食事においてはサラダは大きなボウルに盛り付けて各時取り分ける形式になり、食後の果物に並んで水で飲み下すサプリメントが出るようになった。

肝心の偏食癖自体は高校時代まで続いたがその後和らぎはじめ、大学入学と同時に一人暮らしをする段階には大部分が消えたと言っていい。

結局「別枠」だった辛いものネギ類は今でも食べないが、食事に野菜は欠かさない程度に回復したし、晩にはサラダしか食べない日もある。「何でも食べる」がやや行き過ぎて、においの強い羊肉や香草を好んで食べたり馬刺しのために遠くへ遠征したりするので母親からときどき引かれている。

父親は俺に軽度の自閉スペクトラム障害あるいは注意欠陥障害に伴う知覚過敏があったと疑っている。

  • 俺から見てもお前は障害者っぽく見える。 どうでもいいことに過剰な意味を見出してグチャグチャ言ったり異常に拒否したりするとこは自閉の俺のいとこにもある。 叔母はいとこが障害...

    • 母親を苦しめたことに関しては本当に申し訳なく返す言葉もございませんと思うが、 当時(つーかたぶん今も?)小児精神科だとか発達障害の分野に詳しい医者がいなかったという事と...

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