はてなキーワード: 入院とは
くだらん会議が無くなって、打ち合わせは各担当者がオンラインでやる。
無能上司連中の気に食う食わないの面倒事が無くなったおかげで長くても20分程度で終わる。
上司を通さなくなったおかげで計画書がスムーズに回るようになり、他部署との連携が良くなった。
ろくすっぽ見ない週次報告書は不要になり、月次報告書だけになった。
尚月次報告書も本当に必要な所だけ報告する形になったので制作も楽になった。
※TRPGと題していますが、正確にはクトゥルフ神話TPRGです。
胸糞の悪い話です。
もう終わったことなので、抱えていたくないので吐こうと思いました。
身バレの可能性もありますけど、今となってはバレた所で何も失うものがないのでいいです。
私が言いたいのは、
同卓者の「大丈夫」を信用するな
これです。
この日程大丈夫ですか?って聞いても、大概の人は大丈夫です!とかこの日なら大丈夫です!とか返すでしょう。
ここで、本当かな?って考えたことはある人はどれだけいるんでしょうか?
知らないのに長期日程を組むんですか。土日を卓で埋めるんですか。本人が平気だと言ったから?
みてみてこのバカ日程とか、愚かだ~ってTwitterで笑ってる場合じゃないですよ。
私の恋人だった人(以下Aとします)も、各方面に大丈夫と言いながら月のカレンダーに卓予定をびっしりと書き込んでいました。
実際大丈夫じゃありませんでした。
しかし診察の予約はおろか、だんだん検査のための通院までサボるようになりました。
もう一度予約を取るように頼み込んでも、だって卓が近いから。表情差分が揃ってないから。どうせ今回の結果も変わらないだろうし。といった調子です。
飼っていた猫の世話はおろか、ドアを閉め切って一瞥もしない日が多くなりました。
むかしは天職だといって意欲的に働けていた仕事も、ほとんど出勤もしなくなり、リモートで働いているように見せかけて、居眠りしていた姿を何回も見ました。
どんなに大変な事態が起こっても、今後の卓のリスケのことしか心配していない様子に、何度ぞっとしたか数え切れません。
そうこうしている内に、家庭内別居のような生活が続き、だんだんAと私は険悪な関係になりました。
ただそこにあるのは、卓予定調整、立ち絵ディスプレイ準備、卓本番、感想戦、ふせったーの投げ合い、FA量産、うちよそのリプ合戦。
Aの1日は、それだけになっていました。
生活が荒めば荒むほど、AのTwitterはキラキラと充実し、いいねもフォロワーも着々と増えていきました。
それしか居場所が、楽しみがないから、依存してのめりこむ。悪循環です。
でも止められない。そうこうしている内に周囲はチヤホヤ囲い込んで引きずり込んでいく。
同居者の私の事は一切省みずに、通話でうちよそ恋愛RPをして騒ぐのを耳にしながら耐えるしかない日々。
いつか一緒に回った思い出のシナリオも別のうちよそ相手に回すようになり、仲良かったPCを改変してまで他フォロワーのPCとくっつけたり、
一緒に回ったとある4PLシナリオで、私と同じHOだった別卓のフォロワーのPCを、このHOにおいて最高のPCだと褒めたり、
珍しく嬉しそうに話しかけてくれたと思ったら、自陣やうちよその自慢話、卓での武勇伝、表で出せない同卓への愚痴、悪口、お気持ち。
私にとっては地獄でした。
ただただつらかった。気が狂いそうでした。
いや、実際Aがうちよそで結婚シナリオ回ってた時は怒りで狂い死ぬかと思いました。
こんな背景を知っていたら卓に誘えますか?
恐ろしいことにこんな状況の人でも、まともに卓だけは出来るみたいなんですよ。すべてを犠牲にしているから。
同卓者には朗らかで愛想良く振舞いますが、同居者には思いやりのかけらもない態度ばかりです。
参加するかは個人の自由、個人の責任。揉めるのは家庭の問題。と言ってしまえばそこまでの話でしょう。
ただ、Aはどちらかというと身内の輪の中で卓を回すタイプでしたので、卓にはいつも似たようなメンバーが参加していました。
だから、私は誘った誘われた同卓相手についてどうしても物申したい気持ちがあるんです。
なんで大丈夫だと思ったんですか?
同卓は悪くないじゃん?と思った方は、TRPGをそのまま煙草とか酒とかギャンブルに置き換えて考えてみてください。
卓を重ねてどんどんおかしくなっていく恋人を、どんな気持ちで支えていたか分かりますか。
心配をよそに毎日のようにお祭り騒ぎをしているのを見るのが辛くて、誰にも相談出来なくて。当時は私も心身の調子を崩し、輪を抜けて卓を引退しました。
再三言いますが、
卓予定を立てるのをやめてください。少なくともゆとりのある日程を立てるようにしてください。
卓を詰め込んでいる人間が、まともな生活送れるわけがないという前提で疑ってください。
ただ拘束時間が長すぎるんです。真面目にやろうとすればするほど、特に働いている人間にとっては致命的です。
その人と一緒に住む人たちは卓参加を歓迎していますか?聞いてみてください。
ひょっとしたら知らない所で誰かから激しい憎しみを向けられているかもしれないです。
私たちの生活はすっかりAの卓予定を中心に回るようになり、卓のない日もAには卓準備あるいは感想文FA作り等があるせいで、二人で今日は何しようか?と考える日なんてありませんでした。
Aの中ではすっかり、卓のある日は楽しい日、無い日は楽しくない日となっていたらしいです。
プロポーズの可能性なんて夢のまた夢、どちらからともなく結婚に関した話題を避けるようになりました。本当に冷めた関係になりました。
卓参加を引き止めるのは難しいんです。
本人が納得できるように説得して止めるのは、本当に、本当に難しいことなんです。
ですが、TPRGというものは私生活も体調も、人間関係も、いともあっさり簡単に壊します。
誘われる側も、もっと考えてください。自分さえよければいいという考えをいますぐ捨ててください。
一緒に暮らす人間の私生活も、削って捧げていることにどうか気付いてください。
迷惑なんです。
Aと私の同居を知っていても、うちよそを組んで毎週のようにタイマンシナリオを回して、卓でもTwitterでもいちゃつきまくってたあの人。
人数が足りないけどいける?と突然卓をねじ込んできたあの人。
Aさんの絵最高~!もっと見たい!という風におだててFAを催促しても、自分からは一切描かなかったあの人。
許せない人ばかりです。
一緒に過ごす時間を、卓よりも楽しいとAに感じさせることが出来なかった。
何より本人が楽しいと心から喜んで、夢中になっているものを、取り上げることなんて、ついに出来ませんでした。
当時のことを思い出すと、今でも悔し涙が出ます。
ただ、卓さえなければ。
卓さえなければ、もっと幸せになれたのにという思いにこれからも苦しめられるんだと思うと、最悪です。
かれこれずっと長い付き合いで、この先だっていくらでも一緒に暮らせると思ってたんです。TRPGにハマる前は。
積み上げてきた年数よりも遥かに短い期間のうちに、笑えるほど全てが壊れました。
卓で埋まった生活が続いた後、Aは入院しました。それをきっかけに色々と揉めた結果、別れるに至りました。
向こうの主張としては、人の唯一の楽しみを奪って思い通りにコントロールしようとしているのが気に入らなかったと。
個人の楽しみや趣味を一方的に否定して、奪うのは間違い。それも当然だと思う。
しかし、それは周囲に迷惑をかけず、やるべきことをこなし、自分で自分を支えている人だけが主張出来ることではないか?
コントロールされるされないの話じゃない。そっちが自分で自分の欲望をコントロールすることが出来てないから私は困っているんだ。
TRPGにはまるのは自由だけど、何よりも優先度を高くして、他を蔑ろにするのはおかしいんじゃないか。
そんな調子で話してみても、結局は最後まで分かり合えず、平行線のままでした。無駄な努力でした。
資金が貯まったら結婚式しようと話していたのに。もう何も考えられなくなって、自分の家族にも事情を正直に説明できませんでした。
別れる際に猫についても散々争いましたが、世話を放棄して卓で大笑いしていたような人に任せたくない一心で私が引き取りました。
今現在もとっても元気で、とってもかわいいです。人の諍いに巻き込んでしまって、申し訳ない。
結局Aはアカウントを消し、残った別垢も鍵垢なのでもう私には何も分かりません。(消すに至った理由は他にもありますが長くなるので割愛します)
あの頃あんなに仲良くべったりだった卓仲間たちも、どうやら今現在はAと全然関りがないみたいです。
Aが消えて少し経ちますが、その人たちはすっかり平常運転に戻って、くる日もくる日も別のTRPG仲間と卓報告をあげていたので、モヤっときて日記にしました。
そういえばあの人たち、私が卓引退した時もろくに反応なかったですね~。
楽しい話題に溢れ、何事もなかったようなTLを眺めていると、自分たちの苦しい日々は何だったんだろうとただただ虚しくなりました。残酷ですね。
あの人たちも何かを削って卓を続けているんでしょうか。
そこまでして遊び続ける意味が分からない。何もかもすり減らす趣味なんてろくでもない。
もう、いい加減にしたらどうですか。
結局何も残らなかったし、何にもならなかった。Aが積み上げてきたものも、仲間も、全部虚像だったんです。
責めても仕方がないことに対して嘆きたい気持ちばかりが渦巻いています。
どうか、こんな思いをする人がいなくなるように願うばかりです。
誰もかれも楽しく遊びたかっただけ。どこにも悪意なんてなかったと思います。それでも地獄は生まれました。
あのとき私は、どうしようもない怒りをどこに向ければよかったんでしょうか。
《追記》
まさかこんなに拡散していただけるなんて思ってもいませんでした。冷や汗が止まりません。
数々の反応、ご意見、ほんとうにありがとうございます。
私も視野が狭かったですし、ずいぶん身勝手な主張をしてしまった自覚はあります。一つ一つ反応を読みながら、勉強させていただいております。
私のような人がこれ以上生まれずに、皆さんがトラブル無く楽しい卓生活を送っていただけたら何よりの本望です。
最後に追加で吐かせてください。
Aへ
ずっと心から愛していました。
ひどい人間でごめんなさい。
https://anond.hatelabo.jp/20221121085518
あっというまに、2週間が経ってしまった。
忌引で仕事を休んだりしたのでまあ周りも知っていることなんだけど、あんまり気を遣われたくなくて、でも誰かに聞いてほしいのでつらつらと書く。おじいちゃんは本当に最後までマイペースだったし、面白い人だった話を、どうか暇な人は読んでいってほしい。
突然つれあいをなくしたおばあちゃんは、久々に孫であるわたしの顔を見て笑ってくれだけど、足取りがおぼつかなくて、ただでさえちっちゃい(身長、145センチしかない)身体がますます小さくみえた。「おじいちゃん、座敷にいるから会ってあげて」と言われたので向かう。布団に、顔にかけられた白い布。それを見たらぐっと目が熱くなった。布を取ると、眠ってるみたいなおじいちゃんの顔。この家で夕ご飯を食べると、おじいちゃんはお酒を飲んで、その後一緒にテレビを見てるといびきをかきながらうたた寝をしてしまう。そんな時の顔だった。声をかけたら起きてくれそうなのに冷たかった。
その日の夜、おじいちゃんの家でお通夜をした。数人だけど親戚も来るということで、玄関を掃いておこうと、箒を探しに納屋に入ると、使いかけの肥料や、明らかに「まあどうせ明日も使うしここら辺に置いておくか」って感じで適当に置いたらしい鍬、何日に白菜を収穫するとか来年の作付をメモしていたホワイトボードがあって、ああ、おじいちゃんにとってもこれは急なことだったんだなとぼんやりと思った。
枕経に来た菩提寺の住職さんは、わたしとそう歳の変わらない、若いひとだった。お経をあげてもらい、納棺をする。旅支度をさせて、花をいれて、孫全員(私含め6人いる)の手紙をいれ、お気に入りだったシャツをいれ……その過程で、ずっとぼんやりしていた祖母が棺に取り縋って泣き出した。まだ祖父が死んだ実感が薄かったわたしも、さすがにその姿を直視できなくて目を逸らしたとき、視界の端で住職さんがしきりに鼻をすすったり、マスクを直すふりをして目元を拭ってるのが見えた。なんでも、婿養子として今の寺に来た時に、ちょうど祖父が檀家の総代をしていて、祖父はそれこそ孫と歳の変わらない若い彼のことを気にかけて可愛がっていたらしい(親戚談)。きっと仏門に入った人にとって、通夜も葬儀も日常茶飯事だろうに、その人がそんな感情に呑まれるくらい、祖父は面倒見のいい人だったらしい。妹や従妹もその住職さんが泣いているのを見たらしく、後々孫の間で「もしかしたら他所にも孫みたいな人が他にもいるのかもね」なんて話した。
その翌日は友引で、葬儀は次の日に延ばし、火葬だけを行った。この日もおじいちゃんはなかなかやらかしてくれた。おじいちゃんを乗せた霊柩車が家を出る時は、集落中の人(ガチの限界集落である)が見送りにぞろぞろと集まって、見送ってくれた。ちょっと壮観だった。
本来こういう時は霊柩車の後ろに、参列者を乗せたマイクロバスがついてみんなで火葬場に行くものだと思う(というかわたしが経験した葬式ってそういうのしかない)んだけど、コロナ禍だし、あとあんまりにも急すぎて来れる人も少なかった(田舎だし、みんなお年寄りなので、足が確保できないと来れないのだ)ので、うちや叔母の家の車3台に分乗して、火葬場に向かった。
しかし、せいぜいどんなに安全運転しても20分くらいで着くはずの火葬場になかなかつかない。道中の信号がうまいこと全部赤で引っかかるのだ。わたしの母は三姉妹の長女で、まだ心ここに在らずな状態の祖母と連名で喪主をしていたため霊柩車に乗っていたが、わたしが「おじいちゃん、よっぽど行きたくないんだな……」と言うと父は「だろうな……」と深く頷いていた。
30分以上かけて火葬場に着いた。そこからはさすがの祖父にももうどうにもできず(?)あっという間で、その後2時間もしないうちに、祖父は骨になった。若い頃(といってもわたしが見た記憶があるのでめっちゃ若いわけではない)に建築業についていて、屋根から落ちて骨折した時に手術していれたボルトがしっかり焼け残っててびっくりした。手先、足先の細かい骨は、年齢もあってさすがに……だったが、大腿骨や肩の骨はがっちりしていた。祖父はこの年齢では背の高い人だった(たぶん170センチ越えてた。祖母と並ぶと身長差がすごかった)のに、結局のところ、最後には母が抱えられるサイズの骨壷におさまった。「こんなに小さくなっちゃうんだね」と母がつぶやいた時は、なんで言っていいのかわからなかった。
帰りはそんな祖父を抱えた母もうちの車に乗って、また3台の車で祖父の家に帰った。霊柩車で来る時に通った道を避けて帰る、ってのは全国共通の風習なのかな……?だから、来る時よりは少し遠回りになる……はずだった。でも20分で帰れた。なんせ信号、全部青。骨壷を渡された時の母の顔はさすがに見ていられなかったけど、祖父の家の屋根が見えてきた時に母は、「帰りはあっという間だったね……」と困ったような笑みを浮かべていた。おじいちゃん、どんだけおうち好きだったんだよ……。
家族葬だったけど、焼香をしにたくさんの人が来てくれていた。みんな、新聞のお悔やみ欄で見てとるものもとりあえず大慌てで……って感じで来てくれていた。「入院してたのか?!聞いてないぞ!」と言う人もいた。病院には1泊しかしてない、本当に急だったということを何遍も説明する母は、最後のほうはさすがに疲弊していた。ちなみにこの日は大雨だった。無口な従弟がぼそりと「未練あり過ぎだろうが」と言っていた。それな、と返した。
式自体は身内だけで行って、このご時世だから会食は無しで折り詰めを持って帰ってもらい、また骨と、遺影と、白木の位牌と一緒に祖父の家に帰った。
とりあえず自分達も折り詰めを食べながら、母は葬儀屋と四十九日の日程をつめ、その後も墓石屋や位牌の手配、この後家に直接弔問に来てくれる人への対応の打ち合わせを叔母たち(と、まだどこか虚ろな顔をした祖母)がやっている時、まだ細々とやることは残ってはいるがひとまずは一通り終わったね、お疲れ様だったね、という空気が流れつつあった。
でも、ここで終わらないのがおじいちゃんだった。突然この家の固定電話が鳴った。
母が電話を取ると、相手は伯父(父の兄。他県で父方祖母と一緒に住んでいる)だった。葬儀に花を出してくれたり香典も出してくれたから、今日が葬儀だったことはわかっていたはずだし、なんだか様子がおかしい。泣いてるのか笑ってるのかわからない声で喋っていた(母談)らしく、何かあったのか母が(たぶん疲れもあって)少し強い口調で問うた。その返事は、
だそうだ。
祖父は交友関係は広いがそれぞれ相手にマメな人だった。うちの父方の親戚に対しても、季節の果物や特産品なんかを折々に送っていた(向こうからもよくお返しも来ていた)。この時期は林檎(ほぼ出身地がバレるな……)を、他県の親戚や知り合いに毎年毎年手配して贈っていて、それが、葬儀をやって当の本人を極楽浄土に送ろうとしていたっていうのに、それがちょうど終わったタイミングで相手に届いた、ということらしい。……それは普段無口な伯父さんも、反応に困っただろう。「○○さんからの最後の贈り物だから美味しくいただく。冬にはこっちから蜜柑を送るからよろしく」ということで電話が終わり、私たちは大きく溜息をついた。「たぶん、この調子だともう何軒か送ってそうだなぁ……」とみんなで笑い合った。
さすがにちょっとしんどかった。
あまりにも急すぎた。呆然とした祖母を見るのが辛かったし、その祖母の代わりに喪主の仕事を引き受けるためにずっと張り詰めた顔をしていた母を見ているのも胸が痛かった。出来ることしか手伝えなかったけど、母から葬儀が終わった後に「あんたら(私や弟妹)がすぐ飛んできてくれて本当に助かった」と言われた時の弱々しさが心配で、結局今いる自分の家に戻って来れたのは11/25だった。
だけど、そうして過ごす中にも、ふと思い出す祖父の話(孫相手に遊びにムキになったり、高校生の叔母が夜遊びしてぶっ飛ばされた話だったり)や、こうして亡くなった後にもなんだか面白いことをしてくれるおじいちゃんのことを話せる相手は、なかなかいない。
でも、顔を知らなくて、こんな長文をここまで読んでくれる人に、ちょっとでも聞いてもらえたらなんだか心持ちが楽になる気がして、あと、悲しいだけではないって気持ちになれると思ったので、こうして文章にしてみた。
読んでくれて、おじいちゃんのことを知ってくれて、ありがとう。
余談。
わたしが今の家に戻る前日、仏具屋に母と行って、位牌のカタログをもらって祖母の家に行った。その後数日、祖母はカタログを見て、あと母が撮っていった店頭にあった位牌の写真も見て、散々悩んだけど、そのお店で一番よく出回る、スタンダードなものを選んだらしい。「それでいいの?」と母が訊いたら、「わたしが死んだ時は、お父さん(祖父のこと)とお揃いの位牌にしてほしいから。これならすぐお揃い作ってもらえるでしょ」と言ったそうな。お揃いの位牌。ちょっとパワーワードだな、なんて思った。でもさぁおばあちゃん、そんな早くいったらおじいちゃんたぶん額に青筋立ててめっちゃ怒るから、もう少し一緒にいてほしいな。お正月には会いに行くからさ。
じゃあ聞くけど、いくらかかった?
1ヶ月家族入院して付き添い入院したら、なんだかんだで家計簿付けたら10万円はかかったから、医療保険の給付金有って良かったけど。
2日入院したとかクソみたいな話じゃ無いよね?
先週腹を切って子どもを出した。
病院の事前の案内では帝王切開での入院は51万くらい掛かると書いてあって、出産一時金42万超えるから自己負担10万くらいかーと思ってたら、結果的に38万で済んで、一時金が4万円余ることになった。
子どもの入院費が1万円なので(安すぎん?)実質的な自己負担額はなしで、余った一時金は振り込まれるらしい。
事前の案内より安くなった理由として、
・限度額認定証を発行してもらった(帝王切開は高額医療で発行してもらえる、8万くらい支払いから差し引かれる。尚、申請してなくても後で支払った分は返ってくるので自己負担額自体は変わらない)
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/sb3020/r151/
・個室(有料)を利用しなかった
などがあげられる。
総合病院で食事はそこそこ、余計なオプションは全くなしで、全体の金額が小さく済んでいるのも大きい。
大部屋は今はコロナで利用者自体が少ないのか、7日目くらいまで1人で使えてたのはかなり大きかった。
昨日から同室になったけどやはり隣の音は赤ちゃんは結構気になるようです。(お互い様だし仕方ないこと)
1人目ではサービスがいいと噂のクリニックに入院したけど、たしかにご飯はあちらのが美味しかったけど居心地としてはそんなに大差ないなと思った。
発達か精神か知らないが障害者枠の同僚が体調を崩して入院することになった。
彼女をスカウト?してきた人事曰く「コミュニケーション能力は低いけど単純作業のスピードは弾丸並み」、上司曰く「電話も取れないし来客の応対もまともにできない、ただの掃除係」。
私は仕事で彼女とほとんど関わりがなくて、吃音があることと、実家から帰省するとすごくうまいクッキーをお土産に持ってきてくれることしか知らない。
彼女が入院して一週間経った。掃除する奴がいないから埃が溜まる、シュレッダーにかける書類も溜まる(急ぎでない限りその場でシュレッダーにかけず、専用の箱に入れるから)。いっぱいになったゴミ袋を替える奴もいない。備品の管理と発注も担当だって知らなかった。発注したものがいつ届くかなんて把握してない。木製の棚がいつも艶があったのは彼女がオイルで拭いていたからだった。ホチキス留めだってファイリングだってやってくれる人がいるのといないとじゃ大違い。
暇な奴が代わりにやってくれと言われても暇じゃないんだ誰も。うちの会社の人数が少ないのが悪い。
池袋事故に対する報道へのブクマカの妄想と誹謗中傷が相変わらず酷い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/92ce22476420829d3971dfe32a407f14fc0c76f7
id:Hayano 批判が殺到したのは、すぐ逮捕されなかったこと、最初から非を認めないことの2点だったのに、全く取り上げられていないあたり、実にビミョーな記事。このライター自体、情報改ざんもいいところ。
先頭を切って飛び出したトップブコメの馬鹿一丁。以下は当時の報道の引用。
捜査関係者によると、飯塚元院長は胸の骨折などのけがを負い、警察官が到着した際には救急搬送を待っている状態で、そのまま入院した。このため警視庁は現行犯逮捕せず、任意での捜査を続けている。(朝日新聞デジタル)
お前は87歳の胸部を骨折している老人を留置場に入れることが適切だと思うのか?留置場に医療設備なんてねぇぞ?死んだらどう責任取るんだ?あ?
京アニを焼き払った青葉容疑者だって現行犯逮捕されずに病院に搬送されたんだが?あれも留置場に運ぶべきだったのか?
次、非を認めないのが悪いと言うが、事故の様相から見ても本人はブレーキを踏み込んだつもりになっているのは明らか、そりゃ認めないだろ。
何?「仮にそうだとしてもみんな怒ってるんだし、頭を下げて自分がアクセルを踏みましたと認めるのが筋」だとでも?
お前それで本当に車のほうに問題があった場合はどうするわけ?何も悪くないドライバーが刑に処されるのみならず、車の不具合も見過ごされて類似の事件が起こりかねないし二重の意味で迷惑なんだが?
お前がスカッとしたいというクソどうでもいい理由でそういう社会悪を生み出すのやめてくれねぇか?この程度気の利いた中学生でも少し考えれば思いつくと思うんだけど、この馬鹿とスターつけてるアホは何考えてるんだ?
似たような意見書き込んでるやつも含めてちょっと質問に答えてくれよ?
1.容疑者がどのような怪我を負っていたとしても逮捕し、医療設備のない留置場に放り込むことこそが何よりも肝要である。(Y/N)
2.己に罪の認識がなくとも世間や被害者が怒っていればそれに迎合し頭を下げることが大切で、事実や己の認識が如何様であったかは重要ではない。(Y/N)
・どちらもYであるという人……意見との間に矛盾はありませんが、頭が悪すぎるので発言する資格はありません。
・どちらもNであるという人……意見と矛盾しているので発言する資格はありません。
・誤魔化し、話逸しを始めたくなる人……発言する資格はありません。
というわけでお前ら発言する資格ないから今後絶対にブクマするのやめてね。
あ、ブコメを上から順番に取り上げて行って微に入り細に入り叩いて行こうかと思ったんだけど、なんかどれも↑の馬鹿と似たりよったりの頓馬だから十把一絡げでいいや。
で、あと未だに上級国民とかいう陰謀論を繰り返してる馬鹿にも言いたいんだけど、えっと具体的にはid:gowithyouとかな、
なんか根拠があって言ってるの?
この人事故起こした当日から普通に顔も名前も経歴もバンバン報道されて、やれ免許が失効したの、やれ実況見分をしただのと、
事あるごとに大衆の興味を満たすために延々報道されまくっていたよね。それのどこに上級国民の上級権力が働いているわけ?
勿論根拠なんて何もないよね、しってる?それ誹謗中傷って言うんだよ?犯罪だよ?
痛ましい事件だとは思うけれども、所詮は交通事故だよ、年間何千件も起こっている。
本人だって起こしたくて起こしたはずがない、「ブレーキを踏み込んでいるはずなのになぜこの車は加速するんだ!?」って、不条理を感じてすらいただろう。
それをありもしない陰謀論持ち出して誹謗中傷して一体何が得られるの?
本人のみならず、彼の係累はお前らが面白おかしく上級だなんだと妄想を垂れ流して遊んでいることでどれほど傷ついているんだ?
そういうことに想像力を巡らすのは、まだブクマカには難しいかな?まだ赤ちゃんだもんね、仕方ないかぁそうかぁ。
知ってるよ次にお前らゴミが何を言うかは。
「でも被害者はもっと悲しんでる」だろ?以下は被害者の松永さんの意見だよ。
飯塚幸三受刑者への社会的制裁が減刑理由になったことは非常に残念でした。遺族は、減刑されることを望まないからです。僕の全然知らないところで飯塚受刑者への誹謗中傷による社会的制裁が続くことに、僕自身が戸惑っていました。
誹謗中傷に至る理由は、その人が自分のなかに持っている「正義」だと思います。あと一つ、「優しさ」もあると感じます。会見などで僕が悲しんでいる姿をテレビなどで見て、こういう思いをさせた受刑者に僕に代わって言ってあげようという思いです。実際、「松永さんは人がいいから言いたいことも言わないと思うので、私が代わって言っておいてあげました」という内容のネットへの書き込みがありました。
寄り添ってくださるのは本当にありがたいと思います。ただ、受刑者へのネットでの誹謗中傷や自宅への街宣活動を動画で見ると、むしろ悲しくなります。なぜなら、僕自身、そういうことを望んでいないからです。
僕が一番望むのは交通事故を一つでもなくすこと。そうすることが亡くなった妻と子どもの命を無駄にしなかったと言える気がするからです。顔と名前を出して会見を行い、今も交通事件の被害者遺族らでつくる「あいの会」で活動を続けるのはそのためです。
人間は感情を持った生き物ですから、怒りを持って感情を表に出すのは当然だと思いますし、その感情を否定するものでもありません。ただ、個人に対する過度な中傷は、本質的に何が大事なのかをわからなくしている気がします。誹謗中傷による個人攻撃だけに終わり、健全な議論ができなくなってしまったと感じるからです。
例えば今回、司法の場で受刑者のブレーキとアクセルの「踏み間違い」が認定されました。だとしたら、踏み間違いが起きないためにはどうすればいいのか、踏み間違えない技術があるのならそこに公費を投じてもいいのではないか──。こうした議論が社会全体で起きてほしいのです。
いま年間30万件以上の交通事故が起こり、年間3千人近い方が亡くなっています。誰もがその被害者にも遺族にも、そして加害者にもなり得るのが交通事故です。その現実を知ってもらった上で、交通事故を社会問題として考えていってほしいと思います。(AERAdot)
自分が幼稚な陰謀論で悪人を叩いてキャッキャやりたいだけなのに被害者を盾に持ち出すのは頭悪い上に卑劣だからやめておけよな。
もう何年もはてなブックマークを見る理由って社会科見学ならぬ馬鹿以下見学の為になってるんだけど、それにしても最近の劣化は酷すぎねぇか?お前らとQ anonって一体何が違うの?