はてなキーワード: 一喜一憂とは
買ったのはトルコリラ。
当時4万5千円の元手で、1年後にはおよそ4万の利息が入る利率だった。
45万円分買った瞬間に暴騰し、評価損益はプラス60万になった。
でも売らなかった。一か月後に気付くとプラスはたった10万になった。
激しく後悔した。その後多少戻してプラス12万ぐらいで決済。
次は安全に見えたドルで含み損を抱えた時もあったが、最終的に10万ぐらいの利益を上げた。
浮き沈みはあるが、含み損に耐えれば、プラスになるような考えに支配された。
買うと下がった。下がったから買う。また下がるの繰り返しで、気が付くと
最初の元手もかなり割り込んでいた。
サブプライム危機のような暴落が起きると、取り返しのつかない状態になる。
思い切って損切りして、気分は晴れやかになった。
その後もトルコリラは下がり続け、FXアプリを見ては損切りが正しかったと思った。
でも数日後、なんで売りのポジションを持たなかったのかと後悔した。
回転寿司が素晴らしいのは本当に1人で周囲を気にせず静かに好きなネタを好きな順番で食べられるところなんだ。
回っててもカウンター越しに職人がこちらをチラチラ伺ってくる銚子丸とか最悪なんだよ。
旨くても気持ちよく食べられない。
入店着席直後レーンに流れてきたスイーツをいきなりキメて、軍艦は海苔がパリッとしてて欲しいからタッチパネルで追加注文。
でもかんぴょう巻きは気にしないので流れてきたら即取る。
ビッくらポンに一喜一憂して出てきたおもちゃは持ち帰らずにカプセル出口に置いて帰る。
自分の好きな人が出てる雑誌を読んでは好きな異性のタイプを見て一喜一憂し、ラジオで好きな髪型について話せばその場で美容院を予約し、熱愛記事が週刊誌に載れば昼休みに会社を抜け出して一人になれる場所を探した結果前方不注意で車に轢かれかけたりします。
わたしの好きな人は歌もダンスも上手くて、声が好き、踊りが好きというファンの人がとても多いです。私も彼の長く伸びる声が、踊るときに地を蹴る足が大好きです。けれどわたしはもし彼が歌えなくなっても、踊れなくなっても彼のことが好きだと思います。それはわたしのこの感情が「恋」だからです。
わたしには大好きな親友がいます。生まれてこのかた芸能人に一切興味を持ったことのない女の子です。彼女には彼氏がいます。ジャニーズ事務所所属の、アイドルです。わたしの好きな彼ではないですが、顔も名前も知っていました。
彼と彼女の出会いについては詳しいことは伏せますが、少なくともわたしの知る彼女はどこまでも普通の子です。こんなことを言うとあれですが、女優やモデルのような誰もが振り返る美人ではないです。笑うと可愛い、思わずほっぺたをつつきたくなる普通の女の子です。そして彼女の隣にいる彼も、テレビで見たときとは全く違う、普通の男の人でした。
わたしはたまに妄想をします。わたしの好きな彼と出会って恋をする妄想です。妄想の設定は様々で、私が彼のマネージャーだったり、両方とも高校生で制服デートしたり。その日の気分によって設定は様々ですが、一つだけ共通していることがあります。それは、「妄想の中の自分はジャニヲタではない」ということです。ジャニヲタの自分が彼と出会って恋をする妄想を、わたしはイメージすることができません。何故なのでしょうか。考えると頭が痛くなります。
これは声を大にして言いたい。
理由なく「欲しい」と思うことがあるが、買えるなら買うんだ。
良く考えて欲しいんだが、人生に必要なものなんてホトンド無い。
今きっと、自由に金が使える立場なんだろう?成人してるんじゃないか?
つまり、新しいPCを買うのが5年に一回なら、あと10台しか触れられない。
50台でも、500台でも無い。たったの10台だ。
なるほど、やりたいことは全てWindowsで出来るかもしれない。
さらに、既に持っているPCで全てまかなえるのに、サブPCを買う理由がない。
それはそうだ、目的もなく10万近くを興味があるだけで出すのに躊躇するのはわかる。
買ってみてスタバに持って行ってプログラミングしても、イマイチ乗らないかもしれない。
ココで唐突にスプラトゥーンというネット対戦ゲームの話をするが、発売日に買った人にしか体験できないことがたくさんあった。
ネットで対戦する楽しさ、第一回大会の興奮と問題点、それが改善され、細かくパワーバランスが調整される。
水鉄砲をぶつけあうフィールドの地形ですら変化するその調整は、今から買って遊ぶ人には体験することすら出来ない。
今、自分に出せる金額でMacに手が届くなら、なぜ躊躇するんだ?
そのお金は確かに高いかもしれない。必要ないと感じるかもしれない。
でも、この後中年になり、壮年になり、老年期に差し掛かるにあたって、Macを買う機会は二度と訪れないかもしれない。
あらゆるモノは、本来人生には必要無いんだ。本当に必要な物なんてほとんどない。
でも、人は、大衆小説を読み、宝飾品で着飾り、鳥のさえずりに耳を傾け、ゲームに熱中する。
服の色や形や素材に一喜一憂し、髪の量で劣等感を感じたり、道行くカップルに嫉妬したりする。
それらの情動全てが、人生には本来必要無く、そしてそれこそが人生だとも言える。
人が生きるとはそういう事だ。
どうせあと100年後にはオレもオマエも塵になるんだ。
買わない理由など無い。
「心が叫びたがってるんだ」はそんな言葉の怖さや大きさを突きつけられる作品である。
主人公の成瀬順は、父親の浮気をそれと知らず無邪気に母親に伝えてしまい、家庭が崩壊するきっかけを作ってしまう。
そして、母親の拒絶と父親の心ない言葉によって、深く傷つき、言葉を失ってしまう。
成瀬順は、ふとしたきっかけから学校行事の実行委員会に指名され、
その準備を通して、悩み、傷つき、成長していく。
田崎大樹は、思いを怒りという間違った形でぶつけてしまう。
主人公の周りを取り巻くのはそんな等身大の悩みを抱えた高校生達だ。
本音を言えずに後悔することがあった。
周囲に合わせて本音を言えないことがあった。
どうしたら良いか分からずに周囲に当たってしまうことがあった。
そして、喋るのが怖くなってしまったことがあった。
多くの人が感じたことがあるであろうこれらの感情がリアルに描かれる様子は、正直、見ていて胃が痛くなる。
「言葉は傷つけるんだから。絶対に、もう取り戻せないんだから。」
この苦しみを皆は知っているはずだと、それなのに忘れてしまっていないだろうかと。
そんな強いメッセージの一方で、高校生の世界はやっぱりとても狭いものなんだと、
誰が誰を好きだと一喜一憂して、それが全てなんだと、その想いが乗る言葉は一層強い力を持っていたんだと、
良い映画だった。
昔拾ったやつ。出処は知らん
女という生き物は
55:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/08/30(火) 09:18:57.47 ID:WdleQWNZ0
女という生き物は、大体、シャワーついでに風呂場でシッコもしてて、
便秘で、パンツにウンスジが付いてて、パンツはオムツみたいにオールウェイズ汚くて、
ま○こが臭くて、男より足も臭くて、寝起きが別人で、寝起きの息が臭くて、
お菓子、デザートが好きで、グルメに興味があって、男に興味があって、
ドラマ、映画が好きで、化粧、ファッション、髪型、美容に興味があって、
隠し事が好きで、オパーイがデカイと喜んで、オケーツがデカイと悲しんで、
愚痴、陰口、人の噂話が好きで、相談が趣味で、基本的に甘えん坊将軍で、
基本的にMっ気があって、取り扱い危険物で、基本的にちょっとアホで、
泣き虫で、ムッツリスケベで、変なところで深読み、裏読みして自爆して、
お金が好きで、基本的に臆病だけど反面、冒険が好きで、芋系統が好きで、
男によく騙されるのが趣味で、でもそのかわり、化粧と詰め物と補正下着で男を騙すのが趣味で、
ダイエット中らしいのに何故か甘い物とかお菓子食ってて、イベントごととか行事ごと、記念ごととかが好きで、
思考を整理したい気分なので、今まで溜め込んだ分の総決算も兼ねて書き殴ろうと思う(ネットの良いところでもあり、悪いところでもあるのは、思いっきり利己的に何かを表現できることだ。)。
せっかくなので甘やかされて世間知らずな女子大生の私が、最弱で甘ったれた過去の自分に向けて言い聞かせたいことをつらつら書いた。滅茶苦茶に、自分勝手に、たとえ矛盾がそこかしこにあっても、便所の落書きだからしょうがない。
念の為、諸々の主義主張から出来るだけ離れて、中間的な立ち位置で語ろうとしているが、個人的恨みを多分に含んだものであることはご承知おき願いたい。
・経験がなくても、大学生になったら化粧を始めた方が後々困らない。勿論、肌が弱い人など、出来ない人はそれでいい。化粧は肌を痛めつけてまでするものでもない。
ただ健康な肌の人は、面倒でも化粧をしよう。ブスでも化粧をすれば、一応きちんとした女性に見られる(言うまでもなく、世の中は見た目が9割だけど)。入学前に少し練習するだけで、基礎はきちんと身につけられるので大丈夫。
大学生になると、年上の大人と接する機会がぐんと増える。そういう人にきちんとした大学生として見られたかったら、薄くても化粧をすることは有効な手段である。就活でも、化粧は必須である。一般的に「世の中の女性は化粧をしているもの」という前提があることをよく覚えておこう。「女性」として見られるためにも、化粧という要素は重要である。
・お洒落のことが分からなくても、何とかなる。流行が分からなくても、オフィスカジュアルを参考にして服を買えば何となくきちんとして見える。
お洒落が好きな人は目一杯好きな服を着よう。好き勝手に服を着られるのは多分大学生のうちだけである。ただ、就活のことなども考えると、「スーツじゃないけどきちんと見える服」を一揃い持っておくのが安心である。インターンシップ、実習、学会など、意外ときちっとしなきゃならない機会は多いのである。
残念ながら、「女性」というものはキレイ系の服を着て、ヒールで軽やかに闊歩することが理想形とされてしまっているので、おせっかいなおじさま達に女子力のことを心配されたくなかったら、適度に着飾っておくのがいいかもしれない。
もし服装について、地味だとかつまらないとか言われてもへこたれないようにしよう。そういうことを言ってくる中年男性もたまにいるが、もっと着飾った方がお好みですか、と言いたい気持ちをそっと抑えて、笑いながら適当な返しをするのがベストである。
いちいち腹を立てて苛々するのは時間の無駄でもある。こういう時はどれだけスルーできるかが重要である。
・どんなにパニックになっても、年上の人の前では泣かないように気をつけよう。泣き虫な人は、気をつけて止まる涙ではないけれど、一度の失態を何度もネタにして笑う人もいることを覚えておこう(事実私はもう2,3年ネタにされて笑われている)。女の涙は武器、は古典ギャグであるので、意地でも泣かない方がいい。例え、月経前症候群で情緒不安定だったとしても、何の理由にはならないので。学生の内に泣かないようになる訓練は絶対必要である。ちょっとでも弱味を見せると途端に喜ぶ大人はいる。もし失敗して、笑顔でちくちくからかわれても慌ててはいけない。そういう人は大抵どこかで不幸だ。
・世の中には面倒くさい絡み方をしてくる大人(偏見かもしれないが多くは中年男性)が結構いる。残念ながら、相手が若い女の子というだけで気が大きくなる人や悪意なく人を追い詰めてくる人間は存在している。セクハラ(パワハラ)の基準は難しいけれど、相当潔癖に考えれば世の中はセクハラ(パワハラ)だらけである。しかし、細かいことにいちいち憤っていては身がもたない。個人的に許容範囲を少し広めに取り、スルースキルを磨いておくのがいいかもしれない。きっとこちらもそれなりに失礼なことを言っているかもしれないので、大らかに生きた方が人生はやりやすい。
ただ、どうしても我慢が出来ないことを言われたりされたりしたら、社会的に相手を殺す勢いでやり返そう。ただ単純に怒るより、正当な手順で追及した方が相手へのダメージが大きい。どんな人間にも、堪忍袋の緒が切れる瞬間があるのだから、正当に怒る権利はある。
そして、自分が面倒くさい大人にならないように気をつけよう。人間どこで恨みを買うか分からず、些細なイジリでも、包丁で刺される原因になることを心に留めておくべきである。
・お酒の席での振る舞い方を覚えていると、ストレスが軽減される。いわゆるコミュ障の人間は、面倒くさい大人からいかに上手に逃げるか、という点に重点を置くといいと思う。普段いい人でも、酔うと面倒になる人間はいる。何を言われても華麗にスルーして、適度に愛想に溢れた対応を心がけよう。女の子は愛嬌が求められるので、思ってもないことを笑顔で言うスキルを身に付けるのがオススメである。嫌かもしれないが、お酌の仕方なんかも覚えておいて損はないだろう。女の子がうまく世渡りするためには、使える手札は多い方がいいかもしれない。
ただ、お酒の席でこそ聞けることや話せることもある。飲みニケーションを過大評価するつもりはないが、コネやツテの恩恵にあずかりたければ、適度に飲み会に参加するのも一つの手でもある。
・「女」だというだけで、なめられたり下に見られることは、残念ながら今もある。大学生の若い女の子なら尚更そうである。「女」であることは脱ぎ捨てられないので、悪意や批判を真正面から受け止めずに、上手に意識を逸らしたり、開き直ったりする能力が必要になる。
ただ、女ならではの楽しみというのも結構あるので、女であることを無理に抑圧する必要はないと思う。性別のことで悩むことがあっても、自分を責めたり悲観することはない。性別ごときでごちゃごちゃ言う人間は、所詮その程度の人間だから。
・心にもないことを、愛想よく笑顔で言う能力というのは、特に年上の男性に対して結構役に立つ。カチンとくることを言われても、嫌だなあと思うことを言われても、その能力さえあれば波風立てずに一応コミュニケーションができる。我慢しないのが一番いいけれど、大人になるには我慢が必要だ。世の中は理不尽に満ち満ちている。
本当はぶち切れそうになるくらい怒っていても、ぐっと堪える精神力が必要である。口ごたえする女の子は、一般的にはあまり好まれない。精神的に同じステージに立たないように、上手くストレスを分散させよう。
・ちょっと傷付くことはたくさんある。擦り傷が積み重なると、結構心が疲れる(今これを書いてる私のように)。傷付くことは悪くない。体の強弱があるように、心の強弱にも個人差がある。心が弱いことは悪いことではないと思う。ただ、傷ついたまま折れっぱなしというのは、社会に適応するためにはよろしくない。そういうダメージをうまく癒せる方法を手に入れよう。思い切り打ち込める趣味とか、大好きな音楽、美味しい食べ物…何かしらの自分の領域は作っておいた方がいい。お風呂場で思いっきり泣くのも一つの手かもしれない。
嫌なことを真正面から全部受け止める必要はない。許される範囲で受け流したり、逃げたりすると少し楽。甘ったれのまま育ってしまった過去はもう変えられないので、少しづつ強かになる訓練をしよう。スーパーポジティブになる必要はない。ちょっとした心の傷を自己修復できるようになると、肩の力を抜いて生きていけるようになる。
・理不尽なことだらけ、と言ったけれど、世の中には意外とラッキーなこともあるし、優しい人もいる。人間だから些細なことで一喜一憂する権利はあると思う。幸か不幸か、筋金入りの甘ったれなので、小さなことで落ち込むし、小さなことで喜ぶ。感受性には個人差があるから、許されると思う。というか、思いたい。
※追記
叩かれてるだろうな~と思って怖くてページが開けませんでした。ブクマコメがいっぱいでした。びっくりしました。
思ったより優しいコメントがあって泣きました。ありがとう。見知らぬ貴方の言葉で私の心は救われています。
疑われているようですが、一応現役女子大生です。男社会の学問は中々辛いこともあります。量産型女子になれたらもうちょっと防御力高かったかな。
読み直してみたらこれ、確かに「問題のあるレストラン」思い出しますね。少ししか見ていなかったけど、心に突き刺さるドラマでした。
とりあえず小心者なので、もう少しスルースキルを磨いて、軽やかに、豪快に生きていきたいです。早く大人になりたいな。
ただ、女性として生きることは悲しんでないです。世の中にウケやすい女性と自分が少しずれてるってだけで、自由気ままに私として生きる分には楽しいので。お化粧もお洒落も、自分の好きなことなら楽しいです。
とりあえず、世の中にもし私のような「最弱」さんがいたとして、この走り書きを見て何かを思ってくれたなら、それだけで書いた甲斐があります。
今回はソーシャルゲーム関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
基本無料、勝利有料。
金 or 腕前、金 or 運、金 or 時間、金 or 仲間。
なお、無課金で遊ぶことを誇りにする人種もいて、それを煙たがる人もいるようだが、基本無料系はユーザー全体のなかで数%がお金を落としてくれればいいというスタンスだから、単純な計算だがプレイ人口が増えればそれだけ儲けやすいということになる。広告がやたらクドいのは、とりあえず人口を増やすことが第一だからなのだろう。
なので無課金の人も、間接的にだが貢献しているということになるね。競争系なら尚更だし、協力系もそうだな。課金者の財布の紐を緩めてくれる。人口をどれだけ維持させられるかは、作り手たちの腕の見せどころだな。
なんだかんだいっても、儲かるからな。
……違う、間違えた。
……じゃなくて、えーと。
……違うけど、もういいや、話を進めよう。
彼らのいう「健全なゲーム」とは、利己的でない、お金の面で良心的という意味だ。つまり、それら健全なゲームを好む人間は金を払わない。けれど、遊びに貴賎がないと思っている人間は金を払ってくれる。この両者が混在しているから、イメージと現実の剥離に繋がっているわけだね。
「据え置き機じゃなければ買ってた」とか真顔で言う人間が蔓延る世の中で、それでもその媒体でゲームを作る理由を見出すには、相応の余裕がないと難しい。先立つものがないとな。かといって、据え置きゲームでは、DLCや関連商品で儲けるのすら嫌な顔をされる。
他にも、「物理的価値がないから、ダウンロード版はパッケージ版より安くしろ」という風潮もある。サーバーの維持もただじゃないし、物理的価値が必ずしもプラスとは限らないのにな。
でも電子版の少年ジャンプ定期購読とかのように、媒体が漫画とかになると「高くても仕方ない」ってなるあたりは世知辛いところだ。だったら開き直って、もっと利己的なデザインのゲームを作ったほうが楽なのだろうさ。
ハリボテなデザインで、数値をちょっと弄って敵味方の強さや配置を変えたり、たまに新しい絵を追加しただけで一喜一憂してくれる。架空のカードで儲かるなら、新しいゲームなんて作る気おきないよなあ?
ははははは……はぁ。
すまない。さすがに露骨だったな。
好きか嫌いかの二元論で語るのは難しいかな。微妙な言い回しだが、「現実と事実を受け入れる」といったところさ。どうせ個人がどうこういっても、ソーシャルゲームはなくならないし、据え置き機は下火のままさ。相関関係なんてない、という人もいるようだがな。
まあ「売り手と作り手が全て悪い。買うやつは愚かだから仕方ない」というスタンスでいこうじゃないか。それに需要があるからって、私だって全面的に肯定するってわけじゃない。最低限は作り手の矜持を持ってほしい、と思うゲームもいくつかあるさ。
「キャンディ・クラッシュ(サガ)」、てめェーだよ てめェー。
パク……既視感のあるデザインなのはまあいい。古今東西、パズルゲームで個性を出すのは難しかったし、「カブった」と言い訳もできるだろう。ゲーム内容がほぼ運で、まるで頭を使わないのもまだいい。アコギな課金形式と、フェイスブック連動も許そう。
だが、そうやって無知なユーザーから絞り取った金でパクり元を訴えたり、「candy」や「saga」の商標化をしたのはやりすぎだ。そんなゲームを日本に輸入したことも含めて恥を知れ。