「カギカッコ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: カギカッコとは

2020-02-24

美少女宣伝に使うことに関して

Togetterで日々いろいろなまとめを見るという良くない趣味を持っているのだが、

無茶苦茶なことを言っている『ツイフェミ』を論破したったwww」みたいなまとめが最近多い気がする。

そういったまとめでターゲットにされている「ツイフェミ」の方々の言ってることは確かに無茶苦茶ではあるものの、

何も考えず条件反射的に「おかしい界隈の奴がおかしいことを言ってるから論破して叩こう」というのもおかしな話だと思う。

一応、下地には「性的な箇所を強調された女性の絵ばかりが宣伝として使われている」という真っ当な主張があるわけで。

ひろゆき氏がインタビューでこう言っている。(ひろゆきなんかの発言引用したくはないが…)

"フェミニズムって言葉を使う人のなかに、「男女平等がいいよね、同じようにしたいよね」という人と、

女性権利を増やしたい、そのために男性権利制限したとしてもいい」という人が両方いる"

引用元:https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627

よくフェミニズム叩きに使われている「ツイフェミ」の方々は後者のいわば過激派差別主義であるが、

いかんせん声がバカかいためそれがフェミニストの総意であるかのように捉えられてしまう。甚だ遺憾である

ただ、「性的な箇所を強調された女性の絵ばかりが宣伝として使われている」ことに関しては、

前者の平等論者も、騒ぎ立てこそしないものの「改善」されるといいなと思っている、というのは認識していただきたい。

改善」とわざわざカギカッコを付けたのは、過激派の方々と平等論者とではベクトルレベルが違うからだ。

過激派の方々が指す「改善」は「美少女コンテンツ宣伝に使わない」「この世からセクシーというセクシーを消し去る」ことで、

平等論者の指す「改善」は「女性受けする男の子宣伝塔にする」「公共性の高い媒体では無駄セクシーにしない」こと、くらい違う。

女性受けする男の子宣伝塔にする」というのはFree!、弱ペダ、刀剣乱舞などで既に実施されているが、

Free!ちょっとセクシーが過ぎるんじゃないかな…と思った男性は少なからずいるのではなかろうか。

その「セクシーが過ぎる」という感覚が鈍くなっているのが美少女宣伝塔にしているケース、と言ったら改善してほしい気持ちをわかっていただけると思う。

文章をこれ以上書くのが面倒になったので言いたいことを総括すると

過激派自称フェミ男女平等論者を一緒にしないでください

過激派の方々を論破して遊ぶのは個人自由ですが、過激派でも根底には男性優位社会への問題意識があることは念頭に置いてください

・騒ぐのは専らツイフェミのみなさんばかりだけど、嫌がっているのが本当にツイフェミだけかってのはちょっと考えてみてください

(わからなければ、服がはだけていたり袴の皺がやたら股間を強調していたりする男キャライラストに置き換えてモヤモヤしないか想像してみてください)

・やっぱ駅の掲示物とかでエッチなのは良くないと思います

以上です

2020-01-24

anond:20200124000848

妄想で浮かれているようだが、

6行目のカギカッコ二重カギになってっぞ

2019-11-20

anond:20191120172818

国語勉強しようね

カギカッコの使い方がよくわからないよ

「なんであなたのお母さんや姉や妹や彼女や姪やetcetc」

これは誰のセリフかな?君かな?フェミニズムアンチかな?

2019-10-10

anond:20191010100559

ゲームだと最初カギカッコは固定で付けられるけど、とじカッコはセリフの量によって変動するから付けるのが難しい

喋るキャラも表示されるから、いちいち閉じなくてもここまでが一人のセリフだとわかるしな

2019-07-12

anond:20190712111632

(続き)

これ、『サマーウォーズ』--これは脚本自体は奥寺さんですけどね--の頃からの一貫して細田さんの弱点だと思うんだけど、いわゆるカギカッコつきの“リベラル”的な女性観・家族観理解がひっじょーに浅薄で浅いんですよ。女性家長、新しい!女性子育てをしていて偉い!男はイクメン気取りだけど全然わかってない!主夫育児なんてドタバタダメダメ!→ね?俺わかってるっしょ?みたいな意識無意識ですね。

まず、イマドキ4歳児に「男の子でしょ!」って言って説得するのは“絶対になし”とまでは言えないまでもちょっと古くさい感覚だと思うし、そんなあさーい理解からサイコ父ちゃん無慈悲既読スルーをする一方で、クソガキ様の自転車練習とき--この父子モチーフもイマドキ手垢つきまくってませんかねえ--急に古くさい父親イメージとなるんですよ。要するに無理してかっこつけて大衆に目配せしているおかげで世界観キャラクターの知能レベルがガタガタなんです。

さらに痛いのがね、ミライちゃんが初めて現われたその動機ネタバレになるから一応伏せますけどね。何か裏事情があるのかなーと思って見てたらそのまんまで、は?なんじゃそりゃ!っていう。何故そこだけ急に価値観昭和中期以前になるのかな・・・?キミ、設定上は一応令和時代を育ったんでしょ・・・?ってかそれ、おもしろい、のですか・・・??

ところが、このミライちゃんについては、はあ、それで・・・?未来のミライちゃんにとっての“今”ならまだしも新生児ときのソレってそんな気にするもんなの?というか、我々はリアリティラインをどこに設定すればよいのかな・・・?となっちゃっていて、行動原理が全くロジカルじゃない!ギャグとしても全くおもしろくないし。そもそもね、あれだけドタバタしてたらいい加減お父さん気付くでしょ?何か不思議な力が働いているのかな?ってか結局“現実”ではどう処理されたの?ってのが全く意味不明、というね。

良かった点も一応言っておきましょう!特にクソガキちゃんクネクネクネクネした動きね!ここに関してはいわゆるアニメーションに疎い私でも「あっこれは気合い入れてるな、金かけてんなー、他の諸作品とは次元が違うなー」と思わせるものがありました!

でもね、それに関しても、「動きリアルっしょ?」「幼児の動きわかってるっしょ?」という自意識が先に見えてしまって素直に楽しめない自分がおりました。ここもなー、動きを見せようというのが先にあって全くロジカルじゃないんだよな。

擁護派の中には、「アニメーションリテラシーちょっと高くないと」「『話がどうこう』って言い出すとやっぱり『つまんない』って感想が出てきやすい」っておっしゃってる方もいるみたいですけどねー。専門学校生卒業制作で作る映画の話をしているならまだしも、あれだけ大メジャー作家アニメーション映画でそれ言い出しちゃったらダメですよ。動きを追求するにしても「話がどうこう」の最低限のレベルクリアしてくださいよ。そこは逃げないでくださいよ。比較するのはちょっと残酷すぎるかもしれませんが、宮崎監督作品高畑監督作品批評アニメーションリテラシーの高低の話出てきますか?そりゃリテラシーが高い方の方がより作品世界を楽しめる。そういうことは往々にしてございます。両巨匠作品もそういった性質のものですし、ポスト世代では、庵野監督作品片渕須直監督作品だってそのように評価できると僕は思います

しかしね、それにしても、あれだけの資本がついていて、ちゃん作品に力があればリテラシーの高低にかかわらず、大衆みながそれぞれの立場で楽しめるものになるはずなんですよ、本来は。

極端なこと言えばリアルアニメーションが欲しいだけならモーションキャプチャーウニウニ動かせばいいだけの話で。僕は、それ以前の、物語としての最低限の誠意やマナーの話をしているんです。

その象徴として最たるものがあの“意識高い系”住宅。あれ、わざわざ建築家の方にオリジナル建築設計発注したとのことですが、あのねえ・・・これ、建築家の方は発注に答えたまでで全く悪くないと思いますが、新生児と4歳児をかかえたサイコ父ちゃん仕事をしながらワンオペ育児をする家があの作りって・・・。あのう・・・控えめに言って狂ってるんでしょうか?これも「ためにする」デザインしか思えないというか、あの家の作りでこの家族--暴れ回る幼児たちやこれから年を取るご夫婦--が一人も頭をかちわらずに天寿を全うできたらそれこそ奇跡なんじゃねえかという(笑)。やっぱりねーそこらへんの視点への気配りも含め、とことん不誠実なんですよ。

あとねー、クソガキちゃんについてもですね、「アナルプラグ(笑)」って書いてきたリスナーもいましたけれども(笑)未来のミライちゃんに対して顔を赤らめて言うセリフとか、“王子様”に対する態度とか、サイコちゃんアルバム唐突に出てくる、結婚式スライドのようなリアリティのないアルバム。あれだけ小綺麗な写真見せといてなーにが“黒歴史ww”じゃい!)への反応とか、カギカッコつきの“東京駅”での振る舞いとか、ラストシーンミライちゃん説明ゼリフとか、もうとにかくその場その場で場当たりでてっきとーにキャラクターを動かしているから、まとめて一本の映画として見させられると賢さの設定がぶれぶれなんです。

特にアナルプラグクダリなんて完全に大人側の欲望目線やんけ、これのどこがリアルな4歳児なんすか!というですね。

ぶれぶれといえば、こちらも指摘しておかなければなりません。

物語の根幹かつクライマックスにもかかわる、世界観の設定ですね。

ミライちゃんがこれまた脈絡のない説明ゼリフでとあるタブー説明するんですが、その数十分後にはたやすタブーが破られる。そして特にペナルティーもない。じゃああの説明ゼリフはなんだったの?観客ポカーンみたいな。

そもそも未来のミライちゃんが全て知ってるように振る舞っているのは何故?とかね。言い出したら切りがありません!

BTTFシリーズのようにパキッと全ての伏線を回収しろとまでは言いませんよ!けどね、作品独自タブーを出したらペナルティもあわせて説明してくれないと意味ないでしょ!ってかそれって創作における最低限の誠意、マナーなんじゃないんですか?

どういうことか。要するに、タブーが実際に破られる?大丈夫か?大丈夫か?あーとうとう破られてしまったー!そのあと一体どうなるー?、という状況があって初めて我々観客は一緒にハラハラできるわけですよ。たとえるならアレですよ。映画グレムリン』ありますよね。1984年。ジョー・ダンテ監督出世作。その中で、例の3つのルール、ありますね。

この作品でたとえるなら、映画内で3つのタブー説明したにもかかわらず、結局ペナルティはよくわからない。映画の後半でギズモが太陽が燦々と照る真っ昼間にグラサンかけてジャブジャブ海水浴をしている。そんで最後最後にそれまでの展開と無関係な第4の設定が唐突にギズモの口から語られる。なんじゃそりゃ、みたいな(笑)。もう一体何がしたいの?というレベルですよ。

世界観の設定自体もね、これ、実は初見とき、クソガキちゃんインナートリップやらセルフセラピーやらの話かとも思ったんですが、どうもそうじゃない。福山ひいじいちゃん東京駅クダリを踏まえると、クソガキちゃんが明らかに経験しえないこと・知りえないことを経験していて、なんでインナートリップルールからも明らかにはみ出している。

あのねえ、4歳児を主人公にすること、オムニバス形式であること、現実と夢、空想あいまいなことって世界観がグチャグチャであることの免罪符には決してなりませんからね。童話寓話不条理ってそういうことじゃあないんですよ。ことほどさように、幼児を、というか人間のあり方そのものなめている所作しか思えません!

細田さん、クレヨンしんちゃん映画版だけでもいいからもう一度じっくり全部見てくださいよ。全てが100%の傑作というつもりはもちろんありません!ありませんけど、幼児主人公であること、ギャグマンガであることを世界観言い訳にしているのはほとんどありませんよ。その上で、幼児幼児性、第一子と第二子関係性、ペットとの関係性、親子が親子であること、夫婦夫婦であること、家族家族であること、などなど、比べるのもホントおこがましくてしんちゃん側に大変失礼な話ですが、大人子供も笑えるギャグも交えつつ逃げずに遙かに高度のレベルで達成してますよ。

クレしんとの対比でいえばクライマックスのアレね。あー出た出た細田演出はいはい。なんて意地悪な僕は呟いてしまったわけですけれども、これもちょっとしたネタバレなっちゃますが、クレしんの某・大名映画監督脚本原恵一ナンチャラ帝国(笑)オトナナンチャラ(笑)の、“あの例のシーン”。これ、見た方はおわかりかと思います。と同じようなシーンをクドクドクドクド・・・。犬まで登場させてクドクドクドクド・・・。そもそも犬ってああやって母犬と別れるのか・・・?違うんじゃねえの(笑)?ってかそれもセリフ説明すんのかーい!見てりゃそれくらい黙っててもわかるわ!それ以前の問題としてに父犬はどこに?ということも含めて、とにかくひっじょーにテンポが悪い!!

あと一つ、これだけは言わせてください。

僕、前から言ってますよね。我々の用語でいうところの、いわゆる一つの“ベロベロバー問題でございます

クソガキたちがおどけた何か面白“げ”なことをやれば面白くなると思ってますよね。テレビではそれでいいかもしれないけど映画はそれじゃあ笑えないんですよ。

なおかつ、それ以外のギャグアナルプラグでしょ!?単に下ネタダメってんじゃないですが、時と場所と見せ方を選んでください。ただただ不快です。R指定なくていいのか?これ、子供に見せてもいいの?という。

特に前半パートギャグが全部が全部ダダ滑りっていうね。

さらに、その滑ったギャグを、全然成長しないクソガキのワガママサイコ両親の立ち振る舞いで上書きして不快感を増させていくという(笑)。もはや“げ”ですらないじゃないか(笑)

うるせー!こちらがお前らを「好きくない」んじゃー!とホント上映中心の中で何度叫んだことか。

そんで全然成長しないサイコ両親が終盤あまーい自己満足セリフを言い合いますよね。はあ・・・。それはまあいいんですが、まずご自分たちのサイコ性に手を当てて顧みていただいて、素晴らしいご両親のご美意識にはお反しあらせられるかもしれませんがご自宅に子供用の転落防止柵をつけるなり、恵まれ収入ハウスキーパー雇うなりしないと死人が出ますよ、なーんてひねくれた僕なんかは思っちゃいますけどね!ええ、ええ、どうもすいませんねえ!ひねくれ者なもので!

え、もうこんな時間時間がない!あと最後にこれだけ。

いわゆる細田演出ね。

これもねえ、今回は残念ながらあざとい部分だけ、“やだみ”ばかり印象に残ってしまいました!

はいカメラパンしました。時間が経過しましたよ。これ省略だよ。映画的でしょ?というのもさー、それはそれでいいと思うし、正直さすがうまい演出だなあと感じたカットも中にはありました!冒頭の息でガラスを曇らすシーンとか、雪のシーンとかですね。でも、これは演出じゃなくて脚本の方の問題かもしれないけど、とにかく登場人物がクドクドと設定を喋る喋る。別に未来の人だからってイコール全知の人じゃないですからねえ?

これもそれなりの理由があれば設定を喋ること自体全然いいんですよ。

さっきたとえにあげたBTTFシリーズのドクとか、顕著な例ですよね。要は、彼は物語構造上、観客が知らないことを「知っている」からタイムマシーンの設定を「知らない」マーティン(=我々)に対して多少くどく説明しても全く嫌みにならないじゃないですかちゃん時間が変わって彼が設定上「知らない」世界のことは観客が知っていても一切説明してないでしょ。

このあたりもなー。知識レベルの設定が全然統一されてない。観客は最初から最後まで悪い意味で置いてけぼり。

たとえばこれ僕からの一つの稚拙提案ですけどね。ひな人形を巡るくっだらねードタバタをどうしてもやりたいんなら、おじいさんのエピソードも、一見するとくだらない代々の言い伝えである迷信的なナニカを律儀に守りました→そうしたらおばあさんとめでたく結婚できました→ミライまでの血脈が繋がりました→だからミライもそれをなぞったのです、ってすればですね、まあ設定のレベルとしてはひとまず統一できるじゃないですか。そのあたりも含めてとにかく“雑”の一言に尽きるんですよ。

あと、これ、感想メールで指摘していたリスナーもいましたけど、父ちゃん側の血筋はガン無視問題ですね。誰しもそうですが、父と母が「両方いて」初めて今の我々に繋がるんじゃねえの?おいしいところ、ドラマチックなところのつまみ食い的な、「ファミリーヒストリー」をそのままやりたいならわかりますよ?でもこの映画テーマって、平凡な一家族の、非・ファミリーヒストリー的な部分にあるんじゃないんですか?

ファミリーヒストリー」的にいってもですね、もうこれ作品の根幹の価値観の話なんですが、サイコな両親とは距離を置き、血縁自分からは繋がず、一人で自己完結してアナルプラグで遊んで暮らす一生は果たして「不幸」なのか?「何かしらの罰を受けなければいけないこと」なのか?という問いにはこの映画、実は全然答えられていませんよね。そのように考える人は、排除され、存在しえない世界となってしまっている。ここ、最初にも述べた“この光景果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!”という問いにも繋がるところですが、このあたりも、昨今生産性だなんだとニュースになったりしていますが、イマドキの価値観でいえば、全体としてはどんどん多様な個人価値観尊重する方向に向かっていっていますよね。少なくとも、僕個人はかくあるべきだと考えています。「家族派は家族派」、その立場はもちろんそれで否定しないけれども、一方で「アナル派はアナル派」だし(笑)、「乳首派はもちろん乳首派」(スタッフ爆笑)、本当はね、みんな違ってみんないいと思うんですよ。

このあたりも細田さんの“臆面のない傲慢さ”の意識無意識、いわゆる“やだみ”がどうしても透けて見えてしまっているというか。というよりも、悪いこと言わないからもう細田さんはこれ以上家族のテーマは触らないか、触るとしても設定から脚本からから全部外注して演出だけに専念する方が良いと思いますけどねえ。僕は。

というか、そもそも幸せって他人と比べてしまった時点で大概幸せにはなれないですからね。“あの”東京駅の“あの”新幹線の設定を踏まえるとどうもここはそういう世界ではないようですが。僕はこの世界は断固拒否したいです。絶対に嫌です。別にひとりぼっちでも本人が幸せならそのままで全然いいじゃねえか、というね。僕なんかはそう思ってしまますけれども。

あー時間がない!声優お話とかもしたかったんですけどね。福山雅治さんの意外なはまりっぷりとかね。

結論としては、申し訳ないですが、僕個人は「好きくない」類の映画と言わざるを得ませんが、山下達郎さんの主題歌劇場音響で聴きたい方、幼児アナルプラグを刺して絶頂する場面を超絶作画で見たいという方に対しては・・・・・・オススメです!

(終)

2019-06-22

anond:20190621123708

題名の付け方からすると、増田意図としては「そうとは限らないよ」という反応が欲しかったのだろう。じゃなかったら「社会的弱者を一度体験したら他人に優しくなれる」という題名にするだろう。カギカッコはつけないだろう。

2019-06-07

anond:20190607103002

結局これなんだよな

自由を持ち上げているようでも「自分お気持ち範囲内で」というカギカッコがつく

いくら女に甘い顔をしても無駄理由がまさにこれ

2019-05-03

私もフェミニストは嫌いだけど、「男のフェミニストモテたいだけ」っていうのは悪質なレッテル貼りだし、それ自体男性差別だろう。

でも、私はアセクシャルからからないけど、どうやら世のシスヘテロ男性の多くは「モテ」というものアイデンティティの拠り所にしている節があるようなので、そういうフェミニストも少なくはないのかなと思った。(そして彼らは自分でも気づいていなさそう。「モテ」とカギカッコ付きにしたのは、「女性に(一般の)好意を持たれること」を含めているから。ただ彼らはなぜか男性ではダメらしい。)

属性全体で多いからといって個人をそうと決めつけるのはまさに「偏見」だし、どちらにせよ悪質な言説だとは思う。

2019-04-29

anond:20190428232710

カギカッコを使うかはノリで決める。使いすぎると逆に分かりづらくなる諸刃の刃

(インターネットでは文章量が多くなると読まれなくなるため、生まれた工夫のひとつなのだろうと推測する)

ここでいう「分かってる」感とは「自作品をどれだけ把握しているか?」というような意味である

面白いとされる作品は「作品のこの部分は、これこれこういう理由でこうなっている」という理屈が膨大にある。

それは例えば「影響を受けた過去作品」「最近の風潮」などを含むが、それに限定されない。

そもそも現代では「お約束」に頼った作品は言うほど支持は得られていない。

つぎはぎだらけのキメラじみた作品ITの普及した今の時代では成立しないのだろう。

なぜって希釈された偽者よりも本物を探すことができるのだから

創作の背景をイメージしてみると「試行回数」のようなものが浮かんでくる。

一般的には「完成後に一通り見てみると矛盾や気になる点が見つかる」ものだろう(もしかしたら最初から完全な作品もあるのかもしれないが)。

理想論を言えば作品が一通り完成した後、それは捨ててリメイクするのが妥当ではあるはずだ。

  • 面白い作品「この作品にはこういった欠点がある」(第1段階)→作者「当然、対策してある」→「矛盾や気になる点がほぼ見当たらない。分かってる」
  • 面白くない作品「この作品にはこういった欠点がある」(第1段階)→作者「え?そうなんだ」→「自分おかしいと思わないのか?分かってない」

試行回数の不足を感じさせる」のを「詰めが甘い」と言い換えることもできるだろう。

結局は作者が自作品を把握していないから、そうなる。

(ただし実際の試行回数は分からないため、視聴者・読者の印象の話になってくるが)

現実では試行回数を多く取ることは時間問題などから難しいようだ。

なので例えば「プロット仮想的に試行回数を増やす」や「過去経験ノウハウなどから補完する」というテクニックの話になってくるのだろう。

物語創作の腕」というのは、そういったテクニックの有無ではあるまいか

2019-04-28

anond:20190428231132

「分かってる」ですか…わざわざカギカッコしたということは、特定文脈暗喩されているかとお見受けします。

フランス語圏思想界隈でいうところの「大文字の…」みたいな?これ自体カギカッコつきにするべき表現ですが)

私がそれを自然に真似することができないところの考え方とは、まさにそのカギカッコにこめられた文脈が立ち上がってくる現場なんですよ。

何を持って「分かってる」とされるべきなのか、数学物理お話ではないからそこに働く「場」が人々を振り回すのだろう、そういう見えない政治力学は私がとても苦手とするものです。

2019-01-04

anond:20190104170016

カギカッコマン「苦手なのは理解するぞ。だが、実際カギカッコマンは.md書いてる訳でもないので文章を強調する手段プレイテキストしか存在しないのだ!」

カギカッコウーマン「その代りちゃんと『』だったり【】だったり≪≫だったり、色々使いこなしてるわよ?」

カギカッコマン

いちいち強調するワードに「」つけるやついるけどなんか苦手。

たいていただの主観を強引に主張してるパターンが多いから。

2018-08-29

彼女」をデリバティブ取引して彼女を作る

ある思考実験を思いついた。

自分は今現在彼女がいない。しかし、半年後には彼女がいるとする。

そこで、半年後の自分から彼女」というステータスを前借りして、今現在彼女」を持っている(=彼女持ち)状態にする。

そこから本物の彼女を作るという一種先物取引を行う。(以下カギカッコつきの「彼女」は先物を指す)

資本主義の例を見るまでもなく、この世界ではよく「富めるものますます富む」という「べき乗則」が働いている。

これが恋愛にも当てはまるとすると、「彼女を持つ者にはさらに人気が集まる」ということになる。

確たる証拠はないが、既婚者がモテるとも聞くのでその可能性はあるのではないかと思われる。「欲望他者欲望」という言葉もあるし。

そうでなくても、「自分には彼女がいる」ということは限りなく自信にもつながるだろう。たとえそれが未来から借りてきた実体のないものであっても。

その「彼女」持ちの状態から半年以内に本当に彼女を作るように励む。前述の通り、彼女がいない状態から始めるよりも「彼女」がいるという状態から始めるほうができる確率は高いと考える。

一種保険のようなものでもある。

そして半年以内に彼女ができればハッピーエンド

だが、もし失敗したら?

どうってことはない。

「やっぱこの取引最初からナシ」となかったことにしてしまえばいいのである。そしてまた半年先の自分から彼女」を借りて頑張ろう。

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