2021-06-21

ファスト映画創作視点から考える

作成中)

 最初に述べておくと、ファスト映画が法的にどうか、という話は門外なのでするつもりは無い。また、創作物に対して真摯視聴者や読者がしばしば語る「創作物制作者の意図に従って、制作された形のままで楽しむべきだ」というような精神論についてもここでは触れない。この記事ではあくまでもファスト映画実体と実利、そしてその意味するところのみを考える。

 ファスト映画とは(YouTubeなどにアップロードされる映画ダイジェスト版のような動画

 ファスト映画についてまず第一に受け入れなければならないのは、情報伝達が非常に早く冗長性が無いということだ。この点は、娯楽作品の溢れたこ時代に決して無視できない「価値であることをまず意識しなければならない。現代人は娯楽にスピード感を求める、ということはしばしば言及される話だが、これもそのひとつと言えよう。ファスト映画オリジナルとしての映画を改変したものである、という話は本質不明瞭にする。これを避けるために次の例を考えてみよう。私は「Wikipediaで色んな事件について調べると読み物として面白い」と言っている人を見かけたことがある。たしかトムラウシ山遭難事故の話だったと思う。Wikipedia記事では事件の経過や結末が端的に語られているわけだが、これは事実のみを書き綴った冗長性が全く無いストーリーだ。ではここでトムラウシ山遭難事故映画化した作品があったとしよう。Wikipedia記事映画のどちらが面白いく、創作・娯楽として優れているだろうか。映画の方が面白いと断言はできないのではないだろうか。そしてこの構造は先にあったものオリジナルが逆転しているというだけで、実態としては映画とそのダイジェスト関係と変わりない。

 創作視点からファスト映画を見た時に重要なことの第一はこれである創作物というのは作品としての体裁を整えるために多くの要素を付け加えられる。だが実際には登場人物セリフなどなくてもストーリーは成り立つし、あるシーンが無くても全体の流れに影響は無い、ということは決して少なくない。つまり創作物というのはそもそも余分が多過ぎるのではないかという問いかけに結びつくのだ。そこに私が感じるのは新しい創作可能性、ダイジェストのように簡略化された創作物イメージである

 第二に考えたいのは、ファスト映画きっかけに本編を見るという視聴者存在である。私はファスト映画を見たことはないが、小説のあらすじを読んでから購入を決めることならある。例えば私はミステリ小説叙述トリックというものが好きになれない。そのため読む前に除外しておきたいと思っている。()。その意味ではファスト映画提供している価値映画面白さを盗用したものというよりも、むしろスコッピング(未読・未視聴の創作物の中で面白そうなものピックアップすること)の助け。いっそのこと製作者が自ら「ファスト版」を発信して宣伝としてもいい。()知っているストーリーであれば面白くないのか、という問いかけも浮上する。

 さて、ここまでの語り口でおそらく察せられたことと思うが、これを書いている私()

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