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はてなキーワード: パンとは

2024-03-20

フライパン1つでできる「世界一簡単パン」のつくり方。ほぼほったらかしで10分で完成

https://esse-online.jp/articles/-/27916

なぜこう軽率に「世界一」とか言ってしまうのか

原料が全粒粉と水だけで発酵すらさせないパン世界各地で食べられているのを知らないのだろうか

無知とは恐ろしい

異世界料理マンガ違和感があるところ

ごく普通OLをやっていた女性異世界に転生して料理無双するジャンルがあって、私はそれが好きなんだが、読んでて違和感があるところがあるので書いてみる。

一応言っておくと、別に否定してるわけでなく「…………ん?」って思う程度なんだが、モヤモヤしてるのもなんなんで吐き出してみる。

料理にこだわりがないのにワインがある

少し前提を話しておくと、異世界料理系はガチプロシェフが転生するパターンもあるが、私が好きなのはちょっと料理好きなOLが転生したパターンだ。平和だし。

で、(言い方は失礼かもしれないが)なんの特技もないOLが転生しただけでは料理無双ができないので、転生先の世界料理材料豊富だし、料理器具もそろっている、しか料理のものに興味がなく料理が不味い世界であることが多い。

料理に興味がないので、例えばレシピ通りに調味料を測ったって入れたり、火加減を調整するのが苦手(適当)で、そこを転生してきた主人公アドバンテージを効かせて美味しい料理を作って皆を驚かせたりする。

が、この描写のところで、たまにワインがでてくる。そうするとスゴい違和感を感じる。この世界は美味しいものを食べるのに興味がない世界じゃないのかよと。

ワインなんて作るのがクソめんどくさいを作って嗜む文化はあるのに、パンはカチコチ、魚は丸焦げは一体どんな人間性なんだ…と疑問を感じてしまう。いや、ワインもただブドウを絞ったものならいいけど、付属としてワインボトルや、ワイングラスがでてくる。ワイングラスなんて、美味しくワインを飲みたいってモチベがないと作られないものなのに料理だけは下手…なぜだ…

王宮料理人がいる

異世界世界は基本ナーロッパなので、そこには王様がいてお城がある。話が進んでいくとよく王宮料理人との話があるのだが、ここも話を作るのが難しい。

王宮料理人は一般的料理人の中でも指折りな料理人がなるわけで、ここでもう明確に料理が上手い・下手という概念が発生してしまっている。

とはいえ王宮料理人がものすごい料理を作ってしまっては主人公無双できない。それでいて、一般料理人よりは料理が上手でなければならないので、結果、王宮料理人は下処理や、魚を捌くのが上手…しかし仕上げで丸焦げにしてしまう…というチグハグ描写になってしまう。

いや、そうはならんでしょうっていう…料理を上手く丁寧にって概念はあるのに、あと一歩!あと最後!なぜ魚を焦がす!!ってなる。ある日偶然焦げずに奇跡的に上手く焼けて、食べ比べてみたら、あれこっちのほうが美味しいぞって歴史はなかったのだろうか…

ついでに王国編は、お城の描写が多く、パーティーなんてした日には綺羅びやかな外装なのだが、なぜこの美しいものを美しいと感じる心はあるのに魚は丸焦げにするんだ…と違和感半端ない

主人公味噌を作る

わかる!あーーーこれよこれ。日本人の味よー!ってやりたいんだよな…たしかに昔は味噌は各家庭で作っていたかもしれない。

だけど、さすがに材料がそろっている世界だとしても米麹とかそういう系は作るのが難しいんじゃないかな…まぁ味噌汁は美味しいけどね

休みの日のパン

今朝は旦那が買ってきてくれた甘いパンを半分にして食べた。

クリームチーズはちみつデニッシュチョコレートが練りこまれパンブルーベリーカスタードデニッシュ

どうやら甘いパンデニッシュ生地が多いらしい。

さくさく、どっしり、さくさくとそれぞれの異なる食感を楽しんだ。

2人分のコーヒーは私が淹れた。

クリームチーズはちみつのさっぱりとした、それでいてまろやかな甘みが私の中では心地よかった。

パンは本気を出すと本当に人間支配してしまうほどおいしくなってしまうらしい。

私はおいしい、ではなくて「心地よい」と感じる食べ物があるんだと知った。

給食ふりかけ問題総まとめ

■この記事について

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dot.asahi.com/articles/-/217102

この件について、またブクマカが得意のいっちょ噛みして適当なことぶっこいていたので、基本的なことを書いておく。


■まとめ

ごはんは多くない。おかずが少ない。

カロリー全然足りてない。

カロリー全然足りてないのに栄養バランスくそもない。

そんな食育あるものか。


■何があったのか

兵庫県川西市では2022年9月から給食センター方式給食が開始された。

ところがその3か月後の調査で残食が多いこと、特にごはんが多く残されたことが判明した。

その後、2023年1月市長と市内の7つの中学校の3年生らとの間で意見交流会が開催され、

そのなかでふりかけの持参を求める声が上がったため、教育委員会検討のうえで2023年9月より条件付きで認めることとなった。

これに対し、一部市議栄養バランスを壊すものとして強く反発した。


ごはんは多すぎたのか?

主に記事内の写真をみて、ごはんが多すぎるとのブコメ散見された。

しかしながら、川西市中学校給食ごはん量は精白米で100g(炊き上げ後220g)であり、

これは学校給食の標準食品構成表に沿ったもので、中学生に向けた給食ではごく一般的な量であって、別に多くはない。


献立おかしいのか?

一例として、令和5年度2月献立表を見てみてほしい。

https://www.city.kawanishi.hyogo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/017/550/0602.kondate.tyuu.pdf

ラーメンカレーうどんなどの麺類の日にも必ず米飯がついてくることを除けば、比較普通和食献立であって、食育という観点からおかしくないメニューに見える。

ラーメンライスカレーうどんに追いライスをすることを教育するのか?って気もするが。

鰆の西京焼き小松菜味噌汁の日なんて、絶対うまいに決まっているので、献立がとりたてておかしいとは言えないと思う。

なお、完全米飯食なのに必ず牛乳がついてくることについてのブコメもあったが、日本栄養士会はカルシウム確保などの観点から牛乳カットしないよう言っている。


■残食が多いと何が問題なの?

実のところ、川西市給食カロリーが少ない。

先ほどの献立表を見るとわかる通り、800kcalを超えることはまれで、多くは650~750kcalとなっている。

令和5年度2月献立の平均カロリー量は733kcalで、中学生に対する給食摂取基準である830kcalよりも100kcal程度不足している。

中学生必要エネルギーを三食で割った場合の、四分位範囲(全体の半数が収まる範囲)は749kcal~1000kcalで、この下限さえ下回っている。

というか、小学生高学年の摂取基準にも足りてない。

2月20日の629kcal, 27日の642kcalに至っては、小学校中学年の基準にも満たない。


実は去年、徳島市の市立中学校で、国基準を下回るエネルギー献立提供していたとして問題となったことがあるのだが、その時は平均776kcalだった。

https://www.sankei.com/article/20230725-AEPHKYSBWFJS3FI7UKP2UIVKZE


そのことを踏まえてみてもわかる通り、川西市中学校給食カロリー量は明らかに少ない。

献立表に記載されているごはん量はごく標準的ものであり、たんぱく質量もまあちょっと少ないくらいの量(平均26.7g)なのにカロリー量が不足しているのは、おそらく脂質が足りていない。

ともかく、そもそも完食してもカロリー量が足りないのに、そのうえ食べ残しが多いとなると…。


ふりかけ栄養バランスを壊すか

上記の通り、給食カロリーは不足している。給食外で多く食べないと必要量を満たせない。

そのことを考えると、ふりかけがどうとか給食栄養バランスがとかいう水準にない。

朝練をする運動部の生徒が登校中にこっそりパンを買って忍ばせてきても文句を言えないだろう。

とはいえふりかけ許可後も残食量は減ってないので、積極的擁護する気もしない。


2024-03-19

ケーキないならパン食え

物失くすのは本当に悪いことだと思っているが、同時にもうないもんはないんだからさっさと次買ってまえと思うのはバカ思想なのか?

バカバカ言われすぎて疲れた

anond:20240319184210

しかに、カレーレンチンしないと美味しく食べられない手間があるし(そのままでもいけるっちゃーいけるけど)、メープル、シナモンとなると、メープルが食べやす

同様に一番チョコパンが気軽に美味しくクセなく食べられる感じだよね。

anond:20240319183518

なので、うちのもう半年以上余裕で賞味期限が切れたBASE FOODパンは多少固くなってるけれど食べれてます

定期便食べられなくて、半年以上経ったの捨てるのもったいなかったかな。

そのぐらい何事もなく食べれてます。ちなみにチョコパンです。

anond:20240319182900

俺思ったんだけどさ!

乾燥わかめみたいにパンを完全に乾燥させて真空状態にしてそこから水につけるとパンに戻せるみたいな技術開発したら褒められそうだよな!?

うおおおおおおお!やるぞおお!

anond:20240319182507

BASE FOODパンは密封しっかりしてるし、中の脱酸素剤の効果も一応に利いてるんだろうね。

もの凄く長期保存できて美味しく食べられるのが不思議で怖い

BASE FOODパンはるか賞味期限半年以上過ぎているのに平気で食べられるんだけど、

常温でこんな保存期間長くても大丈夫ってパン逆に怖くない?

つーか普通に食べても多少は堅くなるもの不都合はなかったんだが。それだけに恐ろしい。

朝ご飯はひとりで食べたい

日曜の朝、珍しく私よりも早くに起きていた恋人ソーセージスクランブルエッグフライパンで焼いてつくってくれた。

普段朝ご飯を食べない彼と朝から食卓を囲むのはとても稀少だ。

 

せっかくなので、私は冷蔵庫に余っていたアスパラガスを焼き、ついでに食パントースターでチンした。

卵の黄色ソーセージ茶色ケチャップの赤、アスパラの緑、パンの白……非常に代表的理想的朝ご飯ができたではないか

「準備してくれてありがとうね、いただきます」そう言い合って食べたブレックファーストは、非常においしかった。

 

たまにはこういうのもいいね。そう思いつつも、心のどこかで「かー!朝ご飯はやっぱ一人で食いてえな」とも思っていた。

平日の彼は出勤が早いので、私が朝ご飯を食べる頃にはもう家にいない。

私は彼を見送った後、野菜キノコを刻んでドレッシング手作りしてサラダっぽくして食べる。

そして「はい栄養補給終わり、あとはフリータイム」とコーヒー菓子パンなどの甘味ゴリゴリ食べる。これが私のモーニングルーティンだ。

食べながら24時間チャージ系のアプリ漫画スマホでダラダラと見て、ボリボお菓子を食べて、のんびり洗いモノをしてテレワーク開始。

これが平日の私。誰もいないので食べ方も何にも気にしない。お母さんに小さい頃「これ」と言われるような食べ方だってちゃう

彼のいない朝は私にとって、非常に下品でだらしなくて、最高に自由な一人時なのだ

 

別に彼がいて同じことをしても、例えば朝からお菓子ダラダラ食べてても、まあ彼なら許容してくれるだろう。

 

でも、なんかやっぱり、「ひとりでダラーーーっと品なく過ごす」と「彼といるときに人に見せられないような状態でダラダラする」というのはちょっと違うと思う。

一人暮らしをしていたときと同じように、誰の目も気にせず、親の「これ」もなく、過ごせる平日の朝ご飯時間が、私は好きなのだ

 

でも、一人暮らしに戻りたいとも別に思わない。誰かといる時間も、誰ともいない時間も、どっちも楽しめる今の生活は非常に気に入っている。

ただ、素敵な朝ご飯ふたりで食べながら、「カー!スマホアプリ見て下品にくいてー!」ともちょっと思ってしまったなって話。

 

変なの。夜ご飯を彼と食べられない日は「彼と食べたいな」と思うのに。変なの。

明日晩ご飯空豆ご飯の予定だ。彼が「おいしい」と言って食べる顔を見るのが楽しみだ。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

春のお皿を回す芸を磨く増田巣膜が身を鋳毛諏訪間をラサオノルは(回文

おはようございます

最近さ、

ずっとお昼のランチタイムは本をもって喫茶店にずーっと時間までいたりキーボードの付いた電子端末を持ち込んでなにかを取り組んで文字を打ち込んでいるんだけど、

まったく同じお店に通っていると

それはそれで楽チンだけれど、

新しい情報がまったく入ってこないのよね!

まり

あたらしい街のニュースを取り入れないと

ネタが無くなっちゃうことに出会うことの確立が低くなるような気がして、

なんだかそれに気付いたのよね。

からたまにはいものお店とは別のところに通り道かいのそういうお店でもいいじゃない。

違うことをして違う体験発見ができるから

いつも同じところをループしていると気付いた時は

ふと隣の行く回数の頻度が少ないお店に行って見ると実現を現実的に取り戻せるのかしら?って思って今日はどうしようかなー?って思うのよね。

思い立ったら吉日パーリータイム

早速行動に移すべく私はお昼ちゃんと真っ当に空いている時間帯で混む前にお店に飛び込み前転でき入店できるかなぁーって思うのよね。

一応事務所の周りはそんなんでもないけれど、

とはいえ

お昼のランチタイムピー時間のそんな時間帯にはお客さんが割といっぱいになるから

ちょっとでも時間がずれちゃうと行きたいお店に行きにきにくい感じになるのよね。

そんで最近海外からのお客さんも多くて地元のお店の何でもないようなことが幸せだったと思うってロードの第256章の歌詞で出てきそうな地元の何気ないうどん屋さんも行列が出来ていて、

長く通った地元のお客さんも足が遠のいちゃってる感じよ。

わざわざ行列できてまではーって思うの。

でも観光客がド無視する飲食店ってのもあって、

町中華インド料理屋さんは比較的空いているの。

ここは観光客とは無縁ね。

ほっぽど日本の食通で中華インド料理がどう日本向けにローカライズされているのか!ってテーマ研究にして来日している人なら別かも知れないけど、

女将さんに聞いたらわざわざ観光に来て中華を食べに来る人は居ないってことで、

へーなるほどねー!って思ったのよね。

からそう言った

いわゆる穴場に私は今日は行こうかなぁーと目論んでいるのよ。

パン祭のシールを集めたいと思っても

近くにシールの貼った商品が売っていないことが多くて、

私はパン祭参加出来ないのがちょっと悲しいけれど、

でも逆に参加したら参加したで

あの白いお皿が増えまくって意外と困るってこともあるのよね。

なにしろあの白いお皿は頑丈すぎてほぼ一生使える代物で

そう思ったら食器屋さんって食器いつ買うタイミングある?って思わない?

パン祭であん割れないお皿タダでシール貼って集めるとは言え配っていたら、

お皿を本業としているお店が困らないかしら?って思うの。

そう考えたらお皿って買わないわよね。

私は今のところに越してきてそこでちょっとお皿は買ったけれど、

大きなパスタ皿1枚で充分あとはパン祭のお皿が何枚かあって、

いやそれよりも食器よりもルービーをキメて飲むパイントグラス、

ハイボールをキメて飲む専用の私のお気に入り銘柄ガラスのグラスがあって、

どちらかというとそっちの方が割れちゃって買い直すことが多いのよ。

からそういうガラスグラス屋さんは困ってないと思うけれど。

あとお箸ね!

強力なパワーで洗う自動食器洗いマシーンにかけると、

だんだんボロボロになってくるので、

これは食洗機対応!と謳っているお箸でも洗うパワーの強さ故かいつか駄目になっていたんでしまうのよね。

さすがにスプーンかにふとかフォークとかパン祭の白いお皿とかは平気だけど。

でもそうなると

お皿ってそんなに頻繁に買うものでも無いからお皿屋さんの経営心配になるわよね。

お皿ってかう?

あ!お皿で思い出したんだけど、

日本にやって来てくれる海外から観光客のお客さんで

瓦割り体験アクティティできるところつくったらよくね?って思っちゃったわ。

それだと瓦屋さんも大儲けじゃない!?

凄いこと思い付いちゃったこの瞬間を抱きしめて、

やっていけば良いんだけど、

これって本当に需要あんのかしら?って思うわ。

瓦はある程度チョップで割るもの!って図式があって罪悪感が無いけれど、

お皿を割るってのは狂気じみているわよね。

から瓦割り体験が出来る観光施設で忍者の格好させて嘘忍術瓦割りの術!っていってやったらある程度人気が出るかも知れないし、

さすがに忍法皿回しの術!って言われても

それをしっかり術を身に付けたとて

忍者生活には役に立たなさそうなサバイバルでは活かせない技じゃない?

でも忍者地方スパイで潜伏するときに、

その土地方言をめちゃ勉強して地元民として振る舞えるような感じの商人を演じるスパイをするとするじゃない。

そう言う時に、

大道芸でお皿を回していれば、あ!あの人はこの街名物お皿回し達人だ!って町や村のみんなに愛されて仲良くできてその諜報活動をしやすくなるんだけど、

きっとそのスパイで潜り込んでいる同士だったら

町で皿回しをやっている町人がいたら、

あいつは絶対忍術学園で皿回しの術を習って習得して町で怪しまれずに皿回しをして地元民と仲良くしてるやつだな!って同業者には絶対に即にすぐにバレると思うから

お皿回しすぎ!ってのも困りものよね。

同業者ならあい忍者!ってすぐ分かっちゃうわよねお皿回していたら

先輩後輩とかならいいんだけど

違う忍者学園の人と居合わせたらなおのさらややこしいわよね。

何の話しだっけ?

うそパン祭お皿のシールがつまらないって話しだったわ。

あれはもう1枚あれば充分よね。

でも明日春が来たならシール集めようかしら?

そう松たか子さんばりに思ったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

チョコパンスープを家で食べてきたわ。

結構最近節制忘れていたので、

朝は節約したいところを思い出した春先神戸に行きたいわけではないけれど、

旅には出たいわよね。

あーどっか遠くへ行きたい

もうこれただの現実逃避だけどねー。

から戻ればまた、

いやもうこれ以上は言わないわ。

毎日の人をしっかり喰らいついて暮らすのよ。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラーね。

お湯沸いてあると思ったら電源コードが抜けていて、

あちゃぱー!って自分おでこをペシンと叩いちゃった失態だわ。

令和入ってからイチのテヘペロ案件ね。

急いで別のケトルで沸かしたわ。

そんなホッツ白湯ストレートウォーラーね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

おはよう

おはます

今日はご機嫌さん

ソース焼きそば洞窟

ソースを隠してソース焼きそばを作るインチキ屋さんが横行しているらしいですわ

インチキは許せませんがお腹が減っては戦はできませんので

顔がアンパンの人もしくは顔が焼きそばパンの人

絶賛募集中ですわ

シドシご応募ください!

2024-03-18

anond:20240318213535

それはない

インド人ITは誰でも自由にやっていい仕事なのでIT人生賭けてるからすごい

ベトナム人スパイクボールパンジステークなどで政治家を葬るのに長けている

anond:20240318202743

一つに全部くっついてたらクッキー焼いてるから肉まんがあっためられないとかローストビーフ作ってるからパンが食えないとかなる

この世の真理

anond:20240318201330

機能オーブンレンジマジでいらねー。

機能ワット数&秒数が入力できるレンジと、小さいトースターがある方が絶対便利。

よほどのお金持ちならコンベクションオーブン別に追加したほうが絶対便利。

一つに全部くっついてたらクッキー焼いてるから肉まんがあっためられないとかローストビーフ作ってるからパンが食えないとかなる

カップ麺や袋麺をいつ食べればいいのか分からない。

いつも美味しそうだなと思って、ついつい買ってしまうんだが、食べるタイミングが分からない。

結局期限切れになってからしょうがなく食べることが有る。

  朝 パンご飯は食べるけどラーメンじゃないよな。

  昼 仕事が有るからだいたい外食だし、休日には何か旨いもの喰いに行きたいので、自宅でラーメンじゃないよな。

  夕 晩酌をやるから酒の肴になるものを食べる程度。ご飯(白米)は食べないし麺類も食べない。

    餃子ラーメン生麺タイプ)は自宅で食べる事はまれにある。

結局、期限切れのインスタント麺(生麺タイプではない)を食べるのは、連休中に態々機会を作ってという事になる。

あと、休日で天気が大荒れの時の昼とかかなあ。

カップ麺や袋麺は美味しいんだけど、なかなか食べるタイミングが...

分かってもらえないかな。

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