はてなキーワード: 反抗期とは
これを見て、親の異常性を検証してみてくれませんか?
http://sky.geocities.jp/oooquree/fax.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1071335035 魚拓http://megalodon.jp/2011-0916-0253-28/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1071335035(javascript止めると見られます。お手数ですが)
この人(私の親)は、正常だと思いますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1171366716 魚拓 http://megalodon.jp/2011-0918-1309-31/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1171366716>
この親をどこかの病院で診て貰うわけには行かないのでしょうか?また、私はどうすれば良いのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1271354767 魚拓 http://megalodon.jp/2011-0918-1324-05/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1271354767
みんなで検証してみて下さいませんか?この親は正常なのでしょうか(親を責める気はありません)
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FAXの内容の異常性
1ページ目「あなたには優しいおばあさん」の部分。故人についての苦言を可愛がられていた人に対し言っている。苦言も事実かどうか不明。
はなさんの部分。
「私は○○の3人目の妻」自分の子に子の父の2回の離婚歴を業者経由のFAXで知らせるって、普通の神経なんでしょうか?
■http://anond.hatelabo.jp/20110904165823
今朝書いたもの
http://anond.hatelabo.jp/20110918085134
回答があったと思ったら、>毅然とした態度(反抗期にバットで殴りつけるような)がないからだと思います。私は、記憶がなくなるまで酒を飲んで、無免許飲酒運転をし、泥酔して暴言を吐き、暴れる父に小学生の頃からケリを入れていましたので、あなたの感覚は理解できません。
と書かれました。
理解できないはずですよ。
>自分をキチガイだと思っています。現に、統合失調症で通院してますし。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1471473574
質問の答えになってません。質問はこれでした。↓
里親に問題ある人格の人が居る、という事は実は実親にも同じ事が言える場合もあり、里親制度に問題があるなら実親制度にも問題がある・・・・のではないか?と大衆を啓蒙するのは難しいと思われますでしょうか?実親制度と言うのは、比喩的に使っただけです。制度ではありません。
この質問サイトが真底怖くなってきました。はてな質問ではありません。
前から知恵遅れと言われてたところです。無料だし情報の精度に期待してはいけないのはわかりますが、とうとうここまで来たかと思いました。リンク先にはもっと過激な事も書いてあります。
喫煙歴が長い人、教えて下さい。
私の場合は大学時代の「吸えない奴はカッコ悪い」みたいな風潮にはほだされなかったので、そのまま非喫煙者として数年生きてるんですけど、中年の人と接していると本当に喫煙率が高い!会社の外の喫煙コーナーにまで集まってたりして逆に感心します。
私の感覚だと、タバコ吸い続けてる人って高校時代とかに悪ぶった仕草とかに憧れちゃってて煙草に変に高尚なイメージ持ってたり、反抗期から脱却できずにいる(「悪はいつでもカッコいいものだ、いくつになっても悪ぶっていたい」というような)成長できない人なんじゃないのかなぁって失礼ながら思ってますが、中年の方たちはそもそも「喫煙=カッコいい」ってまだ思ってたりするんですかね?
私の両親は二人とも新興宗教を信じている。
父の家系は私の祖父の代から奈良県の某市に拠点を置く某宗教を信じていて、父の兄は祖父の跡を継ぎ、その土地の地区会長?みたいなものをしている。父の兄の子供たち(つまり私のいとこ)も、その宗教の学校に進学した。しかし、父はそこまで信仰心が厚いわけではなく、実家に帰省した際に“おつとめ”に参加するくらいで家では何もしなかったし、私に某宗教のあれこれを説くわけでもなかった。
私が怖いと思うのは、母だ。いや、正確には母が信じるものだ。
母の家系は私の祖母の代から、ネット上でもたびたび話題になる創のつく某宗教を厚く、暑く信心している。母は毎朝、仏壇に向かってお題目を読み上げ、地区ごとに開かれる会合に必ず参加し、選挙前には友人知人に電話をかけ、とある党への投票を薦めている。
そんな母の元で育った私は、小さいころからごくごく自然にその光景を目の当たりにし、母と同じようにそれらに参加していた。
母は私に、周りの友達がみんなが楽しみにしている神社のお祭りへの参加を禁じた。地元の神社へ初詣に行くのを嫌がった。“おそなえ物”を食べたい時は必ずお題目を読み上げさせた。
幼い私は「どうしてなんだろう」と思いつつも、素直に母の指示に従った。
母のことが心の底から大好きだったから。母が嫌がることはしたくなかった。
母が嬉しくなることは進んでしてあげたかった。
しかし、中学生になる頃から“母が信じるもの”の正体がよくわからず、だんだんと怖いと思うようになった。兄に自分が信じる宗教を拒絶された母は、以前にも増してその道へ私を引き込もうとした。
私が悩むたびに、壁にぶつかるたびに、不満を漏らすたびに、自分が信じるものの素晴らしさを語ってきた。
反抗期というのもあったと思うが、単純にその話をすると目の色が変わる母が怖くなり、反発し拒絶するようになった。
「私は宗教が嫌い。何かを信じるのは素晴らしいと思うけど、それにすがっていくのは嫌だ。お母さんが何を信じようがお母さんの自由だけど、私には強要しないで」
何度この言葉を繰り返しただろう。母親はあの手この手で宗教を勧めてきて、私はひらすらそれを拒否し続けた。そのやりとりは、私が家を出て遠い街で暮らし始めても続いた。つい1年ほど前まで稀に、しかし一度その話になると激しい言い合いになるほど繰り返された。
1年ほど前、同居人と住んでいる家にその宗教を信じる女性2人が、某新聞の購読を勧めにやってきた。普段は奥さんとして、母として親しまれているであろう女性たちになぜこの家を訪ねたのかを聞くと「あなたのお母さんに聞いて」と応えた。
その言葉を聞いた瞬間、大好きな母に拳を振り上げたいほどの苛立ちを覚えた。冷たい言葉で女性たちをあしらい、すぐさま母に電話をかけて荒々しい言葉をぶつけた。
「今の家にはまったく関係のない人も住んでいるのに、私に断りなく住所まで教えて!その人が対応したらどうするつもりだったの!もういい加減にして、私はお母さんの信じるものを信じるつもりは全くない!もう二度とこんなことしないで!」
それ以降、母は私に何も言わなくなった。
これまでの経緯をみると誤解されるかもしれないが、私は母も父も大好きだ。兄も含めとても仲のいい家族だと思うし、なんでも包み隠さず家族に話してきた。今までもこれからもこれからだって母は私の尊敬する人の一人だ。
友達を家に連れていった時にあの仏壇と毎朝お題目を読み上げる母の姿を見たらどう思うだろう。
将来、愛する人と連れ添った時に、母があの宗教を勧めたらどうすればいいのだろう。
そもそも、母の信じるものに不快感を覚えたらどうすればいいのだろう。
母が何を信じようが、別にかまわない。
詐欺にあっているわけでも、全財産をふんだくられているわけでもない。
母の人生だ。自由にすればいいと思う。
昔から親とはあまり意見が合わず、中学に入って以来、あまり話をしなかった。
実家は大阪なんだけど、親元から離れたいこともあって茨城県の大学に進学、一昨年に静岡で就職。そして今年2月に結婚もした。
これから、親とはあまり関わらない、自分だけの人生が楽しめると思っていた。
僕にはやりたい事がたくさんあって、ただ食べるために働くのは嫌だった。何かを成し遂げたかった。
父は仕事後にビールを飲むのが生きがいで、たまにパチンコに行くのが趣味。それ以外に何の楽しみもないようで、僕には何のために生きているのかさっぱり分からなかった。
僕は逆に多趣味で、毎日がとても忙しいけど、そんな趣味に生きるのが好きで、いつか趣味に関わることで何か成し遂げられたら良いな、と思っていた。
最近はずっと、成し遂げたい「何か」がなんなのか、を考えていて、何をするにしても、自分や周囲の幸福度を上げる事が一番だ、という考えを持った。
幸せとは何か?といえば、不満が無い状態かな、と思う。
欲しい物を手にいれれば幸せだし、何かに夢中になれれば目的・目標に飢えることが無く、幸せだ。
だから、適度に難しい課題を自分で設定して、それをこなす事で、人に物を提供するのが良いかな、なんて考えていた。
そんな矢先、父がガンと言われて、生きる意味を改めて考えさせられた。
自分にとって親は、いつか死ぬもので、死んだら悲しいけど、いつ死ぬか分からないし、「とりあえず今は何も考えなくて良い存在」。
たまに実家に帰った時にちょっと話をして、話が長くなると意見が合わなくて嫌になる、そんな存在だった。
だから、実家に帰るのは一年に一回か二回、結婚したので今後は一年中帰らないこともあり得ると思っていた。
だけど、ガンって言われてようやく気づいた。
一年に2日会うとしたら、20年後に死ぬなら40日しか会えない。
しかも、よく考えたら親は近い日に簡単に死ぬかもしれない。病気でなくても、事故って死ぬかもしれない。
いつ死ぬかわからないからこそ、死ぬ前にできることは何よりも優先してやらないといけない。「とにかく今何かを考えなくてはいけない存在」だ。
ガンって言われると、急に親の死をリアルに想像できて、想像するたびに涙が出た。
いつかは絶対死ぬ、そんな分かりきったことが悲しいのか?
つまり、人が死ねば、どう頑張っても、周囲の人を不幸にするんだと思った。(残念ながら、人が死んで幸せな人もいるかもしれないが)
人は生まれた時点で死ぬ運命にあるので、死ぬときに必ず不幸を撒き散らす。
じゃあ人は、その不幸を上回るような幸福を生み出さなければいけない。それが人の生きる意味なんじゃないかと思った。
僕にとって生きる意味って、なんだろう。
それは、親や嫁、そのほか多くの人を幸せにすることだ。
いつか死ぬ彼らに、いつか死ぬ自分が撒き散らす不幸よりも多い幸せを与えることだ。
まずは、ガンになった父に今まで世話になった御礼をちゃんと伝えて、
僕は育ててくれたことを大変感謝している、父は自分を誇りに思っていい、父のおかげで今の自分がいる、
父を失うのは本当に悲しい、僕は父が大好きだ。というところまで、ちゃんと伝えなければいけない。
今まで親と会話をしなかった分、きっちり自分の考えを伝えて、そこに安心してもらいたい。両親とも、不安に思っていると思うから。
その上で、ガンが治るなら治って、その後も、いつか死ぬその日まで、なるべく多くの楽しい時間を共有して、笑い合って過ごせたら、それはきっと幸せだ。
本当は死ぬ事なんか意識しないで、大笑いして過ごして、気づいたら死んでいた、というのが一番なんだと思う。
そうなれるように、僕は変な反抗期なんか克服して、素直になるべきだ。
GWを利用して昨日今日と父の見舞いに行ってきたら、どうしても書きたくて書きました。
まさかこんなシリアスな話を自分のBlogに書けないし、というのがひとつと、
あとは似た境遇の(親と距離があるような)人が居たら是非親孝行をしてほしいな、というのがもうひとつ。
そんな理由で書きました。
そんじゃ、読んでくれてありがとう。
娘が結婚した。娘が言うには、相手はなんだか頼りなさそうなのだが、同じ頃合いの若者にしてはよくできたほうで、稼ぎもいいという。
一応このときは娘を信じたし、娘のその言うところにおいては全面的に正しいようだ。若者が車を持たなくなったと言うが、彼は30を前にして持ち家と車を持っている。
ローンも心配しなくていいらしい。40を前にして完済できると意気込んでいた。草食系とは言ったものだが、彼は見た目より猛禽類のそれに近いのかもしれない。ヒョウヒョウとしている割に、眈々と獲物を狙っているのかもしれない。猛禽類だけに。ちったあやるじゃないか。猛禽類だけに。
で、そうも言うなら子供に期待せざるをえない。鳶は鷹を産まぬと言うが、蛙の子は蛙である。弱々しいタマではない、そう考えていた。オタマジャクシだけに。
もう十数回を数える帰省。何度目かは覚えていない。彼の入浴する合間に、恥を省みず娘に直截聞いてみた。
「こどもはどうだ?」
嫁が怪訝な顔をする。しかし、父としては確認しておかねばならない。それに、もう退けない。娘は、
「どうしたの、急に?」
と、笑顔だ。しかしこの笑いは営業スマイルのそれであり、娘もまた肉食生物のそれを隠そうとはしなかった。そうだ、社会においてその美貌は武器だ。
「いや、俺も、お前の孫を見てからでないと、安心して死ねないからな」
「んー」
娘は言葉を選んでいるのだろうか。そして
「こどもは、まだ、いいかなって。シンイチとも、そういうことにしてる」
笑顔を崩さず。髄まで染みた化粧は仮面のごとく。それでこそ我が娘よ。
「そうか」
少し残念そうな顔をして牽制してみる。デリケートな話題ではあるが、やはり血の行く末は見届けてから死にたい。
しかし、わからないでもない。自分の人生を謳歌したいという気持ちも。俺も若い頃は尖っていたつもりだ。社会なんか俺達でぶち壊せるという思いもあった。
その武器のために賢くなろうとしたし、世間の言う高学歴の大学に入り、野心を温めて社会に出た。親父もお袋も泣きこそしなかったが喜んでくれた。
ただ、社会を変えることはできなかった。いや、正確に言えば変えることをいつしか拒む自分がいた。そうしていれば黙っていても財を蓄えることができたから。
「父さんは、どうして孫が欲しいの?」
娘はその顔を変えることなく尋ねる。
「どうしてっていうようなものじゃない。家族が増えることは、それだけで喜ばしいことじゃないか」
と、それらしいことを言ってみる。もしかしたら、俺は先代からの呪縛に囚われているのかもしれない。しかし、これは本意だ。孫の顔を見たい。
ここで、娘の顔が曇った。それまでの笑顔が上っ面のものだとはわかっていたが。私は娘の今よりいい顔を知っている。
少し、間ができた。嫁は娘の顔をじっと見ていた。先行く女として看過できないものがあったのだろうか。洗い物をする手を止めていた。
「私は、こどもを産みたくない」
娘は、俺が最初に尋ねたときと同じ刃をぶつけてきた。すっぴんだ。水溜めに浮かぶ皿とフォークがぶつかる。
「私が、シンイチと結婚したのは、お金じゃない。こどもを産まなくてもいいと、言ってくれたから」
「私、こどもを産まないから」
反抗期があまりなかった娘だが、なんとなく理由がわかった気がした。
間。
シンイチ、浴室の戸を開ける音。嫁は洗い物を続ける。俺と娘は視線を外さない。居間に来るシンイチ。娘が視線を外す。仲睦まじき夫婦が私の視界に。娘は自立した。
いつも通り家に帰ってきて、昼食にハンバーグとスパゲッティーを食べようとしていました
私は冷蔵庫の中のスパゲッティーを探していましたが見つからなかったので
母がトイレから戻ってきて部屋に入った瞬間 スパゲッティどこ?と聞きました
母は「何がっついてんのw○○(妹)みたいw」と笑って何度もそれを言ってきました
妹は帰るなりすぐ、ご飯何ー?まだー?ねぇ、まだー?と、ものすごく食い意地のはっている子です
一度なら笑って流せるのですが、何度も何度も本当○○みたいwなどと言ってきて
小学校は今日、学校はないので母と妹はすでに昼食を食べた後だったので
暖めなおしたハンバーグ等をもって、自分の部屋に行こうとすると
ここで食べなさい!と言って来たので、もう片方の手に持っているシャーペンを部屋に戻してから。と返事をし
部屋にペンを置いて、リビングに戻ろうとすると母がまた、ここで食べなさいっていってるでしょ と大声で言ってくるので
普段は絶対に聞こえないはずなのに、今日はリビングと廊下のどあが開いていたらしく、聞かれてしまいました
本当に、小さい声でつぶやいただけでした
私が悪いのは分かっていますが、まだまだ子供なので「ごめんなさい」とは言いましたが、不本意そうな言い方をしてしまい
母が アタシ何か悪いことした!?なんで今日、そんなに機嫌悪いの?出て行って!もう食べなくて良いと言って泣き出して部屋に戻って寝てしまいました
私も、学校で少し何かあっただけで泣きはしませんが、泣いてしまいそうになります
今まで、母と喧嘩するのが怖くて16年間一度も反抗せずに過ごしてきました
妹は年中反抗期でほっといて・うるさいなどのことを言っても普通に叱られています
今も変わらず同じ状況です
母に泣かれた直後、私も一人泣いてしまい
今は自分の部屋にいるので、分かりませんが
そしてその後に起こったことたちについて。
君はちょうど小学校の下駄箱にいて、下校する直前だったらしいね。
揺れ始まってまず見たのは、時計だった。君が学校にいる時間なのか確かめたかったから。
だけど運悪くそれはちょうど君が下校するくらいの時間だったね。ママは不安で不安で、揺れの恐怖よりも君のことばかり考えていた。
幸いにも君は学校を出る前だったみたいだけど。本当に、君が一人で道路の真ん中で怯えていなくて良かったよ。
揺れは、長かった。
建物はきしみ、壁にかかっていたものが落ち始め、天井のプロジェクターは私の頭上で振り子のように揺れていた。
そして最後に蛍光灯がジジジと不気味な音を立てて消え、とうとう揺れは収まった。
とにかく、長かったよ。
ママはこりゃ大ごとだなと思ってね。だって、電気が消えちゃったんだもの。
揺れたこと自体はママはそんなに恐怖じゃ無かったよ。ずっと、見てた。
どんな風にどれくらい揺れるのか。
「いいから机の下にもぐれ」って、隣の先輩に怒られたんだけどね。
でも、見たかったんだ。世界を確かめなくちゃって思った。くっきりとそう考えたことを覚えてる。
目をこじ開けて、全部を、見たかった。
会議室にはその時職場の人全員がいて、誰からともなくみんなが声を出していたよ。
「まだ揺れてるから、動かないで」「上注意だよ。プロジェクターが危ない」「揺れ強いよ。まだまだしっかり」「続いてるよ。まだみんな隠れて」「みんな、大丈夫?怪我してる人はいないよね?」って
あちこちで声が上がっていた。ママは一番下っ端だから、じっと黙っているだけだったけれどね。
良い職場だな、と思ったよ。世の中の人たちはどんな感じであの揺れを耐えたんだろう。
君はお友達と一緒だったんだよね。良かった、一人じゃなくて。
お友達が「バスみたい!」って喜んだそうだね。良かったよ、頼もしいお友達を持って。
あんなこと、きっと君が生きている間にはもう二度と起きないと思う。と、信じたい。
ママは会社から退社の許可が出て、一番最初に会社を飛び出したんだよ。
ママの会社って何百人もの人が働いている工場なんだけど、一等賞だったんだよ。すごいでしょう?
車に飛び乗って、車のナビでNHKにチャンネルを回したんだ。どんな状態なんだろう、と思って。
その時に見たのは、街が海に飲み込まれていく映像だった。ハリウッド映画じゃないよ。生中継だ。
大津波警報って、なんだ?大津波?この映像は?現実なの?一体、どこなの?どこの海で津波が起こってるの?
さっぱり訳が分からなかったよ。だって、信じられるかい?街が海に浸かるなんてことを。
そしてそこは、君も知っている場所なんだよ。
一旦車を家に置き、自転車立ちこぎで猛スピードで小学校に着いた。
最初にママも顔見知りの君の友だちに会ったんだけど、その子は顔を真っ赤にして泣いていたよ。当然だね。不安だっただろう。
でも君は不思議と泣いていなかったね。
硬い顔で
「さむさが限界だよ」
帰り道には冷たい雪が降ってきて、街がどんどん暗くなってきた。
街は不安に包まれていた。
あの時、不安は形になって、色になって、私たちの住む街に降りていていたと思うよ。少なくとも、ママにはそう見えた。
これは大ごとだ、って。確かめるように何回も考えた。
確かに大ごとだったんだよ。
ママがテレビも見れず、知らない間に、津波は宮城県の全ての沿岸部を根こそぎ持っていってしまった。
でもママはそれを知る手段がなかったんだよね。
唯一手元にあったのはラジオだけで、でもラジオでは津波がどれだけの陸地を飲み込んだのかは想像できなかった。
君と一緒に行ったことのあるショッピングモールも、水に浸かったそうだよ。
君と一緒に遊んだサイクリングできるあの場所も、なくなったよ。
君と一緒に船に乗ったあの港も、君と一緒に買い物をした市場も、みんな、みんな、波が持っていってしまった。
私がそれを知ることができたのは、それから何日も経って家に電気が来てからだったけど。
君を仙台空港の近くの海のそばにある公園に連れて行くつもりだったんだ。
だからもしもあの地震が一日ずれていたら、私たちは死んでいたかもしれないね。
だってあの場所に、あんな津波が来るなんて全く想像つかないよ。正直、今でも信じられない。
それが、一瞬でなくなってしまうなんて。
どうやって信じたらいいのだろう。
ないよ、ってママは答えた。
もう、あそこには公園作らないの?って君は訊いたね。
どうかな、ってママは答えた。
でも、誰も悪くないんだ。あの公園がなくなったことも、何もかも、全部。
あの日あの時、起こったこと。
そしてこれから起こるであろう全てのこと。
ママたちは津波の影響がなかったから、家を片付けて、ライフラインが復旧すれば
とりあえず身近な日常に帰ることができる予定だった。はずだった。
掌に収まるほどの小さなラジオが、大事な大事な全ての情報源だったんだ。
こうやって考えると皮肉なものだね。
ママは普段からパソコンだの携帯だのって、デジタル漬けになって生きていたのに
結局あんな時に頼ることができたのはアナログだけだったんだものね。
ラジオから貰える情報は限定的だった。音声のみのデータでは、余りにも物足りなかった。
でもNHKのアナウンサーは繰り返し、福島原発が良くないということを伝えていた。
最初は、電源が使えなくなって冷却ができない状態に陥ったこと。
次は、核燃料が溶けているかもしれないこと。
そして、爆発したこと。
分からないっていうことは、不安ということなんだと、今回とくと思い知ったよ。
情報と知識があれば、何事にもそれほど恐れずにすむことを。
知識は人を強くするから。
知らないってことは怖いことなんだって、気付いた時には遅いこともたくさんあるだろうから。
何が起こっているか、分からないこと。これから先、どうなるか分からないこと。
それらがママをどんどん蝕んでいった。
彼が出てきて話すことといえば、やれ爆発しただの、やれ退避しろだの、やれ念のため家の中にいろだの、
そもそも原発の事故ってだけでもとてつもなく恐ろしいことなのに、
その内容たるや、時間が経てば経つほどに悪化して行っている。
ママはね、自分が生きてる間に戦争が起こることって想像したことがなくて、
でもこれは、戦争だと思ったね。
その時はちょうど電気も無くて、買い物するにも屋外に商品をとりあえず並べたものを何時間も並んでちょっと買うしかなくて、
ママは思ったよ。
これは戦争だ。ここは戦中なんだ、と。
そして、まだそれは続いている。
うちに電気がきて、ママはいつも通りにインターネットを使えるようになって、
スーパーも徐々に開いてきて、でも、
まだ何も解決はしていない。
ラジオから二号機の核燃料棒が全て露出して、炉心が溶けたかもしれないってニュースが流れた時に
その時は、ママには君を守ることができないかもしれないって、本気でそう思ったんだ。
何があっても、ママは君を守り抜くって思って生きてきていたんだけれど、
うちにはパパって人がいないから、絶対に絶対にママが君をどうやったって守ろうって思っていたのだけれど、
どうも、ママにでもどうすることもできないのかもしれないって
うちから原発まではたったの80キロほどしか離れていないからね。
原発に重大な何事かがあったら、多分我々も駄目になるだろうからね。チェルノブイリのようなことがあったらね。
すぐには死なないかもしれない。
でも、身体に影響はあるかもしれない。
君は子どもが産めない身体になるかもしれない。
いや、産めないわけじゃないかもしれないけれど
でも宮城県出身だからっていう理由で差別されて結婚できなくなるかもしれない。
君はたったの7年しか生きていなくてこれから先何十年も生きて幸せになるはずで、
でもその全てを原発に奪われるのかもしれない。
2011年3月11日まで、当たり前のようにこの先ずっと生きていくんだと思ってた。
そうしてどんどん君は大きくなって、運動して勉強して、そのうち反抗期になったり恋したりして、
当たり前のように大人になるんだと思ってた。
でもそれは簡単に手に入るものじゃなくなった。
訳の分からないうちに。
福島原発の一連の事故に対して最初に抱いた感情は、絶望だった。悲しみだった。
次に浮かんだのは怒りだった。そして不信感だった。
ラジオと新聞の情報のみの電気が無い状態では、自ら調べることはできない。焦燥感が募った。
そして、憎かった。原発が。東電が。政府が。そして、東京の人すら。
君はさ、まだ7歳で
今ここで何が起こっているかなんてことは、到底理解できないと思うんだ。
多分君の未来には、日本の未来も含まれているんだろうと思う。ひょっとしたら外国に永住するかもしれなけどさ。でも故郷は必要だろう?
だからママは日本の未来について考えなくてはいけないと思ったんだ。
調べたよ。たくさん。原発のことなんて、今まで気にも留めてなかったからね。
放射能と放射線の違いすら知らなかったし、同位体って何のことだかもすっかり忘れていたくらいだったけれど、とりあえずいっぱい調べた。
ああ、余談だけど、やっぱり勉強は大事だよ。ママも昔、ちょっとはしたんだよ。化学も物理もやった。そのベースがなかったら、ちょっとしんどかったかもしれない。まあそれはいいんだけど。
調べたからって正答を得られるわけじゃないんだよ、勿論。
考えなくてはいけない。どんなに困難でも、逃げるという選択肢はない。自分たちの問題だからね。
どこかで誰かが解決してくれるだろう、ってわけにはいかないんだよ。
だから考えなくてはいけないよ。諦めずに、信念を持って、考える必要があるんだ。
ましてや人の命よりも大事な電力なんてものもないんだってこと。
原発がなくなったら、確かにしんどいことが起こるだろうと思うよ。
とんでもなく不便で、そして貧乏になる。私が貧乏なのはまあ、いいけど、日本という国の全てが貧乏になるだろうね。
不便もどれくらい我慢できるんだろうね。今まで無尽蔵に電気を使ってきたからね。
とてもとても、想像つかないけど、どうにかできないこともないはずだと思うよ。
でも、仕方ないよ。
何だって変わり始めはしんどいもんだよ。当たり前だよ。
ママも離婚したての頃はしんどかった。する前は不安だった。でも、どうにかなったよ。どうにか、したんだ。
でもこれは日本という国全ての話だからね。ママの離婚と比較するのはおかしいだろうね。
国の全てがしんどくなるって分かってる方向に向かって、舵を切るのが困難だってことも分かる。
勇気がいる。痛みも伴う。そして、犠牲も。変化は怖いものだよ。いつだって、どんなことだって、そうだ。
だけど私たちは、ずっと先のことを見なくちゃいけない。これから先の、未来のことを。
今この瞬間が辛くてもいいんじゃないかな。十年後、二十年後、五十年後、百年後、いやそれよりもっと先でもいい。未来が幸せになれるんなら、いいと思うんだ。
でも、原発を使い続けて、明るい未来はやってくるのかな。何百年後かの君の子どもの子どもの子どもだって、困るんじゃないのかな。
人間はさ、失敗するもんだよね。
でも失敗は成功のもとだよね。君にもいつも教えてるよね。
勿論、国だって馬鹿じゃないから、津波対策とかはするだろうよ。
多分、無理だよね。だって人間は失敗するんだもの。いつかは必ず、何かが起きるよね。
ママは何かが起こったときに、誰かが命張ってじゃないと止められない仕組みなんてあっちゃいけないと思うんだよね。
今もどこかの誰かが命掛けで、どうにもなんない原発をなだめようと頑張ってる。
でもそれが、家族だったら?君だったら?
日本は変わるよ。変わらなくてはいけないんだ。ママにはそれがはっきりと分かったよ。
こんなこと考えたのは生まれて初めてだよ。でも必ずどうにかしなくてはいけない。
強く強く、そう思ってる。ママにはなにができるのかな。きっと、何にもできないとは思うよ。
だってママは東北の片隅の工場でチマチマ働いてるだけの人だからね。政治家でも学者でもないからね。
だけど考えることはできる。そんなに賢くはないちゃらんぽらんで頼りないママだけど、君のためなら必死に考えるよ。
2011年3月11日は、日本にとって重大な日になるはずだと思う。
君もママもこの瞬間に立ち会えたこと、そしてその渦中にいたこと、これはとてもとても貴重な経験だと思うよ。
人によっては運が悪かったって思うかもしれない。
でも、違うんだよ。
私たちはね、歴史の変わり目に立ち会えたんだよ。
2011年3月11日に始まった悪夢を、一つも無駄にしてはいけない。
これを二度と繰り返さないために、未来に伝えていかなくてはいけないんだ。
私は君に伝えたいと思うよ。
この全てのことを、忘れないで。
その手の「帰属意識には重要な機能があります(だから持つ必要があります)」っていうロジックの怪しさと押し付けがましさには辟易するよ
その属性を持つ事による利益を存分に享受しておきながらそこへの帰属意識を頑なに否定するってのは第二反抗期特有のものだね。
貴方の年齢は知らないけど、もし若いのなら「まあ、そのうち分かるよ」とだけ。もしそれなりの年齢なら「日本ってつくづく平和やね」としか。
"反抗期"っていうと悪く聞こえるけど、本来は”自立期”というべき期間なんだよ。
その自己表現の仕方が妹さんはある意味分かりやすい「荒れ方・暴れ方」で、
あなたの場合はどう表現していいのか悶々としてしまうって形で分かりづらい形なんじゃないかな?
>たったそれだけなのですが母が「ママのこと好かんとか言うなら●●(妹)と同じ扱いになるよ」
>「『お弁当?知らん』ってことになるよ」「まぁ、そんなことぐらいしかできないけどね」
あなた自身が怒っていいべき事項だよ。
5年間の海外駐在を経て帰国子女になってしまったものの、セルフイメージと周囲からのイメージが
異なり過ぎて辛そうだね。
現実的に勉強についていくのが辛かったら、中高一貫の私立ぽいからサポートを受けるべきだと思う。
もしなかったら、大手予備校や塾にそういうサポートコースあるからHPだけでも調べて
ちなみに帰国子女だから英語ペラペラというけど現地の日本人学校いっていたり、
英語圏でも英米ではない英語圏で肩身が狭かったり、非英語圏の子もいるからそれ程気にしなくていいんじゃない?
ドイツ系ハーフのウェンツ英二も見た目から英語ペラペラで英語のテストでできそうに見えるからと
カンニングにあい結果点数が悪かったので文句を言われたそうだけど「外見で判断するやつが悪い。(テストを)見るやつが悪い。」と
言い切った。
嫌味を言われたら(特に女子の場合は)「話せても子ども言葉だし、文法も分からないよ」と自分をちょっと下げて相手に優越感を持たせるのも手ではないかな。
自分がどれだけ恵まれて幸せに過ごせているのかは分かっているつもりです
今まで周りが反抗期でも自分だけは、とどこかで思っていました。
親が大好きですし心配かけたくありません
特に母は泣き虫で反抗期の妹の言葉でも、妹が部屋をでた後に泣いてしまっています
特定の友達。というものがいなく、話が合わなくなったらどうしよう話す内容がわからなくて
クラスの苦手な方2人にこそこそを陰口を言われるのがすごく辛いです
甘やかされて育ってきたのでちょっとした悪口でも、赤面症ということもあり
微妙に聞こえるように陰口を言われるのが辛くて
でも学校に行かないと他の今仲良くしてくれている子達が離れていってしまうようで
日本語がヘタでその上人見知り、赤面症、コミュニティー力なし 活舌悪い
親のせいではなくても、5年ほど父の転勤で日本を離れていたことをうらんでしまいます
それを見て、私はいい子をしていましたがわがままだって言いたいし
たったそれだけなのですが母が「ママのこと好かんとか言うなら●●(妹)と同じ扱いになるよ」
「『お弁当?知らん』ってことになるよ」「まぁ、そんなことぐらいしかできないけどね」
反抗を多めに見ろという訳ではありません
妹ばっかり怒られる時は怒られて
私は注意だけで。怒られることをするのが怖いです
来月から高校なのに進路も全くわからなくて、隣のクラスの子に英語どうせペラペラなんでしょうって言われたり
嫌味言われたりして辛いです
そのことを指摘されるのが怖くて何もいえません
見た目と性格が違いすぎて嫌
妹が仕事のことですごく悩んでいる。まったくついていけないのだそうだ。
私は彼女よりも何年か早く社会人になったけど、お互いに専門職かつ分野も全然違うので、
実際にどうなの?と聞いてみてもさっぱりピンと来なかった。
私の仕事上の…というか社会生活上の経験談などを話してみるも、彼女もピンときていないらしい。
そんなに仲が悪いということはないから喋るのはごく普通のことなのに、
(その時は、私のスタンスは
「ちょっとでも社会人の先輩として、何か彼女に有為な話ができたら、琴線に触れることがあればと思って色々喋る」というものだった)。
私の方向性が間違っていたのかもしれないが。
アドバイスをしたいと思うことが伝わって、彼女の負担になっているのかも…と話しながら思いついて、
彼女は彼女で言いたいことをうまく言葉にできず、とてももどかしそうだった。
それを見ていたたまれなくて、こういうこと?こういうこと?と何度も問いかけてはうざがられた。
彼女は高校までちょっと自棄になっていたところがあって、大学で持ち直した。
大学ではなかなか楽しく、それから充実した日々を送ったらしい。優秀な結果も残した。
その影響があったとかなんか、そういうことをうっすら親から聞いた
(当時の彼女はかなり険悪なムードだったし、私は私で反抗期だったのであんまり二人で話した記憶はない)。
今の職場は望んで入ったところなのだけど、あまりにもレベルが高くてつらくてしようがないと彼女は言う。
彼女の働いている会社は大企業なので、すごい倍率をかいくぐって入ってるんだから買われてる部分はあるはずだよ、
今つらくてもそれはしょうがないじゃん、これからのことに期待してもらってると思って頑張れーと言うと、
それは分かってる、私は「これから育成する枠」で採ってもらったっぽい、と言う
(そう言われたときは「あー、そういうの推察しちゃってるんだ…」と思った。分かってるとこあるんだな、と)。
話を放り投げそうになるのをなだめてそれでも話を聞くと、彼女にも良くないところがあるのが見えてきた。
内にこもるらしい。
それは良くない!と思った。
何が分からないのかが他人に見えない新人はものすごく扱いづらい。
そして忙しければ(すごい忙しい職場らしいです)上司や先輩もついそれをスルーするのだ。
そして見放されていく。だって響かないなと思う人間って言いがいもないじゃん。
ああ〜まずい、それはまずい。
彼女はそのあたりになると結構多弁になった。
でもさあ、上司はすごい仕事できる人で、自分でがりがりやってきた人で、
説明するのもなんかちょっとこう、「質問するならまとめてから来い」って言うのよ、
…という趣旨のことを繰り返し言っていた。
さあどうしたものか。
「うざがられることやってもいいのは新人の特権じゃん!恥かいてもいいからぐいぐい行けよ!何回でも!」とか
「自分なりに間違っててもいいからまとめて行ったら?毎回」とか
「上司にうまく言えないんですって先輩とかに持ちかけられない?」とか、
色々言ったが…彼女はその全てに反論してくる。
そこは反論するところじゃねーよと思うんだけど、お前もっと人の言うこと素直に聞けや!と思うけど
(他人がぱっと話を聞いて「そりゃお前もよくねーよ…」と思ったら、本人にもなんらかの非がある。
そして助言の内容が何度やったつもりのことであってももう一度新しく実践すべきだ。と私は思う)、
私もそれをうまく言えない。彼女のプライドを傷つけすぎずに誘導するような、アゲるような言い方が、できない。
妹のことが本当に心配だ。頑張ってくれ(なんとか踏み堪えてくれ)と思っている。
代わってやれるものだったら代わってやりたい。素直にぶつかっていけない彼女のことを考えると目頭が熱くなる。
どう言えばいいだろう、となんかちょっとずっと思っているので書いてみた。
本人が悟って、本人が考えたやり方で頑張るしかないんだけど。
新入社員、皆、頑張れ。もうすぐ次が入ってくるけど、
何年経験を積んでもミスするときは皆ミスするよ。恥かくときは恥かくよ。
自分の身一つなんだしって思って、頑張れー!
私も頑張るぞー!
息子は頭は悪くないと思う。小学校時代は国語、算数、社会が得意だった。
中1:英語に関して特になにもせず。たぶん授業にはついていっていた。英語の成績は中の下。塾通いせず。
中2:1学期中間試験の時に「英語が分からない」とぽつりと言っていた。期末テストは20点台、1学期の通知表は英語は5段階評価の1。学期末面談でも、英語教師の担任に「このままだと大変ですよ」と言われる。親子共々、青ざめる。息子に聞くと「英語の授業は苦痛である、なぜならさっぱり分からないから」と言う。お父さんも中高は英語がさっぱりだったので良く気持ちは分かる。このままだと、後で大変だから、この夏休みと2学期で取り戻そうと誓い合う。塾か家庭教師かとも考えたが、中学程度なら自分でも教えられると判断した。
まずは、息子の実力をチェック。英単語が読めてない。さっそくローマ字の教本を手に入れてやらせる。次にフォニックスをやる。一通りやるのに、3週間毎日1時間ほどやっていた。土日は2時間やった。その後、中1の文法問題集>中2の文法問題集と進めた。夏休みは午前、午後に1時間ずつ、2学期は帰ってから1時間やっていた。あとは、毎日朝晩に教科書の音読15分ずつ。このとき、横にいて聞いてやる。二学期の中間試験では英語は70点、期末は95点近くとった。結局、教科書をほぼ暗記したら定期試験は楽勝だったらしい。
使ったのは
・教科書ニューホライゾン
うちの息子は精神的におぼこいため、まだ反抗期らしい反抗期に入ってない。父親の言うことを聞くため、うまくいったように思う。
話は多少ズレるんだけども
「バラエティ番組を見ていると家族の会話が無くなる」と言う人達が謎だ。
バラエティ番組って、それこそ家族で喋りながら見るもんじゃないの?
これがドラマや映画なら「喋ると台詞聞こえないし話が分からなくなるから全員黙って見ている」と言う状況になるのが分かるけど
バラエティを一言も会話せず真剣に見ている家族なんているの?全然想像つかないんだけど。
「テレビを消して強制的に無言だと居心地悪い状況を作らないと子供と会話出来ない」方が
コミュニケーションが取れていない感じがする。
普通はバラエティ見ていようと会話はするし、話が盛り上がったらテレビなんて無視してそのまま会話するでしょ。
テレビがついているとそれが出来ないのって、子供が親と話したくないと思っていて
テレビがついていると子供がこれ幸いとテレビを見ている振りをして話聞かないから、じゃないの?
大人同士でも嫌いな人との会話をそうやって回避するしね(その場合ダシにするのはテレビでなくても何でもいいけど)
教師の差し金で「話し合い」をさせられて、解決すると思う?
今の教師のスキルだと無理だろうとは思うよ。
でも、コミュニケーション能力の欠如から発生している問題なんだから、コミュニケーションを取っていくしか無いだろ。
キューバ危機の際に、「ソ連と交渉をして解決すると思う?」と交渉を諦めてたら、核戦争が起きてただろうよ。
http://kd1.blog103.fc2.com/blog-entry-200.html
小学校5年生にでもこれぐらいのことは可能なんだから、6年生だって出来ると思うがね。
お前が子供の頃はそんなに大人の思い通りに動く「いい子」だったのか??
教師の手伝いで文集を一太郎に打ち込んだりとか頑張っていたぐらいには、教師に対して協力的だったと思っているが。
話し合いに教師は介入しない。
質問を求められた時だけ答える。