何故生きなければならないのか考えような。
60、70、80となり、徐々に体が動かなくなり、病気にかかり、ケガをして体が不自由になり、思考力が衰えてまで生きる意味とはなんなのか考えような。
「Xをしたい」→「生きる必要がある」という形を意識しような。
「生きたい」→「生きる必要がある」というのは、もう... なんだか義務教育を受けたのか心配になるよ...。
例えば、「金が欲しい」→「金儲けをする必要がある」みたいな、軸が空っぽな考えを語ってるような印象になるからな。というのも、「金が欲しい」ならば、金を使う目的があるはずなんだ。単純に金額を増やしたいならば、「(金額を増やして)自尊心を満たしたい」みたいな感じになると思うんだ。
そして、「Xをしたい」ならば、残りの残された時間を計算して、挑めるか挑めないか考えような。
無理ならば、ある程度あきらめておこうな。
そして、その無理に親兄弟息子娘を巻き込まないようにしような。
社会観念上、生存は義務
マクロな考え、社会全体、経済的にはそれが正しいよね。経済を豊かにするのは人なんだから人数で押すのは正攻法だと思うよ。 ただ、経済的に豊かであれば、幸せであるとは言えない...
あべ「なにゆえもがきいきるのか
ほろびこそ わがよろこび
なにもしたくない→死んでもよくね? になるからその辺は個人的には考えたくないなぁ。病んでいくだけだもの
でもキモくて金のないおっさんが何もしたくないと言っていると社会に不要な怠け者は死んでもよくない?と思ってしまうんですよねわかります
あなたには何にもしたくないという欲求とか軸があるじゃない! 何にもしないためには、何をするか... って矛盾が生じてるけど、働かない(働けない時の)ために働くみたいな根本的な...