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はてなキーワード: カギカッコとは

2018-08-28

彼女」をデリバティブ取引して彼女を作る

ある思考実験を思いついた。

自分は今現在彼女がいない。しかし、半年後には彼女がいるとする。

そこで、半年後の自分から彼女」というステータスを前借りして、今現在彼女」を持っている(=彼女持ち)状態にする。

そこから本物の彼女を作るという一種先物取引を行う。(以下カギカッコつきの「彼女」は先物を指す)

資本主義の例を見るまでもなく、この世界ではよく「富めるものますます富む」という「べき乗則」が働いている。

これが恋愛にも当てはまるとすると、「彼女を持つ者にはさらに人気が集まる」ということになる。

確たる証拠はないが、既婚者がモテるとも聞くのでその可能性はあるのではないかと思われる。「欲望他者欲望」という言葉もあるし。

そうでなくても、「自分には彼女がいる」ということは限りなく自信にもつながるだろう。たとえそれが未来から借りてきた実体のないものであっても。

その「彼女」持ちの状態から半年以内に本当に彼女を作るように励む。前述の通り、彼女がいない状態から始めるよりも「彼女」がいるという状態から始めるほうができる確率は高いと考える。

一種保険のようなものでもある。

そして半年以内に彼女ができればハッピーエンド

だが、もし失敗したら?

どうってことはない。

「やっぱこの取引最初からナシ」となかったことにしてしまえばいいのである。そしてまた半年先の自分から彼女」を借りて頑張ろう。

2018-06-17

anond:20180617091140

いやだから、びっくりするほど日本語ができてない。

なんのカギカッコだよ。せめて俺の引用カギカッコとお前の意見カギカッコは分けて使えよ。『』とか使うんだよ普通

>お前のいう「不器用でも貧乏じゃない」人は「器用」な人だろう。

意味わかんねえだろ。不器用でも器用ってなんだよ。

2018-05-24

まだ生きてるのがしんどい

まだ生きてるのがしんどい

1月くらいに同じような題(生きているのがしんどいって名前だったと思う)でつらつらと書いた気がする。

遠い昔のような気もするけど多分そんなことない。残り何年も生きるって思ったら5.6ヶ月なんて多分一瞬。

(今見たら1月18日から19日に日付が変わる前に書いてた。投稿者だと細かいデータ参照できるんだね。もう使うことないって思ってたからすぐログアウトしたし機能とか知らなかった)

あんな長いエントリー最後まで読んでくれる人がいるって時点で人生捨てたもんじゃいかもしれないって、ちょっとだけ思った。

甘えすぎって言われるかなって思ったけどそうじゃなかったし、むしろ励まされたし。

思った以上に自分、頑張ってたっぽいんだって思えた。とても感謝してる。あそこで吐き出さなかったら今頃は違う人間になってたかもしれない。

あれって記事への反応に返答していいのかわかんなかったからそのままにしてたけど、なんかそれもいい気がしないなって。改めて、ほんとうに感謝してる。どこの誰ともわからないけど。どこの誰ともわからない人間の長文を認めてくれてありがとう。泣きながら書いた価値あった。泣きながら読んだ。やばいそろそろブログ作ってやれとか言われそう。ごめんなさいここで許してください。

また同じような題名エントリーしてるのはちょっと笑えるけど。

中身は多分、ガラリと変わっていて、あの時みたいなとにかく死にたい生きてる価値ないみたいな感じじゃないだけ、多分成長?変化?はしてるんだけど。うん。

この前父親に会った。親同士の離婚の話をされた。

それはまあ別に、割とどうでもよくて。というか、子供がどうこう言えるものでもないし、そもそも親同士の問題だし。さ。成人もしてるわけだから

でもその前後自分にとってかなり無理だったっぽい。いや、当日も無理だったんだけど。無理すぎてその日の夜熱出したけど。次の日バイト休んでしまったけど。

私は、休学中でまだ働いていないから、仕送りを頼りにしてるんだけど、その仕送りが途絶えるかもしれなかった。バイトはしてるけど、仕送りのものが少ないか生活費に当ててる状態

両親が家庭内別居状態からお金のやりとりはちょっと良くわからない。家のお金の動きに口を出せる立場にないからそこは仕方がない。

でも、仕送りが途絶えるのは別だ。仕送り勝手に減らされたところでなんでどうしてと食って書かれていたのは、ひとえに食費以外の最低限の生活費をもらえていたからだ。

(こんなふうに書くと本当に金食い虫だなと自分でも思う。胃が痛くなってきた。)

から頼んだ。普通に生活が苦しいと。仕送りちゃんと送ってくれと。メンタルも含めて元気になったら派遣でもバイト掛け持ちでもして自分生活を出来るようにするからと。

お金を稼いでいるのは父親から父親に頼んだ。そしたら「俺には金がないから俺の両親(私からする祖父母)に頼め」と。

文字だけうったらなんとなく筋が通ってる気がする。けど、私にとっては大問題だった。

まず、父親良心というものを、私は知らない。

私が生まれた頃にあったことがあるらしい。ただそれだけ。私の記憶にはない。

何か繋がりがあったかというと、それもない。お年玉ひとつ送ってくれやしなかった。

その人に「お金をください」と電話しろというのだ。赤の他人じゃないんだから、お前になら俺の両親がお金くれると。

血縁関係があることは理解している。けれど、それだけの人間を「赤の他人ではない」とするのはどうなのだ。私にとっては電話もかけてこない、電話もかけれない、お年玉もくれない血縁関係けがある赤の他人だ。赤の他人に、お金をくれと頼めと。しこも2.3万じゃ安い、20万貰えと。

そんなこと頼めない、そもそも連絡先知らない。父親にしたら両親かもしれないけど私からしたら他人だと。(しか父親はその両親に勘当されていると来た。本当に血だけ繋がってる他人じゃないのか)

でも父親は「生活が苦しいんだろ?お前が自分でいえ。俺にはもう金がない。俺から頼んで電話させるから自分で頼め。おまえになら融資してくれる」とか言われた。もう訳が分からない。お金をもらうにあたって直接お願いするという理屈は分かるけどそれを赤の他人にさせる神経が分からない。というか困ってるから父親に頼んでたのに赤の他人たらい回しにされた。この時点でもう半泣きだった。というか何?なんなの?私なんなの?(混乱)

そんなこんなしてたら電話が来た。最近スマホすごいか市外局番ですぐ市町村まで分かる。父親出身地だった。流れから見て暫定祖父母だ。

取るかどうか悩んだ。というか携帯持って震えた。いやだって無理すぎでしょ。私は頼めないって言ったのにかかってくる電話。恐怖でしょ。でも取らないわけにも行かない。だって父親が頼んで電話させたんだから、取らなかったら相手様を困らせることになる。でも取れば頼まされる。悩んで、着信音が5回まわったところで出た。(iPhoneなので着信が若干長い、と思う。)

暫定祖母の声がした。

ここら辺、大変申し訳ないんだけど声聞いた瞬間私が泣き出してしまった。正直もうキャパシティオーバーで限界だった。そもそも電話に出るの苦手だし、その前の父親とのやりとりでストレスとかプレッシャーまりまくりでその時点で気を抜けば叫び出して携帯を窓ガラスに叩きつけたいレベルでどうにかなりそうだったし(まだ人間でいたいからがんばった)、取ったからにはこれからお金貰えるように頼まないといけないし、でも相手赤の他人だし、そもそもそれ私望んでないし、というか電話で何言われるかわからなくてひたすら怖いし、吐きそうだし手は震えてるし声も震えてるしもう訳が分からないし。その後20分くらい泣きじゃくる私をなんか思い出話的な話とか、息子から聞いたよ生活が大変なんでしょ?とか、めそめそしないの、とか言われながら結局お金貰うことになった。これ、いつか返した方がいいのかちょっとからない。というか貯金できなかったの仕送り足りないせいだし、勝手仕送り減らしてきた両親のせいだし。時給激安とはいえ働いて稼いだお金全部食費と最低限の生活雑貨に消えるのメンタルにくる。家賃とガス代電気代が払えていれば生活ができると思うなよ。シャンプーとかトイレットペーパーとか生理用品とか洗剤とかも生活だよ。お米研いだとぎ汁で髪の毛あらえってか。

結果的お金をもらったことについては、いくらストレスとかプレッシャーとか精神不安定とかだからといっても結局は貰ってしまたからいつか返すなり大事に使うなりしないといけない。その電話の時に泣きじゃくりながらお礼も言った(申し訳ない)。振り込まれたあとのお礼の電話もしなきゃいけないんだけど、ごめんなさい、今ちょっと無理です。不義理申し訳ない。不義理で本当に申し訳ないんだけどちょっと無理です。多分、1人で生活できるレベルで安定したり、就職出来たりしたら改めて電話ができると思います。ごめんなさい。今は無理です。いや、お礼言えない無理ごめんなさいって話じゃないんです。不義理なのは事実だけどそこがメインじゃない。

私との電話を切った後、祖母父親電話したんだとおもう。祖母からしたら電話かけた相手電話に出るなり泣き出してその電話してるあいだ泣き通しとか不審がるのも分かる。というかすごい不審者。申し訳なくなってきた。多分、それで父親になんかいったんだと思う。個人的には「あん状態なるまで無理させて!!」みたいな事言ってくれてるといいなっておもうけど、多分「あんたの言う通り電話して孫にお金あげることになったけどずっと泣いてたよ大丈夫なん?」くらいじゃないかな。聞いたことないから知らないけど。前者だったらいいなって思う。まぁそれで、翌日父親からLINEが来た。

「昨日は無理させて

すまそ」

原文ママ、強いていえばカギカッコ私がつけたけどマジで原文ママ画像の添付の仕方知らないか画像貼れないしちょっと信ぴょう性薄いと思うんだけど匿名からそこら辺も許して欲しい。マジでこれ。ほんとこれ。疑いようもなくこれ。

すまそってなに。すまそ?スマンのネットスラングって言うのは知ってる。すまそですむことだと思われてた?えっ、なにそれ。なにそれ。バカにされてるの?みたいな。いやほんとわからない。今もわからない。書いてて涙出てきたけどマジでわからん。なんだこれ。なんだこれ。私って何。なんか、私って何??

割と自分存在がグラグラするっていうか、あの、そんな軽んじられるレベルなの、いや軽んじられてたわ自分。疑いようもなく軽んじられていたよ私。昔からそうだった。それでも親に幻想を抱いていたっぽい。悲しいね子供の性なのかな。

頭に「父親と会った」って言う話したのにまだ全然会ってなくてごめん。この時点で長くて申し訳ない。ここで私の体力と気力が尽きそう。というか会ってから熱下がらない扁桃腺腫れまくり声出ないでやっと治って今日からバイトでこれ以上体力削るとダメな気がする。自己中で申し訳ない。今回はここで締める。題名詐欺も甚だしい。

いや、全体を通してこんなの無理生きてるのしんどいってやつなんですけど、相変わらずSNS愚痴れば私の方がしんどいとか噛みつかれるから何も言えないし。こんな重い話相談できる友達もいないし。

もっと言い訳していいならこの文章昨日の夜8時位から書いててもう12時間も書いてる。言葉選んだり、思い出して泣いたり、それを落ち着こうとしたり、その時の言葉支離滅裂な部分を直したり、これだけの文章に恐ろしく時間をかけてしまった。これの続き、また気力が戻ったらエントリーする。というかバイトに備えて寝る。でも吐き出させてほしい。まだ続きあるしこの先も無理の嵐。吐き出さないと無理。吐き出しても今すぐ死んでしまいたいレベルだけど、お金もらってしまったので頑張って生きなきゃいけない。

それにしても、生きてるのしんどいって言って、それを吐き出して、結局これからも生きるって、アホだなって思う。多分ずっと死にたいんだけど同じくらい生きていたいんだろうね私。アホかな。バカかな。不毛すぎて涙出てきた。言ってることとやってる事の矛盾やばい

寝る。おやすみなさい。夕方からバイト

2018-03-11

ヒロイズムを誰もが理解できるわけじゃない

俺は子供の頃、ヒロイズムなんて知らなかったから、アンパンマンを見てもウルトラマンを見ても、ディズニー王子様やそのほか諸々を見ても、「男は汚れ仕事を背負い、女は何もしないで幸せになるもの」と刷り込まれて育った。

「男がヒーローで主役で女が『良くて』サポートなのは男性中心的」と言う見方があることを知ったのはいつだったかからないが、まあその頃にはヒーローものアニメとかは見なくなってたと思う。

『良くて』にカギカッコをつけたのは、「何もしないで『トロフィーのように』結婚するよりは、サポート役であっても役回りがある方がマシだ」と言う見方も俺にとっては直感的じゃなくて、後からそう言う見方があるもの知ったから。

ある物語形式が男女の性役割表現しているとしても、どっちが中心的であるとか、ましてどっちが『良い』とか『軽んじられている』なんて注釈なしで語るのは飛躍だからやめて欲しいし、少なくとも飛躍であることに自覚的であって欲しい。

2017-09-08

今日、貸してもらった本を返す。

何も言わずに、ちょっとだけ微笑みを浮かべて、

「ありがとう」

だけで返せたらいいなと思う。

年下の友人が先週貸してくれた。それはもう、ありきたりなぐらいにありきたりな軽い小説で、映画化されて流行っているからという、おそらくただそれだけの理由彼女はそれを読んでいた。本をあまり読まない人が持っているのを見たこともあるぐらいだから、乱読気味の彼女が読んでいて、それで、「面白いから読んでみ」と貸してくれたのは、まったく不自然じゃない。

けれど、本を貸すのはむずかしい。彼女はまだそれを知らない。知らないままにしておいてあげるほうがいいのかなと思う。まだそれでいい。

なぜなら、読書は人の心をかき乱す。たとえそれが安っぽいお涙頂戴式の小説であっても、思いもかけないところで心の平安に波風をたてる。

「貸して欲しい」と言われて貸す本ならかまわない。本屋で手に取っていくのと同じで、いくら取り乱そうが、それは借りていった者の責任だ。そこで完結する。しかし、「ぜひ読んで」と貸した場合ダメージを受けた側はやはり相手責任を求めたくなる。それを求めることをまた、求められているのではないかと思う。つまりは、なにか気の利いた感想でも言わねばならないような気になる。

だが、いかにも仕組まれクライマックスボロボロ涙を流した者にとって、気の利いた感想などいえるはずがない。こんなご都合主義で泣くなんて、恥以外の何物でもない。その恥を否定するために、あえてその物語をくさすのか。不治難病モノは定期的に流行するキッシュだと、知ったかぶり韜晦に逃げこむのか。それとも、涙もろい自分を素直に認めてしまうのか。だが、それはとてつもなくややこしい。


なぜなら、年下のきみが感動した理由と、もう長いこと生きてきたぼくがやられてしまった理由は、たぶんちがうからだ。ぼくにとっては、舞台設定そのものが痛かった。その感覚は、きみにはわかるまい。


きみは信じないだろうが、こんなぼくにだって高校生だったときはあった。きみはよく「青春」なんて言葉を口にしてぼくを笑わせるけれど(たぶん意識してカギカッコ付きで使っているんだというのはわかるけど)、どんな意味においてさえ、ぼくにとって高校時代青春なんかじゃなかった。ひたすらしんどい時代だった。そして、この小説舞台設定は、まさにその果てしなくしんどい時代を思い出させる。

美化してしまえば、ぼくにだって青春の思い出」みたいなものがないわけじゃない。だけど、時間レタッチ自己正当化を取っ払ってしまったら、そこに残るのはただただめんどくさくておもしろみのない屈辱の日々だ。

典型的な場面を思い出す。それは、昼休みグラウンドに面した廊下、ぼくはグラウンドを見て退屈している。なぜ退屈する場所にそこを選ぶのかというと、グラウンドの木陰はリア充たちが(「リア充」なんて言葉はその時代にはもちろんなかったのだけれど)占拠しているし、教室内にはまだ弁当を食っている人や早速にお勉強をしている優秀な生徒たちがいる。そういう人たちの邪魔はしたくないし、だいたい教室内の席なんて飽きるほど座っている。友だちの少ない、話題の乏しいぼくにとって、いられる場所は限られていた。そして、人の邪魔にならないわずかな隙間のようないくつかの場所の中でも、グラウンドの見える廊下は特等席だった。なぜなら、そこからクラスいちばんお気に入り女の子と、クラスいちばん美人と評判の女の子が眺められたからだ。親友である二人は、たいていつもグラウンドの向こうの特別教室の日陰でおしゃべりをしている。もちろんぼくは、ただ鑑賞するだけ。それだけ遠いと見ていることもあんまりからないだろうから、まあ人畜無害な楽しみだ。

そうやってしばらくすると、ぼくと同じぐらい冴えない女子弁当を食い終わって廊下に出てくる。いつも凄まじい寝癖のついた髪をしている。彼女もまた、昼休みにどこに行くアテもないのだろう。ぼくと彼女は少し言葉をかわす。話題のないぼくと同じくらい、彼女話題がない。だから食い物のことばかりしゃべっている。カレーの玉ねぎは具であるべきなのか、ペーストの一部であるべきなのかみたいなことを、特に目的もなくしゃべっている。

そうこうするうちに、学級委員長廊下に出てくる。いや、彼は正確には学級委員長ではない。彼がその役にいたのは一年生のときから、「元」をつけるべきなんだろう。彼はぼくの数少ない友だちの一人で、というよりもぼくにとってはその高校で唯一の友だちで、だからぼくは少しホッとする。ただ、彼が加わってからの話はちょっとこちなくなる。彼にとっては食い物のことは重要ではない。いや、ぼくにとってもそうだよ。だけど、他に話すこともない。彼はちがう。なにか、他に話すべきことがある。けれど、ぼくにはそれが見えない。そのうちにチャイムが鳴って、ぼくらは教室に戻る。

そういうことを思い出してしまう。だから、ぼくは泣いてしまう。

なぜなら、シチューをご飯にかけるのは有りか無しかナポリタンスパゲッティの麺は柔らかいほうがいいのかどうかなんてどうでもいい話をする過程で、ぼくはとんでもなく人を傷つけていたからだ。

後になって、ぼくはその寝癖の女の子から聞いた。学級委員長彼女はそのとき付き合っていた。だというのに、彼女はぼくとばかり話しているものから最後学級委員長は傷ついて、そして、結局別れ話につながった。そういう展開が愉快な人はいないだろう。親友失恋を喜ぶような奴はいないし、自分がその原因だったら焼きそばノドにつめて死んでしまったほうがマシだと思っても仕方ないんじゃないだろうか。



から、ぼくはもう、そこから先の筋書きがどうであれ、泣く準備はできていた。そして、ヒロイン死ぬところでやっぱり泣いてしまった。

それでもあのときおにぎりノドにつめて死ななくてよかったなあと、いま、そんなふうに思う。

なぜなら、いま、こうやって気軽に本を貸してくれる友人がここにいる。それを感じることができる。そして、ぼくはいま、ちくわに詰めるのはキュウリがいいのかチーズがいいのか、ナス田楽と揚げびたしのどちらを奨めるのか、寿司屋卵焼きを食べるべきなのか否か、そんなことを熱くもなく語ることができることの嬉しさを知っている。

からぼくは、うっかりと誰かを傷つけてしまうようなことをしたくない。気づかないうちに自分の力を超えることをしてしまいたくない。

そんなわけで、ぼくは何も感想かいわずに、この本を返そうと思う。こんなことを喋らないために、ちょっとだけ皮肉っぽい表情も見せるかもしれない。

そういう理由から、かんべんしておくれよ。

2017-04-11

まるちゃん2

作家志望?の知り合いから書きかけの小説を読ませてもらった。

本を一日三冊の読書マン(c)石田祐希(大学中退起業家)程ではないけど本は好きで技術書小説新書面白そうなのは何でも読むので

途中だけど沢山読んでいそうだから感想をくださいと言われてメールで送ってもらった。

中途半端なのは仕方ないとしてまぁつまらない。

理由はそれだけでは申し訳ないのでちゃんと考えてみた。

1.地の文ほとんどないのに会話で物語が進行する。

 >二人での会話なら交互にお互い喋るだろうからどっちが喋ったかわかるけど、3人以上のシーンでカギカッコけが連続したページになると、誰が喋っているのか理解するのに時間がかかるので読むスピードがそこで落ちてストレス

2.上の通り会話だけのシーンがとても多いのにキャラクター描写名前以外はほぼないのでどんな人物なのかわからず、どんな表情や思いでそのセリフを言っているのかが感じられない

 >キャラクターに息吹を感じないし、すべて同一のキャラクターに感じてとても不気味

小説は自らすすんで書きたくて書いているわけではないという言い訳をしていたけど、これを持ち込んでも門前払いだろうなと思った。

2016-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20161111101641

不可解なのはAさんの話ではなく増田投稿内容という叙述トリックかよ

・弗?

・AさんがBさんとどう関わったのかが分からない。

第三者立場告訴ってなに?告発のこと?Aさんがおかしなことを言ってるのであればカギカッコでくくるなどすること。

・Aさんの発言の中に増田のつっこみが二重かっこで入ってる?

増田が何を不可解、矛盾と思ってるのかが分からないし、増田がどう関わってるのかも分からない。Bさんの取り巻き

2016-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20160830105835

知り合いの日本びいきで日本語ペラペラチェコ人

日本語会話で引用を表す時には、カニのポーズではなく、

両手の人差し指と親指を90度に立ててぴょこぴょこさせてた。

カギカッコだよーって言って。

彼はかわいい高学歴だった。

2016-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20160629201917

正解は「嘘つき村の住人はいない」でした。

解説

一見するとAの「私は嘘つき村の住人です」という発言が明らかに矛盾しているので論理パズルとして成り立っていないように見えますが、そもそもの「前提」が嘘を付いている、と考えることで矛盾が解消されます

まり、嘘つき村の住人は正直で、正直村の住人は嘘をつく、ということです。

そうなると、こんどはAはどちらの村の住人でも成り立ちます

Bについて考えると、Aが嘘つき村の住人であれば正しいことを言っているのでBも嘘つき村の住人、Aが正直村の住人であれば嘘になるのでBも正直村の住人になります

Cも同じように考えるとBと同じ村に住んでいることがわかります。つまりAとBとCは同じ村に住んでいることになります

続いて「問題」の内容を見ると、間違っていることがわかります。(「問題」が正しいとすると、嘘つき村の住人になるので正直村の住人は1人か4人で、2人にならない!)

なので、「問題」も正直村の住人として扱います。そうすると、正直村の住人が2人、というのが嘘でないといけないので、結果としてABCも正直村の住人になります

結果として、「前提」、A、B、C、「問題」の"5人"が正直村の住人であることがわかりました。

問われているのは「正直村の住人は誰か?」ですが、これも逆のことを言っているとみなし、解答すべきなのは「嘘つき村の住人はいない」となります

前提自体パズルの一分になってる論理パズルがあったら面白いんじゃないかと思いついてしまったクイズでした。

前提とか問題カギカッコで話してる風でしょ? へりくつですいませんでした。

2015-05-20

漢字/ひらがな、どっちを選ぶかマイルール

はてなブックマーク - 素人さんの原稿でとりあえずチェックする漢字にしないだけで読みやすくなる単語 - Togetterまとめ

やあ、弱小専門書出版社に在籍していた増田ですよ。乗り遅れた感がすごいけど、読んだら書きたくなったので書く。

上のまとめは「素人さん」「読みやすくなる(=元々のオメーの文章読みにくいんだよ)」という表現でいらん反感を買ったと思うんだけど、たしかに適切に開く(=ひらがなにする)と見た目にメリハリがついて、頭に入りやすくなる効果はあるなーという実感は持っております

自分が使っていた一般ルールは以下のような感じ。記者ハンドブックは持っていなかった。口伝。文法用語を間違ってたらごめんネ。

だいたいいつも開く

抽象的な名詞

もの」「こと」「とき」「ところ」etc.

具体的なモノを指すときや成語は漢字のまま。

補助動詞/形容詞

「(~して)あげる」「(~して)ほしい」「(~し)だす」「(~し)すぎる」etc.

連語

「~にすぎない」「~における」「~によって」etc.

接続

「また」「したがって」「すなわち」「もしくは」etc.

副詞

ほとんど」「もっとも」「たいへん」etc.

開くかどうか悩む

数詞が絡む言葉

ひとつ」とか「ひとり」とか。算用数字にするか漢数字にするか、それともひらがなにするかというのが毎回悩ましかった。

基本的には縦組みなら漢数字、横組みが算用数字にして、とくに意味合いの強そうな表現(「一人ひとり」とか)だけ開いてお茶を濁していた。

常用外漢字

新聞NHKは一律で開いてるのかな?

「かえって読みにくい」とか好みの分かれるところなので、著者とも要相談

反対に、漢字のままにしなきゃダメ

固有名詞とか熟語とか

これは絶対。だからテキストを一括置換してハイおしまい、っていうのは危険で、目でもチェックする。

人名異体字に注意。

例文

以上をふまえて例をあげますと、

勿論、増田で最も人気の有る記事と謂えども、便を漏らした男の泣き言に過ぎない。

という文は

もちろん、増田もっとも人気のある記事といえども、便を漏らした男の泣き言にすぎない。

となるわけです(あ、書き忘れたが「有る/在る」「無い」もだいたい開いてた)。

在職時に扱っていた『ある専門分野の書籍では』だいたいこれでやっていました。ガチガチ専門用語が頻出する原稿も少なくなかったので、多少なりとも見た目をやわらかくしたいという意図もあり、自分はかなり開く方だった。で、カギカッコをつけたように、これはあくまである1分野の話で、ジャンル対象読者によってまったく変わってくると思います。たとえば、小説エッセイだと書き味というか、文の手触りみたいなもの重要でしょうから、こういう機械的な方法はそぐわないでしょうね。

ブコメで書いてる人もいましたが、基本的には「1冊の中で統一がとれていればOK」だと思っています。あとは読者対象をふまえて著者と相談。ここまで書いておいてなんですが、結局ケースバイケースなんですよね。1冊1冊で変わってくるので。

ちなみに

いまはニートだよ!!!

から午前中から長文を書きこめるよ!!!

2014-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20140713000148

まぁ社会的に作られたものとして扱うと、そうだね、そこから先はジェンダー論の話になる。

所謂カギカッコ付きの「男」「女」を扱うジャンルだね。

ただジェンダー自体に、そもそもジェンダー幻想で、人間はその幻想に振り回されるけれども自由変更可能でもあるので、いかにして制御していくか、概念が含まれている。

なので、自分の考えはジェンダー論とはそこまで大きく矛盾しないと思う。

2014-02-14

そもそも徴兵制平時の頭数を減らすための制度じゃないかな

常に頭数が必要、とか海外展開します、ってことな札束でひっぱたいて正社員として教育コスト掛けてくほうが楽よね、と。

徴兵制の最大の強みというのは、ガンガン若者とってガンガン除隊させることで、予備役を大量に社会に確保できること。

有事になってからかき集めて、平時の規模に比べて何倍もの兵力を得ることができるわけ

教育コスト無駄、というよりは総力戦のための積立てなのよ。

から国家の存亡をかけた最終戦争、みたいなのとそこそこ不可分なもんだと思うよ

アメリカにお付き合いして戦争行こうよ、みたいなノリなら志願制でやったほうが政権への批判減るのは間違いないし

追記:カギカッコひとつでも書いといた方がよかったのかな。そういう総力戦()志向しないとと成り立たんような今んとこ要らないもの

左翼さんがたは軍靴の音で乗っかるのが普通に正しいし、そこをちゃんと正面からやり続けることをネトウヨとしては支持するよ、と

合理性がどうたらとか戦線拡大して屁理屈こねるよりもさ

2013-12-08

どうすればいいのかについて

本気になれない人には「当事者意識」が足りない

http://syuraw.hatenablog.com/entry/2013/12/05/183752

とか

本気になれない人に足りないのは「当事者意識」ともう一つ。「危機感」。

http://programming-10000.hatenadiary.jp/entry/20131208/1386428823

ブコメした者だけど、今日は嫁と娘が仲良くお出かけして時間が出来たので、ブログ持ってないか増田使って反応してみる。

当事者意識だの危機感だのいろいろ言われてるけど、これもうバズワードとして機能しちゃっててるから

「結局どうしたら当事者意識とか危機感とか出せるようになるの?」っていうことには何の役にも立たってないよね。

なので、とりあえずカギカッコ付きに逃げがちな言葉の中身を、こちらで勝手に詰めていこうと思う。

まあどうでもやりようはあると思うけど、「当事者」なるもの

 ・ある仕事について、社会から要求されている自分役割を過不足なく把握しようとしている人のこと。

とか、定義しようか(適当)。

すると、当事者意識を持てない人とは、

 ・要求された役割を把握できない、または把握を避けている人

というくらいに言えるかな。

なぜ避けるのか。これもどういじってもいいんだけど、

 ・自分能力経験を過度に超える要求に対して、無意識の心理的防衛が働くから

ということにしてみよう(適当)。

まり未知の問題を他人事カテゴリに位置づけることで精神の安定保っているということにする。

この防衛機構は、人間にとって必要ものである

というのは、社会の要求というのは際限がないので、どれだけ要求に応えても、もう一段レベルの高い要求が出てくるものだ。

から、そもそも当事者意識はそれを完璧に発揮すること自体が不可能、かならずどこかに限界がある。

その限界を超えてしまわないために備わっている心のブレーキがこの機構なのだ

このブレーキの利き方というのは、あんまり過敏だと引きこもり方面に進んじゃうし、逆にゆる過ぎて突っ走り続けるといつかバーンアウトちゃう

そのあたりは、経験に基づく自己評価とか、能力に対する自覚とか、猶予時間報酬仕事観等々の内的外的要因で、各人バランスを調整してる。

なんか書いてるうちにそんな気がしてきた。うん、そうに違いない。

この説に従えば、いわゆる意識高い学生とかは、自己評価とか自己実現欲求が高くて、防衛機構を働かせずに済んでいるという感じかな。

そういう人たちがそうでない人たちにナントカ意識カントカ感が足りんと叫んだところで、それは結局圧迫にしかならないんじゃないか

全く効果がないとはいわんが、動かない人を動かすには悪手だよね。

じゃあどうすればいいかだけど、

要は活動開始初期に防衛機構のトリガを刺激しないようにすればいいわけなので、例えば

 ・自分にとって無理なく把握・処理できるレベル仕事を分割・整列して(orしてもらって)、その決めた手順に従って半機械的にこなしていく。

とか。注意点は、細部に入り込んで全体の目的を見失いがちなこと、不測の事態への柔軟性がなくなること。

もしくは

 ・プライドや恐怖心を利用し、なんとしても成果を出さざるを得ない状況に自分を追い込む。

これは防衛意識を外部の力を使って破壊してもらう作戦。

あと、学生のうちならできそうなものとしては

 ・就活関係以外の情報シャットアウトして一切入ってこない環境にする

他人事以外の情報が入ってこなければ、他人事にしようがなくなるので防衛も何もないという自己洗脳方式。

どういうやり方にせよ、ある程度動き始めちゃえば、あとは慣性がついてそれなりに本気になれるんじゃないでしょうか。

まあこんな感じで、言葉に具体性を持たせるところから始めると、

なんかいかにも問題解決法っぽいものがでっちあげられます

社会人になると、弁法や修辞もまあ必要だけど「結局どうすればいいのか」という回答が大事になんで、

そんなことを心の片隅に学生の皆さんは就活頑張って欲しいです。

2013-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20130906164640

この文章の内容がつかめない人って

・登場人物の表現の変化の把握(イケメンOLが後に♂、♀と変わる)

比喩表現の理解(「絵が綺麗」を字のまま受け取る)

カギカッコのない文章においての会話部分と地の文の判別

・省略された情景の補完

・誤字を正しいものに補完しての読み替え

句読点の補完

ができない人なのかな

2012-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20121018205907

いつも思うんだけど、どうして君はそんなに太字を使いたがるの?

カギカッコいいんじゃないかな。

2012-09-30

GIDLGBTの方が「怖い」

カギカッコ付きの「怖い」なので、襲われそうだとかそんなんじゃないです。

SNSで「ホモレズに興奮するなんて差別」「ホモネタ扱いするのは差別」という流れ、わからないこともないんだけどどんどん「腫れ物」になってるようにしか

性別が男・女しかないのはおかしいってのもわかるけど、GIDってのを選択肢として加えたら「いや一口には言えなくて…」というのもどうすればいいかからない。

肯定的に捉えようも否定的に捉えようにしても何かしらの文句を言われるので怖い。

あと、ゲイってだけで怖がる(襲われそう的な意味で)のはどうのこうのって話もあるけど、過去に襲われた人とか付きまとわれた人は怖がっても仕方ないのでは。

これについては男性になんらかの被害を受けた女性男性恐怖症になる事と同じと思っているけれど違うのだろうか。

2012-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20120324083826

つ オ カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること

つ キ 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき

引用先が 2chなのか、該当サイトなのかわからんな。本文中ではネットユーザーとあるので、引用したことが明確なのかどうかわからない。

ということだ。『などにより』というのは、カギカッコをつけろという意味ではなく、引用であることを明確にしろという意味

この書き方では、会話文の「」なのか引用文の「」なのか不明確な上に本文によれば、ネットユーザーが言っているとあるので、会話文に見える。

という事で 新聞記事が引用できないとは別物だろ。

他人の書いた文章を、自分のものと誤認させる文章の書き方をしたら、意図的であっても、偶然出会っても引用とは認められない場合がある。

逆に言うと、引用は例外規則だから条件は厳しい。上のように『』をつければいいとかそういうことではない。

AAAAAAAAAAAAAAAA

引用元:XX

とかなら、なんの問題もないだろ。

関連記事となっているが、関連ではなく、引用元と書くのが正しい。

いろいろと、グレーだよ。

引用元:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%95%E7%94%A8

 

つか、わかっててやってる人が多すぎる。

2011-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20111031200228

単語を構成する文字を間違えるのはありえない、「ねこ」をネカとは間違えようがない、というのはわかるけど

「だわ」って単語じゃないよね?

助動詞の一部「だ」と終助詞の「わ」に分けられるものじゃないの?厳密な用語は知らないけど。

「だは」と書く人々は、きっと「は」と「わ」の働きの違いが頭に入ってないんだと思う。

  

もともとは、数年前に「ほんま(本当に)」を「本間」とあえて変換するのが若者の間で流行ったのと同じように

あえて間違った表記にするのがカッコいい、みたいにして始まったのではないか?と私は推測しているんだけど

今となっては「だは」はアタマの弱い人を見分ける指標みたいになってるのが面白い

 

   

それとは話がズレるけど、カギカッコを正しく使えない人が結構いるのが気になる。

・その時父が「そうだよな」と言ったんですけど  と書くべきところを

・その時「父がそうだよなと」言ったんですけど  (カッコの中身にセリフ以外も入れちゃう)

・その時父が「そうだよなと言ったんですけど、~・・・・ (カッコを閉じない)

  

こんな風に間違えてるのをネット上(小町とか)でちらほら見かける。

推敲してないとかそういう問題じゃない、そもそも用法を理解してないんじゃないか?と思える例多数

2010-11-10

日経夕刊の「玄牝」評価がヒドイ

日経夕刊にシネマ万華鏡という映画批評が毎週載るのだが、

はてなで話題(?)の「玄牝」に関する評価・コメントが、

ヒドかった。

手元に紙面がない(間違って捨ててしまった)ので引用できないのが残念だが、

とにかく映画ポジティブに評価していて、

はてなで問題視されている「自然分娩至上主義の問題点」とか「吉村医院カルト性」に

ついては、一切言及されていない批評になっている。

予備知識がない日経読者は、この批評を見ると

「いい映画なんだろうなあ」、吉村医院も「いいお医者さんなんだろうなあ」という

先入観を持ちかねない批評なのである。

5段階評価で「星4つ」の評価がされている。

この評価は

http://garth.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/2010-0999.html

http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20101109/p1

のような

吉村医院カルト性が露呈されているので、カギカッコ付きの『いい映画』」

という皮肉的評価ではない。

単純に、「出産や女体の神秘を描いた、いい映画」として星4つ評価なのである。

なんか

宮崎アニメナチュラスティックで、いいよね」的な

無邪気な「ノリ」で星4つ付けているのである。

そもそも、日経は、意外なことに、こういう「ナチュラル原理主義」に対して、

ワキが甘い。

ホメオパシーが問題になる前の今年の7月頃とかに、これも日経夕刊だったが、

ホメオパシーを好意的に取り上げていた。

朝日によるホメオパシーバッシングが始まってからも、日経ホメオパシー批判は

やけに遅く、全然力が入っていなかった。

日経男性読者というのは、こういうナチュラル原理主義に対して

懐疑的な人が多いからあまり実害ないのかもしれないが、

その奥さんは、ナチュラル原理主義に対抗できる「リテラシー」を

ちゃんと持ち合わせているのか?

お嬢様育ちで、旦那の高収入に惹かれて結婚して専業主婦で、てな感じの奥様だと、

いわば無菌状態で、そのままナチュラル原理主義に感化されちゃうんじゃないか?

2010-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20100921181759

えーわからないよ。人名の後にカギカッコでくくられた発言があったら、その中の部分だけがその人物の発言だと思うでしょ?

最初の記事は文章の論理構造がおかしいと思う。

2009-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20090911174134

ごめん、それ見ても判らない。

消費税を納める事は免除。「だけど5%を客から貰う。」でOKか?

カギカッコの部分を聞いています。

法律に詳しい人間ならもう答え出てるかも知れないんだけど、ごめんなさい教えて下さい。

2009-06-29

なぜ増田小説概論 (須江岳史)

ブックマーク数がとんでもないことになったため、元増田はうかれている。なので匿名ダイアリーなのに、ペンネームまで書いてしまった。タイトルに大きく、須江岳史、と。しかし、プロ小説家でもない一人のプータロウが書いた文章がこんなにもてはやされることを、すこし疑問にも思っている。ちょっと足を伸ばして図書館に行けば、小説の書き方についての本はいくらでも手に入るはずだ。何かを学び取る目的ではなく、長すぎるからブックマークしておいた、というのなら、納得する。

というかこの論は物語小説ニアリーイコール扱いしていて、小説論としてはちょっと古いというか、語りという小説の大問題がスルーされていて厳しい。

http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20090703/p1

という指摘も当然のことで、普段、一人称小説ばかり書いている自分には、人称とか視点とかいった物語を語る上での問題について取り組む実力は無い。「小説自己表現なんだから、各々が語りたいように語ればよいと思う」のような言葉で、逃げることしか出来ない。

僕の小説の実力がどの程度かは、http://texpo.jp/texpo/disp/16732を読めばわかると思います)

Ⅰ、小説概論

まず話の筋の作り方を考え、次にそれをどのように小説として表現するかを見、最後に小説を書く上での国語的諸注意事項を述べる。

§1、小説とは?

 そもそも小説がどのような構成要素から成り立っているかを考える。


§2、物語られるもの

2.1.1話の筋

 まず、小説だけではなく物語一般の話の筋がどのように出来ているかを考える。

多くの物語は、欠損-充足の形を持つ。多くの物語は主人公に何かが足りない状態から始まり、それが満ち足りた状態で終わる場合が多いということである。

また、満ち足りた状態にたどり着くためには満ち足りた状態になるための行動が必要になる。そして行動をとるためにはその機会が与えられないとならない。

ここまでをまとめると、物語の筋は

欠損 – 機会 - 行動 - 充足

となる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来た(充足)。


ただ、物語の面白みのためには、充足が起こらないほうが良いかもしれない。行動の結果が、充足の起こらない失敗に終わり、それが新たな欠損となり次の話の筋を紡ぎだすこともありうる。

よって、物語を構成する基本的な四つの要素は

欠損 - 機会 - 行動 - 結果(充足または失敗)

であるとする。この一連の流れが組み合わさることによって、物語は出来上がる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来たが、十二時の鐘がなったので帰宅しなければならない(失敗に終わった結果、新たな欠損)。

王子少女の落し物の靴を持って少女を探す(機会)。

少女は名乗り出て靴をはく(行動)。

王子少女舞踏会で出会った少女であると認識して、二人は結ばれる(充足)。


後味の良し悪しの面から見て、最終的には充足で終わった方が良いように思われる。

また、欠損があって、それを解決する機会を与えられれば物語が始まることがわかる。

また、欠損を細分化したうえで見つかる欠損というのも考えられる。

たとえば、

鬼を退治するためにはお供を仲間にしなければならない。

お供を仲間にするためには黍団子を持っていなければならない。

黍団子を持つためにはおばあさんから黍団子をもらわなければならない。

おばあさんから黍団子をもらうためには黍団子の材料を買ってこなければならない。

というように。

 このようにすれば物語はいくらでも引き伸ばすことが出来る。書くべき物語の分量によって、どの程度まで細分化できる欠損なのかを慎重に選ばなければならない。

 一つの物語で充足される欠損は一つとは限らないし、主人公たちの欠損が充足されるとも限らない。『ロミオとジュリエット』では、主人公たちの恋愛成就しないが、キャピュレット家とモンタギュー家の関係が、対立から和解へと移り変わる。

2.1.2伏線

 物語は、話の筋それ自体で面白いことが最善であるけれども、それが出来ない場合には伏線によって面白さを増幅させるしかない。

 ここでは、仮に伏線には四種類あるとする。

ⅰ)質問―答え

ⅱ)ある現象/行為への意味の付加―行為/現象の再現

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

ⅳ)思い込み―認知

ⅴ)認知―逆転型の伏線


 それぞれ、順を追って説明する。

ⅰ)質問―答え

 物語冒頭に置かれた質問に、ラストシーンで答えることで感動を増す。

 具体例:どうしてキノはこの汚い世界を旅しているの?(冒頭の質問)

この世界が綺麗だからさ(ラストシーンの答え)

ⅱ)ある現象・行為への意味の付加―行為・現象の再現

 ある現象・行為にはある意味が隠されている、と登場人物が語り、その現象・行為が実際に現れる。

 『アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『「(とにかく面倒だから、神様を閉じ込めて、全部なかったことにしてもらえばいいって。そうすれば、ばれない)」』(70ページ)という免罪の方法を提案して、実際に物語の最後付近でそれを行っている。

 

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

物語の中で起こった行為・現象が物語の終盤で再現されることにより、面白みが増す。

アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『聞いてるわたしにも、どうやらこの姉弟がレッサーパンダを盗む気らしい、ということはわかった。』(216ページ)

動物園を振り返って、「さっきの子供たち、うまくやり遂げるかな?」と。』(222ページ)

というようなレッサーパンダを盗むという行為があった上で、

『「あれ、レッサーパンダだ」』

『「盗んだんだよ、あの子供たちは」』(339ページ)


ⅳ)思い込み―認知

 間違った方法を目的を得るための方法だと思い込み、それが間違いであったことに気づく。多くの場合、気づくまでに行ってきた行為が主人公に、行為の目的とは反対の結果を持って跳ね返ってくる。

物語の筋が悲劇的に終わっても、ⅰ、ⅱ、ⅲの伏線幸福を含意していると悲劇性を和らげることが出来る。

ⅴ) 認知―逆転型の伏線

 目的達成を阻むものが、あるものだと仮定して行動していたが、その仮定が正しくなかったことに気づくタイプ伏線。多くの場合、気づく前の行動が気づいた後に本来の意味とは反対の意味を持って主人公に跳ね返ってくる。

 認知は、約束―報いの伏線によって引き起こすのが最も容易である。

 主人公の目的を阻むものは四種類ある。カッコの中の左側は存在場所、右側は存在原因を意味する。

 (自己自己)例:主人公の性格の欠陥

自己,他者)例:主人公の抱えるトラウマ

(他者,自己)例:主人公に対して恨みを持っている敵

(他者,他者)例:絶対悪


 敵の仮定が4パターン真実の敵が4パターンあるので、認知型の伏線には全てで16パターンあることになる。

 これは、『あらすじ.com』の三匹のモンスター概念を内包している。

 (自己自己狼男

自己,他者)対応しない

(他者,自己フランケンシュタイン

(他者,他者)ドラキュラ


2.2登場人物
2.2.1行為項モデル

 物語には六種類の登場人物がある。

主体:物語の主人公。欠損を解決する。

送り手:主人公に、欠損を解決する動機を与える者。

援助者:主人公に、欠損を解決する能力を与える者。

受け手:欠損の解決の享受者。

敵対者:主人公の欠損解決行動を阻む者。

目的:主人公が得ようとする目的。主人公が得ていない欠損。


 それぞれ、同一人物が複数の行為項を演じても良いし、ひとつの行為項に複数人が入っても良い。たとえば、送り手と援助者が同一人物であることは大いにありうる。また、それぞれが必ずしも人間である必要もない。

 欠損ごとに行為項モデルは立てられるので、ある場面では敵対者であった存在がある場面では援助者になることもありうる。

 物語に出てくる全ての欠損について、行為項モデルの六つの登場人物を生めることが出来れば、それ以上の登場人物は物語に必要ではない。

 

2.3シチュエーション

 物語の冒頭やクライマックスを盛り上げるためにシチュエーションは使われる。

 面白いシチュエーションとは、即ちギャップである。

 それは場所と行動のギャップであるかもしれないし、それまである登場人物のそれまでの行動とはかけ離れた行動かもしれない。いずれにしろ、「~であるにもかかわらず」という言葉で表される。

 たとえば、「日ごろ温和な性格であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか「静粛でいなければならない図書館であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか、「たかが100円のアンパンを食べてしまっただけのことであるにもかかわらず、暴れ狂う」とか。

2.4実際に物語を組む

 物語を組む順番として、『欠損-伏線シチュエーション-細分化されていない欠損の話の筋-細分化されていない欠損の行為項モデル-細分化された欠損の話の筋-細分化された欠損の行為項モデル』といった順番で組んでいくのがスマートに行く。なぜならば、欠損がなければ物語は動き出さないし、伏線シチュエーションは話の筋や行為項モデルあとから考えるとそれらに縛られて上手くいかないからである。

①、主人公が向かう目的を定める。

②、主人公が見舞われる危機を定める。または、どのようなギャップがある状況に立たされるかを決める。

③、危機・ギャップが何故起こるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

④、危機がどのように回避されるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

⑤、伏線が置かれる場所を決める。(下位物語を作る)

⑥、必要ならば、下位物語にも①~⑤を施す。

⑦、物語(下位物語も含む)の適所に、ギャップによる面白みを与える。

⑧、整合性を与える。


 また、どのような魅力的な登場人物・伏線シチュエーションでも物語自然な流れを妨げるなら切り捨てるべきである。

§3、小説技法


3.1場面法

 場面では、人物、場所、時間が描かれる。人物、場所、時間のうちのいずれかが変わったとき、場面が転換されたという。また、場面は一人称であれ三人称であれ場面に登場する一人の人物の視点を通して描かれることが多い。

 場面の特徴として、行為・現象の一回性が挙げられる。場面は、一度しか起こらない行為・現象を場面に登場する人物の感覚を通じて読者に体験させる。

 場面の始まり方として、人物・場所・時間を指し示して始まる場合、登場人物の行動から始まる場合とがある(台詞から始まる場合は、登場人物の行動から始まる場合の特殊例とみなす)が、そのいずれにせよイメージすることが出来るか否かが読解の容易さを決めるので、場面の開始からまもなく人物・場所・時間を明らかにしなければならない。

3.1.1場所・時間

 小説を読む上では情景をイメージしやすいほうが読解が容易であるといわれているので、色彩や位置関係を表す語を使って場所や時間を説明するべきである。

 場所・時間の説明は描写法的だといえるが、その場所・時間におかれたものを登場人物の行動の目的語にすると、スムーズに場面を始められる。

 また、場所・時間は登場人物の心境や状況・未来を暗示する。

3.1.2人物

 何かが起こるたびに、その場面に登場している人物全員の反応を描くべきである。また、その感情は、どのような身体的動作を持って表情として表されたかを描くべきである。なぜならばイメージしやすいほうが読解が容易であるからである。

3.2要約法

 要約法は、登場人物が何度も行った行動や何度も起こった現象を記述する。場面法とは違い、複数の時間や場所をまたがる事が出来る。そのため、時間や場所の離れた場面と場面をつなぐのに要約法は用いられる。

 要約法は場面と場面とをつなぐためにしか存在しない。

3.3描写法

 場面法が動画だとすれば、描写法は静止画である。

 描写法は、場面が行われている空間にあるものを描写する。場面が行われているなか描写がはさまれると、場面の時間を止めることが出来る。

3.4台詞と地の文

 台詞音楽で言えばフォルテ、地の文は音楽で言えばピアノのような効果を持つ。多くの場合、台詞はカッコにくくられる為に強調されるが、台詞続きの中で地の文が出てくると大きな強調効果を持つことがある。たとえば強調すべき台詞をあえてカッコでくくらずに地の文で処理することで大きな強調効果を与えることができる。

 台詞台詞の間の間をつなぐために、地の文をおきたくなることがしばしばある。こういったときのために、場面の情景を刻々と変化させるとか場面の登場人物に場面開始と同時に何か動作をさせる方法がある。

§4、書記言語


 書き手の中で起こった感動が読み手の中でも起こるためには、文が書き手の意図するとおりに伝わらなければならない。誤読を少なくする方法をここでは述べる。誤読を避けるために、修飾語と被修飾語主語と述語は可能な限り近づける必要がある。

4.1主語の位置

4.1.1.ガーデンパス

 「私は走る車に飛び乗る」のような文は、読者が「私は走る」と理解した後で、走っているものは車だと改めて理解する。このような事をなくするために、「走る車に私は飛び乗る」のように主語と述語を近づける必要がある。

4.1.2複文

 主語と述語の対が二個以上あり、どちらかがどちらかの文の成分になっているような文を複文という。

 「私はリンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと思う」というような文は読解が難解である。これも、主語と述語を出来る限り近づけ、「リンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと私は思う」とすると読解が容易になる。また、複文を単文(主語と述語の対が一つである文)に分解し、「彼はリンゴを片手で握りつぶす。彼は握力がとても強いと私は思う」というようにすると、誤読は少なくなる。

4.2修飾の範囲

日本語は上から下に修飾が行われるため、様々な不都合な事が起こる。

4.2.1修飾語と並立

「美しい獣と女」は、美しいのが獣だけなのか、獣と女の両方が美しいのかが判然としてない。美しいのが獣だけである場合は、「女と美しい獣」のように順序を入れ替えるか、「賢い女と美しい獣」のように両方に修飾語を与えてしまう方法がある。

 

4.2.2句・節の修飾

地中海で育った少年からもらったトマト」は、トマト地中海で育ったのか少年地中海で育ったのかはっきりしない。トマト地中海で育ったのであれば、「地中海で育った、少年からもらったトマト」のように読点を打つか、「少年からもらった地中海で育ったトマト」のように順序を入れ替えればよい。ただし後者の場合、地中海少年からもらったように誤読される可能性が無くもない。

4.3誤読の少ない順序

ガーデンパス文や修飾の範囲の判然とない文を作らないために、長い修飾を伴う語を文の始めに持っていく方法がある。

「僕は地中海で育った、青白い肌をした細身の少年から貰ったトマトを食べた」よりは「青白い肌をした細身の少年から貰った、地中海で育ったトマトを僕は食べた」の方が誤読が少ないとされる。

4.4文体

4.4.1速さ

一文の中に含まれる用言形容詞形容動詞動詞)と難読語の量、読者の視線の移動距離に依存して、文章の体感時間は定まるとされている。

たとえば①、「彼が作った美しいサッカーボールを僕は強い力で蹴飛ばす」よりは②、「彼が作った美しいサッカーボール。それを僕は強い力で蹴飛ばす」の法が一文に含まれる用言が少ないために体感速度が短いとされる。③、「ええい、お前は畢竟、俺が死ぬのが怖いだけだ」の『畢竟』が難読語だと見なす人にとっては④、「ええい、お前は結局、俺が死ぬのが怖いだけだ」の方が体感速度は短いかもしれない。また、⑤、「やわらかいネコ」よりは⑥、「柔かい猫」の方が、視線の移動距離が少ないために体感時間が短いとされる。

4.5原稿の使い方

小説の場合、論説文とは違い改行は自由に行える。

 行を改めたときは一段下げる。

「しかしカギカッコで新たな行が始まるときはその限りではないというのが最近の主流である。また、主流では閉じカッコの前では句点は打たない」

 ――また、三点リーダー(…)とダッシュ(―)は二つで一つの扱いをする……。

続き http://anond.hatelabo.jp/20090629224306

2009-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20090315180203

炎上」とカギカッコつきで書いてるのは、いわゆる炎上とは違うかな、と思ったから。

ブログコメント欄が荒れるの(+ブログの閉鎖まで?)を炎上というと思うけど、

ブクマ増田トラックバック炎上扱いでいんじゃね?

元増田も別の所でブログ書いてるっていうし、炎上って言葉を使えば、イメージしやすいかと思って。

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