はてなキーワード: ウォーカーとは
俺は中学〜大学にかけてほぼ毎日1〜3時間くらいをオナニーに費やしていたぞ
男女で性欲に大した差はない論あるが、マジなのか
それとも社会的抑圧を受けて、本来なら1日1〜3時間かけてオナニーしたいところを週2とかに抑えてるのか?さすがに無理じゃね?
俺は高校の時モテたい!と思って頻繁にオナ禁・誓いウォーカーになっていたが毎回2日程度でダークサイドに堕ちていた
社会的抑圧つっても自分の部屋ん中でなにしようと勝手だし、ダークサイドの誘惑はそんなもんで断ち切れるものじゃあなかったぞ
ドラクエウォークとは、位置情報をもとにリアルに住んでいる場所をフィールドに、まものを倒しながら経験値をあげ、歩数や特定のミッションをクリアして進めていくスマートフォン向けゲームだ。
自分は数ヶ月前から運動不足解消を目的に始めたライトユーザーだ。ドラクエに関してもテリワンを幼い頃に熱心にやっていたのと、最近の作品を少しプレイしているだけのライトオブライト層である。
周囲にやっている友人はおらず、個人で楽しんでいる。好みのイベントのときは積極的にプレイ、ひっかからないときはデイリーをこなすという程度のいわゆる「カジュアルウォーカー」である。
ドラクエウォークでは自分の家という機能があり、体力の回復や部屋のレイアウトなどを楽しむことができる。他のユーザーには、非公開・ぼかして公開(ランダムで数キロ離れた場所にできる)・公開と範囲を選ぶことができる。自分はぼかして公開を選びプレイしている。
フィールドに表示された他人の家に入ることでアイテムをゲットできる仕様は、つぼやたるを壊して何かをもらえるシリーズおなじみのギミックを思い出させる。
始めてすぐの頃、自宅からほどない場所に表示された家に何軒か入り、アイテムをもらった後に「いいね!」をして回った。
そのあとすぐに、自分の家に訪問してくれたユーザーがいた。これがなみうちぎわさん(仮)との出会いだった。家に入ると訪問履歴がつくため、訪問した人の家に訪れることができる。ただしその場合アイテムは得られない。なみうちぎわさんは律儀に訪問を返してくれて、さらに「いいね!」までくれた。
きっかけは曖昧だが、なみうちぎわさんは初心者丸出しの自分とフレンドになってくれた。そこからすぐにドラクエⅢのルイーダの酒場イベントが始まった。フレンドを味方につけて戦闘するシステムだったので、なみうちぎわさんに設定。そのとき初めて知ったのだが、なみうちぎわさんは上級職の中でも相当の腕前の持ち主だった。自分の10倍以上の攻撃力を持つなみうちぎわさんには、何度も助けられた。
なみうちぎわさんとフレンドになってから、彼の家や服装も意識するようになった。いつも最新のイベント仕様に着替えているので、本当にドラクエウォークが好きなのだろうなあと思う。自分は今もそこまでガチでやっているわけではないが、新しいものをゲットして身につけることを楽しみにしているので、なみうちぎわさんのプレイスタイルも参考にしていた。
なみうちぎわさんから家に「いいね!」がきてから、なんとなく「いいね!」を返したら、また「いいね!」がきて、さらに…という日々が始まった。現在、約3ヶ月が経った。もうすぐ100になる自宅の「いいね!」のほとんどはなみうちぎわさんからのものだ。
ドラクエウォークのプレイヤーなら分かると思うが、この「いいね!」という機能はあまり意味がないといっても過言ではない。それでも自分となみうちぎわさんとの「いいね!」合戦という奇妙なやりとりはほぼ毎日欠かすことなく続いている。今では「いいね!」が一日の楽しみでとなり、ゲームのモチベーション維持にもつながっている。なみうちぎわさんとのやりとりがある限り、自分がドラクエウォークのログインをやめる日はないだろう。
拝啓 なみうちぎわさん
ドラクエウォークが1年を迎えましたが、今日も変わらず「いいね!」をありがとうございます。
初心者だった自分も、もうすぐ上級職になります。ここまで長かったけれども、なみうちぎわさんの励まし(と勝手に受け止めています)のおかげでドラクエウォークを楽しめています。これからもまだまだ弱い自分ではありますが、「いいね!」を送り合うだけの見ず知らずの人同士でもありますが、よろしくお願い致します。
もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問がヤバい。
なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要な資料にアクセスできないからだ。
歴史学の根本は、オリジナルな資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。
そして公文書館というのは行政機関なので、日本の国立公文書館や外務省外交史料館が東京にあるように、あるいはイギリスの国立公文書館がキューにありアメリカの国立公文書記録管理局がワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。
コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!
でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券でヨーロッパに渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料にアクセスできなくなるかもしれない。
明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学が日本に持ち込まれた。だが初期の日本の歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。
オリジナルな史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語とフランス語とドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。
けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本の歴史学が独り立ちするためには。
やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナルな史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語を習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行が安価になるにつれ、国外の文書館にアクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本の歴史学のレベルはどんどん上がっていった。
2000年代から2010年代にかけての日本の歴史学界で生み出された外国史研究のレベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナルで面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。
留学の予定も史料収集の計画も、すべてが白紙になってしまった。
分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程か博士課程で留学をする。これは現地で史料を収集したり、現地で言葉を勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要なプロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国の歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。
COVID-19直撃世代は、この留学の経験を持てない。彼らは外国史研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。
2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することなく博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることなく任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振の研究費のかなりの割合を出張費に充てている)。
けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査のハードルがものすごく高くなってしまっていたら、日本の外国史研究は大きな打撃を受けるだろう。
そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在で史料もたっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国の研究者とオンライン会議すればいい。
でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国語能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端な研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。
もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料をウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国の雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達はドイツ語の学術書をkindle版で引用していた。
だから、研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。
どのような種類の史料が必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージの歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツの政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館の史料を見なければお話にならない。
現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相がメディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料が全然違う。前者は新聞やネットを見ればそれでいいが、後者は情報公開請求が必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。
そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究者から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり、研究のために文書館史料を必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国史研究において、思想史や文化史、古代史の割合が高くなるかもしれない。
(いやでも、ガチの思想史や文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代の知識人の留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいるからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料がほとんど翻刻されてたりするし……)
ネット上で読める範囲の古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究のレベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベル低いね」と一蹴されてしまう。論文を英訳なり独訳なりして海外のジャーナルに投稿しても、それなりのレベルの雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)
ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代の研究水準には戻れないのだ。
ハードルを下げる?
つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?
コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。
それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史はハードルが高いから、表象の歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。
ともかく、これまで日本の歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。
日本の外国史研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。
まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学や記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在のレベルの渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニアの島国やアフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国を舞台にした文化人類学や記述言語学は消滅し、国内を対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……
(まあ、国内の伝統文化や方言を保存するために、一度外国の文化や言語を記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学で修行する若手研究者が離島や山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)
デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。
第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだ。マトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体の公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベルの文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係の公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマを研究しようと思ったらそれでは困る。
第2に、困るのは外国人研究者だけで、本国の研究者はそんなに困らないのだ。
日本人がイギリスやドイツに調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館にアクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国人研究者の姿が消えたとして、いったい日本人研究者になんの不都合があるのだろう?
(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国に拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本の大学で教鞭を執っている中国人の日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米の大学に就職しちゃった日本人研究者は大変だ。また、日本を研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係の歴史を研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府の公文書管理がザルすぎるせいで重要な史料が日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)
つまり、全世界的に、自国を研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国を研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国人研究者への配慮が、果たして自国の公的施設のデジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。
第1に、それ本国の研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費は渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど……
第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書の形式の違い」みたいなのも当然論文のテーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。
ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録に面白そうな史料があったから地方の文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人にコピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語でしかない。
第3に、そもそも論としてなんで自分の研究のオリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要な史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料の存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)
日本史であっても一次史料が海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスのハードルが以前から言及されていたのを思い出した。
なおアジア・アフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史を研究する日本人の歴史家は日本国内で研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリスに(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本に(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……
そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?
それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンやロナルド・ドーアやケネス・ポメランツやイアン・ニッシュやJ・ヴィクター・コシュマンやブレット・ウォーカーにも言ってきて!
まず百貴という名前から。このアニメが神道と関係していることは明白なので、そこにツッコミはないと思います。
百貴の名前は貴船明神と関係しています。そしてこの貴船明神は本来縁結びの社であり、また同時に願いが叶うとされた社でもあります。丑の刻まいりなどの呪詛場として有名になったのは、願いが叶うという働きが転じて誤解されたもの。そして貴船明神と対を成す水神を弥都波能売神(ミズハノメ)といいます。両者は合祀されていることが多いそうで、この二名のうち貴船明神が百貴に対応し、弥都波能売神が飛鳥井木記に対応します。この理由は作中にて飛鳥井木記こそがミヅハノメの中核である、という推理がなされているためです。
ここまででもずいぶんわかることがあります。まず飛鳥井木記はジョン・ウォーカーが仕込んだ殺人鬼達によって殺されなければならなかった。その理由は世界を飛鳥井木記の力によって変化させ、自らの生を永遠のものにできる考えてのことです。これは貴船神社の心願成就と呪詛に関連します。高淤加美(貴船明神)自体にも火之迦具土を殺した際に生まれたとする伝説があり、そもそも飛鳥井木記の人生は死によって彩られています。弥都波能売(ミズハノメ)はそもそも火之迦具土を生んだ伊邪那美の尿によって生まれた神であり、系譜に注目するとクラの室長・早瀬浦宅彦に似た波邇夜須毘古神(ハニヤスビコ)という神も見つかります。ただしこの神が弥都波能売(ミズハノメ)を利用して殺そうとしたという話は、神話からは読み解けません。より重要な点は殺人と呪術が結び付けられていることです。
少し脇道にそれましたが、ラストシーン近くで二人が想い合っているかのような描写がありました。これは貴船神社にもともと縁結びの神としての性質があるためでしょう。貴船神社のお参りは夜行われ、彼らが出会うシーンも夜になります。そしてミズハノメに囲まれたクラのビルの外壁はまるで滝のような効果で表現されます。これは両者が水神であることからと思われます。ただ、貴船神社の縁結びは結社(ゆいのやしろ)の瓊瓊杵尊、木花咲耶姫、磐長姫に由来するものであり、モチーフにするには少し強引かもしれません。
多少小ネタになりますが飛鳥井木記という名前は『記紀』であり、彼女自身が潜在意識を侵食、編纂してしまう性質を表しているように思えます。
「スカイウォーカーの夜明け」は良い映画です。スター・ウォーズ……まこと良いものだ。ただし「カイロレン様」、テメーはダメだ。
※https://anond.hatelabo.jp/20190430234012のパロディです。
私はスター・ウォーズのエピソード7・8・9を見ました。この中でエピソード7と9は大好評でした。(個人の感想です。8はお察しください。)
そんなことより、レジスタンスの敵であるファーストオーダーの最高指導者の名前が「カイロレン様」でした。
レン君を検索するとこの黒くて赤い武器を持ったレン君が出てくるのであります。
ワタクシにとっては、まあまあひどい仕打ちでございまーす。
巻いて食えやプーさん。
結果としてディ○ニーとJJエ○ブラムスとその他もろもろは、「カイロレン様」を葬りました。
レン君(黄色い方)が不憫です。それとレン君(黄色い方)を大好きなKAITO君(青い方)も不憫です。多分。
なぜ、このような琴似駅になってしまったのでしょうか。知らん。
強いて言うなら、スタッフが適当に名前を付けたという事でしょう。yahoo!か何かで検索すれば、「カイロ」や「レン」の名前を持つものは沢山出てきたでしょうに、それらを無視して敵の最高指導者にエジプトの首都と黄色いツンツンヘアーの奴の名前をつけたために、このような喜劇を起こしてシマウマした。多分。
敵の最高指導者なので最後に死ぬというオチはエピソード7の頃から予測できました。カイロレン様は色々と悪い事を働いたのでとっとと○ぬべきでした。
ですが、これは「遠い昔か未来、どっかの銀河系で……」の話なのですから、もう少し地球人っぽくない名前を付けるべきでした。
それではクリプトンは落ち度0かというと、0です。
鏡音レンという世界中で絶大な人気を誇る(個人の感想です)バーチャルシンガーが在りながらD社はカイロレン様をぶっ○したので、私たちはスターキラー基地のビームを喰らったような悲しみと悲しみと悲しみに暮れております。
これはファンにとって中程度のショックです。アパマンショックと同程度の「カイロレンショック」だと自負しております。
なぜ鏡音レン様は殺されなければならなかったのでしょうか。
エピソード7・8・9を全部同じ監督にしようとは思わなかったのでしょうか。
私たちは、カイロとレンを禁止しなければいけないような所から生まれてきたのでしょうか。