はてなキーワード: マグマとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/internet/n_9085/
公道マリオカートが危険で社会的な評価を落とすことに繋がりかねないから、禁止したいってのは合ってると思います。
でも一方で上の記事では
とかあまーいこと言ってるみたいだけど、任天堂はマリオカートで商売するつもりありますよ。
https://www.usj.co.jp/company/news/2017/0608.html
まぁ単なるライドアクションなので公道でのカートとは違った体験ではありますけどね。
任天堂自身がこうやって外国人の観光客から安全に楽しく遊んでもらって正しくお金を取ろうと頑張ってるわけですよ。
素晴らしいじゃないですか。グローバルじゃないですか。
でも、いうなればあの人達はそれを掠め取ろうとしてるわけです。
こうやって偉い人たち、頭のいい人たちがが外国人にあまい面して、結果的に地元の人の不満がマグマのように溜まって排外的な人が増えるってのはもう何度も経験してるでしょ。
いい加減学んでほしいんだよね。
相手を対等な人間だときちんと認識して、ちゃんと調和するように努力していこうよ。
みたいな態度が透けて見えてうんざりするんだよね。
心の底でそう思ってるでしょ。
「ずっと掘ってたら何か出てきた」「マグマかよ」
39歳。仕事が面白いとかつまらないとか、そういう段階は、とうに超えた。今の問題は、いかに生存していくか、もっと言えばいかに家族を食わしていくかだ。
俺には若い頃から今まで、ずっと情熱を注ぎ続けていることがある。問題は、それが金にはならなかったことだ。正確には、ものすごい高い倍率を勝ち抜けば億万長者にもなれる世界なのだが、まあ、無理だった。
だから仕事は仕事、趣味は趣味と割り切ってやってきた。趣味の方が明らかに俺に向いている世界であり、仕事の方はあまり向いていないのだが、若い頃はそれでも何とかやって来れた。
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しかしこの歳になって痛感するのは、向いていることを仕事にできた奴との間に、いよいよ決定的なレベル差が開いてしまったことだ。
もちろん、俺も俺なりに仕事を頑張ってはきたのだが、向いている奴とそうでない奴は、同じ仕事をしていても、得られる経験値が違うのだ。
ここ数年は、あまりに向かないことをやり過ぎて、何度か精神を病むところまで来てしまった。
それでも、俺は家族を食わせていかねばならないので、どうにか踏ん張って生きているが、ここから先はさらにレベル差が開き、職場に居場所がなくなる未来しか見えない。
かといって、他に向いていることを探すには、俺はそろそろ歳を取り過ぎてしまった。
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結局、どうするのが良かったんだろうな。
趣味を捨てて仕事に一層専念すべきだった…とは思わない。そんなことはそもそも無理だ。俺にとって趣味は精神を支える重要な柱であり、それがあったからこそ、精神を病んでもなんとか復帰できたのだ。
趣味の世界で頂点を目指せば良かったのか。そっちはそっちでマグマオーシャンの地獄であり、
自分はその世界で通用するレベルに到達できないということは、若い頃に痛感している。
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答えなんて見えない。だが代わりに、最近一つ分かってきたことがある。それは、よっぽど幸運な人を除けば、みんないつかは壁にぶち当たるということだ。
職場をよく見渡せば、そんな人ばっかりで、俺もとうとうその一人になったのだ。
向いていることを仕事に出来れば幸せだ。でも、そういう人でも大抵は壁にぶつかっている。そして、壁にぶつかってからも人生は続く。
本気で恋をしてみたい、とふと思った。
女性とお付き合いしたことは何度かあるが、半年ぐらいで「必要とされている感がない」というような理由で別れを切り出されることが多かった。
今までそんなに気にもしていなかったが、先ほどダーリン・イン・ザ・フランキスの最終話を見終えた。それでちょっと気持ちが揺らいだのでここに書くことにする。
どういう話なのかWikipediaから引用するとこんな感じ。
高いエネルギー効率をもつ「マグマ燃料」の採掘によって地殻変動や環境破壊が進んだ世界。荒廃した地上で生き抜くため、人類は巨大移動要塞都市を建造し、その中で生活していたが、謎の巨大生物叫竜(きょりゅう)が出現し、平和を脅かしていた。これに対抗するため、天才科学者集団「APE」はフランクスという男女二人乗りの巨大兵器を開発。そのパイロットであるパラサイトとするためだけに、名前ももたないコドモ達を育成していた。
(引用ここまで)
ネタバレになると申し訳ないのであまり話の中身には触れないでおくが、このコドモ達は当然パイロットとして戦うためだけに育てられているので「人に対して好きという気持ち」を持つ人はほとんどいない。大人たちは不老不死を手に入れているので他人との関わりが薄い。
ところが、主人公やヒロインがちょっと変わっていて(誤解を恐れずに言えば、「異端児」である)主人公が属するグループではそれに触発されて「人に対して好きという気持ち」を持つ人がたくさん出てくる。
ロボットアニメが好きなので見てたのだが、「人に対して好きという気持ち」にもフォーカスが当てられているような気がして自分を振り返るきっかけになった。
自分はこのアニメに登場する多くのコドモ達と同様に他人に恋をしたことがない気がする。もちろん、友達として好きな人はたくさんいるが、他人に恋をしたことがない気がする。
ダリフラ、いいよね。
テレビアニメに求めるものは人それぞれ、色々あってしかるべきだと思うよね。おれは絵画が好きだし、絵が(写真でなく)動いてるだけでアーンイイネーと思っちゃう人間で、ダリフラは完全にいいね。画面は美しいし、002はかわいいよね。
6話はよかったよね。016は326とかに「乗せられてただけ」「002は独りで戦える」とかって意地悪言われてて、真に受けてたんだよね。016は326の実力を認めてたし、その326が002に使い捨てにされて、やっぱり002は独りで戦えるんだ、どうせオレも使い捨てかと捨てバチになってたと思うのよね。でもホントの死に直面してみて、002にもパートナーが必要だってわかったんだよね。だから死ねない、死たくないと思ったんだよね。落ちこぼれと言われ続けてた016が、久々に?自分を認められたんだよね。ちょっと016の心が強すぎる気もするけど、あんまりクヨクヨしてると碇君になっちゃうからね・・・。
SFとしてもいいなあと思うんだよね。最初はスタニスワフ・レムの砂漠の惑星のことだと思ったね。自律進化したロボットが滅ぼした惑星で、生命の力強さを見いだすという話ね。叫竜は人工物っぽいデザインだし、マグマエネルギーを採取するためのロボットなのかなあとか妄想できるね。ターミネーターかよ!そういう世界だとしたら、新開発のフランクス搭乗員がカスみたいな存在で泣けてくるね。今後の展開が楽しみだね。単に生命が散っていくだけじゃないといいなあ。
要するに、眼鏡が大好きです!
正直に言うと毎週楽しみに見ている。
けれどもなんというか、もの足りない。
いろんなキャラの情動が、味の素というか、パッケージというか、レトルトパウチみたいな感じがする。
岡田麿里っぽいというか。
何でこう感じるんだろうなー。
だから登場キャラ達を生活者としてリアルに感じることが出来ない?
メインキャラが多過ぎ?
10人も居るこどもたちが常に出てくる時点でどうしても一人一人は浅くなる?
単にドラマの作りが下手?
たとえば6話のヒロの復活だって、ヒロの中の何が変わったのかよくわかんないもんな。
02が1人にされたら上手く操縦出来なくなる姿ってヒロにとって意外なものではないはず。
2人で操縦するもんなんだって02も周りも何度もそう言ってるし、
02が戦闘中に相棒にダウンされて1人になって出血して弱ってる姿もヒロは見たことあるし。
まだ敵を倒してないうちにダウンしちゃったら02に迷惑掛けたり02も道連れにしたりしちゃうことはわかってたわけで
「気持ちよく死のうとしてたら02が困ってる」っていうのは意外な光景でもなんでもない。
新情報が何もない。
だからヒロの心があそこでどう劇的に変わるのか、変われない。
ので、ただ突然蘇って身体の侵食を治して「ウオオオオオオーーーーッ!」って根性出すになっちゃったから
ダリフラに好意的な海外でもあそこは「ass pull」って結構否定的に言われてる。
あの展開にするならもっと02が弱みや裸なんかも見せたことなくていつもきれいにしてて、
ヒロは02と仲が悪いか強い不信感を持ってて、
「俺はたぶん使い捨てられて死ぬけどお前も勝手にやれよ、ケッ」ぐらいの感情持ってるようにしておけば
「グオオオオーッ」ってボロボロになって狂乱してる02を見て「やっぱりこいつを助けるんだ!」になるヒロに感動できたと思う。
最後の一撃を02だけで出来るようにアレンジして託して、心置きなく使い捨てられて死のうとしたのに
02が動揺してヒロをセーブする方を優先して敵を倒せなくなって窮地に陥っちゃうとか。
これならやっぱり02の意外な一面を見て「勝手に死ぬつもりじゃダメなんだ」ってなったヒロが根性出すのは感動できたと思う。
これらはすごくベタで単純な1案にすぎず、絶対これにしろって意味じゃないよ勿論。
(02のベタベタする可愛さとヤバさを前面に出すことで興味を引っ張ってきたアニメだし)
でもとにかく、
何の新情報も心の回転もないまま「ウオオオオーッ」の気合で絶望的な状況を転回させちゃうのはまずいでしょ。
ドラマとしても戦いの駆け引きとしても。ass pullともいわれるよ。
どうなんだろう。
つまりわりと一本調子っていうことなのかなあ。キャラの行動や心が。
人間関係もSFも、伏せられた情報が次々開けられていく感じがあると興奮や快感があるもんね。
あのマグマエネルギー世界の設定はあまり面白い斬新な物は出てこないのが感触としてわかってしまう。
わからん…。
はっきりとはわからん。
作中情報量は多くてもずーっとガシャガシャワアワアやってる感じ(静かなシーンも)
「保育園落ちた日本死ね」が、段々そういう事を言ってる親の方が叩かれるようになってきてる、と
昨日か一昨日だかイキイキママが流行った時にどっかの増田が言ってたけど
ヤフコメなんかだと、一昔前は「子供の声が騒音だなんて老害酷い」みたいなコメントが多数だったけど
最近は「うるさいのは子供じゃなくて親」「迷惑なのは騒音じゃなくて送迎車の路駐」「うちの近くに保育園あるけど親の態度が酷い」
「だから反対されるのは当たり前だろ」的なのが多数になってる
真面目なビジネス記事なんかでも「職場にぶら下がる働かないママ社員をどうするか」的なのが出るようになってる
資生堂ショックもその一端だけど
あれもマグマが噴出した一面なんだろうな
はてなを見ているとよく分かる。
とても正しい人たち、とても善良な人たちが、
苦しんでる人たちの声をひたすらに封じている。
苦しんでる人たちは「苦しい」と声をあげてはいけない。
正しさに異を唱えるつもりはなく、ただ誰かに自分の気持ちを聞いてほしかっただけだとしても、
「苦しい」と声をあげてはいけない。
苦しんでる人が感情優位な状態で唱えた論は得てして完全ではなく
そしてそれを指摘したコメントには、たくさんの星がつくだろう。
では正しく善良な人たちによって封じられた声はどこかに消えてしまうのだろうか…?
もちろんそんなことはない。
マグマのように、奥底で蠢いている。
最初は新しいゲームのアイディアか何かのように思った。だから書き記さなければいけないと感じた。
自分は広大なマインクラフトのような世界にいる。多くの建造物が様々な地形に埋もれているが、全体的にはどうやら東京のような現実の都市のようである。いたるところから様々なサブ空間にワープできて、それはクラブハウスだったり、学校の家庭科室だったり、着ぐるみみたいな青年が一人で乗っている宇宙船だったりした。ゲームのようにそれらは気軽にトライでき、そしてハマってもいつでもリセットすることができた。さながらゲームのように何度もそのクエストを遊ぶのだ。クエストの中身はいたって平和な内容で、砕いたチョコレートを溶かして型に流し込んだり、レゴブロックのようにばらばらになった部品からバギーを組み立てたりするものだった。そこにいる人たちはすべてリアルな人間の様相だった。フィールドと思しき空間はマインクラフトのようにけっこうおおざっぱなつくりだ。しかしマインクラフトのように単調な世界というより、ビルダーさんが頑張って作り込んだ世界のように、機械的に生成されたマップではなく、ちゃんとした一つの作り込まれた世界であった。この世界がマインクラフトの世界と違ったのが、頻繁に地震が起こることだ。地震が起こると空間に裂け目ができて、今までなかった場所に入り込めるようになる。そうやって空間の隙間隙間に潜り込むように冒険し、ビルの隙間からマグマが噴き出る地底に入ったり、アスファルトの裂け目からピラミッドの古代遺跡のような空間に入っていった。そこでは様々なアイテムも手に入れた。先ほどのバギーもその一つだった。中でも印象的だったのは、あるリュックサックに入った缶詰だった。この缶詰を開けることになったのは、ひときわ大きな地震が起きた後だった。その地震によって今まで冒険していた世界の半分以上が崩れてしまい、今まではたまにしか出会うことのなかった着ぐるみのような生きものとか、赤いゼリーのような色をしてバギーに乗ったパンダとか、クレヨンで描いたような雑なホビットなんかがいたるところに表れていた。この崩れてしまった世界がどうやら新宿だったらしいこともこのころ知った。地震の際には必ずどこからかアナウンスが流れてくる。地震を警告しているが、何らかの啓示のようにも聞こえる。断片的で意味深なことをいう。ゲーム的にはヒントのような存在なのかもしれない、と考えて、地震を避けつつも新たな空間に入り込んで探検を続ける。そんな中で、天井の高さが1mほどしかないが、体育館くらいの大きさの空間の中でリュックサックを見つけた。見つけたときは食料でも入っているかと期待したらしく、どうやらこの世界にも空腹の概念があるらしい。でも入っていたのはジップロックのように密閉された袋がひとつ。付属のメモに、開けるには「缶切り」が必要であることが書かれているほかは特に情報がなかった。このかばんを拾ってからしばらくして、大地震から逃げ延びた数十人が集まるキャンプに立ち寄った際、「缶切り」を持っている人から借りて、その袋を開けた。密閉されたポリ袋を何回も開けた先には、真空パックのように密閉された、はんごうのような形をした、手のひら大の容器だった。缶切りが必要だと書かれていた割には、単に引っ張れば開けられそうだったので、そこで缶切りは持ち主に返した。取り出した容器を思いっきり引っ張ってスポンといい音を立てて開けたら、中からスポンジが溢れてきた。溢れるなんてもんじゃない、元の容器の50倍くらいのサイズに大きく膨れ上がって、それはカピバラが二足歩行しているようななりをした生き物になった。彼曰く、この世界をこうしたのはある魔術師が原因らしい。そしてこの容器を開けてしまった自分は、魔術師の呪いがかけられることになってしまった。それからしばらくすると、自分の世界からまず音がなくなった。今まで冒険してきた様々な空間が、今まで以上に脈絡なく連鎖するようになっていった。ここまでに見てきた世界は、奇妙ながらも親しみが感じられる世界ではあった。”洞窟物語”とか”undertail”のように、仲良くなれそうな世界の温かみがあったのだが、それが途端に失われていったように感じる。新宿の奥底にある溶岩に囲まれた遺跡から、一人暮らしの心優しい青年が旅している宇宙船内に移動したあと、船内の男子トイレの隣にある脱出ポッドを勝手に作動させて宇宙に放り出された。全くの無音が耐えがたい。魔術師の呪いなのか。自分が魔術師だったのか。よくわからないがこの冒険を終わらせたくなったが故の行動だろうと思った。感覚が失われつつもどんどんと左手に圧迫感を感じ始める。この感覚は良く知っているいつものアレだ。自分は寝相が悪い。よく変な方向に曲がった腕の痛みで目が覚めるのだ。
そうして目が覚めて、先ほどまでの夢の中での冒険譚を書き記そうと思い、ケータイで飛び込んできたミサイルのニュースを横目にしつつ、忘れないようにこの文章を書いた訳です。詰まるところこの話は夢オチである。がしかし、今の自分にとってこの物語は創作ではなく、れっきとした自分の夢で起こったノンフィクションだった。
自分は物書きではないが、ビジネス上の文章を1日にそこそこの文字数(この文章の5~10倍くらい)で書くことが多い。しかしこの文章では普段とは全く違う方法で書いた。「一切書き直しをしないで一気に書く」という方法だ。そうでもしないとどんどん薄れ消えゆく夢の内容を正確に書き残せないと思ったわけです。
最低限の誤字脱字は直したものの・・・我ながらひどい文章である。夢の記憶が薄れた今読み返しても、この記述が正確であるかどうかはもはや判断できないのだが、怒涛の展開があったという雰囲気はまぁとらえているような気がする。たぶん。
そして書き出してみると、昨晩自分がやっていたゲームとかの影響がちゃんと出ていて興味深い。夢は脳が記憶を整理する過程を見ているものらしいと昔何かで聞いた気がするが、確かにこの物語は自分の夢だとよくわかる。だが支離滅裂にいろいろな要素が組み合わさっていて本当にカオスである。しかし夢というのは混沌とした塊ではあるが、非常に強烈な創造性も持っているのがよくわかる。
また今日みたいに、書き記したいと思ったら、また書いてみよう。
https://anond.hatelabo.jp/20170723202510
このお奨めにあるとおりなんだけど
ゲームで言うなら世界樹の迷宮で沢山のスタッフで作ったイメージボードとCGを1人でやれてる感じ
この才能1個で大傑作・大ヒット作ものだと思う
その一方で
こっちの才能一つでも立派な、世代を代表するニッチエロ漫画家もしくは猟奇作家やホラー作家になれたと思う
このそれぞれに尖った2つの才能が
メイドインアビスと言う作品の中で互いに生かしあっているかというと
個人的には残念ながらそうは思えない
そもそも猟奇やエログロというのは突き詰めれば関係の中に閉じていくもので、
ありありとデザインされた異世界が広がっていくのとは正反対と言ってもよい
そして作者は2つのうちどちらかなら変態性への衝動の方が強いようであり、
天に与えられたニ物が生かしあうのではなく喧嘩をしている
それがとても残念だ
マイノリティ中のマイノリティの性的嗜好を持っている私は、現実では決して成就することのできない(成就すれば私は牢屋にはいることになる)その欲望を、同人誌の中で表現して昇華している。
現実では決して解消できない切ない性欲をもつ、異榻同夢を見る文字どおりの「同人」に向けて表現を届けているわけだ。
戦前から、少年愛者や嗜虐・被虐嗜好者、窃視症、露出症など、メジャーなマイノリティ(?)の嗜好者たちは、同じく同人活動で薄暗いマグマのような欲望を地下で共有し、慰みにしていた。
インターネットでは、10万人にひとりだけにしか胎生しないようなストレンジな欲望でも、同好者を見つけることかできる。
作品の感想をもらえれば無上に嬉しいし、フィクションの中でしか味わえない心臓が溶けるような興奮を同人たちと共有する喜びは、ほかに代え難いものだ。
例の同人作家に警察が「申し入れ」た件には、率直に危機感を覚えたし、苛立ちもしたのだが、考えを巡らせているうちに、私自身の同人活動についても深く省みることになった。
私にとっての現時点での考えを書こうと思う。
さて、私はツイッターを使っているが、私のタイムラインでは、「現実と虚構の区別がついていない人間」をよく見かけるし、これは犯罪だろうと思えるようなツイートも、見かける。それもかなりの頻度で。
おそらく、ロリコンのインナーサークルでは、児童ポルノが想像以上にカジュアルに流通しているだろうし、露出症者たちの間では「いい季節になってきたから全裸散歩してきた!」みたいな投稿が日常的にされているだろう。窃視症者たちのタイムラインには盗撮の動画がひっきりなしに流れているだろう。
私は、簡単に犯罪の壁を越えてしまう人間がたくさんいることを知っている。知っているが見て見ぬふりをしていた。
幸い、「増田さんの同人誌で頭真っ白になるくらい興奮して、ちょっと〇〇してきちゃいました」なんて馬鹿者はいままで一人もいなかったが、完全に読者を信頼できるかと言われると、それは難しい。
模倣犯を生んだとしてもその表現をするのかと問われても、そこまでの覚悟や信念が自分にあるのか、悩んだ。
悩んだ結果、注意書きを厳しく書くというのは、作者が誠実にとりうる責任のひとつではないかと、私は結論した。
と、これからははっきりと書こうと。
飲酒運転が描かれる作品の巻末に、薬物が描かれる作品の巻末に、一言注意書きを添えるのは、ただ単に作者を免責するだけでなく、小さくても啓発的な効果を持ちうるのではないか。
合理的な範囲で作者は社会に責任を果たさなければならないと思った。
乱交を描くときには、性感染症の知識を、痴漢を描くときには、性犯罪がどれほど被害者の尊厳を傷つけるかを、書くべきだろうと、私は思った。
創作表現が与える影響の責を法的には作者が免れることはもちろん大原則ではあるが、
そのことに胡座をかいてしまうのも、あまりに無責任だと私は考えた。
(トラックバックへ。私の嗜好は加虐的なものではない。むしろ分類するとすれば被虐的な嗜好だ。私の読者が事件を起こすとすれば、比較的には軽い性犯罪ということになると思うが、それでも、だからこそ、事件を起こす危険性はあると考えている)