はてなキーワード: ボードゲームとは
あなたの主義主張に反論をした訳でもないのに食ってかかるのはやめてください。
37歳シングルマザーです。うつ病を患って1年。回復の傾向が見られたため現在休職中ですが2月から復職の予定です。今日、子供と駅前を歩いていたら反ワクの人に絡まれて吐かれた呪詛のような言葉で、今とても死にたくなっています。
反ワクの方々が私たちの使うバス停の前で演説していました。知り合いに強い反ワク派の人がいるので、反ワク派の人たちのトレンドは自然と耳に入ってくる状態です。なので街頭でわざわざ新たな情報を得る必要もなく、かなり強気な物言いだったのもあって、離れて歩きました。しかし、今回彼らのターゲットは子を持つ親だったため、見事ターゲットにされ、近寄られます。私は「いりません」と断りましたが、子供は近寄ってきてパッと渡されたパンフレットを思わず受け取りました。「いりません」ともう一度伝え、子供に「返してね」と伝えましたが、これが自分の間違えでした。
「なんで要らないんですか!コロナワクチンがどういうものだか分かっていますか!子供のためを思うならちゃんと読んで考えてください!!」
非常に大きな声で、子供も怯えていましたし、私も他人の強い感情は苦手なので「怒鳴らないでください」と伝えました。
「怒鳴ってません!!!あなたがちゃんと受け取らないから言っているんです!!!」
「絡まないでください。これ以上大声をあげるなら警察を呼びます」
「呼べばいいじゃないですか!!!あなたのお子さん可哀想ですね!!!」
とまあ最後にとんでもない呪詛を吐かれました。歩きながらなのでなるべく距離を取ろうとしていましたが途中まで付いてこられて困り、通報。
少し離れたビルの入口で人の邪魔にならないように通報しましたが、その間も何かを叫んでいました。子供は「ママ大丈夫?あの人、ママに「あなたのお子さん可哀想ですね」なんて言ってたけど、私の顔見えなかったのかな」なんてフォローをしてくれて、優しい子だなあと思いました。
結局警察が来てくれる事になりましたが、私自身が警察と話す必要は無いし、無駄な絡みと恫喝をやめるよう注意してもらえればいいので、その場を去りました。とはいえ、バス乗り場付近にその人がいるので大回りして駅の反対側からタクシーに乗って帰宅しました。
朝から子供と出かけて、帰ったら一緒にボードゲームをしよう!とおでかけも帰宅後のことも楽しみな1日だったんです。それが壊されて、子供は時折思い出したように「あの人怖かったね」「あの人は何をしていたの?」「どうしてママに怒ったの?」と訊いてくるので、ひとつひとつ言葉を噛み砕いて説明しました。21時に子供を寝かしつけて、一人になって、あの呪詛を思い出して死にたくなっています。
確かに、私の子供に生まれてきて可哀想だなと思います。それは、コロナワクチンの話ではなく、もっと別な部分で。ボディブローのように効いてきたあの呪詛に、子供が縛られないことを祈っています。レクサプロもイフェクサーも飲んでいて、やっと普通にまた仕事が出来そうだというのに、明日起き上がれなかったらどうしようかと考えています。これを書き終わったら、眠剤を飲んで寝ますが、こういう日は薬の副作用が強く出るのか悪夢を見る事が多いので緊張しています。
あの人が、自分の主張を認めさせようとするその承認欲求で、うつ病患者の私と、その娘に確実に傷を残しました。
でもこれは、あの人の主張が反ワクでなくても起こりえたんだろうなと思います。人の主義主張についてとやかく口を出す気はありません。ですが、同じように人通りが多いところで主張するのなら、それはどのような内容であれ、他人に無理強いしないようにしてほしいです。また、相手がその主張を認めない場合であっても執拗に迫ることは控えて欲しいです。ましてそれが、主張に対するいかなる立場も明らかにしていない相手に対してなら尚のこと。対話・論争の土俵に登らない人間を貶めないで下さい。土俵に登らない理由を「反対意見を持つ人」と盲目的に決めつけないでください。自分の話を聞いて欲しいのなら、相手が何を話しているのかよく聞いてください。
たとえ私が反ワク派だとしても、あの人たちと同類だとは思われたくないので、敢えて口に出すようなことはしないと思います。
長くなりましたが、人の多い場所での主張の際、対立を明示していない相手に対して、キレるのも、食ってかかるのもやめてください。
マチコ先生のツイートばかりが注目を集めているが、元々の文脈として栗下元議員が昔の漫画(男塾)を読んで今の漫画では出来ない表現の多さを嘆いたツイートに対して、『表現規制によってスカートめくりが減少したため、表現規制にはよい点もある』と噛みついたユーザがおりそれを援護する形でマチコ先生の事例が出てくる。よって『昔の漫画はやりたい放題で被害者が多く出たが、今は適正な表現に向かうことで社会がよくなったので表現規制も止むなし』というのがマチコ先生ツイートをしたクソフェミの大筋の主張と理解できる。ブコメ等でも証言が見られるとおり、マチコ先生が流行した際にその影響でスカートめくりが横行したことは事実とみなしても問題が無いように思える。しかしこの主張に対しては40年前と現代ではセクハラに対する意識が異なるため、創作物の影響として現代に適用するのは乱暴との反論もあるが、両者決定的な証拠は出ていない。この記事の目的は、クソフェミの主張がデマである証拠を示すことにある。
結論を先に述べると、表現規制がスカートめくりを減少させたという事実はない。証明が難しいのではなく、ない。なぜなら表現規制によって漫画からスカートめくり等のセクハラ描写がなくなったという事実がないからである。
僕たちは勉強が出来ないという、2017-2021年の期間で少年ジャンプで連載され、コミックス440万部を売り上げアニメ化もされた人気漫画がある。この漫画の中では、スカートめくりをする悪ガキや風呂のぞきに誘う友人、下着の窃盗等の描写がある。
https://note.com/siotamari/n/n37a081298024
またワールドトリガーというこれもまた少年ジャンプで掲載されアニメ化もされた人気漫画(現在は作者体調不良によりスクエアへ移籍)では、主人公の一人が女性キャラの尻を無断で触るセクハラ描写が複数回登場している。つまりスカートめくりをはじめとするセクハラ描写は現代でも日本で一番売れている雑誌である少年ジャンプで描写されており、規制の対象ではない。よって表現規制がスカートめくりを減少させたという言説は、表現規制の事実がない以上、嘘やデマの類いであると言える。
元となる表現が規制されていない以上、スカートめくり等のセクハラを減らした要因は受け取り手にあると考えられる。マチコ先生の流行は80年代前半であり、セクハラの概念が日本に浸透した時期(セクハラが流行語となったのは1989年)よりも前である。その後数十年をかけてセクハラの概念は日本人の倫理観に浸透したが、それによって漫画の中のセクハラ描写が実行にうつしてよい行為ではないという認識が広がったことが大きな要因と考えるのが妥当な結論だろう。
現代の漫画にセクハラ描写があるのか、セクハラの概念が日本に広がったのはいつなのかは少し調べればわかることである。お気持ちドリブンで意見を表明することについては否定しない(世の中の物事の発端はお気持ち駆動のことが多いだろう)が、自分の意見が論理的に破綻していないかどうか、事実をベースに検証してから意見を述べた方が良い。やりたくないというなら好きにすれば良いが、ロジカルシンキングの出来ない馬鹿共という印象はついて回るだろう。当然だが、まともに調べもせず同調した奴らも同罪である。
事例として挙げた漫画がマチコ先生に対してマイナーなので影響が少ないのでは?→どちらの作品もマチコ先生の倍以上発行されている。また一番売れている漫画雑誌の人気漫画の影響が大したことないのであれば、創作物の不道徳な描写の影響を特別規制する理由もなくなる。
現代にセクハラ描写が残っているのであれば、その影響でセクハラ被害が出ている懸念があり問題だ→セクハラの概念のなかった時代ですら社会問題となったスカートめくりが、現代で漫画の影響によって各地で起こっているなら既に大問題に発展しているのでは?
ぼく勉には理系科目については天才だが他人の気持ちを理解できず、文系科目はボロボロというヒロインが出てくる。このヒロインはボードゲーム好きにもかかわらず対戦相手の気持ちが理解できないことから対人戦が苦手で、それを克服するために心理学を志している。しかしほとんどのボードゲームでは自身が期待値の高い行動を取ることと対戦相手に期待値の高い行動を取らせないことが全てであり、ロールプレイしているのでもなければそこにお気持ちの入り込む余裕は無い。従ってボドゲに勝ちたいヒロインが進むべき進路は間違いなく理系分野でゲーム理論等を学ぶことなのだが、適性を活かすべきと主張する教師すらそのことには触れない。ぽっと出のキャラならまだ良いが、連載開始時から出ているヒロインの設定くらいはちゃんと練って欲しい。
URLも張っていたが、数が多すぎたせいかスパム扱いされて登録ができなかった。
七日後に世界は滅ぶ、解決はできない、あなたは破滅願望を抱えた芸術家だ。
相性が悪すぎるせいで、五周くらい回って相性がいい。
和風の箱庭世界観で、個別ハンドアウト制で、誰も知らない裏がある。
とても綺麗で、優しくて、思いやりにあふれた容赦のない地獄。
遊戯王がここまで人気を誇示しているのは要因が色々あるんだけど、その一つに「プレイヤーの思い通りに動かせる」という部分がある。他のカードゲームだと手札であらゆることを勝負するのだが、遊戯王ではある程度必要なカードを引っ張ったりすることが可能なため、事実上デッキやエクストラデッキや墓地は手札と変わらず1ターン目からあらゆることが回り出す
展開のルートはある程度研究されており、自分の目指す盤面や手札、勝ち筋を自身の力量や工夫次第で作り上げられるというのは遊戯王ならではだと思う
反面、ゲームとしてはソリティアが多く、1ターンの時間が長くなる傾向が強く、シンプルで端的に終わる面白いカードゲームとは言いがたい
総合的に遊戯王は、複雑なテキストとルールを読み解きながら膨大な知識と技術で自分の思い描いたことをする、とにかく忙しいカードゲームだ
遊戯王にはマナコストに相当する数値化したコストがないため、カード毎に厳しい発動条件が課されており、強力なカードほど縛りはきついか制限カードとなっている
手札や墓地は当然として、エクストラや除外されているカード、時に相手の盤面や墓地も利用して柔軟に動き回り、相手の妨害も自由自在
一見して無意味な行動のようにみえて実は墓地にカードを落としたり、デメリットにしか見えないカードがとんでもないメリット効果に変貌したり、綺麗カードなのに素材にするためだけに呼び出すなんてことも多く、とにかく現代遊戯王はあらゆる場所のカードを使い複雑な動きを1ターンに多く行う
ここで問題になるのがその異様な複雑性だ
分かりやすくいえば1ターンでの作業の多くは目指す盤面を作るための素材集めに等しい
アニメにおいても大量のモンスターを並べたり、魔法罠を次々に発動している場面が多く、視聴者を置いてけぼりにしていることはしばしばだ
でも実際の遊戯王はもっとグルグル回ることが普通だし、大量の手札誘発による妨害札合戦もある
それならまだしも大半はデッキや墓地を回すことで展開を行うための作業時間だ
エクストラから出すモンスターはそれ自体が終着点になるわけではなく、時に他のモンスターを呼び寄せるための素材にするだけというパターンも多い
1体が複数体に化け、それを元にさらに展開というのは遊戯王の基礎動作になる
なので相手のソリティアを数分眺めているだけという時間は少なくない
結局は相手のライフをモンスターのパンチで0にすれば終わるだけの話なのに、そこに至るまでの過程の多くが駆け引きなどではなく、単なるソリティアによる作業時間というのはあまりゲームとして面白い物ではない
それに加え、遊戯王はとにかくルールが複雑であり、また近年はテキストが非常に長い傾向にある
10年以上前ならエースになっていたであろう「スターダスト・ドラゴン」と、現代遊戯王でよく見る「フルール・ド・バロネス」というカードを見ればわかる
そしてスタン落ち等のシステムがない以上、公認大会において20年以上前のカードですら使用可能という膨大なカードプールを駆使することが出来る
つまり
実際には遊戯王のターン数は少ない傾向にあるものの、総合的なゲーム時間は伸びる傾向にある
それはソリティアがしばしば発生し、また複雑な効果を持つカードが多数あるために高度な読みや展開をする必要があるためだ
ここまでで複雑であるとはいったものの、高度な読み合いや最小の手札で展開につなげるギミックなどを駆使する遊戯王はパズルのようでカードゲームとは別種の面白さがある
だけどそういったものが果たして消費者にとってよいとは限らないし、個人的には「なんでここまで複雑で面倒なことをやる必要があるんだろう」と思っている
将棋やボードゲームのように時間も手間もかかる物ではないにもかかわらず、1ターンの時間制限の中で何回デッキを回せばいいんだろうと相手の動きを眺めていることは多い
将棋などはルールや動かせるコマが決まっておりルール自体はとてもシンプルだが奥深いゲームだ
例えば「子供でも理解できて、シンプルなルールで少ない時間で簡単に遊べるのに戦術が非常に多くて面白いカードゲームってある?」と言われたときに遊戯王はその選択肢から外される
もちろん環境デッキなどではないファンデッキ・カジュアルデッキは遊戯王に無数にある物の、それらですら複雑性から逃げられることはあまりない
それを脱するならば20年前のアドバンス召喚などでモンスターを1体づつ出す化石のようなデッキか、ラッシュデュエルになるだろう
「シンプルなルールで少ない時間で簡単に遊べるのに戦術が非常に多くて面白いカード」を遊びたければ回れ右をさせよう
ほかのカードゲームで何ターンもかけて行うような作業や展開を、遊戯王ではたった1枚のカードから何体もカードを出し最終的に盤面をひっくり返すこともでき、それはそれで気持ちいいんだが、それにしても1ターンに行う作業量としてあまりに過剰だなと感じる事も多い
遊戯王は忙し過ぎるのだ
もはや、初手を見せて「あ、この手札とエクストラなのでこの盤面にしちゃいますね」と一切のカードプレイをせずにカードをただ並べるだけでも充分じゃないかと思う日もある
そんなのはゲームでも何でも無いのだけど、頑張って展開してるさまをみて、なぜそこまで頑張る必要があるんだろうと感じる
仮に嫁や子供とカードゲームをするにしても、遊戯王だけは勧められない
あの長くて面倒くさいカードテキストや複雑なルール、膨大なカードプールやデッキにめまぐるしく加わる新規カードやギミックや禁止改訂を一般人に勧めるわけにはいかない
たぶんおもうのは「なんで遊戯王ってこんなにもやることや考えることが多いの?」だろう
他にカードゲームをしていても、遊戯王は同じ時間で終わっても疲れ方が全然違う
前の職場があまりにもつまらなすぎてストレスがたまりまくって辞めた。
辞める直前の1カ月は有休を消化したので、2カ月と2週間程度の休み中って感じ。
まだ次の会社は見つけてない。
しばらく休んで思ったのが、自分があまりにも趣味がなく人生楽しくないなー、となってる。
趣味がないので、就職の準備として自分がやりたい業務内容の勉強とたまに気分転換に自転車で走るくらい。
自分のほうがきれい好きだったり、神経質ってのもあるがし、仕事が忙しくて気分転換が必要なのはわかるが、もう少し家のことをちゃんとしてほしい。
嫁の趣味でボードゲームとかに誘ってくれるが、知らない人とボードゲームをいきなりするのはなんかいや。
てか家での嫁との接し方と外での嫁との接し方が変わるのがなんかいやだしめんどい。
嫁の趣味以外でどこか遊びたい気がするが、遊びということを今までほとんどしたことなかったのでわからん。
このもやもやをどうにか発散したい。
持って生まれたモノ、人生で積み上げたモノ、それをどこまで注ぎ込めるかをプレイヤーに問うことが出来ている。
いいゲームってのはプレイヤーに本気を出させちまえるかで決まると思う。
「とりあえずサッサと始めろ」
「工夫しろ」
「工夫できないなら金を出せ」
「それも無理なら情報を集めろ」
「とにかく時間や金や才能を使える限り使ってみろ」
「お前の引いた手札を組み合わせろ。お前が元々持っていた手札も使い切れ」
そういう圧が凄い。
ただそういう圧をかけてくるゲームってのは既に世の中にいくらでもあるからある程度ゲームに慣れてるプレイヤーはもう「コノジャンルはコウヤルとチョットウマクイク」の答をもう持ってる。
そこでガチャだ。
ガチャで全部グチャグチャにかき混ぜて手札を配りなおす。
正解を知っていてもその手札が自分になければ切ることは出来ない。
多くのゲームはそれを生まれ持った才能に依存させまくってくる。
格ゲーなんて最たるもので「その技の発生見てから昇龍拳出せばいいんですよ」→「動体視力が足りません」みたいな事が往々にしてある。
才能という手札があれば解決できるはずの最適解を得られない苛立ちが、結果として「自分にも出来る弱者の兵法を探す旅」の始まりとなる。
それこそが「本物の体験」なんだ。
ガチャゲーは多くのプレイヤーから最適解を奪い取っていく、「1凸以上のAに3凸以上のBを装備させたのと完凸のCと完凸のDを組み合わせてループを組めばいいんだよ」という攻略動画上がっても、多くのプレイヤーはそんなの真似できない。
低レアクリアの動画があっても大抵は「低レアだけどその代わり限界まで育成してます」というパターンだから実際には真似出来なかったりする。
そういった諸々の状況の中で、それでも自分なりに工夫して課題に挑戦できる。
似たような状況を作り出すゲームに「多人数対戦ゲーム」が存在するが、こちらは最強のカード「味方が弱かったのが悪い」でプレイヤーは「本物の体験」をする機会を自分から放棄できる。
でもガチャゲーは違う。
多くのガチャゲーは多少のギルド要素はあっても戦い自体は個人VSエネミーだ。
最終的に戦力を決定するのはどこまでも自分の手持ちだ。
「ギルドの仲間が弱いせいでレイドに負けました」ぐらいならまだしも、「イベントのボスが倒せなかったのは強いフレンドを借りられなかったからです」は流石に厳しいものがある。
そんな状況だというのに、ゲームは容赦なく「手札」を引っ掻き回してあるかないかを運任せにしてしまう。
反射神経さえあればどんなSTGでもそのうちクリア出来るプレイヤーだろうが、頭が良くてボードゲームをあっという間に理解するプレイヤーだろうが、ガチャゲーを前にすればそれらの才能を剥奪されて必死に足りない手札をやりくりさせられる。
本気になるしかないんだぞという圧が凄いんだ。
才能があることに甘えることも、ないことに甘えることも出来ない。
強いレアを持っているくせにクリア出来ないと嘆けばネットでは叩かれるし、弱いキャラしか持ってないからと嘆いても乞食は黙れと叩かれる。
この孤独さこそが「自分だけの旅」であり「本物の体験」なんだ。
ガチャゲーはその良し悪しとはまた別に「本物の体験」が出来るゲームジャンルなのは間違いないよ。
そのこと自体は称賛されるべきだ。
オススメを教えて欲しい。
姪(小4)と甥(小2)を含む姉家族4人に、年末年始ボードゲームをプレゼントするつもりだ。姉はほぼ主婦(音楽系の仕事少し)、義兄はシステム系のお仕事。4人で仲良くやってる、と思う。姉にはこんなん買ってく、と伝えてから購入する。
既にボドゲ好きの友人に薦められ「カルカソンヌ」を購入済み。俺も昔やったことがあるが、小2甥にはまだちょっと難しいかしら?
もう1つ、カルカソンヌよりライトなワイワイ系(?)のボドゲも添えよう、と思っていてそれに悩んでいる。オススメを教えて欲しい。
一時でも、4人家族でワイワイした時間を過ごして欲しい。すぐ飽きられちゃってもまあいい。
(あと、たまーーーにでいいから、遠く離れた叔父さんのこと…思い出して欲しい…😢)
オススメを教えて欲しい。
一時期の将棋指しは加藤一二三九段が対局中にチョコ食いすぎなのを見て対局中に血管ブチギレたりいきなり盲目になって盲牌し始めるんじゃないかヒヤヒヤするぐらいしかなかった。
たま~~に個性的な髪型の人や電王戦に対してめっちゃイキりだす人がいるぐらい。
ソフト使用不正疑惑で対戦相手の人生破壊しておいて平然とした顔で妻にほのぼの漫画描かせて柔らかいイメージを維持しているサイコパスだったり、対局中に自分だけマスクを外すというズルを平然とやってのけて注意ガン無視で失格負けになるルール理解力0人間が登場するんだから。
月下の棋士が連載されていた頃にあった「将棋バカとは、将棋が出来るバカ、つまりバカである。ギフテッドとは才能のあるキチガイに与えられる名であり、彼らは才能があるだけのキチガイである」って感じが戻ってきてるよ。
これは凄く楽しいね。
大人し~~~~い「私、将棋チョットデキル」ばっかで埋まったA級とか見てられないよね正直。
半分が分かりやすい人格破綻者、残りの半分がちょっと分かりにくい人格破綻者、残りの連中は「将棋指しなのに真人間っぽく見えるけど、バレてないだけでコイツらが一番破綻しているのでは?」って感じでキャラ立て。
皆均等にそれぞれの破綻っぷりを見せつけてきてプロレスラーみたいにキャラが立ってるだろ?
それに比べて昨今の騎士ときたら……いやマジで「陰キャです~~~」だけでキャラ立てて許されるのはB級までよ。
マスクさえ奪えば勝てる。
そのことは、一夜にして棋界を変えたという。
マスクを奪う、だ。
だが、ある戦術が棋界を席巻すれば、対抗戦略が生まれるのは必然だった。
棋士たちは、囲いを始める。
もっとも、いかに頭部を守ろうとも、腹パンされてヘルメットを脱がされては意味がない。
守らんとする者は全身を覆い、攻めんとするものは武器を手にする。
守りと攻めのいたちごっこ。
やがて生まれたのは、全身をフルプレートの鎧で包み、剣を手にするスタイル。
やぐら(物理)やトマホーク(物理)を経て、そのゲームは、もはや合戦(将棋ウォーズ)の域に達した。
その名を「将棋」という。
将棋は崇高な文化である。棋士は日々己の頭脳を磨き、それを魂を削り、命を傾けて対局に挑む。盤上の勝負だけが彼らの生きる縁(よすが)であり、生きる意味と将棋が同義になるほどに没入して闘う。その生き様に、そこから生まれる珠玉の棋譜に魅入られたもの達が価値を見出し、やがて国が誇る文化のひとつとして昇華した。
…したはずだった。
全人口からすればほんの僅かな選ばれた者たちだけがなれるのが棋士。誇らしく、また、ある程度、将棋をするだけで生活が保障されるという夢。巨大なスポンサーと太客に支えられ、ボードゲームで生きていく。そういう類の夢の職業であるはずである。
世の中、しがないサラリーマンだけで構成されたら面白くもなんともない。己の才能と矜持と努力で夢を掴む職業がある方がいい。それに大企業や市井の人々が金を出すのもまた夢のひとつである。
棋士は崇高な職業であるが故に、彼らのことは彼ら自身で決める。団体は煌めく脳細胞の集合体なのだから、律するルールは己らで決定するのである。そうしてきたし、そうしているし、これからもずっとそうする。自分らで決め、自分らで裁き、勝ち、負け、蹴落とし、蹴落とされ、また這い上がり、生きていく。
昔は新聞とテレビが国民の情報収集と娯楽を担っていた。家庭内ではサラリーマンが専業主婦と子を養えるだけの給与があったため、家長の力が金銭的にも精神的にも強く、将棋はそこにおいては祖父や父親の文化的な嗜みとしての強い立場がある程度存在していた。新聞は将棋の強い親となり、国営放送は積極的であった。そういう時代があった。
人間が鎬を削って苦しみ抜き、勝ち負けを決める盤上の駒を使うゲームは、金を払う価値があった。
あれから随分と時が経った。新聞とテレビだけで満足する時代は終わった。家長だけが働いても食える時代ではなく、家庭のバランスも変わった。メディアと父親はもちろん、どちらも生き残ってはいるが、台頭するスマートフォンやタブレットに、男女が働く時代に、馴染まないと生きてはいけない。将棋自体は、スマートフォンで気軽に指せる時代にもなったが、気高く素晴らしい棋士の存在は、意義を問われることとなる。
新聞が金を出しきれなくなった。テレビで流すことも極端に減った。他業種のスポンサーは追加され、ストリーミング再生の放映権を売った。
どうせ親が金を出すから将棋だけしていればいい時代が終わった。現代に馴染むためにはエンタテインメント化されるのは必然だ。あるときは道化となり、メシを食い菓子を食い、ついでに将棋を見てもらう。若き救世主が地球を侵略しに来たことによって、それは加速された。
メシアはAIという集合知を連れて侵略にとりかかった。それは将棋の内容においての改革を意味していた。向上しようとするもの、必死に縋り付くもの、諦観を持って見守るもの、利用して他の切り口を模索するもの…。面白くなった、つまらなくなった、指すものからしても、観るものからしても、取材するものからしても、どう思うかは人によって違う。
そしてメシアは強烈なファンダムをも従えた。アイドルとは偶像崇拝を示すのが元の言葉である。新時代では避けて通れないSNSというものの圧倒的な力で振りまわす、いや、振り回されたのか。
繰り返すが、太い親とパトロンで保たれていた内側の秩序は崩壊した。
ひとつひとつの力は小さいが、集まれば世論をも左右するファンダムをコントロールしなければこの星は滅びへと向かう。メシアが星を滅ぼすのではない。彼はどうやら将棋を心の底から愛していそうで、まだ、メシアで居続けようとしてくれている。まだ。
滅ぶのはファンダムをコントロールできなくなったときだ。ファンダムはある時は鮮烈に良さを訴え社会現象を作りだすが、ある時は量で圧倒してスポンサーをも非難する。諸刃の剣に近い。
ファンダムは集合体であり、それぞれの知性もまちまちだ。ひとつ事件が起これば、愚鈍な発言がもてはやされる場合だって大いにある。SNSで取り上げられるのは、必ずしも論理的で倫理観のある発言ではないからだ。
文化という話に戻ろう。文化とは何か。それは半永続的な魅力のある、それ自体は一般市民の人生に必要のないものだと定義したい。生きるのに必要はないが金を出す価値がある。卑近に言えばそういう類のものだ。
将棋で生きている、または、将棋に関連して飯を食っているものからすれば噴飯ものの言いようかもしれない。だが、一般社会ではそういうものだ。将棋が無くなって、困る人の方が少ない。世界には多くの人間が存在していて、多様な娯楽があり、人生があり、他の仕事がある。
将棋と関わり、生きていくものにとって生きづらくなった、と思われるかもしれない。そう。いま、生きるとはそういうことだ。何かすればすぐに炎上し、働き方は厳しさを増し、対面での人間関係は難しい。他の人々も何かしらの生きづらさを抱えて生きている。それが現代社会だ。認めなければいけない。
身分や全てを隠した故、自分がここに書いたことを卑怯で誤謬や脚色に満ちていると思われてもいい。ただ、将棋を棋士を素晴らしいものだと思っている。たった1人の棋士の存在が自分の将棋への見方を変えた。メシアでもない、かつてのメシアでもない、残りの棋士のひとりだ。自分は彼に将棋を指し続けて欲しいからこれを書いた。
どの立場からも、互いに歪み合っている場合ではない。不用意にお気持ちを述べることも、ただ黙って推移を見守ることも、それぞれのファンダムが暴走することも、形勢を有利にはしない。
匿名はてブで書くのは非常に遺憾だった。しかし、それにも、それでもきっと書く意味はある。職業・年齢・性別・棋力は伏せた方がよかった。たとえば、
会社員で30歳で男でウォーズ四段だ。
この5つの前提で同じ文章を書いた時、それぞれ違った先入観が発生する。そういう階層や区別が罷り通るのがこの素晴らしい文化だからだ。(なお、一例であり、上記のどれかが自分に当てはまるわけではない。)
何かが変わるだろうか。この星はどうやって滅びるのか手をこまねいて見ているだけはもどかしい。
将棋を次の100年へ。
単に性格が生まれつき『一般的じゃない』というだけで、「可愛そうな人に手を差し伸べてあげよう」って態度で扱われ続けてきたことに対する苛立ちっていうんですかね。
周りから浮いてるなりに馴染もうとしても「点数稼ぎ」「いい人のフリ」「闇が深い」「ガイジの顔つき」とか陰口叩かれるんだからやってらんねーよ。
生まれつき人と付き合うのが上手くて体格も良い奴は、表立ってイジメに参加してても教師も「コイツの顔を立ててやればコイツの手下共がおとなしいんだから楽ですわ」みたいに高待遇なのも心底腹が立ってたぜ。
社会に出てみりゃ違うのかと思ったが、結局社会の中でも「友達いないんすか~~~~???」「えっ?童貞なの?」みたいな事言ってくるモラハラクソ馬鹿野郎の方が『一般的な性格』っていう扱いでのびのびしやがってよ。
んでまあなによりムカつくのが俺と同じようなタイプの奴が、同僚としてならまだしも上司や部下としては最悪ってことだ。
自分の思い込みで突っ走るからホウレンソウが誰とやっても出来ねえ。
こっちの都合を取引先に押し付けてるような場面なのに「なんでやってくれないんですか!貴方のせいでボクの仕事が失敗したって上司に報告しますよ!」じゃねええええれdさfgvdsfじdふぉあいjsdfpksdfkljhじpさjこsdんjきsだflhmんjdfljksd「
すまん思い出し怒りだ。
相手の会社からしたらこっちの無理を聞いてやる代わりにちょっと貸しだぞぐらいの気持ちならまだしも、「ボクが怒られたくないので」「そっちが損するとか関係ないので」「無理を聞けよオイ!」なんて言われて手を貸してくれるわけないだろ。
俺だってまあ小学校低学年の頃は自分と他人の境界線がバグってたから、「何故?俺の都合がいい方向に動かない?」って赤ん坊のままデカくなった魔王みたいな思考回路だったさ。
でもそっから本読んだり、漫画や小説のキャラについてそれぞれの立場で考察ごっこしたりで後付の形にはなるが「俺にとって都合がいいことが、相手にとって都合がいいとは限らないらしいな」って当たり前の事を理解していったよ。
なにより聞いたのが対人ゲームだったな。
ボードゲームやカードゲームなんて「自分がされたくないこと」を相手側に押し付けるゲームなわけだから、お互いの立場について客観的に考えるためのエミュレーターを作る手助けになったよ。
おかしいんだよなあ……職場のカス共の中で特に酷い奴も一応ネットゲームが好きらしいんだがそういうのなんで分かんねえんだろうなあ……学生時代スポーツ経験あったはずなのになんでわからないんだ……っつーかよくチームスポーツ出来たなこの性格で……。
はー本当イライラする。
まあたしかにココまで人格の根底に初期不良があると「一般的じゃない」だけの言葉じゃ片付けにくいかもなあ。
そっから学んでいって成長することは出来るのは自分で自分の人生を紐解けば分かるが、やっぱこう明らかに人格を偽装して生きてるからすげー苦しいんだよな。
OSレベルのエミュを二重三重に起動して無理やり合わせていってるから常にメモリカツカツで脳が焼けただれそうになるというか。
つうか色んな思考をエミュの中で多重に走らせてるからもうどれが本音でどれが上っ面でどれが修正した本音でというかフィードバックが多重にかかってるからもう全部嘘っぱちと言っても良いわけだがそもそも人間の人格なんて無数のセンサーの集合体が生み出した一つの巨大な幻影にすぎないわけであってあー無理俺バカだからこういうの分かんなーい。
こういう「人間社会に馴染めない人間」が生まれてくるシステムそのものが気に食わねえわ。
端的に言って「人間さんって一部に遺伝子レベルで脳が腐ってる人混じってますよね。俺ですけど」って感じ。
そのことが気に食わねえよ。
なんでこんな遺伝子のやつが子供産んでるんですかって思うわけよ。
そうだよ。
俺の親のことだよ!!!!!
あーマジつら……。
やっぱ憎いよ世の中かが。
その中で支えてくれる人たちとか、無能でも楽しめるようなことをたくさん作ってくれたクリエイターさんとかには感謝してるよ。
ハハハハ俺さあマジで友達付き合いとかしてても結局苦痛だからさああ人と一緒じゃないと楽しめないエンタメ全部無理なんだわもうそんなのばっかだったらマジでもうシヌしかなかったからさあwwwwwww
はー……はー……つまる所発達障害ってのは遺伝子的な貧困層みたいなもんなんだよな。
たとえ形だけ脱した所で、幼少期に身につけるべきだったはずのものが抜けてるし、価値観の構築も3つや12や20の各段階に全然間に合ってねえから土台自体がほっせえのよ。
「「自分が憎い」って「思わされざるをえない」環境に「追い込んでおいて」「自分を憎むな」みたいな綺麗事を言いつつやっぱり「アイツやっぱ邪魔だよ」と陰口叩いてる「一般的な」価値観「ガチャ」に成功しただけの『一般人』なる連中の全てが憎い」
これが俺の答えだよ。