はてなキーワード: ピタリとは
キングギドラが学校に行き、階段真ん中付近でてけてけが僕の足を引っ張る。てけてけというのは、妖怪の一種で学校の階段に登場するキャラクターの一つである。僕は目が覚めると金縛りにあっていた。はじめはからだの違和感に気づき、それから手足の先のほうを動かそうとした。出来ない。これは参ったな。
意識を失っていたように思う。夢の中で私はまたもじゃもじゃピンク色で不恰好ないきものに、廊下から引きずり下ろされていた。次に目を覚ました時は息ができないほど苦しかった。本当のことをいえば、呼吸できないような気持ちになっているだけで、酸素を取り込み二酸化炭素を外にだしている。だってそうでしょ? そうでもしないと、生きていられるはずないもの。そのくらい私は息が留まっている状態に陥っていた。
*
これが一月も二月も続くのはかなりきつい物がある。だがある時を境に、ピタリとなくなった。
来年社会保険労務士試験を受験される皆さんへ、今年受験した者から、一言お伝えします。
まず、勉強方法ですが、よほどモチベーションが保てない(のなら最初からやらない方がまし)かぎり、
「ある」とおっしゃるのなら、今年の選択式(特に労災と社一)で、あそこが出ることをピタリとあてた学校があれば教えてください。
それなら、どうするか。
社労士六法を片っ端から、全条文(本則条文のみならず、省令なども含め全部です)を何度も何度も何度も何度も何度も何度も読み込むこと!!!!!!
それしかないと思います。暗記できるぐらいになるとなお良いでしょう。
しかも、受験用に書かれている物は、下手に抜粋されているのでいけません。
出題者は大学の先生とかなので、そんな本は読んでいません。法学部の学生や教授が使うような、全条文が掲載されているものを読み込むのです!!
過去問(最低10年分)はやる意味があります。ただしそれは択一式の話です。
選択式に関しては全く役に立ちません。そもそも問題数が少ないというのもあります。
そして、予備校は予想する能力がないので、予想問題もあてになりません。
これを克服するためには、前述のとおり全条文を読み込むしかありません。
あと、通達とか、労基法だったら判例とかも出題範囲になります。
判例は、労働に関する最高裁の判例は全て網羅しないと不安です。
通達も制覇したいところですが、戦後間もなくの通達もある上に、一般人がどのようにして通達にアクセスできるか、これもご存知の方は教えてください。
とにかく、どこが出るかは分かりません。予備校があてにならないので。
そんな重箱の隅をつつくような問題を出してどうするんだ。まぐれで受かったような人間を実務につかせて大丈夫なのか。
という思いはありますが、それが現実なのだから、仕方ありません。
『自分が問題を解ける』というのと、『問題の解き方を人に説明できる』というのは別の才能だと思う。
解き方を説明するためには、相手が何を理解していないかを把握する必要がある。
・合同の条件を覚えてない
・証明の書き方に慣れていない
といった原因があるんだけれど(他にもあるかも)、そのどれがわかっていないのか、その子自身にもわかってないことが多い。
だから、説明する側が「この子は何がわかっていないのか」を推測する必要がある。
でも、頭がいい人って自分が問題を解くときに何処かに躓くことがないから、「相手がつまづきそうなポイント」の勘が働かなかったりする。
その場合、「君が何にわからないのかわからない」=「なんで解けないの? 簡単じゃん」と言い放ったりする。
もちろん、頭がいい人のなかには、「相手が何がわかってないか」をピタリと推測して説明できるタイプの人もいるのだけれど。
あと数学に限っていうと、感覚で解いてるタイプの人は解き方を言葉で解説するの苦手だから、他人に説明できない場合もあるみたい。
普段Perlを書いているんだけど、言語機能として欲しい機能がライブラリ任せだったりしていろいろしんどい。
何かいいプログラミング言語はないかなーと思っているんだけど、なかなか自分の好みとピタリとくるものがない。まぁ好みにピタリとくるものなんかプログラミング言語に限らずないんだろうけど。
なので夢想してたのを垂れ流してみる。最近OOPディスのエントリとかあったので話題作りになれば。
Web系のエンジニアなのでWebサービス作ることが前提で、範囲広げすぎるとまとまらないので今回はLLを想定してる。
だいたい PHP, Perl, Python, Ruby, JavaScript あたりをイメージしながら、さらにこんな機能があればいいなーと思って書いたよ。
http://digimaga.net/2013/04/blogger-must-fight-with-an-anonymous-person
これについたブコメで「そうそう!」と思わず膝をうったものがある。
geekpage
これ自分の周囲で似たような体験された人がいるんですよね。相手は匿名では無いんだけど。
webエンジニア界隈の人でチクチクと皮肉コメントをつけて来る人がいて。観測範囲がどうこうとか、そういう感じが口癖の人達。だいたいどの辺りのクラスタか予想つきますよね。PHPエンジニアってだけで馬鹿にしてくるような人達とか、ちょっと前までたくさんいましたね。
で、そういう人達と実際にどこかのカンファレンスとか、81忘年会で会って話をした途端に、全く攻撃的なコメントが付かなくなったとか。彼はその体験以降、積極的に勉強会とか懇親会に出るようにして、なるべく多くの人にリアルでの面通しをすることでネットでのうざったい皮肉コメントを減らそうとしたらしいです。
自分はそこまでして粘着質な人に媚びたく無いけど、まあそういう考え方もありなのかもね。日本のwebエンジニア界隈って村社会だなあと思ったエピソードでした。
センスのない人
「センスのない人」が嫌いです。いわゆるファッションやカルチャー的なセンスのことではなくて、いろんなことをうまくやる能力、くらいに捉えてもらえればいいと思う。私が勝手にその能力を「センス」って呼んでるだけの話です。
例えばバス。そこそこの混雑具合で、運転手(「サービス・クルー」とか言うんだっけ)が車内アナウンスを使って「混み合いますので置くまで詰めてください」みたいなことを言っているのにも関わらず、出口ドア付近でピタリと止まって動かない人。センスが無い。最初のバス停で降りるならわかるけど、降りない。で、ボトルネックになる。会社やらプロジェクトでもきっとこの人はボトルネックになってるんだろうなって思う。
例えば電車。バスと同じくドア付近。もう書くまでもないと思うけど「お前そこに立たないと死ぬのか?」と聞きたくなるくらい必死の形相でドア付近を死守する人がいる。センスが無い。一旦降りろ。できるだけ詰めろ。人の流れというものを無視すんな、と思う。
あとスマホを必死で操作しながら前を見ずに歩く奴。パズドラで何コンボ出してるのかしらないけど、かわせないなら前を向け。全体的なペースに合わせて歩けない奴(おじいちゃんおばあちゃんとか身体障害者の方は別ね。当たり前だけど)。
こういう「センスのない人」が世の中をちょっとずつ生きづらくしているんだと思う。どうしたらこういう人を駆逐できるのか、日々思案しています。だれか教えて。
「年功序列で少しずつでもずっと上がっていく」、とオレも昔は思っていた。
…が、景気の変動に基づき、以下のような事態が発生。
従来は毎年1号アップ→月給何千円かアップ、だったのが、旧1号を4分割し、2号アップ~4号アップまで差ができた。疑似成果主義の導入。
これにより、全年齢において給与が月給平均にして○万円程度下がる。
さすがにそれは、というので、当面「現給保証」はされた。
だが、丸五年ほど給与は一切増えない状況となる。それは若い者に余りにかわいそうと言うことで、若い者は少しだけ上がることになってる。
まあ、若い増田はまだ気づいていないと思うけど、地方財政も大概厳しいし、麻生は地方公務員の給料更に下げろ言ってるし、心配しなくても増田の給料は近いうちからピタリと上昇が止まって動かなくなるからね。
…まあ、個人的には、毎日5時過ぎに退庁してるセクションの人件費は今の7割に減らして、その分毎日日付が変わってるようなセクションに回せやと思ってるけどね。
この一ヶ月半ほど、体中がカユくて悩まされていた。
朝起きると肩、足の内側、肩、腕の内側をボリボリかきながら起きるのが日課。
日中も、足の膝上部の内側カユくて、知らず知らずのうちにかくようになり、ふと気づくと、ケロイド状になっていた。
カサブタができる。
その上からさらにかいて出血が生じ、それでもカユいからさらにかく。
赤い筋が皮膚の上に盛り上がり、見た目がスゴい。
ダニのせいだと布団を干して、掃除機をかけてもカユいのは変わらず。
我慢なんてできやしない。
友人にそのことを何気なく話したところ、
「それ、アトピーじゃん」
と言われて、ゾッとした。
少々うろたえて腕の患部を見せると、
「アトピー以外の何ものでもないね。まだひどくなくてうらやましいよ」
というのだ。そして、
「Welcome to the atopic World」
「皮膚科に行け」
と言う。
ステロイドで苦しんでいるお前が言うのか。
これまで、お陰様でアトピーとは無縁の生活を送ってきた。
その生活を手放したくない。
「アトピー 治し方」
などといった単語で検索して、上位のサイトを基に生活を改善、一週間目にして、この一ヶ月半苦しんだ体のかゆみが、ピタリと止まった。
この経験が、誰かの役に立つかも知れないので書いておく。
直リンクすると「宣伝乙」と言われそうなのでやめておくけど(気になる方は、私のサイトにも書いたので、”アマカナタ”で検索すればすぐにヒットすると思う)、元サイトによれば、
だそうだ。
原因と考えられる者の内、私の場合、不規則な睡眠時間を改めたが症状は改善しなかったし、ストレスに関しては人間関係に恵まれた職場なので、これも関係ない。
思い当たる節は、次の二つ。
アトピーは糖尿病とともに、発展途上国ではあまり見られない病気だ、と聞く。
私の場合は、この冬はこれまでのトレーニングの習慣をやめたため、取り過ぎた栄養が行き場を失って栄養過多になったのではないか、と推測。
具体的には、腹筋50回、懸垂30回。
最後に、保湿のために美容液を患部に塗り、そのあと油を塗るようにした。
そして、電気毛布をつけっぱなしで寝ることをやめた、というか電気毛布自体の使用をやめた。
おかげさまで一ヶ月ぶりに、体のカユミから解放され、再発の気配は、今のところない。
風邪はひきはじめに対処すればいい、というし、ガンだって初期段階で発見すれば、簡単な手術で完治する、という。
こういうことは、症状の出始めで叩くのが肝心だと思う。
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。
至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。
あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。
家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまったかのようだった。
なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。
梅雨空の下、わたしは沈黙したまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。
それは先生が子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。
わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。
声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉の意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき、意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中を押し出してしまった。
よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。
本当に、その程度の思いつきだったのに。
わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。
それも、そうだな。
ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。
わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。
今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。
にっ、とAが笑った。
何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。
絶対だぞ。
念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。
蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。
かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしから水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。
ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。
十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。
狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。
それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。
わたしは右手に傘を左手に水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。
雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。
どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園の入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。
Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルーの長靴だけが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。
たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。
やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。
がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。
点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。
わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。
やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。
シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。
口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。
乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。
べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。
べちゃり。
わたしは隣に佇むAに眼を向けた。
彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。
ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。
ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。
蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。
途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。
惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。
わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。
水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。
とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。
その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。
わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。
その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。
翌日。Aはどこにもいなくなっていた。
あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。
けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。
梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。
俺よりも少し年下、20代半ばのイケメンの知り合いがいる。かなりのイケメンで、高卒の俺からは眩しい学歴があってリア充で、ブサメンで人望がない俺なんかにはもったいない友人なんだが、割と慕ってくれているので有難い。
付き合ったり話をしているうちに、実はかなり頭が悪いことが分かってきたという話。
ある晩の酒の席でサイドビジネスや不労所得の話になったとき、彼から実は株を始めていることを聞かされた。詳しく聞いてみると、株を教えてくれる教室に通っていて、株をやるためのソフトウェアを購入したのだという。教室の先生は株式売買のエキスパートで、その先生が用意したソフトウェアを用いて臨めば、高確率でうまくいくのだと。
株式売買もFXもぜんぜん分からないし、あまり興味をもてない俺には想像がつかない世界だが、周囲の人間から株をやるための準備金として80万円も使ったという話は聞いたことがなかった。
「騙されている」
そこまでは思わなかったが、それはちょっとおかしいような気がした。こいつ騙されやすいかもしれないなと思った。
ちなみに今日時点で、彼は株から足を洗っている。収益はだせず、教室代とソフトウェアのローンを支払っている最中である。
ある晩、電話があった。
「XXXさん(俺のこと)、アンチエイジングをご存知ですか?」
そう切り出され、健康食品や化粧品を取り扱うマルチ商法的なビジネスに関心があるのだという話を聞かされた。知ってるよ。ねずみ講ではなく、ネットワークビジネスというやつだよね。
「よく知っていますね。俺も最初に聞かされたときには怪しんでいました。でもその人の話を聞いたり、ネットで調べるうちに、これは信用できる。21世紀のビジネスはアンチエイジングだと思っています。XXXさんも今度ぜひセミナーに参加しましょう」
調べてみるよ、また連絡すると結んで電話をおいたあと、彼が始めたというネットワークビジネスを調べてみた。苦情の坩堝だった。特にその最初に参加するセミナーは「マインドコントロールセミナー」と呼ばれるらしい。ネットで調べて信用できると思えたというのは、何を指していたんだろう。
電話から2週間くらい経ってから、メシの誘いがあった。彼以外のマルチ商法関係者が来ていたらイヤだったが、そんなことはなかった。
例のビジネスの話題になり、意見を聞かれたので、「ぶっちゃけ、まったく信用できないと思った」と正直に言った。すると、意外な返事が返ってきた。
「俺もそう思い始めています」
信用できないと思えてきたらしい。彼はそのビジネスをやってみたいと母親に伝えたところ、やめておけと反対されたのだという。まあ、そうだろうな。君のお母さんがそれなりの常識を備えていれば反対すると思うよ。
「占い師というわけではないんですが、説明できる言葉が無いので便宜上それでいいです。このエピソードをなぜ披露したかというと」
要するに、母親はただ反対したわけではない。その占い師さんの意見を仰いだ上で反対しているのだから、彼自身も考え方を改めたのだそうだ。俺には「なるほど」としか言えなかった。
アフィリエイトの話は俺から切り出したということもあるんだけど、彼自身も元々興味があったようだ。俺自身はWebアプリ用のフレームワークをいじったりするのが楽しいので、適当なWebサービスをリリースして、あわよくばアフィで収入を得られればという程度の考えなんだけど、どうやら彼は違ったアプローチをとっている。
「XXXさん、アフィやるにあたって、情報商材は何を買いましたか?」
アフィリエイトを始めるために情報商材を買わないといけないものなのか?そもそも情報商材って。大胆なうたい文句をズラズラ並べた縦長のページで売っているやつですか。
「そうです。怪しいですよね。おれも詐欺に気をつけながらよくよく吟味しましたよ。で、PPC広告でアフィリエイトサイトへ誘導して収入を得るための情報商材を購入しました。3万円で3ヶ月間コンサルタントしてくれるのです。評判を見た限りでは、これでうまくいかなければ何をやってもダメなのだと思っています」
そう意気込んで話してくれた。情報商材でボロ儲けって、いかがわしいダイエット広告やトルマリンパワーくらい現実味がないと思っていた。件の商材のURLを送ってもらい見てみたが、その考えは変えられなかった。
騙されやすいのか、好奇心旺盛なのか、人を疑うことを知らないのか、どう表現すればいいのか分からないが。
彼は生まれ育った環境のおかげでそういう性格になったのだろう。占い師のエピソードでそう思った。実際にこういう人がいるんだなとも思った。
俺が二次災害的に騙されることが心配なので、距離を置いて付き合っていこうとは思う。
1978年、私が15歳の頃だった。親が近所の大学の客員教授としてアメリカに来たという日本人の子がうちの中学校で1年過ごして、それから日本に帰ったんだけど、やっぱり無性に会いたくなって、おじいさんに夏休みの間に遊びに行かせてもらえるよう頼んだらOKしてもらえた。7月の夜に日本に到着して、ヘトヘトだったけどそれ以上に凄いテンションが高かった。友達とそのお母さんに客室へと案内してもらうと、そこは畳の床で、襖で仕切られた、その家唯一の和室だった。一室だけ和室にして残りは近代的な作りにするというのは、比較的豊富な日本の家では一般的なのだそうだ。友達のお母さんが部屋の押し入れから布団を出した時、押し入れの中から冷たい空気が抜けていくのを感じたけど、密閉された空間なら外気に影響される事もないだろうと、その時は特に気に留めはしなかった。その日の夜はぐっすり眠れた。
次の日の夜、目が覚めていた私は電気のスイッチが消える音や二回の寝室の扉が閉まる音といった、夜が更けていく音を布団の中で耳にしていた。明日はどんな楽しい冒険が待ってるんだろうとワクワクしていると、微かに笑い声が聞こえてきた。きっと隣の家で集まりがあるんだろうと思ったけど、笑い声はどんどん大きく、そして近くなっていく。そしてやがて笑い声は・・・何というか、狂気じみたものになり、徐々に音量を上げつつ耳のすぐ側まで近づいてきた。起き上がって二回の友達の所へ逃げようと思った。目は完全に冷めていた。でも、筋肉一つ動かす事ができなかった。ここで私は子供の頃、日本へ発つまで受けていたヨガのレッスンの事を思い出した。きっと本能的に思い出せたんだろう。ヨガのインストラクターは、その名前を口にするだけで負のエネルギーを浄化するという、東インドの聖人ラマナの事を教えてくれた。もう何だろうがやってみようと思い、その聖人の名前を言おうとした。しかし、言葉すら発する事ができなかった。恐怖は身を硬直させると私の本能が告げ、この恐怖の中とにかくリラックスしようと、夜の星空の中を浮遊する自分の姿を必死にイメージした。すると、やがて嵐のように乱れた私の周囲に落ち着きが戻り、今度こそ聖人の名前を言おうと口を動かした。声に出す事は出来なかったけど、私の唇は微かに「ラマナ」という言葉を紡いだ。すると、あの耳に響く邪悪な笑い声はピタリと止まった。まるでスイッチを切ったかのように。体を動かすことが出来るようになった私は、二回の友達の所へ駆け込もうと思ったけど、何故かもう安全だと感じ、わざわざ起こすまいとそのまま眠りに落ちた。
翌日、友達の友達が私の歓迎会と称したお茶会に来てくれた。昨日起こった事を話すと、それは「カナシバリ」というものだと教えてくれた。霊体等が休んでいる人間にそうやっていたずらをするそうで、日本ではよくある事なのだそうだ。その他にも、子供が寝ている間に頭の向きと足の向きを変えるオバケの話など、日本の幽霊の事を色々と話てくれて、私の経験も夢ではなく私が実際に起きていたという事を、特に抵抗もなく怖がりもせず信じてくれた。私の説明からして、あれは何か妖怪の類だと言い、あの笑い声を聞いたら誰だってそう思うだろうと思った。あの笑い声が、前の夜に寒気を発したあの押し入れの方角から近づいてきた事には後から気付いた。
この経験から、たとえ邪悪な存在が近くにいても平常心を保つ事は大事な事である事を学んだ。その後に格闘技を学ぶ際に教えられた事も更にそれを裏付けた。かつてチベットの僧侶がこのような事を言っていたのを覚えている。「怒っている時に攻撃してはいけない。外してしまうかもしれないからだ」
http://www.yourghoststories.com/ghost-stories-categories.php?category=10&page=1
話題になってるけど…。
ホントに周りに居る人達は気付いてくれて無いのかな?
男友達に相談したら、ボーとしてるように見えるからでは?とか言われたけど、よく分からない。
満員電車で真後ろに攻めてこられて、思いきり腰振られたことあったけど、周りの人達は知らん顏してたな。
あんなにハァハァして、腰動かしてる人が居たら、周りの人達気付くと思うけど…。
あと立ってる時も、座ってる時も満員電車に関わらず、
腕組みしてる風味に見せかけて、
腕組みの下から手を出して胸を触って来る人とか居ます。
これは確信犯なんだろうな。
後ろの人がピタってくっついて来るから、混んで来たのかなって思ってたら、
ガラガラで、技と空いてる電車で真後ろにピタリとくっついて来た人もおりました。
みんな痴漢をしてないって人が表面上は多いみたいで、
両手上げて乗ってますって言ってる人が多いけれど、
実際、私の乗車する東海道線では、吊革の数の問題なのか、
混雑しすぎで手の置場も好きに動かせないということもあると思いますが…。
あとは、
乗り込みの態勢で、前の人の背中に胸が当たってしまった時とか、
技となのか後ろに背中を反らせて、胸がガッツリ当たるような姿勢にしてくる人とかも居たりしますね。
乗り込んだ位置によって、窓側向くとか、あると思うんですが、
それに反して逆側向いて乗る人とかいて、向かい合わせになったりして気まずいです。
メッサ痛いんです。
チンコ鷲掴みとか仕返ししたい位です。
もっと痴女とか増えたら、男性にもわかってもらえるんですかね。
いや、全く見てないですね。
彼女は詳しく聞いてないけど、foundation course(基礎コース)といってたのでおそらく1、2年生じゃないかと思う。
前話したときに今はスケッチかデッサンしかしてないようで、デジタルデータが無いからPCじゃ見せれないといっていたし。
見せた俺の作品はCGと模型のみだった事と、「実現不可能な建築は学生作品でも許さない」というポリシーでやっているので、アートな方からすると、カッチカチに映ってしまったかもしれません。
建築とファッションの目指すベクトルというか、学生段階でも学ぶプロセスが明らかに異なっていると思ってます。
ステレオタイプな話で恐縮ですけど、建築は自分の哲学、美学なりを埋め込みつつも制限だらけの中で最適解を編み出すような消去法的手順で、ファッションはやり方としてはすごくアートに近いと思うんです。
要件定義に物理的制限や社会的影響を語るデザイナーをあまり見た事が無いので。
>凄い作品作る人の考え方はその人の作品を作るための思考回路であることが多い>から、必ずしも自分には当てはまらないんだよな。
そのとおりだと思います。その人の感覚器官にピタリ一致したやり方は自分で作り出すものだと思うので、毎年恒例のテーマで過去作品が豊富にあるときはわざとそれを見ないようにするときもあります。
俺は右翼とも左翼とも一定の距離を持っているし、是々非々で議論をしたいと常に心がけている。議論をする時には、なるべく論拠を示し、具体的にすべきだと思っている。
左翼は、論拠とか理由を示さない場合が非常に多い。顕著な特徴だと思う。たとえば、http://anond.hatelabo.jp/20081102115648
ここでは、
>内容的にも事実誤認だらけで論外の電波、というのがだいたい見解一致じゃないかなぁ。
↑これは防衛庁高官の田母神論文について言ってるんだけど、まず、「事実誤認だらけ」と言ってるだけで、具体例をまったく挙げていない。言いっぱなし。
「だいたい見解一致じゃないかなぁ」←自分が感じたそのままが世間一般にピタリと当てはまると、やはり何の根拠もなしに思って疑わない。
そもそもこの人はたぶん田母神論文も読んでいない。僕も読んでない。だから、判断できないんだよね。このコメントをしてる人も、たぶん読んでない。(まだ発表前の論文だし。)それでも、判断できるっていうんだよね。防衛庁の高官って言ったらこのての問題の超スペシャリスト。おまけに300万円を獲得した論文だという。一目置こう、という気になるはずなのに、「論外の電波」だって。匿名の掲示板で。どっちが電波かと。
一方右翼は、けっこう論拠を示すんだよね。具体的に古い資料引っ張ってきたりして。でも、一面的で、その他の情報をまったく無視したりする。たとえば先の戦争にしても、日本が帝国主義を拡大していった背景にはまず良心があることを強調する。一方で、そのまずかった結果についての反省がない。良心を押し売りされた側への同情なんてこれっぽっちもない。左翼も狭心だけど、右翼も別の種類の心の狭さがある。
右翼は、無条件で国を愛さない奴を許せない一方で、国の欠点についてまったく反省しない。一方左翼は、無条件で日本が駄目な国だと思わなければ、そいつを軽蔑する。
僕のイメージとして、右翼というのは、狭い穴の中に閉じこもろうとしている。左翼は、どこかにイデオロギーという棒が1本立っていて、そこに寄せ集まっていて、他の一般人もそこに集まってくれるのを期待して無駄な一生を終える。
ネットでは、政治問題となると、敵対する相手をウヨク、サヨクって呼ぶ。場合によってはコリア系と。どれをとっても、日本人全体に占める割合は多くて2、3%なんだよね。だから、ウヨ、サヨ言い合っている状況というのは、大多数の日本人を疎外してるんだよね。中にはそういうイデオロギーに沿って工作活動をしている場合もあるのかもしれないが、そうにしたって一般の人を疎外する結果であることに変わりはない。
はた迷惑なんだよね。両方とも国民大多数の支持なんか得られるわけがないのに。
僕は子供の頃から親の抑圧がひどく、彼と同じように宿題も作文も全て親の目を通さないと駄目だった。親が気に入らなければ最初からやり直しで、機嫌を損ねると体罰、酷い時には冬でも普段着のまま外に放り出された。放課後以降の時間は友人と遊ぶこともままならず本当に辛かった。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080610-OHT1T00092.htm
当時の僕の状況とそっくりだ。
その上いつも「学生として、若者として本来あるべき(異常に)高い理想」と比べられけなされ続けた。テストで80点代なんて許されず、いかに平均点が低かろうが「ちゃんと先生の言うことさえ聞いていればできるはず」と罵られ、普段の生活でもちょっと間違ったことを(例えば電話での受け答えをちょっと間違ったとか、ゴミの分別を間違ったとかいうレベルで)罵声と嘲笑を浴びせられた。こんな育てられ方をすれば人の顔色を伺いながらビクビクオドオドした性格になるのは当然だろう。
その上、風呂は1週間に1回、髪を床屋で切るのは数ヶ月に1回であとは適当にハサミで切られる。制服の替えはなし。今考えてもイジメられっことしての条件が整いすぎてるよ。クラスでは馬鹿にされバイキン扱いされ、時には暴力を振るわれ、行事や集団行動時はハブられる。詳しく思い出したくもない。彼も似たような状態だったのではないかと思う。彼の書き込みを見ると、親の支配から逃れようとして頑張っていた時の僕が考えていた事に瓜二つだ。
このまま中学校3年まで過ごしてきたのだが、ある日に遂に限界に達した。もう自分がどうなっても世の中がどうなってもいいと感じた。そして僕は彼と同じく、壊れると外に攻撃的な衝動を向ける人間だった。
当時の僕のひそかな楽しみは、朝早起きしてこっそり家を抜け出し、ゴミ捨て場をあさることだった。こずかいなんて無いし、自由な時間も学校が終わってからは皆無。早朝に人が捨てた雑誌やマンガを拾い読みするのが唯一と言ってよい娯楽だった。その時に拾ったナイフと包丁を1本づつ、これまた拾った砥石で磨き上げ、カバンの底に入れて学校に向かった。クラスメイトを(いや、偶然同じクラスにいるだけの人間と呼ぶべきか)誰彼構わず滅多刺しにし、気が済んだら家に戻って親を刺すつもりだった。
以降、その日の記憶はない。本当に、まるで、覚えていない。
翌朝、きれいな包丁を見ながら「オレは何もしなかったのか?」と自問自答したところまで記憶が飛んでいる。当時の数少ない友人は「何か・・・危なかったよ」とだけ言い、詳細については話してくれなかった。刺してはいないが、僕は教室で何かをやり、教師が来ないうちに収束したのだろう。以降馬鹿にされることは少なくなり、暴力についてはピタリと止まった。
僕は本気だった。いじめっ子をおどして終わったり、あるいは自傷して注目を集め問題を解決しようなんて考えてもいなかった。ちょっと間違えば(いや、間違えなければ、か)間違いなく数人を殺した少年Aになっていただろう。今思い返しても、当時「殺す」以外の選択肢は無かった。何がどうなって少年Aにならずに済んだのかは全く分からない。
長々と語ってしまったけど、子供の頃親に酷い扱いを受ければ、人格が歪んで当然。それに周囲からの圧力が加われば人なんて簡単に壊れるさ。こう書くと「俺の場合は云々」という反論が必ずあるだろうけど、そもそも人によって精神的な耐久力に差があるのは当然で、壊れる状況まで追い込む要因の方に問題があると考えるべきなんじゃないのか。
あと不思議なのが、世間は精神に短期間にダメージを受けた場合(例えば女性がレイプされたとか)は無条件で同情の対象となるのに、長期的にダメージが蓄積した場合は非常に冷たい。今回の彼の件に限らず、過労で自殺した人やうつになった人、学生時代のイジメを引きずって心が病んでいる人などには、必ず時間の経過の中でのダメージの解決をすべきだった、という批判がでる。できないから病んでいるんだろうに……まるでダメージを蓄積し、解消できない事そのものが罪悪であるかのようだ。だから彼についても25歳だから、もういい大人なんだからと言うのだろう。正直年齢なんて関係ない。僕は34になった今でも悪夢にうなされるし、年に何度かは物凄い鬱状態になるよ。かなり心の中で過去を整理して、通常の社会生活を送っているつもりの僕でも。
僕は彼に同情こそすれ、今のところ出ている情報では全く責める気にはなれない。
ブラジルは現在18カ国と条約を締結しているそうですが、憲法に前述のような記載がある以上、
実効性については疑問がありますね。何か理由や抜け道があるのかも知れません。
諸外国間の犯罪人引渡しについては見当も付かないので、googleで検索してみるとこんなものが。
国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(Wikipedia)
まだ斜め読みしかしていないのですが署名国は147、締約国は110となっています。
ただ「三人以上の者から成る組織された集団」や「重大な犯罪」が主な対象で、具体的には
人身売買や資金洗浄など、性質上必然的に国をまたぐ犯罪を取り締まる国際条約のようですから
単に「外国で犯罪をおこない、国外に逃亡した者」については対象外の可能性が高いですね。
おそらく、この条約の他にもっとピタリと該当するようなものがあるのでしょう。
何ていうか、まだまだ知らないことがたくさんあるんだなあ(当然ですが)。