はてなキーワード: ヌクモリティとは
才能の民主化って言ってる人が叩かれまくってるらしいけど、何らかの技術には努力量による差が認められるべきだと思ってる人が多いんだなって思う。
ええやん。努力せずに憧れが手に入るなら最高やん。我慢ってそれそのものには意味ないし。
努力の過程を楽しめないならその程度のものだったんだ。好きと憧れは違う。
努力なくして技術を手に入れてはいけないのなら翻訳アプリも使ってはいけませんねぇ。
まあ機械翻訳じゃまだ雑な部分もあるし、正確なニュアンスを伝えるのも難しいだろうけど。それなりに知識がなきゃ翻訳結果が間違ってるのか正しいのかも分からんし。
絵も音楽も然りだろうし、(こっちには正解も正確もありませんが……)そういう事なら変な叩き方せずにそう言えばいいだけええやん。別にわざわざ言う必要ないけど。
民主化というよりは均質化とかの方が近い気はする。
人の絵を勝手に学習させるってのが著作権違反っていうのも微妙じゃねって思う。
特定の一人の作風をパクるならともかく複数から学んでいくのもダメなら、それはもう他人の作風の影響を受けてはいけないって話になるし。
人が手を頭を動かしながらやるのは良くて機械がやるのはダメとか言ったら、もう公立小中学校の謎風習みたいな感じになる気がする。ヌクモリティがないのでダメです。
じゃあ社会のルールが常に公立小中学校の謎風習とは違ってきわめて筋の通った合理的なものかと言ったら別にそうでもない気もするけど。
家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策や趣味のレベルなのか、微妙に分からんレベルの規模のやつが。
繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中からは田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎者からは全然文明のある方だろと言われそうな東京西部の郊外だ。
道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。
それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。
そんな光景も中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。
今やその手の地域のヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供の記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。
お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きから嫌いかはともかく。
中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。
逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。
夢なんて大体理不尽で不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコでしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。
夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地や電波塔、送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。
住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活に勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特に静まり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。
そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。
大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい。
それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原でトランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるかも分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽はマジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。
大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色もマイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。
畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。
施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。
カーテンも張られていないガラス戸からは工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想止まりだけれど。
つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。
件の公園も日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所が地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。
それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。
平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。
おれは地域のヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。
最初は当時こういうことに悩んでたんだなwというのが見えて笑ってた
挫折したときに書いたやつが数十ブクマぐらいついてて真剣なアドバイス貰ってたりしてて、それはヌクモリティってやつ?を感じた
たまに数百ブクマついたりしたやつもあって、ブコメ見返すと凄い気分悪くなったw
ありゃいかんねかなり好意的でもポジティブ5,感想2,ネガティブ3とか。悪いとネガティブ6,ポジティブ2,感想2とか。
600ブクマついて300ブコメぐらいついてたので、2割だとしても60件。60のテキストでネチネチパワハラ上司みたいな人格否定されるもんだから過去の自分が書いたものとはいえ具合悪くなる。ポジティブな意見がいくらあっても調和されきれないとこもある
バズると楽しいというか脳汁出るし、気軽な匿名媒体だからこそ書くの面白いとこあるんだけど、改めて見返すとデメリットが大きすぎるなとなった。
8年も遊んだら十分でしょうということで、書くのやめようと思う、こうやってちゃんと書かないとなあなあになりそうなので書いた
バズらないと思うけどもしもバズったら冷笑系の人たちに「勝手にしろ」だとか「そんなコメントつくのはお前が変なこと投稿したから」だとかつくのかなーと思ったw
ただここは面白いんだけどバズる前は想像してなかった悪口コメが必ずあるんだよね、その着眼点での否定は想像できなかったわみたいなw
・7話位までみた
・歳を取ってない前作主人公、新鮮
けっこうちょいちょい出てくるからおおってなった
穏やかな声の安心感すご
見た目は年取ってないけど喋り方は
相応に「大人」感になってて新たな萌の扉を
開きかけた
・新悪魔くんのような
萌えを感じられなくなる
これが加齢
・世が世ならCV石田彰みてえな主人公とニコイチっぺえ悪魔でてきたな
目茶苦茶楽しかったろうな…
・ストーリーが今風でgoodやった
10話以降みた
・デレるのが…デレるのが遅い…!
・兄妹で違う時の流れを生きたから子供のときのまま見た目変わらない兄に
胸に沁み入るものがあった
・今更だけど悪魔君親子の時代による子供キャラのデフォルメの仕方の違い、いい…ってなった
・oh…ハンガーフック…
・bumがみんなかっこよかった サックスかっこいい
・フェイブルマンズ 青春ジュブナイルものとして内容はごく普遍的だけど、おれの大好物。エンタメとしてもとても面白かったと思う。大好きな『桐島、〜』の神木隆之介にフォーカスを当てきったジェネリック版って感じ。趣味人間として刺さっただけに、他人との関わりとかもうちょっと考えてもいいかなって思った。
・シン・仮面ライダー 良くも悪く仮面ライダーに思い入れがないので普通に面白かった。「大人向けライダー」っぽいバイレンスも露悪趣味じゃなくてちゃんと後半にかけての変化のコントラストになってていいなって思った。バディものはいいね。
・エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 別の世界線の自分を呼び出すのはコミカルな描写としても良いし、アクションとしてもメリハリのあるマトリックスみたいで面白かった。観た後はそんくらいの感想。他人の感想の受け売りだけど、税務署のババアと分かり合うのは指がソーセージの荒唐無稽な世界くらいにあり得ない事だった、みたいな見方に気付いてからは、ああそういうことか、なんかイイねって思った。
・グリッドマン ユニバース 直前にダイナゼノンを詰め込みで予習したから、時間が育む思い入れは少なめだったかもしれない。シンエヴァがずっとチラつきつつ、虚構を肯定する作品って良いよなって思った。グリッドマンから続くフィクションの肯定、ダイナゼノンから続く過去を清算して未来を勝ち取るってテーマについて非常に力強く語りかけてくれた感じがした。
・インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 印象的なカットはあんまりなかった気がする。ここぞという所であのニヒルな笑みを浮かべてバシッとキメるカットを期待していたけれど、特にそういう箇所は無かったか。聖杯を諦めて今を選んだインディも今回は若人にブン殴られる番になったけど、でも冒険劇ってこういうのでいいんだよなみたいな所は抑えてた気がする。
・ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 続きもんとして割と良い区切りのつき方だったと思う。次も楽しみ。列車の上に乗っかってトンネル突っ込むアクションはやっぱ手に汗握ってイイ。FIAT500のとことか、ちょくちょくフフってなる所もあった。合理的、冷徹にと言いつつ最後はヌクモリティで助かるのがいいね。今回宙釣りあったっけ。
・バービー 映画を観ながらああだこうだと語ってしまいたくなるのはもう性なのかもしれないけれど、それでも教えたがりにはならんよう気を付けんとなって思った。バービーについてよく知らんけど、アランの立ち位置をもっと活かせたんとちゃうんかって思った。アウトサイダーを安易に聖人化するのもアレなのかもしれないけど。
パラレルとか時間移動とかごっちゃごちゃだし、予習不足で知らんキャラ出てくるし、後半は完全に雰囲気で観てた。異空間をただ走り回る時間が体感3割くらいあった気がする。でも怪異の点と点が繋がって秘密に迫り始めて、面白くなり始めた時のコワすぎみたいな感じが凝縮されてて良かった。
・君たちはどう生きるか メッセージ的なものを汲み取ろうとすると、抽象的でよく分からんかった。エヴァのせいで「虚構と現実の話」みたいな匂いが少しでもすると感度3000倍で反応してしまうから、おれはそういう方面の受け止め方になってしまった。単にエンタメのとしては、「下の世界」が千と千尋みたいというか、夢(寝てる時見る方のやつ)の世界みたいで面白かった。
・アリスとテレスのまぼろし工場 メタフィクションとして受け取るのが適切かどうかは分からないけど、その辺に大分自覚的な気がした。閉じ込められた世界、田舎の閉塞感、まぼろしの世界、そしてフィクションの世界。その辺の繋げ方が上手いなって思った。そこを出なければ無限大の可能性が広がる現実を手に入れられない。まぼろしの世界は痛みも感じないし匂いもしないけれど、それでもそこにある愛は本物。みたいな。フェティッシュな描写も邪魔にならない程度に印象的だった。セカイ系初対面アンニュイ女の笑顔良すぎ。
・ジョン・ウィック:コンセクエンス アクションに遊びが増えた気がする。コミカルな動きが割と印象にあった。上からの俯瞰の画角もMGSみたいで面白かった。どうせここでは死なないしな……みたいな緊張感のなさと引き換えに一騎当千の爽快感があって、マンネリ感はあまり感じなかった。グラサンの人も拳銃持った座頭市を放り込んだみたいでかっこよかった。刀と弓使ってたのは、一応防弾スーツ対策みたいな理由付けがあったのかな。新しい事をやるのに加えて話を畳むという事を考えたら分割するような内容でもなかった気がするし、あの長さで良かったんじゃないかと思う。
最近配膳ロボットをちょいちょい見るけど、ノロノロノロノロ進むわ狭い通路じゃ邪魔になるわで物珍しさもなくなった今や「コイツかよ……」としか思わない。
店員侍らせてチンタラやって来た時はもう電源切って隅に置いといた方が良くないかって思った。
よく知らんけどコンサルタントがDXとかAIとか言って適当吹き込んでんのかな。
駅前辺りの狭い店じゃそんな感じでカスだけど、国道沿いの広めの店ではノロマさに目を瞑ればまあ……って感じではあった。
単純な配膳の速さとオペレーション上の早さを天秤にかけて、トータルで早くなってるんだろうか。
にしてもやっぱり移動が遅いし、蕎麦屋のカブの天秤みたいなのつけてもっと速く動けないもんかね。それかもうセルフで取りに行かせて欲しい。
タブレット注文も増えてるけど、おれはあれが良い。
昔から水が卓上セルフだとグチグチ言ってた親父は否定的だけど。おれとは真逆の感覚だ。接客のヌクモリティとか特に求めてないから、裁量を常に自分の手元で完結させておきたい。
価格に含まれるサービス代分そっちが働けよみたいな考えの人間もいるらしい。
2ch脳というか何というか……
まあその辺それは理屈じゃなく感覚の問題だし、おれの好みに世の中が傾いていってラッキーだな。
あと老人はシンプルに操作方法が分からんっつって、口頭で頼んだ方が楽だからそうさせろってゴネるのも割といるらしい。松屋の券売機とかは確かにおれも分かり辛いと思った。
でも最近はタブレットでの注文をお願いしておりますの一点張りで断る事が多いらしい。
マニュアルテンプレ接客は日本人の柔軟性のなさや与えられた規範に従順すぎる態度というよりは、官僚制組織の問題だと思います。
【元増田】
ひっかかってくれて、視点を記してくれるのありがたいが過ぎる、最高だゾ!🦈
元コメ | 回答 |
・元増田は東京一人暮らしマンだというけど同棲もしないで結婚とは、しっかり生活営める予測がついてるのか? | ごめん。多少の身バレ対策で東京一人暮らしマンを称したけど2年同棲してからの今だ。情報の後出しはクソ、今度パフェ奢るからゆるして |
遺伝によりイラつくと台パンしださないか? | スプラトゥーンで台パン耐えられてるけど、こどもを持つことに対してはやや怖さがあるかも |
田舎(千葉でも)に家建てられる程度に稼ぎと通勤耐性があるのか? | 外資IT完全リモートワークだからクリアしてるけど、父親は家購入・通勤・学費支払を継続していたのは素直にすごいだぜ |
「大きな音と怒っている人間が苦手。」で披露宴をしてそもそも大丈夫なんか?母ちゃんや親戚が耳がとおかったら司会のマイクやら音楽もそこそこ大きめに入るやぞ、耳栓検討してもええんちゃうの | 式の爆音盲点だった、プランナーに相談しておくわ |
たばこ、酒は他の人にも禁深酒・禁煙でやるやろ?ウィズコロナで食べるとき以外はマスクもさせるんちゃうの。顔も見えない声も聞こえない煙もアルコール臭もさほどただよわせないただのおっさんがそんなに怖いか? | 職場のおっちゃんとは朗らかに話せるけど、父親とはどういう状態でもメンタルがぐにゃあってなっちゃうんだよな~ |
親父の家は持ち家なん?(遺産放棄する必要性の懸念) | 持ち家、相続放棄の情報は集めてる。ここ見とけとかあったら喜ぶ |
「父親にも、直接ではなくても結婚報告くらいしときな」に賛成。幸せな家庭を築くことが唯一「親父に元増田が人間として勝ててた」ってマウントとれる部分だし、はがきくらい出せば。ただし差出人の住所は不明でよさげ | 母親の提言よりヌクモリティがあってすっと受け取れた、咀嚼してみる |
結婚時に戸籍が別に建てれるんだし本籍地も適当に皇居(千代田区霞が関1-1-1)とか、いざというときに手続きの労をとりやすいとこに移動してええやで。 | 皇居は覚えやすいし真ん中で最強感があるよな、スカイツリーと皇居で悩んでる(墨田区役所の立地よ…) |
相談者ってだれ。元増田? | 誤ペーストだごめんの、サイレント修正させていただきました |
パフェはたべたきゃ嫁と食え | ありがとう、塩顔がうまそうにパフェ食ってたらぼくだから、街で見かけたら「おう、奢れ」って声かけてくれ |
「勝手に戸籍から抜けたらいちゃもんをつけてくるかもしれない」←これは完全にナンセンス。両性の合意で結婚したら勝手に抜ける。それが子供というもの。 | 端的で最高 |
なお戸籍からぬけても相続放棄したことにもならない(まあ借金ありそうだからした方がよさげだが) | 借金についてはご明察 |
「逆に、今学費分を返納したら父親になにをしてもいいのか?」←ダメだけど?まあ父親として子に学習させる義務(義務教育)は果たしたんやろ。そしたらもう他人(まあ知り合い)。他人に何してもいいという考え、おかしいし怖いよ。 | 増田のおかげで冷静になれた。そうだ「他人」でいいんだよな |
「「子どもとしての責任」ってなに?」←義務という意味ならとくにないよ。できれば孫の顔みせるとうれしいね、とかそんくらい | そかそか気が楽になった |
「報告したとして「相手の顔見せろ、結婚式に招待しろ」となったらそれにも従う必要があるのか?」 ないね。ただ「きてもええけどおまえお祝儀100万もってこれるんか?まわりみんなそれくらいもってくるで?」てフカシこいとくのはおもろいかもな。… | 大人のウィット感じたわ、いいな |
「母親が~最初からそう言ってくれれば受け入れられたが、まるでこちらが異常者みたいな流れで進めようとするやり方が気に入らない。」そのへんは全く判断できない。おまえがそう思うんならそうなんだろうよおまえんなかではな。… | ここは自分のなかで咀嚼してもう一回母親と話してみるよ、ありがとう |
「過去の清算なんて必要ないし、こんなことで清算できないと思う。当人が忘れたり、逃げたりすることで一種の解決としたい場合はそれを尊重しても良いのではないか。」ええやで~。両性の合意しかいらんよ! | やったぁ🥳 |
そんな長期間の別居って立派に離婚事由なんだよね。だから実質離婚した親としてあつかっていいとおもう。…新生活に専念しな。 | 増田の意見に心が助かった、スクショして額に飾っておく |
名画の凄さって何よ?って言うと、歴史的な位置づけがスゴイんだという人もいれば、理屈抜きの迫力があるという人もいるらしい。
おれが超うっすら聞き齧った方法論に、作者の意図に基づいて作品に設定された目的を想定して、その達成の度合いをなるべく客観的に吟味しつつ出来を評価するって考えもあるらしい。妥当といえば妥当な感じもするし、この理屈そのものの自明さを考えれば果たして客観的と言えるのかとも思う。
そもそも美術って明確な目的を持つ道具でしかないのかよ。そんな割り切っちゃっていいのかよおれたちはよ、みたいな素朴なアレも感じる。
この間どっかで贋作展みたいなのがあったらしいけど、純粋に絵としてのスゴさなるものがあるなら、精巧な偽物をまじまじと眺めた時の感動は本物から得られるそれと変わらないはずだよねって思う。
それはそれでスノビズムから距離を置いて感覚的なものと向き合っている感じがするし、どこか誠実にすら思う。ただその光景に一切マヌケさを感じないかと言えば嘘になるし、この違和感が名画の名画たる所以へのヒントの一つかもしれない。
金という物差しを持ち込むのも無粋だけれど、純粋にイラストそのもの、物質としての絵にだけ価値があるのならオリジナルもコピー品も同じ値段がついてないとおかしいしね。
ただこれは名だたる画家が直々に絵の具を乗せたキャンバスという物質込みでの話で。更に周縁を捨象して、純粋に視覚情報?にまで抽出した時、絵の価値を問うたらどうなってくるんだろう。
全然詳しくないけどNFTってこういう話をしてたりするんだろうか。
まあ素人がぱっと見でスゴイ作品だと思えるほどの何かを秘めているのなら、ゴッホだってもっと早く評価されてたでしょって思うよね。
素人が、とは言ったけど絵の専門家でもあんまり変わらないんじゃねって思う。
自分で絵を描いているから、沢山の絵を見てきたから正確な審美眼を持つ、というのは単に技術面における話に留まると思う。何を感じ取るかは鑑賞する主体の問題、客体との関係性が噛んでくるから、単に絵が持つ特性だけでは語りきれないものになるだろうし。この絵はこの辺がこうだという叙事的なディスクリプションまではある程度客観に立てても、名画かどうかまで踏み込めば一個人の感想になってしまう訳で。
絵の技法や歴史に詳しいから、真に感情を揺さぶる名画か否かのジャッジにも正当性があります。ってのは理屈としてあんまり成立してないよねって思う。これはおれが勝手に名画の要件を決めちゃってるけど、じゃあ誰が決めれば正当なんだよって話で。
ナイトホークスを見て「人をブチ殺して回りたいという作者の情熱を感じました」と思うのはズレてるかもしれんけど、孤独を感じるのと心安らぐ静けさを感じるのではどちらが正解とも言い切れんと思う。
素朴に良い作品だなと思えるか、そういう感覚的な部分以外で絵を語るのってなんか無粋な感じがしてあんま好きじゃない。言葉の先を期待してるからこそ言葉以外の媒体で表現しているのだろうし。
でもそうなってくると自動生成の絵も人が描いたものと全く対等で、やたら時間をかける分人間の方がカスですって話にもなるのかもしれないな。今まさになってるのかもしれんけど。
そう考えると、おれは人の手のヌクモリティがさァ!と言いたいかもしれない。歴史を踏まえた斬新さとかにはあんま興味ないけど。
カメラと写実主義とかで色々あった頃とかも新しい道を模索したんだろうし、今後も人が絵を描く事の意義というのは問われ続けていくんだろうか。
おれは別に絵を描かんけど、他人にどう言われようが本人にとって描く事に意味があると信じられるなら、それだけで価値がある事だと思う。その価値はその人だけのものだけど、人生なんて自分の信じる価値に従えるかどうかが全てだろうし。
他者に踏み込まない優しさと勇気を出して一歩踏み込む優しさというのは別種のもので、どちらも大切なもの。どちらが優れているというものでもない。
と思うのだけれど、ネットのありがちな非モテ叩きみたいなのを見ると、前者の類はただの自分本意な臆病さで、人との密接な関わり合いでは後者こそが大事なんだ。みたいな事が言われている。
こういう社不適評論をシェアして芯を捉えた「禁止カード」だー刺さったわーと卑下してキャッキャするのが流行りのようだが、私は的外れだなと思っている。
まあお説教された通りのような人もいるのだろうけど、そもそもの話として二者択一でないものをそうであるように語っている点が。
ストレートに言えば根本的に非社交的なタイプの人間は、他者への敬意として適度な距離感を重んじるが故にそうあるのではないかと思う。それを嫌われたくないだけの裏返しだ、と一義的に結論づけるのは単なる露悪的な邪推ではなかろうか。インターネットでクソリプを送り散らかすような類の非社交的な子供はこの話から捨て置く。
基本的なスタンスとして適度な距離感を持ち合わせた上、そこで初めて他者に踏み込む勇気があると思う。でなければ、それはともすれば自他の区別が未熟で無神経な人間になりかねない。
差し出がましい真似をして、遠回しにでも苦言を呈されたら「良かれと思ってこうしてあげたのに!」と逆ギレするタイプとはそういうことだ。
個人主義(これを利己主義と読み替える人にはこの文章の意図は一切伝わっていないと思います)が絶対の価値とは言わないけれど、少なくとも今の社会では一定程度支持され基盤となっている価値なので。
まあ一歩踏み込む事だって重要な事なので、どちらも大事な態度。なのだけど、世の中両方のバランス感覚を適度に養ってきた人ばかりでもない。
程度の差はあれ、ドライか無神経かのどちらかに偏りがち。その上でドライな方がマシじゃね、という私の素朴の感覚を個人主義なんか持ち出して理を持たせてみたという訳だ。
や、人は社会の中で生きるんだからサ、そのヌクモリティに囲まれるのがリアリティってもんでサ。慎重にばっかりなっても仕方ないし、もっと他人に踏み込んでいかないと。失敗しながら人間関係を覚えないとサ、みたいな事言う人もいるんだろうけど。
どちらが然るべき態度かと言い争えば水掛け論にしか
ならないし、みんな愛し合って生きようねという事です。まあ皆さんが信じる愛や誠実さの形が異なるので戦争が起きるんですけど。
公正世界仮説というか、手間暇をかければそれだけ良いものになる、的な発想ってたまにオカルトじみてないかって思う。
明確な指標があって、それに沿って労力をかければ良いモノに近づける事はできるだろうけど。
あんまり良い例えが浮かばんけど、漫画ならヘロヘロの線しか描けないようじゃお話にならんだろうし、しっかりした線を引けるようになる練習を積めば、それはまあ手間暇かけた分良い作品になるでしょうねって思う。
そうでないような事も少なくないような気がする。
料理なら、市販のルーをポンと入れるよりも、スパイスを沢山使って時間をかけて煮込めば煮込むほど美味しくなるはずだ、とか。
アルコールの熟成だって、時間をかければかけるほど希少さは発生するけど、果たしてそれが美味しさに繋がっているのかと言ったら疑問だし。
履き込んだグッドイヤーの靴の歩きやすさは別格だと言うけれど、それはウルトラブーストやNB1000番台に適うんか?とかも思う。あくまで革靴という土俵での評価であって、スニーカーと比べるのはナンセンスかもしれんけど。
こだわりを注ぎ込んで、その成果物を味わいながら過程の労に思いを馳せるのは趣味の要だと思うけれど、「いや本当に違うからコレ!」ってマジなトーンで言われるとホンマかいなって思う。自分の経験を以て考えた上でも。
機械でラクするより手作業の方が〜みたいな話は近代以降ずっとされてるだろうけど、大半の素人は機械で済ました作業の出来栄えを超えられないと思う。それは芸術分野とかでさえも。
一握りの熟達したプロは機械を超えるだろうけど、それはもう僅差というか、何なら最低限の技術的ラインを超えてあとはもう好みの違いという領域になる気もするし。
アルチザンのたっけえ服買って、オッ、やっぱり手縫いは違うな!と思っても、それは少なからず手間暇を掛けられた分だけ(それ故に高い分)良いモノなはずだという認知が働いてないかって思う。でも実生活で縫製の良し悪しについてそんな実感を伴って気に掛ける事ってあるか?って。
今や自動生成ツールが市井に出回るくらい身近になってきて、人の強みやアイデンティティ、人の手で物事を為す意義が色々と語られてると思う。そこで趣味性やヌクモリティで張り合うのは良いと思うけど、「いや人の手でしか出来ない事が〜」って実用的な面で真っ向から戦おうとするのは危うくないかなあって思う。まあそれもかっこいい生き方だけど。
そうひろゆきが発言して何年も経ったわけだが、昨今はインターネットのうそを楽しめない人が増えた気がする。
まるで白痴のように「嘘松」としかいわない奴らがその例だ。矛盾点や不明点を指摘することも出来ない、哀れなインターネットの不能者たち。
つまらない連中だと思う。嘘を面白いと感じる余裕がないのだろうか。
釣りを楽しむ余裕が昔のインターネットにはあったのだが、今は「嘘松」と冷笑することが正しいのか?
れいしょうwwwwワロタwwwwwww と茶化してたやつもいつの間にかいなくなった……
皮肉とかじゃなくて、真面目にすごいなぁって思う。
知性も思慮も遠慮もない性格が悪いだけのクズが心無い暴言を吐き捨てにくるようなところによく自分の体験談、とくにその体験から生まれた想いがこもったような文章を書こうと思えるよなって、その度胸に感心する。
ブログやTwitterなんかだったら自身に界隈内の知名度がなければクズが通り魔的に暴言を吐いてくる確率はグッと減るし、逆に知名度があるような人の場合は暴言に負けないくらい肯定的な意見も言ってもらえるだろうから良いと思う。
クズの多さなら5ch系も負けていないが、ヌクモリティを持っている人に遭える確率はまだ増田よりは高いように感じる。
だけど、増田は匿名性ゆえに日記を書いたら誰もが平等に暴言を吐かれるリスクを負うことになるし、好意的な反応や思いやりのある言葉をわざわざ返してくれる人も少ない。
俺は相手がしょうもないクズだと分かっていてもやっぱり自分の経験や気持ちを悪く言われたら嫌な気分になってしまうだろうから、とてもそういう文章を増田に投稿しようとは思えない。