はてなキーワード: ファンタジーとは
人外が人の街に潜む話が好きだ。
人を食うとかしなくてもしてもいいし、人類に友好的でも良い。一番好きなのは少し距離を置いてる感じのやつ。
潜む方法は人化の術でもいいし、服装で隠すとかでもいいが、完全に人間と同じになってしまうとストーリーのフックがないので、見た目や習性や精神構造などで差異がゼロにはできずどこか人間ばなれしているのがいい。
初めから隠す気がないやつは好きじゃない。つまり社会に人外や見た目の違うものに厳しい背景があって潜んでるのがいい。
完全に受け入れられてて他種族なファンタジーも嫌いではないが性癖ではない。
こうした趣味なのだが、なろうなどで人外で検索したりそうした作品の感想をみると「結局人化するので読むのをやめました」といった書き込みが目立つ。また、ツイッターで声の大きいケモナーもこうした話題には厳しい。
安易に主人公のトロフィー化するために人外のヒロインみためを人間にするのは自分も好きじゃないが、もっと大雑把に男性主人公の人化であっても反発はかなり見られる。ただ、考えるべきは自分には合わないという人は意見するが、全然OKというひとはいちいち意見しないというバイアスだ。
とにかく、こうした意見によって人化や人外の特徴を隠すこと自体がタブーとなるのは少々やるせない。そもそも、人外が人外のまま暴れる爽快感がメインの作品と、人外が人の世に潜む日常の中の異常を描く作品では読者の求めるものでも違う。なのに、人化NG派の声が大きく潜むためなら人化の術もおけとはなかなか言いにくいのが世知辛い。
本当にこの手の需要がないのであれば、吸血鬼ものなどの人気はさほどないはずなのだ。こうした包括した属性をピンポイントで探すキーワードはないので、アンデッドものや吸血鬼ものを書いている人やブクマしている人から辿ったり、異類婚姻譚界隈から探すのが質と精度が高いという現状である。
このホッテントリ対談記事で鳥嶋和彦らが語ってることだけど、ほんとそう思う。
『ドラゴンボール』と『ナルト』の元担当編集が語る「ジャンプ」の裏側 ― 絶対に敵わない『ワンピース』に勝つために『ナルト』が取った戦略とは【鳥嶋和彦×矢作康介×鵜之澤伸×松山洋】
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/191227f
鳥嶋氏:
というか、1話19ページを、ちゃんと次週も読みたくなるような引きで作っていないから。もっと言うと、雑誌にライブ感がない。
今の子どもたちは単行本は読むけど雑誌は読もうともしない、という話から始まっての、この発言だけど、ほんとそのとおりで、昔の漫画はファンタジーとかSFとかでなければ、正月には正月のエピソードを描き、2月にはバレンタインの話を描き、夏には海の話を描いたりしてた。しかし今の漫画は、季節ガン無視で、漫画内時間ばかりを優先するから、夏に冬の話を描き、冬に夏の話を描いたりしてしまってる。いくら温暖化でリアルに季節感がなくなってたとしても、これはないよ。だったら漫画内で季節イベントやらないほうがまし。
みたいな感じで、どんどん薄味になってってるせいじゃね?
これが発端の話題だろ。
三つ目が俺の書き込みだが、別に「濃いから面白い」みたいな話はしていない。
俺はべつになろうでもなんでも面白ければ良いから、このすばとか面白いし良いと思うんだけど、薄いストーリーと設定が多いだけの世界観とかを「濃くて複雑な世界観と設定」って言われると馬鹿にしたくなっちゃう。
二つ目が俺の書き込みだが、「馬鹿にしたくなっちゃう」という言葉尻に突っ込んだだけで、もともとの話題からつながった話だとは思ってない。
タイトルの通り。3,4年前くらいにムーンライトノベルスに投稿していた。その時の知見を忘れないうちに書きたかった。そう思っているうちに時間が経って、忘れた。
覚えている範囲で書く。
おわり
……というのはさすがにまずかろう、というので、記憶を掘る旅に出る。
三人称。ファンタジー世界舞台、主従もの。敬愛エンドという意味では、BLとして邪道。1話1エロ。
オリジナル作品をちゃんと書くの初めてだった。なんならBL小説も初めて。拙い〜〜。エロ語彙がない〜〜。
初めて書いた割に読んでもらえた。みんな優しいんやね。
日刊ランキングに載ってから、PVが一気に伸びたっぽい。順位が上がってからは、伸びが顕著。
多分その頃はブクマ1000件くらいだったので、完結後もじわじわ読んでもらえている様子。嬉しい。
タイトルやあらすじで話の内容・傾向が分かるようになっていれば、読み手が作品を選別しやすい。読みたい人に読んでもらいやすい。
作品数多くて埋もれがちなネット小説では、意識しておいて損ではない。興味を引けそうなキーワードを含めるとなお良し。
一人称。ファンタジー世界舞台、好き嫌い分かれそうな攻めがいる。ストーリー割合多めエロラブコメ。
途中失踪してたのに、引き続き読んでくれる人優しすぎない? 完結祝ってもらえたの嬉しすぎるんだよな。
前作読んでくれた人が今作読んでくれる流れあったり、日刊ランキングに載ってPV伸びたり、週刊や月刊ランキングにもお邪魔したりした。
登場人物が気に入られた。その一方で、好き嫌い分かれるだろな、と思ってた攻めくんが感想欄で人格攻撃された。お、おう。普通にショックで執筆気力減った。
嫌われる理由は分かる、だがその属性があってこその攻めくんだったから、私も一緒になって攻撃するような真似は絶対しなかった。書いた人間として、生み出したキャラを否定するような真似はできなかった。
万人受けしないものを、受け容れられない覚悟で書いていたら、思いの外楽しんでもらえたようで喜んでしまっていたから。冷や水を浴びせられたようで。愚かさも含めて愛されるなんてはずがなかった、と現実を思い出して、何を期待していたんだろう、と惨めにも泣いちゃった。
まあ、安心して欲しい。
ブクマが伸びてね、PVが伸びるとね、当初ターゲットとして想定していなかった読者層にもぶち当たるようになるの。これはそういうことなの。
私は気にしちゃったし、説得力ないと思うけど、世の作家物書き小説家創作人さんは、気にしないで性癖に正直になっていいと思う。思った。
ランキング傾向から、その方が読まれやすいと勝手に推測していた。実際当たったと思っている。
ただ、書籍化まで視野に入れるなら、砕け過ぎない方がいい気もする。小説の質としては、文体が軽いより重い方が質の高い小説だ、と思う人は多い。
(尤も、売れる作品か、が書籍化のネックであろうので、人気があったり面白さが保証されるなら、文体なんて無視していい要素になるだろうな。)
多分主要な読み手層は、時系列バラバラの話を後で自分で再構成したりはしない。Tips集めて事件のあらまし推測しない。そういう楽しみ方を求められていない。
故に、素直に読んで分かる話になることを心掛けた。
それですら伝わらない。半分も伝わらないと思っておいた方がいい。人は自分の理解できるものを土壌にすることでしか、作品から理解を引き出せない。
書きたいものを書く、という芯はブレさせなかった。だって趣味で書いているんだぞ!? 好きなもの書かなくてどうするの!?!? という精神。
私が恥ずかしがったので、独りよがりな鬱設定は本編で語らなかった。エンタメ路線の方がみんなも読んでて楽しいでしょ。私もその方が楽しいし。
2作目攻めくんのえがきかたは、もっとやりようがあったのだろう、とも思う。力不足だった。
攻めくんのコンプラ違反を度々指摘するような形で、作品倫理はそれなりに真っ当さを維持して批判避けしていたつもりだったのだが。まあ、ダメな行いはダメだよな。それを存在否定に使う人間も世の中にはいるんだな、勉強になったよ。
は〜〜懐の深い受けが、頑なに頑なにしていたのに、いつの間にか絆されちゃうの、いいもんだな。
思い出した。
私にとって小説を書くことは、読みたいもの、自分の好きなものを自分の中から身を切って削り出して晒すようなものなのだった。苦しくて仕方ないのに、楽しさを知ってしまったから、今更辞めることもできない。呼吸だった。
だからこそ、伝わらなさを思い知る度、断絶を突きつけられた。それは、好きに解釈してくれ、と自分の作品を手放して諦めるようだった。断絶を重ねるうちに、それでいいや、と思えるようになってしまった。平気になったわけではない。
観測者のいない星は寂しい。読者がいて、作品が確立することを知ってしまった。だから、手放すことを覚えた。
あの頃と比べれば、息を止めることに慣れてしまって、息の仕方を忘れてしまった。
それでも時折呼吸が苦しくなって、思い出したように息をする。
男が持つ不自由も、女が持つ不自由も、どちらも解消されるべきだと考えている。
人間として犯罪はなくすべきで、不自由があるなら解消するべきだ。
例えば医大で女は優先して落としにかかる試験があったけど、あれは完全に差別的で不正だった。
例えば女性管理職が少ないのは、今のミドル世代にバリキャリがまだ少ないせいではないかと思う。
数の上では確かに女の方が少ない。だが勤続年数や経歴を加味すれば、かなり「平等」に近くはないかと感じる。
女の数を増やす為だけに経歴の浅い人を登用する方がおかしい。逆に女尊になってしまう。
逆に年数が同じで女性の方がむしろ成果を上げてるのに……となった場合は、勿論女性差別ということになる。
フィクションの規制も、フェミが男に媚びた美少女や過激な露出を排除しようとするのであれば、
同様に女に媚びたイケメンが胸チラしたりするやつも、性的搾取として規制を行わなければいけないだろう。
自分としてはどっちもファンタジーとして楽しみたいし、ファンタジーを提供する職業を否定したくないので、規制する必要はないと思うのだけど。
で、こう言う事いうとすーぐ言われる「名誉男性」!
だからフェミに「名誉男性」って言われるたびにフェミってなんて差別主義者なのって感じてしまうけど、いつもそうなんだからしょうがないのかな。
攻撃呪文とかいって個人がせいぜい杖くらいの装備で大爆発を起こしたりできる世界、絶対治安維持がヤバイ 街中で大魔法ぶっぱなされたらあかんやんけ
すごく面白かった。95点くらい。
雪という題材も、なんか冬に合う映画な感じ。
後、歌も良かった(吹き替え版)
ストーリーはなんか、DQとFFを混ぜたようなファンタジー感があった。
風、火、土は出たけど、水はいなかったような…。(馬が水か?)
小野田さんみたいなキャラがいたりと、結構ストーリーはシリアス。
最後、悪役と戦うシーンがなかったのが、ちょっと物たりなかったかな。
大長編ドラえもんでも最後に敵と戦わない話は少しイマイチだったりする。(竜の騎士とか)
アナもエルザも結構アクションをするシーンがあって、これが本場のポリコレという奴かと思って感嘆した。
エルザが馬を乗りこなすシーンとか、津波に向かって走っていくシーンとか、なんかすごいなと思った。
あれはあれで、少しリョナというか、そういう層を引き付ける何かがあるかもしれない。
後、別に悪いというんじゃないんだけど、女性キャラの眼の大きさが少し気になった。
RPGの舞台が西洋のファンタジーからの借用だったという批判もと作ったゲームなのに、現代を描くのに用いた舞台が80年代アメリカってのが田尻に批判されたんす。
だから、ポケモンは意識して日本的な風景を持たせるように作ったんだって。
あと、メガテンは現代日本というより、ポストアポカリプスものでは。FCの1はウィザードリィを伝奇ものをベースとして作ったものだけど(ややポップンなアートワーク等含めてPC版ウィザードリィの影響が濃い)現代的な風景は持ってないと思う。
ポケモンがメガテンを参照したってに言及するのを忘れてた。少なくとも、本人は言及していないけど、モンスターを仲間にするというデザインについては参考にしたかもしれない。でも「通信ケーブルを使ったゲームを作る」というテーマから虫取りをした子供自体の思い出をヒントに「モンスターを採集して交換する」というデザインが生まれて、それが初期から一貫しているので、メガテンの影響があったかについてはちょっと弱い気もする。
糸井重里がRPGのファンタジー要素を批判してMOTHERを作ったのに、それすらも借り物ってのが批判されてるって話。
糸井重里がどっかの雑誌でそれっぽいこと書いてて(ごめんソース忘れた)、MOTHERが借り物である批判は田尻が自伝でしてる。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。
「運命の人」の冒頭部がわけがわからない?とは僕にとって驚愕である。各々解釈の揺れ(それが良い詩の証明だろう)こそあれど全くそのドラマを想定できないなんてことが日本語話者にあって良いものなのだろうか。こうやって個人の妄想でしかないものをもっともらしく解説者ぶって書き連ねるのは、作詞者である草野さんに対する不遜なのは重々承知している。僕自身あまり好きでない類だ。しかし全くわからないという人間を目にしてこの3日心のもやもやは晴れないままだった。心待ちにしたスターウォーズ鑑賞中も頭の中はスピッツだ。夜眠ろうにもはーしーるーはーるかーと頭の中でループする。
もういてもたってもいられない。ここに駄文を書き連ねる。
「バスの揺れ方」というのは不規則でとても強力なものだ。電車のような規則性はなく、タクシーのような微々たるものではない。乗客は常に見当もつかない方向から強い力で揺さぶられときにはその力でよろめく。
続く「人生の意味がわかった日曜日」は、逆説的に言って、日曜日でなければ気がつかなかったということを表している。多くの人にとって日曜日は休日である。つまり平日では行われないことがその日起こり、平日では気にとめなかっただろう些細なことがこの気づきをもたらしたのだ。
そして日曜日は週末である。日々の営みが7日で循環するよう設計された人間社会において、日曜日は一つの区切りになっている。労働や勉学に励む小市民ならば、7日間のうちに起こった悲喜交々はこの日を最後に一旦清算され、人々は次の1週間もまたひたむきに日々を過ごしていく。日曜日を意識するこの歌詞の主人公もまたそんな人間の一人だと言うことが読み取れる。
改めて一文を読むと「バスの揺れ方」が連用修飾語として「解った」に係り、「解った」は続く「日曜日」の連体修飾語になっているため、主人公がバスに揺られていたのは「人生の意味がわかった」のと同じ日であるといえる。それぞれが別の日であるなら、バスに揺られた日を示すためにさらに「バスの揺れ方」を修飾する必要がある。なお、バスの揺れかたはバス内部でなければ感じ取れないので、主人公が日曜日にバスに乗車しその日のうちに「人生の意味」に気がついたと断定できる。
ここで一旦まとめると「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日」というのは、
「毎日つつがなく規則正しい生活を過ごしている主人公が、休日が故に起きた特別な出来事をきっかけに思慮にふける。彼はこの日乗車したバスの不規則な振動と、不意な出来事に翻弄されることもある社会の悲哀を重ね合わせた。そして『人生の意味』を悟る。」という内容であると推定される。
不可解な点がまだ残るが歌詞の次行に進みたい。
歌詞を読むに彼は「君」の手を握れるほどそばにいることがわかる。注目するのは「でもさ」という否定形の接続詞で、これにより主人公が「君」の手を強く握るという方法で「人生の意味」に抗う姿勢が示された。
話が戻るが日曜日という日は週末であり曜日の中でも特異な地点である。あくまで僕の考えであるが、歌詞の主人公からすれば日曜に思い巡らせたことは月曜にはリサイクルされてしまうので、「日曜日」に発見した「人生の意味」がこの主人公の行動に影響を与えるのはその「日曜日」に限定されるはずなのだ。そういう意味でもなければわざわざ日曜を指定する必然がない。月曜でも水曜でも歌詞は成立する。よって「強く手を握る」ことで「人生の意味」に抗うことが可能なのは「人生の意味がわかった」日と同日であると考えるのが自然ではないだろうか。
とすると彼はバスに揺られた日曜日に「君」と会って過ごしたということになる。おそらく彼と「君」は同じバスで揺られている。
そして「君」がバスの中でよろめいてその手を彼が支えるという場面があったのだろう。彼は「君」が人生に翻弄されてもずっと支え続けていこうと心に決めるのだ。
つまり「バスの揺れ方で〜」のまとめで述べた"特別な出来事"は、「君」と休日の行動を共にしていることなのではないだろうか。普段ならバスの揺れに不快な思いをしているはずなのに、君がいるときはなんだかそれを感じない、そのことが彼の日曜日を特別にしたんじゃなかろうか。
出だしの2行を僕なりにまとめると
「週末に『君』とのデートをとりつけ心が弾む主人公。普段なら不快なバスの揺れも『君』が側にいれば全然苦でない。そのことに気がついた彼は、小市民として淡々と日々を過ごしているはずの自分にも時々ハプニングが降りかかるその人生の理不尽さと不規則で激しいバスの振動を重ね合わせた。『生きていて辛いことがあっても傍らのこの人がいればそんなことは全然気にならない。』彼はそれを確信する。その時またバスは揺れて『君』が大きくよろめいた。すかさず『君』の手をキャッチした彼。彼自身はその揺さぶりに動じないとしても、この相手は『運命の人だから』挫けることがないように支えていかなければならないと決心する彼であった…」
なお直後3行目の「優しいだけじゃなく偉大な獣」は、この優しく相手を守り支える姿と、揺さぶりに翻弄されず過酷な環境であっても生きていける野獣のようなタフネスという二面性を集約した言葉だと考えて僕は納得した。
確かにこれらには何の確証も論理性もない。しかし聞き手の中にファンタジーを想像させられれば詩はそれでいいんだと思う。
まだまだ書き続けたいが時間がないので書き控える。
ちなみに僕が好きな歌い出しはBLANKEY JET CITYの「ガソリンの香りがしてる」だ。何もわからない。
余談だがスピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」にはその名も「日曜日」という曲が収録されている。「運命の人」が可愛く思えるほどに奇々怪々な歌詞で「晴れた空だ日曜日戦車は二人をのせて」と言葉で歌は始まり、サビで「蜂になろうよ」と相手を誘う。それから6年が経ちデートはちゃんとバスを使うようになり、蜂への変身願望から偉大な獣になる誓いをたてるまでに成長したんだと思うと、なんと立派になって…と親戚のおばさんのような気分にならないこともない。
ガンになったので、ファンタジー作品のどの魔法ならガンを治せるか考えてみた。
ホイミ系 ガンの部位を切除して、すぐ掛けたらいけそう。一歩間違えると増殖して転移しそう。
キアリー系 たぶん無理。
シャナク系 たぶん無理。
ザメハ系 無理。
その他状態異常回復系 うーん、たぶん無理。脳梗塞とかは治りそう。
まず、ビキニアーマーはビキニ形態の鎧であり、すくなくともトップが胸の形に成型され、足や太ももの露出の多いものとする。
そう考えると白蛇のナーガはそもそも接近戦も人並みにこなせるリナ・インバースとは違い、接近戦はからっきしの魔術師であり衣装は硬質な感じでの描写もない。
もちろん、ビキニ状の格好で戦っていればビキニアーマーだという広義をとれば含まれるが、それだとDQ4のマーニャ、SAGA2のエスパーガール。あとはラグナロクオンラインの女マジシャンの様なものもビキニアーマーだとなってしまい、ビキニアーマーが廃れたという主張と整合しない。
さらに言うと、平家物語などのフィクションも史料として用いることは史料の少ない時代などではなくもないが、それは史料批判をした上での話なので、ファンタジー作品であるスレイヤーズに「何百年か前に流行った、世に言う『悪の女魔道士ルック』」と有ることから直ちに現実の日本においてビキニアーマーが廃れていたとは結び付けられない。
というか普通に考えて犯罪者の人権問題について議論してる時に「悪人に人権はない」とか言い出しちゃう人でしょ?
フィクションの影響を受けやすい中高生なら我が身を振り返りいささか胸に痛いものを感じつつも微笑ましくもあるが、いい大人が言ってたら「フィクションと現実くらい区別しろバカ」でおわりでしょ?
さらに言うと何故かナーガ初出の「スレイヤーズすぺしゃる1 白魔術都市の王子」じゃなくて「スレイヤーズすぺしゃる3 ナーガの冒険」なの?
https://ch.nicovideo.jp/SPQR/blomaga/ar112889
てか正直いってここの記事みて書いたんじゃない?
もともとシャーロックもののドラマが大好きで英ドラマのシャーロックもミス・シャーロックもディーンフジオカのシャーロックも好きだ。推理が楽しい。
大好きな中村倫也が「屍人荘の殺人」でシャーロックとして出るという触れ込みだったので映画が発表されてからとても楽しみだった。
そして観に行った。
びっくりした。
ゾンビ映画だった。
原作は「このミステリーがすごい!」とかいう賞を獲ったらしいのだが、ゾンビ映画なのだ。
死んだ人は生き返るし、残虐なころし方はするし、今まで思い入れがあった人もゾンビになったからといってころす。
ミステリーじゃないじゃん。
ゾンビ映画じゃん。
公式は「ネタばれ禁止!」って売り方をしているが、これはネタばれではないとおもう。だって、そもそもミステリーじゃなくゾンビ映画なんだもん。
ゾンビファンにはいいけど、ミステリーファンを騙さないでくれ。
そもそも私はゾンビものはあまり好きではない。嫌いではないし、面白さは感じるけどゾンビが出てる時点でファンタジーなわけじゃん。
あり得ない世界。
ミステリーを見るときは現実でありそうなことの謎解きを楽しむのであってゾンビが出た時点でもうそれは謎解きとかじゃないじゃん。なんでもありじゃん。
私とおなじようにミステリーだと思って騙されたようなご年配の老夫婦が結構いた。
映画の配給元としては誤解されようがなにされようが映画館に行かせたもん勝ちなんだとは思うけど、
私はその策略にまんまとハマってしまって騙されたんだと思うけど
ゾンビ映画としてみれば結構面白かったんですよ。ノリもいいし。浜辺美波ちゃんはひたすらかわいいし。神木隆之介くんもかわいいし。
だけどね、中村倫也はシャーロックではなかったんですよ。中村倫也さんと神木隆之介くんとの推理姿がほとんど皆無だったんですよ。
金返せ、って思いますね。
しかも、この作品、ゾンビになった人をころすわりにはそこらへんに罪悪感とか法律の観点とかまるでないし、もともとなぜゾンビになったのかゾンビにした組織がなんなのかも分からず仕舞いで終わるの。
謎が謎のまま終わる。
金返せ、って思いますね。
追記----
思いのほかブクマついててびっくりした。
「ミステリーファン」と書いてしまったからコアなミステリーファンがモヤっとしているようだったんだけど、
ご推察の通りシャーロックものが好きでコナンが好きなああいう感じが好きなミステリーファンなので、そういうミステリーのことだと思ってくれ。
小説は読まない。アニメかドラマ、映画だけ。殺人事件が起こる刑事もの、探偵ものが好きなんだ。
「屍人荘の殺人」自体は嫌いではない作りだし、面白かったと思う。
でも、ゾンビだとわかってたら観に行かなかったんだ。「小説があるからそれを読めば分かる」とも思うかもしれないが、これから推理ものを見るのにわざわざ小説でネタばれしてから行く気にはならない。
宣伝は「二人のシャーロックが事件を解決」というような触れ込みだった。
シャーロックとワトソンという関係性を強調していたように思う。
ということは原作を知らなければシャーロックの中村倫也とワトソンの神木隆之介目当てで観に行く人がほとんどだよね?
原作知らなくてあのCMを見て浜辺美波と神木隆之介が二人だけで推理をするゾンビ映画だとは思わないと思う。
原作のことをミリしらでそこまで推理できたらすごいし、そいつはシャーロックだ。彼なら推理できるだろう。
原作の小説はきっと面白いのだと思う。賞も獲ってるし。ミステリーとしてもよくできているのかもしれない。いや、良くできているから賞を獲った。
だが、映画「屍人荘の殺人」はパニックホラームービーであり、コミカルなゾンビ映画だ。
ミステリー好きでゾンビが苦手な中村倫也ファンとしてはやはり「金返せ」ってなる。しょうがない。
OVAすごいよかったし、TV版も見れるのか今シーズンのikigai候補
異世界fuzokuレビューなのかい?こういう攻めたアニメがいい。
やった、やった、きららだ、やった
これはひょっとしてぼくのだいすきなファンタジーモノロードムービーなのか、そうなのかい?