2018-10-02

anond:20181001165502

本当は社会全体にもっと余裕があればいいんだよね。ただしそれは、お金があればいいという意味ではないよ。

資本主義文明を発達させる上で非常にパワフルなんだけど「無理無駄をなくし社会最適化する」方向にパワフルなんで、発達するほど「余裕」は消えていく。そこがマズいんだよなあ。いくらお金が増えても、余裕はどんどん減っていくんだよ。

もちろん構造上「余裕」を計算して入れることはできるんだが、社会にどのくらいの「余裕」が必要かはなかなか決定できない。たとえば「余裕」のない構造ビルにはひずみが生じてひび割れる、それは誰でも見えるけど、社会に生じたひずみ(事件自殺者等)は複雑系なので人によってさまざまに解釈されるのでどうにでもごまかされちゃう公園を作ったらどのくらいいじめが減るのか、休日を増やしたらどれくらい自殺者が減るのか、誰も確定的に答えられない。

「未熟」「病」は資本主義社会からの逸脱だけど、肉体的なそれはまだ対応可能なんだよ。でも精神的な未熟や病って、社会主義はもちろん資本主義システムでさえうまく対応できない。まだしも、封建制システムの方が(逃れがたい「社会役割」を与えたり(身分強制的に「仕分け・分類」したり(狂)して)対応していたっぽいんで、いっそ封建制資本主義ハイブリッド社会を構築すればいいのかな? なんて思ったり思わなかったり。

たとえば、東京社会保障を限りなくゼロにした資本主義経済特別区として、そこでは社会が激しく動いて活動してる。でも、東京を一歩離れるとガチガチ規制がある社会で、駄菓子屋があって田舎商店街があって代々続く魚屋があって服屋、靴屋があって、そこに生まれたら後を継ぐことが決まっていて、町から出ることもなく日々を過ごす人がいて、そして20年、50年、100年変わらぬ暮らしのんびり続いていく。子供らも大人の目の届くところで遊んでいて、そこでは日がな一日ぼーっと空を見ているだけの人も「そういう存在」として社会役割など期待されずに暮らしている。顔の見えるつき合いの範囲で、村の「おきて」みたいなものも決まってくる。「社会批判」とか「向上心」とかは、そこでは称揚されない(そういう人は東京特別区移住させる)。そういう社会デザインしてみるのもいいのかもしれないね

  • わかる。 が、人間に欲があるかぎり、余裕を儲けに変えようとする人間が現れるので、いつの時代でも人間社会には余裕が生まれないという気もしている。 そして、そういう構造をあら...

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