はてなキーワード: Wikipediaとは
「私の言葉で読者の皆さまに伝えたく思い、こうして筆をとっ」たという文章。
https://note.digital.go.jp/n/nefb0c246a4db
まず目に入ってくるのが、彼自身がキーボード打ってますよの写真。
斜め前から、斜め後ろから、どってことない写真が2枚もあるのは、現国会議員で彼くらいの人間が自分でキーボードを打つということが珍しいことを意味している。。。。
2020年5月、国会審議中にワニが大蛇にかみつかれたりする動画をタブレットで見ていたくらいなんだから、それくらいアピールしてくれなくてもわかる。
よく見ると、背景には御影石らしき素材に「デジタル改革」と彫られた謎の板。
このあたりはさすがに地上波のデジタル化に反対していただけある。
今では国会審議中にタブレットでデジタル映像化されたワニに夢中らしい。
そして
「日本はこんなもんじゃない」ということをもう一度国民と共有したい
という最高のパンチライン。
「こんなもん」というのは、日本のデジタル、いや経済的な後退を意味しているのだろう。その自覚はあるらしい。「もう一度国民と共有したい」というのは、戦後復興や高度経済成長期のイメージなのか。
なかなかにすごい。
筆で!! よく見てみると「ハンコ」押してあるやん!!!
いや「デジ道」とは。トドメを刺された。
このテキストのオワコン感についてはもうネット上で大喜利状態なので、もうおいておく。
最も闇深いのは、これを止めるスタッフ、修正する官僚がまわりにいないということを示してしまっていることだ。
だけど、それを公開する前に、いくらなんでもチェックしたり、助言する人くらいいるだろう。
「干したる庁」と揶揄されるように、やはり「脅し」が怖いのだろうか。
https://www.asahi.com/articles/ASP6Q6JLVP6QULFA01M.html
Wikipediaによると、1993年11月丸亀平井美術館を設立・館長に就任している。
2019年1月くらいまでは、香ばしいホームページがあったようだが、現在は404 Not Found
https://web.archive.org/web/20190126104957/http://www.rnc.co.jp/moto
2018年10月には、第4次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策)、情報通信技術(IT)政策担当大臣に就任。その直後に消されていることがわかる。
本当にまずい。色々忘れちゃいけない。
デジタル庁、頑張ってくれ。
みんなもう忘れてるだろうけど、沖縄で辺野古基地反対でホワイトハウス向けに投票していたロブ・カジワラ ( ロバート・カジワラ )って人が
もう中国べったりになってる。
なんと言ったらいいのか。。。
https://archive.ph/kqxv9#selection-45.0-45.9
【中国侵略】今日の香港、明日の台湾、明後日の沖縄へ【ロバートカジワラ】
まあこの論をつきつめると蒼鷹と呼ばれた前漢の酷吏の寧成を思い出すな
さらにさかのぼると商鞅がいて、彼の思想が中国人の残虐さや独裁化しやすさにかなり貢献していると思っている
3000年も続いているのは恐ろしい話であり、中国が民主化などまず不可能なことがわかる
日本が中国と違うのは民間が自発的にそういう警察を買って出ているところだな
そこが日本の治安や民度を高いレベルで維持してる理由のひとつだと思う
寧成 - Wikipedia
寧 成(ねい せい、生没年不詳)は、前漢の武帝時代の酷吏と呼ばれた官吏の一人。南陽郡穣県(現在の河南省南陽市鄧州市)の人。 略歴[編集]. 寧成は景帝の時代に謁者として仕えていた。悪知恵に長けていて、残酷な性格の寧成は上役を押さえ込み、部下を巧みに操った。寧成は済南都尉に任命された。おりしもその済南郡にはのちに「蒼鷹」と恐れられることになる郅都が太守をしていた。 ... 当時は九卿は罪に落ちると自殺する者が多かったが、官僚としての出世を諦めた寧成は死刑囚用の首枷を外して ...
カウンターカルチャーというのは、wikipediaに対抗文化と書いてある。サブカルの一種であると。
私はカウンターカルチャーの神話という本を読み、カウンターカルチャーを知り、そして否定的である。
特に私が書きたいのは資本主義に取り込まれているカウンターカルチャーである。
私は新人発掘や、素人を応援する行為、またまだ人気の出ていない何かを応援する行為はカウンターカルチャーに近いと思っている。
メインカルチャーに対して、つまり今人気がある何かに対して満足できない物足りない、または自分が最初から関わりたいなどの気持ちがあるときに
カウンターカルチャーには実際のところ、メインカルチャーの腐敗に対抗するとして、正しさのようなものも含まれているが、今回はそれは省いて考える。
今回、なぜこのことを書こうかと思ったかというと、いつか言語化したいと思っていたが、いつまでもはっきりと思い浮かぶものがでなかったので
例えば、うっすらと感じているのは、なぜこんなものが人気になったんだ?と思うものは、
カウンターカルチャーの影響を受けている可能性があると思っている。
しかし注意しなければならないのは、なぜ人気なのかということに対しては、単純に理解する自分の知識不足である可能性や
ヒットする階層が異なる可能性、時期がよかったなど、人気が出たことを単純な理由では説明はできない。
カウンターカルチャーが一部分として占めているだけだけかもしれない。
それは一言で言ってしまえば、対抗先がいなくなると消滅してしまう文化で主体性が無く、継続性もないからである。
文化の発展性から言えば、サブカルチャーがメインカルチャーになるような可能性をつぶしていると私は思っている。
ドイツの哲学でアウフヘーベンという言葉があるが、否定することで発展するというケースが存在するか私は疑問に思っている。
仮にあったとしたらカウンターカルチャーはメインカルチャーが発展するための踏み台である。
残酷ではないだろうか?
私たちはカウンターカルチャーを応援してメインカルチャーへ攻撃する(と人は思っている)
しかし実際のところはカウンターカルチャーがメインカルチャーになりうるとはだれも思っていない。
むしろなったら不幸である。時限爆弾が起動(発火)するのだから。
言いたいことがまとまってきた。
つまりカウンターカルチャーで人を応援するのやめようぜ人類ってことだ。
しかし、こうも言えるかもしれない素人のただの思い付きがメインカルチャーに匹敵するレベルに成長するというのは
本人やその集団にとっては幸せだが、巨視的に考えると私は不満だ。
私がさらに不満なのはサブカルチャーをメインカルチャーの踏み台、または不幸な結末を迎えるために用意することだ。(自覚的なのか無自覚なのか分からないが)
ほとんどの人は自分が応援しているコンテンツがメインカルチャーに匹敵するほど人気が出るなんてことは思わない。
その人たちは問題ない。
例えば、自分の文化に刺激が足りないから、対抗文化を盛り上げようとか!
不幸になることが仕組まれている。
なぜなら私もそうだが、カウンターカルチャーが大好きだからだ。
なろう小説がもっと人気をでて日本の小説文化に影響を及ぼすことを考えると愉悦を感じないだろうか?
アニメ映画だらけになっていることに何とも言えない気持ちにならないだろうか?
俺の暮らしている家には洗濯機がないので、浴槽を選択用の桶に転用して、休日になるとぬるま湯を張って布類と洗剤をぶっこんでいる。当然、脱水も手作業だ。何が言いたいかというと、洗濯そのものは俺にとって苦行でしかなく、バスタオルやシーツ類を手絞りでギリギリやりながら風呂場で荒い息を吐いていると、俺は何をやってるんだろう、という気になる。指の皮とかがよく剥ける。
…
一方で、干し終わったあとの洗濯物を眺めること、これは好き。大好きと言っていい。
理由はまったくわからないんだけども、竿に吊るされたシーツとかハンガーに下がった大小の衣類が風に揺られているのを見ていると、ものすごく満ち足りた気持ちになる。洗濯物のそれぞれによっても風を受けたときの反応が違っていて、ハンカチだとか靴下なんかはささいなそよ風でも大きくひるがえるし、バスタオルなんかはかなりどっしりしていて、ちょっとやそっとの風では動かなかったりする(何しろ手で絞っているので水が抜けきっていないだけの可能性もあるが)。
…
洗濯物が干されている光景というものの何がそんなにいいのか、あらためて考えてみると、例えば自然界にf分の1ゆらぎという概念があって、あるいはそれに近いんじゃねえか、と思ったりする。
wikipediaでの説明は正直ちんぷんかんぷんだが(https://ja.wikipedia.org/wiki/1/f%E3%82%86%E3%82%89%E3%81%8E)、一般的には「規則性と不規則性とが適度に混成された現象」と説明されることが多い。視覚における例ではろうそくのゆらめき、聴覚ではさざなみ等が例に挙がる。
言ったもん勝ちじゃねえの? という気もするが、実際、俺は火を見ているのも(焚き火のASMRとかあるのだ)波音を聴いているのも好きなので、洗濯物もあるいはそういう類かもしれないと思う。
風という、本来は不可視のものが、それを受ける対象によって見えるようになっている、とかそういうことだ。まあそれらしい説明はなんとでもつく。
…
ただ、もう一つの理由としてさらに漠然と感じるものがあって、俺は洗濯物ってなんだか人に似ているな、と思うんだよな。
風にいくつもの洗濯物が揺れているのをぼんやり見ていると、頭に浮かぶ表現が、「幸せそう」というものだ。洗濯物を見ていると幸せそうだと思ってしまう。
何かの小説や歌詞でそういう言い回しに触れたのかもしれないが、ググってみても見つからなかった。
洗濯物の大きさによって風にあおられたときの反応は違うが、強く吹かれた際は、みんな同じでばたばたはためく。それは家族って感じの一つの集合に見えなくもないし、はしゃいで遊んでるみたいだな、とも思う。
俺は脱水作業のあとで疲労しているところで、もしかすると、これを1万倍ぐらい強めると、子供のいる親が車で行楽地にお子さん連れていって、到着した先で娘や息子が駆け回ってるの見るときとか、しんどさも誇らしさも近いのかもしれねえな、と考えるが、子育てをナメるなよ、と言われたらぐうの音も出ないので、まあ洗濯物ってなんか家族っぽいよな、ってぐらいに留めておく。これなら主観なので言い訳も立つ。
…
ちなみに、はじめてお子さんが生まれてから最初の乳児衣類の洗濯を、「世界一幸せな洗濯」と呼ぶそうだ。「洗濯物 幸せそう」で検索したらこればかり出てきた。俺には嫁も子供もいないし、干してあるのはおっさんの肌着であって、浴槽に漬けると台風の後の川みたいな泥水が出てくる。
全体的にJRの言い分を批判してるのは分かるけど、いきなり茶農家の言い分はデタラメとかあって意味わからんのだが、普通に茶農家は大井川の水を利用してるぞ
因みに名産品のお茶の品質にも影響が~って話もあるがそれは尻馬の出鱈目です。お茶は丘陵地帯で水が引けず耕作ができない処で発展したのが特徴ですので。
茶産地支える水利事業 一滴の重み、等しく共有【大井川とリニア 序章 命の水譲れない㊤】|あなたの静岡新聞
https://www.at-s.com/news/article/special/linear/805099.html
大井川の水は232カ所に上る水利用の貯留池「ファームポンド」や茶畑に配備された給水栓を通じ病害虫防除、凍霜害予防、かん水など茶栽培に不可欠な作業を支える。
【さらに詳しく】もう一つの用水―国営牧之原農業水利事業:関東農政局
https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/oigawa/keii/02_1.html
水の不足は茶葉の生育を悪化させ、収穫を減少させるばかりか、翌年から翌々年まで品質に影響します。また、茶栽培では年に10回を超える病虫害の防除が行われますが、これにも多くの水が必要となります。さらには、施肥(しひ)のための水、霜害・塩害防止に使う水など、栽培技術が進歩すればするほど、茶栽培における水の重要性は高まっていきました。しかし、台地の上には水源となる川がありません。「牧之原に水を」を合言葉に、茶農家の気持ちは、眼下でとうとうと流れる大井川の水へと向いていきます。
40年前に始まった「水返せ運動」は大井川の流量低下による環境悪影響によって茶の品質低下が起きて茶農家が怒りに怒ったから県知事も一緒になって動いて一定の成果となった(あくまで「一定の」で水量が元に戻ったわけじゃない。そんな中でリニアで水量が減るかもとJR東海が言ってきたから余計に怒っている)
昔の大井川は発電用や工業用ダムが取水が際限なく行われ70年代には水涸れが起き「河原砂漠」と呼ばれ川底の砂が舞って健康被害起きたり気温上昇したりした。茶に関しては川霧の消滅によって品質低下が起きる悪影響があった。だから全国に波及するほどの大きな水返せ運動が起きた。
そのことがあり今回も大井川流域市町がJR東海のリニア工事を大きく問題視している(「市町」が問題視してるんだぞ。バカみたいに「県知事は中国の手先だから~」みたいな陰謀デマをほんこんとかが広めてるけど県はあくまで市町の意見をまとめ述べてる立場な)
TwitterとかでJR東海に批判的な投稿を見てても丹那トンネルの水涸れの話ばかり例示されて大井川の水返せ運動の歴史的経緯についてほとんど触れられてないのが残念
Wikipediaにも 「業界内でも明確な基準は確立されていない。」 「ライトノベルには、はっきりとした必要条件や十分条件がない。」 ってかいてあるやん。
なんで増田の定義が採用されると思ったの? 何十年も議論して結論出てないのに。レーベル説ももちろんとっくの昔に剪定された説だよ?
ここで「男性の場合は~」とか「女性の場合は~」とかって書いている人は、100%嘘つきか妄想癖や虚言癖があるかこたつ記事ライターかWikipediaソースマンかですね。
(作成中)
最初に述べておくと、ファスト映画が法的にどうか、という話は門外なのでするつもりは無い。また、創作物に対して真摯な視聴者や読者がしばしば語る「創作物は制作者の意図に従って、制作された形のままで楽しむべきだ」というような精神論についてもここでは触れない。この記事ではあくまでもファスト映画の実体と実利、そしてその意味するところのみを考える。
ファスト映画とは(YouTubeなどにアップロードされる映画のダイジェスト版のような動画)
ファスト映画についてまず第一に受け入れなければならないのは、情報伝達が非常に早く冗長性が無いということだ。この点は、娯楽作品の溢れたこの時代に決して無視できない「価値」であることをまず意識しなければならない。現代人は娯楽にスピード感を求める、ということはしばしば言及される話だが、これもそのひとつと言えよう。ファスト映画がオリジナルとしての映画を改変したものである、という話は本質を不明瞭にする。これを避けるために次の例を考えてみよう。私は「Wikipediaで色んな事件について調べると読み物として面白い」と言っている人を見かけたことがある。たしかトムラウシ山遭難事故の話だったと思う。Wikipediaの記事では事件の経過や結末が端的に語られているわけだが、これは事実のみを書き綴った冗長性が全く無いストーリーだ。ではここでトムラウシ山遭難事故を映画化した作品があったとしよう。Wikipediaの記事と映画のどちらが面白いく、創作・娯楽として優れているだろうか。映画の方が面白いと断言はできないのではないだろうか。そしてこの構造は先にあったもの、オリジナルが逆転しているというだけで、実態としては映画とそのダイジェストの関係と変わりない。
創作の視点からファスト映画を見た時に重要なことの第一はこれである。創作物というのは作品としての体裁を整えるために多くの要素を付け加えられる。だが実際には登場人物のセリフなどなくてもストーリーは成り立つし、あるシーンが無くても全体の流れに影響は無い、ということは決して少なくない。つまり、創作物というのはそもそも余分が多過ぎるのではないかという問いかけに結びつくのだ。そこに私が感じるのは新しい創作の可能性、ダイジェストのように簡略化された創作物のイメージである。
第二に考えたいのは、ファスト映画をきっかけに本編を見るという視聴者の存在である。私はファスト映画を見たことはないが、小説のあらすじを読んでから購入を決めることならある。例えば私はミステリ小説の叙述トリックというものが好きになれない。そのため読む前に除外しておきたいと思っている。()。その意味ではファスト映画が提供している価値は映画の面白さを盗用したものというよりも、むしろスコッピング(未読・未視聴の創作物の中で面白そうなものをピックアップすること)の助け。いっそのこと製作者が自ら「ファスト版」を発信して宣伝としてもいい。()知っているストーリーであれば面白くないのか、という問いかけも浮上する。
Googleだと
The Julia Programming Language
このページを訳す
Julia is designed for parallelism, and provides built-in primitives for parallel computing at every level: instruction level parallelism, multi-threading, GPU computing, and distributed computing. The Celeste.jl project achieved 1.5 PetaFLOP/s on the ...
Julia Discourse · Julia project · The Julia REPL · Embedding Julia
だけど
[cmore.jp ドメインを検索する] https://www.cmore.jp/julia/
JULIA のプロフィールを紹介します。. MUSIC VIDEO. 桑田佳祐 / Yin Yang (イヤン) にてPV出演しています。. MUSIC VIDEO. 卍LINE / SEX & HIGH にてPV出演しています。. Official Goods. JULIA公式グッズを「Loveliest」にて販売しています。.
[ja.wikipedia.org ドメインを検索する] https://ja.wikipedia.org/wiki/JULIA_(AV女優)
JULIAの凄テクを我慢できれば生 中出しSEX! WANZ-744 WANZ FACTORY 5月19日 東京の下町エリアで人気のおっパブ店にJULIAが潜入して1日店長&キャストとしてドッキリおっぱいご奉仕 PPPD-661 OPPAI 6月1日 デカ尻マニアックス ...
や・・・
突然ですが皆さん、
「海水を全部飲み干してみたい」
と思ったことはありませんか?
僕はありませんが、昨日ふとこんなことを思いついてしまいました。
海の水を全部飲み干すにはどれだけの時間がかかるのだろうか・・・
なんでこんなことを思いついてしまったのか、自分の思考回路がよくわかりませんが、とにかく思いついてしまったからには求めてみるしかないので(使命感)
ちょっとわくわくする。
飲める水の量は?
1年に必要な水分量は?
結果
f:id:Emma3:20190223021510j:plain
まずWikipediaで調べたところ、海水の総量は約13億4993万立方キロメートルらしいです。
これをリットル変換すると、1.35×10^21リットルとなります。
ちなみに順番的には、兆→京→垓の順。
なんかやばい気がしてきた。
飲める水の量は?
海水は塩分を含んでいるので、そのままじゃ飲めたもんじゃないです。
海水に含まれる塩分濃度は場所によって違うみたいですが、平均的には3.5%程度だと言われています。
先ほどの数字から塩分を抜いた、飲める水の量を計算していきます。
1.35×10^21×96.5/100=1.30275×10^21リットルが飲用可能な水ですね。
体温は36.5度にしておきました。
パッ!2,131.8mlと出ましたね。
1年に必要な水分量は?
先ほど1日に必要な水分量は2131.8ml=2.1318Lと出ました。
一年は365日なので、ここから1年に必要な水分量を計算すると、
2.1318×365=778.107Lですね。
ここまでくればもうあと少しだ!
よって海の水を飲み干すのに必要な年数は
1.35×10^21÷778.107≒1.735×10^18年
・・・?
1.735×10^18年
100京年かな。
いや、分かってたよ。海水をリットル換算したところからもうヤバいなって思ってた。
人類の平均体重を出すのはさすがに無理(めんどい)なので、70億人全てが先ほどの20歳の日本人男性だとしましょう。
すると全人類が1年に必要とする水分量は778.107L×7.0×10^9=5.446749×10^12L
1.35×10^21÷5.446749×10^12≒2.48×10^8年
2.48×10^8年
2.48憶年ですかね。
結果
海は広い
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83898
実際に読書家に見せかけようとするために(テレビで対談するために)
文学を頭に詰め込もうとした話を思い出した。
あれってどうやっていたんだっけ。
Doubly Linked List - Wikipedia
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Doubly_linked_list
出典 wikipedia
リーグ3位
[7]○[9]○[13]○[16]○ 1位
[7]○[9]○[13]○[16]● 2位
[7]○[9]○[13]●[14]○[16]○ 1位
[7]○[9]○[13]●[14]○[16]● 2位
[7]○[9]○[13]●[14]●[15]○ 3位
[7]○[9]○[13]●[14]●[15]● 4位
[7]○[9]●[11]○[12]○[14]○[16]○ 1位
[7]○[9]●[11]○[12]○[14]○[16]● 2位
[7]○[9]●[11]○[12]○[14]●[15]○ 3位
[7]○[9]●[11]○[12]○[14]●[15]● 4位
[7]○[9]●[11]● 5位
[7]● 6位
[7]8/1 12時 [9]8/2 12時 [11]8/3 19時
[12]8/4 12時 [13]8/4 19時 [14]8/5 19時
[15]8/7 12時 [16]8/7 19時