女性を神聖視する男性が一定数居るのはそういう教育があるからで、その教育があるのは女性の価値の上昇教育をしないと、旧来の社会にあった「男性の存在価値>女性の存在価値」って言う構造を是正できなかったからだよ。
言っちゃうとその神聖さってただの設定で実態はない。人権上の見地から女性の価値を引き上げたい社会と、もう奴隷扱いされるのは嫌な女性が合同で創作した虚構だと言える。
これはいわば、女性に対して架空のブランド価値をつけてその地位を底上げしようという作業だ。ブランディングによって女性の地位は上がった。
女性から男性に対する神聖視はなぜ逆より少ない(ほぼない)のかといえば、それは有史以来の歴史だと、男性は強者であったからだよ。狩猟採集時代から封建制にいたるまで個人の肉体能力(暴力性能)は地位を守る重要な(ときには唯一の)手段で、男性は女性よりこの点で優位だった。その後歴史の舞台が組織的社会にうつっても、男性は前の時代のリードを守り続けてきた(男性優位の父権型社会)。つまり、男性は底上げをしなくても十分にその地位が保証されてたから、後付の神話が必要なかったんだよ。
だからといって、こういった女性へのブランディング戦略が、ベストに良いものだったかって言うと、それも違う。
本来であれば「女性がその能力を十全に示して、社会において女性は男性と同じように有用だと証明する」ことによって社会における女性の地位向上を図るのが王道だったんだけど、それは色んな理由で当時は難しかった。さっき言ったように男性社会においては、そもそも女性には最初のチャンスが与えられないので、結果を残すことも難しかったから、証明までたどり着かなかったんだわ。いまでも完璧な受入状況を社会が作っているとは言い難い。
そこで次善の策として採用されたのが「女性という存在は尊くて素晴らしい女神のようなものなので、男性はその身命と権利を守るべし」という架空のストーリー(価値観)なんだよ。封建主義社会の騎士道的な世界観とでも言うべきもの。これが現在の童貞力の先祖になってる。