はてなキーワード: 自尊心とは
自己保身が得意。
いつでも常に被害者意識で、己の事を省みない。
これらを全く自分に当てはまらないと考え、あまつさえ別人の事だと思い込み、喜んでブーメラン発言をする。
その割に自信が無く……というより、そういう自信や自己愛に自尊心が欠如しているからこそ、その欠如を埋めるために自分をアピールする。
誰とは言わんけど、どう考えても自己愛性人格障害の特徴を満たしてますなぁ……
どれだけ相手が自分のように見えたとしても、どんな原作者でも、人の権利を盗ったら泥棒なのにね。
まあ、まともな人格してたら上の文章を読んで「自分の事かな……」と思うんだろうけど。多分この行を読んでも基本そう思わないんだろうな。
何故生きなければならないのか考えような。
60、70、80となり、徐々に体が動かなくなり、病気にかかり、ケガをして体が不自由になり、思考力が衰えてまで生きる意味とはなんなのか考えような。
「Xをしたい」→「生きる必要がある」という形を意識しような。
「生きたい」→「生きる必要がある」というのは、もう... なんだか義務教育を受けたのか心配になるよ...。
例えば、「金が欲しい」→「金儲けをする必要がある」みたいな、軸が空っぽな考えを語ってるような印象になるからな。というのも、「金が欲しい」ならば、金を使う目的があるはずなんだ。単純に金額を増やしたいならば、「(金額を増やして)自尊心を満たしたい」みたいな感じになると思うんだ。
そして、「Xをしたい」ならば、残りの残された時間を計算して、挑めるか挑めないか考えような。
無理ならば、ある程度あきらめておこうな。
そして、その無理に親兄弟息子娘を巻き込まないようにしような。
20数年生きてきて、人生で何度か異性に対して恋愛感情らしきものを抱いてきたが、高校生になって周りの恋愛話を聞いている内に、好きな人と恋人関係になると必然的に性的関係を結ばなければならないという事実に気付いてしまった
もちろん自分は両親のセックスでこの世に生を受けたわけだから人様の性行為自体を否定する気は更々無い 「セックス=悪」でもない
ただ、誰か異性を好きになっても「もしこの人と付き合えたとしてもいつかはセックスしなくちゃいけないのか…」と思うとどうしても無理になる
一度だけ、好きになった大学のサークルの先輩に告白したらOKをもらいお付き合いをしたが、途中で「いつかこの人とセックスしなきゃならない」と考えたら嫌になってしまい結局半年経たずに別れた
BL好きだし推しカプの18禁は嬉々として読み漁るけど、これが自分の身に降りかかるとなるとどうしてか途端に恐ろしくなる
男性恐怖症というわけではない 異性の友人にも恵まれていてよくサシで飲みに行く
しかしただ数年前、ある男友達の家で宅飲みをし、二人きりになった瞬間にベッドに押し倒されて無理矢理キスをされた
相手は結構酒を飲んでいた 必死にもがいて抜け出して家を飛び出し、帰りの駅のトイレで吐いてしまった
向こうは私のことを女友達ではなくたた突っ込めるマ○コが付いた生き物としか見てなかったのだと思うと悲しかった
いくら心を許した相手だろうが、他人に自分の身体をまさぐられるなんて考えたくもない
あとオナニーする気も寸分も湧かない 男性は生理現象だから分かるが、女性のオナニーに全く必要性を感じない
こんなことを言うと大抵「モテない喪女が必死に理由付けして言い訳してるだけ」「処女だからセックスが怖いだけ」みたいなことを言われる
そうかもしれない でも私の中には「セックスが怖い」という感情が確固たるものとして存在している
どうしてもわからない
今は同じ価値観の友達がいるお陰で(同じような理由で彼女も未体験)どうにか自尊心を保っていられるが、いつか彼女にパートナーができた時に「裏切り者」と勝手に憎んでしまうかもしれない自分が怖い
恋愛はしたいし彼氏は欲しいけどセックスだけはどうしてもしたくない
「アセクシャル」(無性愛者)という性的嗜好があるらしいが、恐らく恋愛感情(と呼んでいいのかもわからない)ならある
こういうのってカウンセリングとか受けるべきなんだろうか?
コロナで中止やら延期になる色々なイベントへの反応をインターネットで見ていて思った
怒りであったり許しであったり、そういうものを向けられる対象が自分にないなと
アニメや漫画は見るけどそんな、人生観が変わるほどの感銘は受けてないし
どうしてみんなそこまでアイドルやバンドや、ソシャゲやその他もろもろの趣味にお金を落とせるんだろうって思う
僻みではなくただただ羨ましいと思う
ただ、そのアイドルが見ているのは富と名声であって、呼びかけている相手は「ファン」っていう巨大な括りの「なにか」だ
ただ、野暮なのはわかってるし一応オタクの側にいるつもりだからこんなこと言いたくないけど結局のところあれは「絵」だ
自分の車を持って好きにカスタムしてドライブするのはかっこいいなと思う
ただ、自分はそこまで財をつぎ込もうとは思えない
みんながみんな好きなものがあるから、自分も好きなものがある振りをしているけど、実のところみんなほど好きではない
この比較がよくないのかも知れないけど、それにしたって働いて給料を得た先になにかモチベーションになるものがない
魅力的な人間になりたいなと思う
それは自尊心のためだ
魅力的な人間ってなんだ
「自分の好きなものに一生懸命打ち込んでる人は素敵だ、魅力的だ」ってインターネットで誰かが言っていた
というかそもそも、一生懸命打ち込める好きなものなんて、探すまでもなく見つかってるはずだと思う
何を好きと思おうが、インターネットを見ていると上には上がいて、勝手にマウントをとられた気になって諦めてしまう
インターネットをやめればいいと思うが、インターネットの空気と文化はそれなりに好きだし居心地のよさはある
結局今日もこれといった結論らしいものもなく、「きっと同じようなことを思ってる人が世の中の3割くらいを占めているはずだ」という
結論から述べると、マッチングアプリでは彼女を作ることはできなかった。
けれども、2年間の経験から何も学ばなかったわけではない。そのことを再確認し、次のステップに進むために本記事を書く。自分を振り返り、失敗した点を反省しながら、絶望したり自棄を起こしたりしないように、時折この記事を振り返ることとしたい。
また、これからマッチングアプリを使う人にとって、参考になることがあればうれしい。確かに、女性と交際にまでは至らなかったが、全然マッチングしなくて困っている人には、役に立つかもしれない。
pairsとwithを使用。それぞれの仕組みは基本的に同じ。検索条件で異性を絞り込み、気になる相手に「いいね!」を押す。互いに「いいね!」を押すとチャットができるようになる。どちらも、毎日ランダムに無料で「いいね!」を押せる相手が出てくる。
プランはどちらもプレミアム的なものを選択。これだと通常1か月に付与される「いいね!」が30回から50回に増える。
この二つのアプリの仕様はよく似ている。どちらもコミュニティに入ることで共通の趣味や興味関心で検索ができる。ただし、withのほうがおおよそ2週間に1度DaiGoによる心理テストがある。そして、このテストにより相性がいいとされた異性は「いいね!」を1日に10人までなら無料で押すことができる。適度に「いいね!」を押す相手が入れ替わるし、無料で選べる相手が増えるのはありがたいが、心理テストのたびにDaiGoのドヤ顔を毎回見ることになる。
pairsを半年、しばらく休んでwithを1年半使ってみた。結果、どちらが特に使いやすいということはなかった。しかし、どちらも毎日ログインすることにより無料で「いいね!」に交換できるポイントがたまっていく。普通に使っていれば毎日ログインボーナスがもらえるのでありがたいのだが、まるでアプリにこちらの行動を支配というか指示されている気がするのはいただけない。ソシャゲの類をやらないので、そうしたことが煩わしく思えてしまう。
使い勝手そのものはいいのだが、こうやって様々な条件の女性が並んでいるのは、カタログみたいで興ざめというか殺伐とした気持ちになる。それに、相手の女性が何人から「いいね!」されているかも表示されるので、野菜か何かの品評会みたいだ。18歳のビキニの女性に3000近くもの「いいね!」がついているのを見るとやりきれない思いがする。谷間を見せたりしているだけでも露骨に「いいね!」がついているのも、あまり気持ちのいいものではない。自分もおっぱい大好きだけどさ。
逆に、「いいね!」をたくさんもらっている男性のプロフィールも参考にすることができるのだけれど、僕の苦手なさわやかな人間の写真が出てきたので、即閉じた。
プロフィールはできるだけ詳細に書いた。それから、友人と楽しそうにしているところをサブ写真に選んだ。コミュニティはできるだけたくさん入った。自分は読書が好きなのだが、読書のコミュニティだけではなく、作家ごとのコミュニティにも入った。こうすることで、共通の話題の多い女性を探しやすくなった。
こちらから「いいね!」を押すのは、大体20から40くらいの「いいね!」が押されている相手を中心にした。何百もの相手から「いいね!」をされている相手からすれば、当然埋もれてしまうからだ。弾の無駄打ちはしたくなかった。確かにお金を払えば「いいね!」する回数を増やせるが、すでにプレミアムプランを使っていたので、その必要はないだろうと判断した。それに後述するが、自分は同時進行が苦手だ。
相手の女性は、自分と同じ内向的な読書家で、美術館が好きそうな人を中心に「いいね!」していったが、もしかしたら意外と相性がいいかもしれないと思い、例えば国内旅行や登山が好きな人も選んでみた。ガチ勢ではないが、友人と富士山に登ったことはあるので、新しい趣味として開拓してもいいかもしれない、と考えたのだ。結局そういう相手とは会話が続かなかったけれど。
結婚歴は未婚を選んだ。もしかしたら、離婚歴のある人のほうが優しくしてくれるかな、とも思ったのだけれど、今回はやめておいた。やっぱり過去の人と比べられてしまうのが怖い。御覧の通り、僕は器が小さい。学歴は初めのうちは気にしていなかったが、結果として高卒よりは、大卒・専門学校卒のほうが共通の話題も多く、話は長く続いた。
メッセージを同時進行するのは気が引けたが、相手もそうしているだろうし、そこは割り切ることにした。ただ、自分の頭の処理能力を考えて、3人までの同時進行とした。どのみち、同時進行でデートに誘うことができたケースは1回だけだった。自分はそこまでモテるわけではないので、そうした心配はしなくてもよかった。
会話をして1~2週間してから実際にデートに誘った。そこで音信不通になるケースもあるので、実際にデートができたのは1か月に1度か2度だ。
もともと、デートした各相手について項目を立てて論じようかと思って手帳を取り出していたのだが、馬鹿らしくなってやめた。10人以上の相手それぞれについて思い出すのも大変だし、振られた相手なのだから面白くない。それに、細かく書いていくとねちねちした恨み日記になってしまう恐れがあるので、細部は省く。
結果だけ言うと、様々なタイプの女性と会った。たいていは常識的だったが、中には残念ながら失礼な相手もいた。
ひどいケースだと、こちらを一目見るなりムスッと黙り込んで、理由もわからないまま不機嫌な相手と水族館を回る羽目になったこともあった。2回目のデートで「ごめんなさい、やっぱりあなたとは恋愛できそうにないです」と告げられたこともある。誠実な人柄を感じたので諦めもついたのだが、その直後に「あなたの顔って、面白いですね」などと言われたのには傷ついた。男性が女性に対して敬意を欠いた失礼な態度を取るのが許されないのと同様に、女性も男性の自尊心を大事にしてほしい。
まだマシなケースでは、会話が弾まなかったり、恋愛対象にはならない相手だって互いに気づいてしまったりした。でも、これはどっちも悪くない。需要と供給が一致しなかったのだ。
でも、マッチングアプリを使っているうちに、1回で終わるデートが2回目に続くことがぽつぽつと出始めた。
そこで、ある女性と3回目にデートした時に告白した。3週間連続でデートできたので、これは間違いなく行けるだろう、と思ったのだ。けれども、彼女は驚いた様子で返事を保留した。僕は待つことにした。そして、7回目のデートの後、8回目のデートのリスケジュールの途中で、彼女は音信不通になった。
さようならを言う機会さえ与えられなかったのか、と思うと吐きそうだ。悔しい。小説も漫画も音楽も趣味がぴったり合って、普段ならできないディープな話を何時間してもお互いに飽きなかったのに。
そういうこともあり、一緒に見に行った岩井俊二や三谷幸喜の映画まで嫌いになったし、彼女が好きだと言っていた東京事変の印象も悪くなってしまった。すすめてくれた「子供はわかってあげない」や「北北西に曇と往け」も背表紙が見えないように逆にして本棚に置いている。ついでに、「パラサイト」を見に行こうという話になっていたのだが中止になったので、ポン・ジュノ監督の映画はしばらく見たくないし、ついでに是枝裕和監督のことも褒めていたので、当分この監督の作品を見ることもないだろう。なんというか、自分の好きだったものまで嫌いになってしまいそうでみじめだ。しばらくすれば、またまっさらな気持ちで好きなものを好きだと思えるようになるはずなのだけれど。しばらくは映画を見たいとは思えそうにない。
きちんと「一緒に過ごして楽しかったけれど、あなたとは交際できません。ごめんなさい」の一言があれば、ずっと救われていたのに。その程度の言葉をかけるのも面倒くさかったのか。そこまで軽んじられているのかと思うと情けなくて泣きそうになる。そういえば、本名を教えてくれた時も、男性でいえば鈴木一郎みたいな感じだった。そもそも偽名だったのかもしれない。そういえば遅刻魔だったのも、僕のことなどどうでもいいと思っていたのだろうか。それとも、本当に事故にあったのであろうか。心配でならない。
こういう時に限って、過去の恋愛のみじめな失敗を思い出す。例えば、大学時代に片思いをしていた女性から童貞を馬鹿にされたこととか、前の職場の同僚の女性から面と向かって恋愛感情を見せたわけでもないのにいきなり迷惑だといわれたことだとか、告白したけれどもやっぱり保留にされて、1年以上たってから振られたこととか、とにかくみじめな失敗ばかり浮かんできて仕方がなかった。
そして、残念ながら2年間で1度も手をつなぐことができなかった。
現在、音信不通、という最悪の結果を受け入れてから2週間ほどだ。正確にはラインの返事が来なくなってから4週間、こちらからの催促のメッセージが未読のまま3週間が過ぎた。土日はジョギングをするほかは、家に引きこもって寝ているばかりだ。コロナウイルスのせいで、美術館に気晴らしに行くこともできない。仕事にも集中できない。失恋した直後は同僚のなんということのない口調に激昂しそうになった。その時は1度席を離れて6秒数える、アンガーマネジメントを試みた。しかし、腹の虫がおさまらなかったので、100まで数えることを3度やった。さすがにこれは効果があった。とはいえ、そのあと結局体調を崩して職場を2日間休んだ。
今日も最低限のパフォーマンスは確保しているが、突然襲ってくる虚無感は抑えがたい。手が止まってしまう。それでも、原因がわかっている落ち込みだから、対処の仕様はある。
いやっほーい、自由だ! これから風俗で未経験のプレイをたっぷり楽しんじゃうぞ! うひひ! みたいな気分になることもないではないが、それはちょっと躁状態のときの考えだ。本当は、自分は好きな人と手をつないでデートしたり添い寝したりしたいのだ。まるで人生の実績解除みたいに、複数プレイに興じたり、白人美少女と寝たり、メイドさんにお尻ぺんぺんしてもらったりしても、そこまでの喜びはないのだと思う。
自分は恋愛対象としては魅力的ではないのかもしれない。そのことを身をもって体感させられた。しかし、それで絶望するつもりはない。結婚相手としてなら考えてくれる人もいるかもしれないからだ。
もともと自分は結婚願望が強く、子供も欲しい。マッチングアプリからの疲れから十分に回復したら、そういう条件で折り合ってくれる人を探してみたく思う。マッチングアプリは単純に素敵な彼氏彼女を見つける場所で、僕に対する需要が少なかった可能性がある。
それに、結婚相談所にはアドバイザーがいる。なんであれ、苦手だったり詳しくなかったりする分野の出来事に立ち向かうには、専門家に相談するのがいいはずだ。病気になったら医者にかかる。進路相談には学校や塾の先生に相談する。悩んだらカウンセラーに相談する。それと同じことだ。
確かに自分の生涯にはロマンチックな出来事は少ないかもしれない。自分は高校・大学時代の甘酸っぱい恋愛にあこがれたが、失敗してきた。こういう絵にかいたような青春が欲しくて、人生をやり直したくなり、胸が苦しくなることもあるが、自分は10代、20代にそうした恋愛に挑戦し、敗れてきた。そのことは悔しいし、無力感に押しつぶされそうになることもある。恋愛を扱ったテレビを見るのも苦痛だ。元カレ・元カノという言葉を聞くだけで、複数の相手と付き合ったことがあるのだという事実を見せつけられている気がして悔しい。だが、それでもチャレンジしたことは恥じてはいない。行動せずに文句だけこぼしていたよりは、ずっとましな人生を送ってきたはずだ。
長々と読んでくれてありがとう。
つらい失恋の渦中にある人が慰められるといいと考えて執筆した。
そしてこれを読んで一歩踏み出す勇気が出る人がいたら、もっとうれしい。
これは失敗の記録だ。だが無意味ではない。
泣いたっていい。気が済んだらもう一度アタックする。
女性から断られる勇気がまた出てきたら、それは3か月後か半年後かわからないが、またチャレンジしたい。
たくさんのコメント、本当にありがとうございます。励みになりました。
ここまでコメントをともらったのが初めてで、すべてにレスポンスはできないのですが、こちらも勇気が出ました。
一言だけ。手を繋げなかったのは、相手がずっとポケットに手を突っ込んでいたからです。
そこそこの偏差値を保ってそこそこ名の通った学校に入れたことぐらいしか取り柄がなく、
それを自尊心の糧とするために周りにも「大学受験は純粋な努力の結果、個人の能力値の現れ、人格や知性の反映」と強調して憚らない奴が、
00年代ネットオタ文化の延長線上にはてな村があるためか、はてブには多数存在し、
彼らは如何にもぼんくらな若者風の書き込みを見つけてはこうやって講釈を垂れる。
親戚の集まりで鬱陶しいおじさんっていたろ?
「〇〇んとこは※※大学に入ったのか。でかしたでかした…」
「〜〜は@@社に入るのか。ようやく社会の一員だな。社会でやっていくには忍耐も必要なんだぞ。だから…」
「それに比べて⭐︎⭐︎はなんだ、もっと努力しなきゃいけないじゃないか…」
自分は田舎の片隅で慎ましく暮らしてる平々凡々なおっさんの癖に高僧か何かになったかのような振舞いをする酷い酔いどれが宴会にいたよな。
話してることもやっぱり平々凡々なおっさんがさ。
そんで煽てた方にも蔑んだ方も「てめえにそんなわかりきった話ぐだぐだねちねちされても飯が不味くなるだけなんだわ」とうざがられてよ。
あのおじさんって忙しい仕事の合間を縫ってたまに顔出す従兄弟と自分とで、話聞く周りの態度が違うの気がついてたのかな。やっぱ馬鹿だから物珍しさで食いついてるぐらいにしか思ってなかったのかな。
経済的な事情もあり、1.2年次は母親に援助してもらいつつ、残りは総て払いながら行きました
この五年、何とかやり遂げて安心したけど、現役生が働きながら夜学に通うこと、これは安易にはおすすめできない。
まず単純に体力がもたない。俺の場合、現場仕事をやりながらの生活だったから、朝5~6時に起床し、現場から学校へ直行するので、終わるまでほぼ休息がとれない。帰宅するのは23時頃で、加えて一人暮らしだから速攻寝るわけにもいかない。ブラック自慢の好きな人は大したことないとか言いそうだけど、たいていの人はこの生活に意味を見いだせずに辞めていってしまう。
各大学の夜間部は、この所 どんどん閉鎖されて、受験生や向学心のある社会人の選択肢からだいぶ外れていってるだろうけど、もしも夜学を視野に入れてる人が居るならば、本当によく考えてもらいたい。人は、出来ること、出来ないことがそれぞれある事を認めなければならない。奨学金を貰わずに学費を払い、且つ生計をたてるには、(貯金無しの状態なら特に)おおよそ手取り30はないと厳しい。それを高校卒業したての若者が稼ぐには、肉体労働或いは深夜の高時給のバイトなどしか選択肢が無く、故に体力の消耗も激しい。実際、五年間耐えた自分も、この最後の半期は精神をおかしくして一時仕事が出来なくなったし、三年次は毎晩朝までトラックの運転手をしていて、何が本分かを見失い常に心は壊れかけてひとりで泣くこともよくあった。
卒業が決まって本当に嬉しい。俺にとって大学は、物事を深く、様々な側面から考える機会を与えてくれた存在で、その価値は自己満足ながら卒業まで耐えてよかったと疑いなく言える。人は、一度決意した物事も、たいてい継続の最中に「そうでもなかった」とか「本当にやりたいことじゃなかった」などと考えるものだ。それは実際、事実 間違っていない事の方が多い。しかし一度決めたことをやり通した経験の無い者は、何よりも、自分を信じることが出来ない。自尊心の欠如は、人間本来のその他の欲求を欠くことにつながる重要な事柄だ。この事に気づくのに、俺は四年半も掛かった。だから途中で投げ出してしまった人を安易に批判は出来ない。やり遂げなければそれに気づけないから。
それだけ、働きながら学ぶことは、大いにリスクのあることだ。
もしもこうした選択肢を考えている人が居れば、本当に よく考えて、選択してもらいたい。
ともかく、卒業できてよかった。
子供の頃の自分は自尊心なんてものがなかった。運動も勉強もできずゲームも下手でコミュニケーション能力もなかったからだ。高校くらいまではそんな感じだった。
でも大学に入って自分の嗜好と大学の専門が一致したことで、生まれて初めて勉強が楽しく感じる体験をし、中の上くらいの成績になった。そこから就職し、その専門分野に関しては人より得意でいられた。
そういう時期を何年も過ごしたことで、自分の自尊心は肥大化してしまった。人と比べて落ち込む時間が増えた。それが良い面に働くこともあったが、正直とにかく苦しい。