はてなキーワード: パワハラとは
ゲーム会社で変わり者の庵野みたいなやつも結婚したし、パワハラしまくってる50代のクソジジイも2回離婚してるし、『マトモな奴が結婚してる』って言い回しはちょっと違うと思う anond:20240729133127
だから何で世間の会社の多くがハラスメントに対して対応が迅速なのか正直わからない
自殺と短期離職がお家芸みたいな会社に勤めてる人なんかでも「役員ルートに乗ってる次長が新卒に毎朝求愛LINE送って一発レッドで左遷されてた」と言ってた
会社がハラスメントに対して懲罰的な対策とることって何が怖くてそう動いてるんだろ?
アットホームな弊社は
「グループリーダーから何度断っても土日に競馬にしつこく誘われ、やむを得ず一度行ったらどんどんエスカレートしていき、ついに忘年会の夜にホテル連れ込まれそうになった」
女性社員ですらかなり冷ややかというかその同期の勇気ある行動に怯えていたようで
「すっごいいい人なんだよ?仕事で助けられたことあるでしょ?」
と諭すような態度に終始していたとのこと。
それでも同期が折れずに頑なな態度でいると、
ホテルに入らず済んだのにこうして周りを巻き込んで大騒ぎしたこと
を指摘され
「ごめんね、本音言うね。俺、君に今相当頭きてるんだよ」と人事部長に凄まれたと泣いていた。
それでも弊社は回っている。
最終的に同期の親まで出てきたけど弊社はこれといった大ダメージを受けることなく回った。
セクハラ加害者であるグループリーダーは処分無しでたまにこの騒動をネタにし、件の同期のモノマネを交えて笑いをとっている。
そんな現実を目の当たりにしながら疑問が浮かんだ。
役職者が苛烈なイジメやパワハラをかましてニュースになった某巨大自動車メーカーとか、某大手自動車メーカーとか、某巨大電機メーカーとか、相変わらず学生から大人気だし、大企業ゆえにニュースになったけど経営は盤石だし、法人にとっては小銭のような慰謝料で済んでるだろうし。
ハラスメントを放置して被害者を無視するのが合理性高いのでは(よしとは言っていない。個人的には同期を苦しめた連中は一族郎党死んだほうがいいと思ってる)?
続き
自分で言うのもアレだが、私はAさんに優しくするようにしていた。
私には軽度の発達障害の兄弟がいて、色々と思うところがあったからだ。
そうしていたら懐かれてしまった。
Aさんは暇さえあれば「自分はここがダメで、あそこもダメで、もう本当にダメで、全部ダメダメなんです。幼稚園児の先生には〇〇って言われたんです。酷くないですか。小学生の頃は〇〇なことがあって、中学生の夏休みには〇〇なことがあって、親には〇〇なことをされて、本当におかしくないですか。仕事では遅刻ばっかしてしまいますし、いや自転車に乗れない自分が悪いんですけどね、自転車に乗れれば早く駅につけるんですけど、ダメなんですよね。前に練習したんですけど無理だったんで〜、遅刻ばっかして本当に大変です。どうしたらいいんですかね?」となどのめんどくさい話を私に聞かせるようになった。
ここで私が「もっと早起きするか、今からでも自転車に乗る練習をしたらいいんじゃないですか?」などと言うと自分でどうしたらいいか聞いてきたくせに「いや、そうじゃなくて」と返ってくる。
山も谷もなく、解決案を求めていないウジウジした話を私が忙しく仕事している最中にずっと聞かされるのはウザかった。
おまけに同じ内容を何度も話してくる。
私はこのウジウジ話を「そうなんですか」「そうですかね?」「へー」などの棒読みの固定文で流し続けた。
これが一番無難で楽で安全だ。「そんな話は聞きたくないです」と言ったら怒らせるかもしれないので言わなかった。
先述の通りAさんは機嫌が悪くなるとファイルで机を叩く。あまり変なこと言って刺激したくない。
なによりも私はAさんの家族でもカウンセラーでもなく、ただの仕事の先輩なのだからこのセンシティブな話にマジになって答える義務はない。
上司に仕事中にあまり私に構わないように言ってもらうようにお願いをしたが、Aさんはそれを無視して私のところに愚痴を言いにきた。
それどころか「上司酷くないですか、私さんに構わないようにって言ってきたんですよ。楽しくお喋りしてるだけなのに。この前も自分が〇〇してる時に上司が〇〇って言ってきて…」と上司の愚痴を言うだけだった。
いつになったら私がこの話題を嫌がっていることに気づくのかなと思っていた。
そうしていたらとうとう適当に返されていることに気づいたのか、何か思うところがあったのか、ウジウジ話の最中に「何にも知らないのによく『そんなことないですよー』なんて言えますね」とムッとしながら言われた。
※この「そんなことないですよー」はAさんの「自分はここがダメなんです」というネガティブ発言への返答
ちゃんと話を聞いてないですよねとか相槌がいつも同じですねとか言われるかと思っていたのでこの言葉に面食らった。
私「『そんなことないですよー』がダメなら『そうですね』の方がいいですか?」
Aさん「いやそれもダメです」
私「じゃあなんと言えば?」
Aさんは聞き取れない音量で何かモゴモゴ言っていた。
多分Aさんはもっとちゃんと慰めて欲しかったのだろう。しかし真面目に慰めたらウジウジ話の頻度と長さが今以上になることが予想できたので無理だった。何度も言うが私は家族でもカウンセラーでもない。
このやりとりがあったのでもうウジウジ話は聞かなくて済むと思っていたら、翌日Aさんはまた性懲りもなく私にウジウジ話を話してきた。
いい加減付き合うのに疲れたので、毎回「後にしてください」と答えるようにした。そうすると一旦はその場から消えるが5分もすれば戻ってきてウジウジ話を再開しようとした。
この頃のAさんは任されている仕事がほとんどないので暇なのだ。
戻ってきたAさんにまた「後にしてください」と繰り返し言い続けていたら「いつも後にしてくださいって言いますね」とまたムッとしながら言われた。
せっかく面白い話をしてあげているのになんで聞かないんだという態度だった。
私は疲れたので正直に「聞きたくないからです」と言った。そうしたら「いや、楽しいじゃないですか」と言われた。
Aさんの中では、Aさんが楽しい=私も楽しいになっていて、それが確定しているようだった。
私「楽しくないです」
Aさん「いやでも楽しいのに…」
私「楽しくないので聞きたくないです」
Aさん「ええ…」
聞きたくないとはっきり伝えたので流石にもう話しに来ないだろうと思ったら、次の日もAさんは私のところにまたウジウジ話をしにきた。
これには驚いた。というか怖い。
この件で私はAさんが嫌いになった。
上司はAさんに電話をしたが繋がらなかった。先輩は来た道を戻ってAさんの捜索に行った。
Aさんが消えたのに気づいてから3分くらいでAさんはひょっこり戻ってきた。
トイレに行っていたらしい。
先輩が「なんで勝手に消えたんだ(イライラ)」と言ったらAさんは「いや、トイレじゃないときはいつも言ってますけど」とムッとしながら意味不明な発言をした。
Aさんに詳しく話を聞くとこうだった
Aさんは団体行動から抜けるときにはいつも誰かに理由を言うようにしている
↓
今回は何も言わずに1人行動をした
↓
↓
それにもかかわらず勝手に消えたと騒がれるのはお門違いだ
↓
しかし私たちはAさんと初めて団体行動した上に、事前にAさんからトイレのときは何も言わずに消えますという説明を受けていないので上記の推測のしようがない。
このことを言われたAさんは「いや、自分が電車に乗り遅れるわけないじゃないですか」と何段階か会話をすっ飛ばした返答をされた。
※先述の通りAさんはよく遅刻する
こんな感じなので私にウジウジ話を聞かせ続けたのも、報連相するべきことを報連相しないのは相手の視点に立って考えられないからだと思う。
こんなこともあった。
Aさんが社外の方と雑談をしていた。その社外の方はかなり背が低い人でブランドの時計をつけていたという。
雑談の中でAさんが「そんなにお体が小さくてもお高い時計が買えたのですからすごいですね。自分なんて全然ダメであれもダメでこれもダメでこの前は〇〇してたんですけどそのときに…(以下続くウジウジ話)」という旨の発言をしたという。先輩から聞いた。
Aさんは小さいのに仕事頑張って偉いと褒めたつもりらしい。
その方がいなくなった後先輩はAさんを叱ったがAさんはピンときていない様子だった。小さいのに仕事を頑張っていると褒めることの何が悪いのかという感じだったらしい。
先輩はこのときの相手の方の固まった顔が頭にこびりついて離れないと言っていた。
XでこのときのAさんのような人に会った話を見かけた↓
https://x.com/takatakata66666/status/1656300695560286208?s=46&t=LN4T5m2IS9o3pU01OG2-7Q
失礼なことを言うだけならまだマシだった。
Aさんはよく社外秘を社外の人にベラベラ話す。
そのためお宅の社員はどうなっているのかというクレームの電話がありAさんは始末書を書いた。
Aさんには社外の人と関わる仕事は振られなくなった。
しかしAさんは人と関わる仕事がやりたいようで、外されたあともなんとかしてこの仕事と関わろうとした。
制止するのが大変だった。
Aさんはあまりにも仕事ができなかったので、Aさんより後に入ったCさんの方がたくさんの仕事を任されていた。
そのことについてAさんはよくCさんに愚痴を言っていた。
Aさん「いいなー、Cさんはたくさんやらせてもらえて。自分はちょっと社外の人と雑談しただけで仕事を外された。社外の人と仲良くなるのは大切なことなことなのに。上司ってちょっと変じゃない?あとニンジンが無いのにカレーを作らせようとするなんておかしいから自分はカレーを作らなかっただけなのにカレー作りから外すのもおかしい。あと事務員さんは細かすぎるしヒステリック。更年期障害ってやつですかね。結局会社はYesマンが欲しいだけ。アメリカは違いますよ下っ端であっても自分の意見を主張して上司もそれを聞き入れて…」
なぜ私がAさんがCさんに愚痴っていた内容を知っているかというとAさんがかなり大きな声で愚痴を言っていたからだ。
話すのに夢中なのか、Cさん以外には聞こえていないと思ってるのか、とにかく大きな声だった。
いつもミスをカバーしてもらっている人たちのことも愚痴っていた。
さすがに無視できなかったので「聞こえてるのでやめてください」と言ったら、「なんで聞いているんですか」と怒られた。
あとAさんは飲み会の場でテーブルにあるものを全部食べてしまう。
少量盛られた餃子や刺身や煮卵など明らかに1人一つなものであっても1人であるだけ食べる。
別に食べずに放置していたわけではない。まだ料理には湯気が立っている状態だった。
「私食べてないんですが」と言ったら「いや、食べないのかと思いました」と返ってきた。
このやり取りがあった後でもAさんは料理を全部1人で食べようとした。
私は「テーブルの料理はみんなのものだから分け合って食べるように」と伝えた。こんなことを大人に言わなければいけないシチュエーションが来るとは思わなかった。
その後、Aさんは食べるのを控えるようになった。しかしテーブルの上に料理があるのに食べられないのがストレスなのか、真顔で日本昔話の「にんげんっていいな」のように体をゆっくり大きく揺らし始めた。
率直に言うと目障りだった。
そしてAさんは学習できないのか、別の日の飲み会でも同じことをする。
そして飲み会に参加した誰かと上記の私のようなやり取りをする。
それにも関わらずその次の飲み会では全ての料理を食べようとする。
自制できるのなら常に自制してほしい。
頂き物のお菓子やお土産もAさんは1人で大量に持って行ってしまう。
私がなぜそんなに食べたがるのかとAさんに聞いたら「フードロスが我慢できないから」という不思議な答えが返ってきた。
こんな感じなので最終的にAさんは社内で孤立した。
断固として主張するがこれはいじめではない。
職場の一人一人がAさんに嫌な気持ちにさせられたので、一人一人が自分のためにAさんとの接触を必要最低限にした結果だ。
Aさんは少し前に会社を辞めた。
やりたい仕事ができたと言っていたが嘘だと思う。
Aさんが辞めたことにより私にとっての職場環境は大きく向上した。
もうAさんの仕事を手伝ったり、注意したりする必要もないし、他の人と話している最中に割り込みで説教喰らったりしないし、忙しいときにウジウジ話をされないし、Aさんの不思議な言動でイラつくこともない。
職場の人それぞれが自分の専念できるようになって仕事がスムーズに回るようになった。Aさんのせいでイライラしていた人は穏やかになった。
伝え聞いた話ではAさんはまた他業界の一般雇用に就いたらしい。
Aさんと数年間接してきたが、Aさんは絶対に障害者雇用に行くべきだと思う。
Aさんの仕事のできなさは弊社の環境が仕事内容が教え方が悪いからとかとかそういうレベルではない。
でもAさんにはこれを伝えてない。パワハラなどの問題発言として上に報告されたらたまらないからだ。
Aさんが障害者雇用について知っていたのか、どう思っていたか知らない。
身近に発達障害者がいる人は障害者雇用を一言でも良いので勧めて欲しい。
発達障害者全員が障害者雇用に行くべき考えているわけではない。発達障害者にも色々あるのは知っている。私の兄弟とAさんは同じADHDだが全然違う。
一般雇用に行くにしろ障害者雇用に行くにしろ、障害者雇用が選択肢の一つとして上がれば不幸になる発達障害者と職場は減ると思う。
※ここに書いてある内容は全て実際にあった出来事にフェイクをいれて読みやすいように色々編集をしたフィクション
消え去ったと思っていたがな
夏休み前の教育ラッシュの中にハラスメント防止テストってのがあってですよ。
その中にこんな問題がありました。
Q.
「女性はスカートを履いたほうが良いんじゃないか?」と部下に言った。
A.
わ~~~~~お。
馬鹿なんじゃないの?
わざわざ防止教育と題してまでアレコレ基準を示す中に「女性は女性らしい服装をすべきなのは明白だし、それを指摘するのは社会通念上何もおかしくない」だってさ。
凄いね。
もしこれが逆に「男がスカートを履くのは流石に悪目立ちするのではないか?」だったら、俺もセーフ判定するとは思うよ。
だって男がスカートを履いてたら悪目立ちしちゃうのは事実で、それに対して誰かが早目に指摘しておかなかったせいで表彰式にスカート男子が参列とかになったら「おっ、おう・・・この部隊は進んでるな・・・」って感じで空気が違う方向に塗り替えられて厳粛さみたいのが損なわれる可能性とかもあるしさ。
街行く女性100人いて全員がスカートってことはまずないだろ?(逆にスカート履いてる男は不特定多数で1万人集めても1人も出てこない可能性があるぐらいに少ないよね)
つまりさ、女性がズボンを履くのって別におかしくないことのはずなんだよ。
あえてこの時代に「女はスカートを履いたほうが良いぞ」って指摘するのは、ギリセーフ判定になるとしても、それは本当にギリギリのセーフ51:49ぐらいでしかなくない?
今日まではセーフでも、明日になったらどこかのファッションリーダーの発言がバズった影響によって突然世論がアウト判定を出すようになるかも知れないぐらいのギリギリさでしょ。
それを公式見解として「女性へのスカート強要はセーフ。なぜなら女はスカートを履くべきだから」はだいぶ頭がおかしいよね。
たとえばこれが、「この期間は警備訓練してるから男女を問わずズボンを履きなさい。スカートよりもズボンの方がいい意味で威圧感を与えられる気がするので」とかだったら、まあ微妙っちゃ微妙だけど目的意識が『特定の性別に対してのロールの強制』じゃない以上はセーフ何じゃないかと思うし、それに対して「女にスカートを履く自由を!男の服装はダサイから着られねえ!」と言い出す人がいたらそれはまあソイツの意識のほうが駄目なんだろうなって感じるよ俺は。
成長してない。
パワハラ防止教育の中に「昭和脳?」とか「平成生まれは怒られた経験が少ないから」とか「意識高い系はダサイですよ」みたいな言葉も出てきてマジで終わってる。
昭和生まれだったらハラスメントするみたいな考えはエイジハラスメントですよね?
「意識高い系」って表現として「チー牛」や「アスペ」と同じレベルなんだからそもそも使うのを控えるべき表現では?
まずはご自分の思考が以下にもハラスメントやりそうな差別意識バリバリのモラハラ野郎だってお気づきになられてから人に教育を施したら?
15年以上前、アラサーだった自分は新人文学賞などを目指して小説を書いていた。
土日の大部分は小説を書く作業と、小説を書く人が集まる社会人講座の授業に費やしていた。
5年位は続けていたが、やめてしまった。
自分が書くべきことが次第に思いつかなくなってしまったことと、他の受講者の作品や本屋さんで売っている小説を読んでいるうちに、自分には向いていないしセンスがないことがだんだんわかってきたからだ。
ところが最近、自分のパソコンのフォルダを漁っていたらその頃の小説のpdfが出てきた。書くのをやめてばかりの頃は恥ずかしいし痛いから二度と読むまいと心に決めていたが、今の心情としては死ぬ前にあと1回位は読んでもいいかもしれない、小説の見え方も書いていた当時とは大分違うかもしれないと思い、斜め読みでもいいからとりあえず読んでみることにした。
登場人物やあらすじについては触れない。
A
小説を書いてみたいと思って社会人講座に通い始めて間もない頃に初めて書いた。原稿用紙350枚ぐらい。
登場人物の言葉遣いが汚い。直情的すぎる。登場人物の中でホモと疑われる教師がいたのだが、今の時代ではアウトすぎる表現だった。
物語の展開が都合良すぎる。
恋愛描写がくどい。多分これが、よく言われるところの、素人のおっさんが初めて書く小説にありがちな痛さかもしれない。
書いてる時には恐らく頭の中で見えていたはずのものが文字になっていないからなんのことだかわからない記述がある。
過去の知り合いを物語の中で過剰に美化している。つまり、自分の当時の人生観が未熟で甘いということだろう。
主人公がずっと目指していた目的地がいつの間にかすり替わっているのに物語中では一切理由がわからない。
親の心とかの描写が表面的すぎる。
内容をほとんど忘れていたので次の展開が読めないところは楽しみでもあった。
瑞々しい恋心みたいなのはちょっとよみがえった気がした。今よりも恋愛至上主義が強い世相の中で流されつつ抱いた渇望感みたいのを思い出した。
小説すばる新人賞に応募したが1次選考にも残らず。当時はなんで?なんで?って感じだったが(それも恐ろしいことだが)今読めば選考に残るわけないのは十分納得。
B
Aの2年後ぐらいに書いた。原稿用紙500枚。
主人公の思考、社会への目があまりにもすさんでいる。それは当時自分がそうだったことの裏返しだろう。
弱者を執拗に否定しようとする力の存在をことさら強調し絶大視しようとする描写がいくつかあって、それが自分の人間的未熟さというか卑屈さを浮き彫りにした。
犯罪のトリックが稚拙。USBメモリ紛失をでっち上げただけで大企業の情報漏えい事件発生というのは無理がある。
簡単に人が死ぬ。こんなに登場人物をたくさん殺しているのにその必然性も後片付けもないと、当時通っていた講座の講師にも指摘された。
書いた当時の10年後つまりここ最近の時代が舞台なのに、現代のキャッシュレス社会を予見できなかった。虹彩認証でコンビニで1000万円までの現金を下ろせてしまうという設定にはあまりにも無理があった。
刑事がすぐに暴言を吐き暴力を振るう設定が安直すぎる。下手をすれば職業蔑視とも受け取られかねない。
いい奴の主人公が最初のシーンだけめっちゃ嫌なやつ過ぎてその後のシーンでの性格とあまりにも整合性がつかなすぎる。
氷河期世代負け組アラサー男性の絶望感と人生をやり直しの希望みたいのは出たと思う。
当時の自分は成功したあっち側ではなく、だめなこっち側の人間なんでこっち側の怒りや絶望を描いたつもりだったのが、その描写に卑屈なところがあるため、かえってこっち側の怒りを買いそうでなおかつあっち側からは苦笑いか同情でもされそうな残念感が今も残る。
「このミス大賞」に応募して、もちろん1次選考には通過しない。当時はそんなもんか、という印象だったが、今だったら通るわけないと十分納得。
C
Bを書いた後に、今度は誰も死なない話を、なるべく心温まる話を書こうと奮起して書いた。原稿用紙350枚。
登場人物で、モデルとなる実在人物がそれまでで一番多い。そのためか痛さが際立っている。
物語の展開にAやBほどまでの唐突さはないが、それでも十分唐突。
今どき年寄りしか使わないような方言を若者世代にまで喋らせていてあまりにも無理がある。
難しい命題を掲げておいて導き出した答えがあまりにも安直で稚拙。主人公は大学生なのにこれじゃ中学生かよって感じがしてしまう。
書いている当時は見えていたものを本文に描写していない(書いた気になってる)のでなんのことかわからないシーンが一箇所あった。
主人公のイチャラブシーンがくどい。がそういうのがいい人はいるのかも知れない。ただし、人物描写に深みがないからやはり読む人が読めばつまらない。
もし登場人物のモデルとなる実在人物にこんなのを読まれたらと思うと恐ろしい。
縁あって知り合いの編集者の方に読んで頂いたところ「よいところは何一つない」と断言され、大沢在昌の小説入門のような書籍で勉強することを真剣に勧められた。(一通り読んでみたが実践にまで及ばず自分の血肉とはならなかった)
小説すばる新人賞に応募し、もちろん1次選考に通過しなかった。当時の印象としては、やっぱそうだよなって感じだった。
D
Cを書いてから2、3年後に、通っていた講座の課題として書いた。原稿用紙100枚。
書くことがなくて無理やりひねり出した感が強く出てしまっている。
既存の小説のシーンを堂々とパクっている(ある小説で、土砂を積んだダンプカーが横転して人が生き埋めになるのを見て笑う男のシーンがある)
書いている当時頭に思い浮かべていたシーンと実際に書かれた描写とでまだギャップがある。
(全体を通して…)
読み返す前は「小説家になろう」とかにupしてもいいかなーとか思ってたが、読んでみると、、やっぱり、、、無理だわ💦
(追記)
増田の反応が意外と生ぬるい称賛みたいのが多くて拍子抜けした。
きしょっ💦💦
クソワロタwwwwwww
みたいのを想像してた。
時間と労力をかけて書いたものでも、客観的に見るととても拙く、世に出るレベルに至ってないというのが、趣味としてやるにもなかなか難しいところであることを実感した。
しかもそうやって自分の作ったものをある程度客観視できるようになるのに10年以上も寝かせるというのもある意味めんどくさい。
よく、10000時間修練すればいろんな趣味や技術はモノになる、というようなことを言われるけど、自分の場合、多分10000時間には届いていないのでまだ努力を続ける余地はあったのかも知れない。
(今じゃほとんど)自分より若いデビュー小説家や芥川賞直木賞受賞者の方は努力もすごいがやっぱりセンスとか目指してるものとか見えてるものが自分とは全然違うんだろうなと改めて思う。
あと、時代の移り変わりが早いのを改めて実感した。
LGBT関係やセクハラパワハラ、キャッシュレス社会、スマホや携帯、若者の言動とか、書いてる当時は気にならなくてもたった10年程度で違和感ありありなのがすぐに浮き彫りになってしまう。
(追記2)
ブコメの中で、自分以外の人に読んでもらったほうがいいというアドバイスをされた方がいたので補足すると、当時通ってた講座の受講生の方にはABCDいずれも読んでいただいたし、一部は友人数名に読んでもらう機会があった。授業で頂いた色んな人の講評などがノートに書かれていたはずだから、後でそれも引っ張り出して読んでみようと思う。特に、通っていた講座の講師の先生には要所要所の指摘やアドバイスを頂き、温かい目で見守って頂けたので今でも感謝している。
つまんなそうとかこんな増田じゃものになるわけないみたいなブコメもあったが、まあその通りだと思っている。自分は、仮に誰もが有無を言わさず好きでも嫌いでもとにかく原稿用紙1000枚ぐらい書いてみればとにかく書きさえすれば100人中50人ぐらいは自分のより面白いのができると思っている。本当に違うのは、書くか書かないか、ただそれだけだと思ってる。
(追記3)
E
ABCDより少し後に読み直した。
Dを書いたよりも1年前ぐらいに書いた。原稿用紙360枚。小説すばる新人賞に応募して、1次選考に通過しなかった。
地元に古くからあったドライブインや商業施設などを舞台として、20代の男女の恋愛とか和解などを描いた。
時代設定を明確に2011年としていたので当時と今とでは大きく時代が変わってしまったことを改めて実感した。
ブログとか掲示板、当時のネットスラング、どれもみな、今ではほぼ絶滅してるようなものばかりだった。
登場人物の人間性に触れるような描写はそれまでの中では一番ましだったと思う。
一方で、あらゆる出来事や現象に理由や理屈をつけなければならない、本文に記述しなければならない、というような思い込みを感じるところがあって、それが読者に違和感を感じさせる要因になるのではないかと思った。理屈じゃない出来事を理屈で説明しようとしている感じ。
ファッションや料理に関する描写が出てくるシーンを書くのが難しかった。その方面の知識や経験の浅さ乏しさがどうしても浮き彫りになってしまう恥ずかしさがあった。
書き始めた頃よりは少なくなったが、登場人物の直情的で暴力的な部分への違和感が残った。自分の中で、世の中はそういうものだという固定観念がまだ残っているようだった。
ABCDに比べて、読むときにもっと気恥ずかしさが残っていて、主観的な視点が抜けきれてない感じがした。
物語のテーマが大きく2つに割れてしまっていて、片方は潔く捨てるべきだったのかも知れないが、どう捨てたらもっと面白くなるのかはちょっとよくわからない。