はてなキーワード: ジャイアンとは
今月の地味にすごいニュース
・日本が中国の軍事行動を批判し対決する姿勢を表明したこと(日米共同)
→ これまでは遺憾表明くらいだった
ネパールをアカ化したりスリランカやアフリカを債務のワナにはめているようだけど、
これも批判の口実を作ってしまったわけで、人権意識が進んだ国からの追及はまぬがれない。
(そのうちウイグルみたいになるだろうし)
世界には台湾やパラオのように中国と手を結ぶくらいなら全国民が全滅するまで戦う、みたいなところも多い。
つまり着々と、世界VS中国(と一部の軍事独裁国家)という図式になりつつある。
※ちょっとだけフェイクを入れてます。衝動的に書いたのでおかしいところもあるかもしれませんが、ご了承ください。
何とも情けないが、これから生きていける自信がない。私は社会不適合者だ。約束の時間には遅れるし、何かすべきことがあってもよく忘れる。そのせいでよく怒られたが、どう頑張っても直せなかった。
ADHDの特性だ。そして私の父もおそらくADHDだ。自身がADHDであることを父に言ったこともあった。すると父はこう言った、「そんなことを言い訳にするな!誰もそんな言い訳を相手にする訳ないだろ!この馬鹿が!」と。それもかなり厳しく叱られた。でもそんなことを言って欲しくて打ち明けたわけではない。そもそも、こちらから打ち明けようと思ったわけではなく、担任経由で父へと伝わっただけの話である。内密な話を勝手に打ち明けた担任も担任だが、父も父だと思う。父は他人のことになると無理解だった。
我が家の家庭環境はかなり難があったと思う。おそらく両親は二人とも認めないだろう。父は特に。
父は家庭にあまり関わらなかったことを良しとしてか、家庭問題に関して自身には微塵も責任がないと思っている。そして母に全てを丸投げして逃げたのにも関わらず、逃げたことを認めることはしなかった。
自分の落ち度を認めたくないのは誰だってそうだ。自分だってそれは嫌だ。でもいい加減認めてくれないと始まらないと思う。
これを見た人はどう思うだろうか。私のことを言い訳がましいやつだと思っているだろうか。変なヤツが自身の落ち度を家庭環境のせいにして責任逃れしているだけと思うだろうか。たしかに今までの人生は自分の落ち度だ。自分に返ってきているのが何よりの証拠だ。言い訳しても何も変わらない。そして何もかもが手遅れでどうしようもないことを自分自身、誰よりも知っている。
どうしようもない。私の精神はもう壊れてしまった。全てに対して。
ADHDだとカミングアウトされたらまたキレられるのだろうかと不安で、担任に打ち明けて以降は自身のADHDを誰にも話したことはない。そして誰かに意を決してそのことを打ち明けたとしてもきっとこう言われるのだ、「お前の努力が足りないからだ」と。「お前が努力して時間を守れるように、やるべきことをこなそうとする意思を見せないからダメなんだ」と。少し鬱気味だからそう思ってるだけかもしれない。
ADHDというのは脳の障害の一種だ。まとめると、「衝動的な行動」「集中力の欠如」の2つの特徴を併せ持つ障害である。ドラえもんにおけるジャイアンとのび太がその例だ。先天的な要素と後天的な要素のいずれも絡んでいるらしいが、あまり解明されていない。
ADHDは脳の機能に欠損があるだけであって、数学が苦手とか国語が苦手とかそんなのと変わらないものだと思っているが、身体的な障害と違って外からは気づかれにくいためよく誤解される。
「五体満足のくせに障害?舐めたことを…」と思われることも少なくない。打ち明けただけでも忌避され、疎まれ、蔑まされる。
「誰でもできていることができないことなんてあるものか。お前の努力が足りないだけだ。できなければ人の10倍努力しろ」みたいな根性論は、当人にとっては無い腕で箸を掴めと言われているようなもので気分的にもあまりよろしくない。この例えはちょっとマズかったかもしれない。気を悪くさせてしまった方がいたら本当に申し訳ない。
母から認めてほしかったなあと今でも思う。朝起きて、母が何も作ってくれないからと自分で朝ごはん作って6時過ぎには家を出て、朝練に行って練習して、それから学校の授業を受け、部活でクタクタになりながら片道1時間の道のりを自転車で帰り、家に着くのは夜の8時ごろ。それから自身の夕飯を作り、眠たい目を擦りながら勉強して。
それでも何も褒められず、むしろ他の家の子と比べられてはよく貶されていた。
「○○君は、○○ちゃんは頭がいいのに。部活で活躍しているのにあんたは何一つも取り柄がないね」と。
父は「その経験も大人になれば必要なスキルだ」と偉そうに言うだけで、無関心だった。
学校の宿題を終わらせても、自分の時間などなかった。宿題を終わらせて自室で本を読んでいると、たちまち母が怒鳴り込んできて「宿題は?まだ終わってないでしょ!」と決めつけて本を取り上げられ、ある時は捨てられることもあった。宿題が終わっていることを見せても、「それなら予習をやりなさい」とひたすら勉強を強要された。
この人は私の努力を認めてはくれないんだと思った。ただ認めてほしかった。こんなに頑張ったんだよと証明したかった。
虐待もあった。兄は毎日のように、母から布団叩きで何回も叩かれていた。毎朝のようにその光景を見ていたが、それを止めれば自分も叩かれる。庇うと自分まで損害を受けるのだ。理不尽極まりなかった。
「お兄ちゃんは社交的なのにあんたは社交性のかけらもないね」「空気が読めないよね」と兄弟間で何かと比較された。兄も同様に「△△(私のこと)は頭がいいのにあんたは馬鹿だよね」と言われていた。おかげで兄弟仲もかなり冷えた。兄の失態を擦りつけられることもあった。
しばしば外で立たされることもあった。母は何かひとつでも気に入らないことがあると、真冬だろうが子供を外に放り出した。そして私たちは訳がわからないまま外に追い出された。
思い返せば「連帯責任」というのがあった。兄の連帯責任で私も巻き添えを喰らって外に放り出された。
少なくとも自分は親から言われたことは渋々ながらも大体はやっていた、と自負しているが、「言うことを聞かない」からと外に出されたこともあった。
母に対して理屈で押し通そうとすると逆ギレされて「私の言うことを聞け!聞けないなら出て行け!」と言われて外に出されることもあった。母の説教は長くて、しかも声に圧があって怖かった。母は意地でも自分の命令に従わせようといつも怒鳴り散らしていた。
そして父は母のヒステリー気質にたびたびキレて母を殴ることもあった。
父と母はよく喧嘩していた。
変な始まり方から喧嘩することもあった。妙なイチャつきあいから小突き合いへと変わり、そして殴り合いに発展していくのだ。
見ている方はしんどかった。そして茶番はよく私たちにも飛び火した。「離婚する!私に着いてくるのか、父に着いていくのか決めろ」なんて言われたり、「あんたたちのせいで喧嘩したんだ!責任取れ!」といちゃもんをつけられたりするのは日常茶飯事だった。その茶番を何十回と目撃した。普通の家庭はこんなことってあるのだろうか。
母はよく私たちにキレるくせに、なぜか父への恨みつらみを吐くのも私たちに向けてだった。正直言ってしんどかった。「あんたたちが成人したら離婚する!あんたたちがいなければすぐ離婚するのに」とよく言っていた。
私は子供に喧嘩の責任があるみたいな母の言い方に内心苛立っていた。
父は「お前の教育(しつけ)がなってないから子供達が言うことを聞かないんだ!」とたびたび母に怒鳴っていたらしい。母はそのことに対してかなり腹を立てていたようだ。
しかし父は自分からそういうことを言う人間ではない。家庭にはあまり興味がない人なのだ。
おそらく母は父からそう言われる前に、「子供達が言うことを聞いてくれないんだけどどうすればいいの!」としつこく迫っていたのだろう。
そして、母はしつけと称して私たち兄弟を外に追い出したり、叩いたりしていたに違いない。要はしつけの仕方がどういうものかきっと分かってなかったのだと思う。
母曰く、かつては子供たちに優しく言っていたが、私たちがあまりにも言うことを聞かないので暴力で教えるしか方法がなくなった、だそうだ。実際殴られてたし、その頃は意味がわからなすぎて理不尽だと思っていた。それが十数年続いた。言葉の暴力も、体罰もざらだった。母はよく布団叩きを使って子供たちを叩いた。母は自分から叩いているくせに「あんたたちを叩くせいで私の手が痛くなるのよ!腹が立つ!」と言っていた。
正直言ってその言葉にはムカついた。千回は叩かれただろうか。冗談ではなく一度に100回叩かれることもあったし、毎回平均20発くらい叩かれてたから20発×50回くらいと考えたらそのくらいが妥当と思う。
母は外面はかなり温厚なので、このことを母の知り合いに告げたらきっと驚くだろう。
父も父で暴力が激しかった。ひとたび怒りに触れると手がつけられなくなり、子供でも容赦なく殴った。トイレの扉を壊したり、何かと荒々しい人だった。
おまけにパチスロ中毒で、負けて帰ってくるといつも荒れていた。
暴れる父を止めようとして足蹴にされたり、腹を殴られて吐いたりすることもあった。
他人に対してはとことん無理解な人なので、人の機嫌を損ねるような発言をして人付き合いが上手くいかない人だった。アスペも混じっているのだろう。
「一番尊敬しているのは両親です」と言う人がいるが、そんな人が羨ましくさえ思う。
私は高校進学も自分で決めたわけじゃないし、大学に至ってもそうだ。母から夢を一方的に押し付けられ、自分の夢は一蹴されて応援すらしてもらえなかった。
今なお人生の目標がないから生きてて楽しくないし、「お前は絶対他人に迷惑をかける」と言われていたから、バイトするのも怖くて仕方なかった。「迷惑をかけてしまったらどうしよう」と。バイトに入ってからは迷惑をかけっぱなしで自分の能力の低さに愕然とした。
母からはいつも努力の過程は認めてもらえず成果だけを褒められる、そんな感じだった。バイト先の店長もそんな感じだったが、私の成果がてんでダメだったので褒められるどころかよくダメ出しされていた。
むしろ店長からは憐れみと嘲笑の目で見られていたのかもしれない。「この出来損ないをここの環境で使える人間に仕上げてやろう」というしょうもない情けをかけられていた。
いつしか努力しても無駄だとさえ思うようになった。努力しなくても成果の出るものは勝手に出るし、出ないものは努力しても全く出ない。
私は中高とソフトテニス部に所属していた。よく自主練していたがどんなに頑張っても相変わらず下手だった。
「お前の努力が足りないからだ」とさえ言われた。みんなと同じ分量頑張っているのに?チームのキャプテンからは「チームの足をひっぱっている」とさえ言われた。部活は楽しい反面、私が下手なせいでいつも煙たがられて誰も練習相手になってくれず、部活中は壁打ちすることも多かった。同級生のみならず、一部の後輩にも馬鹿にされていた。そしてはぶられていた。人生とはつくづく楽しくないものだ。
馬鹿にされても笑って何も感じてないように装って、実際は嫌で嫌でたまらないのにつまらないイジリに耐えて耐えて何が楽しいのかわからなかった。
ひたすら耐えるだけの人生だった。
こんなところにいない方が楽だし、私がいない方が世の中のためになる。
もう失敗しきってるんだ。人生これからと言われてももう頓挫してるんだ。立ち上がることすらかなわない。こんなダメ人間にどうしろと。
どうせ何やっても失敗するというのに。
念の為断っておくが、当方は自己犠牲を礼賛する立場でもなければ、悪役に対しても性善説で接しよというつもりはさらさらない。
件のプリキュアにおけるメッセージはカギカッコ付きで「正しい」。
だからこそ大人として世界に向き合う責任と自覚を放棄した歪みがあると思う。
現在ツイッターでプリキュアおじさん(見る限りほぼ全員独身の高齢アニオタ男性)が
「もし本当に反省しているなら悪行をして笑ったりしない。
都合の良い時だけ私(主人公)を利用しないで!」
よく言ったこれでこそ令和だ正解だ画期的だ脚本ブラボーと褒めそやすツイートである。
この悪役が例えば映画版とTV版のキャラ違いを往復するジャイアンの如く、何度も何度も何度も何度も利用されて裏切られるを繰り返してきたならば、確かに悲しいけど仕方ないねと腑に落ちる。
自分のみならず世界人類全体に迷惑をかけていたなら、これも仕方ないけど自分ひとりで許すのも違うからわかる。
でも文脈上はそうではないらしい。(プリキュアの敵なので世界人類の敵であることは事実だが、伝えんとする意図は別にある)
命乞いから実際裏切られた、裏切られる可能性うんぬん以前に、丸1年間の放送でずっと主人公陣営を傷つけてきたボスに不快感を抱く事は間違っていないと全肯定する。
そして何より自分の心を守るために「お前が不快だから助けてやるもんかざまぁみろ」と堂々と拒否をする。
そういうある種の「人生n周目のループもの主人公が書き換えた正解の世界線」じみた、自分の繊細ハートが傷つく前に敵を殺れ!という心の防衛を至上とした完璧なる護身メッセージなのだ。
ヒーローだけど無理して全てを愛さなくていい。弱り目を承知で悪意をぶつけてやりたい憎い奴を憎んでもいい。そうやって自分の心を大事にしようと。
これに爽快感を覚えるのは基本的に自分を「つけこまれる側の被害者」と認識している人間と思われる。それでいてもろい自己を他者に守ってもらいたくて仕方のない人間だ。
おそらく自称つけこまれた被害者の彼らは思い思いに己の人生の闇をフラッシュバックさせて
勝手に「救われた」気分になっているんだろう。
散々陰キャの俺をいじめておいて、卒業間際あるいは問題化された時に、保身で都合よく和解を申し出てきた学生時代のイジメっ子。
イジメっ子が放つ軽々しい「ごめんね」の言葉に、事を荒立てなくない教師から許しを強要された思い出。
無能だと罵倒しながら、人手が欲しい時、辞めてもらいたくない時には急場しのぎでチヤホヤと引き止める嫌な上司。
もしかしたらアニメスタッフが現場のちょっとしたトラブルを思い出しながら書いていたのかも知れない。
そんな彼らを悪と断じられる程の信念や自己肯定感も持てず、うまく対処したくても出来ないフラストレーションを、「この叫びは陰キャの俺のものじゃない」「女児向け思想だから」と言い訳が出来る投影先のプリキュアに代弁してもらった、射精せんばかりの絶頂感。
そういう失敗陰キャおっさん達の泣きシコ汁に塗れたくっさいくっさいツイートだらけで鼻が曲がりそうだ。
でもな。
お前ら「人生あそこでやり直したかった」塗れのプレイ時間だけは長い低レベルプレイヤーには良心的な教えでも、まっさらな状態から人生ゲームをスタートする子供にはそれじゃダメなんだよ。
なぜか?
「自分を信じろ」「自分の心の声に従え」と言われても幼児~小学生位の子供には信じるべき自分が物理的に存在しない。まだ形成途中にある。まず目の前の世界と他者をありのまま認識する作業を経て、そこに存在する自分の姿を経て自我を形成するのだ。
児童本人の自主性なんてものはハッキリ言って幻想にすぎない(大人ですら固まってないのが山程いるのを考えればわかるだろうに)。
大人に出来るのは「子供が学びを楽しいと思ってくれる」「家族や友達を思いやってくれる」よう、監視の目を絶やさず巧みに線路を引いて神経質に誘導しながらも「君自身の意志で選択したんだよ」風を装ってそらっとぼけることだけである。
いわばチクタクバンバンの動く時計とマスをカチャカチャ動かすプレイヤーと同じ関係だ。
だから半ば幼児の情操教育が存在意義である幼児向けアニメは裏側にどれだけ深淵な設定を重ねようと、「メッセージ」だけはシンプルで単純で子供でも反射レベルで実行できる、主観を廃した絶対の指示性がなければいけないのだ。
(一部高齢オタクに幼児向けコンテンツマニアが居るのは、物語の綺麗事に対する絶対的信頼感と安心感、そこに含有される複雑怪奇な人間社会の闇を幼児にもわかるシンプルな言葉で解き明かす性質に魅了されているのだと思う)
なのに件のプリキュア見捨てエピソードは「悪人の都合の良い言葉で利用される正義ワイの心の痛み」とかいう、複雑かつ理解に経験則が必須で子供にとって一番アテにできない自我を拠り所に「相手から発せられた言葉の意味と反対の事をしろ」と言ってしまってる。
端的に言って複雑な無茶振りがすぎて処理落ちするレベルなのだ。
「先生やご両親の言う事を聞きましょう」という子供が生活するうえで必要な基本メッセージに唾を吐いて「いやいや、教師や親というだけで信じるのは危険だからやめろ。奴らの嘘集をあげるから悪い奴から身を守ってくれ」と言って
毒親やパワハラ教師の体験談を未就学児にプレゼントしてしまうが如き「余計なおせっかい」である。エルサゲートを見せて社会勉強になると言ってるようなもんである。
確かに現実はそうかも知れない。でも子供にいま一番必要なのは「世界をとりあえずそのまま受け入れて信じて自我を確立すること」なんだからお前らのしてる事は発育妨害でしかない。
まずありのまま信じさせてやれ。
大人が子供に出来るのは、子供に敢えて綺麗事を示して「安心して世界を信じろ」と断じる事だ。
自己護身のために「その時は悪い事を言っていない他者」を疑え警戒せよと煽る事じゃない。
わざわざ言葉の裏を疑えうんぬんと世界に不信感を持たせる事を言う位なら何のために勧善懲悪のキレイゴト物語のフォーマットを用いているのかわからない。
自我どころか言語認識すら途上で危うい子供には綺麗事を疑う事を前提としたメッセージ処理できないから、メッセージは「自分といったん敵対したからには悪は悪だからやつの口にする反省は嘘だ」になる。
小さなガキは四六時中間違いを起こすし、友達とは毎日ケンカと仲直りを繰り返すような生き物なんだけど、これ自分が悪役側になることだって充分あり得るのに、みんなが鵜呑みにしちゃったらどうなるんだろうね?
お母さんの無償の愛に甘えてイキって困らせてそうなオタクおじさん達は「プリキュア(俺)に我慢を強いる無償の愛を求める敵をよく倒してくれた」と言いながらウットリしてるけど、
悪役とされる側への寛容ってヒーローヒロインに犠牲を強いてる訳じゃなくて、自分がもし道を誤って悪役とされる側に堕ちた時の為の救いでもあったはずだ。
そういう可能性を僅かも考慮しない高齢オタクおじさん達は卑屈な陰キャのくせに、どうしてそんなにも頑なで自分は絶対に被害者のままで断じて加害者に回らないと言い切れるんだろう?
まさか自分が病んで追い詰められて道を外した時には潔く「僕は擁護のしようもないクズですううう」と叫びながら一切の救済を拒否して誰にも迷惑をかけずに腹でも切るのか?
なわけねーよなぁ?自分が僅かでも救済されるかも知れない余地があるなら見苦しく立場の一貫性もかなぐり捨てて縋りつくよな?正義のヒーローの犠牲なんか知ったこっちゃない、ヒーローなら俺をも救ってくれるはずだと。
そういう人間の業と弱さを認めて見放さずチャンスを与えることで、他者も自分自身も許せば楽になれるよというのがこの手のエピソードの肝だったはずだ。
「罪を憎んで人を憎まず」は無念を押し殺して涙を飲んで敵を許せという意味ではなく、人として自分も含めた人の業と折り合いをつける知恵だったはずだ。
他者への潔癖な非寛容は自分自身を縛って生きづらくするという事は、他ならぬポリコレ叩きのオタクおじさん達が嬉々として口にしている言葉だろうにな。
なんか、自分を大事にとか理不尽な犠牲の否定とかじゃなくてこういうものが生まれる根底に、陰キャキモおっさん目線の失敗を過剰に恐れる間違った完璧主義と「俺は被害者なので何があっても絶対に悪(加害者)に回ることはない」という勘違いと、
幼児向けアニメなのに高齢オタクである自分のためのものだと思って子供目線で想像しようともしない傲慢さ(女児向け云々はアリバイ工作の時に口にするうわべワード)が鼻につく。
そう言えば別の某アニメで「若い子供のうちは間違っても取り返しがつくことが特権なのだから、迷ったり悩んだりして動けなくなるくらいなら思い切ってどんどん間違えてみればいい」と中学生の子供にアドバイスした親がアニオタ達から結構叩かれていたのを思い出した。
これも連なる話なのかね。