はてなキーワード: 政治力とは
弊社は未だにメインフレームの相手をしてCOBOLを書いているような、低技術力・プロマネ力偏重のSIer。
20代の若手SE(笑)である僕自身もウォーターフォールの経験しかなく、社内の99%も同じ。
最近興味があって近くにいる人とアジャイル開発の勉強をしていており、ジェフ・サザーランドの著書ほか何冊か本を読んだ、というだけのただのエンジニアワナビー。
最近近所で絵に描いたようなアジャイル失敗例があって、ちょっと誰かに聞いてほしくて書いてる。
この度、既存システムを刷新するプロジェクト(たぶん1億以上5億未満)をアジャイル開発でやることになり、先月くらいに最初のスプリントがスタートした。
アジャイル導入にはおそらく特に動機がなく、お客さんの偉い人たちが
・アジャイルにすると早く安くできるんでしょ
などと仰せになった結果だと聞いている。
最初のスプリントでスピードが出ないのはよくあることなのだろう。古事記にもそう書いてあった。
が、内容を聞いているとどうもそうは思えない。もっと根本的なところだ。
なので、開始直後から「遅れが…」とか言ってる
要件の範囲もなぜか最初から必達が切られている。ウォーターフォールかな。
当然「ご報告資料」づくりもセット。
どうも、開発メンバーがユーザストーリーを理解していないらしい。
それがなぜかというと、プロダクトオーナーとのコミュニケーションがとれていないらしい。
さらにそれがなぜかというと、プロダクトオーナーのユーザー部門の人がよそと兼業してて全然時間がとれない、そもそも別の場所にいて会うことすら難しいらしい。
また、そもそも開発でかき集めたメンバーのスキルが、スクラムの要求するそれに届いていないという話もあるらしい。スクラムの要求する開発チームのスキルはおそらく自力で要件を解釈を解釈しコードまで落とせるレベルだが、弊社が旧来の手法で人売りから買ってきた「エンジニア」たちにそれを求めるのは酷だろう。
現場のプラクティスだけは導入している。デイリースクラム、スプリントレトロスペクティブ…比較的スタンダードに全部形から入ったらしい。表面だけとってきてスクラムと称しているが、サザーランド氏がつぶしたかった予測不可能を予測しようとする傲慢さとか、ユーザ不在のシステム開発とか、コミュニケーションと協調のない開発とか、マイクロマネジメントとか、一番重要なエッセンスを尽く省いているようにみえる。
お魚買ってきて、全部は食べられないね~って言いながら表面の皮とウロコだけ食べてる感じ。これで以て「アジャイルってお魚は、ウロコと皮しかなくて、おいしくないし食べづらい」って結論づけるんでしょ僕知ってるよ。
この件について、まあ弊社じゃこうなるよな。だったらここまでなんだけど、こんな駄文を書こうと思ったのは今回の顛末が不思議だったから。
本件のプロジェクトを率いているのは弊社でも指折りの有能PM。何度か一緒に仕事をしたり、指導を受けたりしたこともあるが非常に頭の切れる人で、社内での発言力も非常に強い。彼は「スクラムで」との命令を受けた後、当然スクラムについて勉強しただろうし、当然「何もしなかったらこうなる」とわかっていたはずだ。その政治力を使ってなんとかしようとしたはずだ。彼の周りについた弊社メンバーも、それぞれがスクラムの勉強をしていたし、みんなPMには劣るかもしれないものの頭の切れる人たちだ。
そんな知力と政治力の両方を備えた歴戦のPMが、こんなにもあっさりと、なんの策も打てずにウォーターフォールの悪いところをしっかりと引き継いだアジャイル(笑)をやって失敗するのか。これじゃあ、弊社じゃあずーーーーっと無理じゃないか。
コミュニケーション能力っていうのが結局は権力や政治力や魅力の都合のいい言い換えでしかないわけでしょ
政治力でWHO様に「病気じゃない」と宣言させた事も、健常者の社会生活をLGBT共が妨害するのも両方クソだ。
健常者に多大な迷惑をかけておきながら、上から目線で「勉強が足りない」「理解が不足してる」などとのたまうその態度。
自分たちの人権は神聖不可侵としながら、健常者の人権はゴミとも思ってないその態度。
LGBTが健常者の人権を尊重しないのに、何故健常者がLGBTの権利を尊重せねばならない?
そんな事してなんのメリットがある?
奪われるだけなのに。
連中の言い草が正しければ、俺は一生LGBTに堕ちる事はないのに、何故連中の権利など守るために自分の権利を差し出さねばならんのだ?
医師会が強力な政治力のもと、(医師の品質管理的な意味合いもあって)医師数を抑制気味に保ち、よって個々の医師の収入を高止まりさせることに成功した。
なんか勘違いしてるのが多いけど。
海外から医師輸入するって話も、誰が低収入激務の日本にわざわざ来るんだよと言われてる。
看護師輸入もそれで失敗したし(看護師も諸外国と比べたら低収入激務で、それ知らん人を騙して日本に連れて来たって定着するわけない)
医療サービスが買えないということはすなわち「何も悪くないのに苦しんで死ぬ」ことである。また、大昔は宗教がそうであったのかもしれないが、代替サービスも少ない。よってある程度価格が高くても買われるサービスである。一方、人間年をとるとあちこち悪くなるので、価格が一定程度安いと需要が爆発的に増えるサービスでもある。
要は、価格がニーズや需要を反映せず、言い換えれば価格感応度が低く非常にいびつな需要曲線を形成するサービスである。
(更には、供給が滞ると社会不安を招くので採算度外視で供給されがちであるとか、需要者たる患者と供給者たる医師とのサービスに関する情報格差が激しい、等の特徴もある。)
以上から、医療サービスは自由に市場で売り買いするのが難しいサービスである。米国を除く多くの国では、医療サービスは規制され市場の仕組みに寄らない形で供給されている。
人間年をとるとあちこち悪くなるとはいうものの、壮年までは健康な人の方が圧倒的に多い。一方、医療サービスは決して安いサービスではない。よって、「多くの人から少しづつお金を集め不幸にも病気になった人に支払う」という保険の原理に良く馴染む。
医療サービスは市場の仕組みに寄らない形で供給されており、その供給量は保険金の総額で決まる。保険料が十分安ければ上述どおり需要は増えるので、保険金の総額=供給量=需要量となる。
医療サービスは一般的に決して安いサービスではない。供給側も多くの資源を投入する必要がある。専門性が高く、収入が少なくなったからといって別業種に転換するのは難しい。一方で、ニーズの総体ではなく保険金の総額という制約のもと供給が決まるので、国が医療保険を運営している場合、どうしてもサービス価格に下押しの圧力が掛かる。価格がニーズや需要を反映しないことは供給側資源価格でも同じなので、すなわち、何もしなければ「医師が離散しない程度」までサービス価格は下がることになる。実際、冷戦期の東欧諸国では上記の事態に陥った国もある。
医師会が強力な政治力のもと、(医師の品質管理的な意味合いもあって)医師数を抑制気味に保ち、よって個々の医師の収入を高止まりさせることに成功した。
一方で、価格がニーズや需要を反映しないので、供給者サイドでの人や資源の配分に価格情報(≒優秀な人は高い収入の場所へ、そうでない人はそれなりに)は使えない。よって、基本的には厳しい上下関係の下、医局が各所のバランスを取って独善的に決めていた。個々の医師に自由は少ないが、「若い時には医局に居て激務に耐え年を取ったら開業医になって高収入と余裕を得る」というキャリアパスで報いていた面がある。但し、このキャリアパスの仕組みは本質的にヤクザの鉄砲玉と同じである。
また、このキャリアパスでは常に開業医が大学病院勤務医の先輩になるので、医師会は開業医の発言力が圧倒的に高い組織であった。
医師に自由がなく医局が独善的に全て決めるということはさすがに前近代的だということで、この仕組みは弱まった。
そうなると、医療サービスの特殊な需給構造の中で、個々の医師が自らの経済合理性・医師としての信念でものごとを決めていくことになる。価格がニーズや需要を反映しないこととは、供給者サイドでいえば優秀な医師もそうでない医師も一件は一件で受け取りは同じ、ということである。
ここで生じたことは「中庸への集中」であった。保険金総額の制約があり、品質を過度に磨いても固定価格であることから、リスクを抑えながらその中で品質を保ち十分な件数をこなすことが多くの医師の最適行動になる。
最新情報に数年遅れをとる若いうちの僻地勤務はダメ、高収入でも業務はきつく医療訴訟のターゲットにされやすい外科はダメ、必要性は高くても医療訴訟のターゲットにされやすい産婦人科はダメ、等。これらは社会的意義もニーズも大きいが、そもそも自由に市場で売り買いできない医療サービスでは、「リスクに見合う価格」はもとからない。個々の医師がこれらを行う合理性は全くない。
結果として、個々の信念に頼るか、負担は大きくなっても別枠で予算を確保して充てることになる。
女子が外科等を選ばないということは、女子の方がより合理的な選択をしているということである。もしくはリスク許容量が少ない状況であるということである。
嗜好の話は、愛として同性愛と他は差がないのに制度でこれから優遇するのはおかしいという話だったら、異性愛だけすでに優遇されてる現状をまず批判すべき。愛として差がないはずなのだから。
失笑。
異性愛は社会の再生産に寄与するという点で尊重されねばならないが、同性愛や物質愛ほかは社会の再生産に寄与しないという点で客観的な価値ない。
まだロリコンのほうがその点ではまともだよ
にもかかわらず、LGBTは暴力と政治力をもってほかの性的少数者から一歩進んだ待遇を手に入れてる。これこそ優遇。
LGBTのうち、出産の可能性のあるバイ以外は自己満足に過ぎない。
その上、正体を隠して件所者に紛れ込んでやがる。健常者と同じ土俵に上がろうとすることすらおこがましい。
看護協会というのがあって、看護師は半ば強制的に加入圧力がかかる。で、その巨大な看護協会は、お抱え議員達を擁立し、メディアにも圧力をかけるプロパガンダ機関というべき代物だ。また、管轄の厚生労働省の管轄課に協会から人員を送り込み、出先機関と化している。
協会主導の看護師地位向上運動というプロパガンダマシンが世論を押さえてる。共産党とも近く、すぐ「看護師の給料が~」とか、「看護師の労働環境が~」とか、声高に叫ぶ。
同様に、今回のように、すぐ活発な看護師関係者たちによる話題逸らしが始まる。
看護協会の活動の中心は、常に、看護職の地位向上運動にあります。世間では、医師の診療補助をするのが当たり前と考えられ、法にも、それが業務として謳われています。しかし、「看護師は独立した専門職であり、医師と対等の職種である。医師の補助職ではない」というのが、彼らの主張の根幹なのです。たしかに、かつての看護師の社会的地位を考えると、地位向上にやっきになることは理解できないわけではないですが、あまりに時代錯誤であり、また、「診療の補助は、看護師の本来の仕事ではない」という主張は、見当外れだと思います。
実は、内診問題と同じような問題に、静脈注射についての通達があります。かつて「看護師が静脈注射をするのは保助看法違反である」という厚生省の通達がありました。もちろん、現実には遵守不能で、最高裁判決でも違法でないとされました。ところが、公的病院の看護部は、通達を盾に「静脈注射は医者の仕事である」として、絶対に注射をしようとはしませんでした。「看護師の本来の業務は看護であって、医者の手足として働いてはいけない」という主張です。
この通達は数十年を経て、やっと平成14年に実態に即した変更がなされました。しかし大病院の看護部は今なお反対し、それをどう受け入れるかについて議論があります。看護協会にとっては、医師から独立した専門職として社会的に認知されることが、大命題なのです。とくに大病院の管理職の看護師は、常にこの意識にさいなまれています。
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要するに、厚生労働省医政局看護課は、看護協会、看護連盟の出先機関でしかなく公正中立な行政機関とはいえないのです。看護課長が各議員を回り、看護協会の意向を受けた政策に強引な同意を求めるということについて、国会で民主党議員が抗議の質問をしたことさえあります。
大病院でも看護部は強大な力を持っています。大学病院の総婦長が、他部署はおろか院長でさえも手出しができない存在であるのと同様に、恐らく、厚生労働省内でも看護協会と看護系議員をバックにつけた看護課は、局長ですら手出しができないのだと思います。
事実、日本医師会が医政局長に説明を求めたところ、「預かり知らないところで、看護課長が勝手に通達を出した」としています。省に持ち帰ってからの責任論では、「厚生労働省全体の責任です」という話に変わってしまいますが、それには政治力が働いたと考えるべきでしょう。通達の直前まで、南野智恵子議員は厚生労働副大臣でした。
「特定のイデオロギーを持ったごく僅かな人々が」「激しいバッシングをしたから」「中止に追い込まれた」
「批判する人が多く」「その批判は真っ当なものであり、放映するには相応しくないとテレビ局が判断したので中止した」
と考えないのが謎過ぎる。
例えば最近だとブラックペアンのCRC描写とかな。でもこれは批判されてもそのまま放映し続ける事を選んでる。
不特定多数が適当にネットで言った事ではなく、「日本臨床薬理学会」と言う一定の政治力がある団体がちゃんとした意見書を提出しても、だ。
「特定のイデオロギーを持ったごく僅かな人々」によるネット上の批判が、日本臨床薬理学会という団体による正当な手続きを経た抗議よりも
もう10年以上前の話だ。某上場企業でエンジニアとして働いていた。
その自分が所属する開発部門に担当部長という役職のおっさんがいた。
そいつが絵に書いたようなクズで、下の人間には偉そうにし、上にはヘコヘコごまをするような奴。
毎日下の人間をいじめていたのだが、自分は特にいじめられていた。
当然みんなから嫌われていた。でも超ごますり豚野郎なんで、そいつよりさらに上の役職の人はそいつを気に入っていた。
40にもなろうというおっさんが毎週月曜日は少年ジャンプを片手に出社してくるようなクッソキモいゴミ人間のくせに、自分がデザインの本を読んでいたときがあって、なんでエンジニアのおまえがそんな本読んでるんだ?おまえは何になりたいんだよ?とバカにされた。
自己啓発系の本を読んでいれば、そんな本読んでるからおまえは駄目だんだよと馬鹿にしてくる始末。
こいつのパワハラは日に日にエスカレートし、自分はひどいうつ病を発症し休職し、復帰後も体調が優れず退職することになった。
そして人事からはそのパワハラはもみ消され自分が勝手に体調崩して自己都合で休職したことにされた。この会社、潰れろ。
今日その会社の話題がふと出たので、調べてみたら人事異動についての告知があり、そいつは支社長ポジションまでいつの間にか出世しており、さらに今回の異動で統括部門副部長にまでなっていた。
自分が当時慕っていた優秀な人達の名前は全然見当たらない。他にも人の手柄を自分のものにすることが得意なやつも、立派な肩書をもらっていた。
ちなみにヘコヘコ媚を売られていたそいつの上司だった人はかなり前から副社長になっていた。
なんで日本企業ってそういった政治力にすら劣るごますりパワハラ豚野郎が出世するんだ?