はてなキーワード: 液晶とは
3年以上前に中古で買ったThinkPad X240というノートPCをいまだに使っている。2013年に出た機種らしい。古い。
Wifiの速度は遅い。タッチパッドはクリックするたびにバコバコ音がしてうるさい。液晶画面は視野角が狭くて、見づらい。
とくに使いやすいPCではないけれど、なんとなく使い続けてしまう。これより新しくて液晶も見やすいPCが同じ部屋にあるのに、なぜかこの古い方を使い続けている。愛着があるのかどうか、自分でもわからない。たぶんそんなにない気もする。それでも使い続けている理由はなにか、考えてみたら、このPCのキーボードでぺしぺしと音を立ててこんなふうに文章を書くのが好きなんだと思う。
ボロボロになってもう起動しなくなるまで使い続けるような気がする。
答え:冷水を浴びましょう
こんばんは。今日も今日とて社会の歯車、己を信じて北の大地を開拓している24歳悲しき労働者です。
開拓民なので、給湯器が壊れると電話一本ですっ飛んで来てくれたガス屋さんに「あーこれもうメーカーさんが部品作ってないやつなんで修理できないっすね」と無情にも言い渡されます。
開拓民なので、物価高にも上がらぬ給料にも長すぎる残業にも過剰すぎる労働にも深すぎる孤独にも耐えて耐えて耐え忍び家賃も水光熱費もきちんと納めていたというのに、ある日突然以後4日間の冷水生活を強制されたりします。
あのね、寒いのよ。
そしてね、ここ北の大地なのよ。
今月になってからの最高気温だいたい20℃の天然クーラー北の大地よ。クーラーの設定温度より低いから、まじで。
クーラーでキンキンに冷えた部屋で水、浴びたいか?浴びたくないよな?わたしはもう二度と浴びたくないですが、今夜も冷水シャワーです……。そしてなんと、明日もです……。
全然払うよ。お金なら。働いてっから。あるから、お金。頼むから、いやまじで頼みます本当に。
最高気温40℃の文字通り殺人的な暑さの中帰宅してエアコンなんて高価な白物家電家にないから水張ったタライに足突っ込んでスイカ齧って涼んでる昭和の苦学生とかじゃないのよ。社会人なのよこっちは、それなりに、とりあえず、ちゃんと。
それともアレかなー、なんか、お湯使うたびに水になったりいきなし高温になったりしてたけどまあ気のせいかなオンオフのボタン押したり消したりすれば直るしなー、そういえば液晶パネルに四桁の数字が表示されて光ってたけど時間を知らせてるんだと思って放置してたのがいけなかったのかなー、それにしても毎回同じ時間表示するなあとは思ってたけど築約20年の木造アパート建設当時から設置されてるやつだしまあ内部の時計が狂ってんだろうなーくらいにしか考えてなかったのがいけなかったのかなー。
ガス屋さん「それです」
ガス屋さん「近場の銭湯教えましょうか?」
ガス屋さん、優しい!
でも開拓民は悲しき労働者なので、銭湯の営業時間内に帰宅することなどハナから許されておらず、というか日付を跨いで仕事をせねばならなかったので、あの、これから水を浴びてきます…………。
私:30歳女性。男性向けエロ漫画家兼イラストレーターをしている
商業エロ漫画を描いてると、男性のアレを指す際のセリフは"おち〇ぽ"表記でと出版社側から指導される事があるのだけれど、
私にとってこの単語は人生で一度も使用した事が無く、縁遠いどこかファンタジーに等しい単語である。
が、しかし
エロ漫画のヒロイン達は、まるで常用単語のようにスラスラと平気で連呼しまくる。
明らかに清楚の塊な君たちが一体人生のどこでこの単語を学び、知り、覚え、瞬間的に口に出せるようになったのだろうか?Why?
そもそも"おち〇ぽ"という単語は一体どういった起源の元生まれ、どういう存在としてエロ漫画界の重鎮として存在してきたんだろうか、
私は自分の作品内に登場する単語に対し無知なままでも良いのだろうか、いいや、良くない。
私は身近な単語、ち〇ち〇から一体どのようにしてこの単語に進化し派生したのか調べることにした。
まず身近な一般男性に
「"おち〇ぽ"って生まれてこのかた耳にしたことないんだけど、どういう人がどういうタイミングで使用するのだろうか?」
と尋ねてみた。
相手はかなり面食らった様子だったが、難しい顔をした後
『"おち〇ぽ"は、幼児語である"ち〇ち〇"が成長したものであり、成人語である。』
『例えば幼児は車を指し"ぶーぶー"と言う。』
『"ぶーぶー"の成人語は"車"であり、心身の成長に伴い次第に後者の名称へと移行する。』
と答えた。
なるほど、理にかなっている気がする。
名詞の変容についての分かりやすい例えとして幼児語を例に挙げたが、
おおかた思春期の中学生前後でこの単語は変化するといったニュアンスを私は感じ取った。
小学生までは「オレのち〇ち〇がさー!」
と語っていたところ、
大学生頃になると「俺のおち〇ぽがさぁ!」
なるほど、そうだったのか。
点と点が繋がらなかった状態が線で繋がった感覚だ、青天の霹靂である。
一般男性に感謝を述べ、続いて英知の塊インターネッツにてググることにした。
"ち〇ち〇 おち〇ぽ" 検索
>>おち〇ぽの場合、"お"をつけることで愛おしいものとしてのニュアンスがあり、ち〇ぽで主に成人の勃起した男性器・下品なものとしての意味合いを表す。
…???
どういう事だろうか。頭が混乱する。
"お"は愛しい物につけるもの、"ち〇ぽ"は下品なものとしての意味合い…?
一般男性の回答とはまるでかけ離れた一文に、思考を放棄しそうになる。
よくわからない。
そもそも"ち〇ぽ"って何だ…?
調べてみる。
>>"ち〇ぽ"は関東地方での"ち〇ち〇"に対する呼び名である。
「"おち〇ぽ"とは、主に関東地方で使用される陰茎に対する呼び名"ち〇ぽ"を、1段階エロティックにするべく"お"を付けた呼称であり、主に成人男性に使用される。」
↓
「"おち〇ぽ"は関東地方と言う人口密集地でのメジャーな呼び方であることから、商業誌でも広く用いられる。」
もう何も分からん。
他にも
"ち〇この呼び方が「ち〇こ」や「ち〇ぽ」の女性は落ち着いた大人の女性。" だとか
"ち〇この呼び方が「ち〇ち〇」の場合、優しく明るい女性。" だとか書いてある。
また5chでは"おち〇ぽ"呼びが興奮するだとか萎えるだとか議論が繰り広げられている。
もしかしたら陰茎を持たざるたった1人の人間が解を得ようなんておこがましい議題だったのかもしれない。
とある観光地でやってる、ライゾマが手掛けたという特別展を見に行った
まあ内容が半分わけわからんのはコチラの理解力が低いって事でいいんだが
作品名が書いてないわけよ
説明文も見当たらん
で、どこにあるかっていえば、足元に置いてあるタテ10㎝×横15㎝くらいの
日本語が出て~英語が出て~日本語が出て~英語が出て~と表示されてる
数画面にもわたる説明を読むために、腰をかがめて、画面が頭に戻るまで待って……
腰をかがめて足元見たままで待ってなきゃいけない
なんだこりゃ・・・
大抵は目線程度の高さの台の上に置いてある。足元なんて混んだら見えないw)
(体感だと5分くらいな気がする)
数画面にもわたって書いてあるから、表示中に理解しようと思っても
説明文読み切らないといけないし、じゃあ次の画面を読んだところで
前ページの内容を理解しきってないのだから半分以上意味が分からない。
図録を買えって事?
ライゾマ大好きでいろんなイベント行っていたけど、自分の勝手な思い込みで凄いと思ってただけだと気づいた
ほんと最悪の展示に金払っちまった
「日本の」メーカーが続々と事業縮小しているのは値上げの前から
っていう話だけどさ、これは日本のメーカーの製品やサービスに競争力がなかったわけじゃなくて、中国は補助金つけたり(アメリカからはダンピングだと言われた)
してこの産業を自国で獲るという明確な政策を置いて産業経済戦に勝利したわけだよ。日本はいろんな税金を払いながら国内基準で普通にビジネスをしていたのでどこも勝てるわけなかった。ドイツもそう。アメリカもそう。産業経済戦に負ける原因のは産業政策を語れる学官が貧弱なこともあるが(いいかげんなコンサルの狩場)、液晶もそうだけど、太陽光はシャープ、三洋、京セラ、カネカ等関西メーカー主軸だったし、15年位前は「雨が降ると発電できないものなんてつかいものになるかよ、やっぱ原子力だよ」みたいな風潮があった。学会もこれに加担したところもあると思う。蓄電池もそうだけど、「世界の製造コストはこれくらいが標準」と補助金てんこ盛りで大産業になった中国生産基準の価格で「この値段でつくれないなら産業競争力ないんだから撤退か高付加価値化を考えろ」という話をしていた。とうてい国内工場で国内の倉庫や国内の雇用を維持できない価格基準なのでそりゃみな撤退していくよ。最近になってようやく、国の基幹サーバがAWSでいいのか?とか蓄電池産業も全部中国でいいのか?という議論が出てきたけれども。
識者の人に教えてほしい、ずっと疑問なことがある。
数十年前、日本はアメリカのいくつかの「自動車」「テレビ」生産業のシェアを奪った。
そのため貿易摩擦が起きた。
しかしアメリカは「OS」「インターネット」という新しいITという産業へのシフトに成功。
それは今も続いている。
そして今EVシフトで「自動車」も奪われるのではないかと戦々恐々としている。
ではこの米国と発展してきた国に挟まれた米国以外の先進国の「成功」とは具体的にどういった形なのだろうか?
GAFAMからシェアを奪っうのは先行者有利なインターネットにおいてかなり難しそうに感じる。
次世代のGAFAMが日本から生まれて欲しいが、あまりにも荒唐無稽に感じる。世界はずっと超大国に牽引されてきた。
だいぶ雲行きは怪しくなってきたものの、テスラに負けず自動車シェアを守る、EVシフトに成功するというビジョンは見えなくもない。
だが自動運転時代、車もまた「OS」と「スマホ」の関係と同じになり、後者の利益率が限りなく下がりそうな予感もある。
次によく例に上がるのが韓国。
資料を軽く見てみると韓国は4大財閥、サムスン(半導体・家電)、LG(家電)、現代(自動車)で50%を占める。
ここから「半導体、液晶、家電、などを高付加価値化で取り戻す」というビジョンはあまり鋭いようには感じられない。
また取り戻したとて、次は中国が立ちふさがる気がしてならない。
ヨーロッパの各国がどういった産業で成り立っているのかに関しては、全く知識がない。
日本で流通していると実感するヨーロッパ産品はドイツくらいだろうか?
と考えていくと「日本もうダメだ」という時に、じゃあ「ダメじゃない日本」の姿とはどんなものを想定しているのだろうか?
目標がないと目指すことも難しい。
なんとなく国内の好例としてイメージできるのはSONYだろうか。
テレビ等の家電が苦戦し一時の落ち込みから再起、画像センサーなど強みも出しつつ、ゲーム機など新規事業で成功し、アニメ、映画等のエンタメ産業のシェアも取れてる。
数日前、ドラッグストアでコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24歳労働者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220528225125
勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネットの大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき、匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。
サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません。
いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。
「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」
さすがデュオ!
俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!
そこにシビれる!憧れるゥ!
女を好きな女の話をしましょう。
えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。
わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達。
仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。
LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会。
わたしは男の子も女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアルの女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。
なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。
自分のことを定義付けできたのは大学生になってから。女の子への初恋は中学生のとき。憧れの先輩がいた。
週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群な先輩は地区でいちばん頭のいい高校に合格した。卒業式の日、制服のボタンを貰った。翌年同じ高校に入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。
ただ当時のわたしはアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラスの男子と定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンのアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。
ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。
実際サーティーワンの男の子からはサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。
「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは
「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。
アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元の図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。
それは少女小説「マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。
マリア様がみてる、通称マリみてとの出会いはわたしの恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたしの精神世界はさながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたしの世界を一夜のうちに変えてしまった。
お、女の子のこと、好きになってええんか……。
先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉でもやもやっとさせなくてもええんか……。
近付きたいと思ってええんか……。
まじか…………。いや、まじか…………。
もう、絶句であった。
クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。
まじか。うわー。まじかー。
マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。
まじかー。
この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたしの高校生活が終わった。
マリみてどころの騒ぎじゃなかった。
盆と正月とクリスマスと創造神と破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命の誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。
まじ、衝撃であった。
セクシュアリティ、多様な性、LGBT、性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたしは過去18年間何ひとつ知らなかった。
ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。
と思わないでもなかった。
でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたしの選択肢ではないのか?
どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。
ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。
女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。
クィアの講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティは個人的なもので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたしは結構この言葉が気に入りだった。
個人的なもの。わたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいもの。わたしのものだから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものがわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。
その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。
いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。
2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。
舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからずわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。
わたしにとってわたしのセクシュアリティがわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティも彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。
で、わたしは別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言をしたことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのは「あなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。
ていうか別に、宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、
言う人もいる、言わない人もいる。
わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族や職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの。個人的なもので流動的なものだから。
だからこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたしの個人的なものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報や知識にアクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないかは心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。
スゴイいいこと思い付いたんだけど
キーボード光ったら便利じゃない?
よく暗がりの中でノートパソコンを使うんだけど、
意外と真っ暗だと手もとが、ぜんぜん見えなくてキーボードが打ちにくかったりする。
なのでUSBにさして光る簡易的な明かりを使ってるんだけど、
ふと、これキーボード自体が光れば、この明かりいらなくない?って。
真っ暗闇でも分かるし便利だと思うんだけど。
でもなかなかキー一つ一つに電球を付けるのは大変かコストアップも無視できないし難しいかな?
多少高くなってもキーボードが光るようになれば、
便利だと思うだけど。逆にダサいかな?
でも意外と液晶画面が明るいかと思ったら手もとを照らせれられるほどではないんだよね。
そんなノートパソコンあったら実際欲しい。
ミラーレス一眼はストロボをつけることが出来るってのはあるが、スマホの方だとリングライトなどで補強するはずだ。
ミラーレス一眼の悪い所は発熱がこもる。スマホは薄いし、なんならファンをつければいい。
そもそもスマホしか持ってない世代が登場したら、光学的なボケかどうかなんてどうでもいいはずだ。
スマホの画面でいるか?というと微妙だが、スマホしか持ってない人が8K80インチの画面で将来見るってなら必要かもしれない。
1インチセンサーはスマホにも搭載されるようになった。(センサー全面ではなくて中心部しかつかってないけど)
フルサイズ以上はどうだろう。
スマホに搭載されるだろうか?
一旦価格を忘れて、フルサイズセンサーを3枚スマホに搭載したとしよう。
中版の6x4版とかはどうか。
これだけ大きくなると絞って被写体と背景ボケが分離出来るのが強みで、
というより、単に開放でボカすならフルサイズでいい。
何かの拍子で数が売れるようになれば価格は下がるが、半導体は面積で価格が決まるというのがあり、大きくなるのはコスト面で不利だ。
あとは買って稼げるかどうかだ。
写真の綺麗さによって商品の売上が変わるってのがあり、一眼レフはそれに支えられた。
稼げるから買うのであり、Web関係の人は仕方ないから買って覚えたって人もそれなりにいるはずだ。