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はてなキーワード: 封建制とは

2019-10-10

anond:20191010000112

増田さんみたいな普通の人が民主政より封建制を望んだ結果がこれです すぐれた権力者の力で不平が聞こえない社会、即ち王政を望んだ結果がこれです あなたが求めているのは圧政です

2019-10-05

anond:20191005190522

ていうか経済主体領主一人の家産国家と、財産を共同所有するという建前で共産党単独でそれを管理する共産主義国家って実質一緒じゃねえ?

現実共産主義封建制しか見えない。

2019-09-22

anond:20190921132500

価値観多様化した以上、誰もが納得する道があるはずというファンタジーを捨てるべきなんだよ、結局。

皆のためのキャラクターやら社会やら商品やらは存在せず、そんなもの画一的価値観のもと大量生産大量消費が行われた時代と共に消えて今や特定の誰かが満足するものが無数にあって取捨選択がされるだけだ。

人間人間が求めるものもどうしたってそれぞれが衝突するし、最悪の一線を越えない努力をすればあとは各人が自由に振る舞えばいい。

って道を人類は歩んできたわけだけどポリコレみたいなのが出てくるのを見るに、今の世の中って無意識自由市場よりも多様性のない封建制社会文化に逆戻りすることを望む人が増えてきているのかもな。

だって権力宗教が無理やり一つの正しさを強制しないと誰もが納得するなんてあり得ないだろ。

皆が同じ生き方強制されれば誰も傷つかずに済むからな。

2019-06-14

anond:20190614191123

そこはそうでもないんじゃね? 歴史を遡ったらどっかの時点で人類聖人になって個人の打算なんかもたない時代があったのかって言えば、ないでしょ(キリスト教的にはロト以前はそうだった設定だけど)。

すべての思想ってのは不満ある現場に対するカウンターとして現れるわけで、個人主義や自由主義が現れた背景には、個人自由がなかったっていう現実があったんだよ。つまりイケメンだろうが腹筋割れてようが、次男三男ってだけで労働や行動の自由もなく当然恋愛も嫁取りもできないみたいな不自由封建社会っていうものがあって、そこからの脱却として個人主義や自由主義が出てきた。

いまはてなで「非モテ男性」だの「KKO」だのいう話が出てきても、そこには次男とか三男とか畑がもらえないとか、そういうボヤキはほぼほぼ出てこない。長男だろうが非モテ非モテだし、次男でも要領よくヤリチンになれる。そこが自由主義なわけだ。

封建制時代には限られたリソースのオート割当として「長男家財家業と女を優先割当する」「次男三男や定住財産を持たないものや家柄に劣るもの残飯食ってるか死ね」ってルールが当然としてあったんで、そのルールの中で長男’sに平穏平等があっただけだ。

それに比べりゃ現在状況は相当マシなはずなんだけど、人間やっぱ豊かになると、その豊かになった周辺の中で相対的に貧しい(あるいは相対的に劣位の)自分っていうのに耐えられないんだよね。

2019-04-28

anond:20190428075505

封建制的な社会では、個人個性自由以前に社会要求されるロールのほうが個人を作り上げてたんだよ。社会安定のためにそういう仕組みが必要だった。

たとえば農民小作農とか富農とか地主とかのクラスわけ)や庄屋や蔵元や名主なんていうロールシステム農村が作られていて、家庭は世帯主と妻と嫡子次男三男、娘どもみたいなロールこそがコミュニティ安定の要だった。社会には役割がありその役割参加者が担うことで安定させていたわけだ。

年齢に関しても一緒で、ある年令になったら子供から若者にロール変更してコミュニティ防衛に参加してもらわないと困るし(自警団青年団)、もう少し年が行ったら結婚して家庭を持ってもらわないと困るし、一家が自立したら寄り合いに参加してコミュニティ運営の一部を負担してもらわないと困るし、子供が成長したら隠居して発言権を譲ってもらわないと困る。それらが「年齢相応である」ってことであって、それらのロールを義務として果たしてもらわないと、コミュニティ不安定化する。それはつまり社会に対する攻撃でありテロなわけだから役職のロール、家庭内のロール、年齢なりのロール、そういう役割放棄は罪だったわけ。

現代になって個人主義自由主義の思想からそういう抑圧は随分減ったけれど、日本では一世代とか二世代まえまではそういう価値観バリバリ現存してたんだよ。じっさい、今だってそれらのロールを全放棄できるかっていえば、社会観点では異論が出る。全員結婚しなかったら少子化解決しねえだろ!とか声を荒げる人は増田にもいるでしょ?

現在は過渡期なんだけど、過渡期としても後期なんだよ。過渡期の前記は「年齢相応(=年齢要求ロール)ってなにをすればいいかはわかるけれど、そんなの個人自由でしょ。おれは嫌だね」って反発だった。今は後期なんで「なんで年齢相応なんて概念があるんだかわからねえ。個人自由でしょ。なにすればいいのさ?」になってる。歴史的経緯喪失だね。

2019-04-27

anond:20190427204427

このコピペ思い出した

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朝日日露戦争マンセーした事をもって保守化したとか言ってる奴がいるが、

日本思想対立構造が分かってないな。

日本対立構造

大陸派=親アジア主義、親儒教、親社会主義、親官僚制(=中央集権) 親全体主義、親人治主義

英米派=親国際主義、親資本主義、親封建制(=地方分権)、親自由主義、親立憲主義

なんだよ。

大陸派は天皇制を認めるかどうかで国家社会主義(親ドイツ)か共産主義(親ソ連)に分かれ、

英米派は伝統の重視の度合いで保守主義自由主義に分かれる。

今風の言葉で言えば、反米保守は親大陸派で、親米保守昔ながらの英米派なんだよ。

両者は戦後反共産主義という一点で手を組んだ訳だが、元々は水と油

共産主義崩壊した90年代以降、元の親大陸派vs親英米派の構図に戻っただけの話。

戦前革新官僚軍部の中に国家社会主義者に儀装した共産主義者が沢山いたってのは

有名な話で、この両者は天皇の扱いを除いては対立点はないから、転向簡単

西部邁小林よしのりも何度も転向してるでしょ。

でも、親大陸派は絶対に親英米派にはなれない。逆もしかり。根本思想が違う。

で、日露戦争評価について言えば、「白人に対する被支配有色人種勝利」と言う点を重視するのが

大陸派の特徴で、英米日の文明国専制的(=アジア的)なツァーリロシア勝利したと言

う点を重視するのが親英米派の特徴。当時の人々はどう思っていたかと言うと、圧倒的に後者

が多いだろね。当時の一般日本人は文明の度合いを肌の色よりも重視した。

このように考えると、朝日日露戦争を賛美したのは何の不思議も無い。国家社会主義共産主義

の間は容易に転向できる。そのうち、大東亜戦争の「白人支配から解放」という面について

賞賛する日も近いだろうね。そして孫文アジア主義の訴えだが、中国伝統的に日本英米との

離間を企てるのに熱心で、孫文日英同盟にも強硬に反対していた。今の中国日米同盟反対と同じだな。

これに東洋王道だなんて感動してる奴は馬鹿しか言いようが無い。

2018-12-31

anond:20181231184754

まれた時の身分が固定される封建制だね?

俺は絶対そんなの嫌だよ!

2018-12-22

同一労働賃金格差って

奴隷制封建制と同じよな

派遣社員身分が劣るので正社員より待遇が悪いってことだろ

2018-11-26

木こり溶接工になりたい

当方卒30歳ニートです。

そろそろ就職しなければ飢え死にしてしまうので将来のことを考える今日この頃です。

できればはたらきたくないのですが、木こり溶接工ならなってもいいかなと最近思います理由は、物理学専攻の人がドクターコース中退して漁師になったという記事雑誌で見て、なんか満足してるようだったからです。

勉強は並にできます英語とか喋れますPythonで30行程度のプログラミングができます

手先は器用な方です。ピアノが弾けます。絵が描けます子供の頃から大切に育てられたので、その他一通りインドアです。

しかし体が弱いのです。視力べらぼうに悪いです。背の順で並べば前から2番目くらいの体格です。そのうえ鬱病の診断を受けたことがあり、よわよわです。

このような状況で、木こり溶接工になれるものでしょうか。

イメージですが、木こり溶接工も究極の封建制頭脳よりは肉体を礼賛し、効率よりは伝統を重視し、健康よりは煙草を愛するという感じではないでしょうか。

これが私を求めるとは思えず、また私も耐えられるとは思えないのです。

ちなみに私は大学では水産学科卒ですが弱物理学のようなよくわからない数値計算をしており、船に乗ったことはありません。

木こりと話したことは一度もありませんが、多分会えば私のことを宇宙人というあだ名で呼ぶでしょう。

少々叱られるのはもちろん分かっています。たぶん耐えられます。ただ、ヘルメットなしで直に親方に頭を叩かれたら死ぬかもしれません。

枝が降ってきて足に突き刺さってしまったら死ぬかもしれません。指と鋼管がくっ付いて死ぬかもしれません。アーク放電を見て失明するかもしれません。

そう考えると、働いて死ぬよりは働かないで死んだ方がいいなと思うのです。

2018-10-11

anond:20181011190242

まるで江戸時代以前はロジックではなかったとでも言いたげな発言やな。

あの頃の支配者のロジックと今のロジックがまるで変わっただけの話だと思うのだけれど。だから今のロジックが捨て去られたところで一気に封建制に戻るわけではないでしょう。

論理の正しさを無条件に肯定することによる抑圧があって、その抑圧下にある人を助ける手段として、論理のものを捨ててしまうのは一つの手段だけれど絶対的でもなく現実的でもない。

からどうしたらいいんだろう?って考えてるけど、パラダイムシフトがあってくれたらいいなぁってのがみんなニュータイプになれるかもしれないって発言意味

anond:20181011182443

でも150年前の封建制江戸時代から比べたら今の人類みんなニュータイプじゃないの?

そんな勢いでこの先を変えて行けない?

2018-10-02

anond:20181001165502

本当は社会全体にもっと余裕があればいいんだよね。ただしそれは、お金があればいいという意味ではないよ。

資本主義文明を発達させる上で非常にパワフルなんだけど「無理無駄をなくし社会最適化する」方向にパワフルなんで、発達するほど「余裕」は消えていく。そこがマズいんだよなあ。いくらお金が増えても、余裕はどんどん減っていくんだよ。

もちろん構造上「余裕」を計算して入れることはできるんだが、社会にどのくらいの「余裕」が必要かはなかなか決定できない。たとえば「余裕」のない構造ビルにはひずみが生じてひび割れる、それは誰でも見えるけど、社会に生じたひずみ(事件自殺者等)は複雑系なので人によってさまざまに解釈されるのでどうにでもごまかされちゃう公園を作ったらどのくらいいじめが減るのか、休日を増やしたらどれくらい自殺者が減るのか、誰も確定的に答えられない。

「未熟」「病」は資本主義社会からの逸脱だけど、肉体的なそれはまだ対応可能なんだよ。でも精神的な未熟や病って、社会主義はもちろん資本主義システムでさえうまく対応できない。まだしも、封建制システムの方が(逃れがたい「社会役割」を与えたり(身分強制的に「仕分け・分類」したり(狂)して)対応していたっぽいんで、いっそ封建制資本主義ハイブリッド社会を構築すればいいのかな? なんて思ったり思わなかったり。

たとえば、東京社会保障を限りなくゼロにした資本主義経済特別区として、そこでは社会が激しく動いて活動してる。でも、東京を一歩離れるとガチガチ規制がある社会で、駄菓子屋があって田舎商店街があって代々続く魚屋があって服屋、靴屋があって、そこに生まれたら後を継ぐことが決まっていて、町から出ることもなく日々を過ごす人がいて、そして20年、50年、100年変わらぬ暮らしのんびり続いていく。子供らも大人の目の届くところで遊んでいて、そこでは日がな一日ぼーっと空を見ているだけの人も「そういう存在」として社会役割など期待されずに暮らしている。顔の見えるつき合いの範囲で、村の「おきて」みたいなものも決まってくる。「社会批判」とか「向上心」とかは、そこでは称揚されない(そういう人は東京特別区移住させる)。そういう社会デザインしてみるのもいいのかもしれないね

2018-09-25

anond:20180924111816

反論は、すでに

「生きづらさを抱える人たちが、自分らしく生きられるようにするための福祉行政全般否定していると受け止められかねない」(橋本岳自民党厚生労働部会長)

という公式コメントに尽きている。

同性愛者が子供を作らないことは誰も否定していないが(とはいえ養子を育てたり、そういう仕事についたり、そもそも社会人として税金を納めていることで、杉田議員の言う意味での社会的再生産にも十分に寄与しているわけだが)、それに対して。「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題し、「社会は『常識』を見失うな」と主張することは、LGBTは「常識外」の存在であるという旧来の見方を堅持し引き続きLGBTに日陰者である「生きづらさ」を引き受けさせろという主張にしかならない。端的に言って「差別されてきたお前らは今後も差別されておけ。そしたら私(たち)は幸せ。」という主張である。「のび太のくせに生意気だぞ」のジャイアン理論、と言えばわかりやすいだろうか。そこに「理」はあるだろうか?

フランス民主革命が起こったとき封建制という社会秩序が崩壊する」と憤激した人もいた。アメリカ黒人解放されるとき奴隷制という社会秩序が崩壊する」と反対する人もいた。いずれもわかりやすジャイアン理論である。だがそれらの改革社会『全体』の利はどうであったか。「生まれ」に関係なく権利保障された民主主義社会人種にとらわれず社会的活躍できる社会が実現されたことは、人類全体にとっては確実に「利」があった。ジャイアン的に「オレサマのかんがえるむかしのさいこのしかいちつじょ」を守るのが政治のつとめではない。それは単なるノスタルジー、あるいは既得権益擁護だ。社会全体に利がないという意味で言えば、それは社会悪ですらある。政治あくま現実立脚理想を実現する行いでなければならない。


では、なぜあなたの視界に杉田議員への「反論」が入ってこないか。その理由を併せて述べておこう。「理論反論」というのは、議論する双方が誠実に事実立脚して行うという信頼関係の上にしか成り立たないのである感情の上に議論は成り立たない。

「これまでの社会にはこういう問題があるでしょ?」「だから、こういう新しい社会にしたら社会全体に利があるよね」という話をしているのに「私はこういう社会がいいんだもん」「社会全体に利があるとか分かんないもん」などと発言しているも同然な(杉田議員の「論」とやらを要約すれば、こういう事に過ぎない)人に対して直接「反論」を行うことはそもそも意味がない。それどころか逆上した相手が「再反論」という形でますます妄言をまき散らすキッカケにしかならないので、まっとうな人ほど「反論」をしない。私だって杉田議員にこんな話を説明する役目など引き受けたくない。

私が今回説明したのは、相手あなたからであるあなた問題構造理解しようとしているからだ。その信頼感がなければ、自分の貴重な時間を割いたりしない。

結局のところ、杉田議員の「論」的な何かは、信仰告白に過ぎず「論」ではない。もう少し正確に言えば、ある信仰の下に生きることにした人々の支持を狙ったあざとい政治立場とりますよ、という宣言と言ってもよい。ああい下品文章を書き散らしてまで議員椅子にしがみつくことが、彼女が本当に実現したい何かにつながっているのか、それは私にはよく分からないが、私はそういうやり方はきわめて本末転倒だと考える。あの「論」の中身を彼女自身が信じている可能性? それはほぼゼロだ。いかにも叩かれそうなことを考えている政治家はたくさんいるが、そういう場合しろ隠して耳障りのいいことを言う。スキャンダラスなやり方を平気で選ぶのは、彼女自身別にそれを信じてない(しかしある種の人々にはヒットすると知っていてそのための手段としてやっている)からだろうと私は推測する。

2018-09-24

anond:20180606191933

代議制民主主義ってのはそういう意味じゃない。愚民政治乙。

ただ日本民主主義がないという指摘は同意。結局、日本人が自力で作り上げた江戸封建制に戻ってきた感ある。

2018-09-11

anond:20180911202658

(1)アメリカメディアについて言ってるんだとしたら

political correctnessを全面に押し出し日本非難する報道は知らない(偏見に基づいた日本批判なら知ってる)。この問題を日米代理戦争の道具にしようとしてるのが気分悪いし、大坂立場考えてもそれはないって思う。


(2)日本ポリコレ連中について言ってるんだとしたら

外国由来の思想だとしても日本で主張するのは自由だろ、外国由来の思想議会制民主主義も何もかも捨てて封建制に戻りたいのかな


(3)そもそも自分ポリコレなんて一言も言ってないからな、藁人形叩き。本心を言うならポリコレの人の正義棍棒で囲んで叩けな雰囲気も大嫌いなんだが、自分がそれを表明しない権利もある(「アホなポリコレ集団を叩く」さらに大きな囲みにも加わらない)ということを主張している。

2018-09-03

anond:20180903183224

封建制時代ならともかく、今の世の中で勝者総取りがすんなり受け入れられるとでも?

2018-05-18

anond:20180517162500

単純な戦闘であれば、戦闘員と非戦闘員との間での損害割合戦闘員1に対して非戦闘24という統計はあるよ。侍1:百姓24だ。

だがこの質問場合にも当てはめることができるかどうかは微妙だ。

そもそも農民」と「侍」は不可分である

封建制社会とは、土地権利媒介にした支配体制のことだ。土地を持った存在支配者とその支持者である

村落は年貢だけでなく兵士の供出義務も負っている。つまり戦闘員とは普段農民である

さら戦闘がどのような状況で起きるのかによっても損害は違う。

外部からの援助が期待できるなら、戦闘せずに守りを固めればいいので戦闘は起こらない。よって被害もない。

援助が期待できない側はどうしても決戦に持ち込みたくなるだろうが、相手が守っている以上攻撃側の被害は大きくなる。

戦闘を行う当事者はどんな戦力を持っていてどれだけの戦力をどれだけの期間投入できるか?援助は得られるのか?といった、戦闘の外にある「政治」が問題になる。

2017-11-13

anond:20171113133714

封建制下の話を持ち出すのなら、封建制「よりも」という言葉が出るわけがないはずなんだがな。

封建制下の多様性は「許可のもとに確保された(または許可かいくぐったアウトローな)」多様性しかなく、

それはまさに

俺たちが多様性だと認めたものだけ保護してやる

と同じなので、「よりも」という言葉選びをした時点で、お前全然分かってねーなってなる。

構造が同じなのであって、以上・以下という「量の話」にはならん。

2017-11-09

anond:20171109125944

君は政治思想勉強しはじめた高校生

自慢したいのはわかるけど、「古典的自由主義左派自由主義リベラル)は全く別物であって」

って書いてる俺に何故わざわざ「リベラルとひとことで言っても、classical liberals もありゃ modern liberals 、scocial liberals いろいろ」

説教してるの?

絶対王政封建制破壊するもの」にツッコんでるけど「する」と「した」の違いわかる?

理想現実」というやつだよ。現実には破壊しきれなかったといっても目指す方向はそっちなんだよ。

>「あなたの言うリベラルってのは、僕の言う教条主義的な見方のものであって、全然リベラルじゃなくて、左派自称リベラルな感じだなあ」

全く意味不明。「僕の言う教条主義的な見方」って俺は君の知り合いじゃないからそんなん知らんがな。

ただし、

>ひょっとして共産主義系の方?

これも全く意味不明マルクス・レーニン主義左派リベラル思想継承してるとはいえるけれども、

そして日本リベラルと呼ばれてる人達に大きな影響を与えてるけれども

もっとからあって、今でも広く共有されている考え。

そしてそもそも俺は左派自由主義者じゃない。左派自由主義思想根本にあるものは何かを説明しているだけ。

日本の「リベラル」の多くにとっては、形式上民主主義の国になったけれども、まだ国民主権は不完全なものだという認識

安倍政権古典的自由主義批判してるわけじゃない。

安倍政権は「真の民主主義」の政権じゃないから打倒すべきものだという思考があるから元増田の主張は彼らに届かない。

anond:20171102105424

どうも突っ込みどころが満載で...

ええと、まず、あなたリベラルという語の定義というか意味づけに無理がある。

liberals と言えば、特に断ったり文脈から明らかで省略されたりしない限りは、classical liberals だって当然含まれる。一方、あなたの言うリベラルは、ほとんど social liberal のことばかり。(それも結構せまい意味での social liberals )

リベラルとひとことで言っても、classical liberals もありゃ modern liberals 、scocial liberals いろいろ。

また、「絶対王政封建制破壊するもの」と言い切っているけれど、実際には封建制の上に立っていたという面もあるわけで、詳しい引用は避けるけれど、封建制と新興ブルジョワジーの均衡の上に成立したものというあたりが妥当見方では?

なんか、あなたの言うリベラルってのは、僕の言う教条主義的な見方のものであって、全然リベラルじゃなくて、左派自称リベラルな感じだなあ。 ひょっとして共産主義系の方?

2017-11-02

anond:20171101161439

完全な間違い。同意する人が多くて驚く。

古典的自由主義左派自由主義リベラル)は全く別物であって、古典的自由主義の発展型ではない。根本が違う。

左派リベラルの原型にとって絶対王政は敵ではなく、むしろその原型。

左派リベラルの敵は封建制貴族の力が強く王といえどもその自治権に逆らえなかった。

絶対王政封建制破壊するもの

その絶対王政の「王」の権力を「人民」が所有することによって、

まり人民(の総体)が権力になることによって自由が得られるという考え

政府の行うことは人民希望することだから全てハッピー

だとするなら民主主義体制で選ばれた政府批判するのは自分自身批判してるようなもの矛盾しているが

左派リベラル政府批判するのは「巨大な権力者恣意的権力乱用から市民市民自由を守る」ためではなく

現在日本権力者は真の民主主義で選ばれたものではないか批判する」ということになる。

それを踏まえなければ、日本左派リベラルの主張は理解できない。

2017-09-30

https://anond.hatelabo.jp/20170930094528

西洋での同性はもとをただせばキリスト教にさかのぼ宗教的な罪Sinなわけだし、ラフミュージックとかで公衆面前リンチされることもあったし、一昔前は犯罪ですらあった。

そんなハード歴史がない、同性愛が「なんかキモイ」どまり日本西洋同性愛差別反対のロジックを持ち込んでもそう簡単に人を納得させられない。

ムカつくっちゃあムカつくけど地主とほどほどになあなあでやってきた村に打倒封建制を掲げて鼻息荒く乗り込むようなもんだわ。

2017-08-28

https://anond.hatelabo.jp/20170828173633

女性神聖視する男性一定数居るのはそういう教育があるからで、その教育があるのは女性価値の上昇教育をしないと、旧来の社会にあった「男性存在価値女性存在価値」って言う構造是正できなかったからだよ。

言っちゃうとその神聖さってただの設定で実態はない。人権上の見地から女性価値を引き上げたい社会と、もう奴隷扱いされるのは嫌な女性が合同で創作した虚構だと言える。

これはいわば、女性に対して架空ブランド価値をつけてその地位底上げしようという作業だ。ブランディングによって女性地位は上がった。

女性から男性に対する神聖視はなぜ逆より少ない(ほぼない)のかといえば、それは有史以来の歴史だと、男性強者であったからだよ。狩猟採集時代から封建制にいたるまで個人の肉体能力暴力性能)は地位を守る重要な(ときには唯一の)手段で、男性女性よりこの点で優位だった。その後歴史舞台組織的社会うつっても、男性は前の時代リードを守り続けてきた(男性優位の父権社会)。つまり男性底上げをしなくても十分にその地位保証されてたから、後付の神話必要なかったんだよ。

からといって、こういった女性へのブランディング戦略が、ベストに良いものだったかって言うと、それも違う。

本来であれば「女性がその能力を十全に示して、社会において女性男性と同じように有用だと証明する」ことによって社会における女性地位向上を図るのが王道だったんだけど、それは色んな理由で当時は難しかった。さっき言ったように男性社会においては、そもそも女性には最初のチャンスが与えられないので、結果を残すことも難しかたから、証明までたどり着かなかったんだわ。いまでも完璧な受入状況を社会が作っているとは言い難い。

そこで次善の策として採用されたのが「女性という存在は尊くて素晴らしい女神のようなものなので、男性はその身命と権利を守るべし」という架空ストーリー価値観)なんだよ。封建主義社会騎士道的な世界観とでも言うべきもの。これが現在童貞力の先祖になってる。

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