はてなキーワード: 桂正和とは
もともとエロ枠なんて常設じゃないし長期連載も少ないだろ。
2000年以降だと「いちご100%」「To LOVEる」「ゆらぎ荘」がガチエロ枠で
・エロ枠なんて常設じゃない
・長期連載も少ない
上の増田は2000年以降としているが、自分は90年代に主に読んでいたので90年代から見ていきたい。
なお、長期連載の基準は人それぞれだが、ここではひとまず「3年程度」を目安にしている。
<90年代>
『電影少女』桂正和 1989.51〜1992.31 【長期連載作品】
『D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』桂正和 1993.36/37〜1994.29
『地獄先生ぬ〜べ〜』 岡野剛(漫画)真倉翔(原作) 1993.38〜1999.24 【長期連載作品】
『SHADOW LADY』桂正和 1995.31〜1996.02
『I"s』 桂正和 1997.19〜2000.24 【長期連載作品】
90年代の連載作品から「エロかったよな、これ」という作品を抜き出して見たところ、
「エロ枠」があるというよりは桂正和がエロ成分を一手に引き受けていたことが一目瞭然となった。
一方で、アニメで見ていた人は「ぬ〜べ〜」にエロのイメージがあまりないかもしれないが、
連載当時は狂ってるなと思うレベルでエロかった記憶がある。ぶっちゃけ抜いた。
<00年代>
『りりむキッス』 河下水希 2000.48〜2001.21/22
『いちご100%』 河下水希 2002.12〜2005.35 【長期連載作品】
『プリティフェイス』 叶恭弘 2002.24〜2003.28
『To LOVEる -とらぶる-』 矢吹健太朗(漫画)長谷見沙貴(脚本) 2006.21/22〜2009.40 【長期連載作品】
00年代は桂正和から河下水希にバトンタッチする形で「エロ枠」が引き継がれ、
叶恭弘、矢吹健太朗も参戦するに至って2006〜08年ごろは最多3作品のエロ系作品が同時に掲載された。
<10年代>
『ニセコイ』 古味直志 - 2011.48〜2016.36/37 【長期連載作品】
『パジャマな彼女。』 濱田浩輔 - 2012.13〜2012.40
『恋染紅葉』 ミウラタダヒロ(漫画)坂本次郎(原作) 2012.23〜2012.51
『食戟のソーマ』 佐伯俊(作画)附田祐斗(原作)森崎友紀(協力) 2012.52〜2019.29 【長期連載作品】
『i・ショウジョ』 高山としのり 2014.12〜2014.32
『卓上のアゲハ』 古屋樹 2014.51〜2015.22/23
『レディ・ジャスティス』 荻野ケン 2015.25〜2015.41
『ゆらぎ荘の幽奈さん』 ミウラタダヒロ 2016.1〜2020.27 【長期連載作品】
『ラブラッシュ!』 山本亮平 2016.38〜2016.50
『ぼくたちは勉強ができない』 筒井大志 2017.10〜2021.03/04 【長期連載作品】
『神緒ゆいは髪を結い』 椎橋寛 2019.15〜2019.52
プレイヤーが限られていた90年代や00年代に比べて、圧倒的に作品数が増えた印象。
打ち切り作品も多いが、長期連載作品も90年代、00年代に比べて少ないわけではない。
意外にも、つい最近の10年代こそエロ枠黄金期だったのかもしれない。
実際10年代前半は「ラブコメ戦国時代」なるキャッチコピーで語られていたようだ。
・エロ枠なんて常設じゃない
→90年代から約30年にわたってこれだけの作品が列挙できるということは、個人的には「常設だった」と感じる。
・長期連載も少ない
→ジャンプという媒体の性質上、圧倒的に多い「バトル漫画」に比べたらあらゆるジャンルの長期連載作品は少ない。
しかし、他の代表的なジャンルである「スポーツ漫画」や「ギャグ漫画」と比べて長期連載作品が少ないか?というと、そうでもないと思う。
→空白期間という空白期間は、90年代の『電影少女』から『D・N・A² 』までの約1年間と、00年代の『プリティフェイス』から『To LOVEる -とらぶる-』までの約3年間。
そこを除けば、ほぼほぼ「エロ系」の作品が常にジャンプ本誌に掲載されていたと考えると、やはり「エロ枠はあった」と言えるのではないだろうか。
最後に、上記リストについては「この作品が抜けてる」とか「この作品はエロ系とは言えない」などのツッコミがあると思うが、その辺はある程度主観なのでお許しを。
EX-ARM絵からして桂正和のアシっぽいし中身も新味なくてクソ古いなこれ、と原作から思ってたけど、やっぱアニメもぞんざいな扱いなんだなこれ。すでにネタ扱いだし。
で、見てみた。
こんなもんOK出すとか現場はよっぽど時間もらえなかったんだろう。
今どきBlenderのレンダリングとアニメーションでもこれはないぞ。
とげったーツッコミポイントの鍋や3Dとセルを混ぜるのもすげぇし、背景が恐ろしく手抜きだし、構図は悪いし紙芝居だし、もう声優ラジオとして聞いたほうがマシなんじゃあるまいか。
ここまで糞だと天晴なのでトライナイツ超えは堅く、これはもう確かに注目の新作だと思う。
集英社が注目しない作品に対して酷な扱いをするのがよく分かる。
3Dスタッフが拙い、実写出身の監督のコンテがひどい、演出がひどい。
これは原作からそうなんだけど、素子みたいなコスとかバトーみたいな男とか古臭いテーマとかどう考えてもアニメ化のメリットがないんだよねえ。
ここまでパーフェクトにひどいとむしろ笑いが消えるんだな。
https://anond.hatelabo.jp/oytc/20200108の補足その4
電ファミが褒めたたえているように、確かに鳥嶋和彦のジャンプとVジャンプでのゲーム記事とタイアップ戦略は大きな実績を上げている。
しかし、そもそもなぜ漫画雑誌の編集者にそれが可能だったかについての考察が甘い。
ゲーム好きだったから、ジャンプの部数が上り調子の時期だったから(この点は鳥嶋は認めないだろうが)だけでは説明がつかない。
当時の鳥嶋さんの担当は鳥山明先生と桂正和先生で、おふたりともスケジュールがきっちりしたマンガ家さんだったんです。もちろん、鳥嶋さんがそのように指導したのでしょうが。だから、鳥嶋さんはもともとゲーム好きだったうえに、少し余力があったんだと思います。普通なら、マンガ家さんの仕事場で泊まり込みで原稿を待って、出来上がったものを大急ぎてネームの写植を頼んで印刷に入れて、というスケジュールだから余力はないはずなんです。
そういうページを企画することに対しては、編集長は何も言いませんよ。マンガのほうをしっかりやっているのなら、あとは何をやってもいいという感じでした。
(https://mediag.bunka.go.jp/article/article-14970/)
しかし、鳥山と桂がスケジュールを守っていたのは、先ほども述べた過酷エピソードの上に成り立っている。
鳥山桂の犠牲あってこその鳥嶋の時間的余裕でありゲーム記事だったのである。
ちなみに、電ファミはゲームメディアなら絶対に質問するであろう、Vジャンプ創刊時の目玉企画「空想科学世界ガリバーボーイ」と、かなり大々的に取り上げていた広井王子について、今までまったく触れておらず、鳥嶋も今のところ一言も言及がない。
これはどういうことなのか気になるところだ。
触れられたくない失敗企画とでも考えているのだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/oytc/20200108の補足その1
この座談会でも語られているが、鳥嶋はとにかく作家の休載に厳しい。
確かに慢性的に休載されると読者としても雑誌が「欠陥商品」に感じられることがある。
しかし、では休載させないために何をしているのかというと、作家へのケアとフォローではなく圧迫だったりする。
鳥山明と桂正和が鳥嶋担当時代を振り返ったインタビューや対談を読むと、このようなエピソードがある。
以後、これほどのことは無かったが似たような状態は何度も経験している。
インタビューで「振り返り「倒れればよかった……(笑)」とまで語っている(『ランドマーク』)。
休みを申し出ると鳥嶋は「ふざけんな。連載漫画家が休むというのは筆を折るというのいっしょなんだからな。お前辞めんのか。辞めたくねぇだろ。点滴でも打ってこい!」と激怒してそのまま仕事をさせ、千葉から東京まで打ち合わせに来させていた。
点滴を打って上京する桂に対しては「大丈夫だ、気合だ気合い!」と対応。
連載表彰式も休ませずに出席させ、そのとき桂は顔色が悪すぎて「蝋人形みたいだぞ」と周囲から指摘される。
千葉に帰った桂は医師からの電話で病院に行き即入院、肺炎と診断される。
入院して2日後、病院に来た鳥嶋に「お前さぁ、自己管理がなってない」と怒られる。
(サンドウィッチマンの週刊ラジオジャンプでの桂正和の発言より)
この件など、人道的な問題もさることながら、初期に体力を回復させておくのに比べ、結果として休載が長くなり、ダメージが大きくなったしまっているのだから、打算的にいっても大ミスである
この辺り、鳥嶋の「そもそも編集の仕事がなにかといえば、カッコいい言い方をすると「愛するが故に厳しく」なんですよ」という発言が言葉だけということがわかる。
あと、論理的なイメージがあるが、純粋に根性論の人であることがわかる。
このようなエピソードからわかるように、鳥嶋のメソッドが成果を上げたのは、鳥山桂が筆の速さに加え、超人的体力の持ち主だったという比重が非常に大きい。
鳥嶋桂はたまたま生き残っただけあって、途中リタイアしていてもおかしくないエピソードがいくつもあるのだ。
結論をまずかくと狐の人は文章をろくに理解できてないし、論証は雑でおよそまともに評価できる点が一つもありません。私が「小宮友根の文章を読んで反論せよ」という問題を出した大学教員なら、理解力も論証も雑すぎて、さらに知ってる知識を喋りたいのか余事記載とでも言う部分もあり不可としたいが、お情けでゴミだけど長い文章を書くことはできてるので可にしようか迷う感じですね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20191212/1576136093
まず、初手のビキニアーマーに関して。
普通「私は第二次世界大戦の軍用機といえばゼロ戦くらいしかしらない」と言ってる人が第二次世界大戦の軍用機(日本のみならず各国の)について何か発言していたら、無知な人が抱くイメージの1サンプルにはなっても、その妥当性に関しては「全く耳を貸す必要がない」と判断します。
https://anond.hatelabo.jp/20191222150200
実際ビキニアーマーは1つや2つでなくメインビジュアルで全面に押し出されることは少なくとも、確実にオタクカルチャーに根付いてます。
そして、提示されたイラストに「主人公の性別を選択してください」に引っ張られてか、オタクカルチャーが商業化して30有余年という時間的な長さ、さらにジャンルもアニメ、ゲーム、漫画、など多種多様なのにゲームの主人公選択の問題に矮小化しています。絵は読解できても文章は理解できてないのかもしれません。沖縄の貧困問題を議論してるのに日本の貧困率を出してきたり、「安室奈美恵は沖縄県民だけど超金持ちハイ論破!」とか言い出す人かもしれません。
だから、出てくるキャラクターの露出度の問題なのに、それにまったく答えきれていません。
さらにナーガ云々は意味不明です。フィクションの中のお話と現実が区別できてないと言わざるを得ません。
詳細はこちら↓
https://anond.hatelabo.jp/20191222154831
男女の露出度の差に関してはたとえば
http://www.jp.square-enix.com/DFF/character/
を見ると、あからさまに男性キャラより女性キャラの方が露出度が高いのが見て取れます。
まあ、職業だ、なんだと設定の違いとか言い出すかもしれませんが、たとえば0年前後に流行ったMMORPGだと職と性別だけで一義的にグラフィックがきまってました。
以下2つは韓国産ですが日本でも広く受け入れられたMMORPGです。
リネージュは君主、ナイト、ウィザード、エルフが皆女性キャラの方が露出度が高かったです。
職 | 露出度 |
---|---|
ノービス | - |
ソードマン | - |
ナイト | ○ |
クルセイダー | - |
マジシャン | ○ |
ウィザード | ○ |
セージ | ○ |
アーチャー | ○ |
ハンター | ○ |
吟踊 | ○ |
アコライト | - |
プリースト | - |
モンク | - |
シーフ | ○ |
アサシン | ○ |
ローグ | ○ |
マーチャント | - |
ブラックスミス | ○ |
アルケミスト | ○ |
女性キャラの方が露出度が高いのは「○」同等は「-」男性の方が高いのは「☓」のつもりでしたが男性の方が露出は高いのは一つもなかったです。
さらに言えば最近のキャラクターの外見をカスタマイズできるゲームだと女性キャラは男性キャラと比べ露出度が高い傾向がありますね。
ビキニアーマーの件も『アレサ』や『ラングリッサー』はそれこそ男性はフルアーマーなのに女性はビキニアーマーの良い例ですし、ゲームにおける露出度の差もオタクのくせに社会学者より詳しくないって驚きですね。
「このような顔を消されたキャラクターが描かれた事例が、この数年間の炎上であったことはない」
この文章は呆れますね。「炎上の背景にある性的客体化の表現技法」の話なのが理解できてません。
というか、これが反論になればそもそもビキニアーマーに関しても、炎上案件にビキニアーマーはなかったで反論は終わりです。
なんというか文章を理解できてないので、有効な反論ができていませんね。
この手法を多様する漫画家としては桂正和あたりが浮かびますし、ポル産アニメの「神田川JET GIRLS」では多用されてますし、そこまで露骨でなくとも、胸やお尻などをアップで写して主人公の視線がそこに集中している事を表現するのは漫画アニメで多用されていますね。
オタクなのにやっぱり社会学者よりオタクカルチャーに詳しく無いみたいで本当呆れますね。
繰り返します「炎上の背景にある性的客体化の表現技法」の話なので、その起源がオタクカルチャー外にあるかないかは問題ではなくて、オタクカルチャーにそういう表現があるかどうか?と言う話です。「定番」とか適当な言葉使って誤魔化してません?
それこそ「神田川JET GIRLS」にも出てきましたし、正直この人、本気でオタクカルチャーになど興味がないのではないかと不安になります。
人文科学なり社会科学を大学で学べば「である論」と「べき論」の違いは初歩的な段階で習うかと思います。もちろん、区別が難しい事例もありますが、この小宮友根の文章は「である論」なのに「べき論」だと解釈してる段階で、正直問題外なんですけど。
もう、いい加減、こういうまともな理解力も知識も論理的な思考もできない「オタク」代表の人は完全スルーするくらいがいいんじゃないかな?
・少年漫画における性描写・性表現については、大きく4種類に分類できると思う。
・「その方が売れるから」「その方が人気が出るから」という割と身もふたもない理由によって行われる性描写・性表現。名物編集者・マシリトこと鳥嶋和彦氏が担当した鳥山明や桂正和作品に見られるものが特に有名。現在では、いわゆる「ラブコメ枠(ToLOVEる枠)」作品に数多く見られる。正直に告白すると、当時の少年読者としては大変ありがたかったという実感がある。「女性のモノ化」として批判されがちなのはたぶんコレ。
・少年漫画の枠内で、成熟した大人向け要素を表すための性描写・性表現。源流はおそらくニューシネマ、ロマンポルノ。漫画作品においては、特にルパン三世の影響が大きいと思われる。しばしば暴力表現を伴うことがあるため、レーティングの観点で批判されがち(少年漫画ではないが、エヴァにおける加持さんのアレなど)。表現の自由として強く擁護されているのはたぶんコレ。
アナーキーさ、漫画表現の自由さの象徴としての性描写・性表現。しばしばモザイクをどこまで薄くできるか?」的なチキンレースの様相を呈する。(乳頭をタピオカで表現する」「開いた瞳孔を女性器にみたてる」)現代の狂歌。②と同じくレーティングの観点で批判され、表現の自由の観点で擁護される。
・未成熟な少年を表すキャラクター類型としての性描写・性表現。「ダイの大冒険」におけるポップに代表される未成熟であるがゆえに、長期連載に置いて爆発的に成長するキャラクターに与えられる記号としての性描写・性表現。精神的・肉体的に未成熟しばしば覗きなどの犯罪行為を行うため、現代において成立させるのがきわめて難しく、強い批判を受けている。しかしそのキャラクターとしてな爆発的成長はビルドゥングスロマンとしての少年漫画との相性が極めて良いため、しばしば作品内に採用され、また読者からも擁護される。
・④ポップ的性描写・性表現は、現代において時代おくれになっており、仮に成立させようとしても針の穴を通すような作業になる。「未成熟なキャラクターを表す記号としては避けたほうが無難だ」と言わざるを得ない状況になっている。これは「不倫」というテーマが、(親同士・イエ同士が決めた結婚が多くみられた頃は)「自由意志」「純愛」の象徴として成立していたが、現代において『「不倫」は単なる「不義」である』という見方が主流となってきたことで、時代おくれになったことと似ている。(もちろん、これは「不倫をテーマもして採用すべきではない」ということではない。現代においても意欲なある製作者によって「昼顔」のような成功例が作られている)
・①〜③については「少年漫画におけるレーティング」が特に問題となる。しかし、漫画というメディアの特性上、映画のレーティングのように細かな規制をし辛いため、どうしても批判側は「製作者側の自主規制」を求めがち。今後、電子書籍が主流となれば流れは変わるのかもしれない。というか、ジャンプ+アプリなどの動きを見る限り、出版社側はすでにそれ(レーティング)を見据えて行動しているように思われる。
・現在、少年ジャンプに連載中の漫画に上記の類型を当てはめてみる。「僕のヒーローアカデミア」における峰田、「鬼滅の刃」における善逸は、典型的な④ポップ的性描写・性表現。ゆらぎ荘は基本的には①マシリト的性描写・性表現で、たまに③永井豪的性描写・性表現。おれは①については別になくなっても困らない(大人なので)が、③については「ガンガンやってほしい」と思っています(永井豪・筒井康隆ファン)
・ワンピースにおける性表現は、かなり複雑。表面的には少年漫画的サービスとしての①マシリト的性描写・性表現。だがワンピースという漫画はニューシネマに強く影響を受けており②モンキーパンチ的性描写・性表現の要素も強く見られる。それ故、覗き行為を行うのはウソップではなうサンジであり、チャイルディッシュなキャラクターとしての記号は「ロボットや昆虫に対する好奇心」という形で描かれる。また、ワンピースの複雑さは「尾田栄一郎は徳弘正也の弟子」であることにも由来する。徳弘正也は鬼子であり、稀有なエロスとタナトスの作家である。尾田栄一郎はその弟子であり強く影響を受けているが、作品内ではエロスとタナトスを抑制しているため、非常に奇妙な形で表出している。
・PCに意識的な作家の作品は、作品の寿命を延ばす。時代性を感じさせる記述を極限まで廃した星新一の作品は100年先でも読まれるだけの強度を持つが、筒井康隆の作品のいくつかは鋭い批評性を帯びるが故に陳腐化する。PCを意識していない作品の寿命は短くなる。現在、少年漫画作品の寿命・リーチできる距離は飛躍的に伸びている。PCを意識しないことで作品の寿命が短くなるのは単純に「もったいない」。ノウハウを蓄積して対応すべき。そしてそれは(それこそが)しばしば挑戦的な表現になり得る。
赤松健、島本和彦、鳥山明、秋本治、さいとうたかお、しげの秀一、桂正和、藤島康介、加瀬あつし、藤沢とおる、稲田浩司、竹井正樹etc...男性向けを動かすだけでも相当大変だな・・・
現代の少女漫画絵と現代のオタク絵は同祖(80年90年代の少女漫画絵)だからだよ
旧来の少年漫画絵は手塚治虫・赤塚不二夫ライン、これは現代のコロコロコミックあたりが引き継いでる
手塚治虫・赤塚不二夫ラインの少年少女漫画絵はよりリアリティを求め、従来の絵物語で有名だった永松健夫(黄金バット)あたりと合流し劇画絵に発展した
劇画絵は石ノ森章太郎(仮面ライダー)や車田正美(リングにかけろ)あたりが有名かな
劇画絵の影響は少女漫画にまで波及して有名な池田理代子(ベルサイユのばら)や美内すずえ(ガラスの仮面)などの作家が有名になる
その後、篠原千絵(闇のパープル・アイ)が登場し劇画絵の印象を残しながらも線が徐々にシンプルになっていく
よりシンプルな線となる流れを決定付けたのが池野恋(ときめきトゥナイト)の人気が白熱したことだろう
池野恋からの活躍から従来の劇画絵ベースの少女漫画絵はレディースコミックが継承することになる
このあたりから少年漫画雑誌に線がシンプルになりつつもリアリティを残す少女漫画絵調の作品が増えてくる
代表的なのが桂正和(電影少女)やあらいずみるい(スレイヤーズの挿絵)など
更に線がシンプルになる流れへ拍車をかけたのが武内直子(美少女戦士セーラームーン)やCLAMP(聖伝-RG VEDA-)や吉住渉(ママレード・ボーイ)の人気
そして全漫画業界のパラダイムシフトと主張して過言ではない種村有菜(神風怪盗ジャンヌ)が登場する
種村有菜の登場以降、それまで人気だったスレイヤーズの主人公リナの元々大きかった目がより大きくなり線も柔らかくなるなど強い影響を見せた
-----
つまりまとめると篠原千絵と池野恋が劇画絵を整理して少年漫画は少女漫画から絵柄を輸入しつつも種村有菜が完成させた
現在の萌え絵(オタク絵)は少女漫画ベースで出来ており、2000年代以降の雰囲気が変わったオタク業界で人気だったいとうのいじ(涼宮ハルヒの憂鬱の挿絵)などはCLAMPの影響を受けたと明言している
もし萌え絵が少年漫画をベースとしているなら現在のコロコロコミックの絵柄に近くないと説明が付かないんだよ
そのラインを引き継いでる作家を敢えてあげるなら吉崎観音(ケロロ軍曹)あたりであり、萌え絵(オタク絵)としてイメージされる絵柄とは一線を画す。けものフレンズは大ヒットしたけどね
4コマ漫画へ強い影響を見せたあずまきよひこ(あずまんが大王)も武内直子などに影響を受けていると明言している
意図的に混同というか実際のところ少女漫画絵と萌え絵(オタク絵)の境界線は曖昧なグラデーションであり混同するとかしないとかそういう話じゃないんだよ
この増田には『物語マインドマップ』の動画を見てほしいな。こちらの動画でいかにハーレム物に繋がっていくかが解説されているので。https://www.youtube.com/watch?v=Xr7nN8K1MLY&list=PLusUXoPKOyjhFFthXDS0ilXIpPCX4MMow&index=6
以下、動画の要約
まずハーレム物の源流になっているのが『うる星やつら』(1978)。これがなぜ源流になるのかというと、「複数人の魅力的な女の子を描き分けることに成功したから」。『うる星やつら』以前の作品では、例えば、あだち充先生もだいたいヒロインは一緒だし、あしたのジョーでは白木葉子と林紀子の顔が似ていて間違えるシーンがあって、これはうまく女の子を描き分けることが出来なかったことに起因している。手塚先生ぐらいしか描き分けることは出来なかったらしい。
『うる星やつら』の後、桂正和の『ウイングマン』(1983)で女の子を多く出して、描き分けるか構造が確立される。だけども、まだ女の子間に序列があって、最終的にはメインヒロインと結ばれるようになっている。これが『天地無用』(1992)になると、バトル要素はおまけで女の子とただ日常を過ごすことのほうが重要になり、数あるヒロインの中から一人だけ選ぶこともなくなり、ハーレム物確立の草分けとなる。そして、ハーレムもの形成の流れでもう一つの大きな潮流としてエロゲーがある。エルフの『同級生』(1992年)から始まって、『ときめきメモリアル』(1994)とToHeart(1996年)が生まれる。特に『ToHeart』は前述の二作品と比べてヒロイン毎のドラマ性が強くなり、ハーレム物とは別に『ONE 〜輝く季節へ〜』などの泣きゲーの流れも作っていく。
このエロゲーの流れが『天地無用』と合わさってハーレム物を形成。同時期の1996年には『サクラ大戦』、『機動戦艦ナデシコ』が登場。他にも『セイバーマリオネットR』(1995)など。これがラブひな(1998)の時代になると、後輩を出す、ツンデレを出す、ツンデレの対比として癒し系を出すなど、ハーレム物としてどういう女の子を出せばいいのかを類型化できるようになる。
もっと細かく知りたいとか、なんか違うんじゃねと思ったら動画のほうを見て判断してつかぁさい。よろしくお願いします。お願いしましたよ。