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はてなキーワード: まおゆうとは

2013-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20130116140154

を、ふと思い出したわけですよ。アニメまおゆう9話の例のメイド姉演説聞いて。

これはメイド長の説教で言われていた「虫」というのが一体なんなのか、ということに対する一つの資料だ。

先に言っておくとメイド長の言う「虫」と、メイド姉の言う「虫」には微妙齟齬があるということを前提にして話したい。あまり重要ではないのだけど、要するに師弟関係にある二人の思想家が言ってることは非常に近い所から非常に近いものを言っているが、そもそも別の話ですよ、程度のエクスキューズだと思って欲しい。

「虫」というのは、そして「人間」というのは、我々現実レイヤーの者にとってもかなり直接的に転写可能な概念である

現実における彼らとは一体なんなのか。メイド姉の演説を聞いていて、ふと、「まおゆう」批判者よりもむしろ、「まおゆう信者のほうにこそ「虫」は多いのではないか、と思ったのだ。

自分運命を掴めない存在は虫」とメイド長は言い、

自分意志を他人に譲り渡して考えることを忘れた者は虫」とメイド姉は言う。

これを素直にとり、また元記事の文脈に即するならば、「自らの努力で自らの生活改善しない存在は虫」と言うべきなのかもしれない。

だが、しかし、結局、勇者魔王メイド長が(あるいは、それに代わる存在が)いなければ農奴姉妹は脱走農奴姉妹しかなく、メイド姉妹にはなれない。なれるはずがない。メイド長が言うように、乞食姉妹になるくらいが関の山だっただろう。

まり彼女は「自らの努力で自らの生活改善できない存在」だったのだ。彼女はそれを「運命」と呼ぶ。メイド長はそれを「自分でつかめ」と言う。

だが、与えられた運命を掴んだメイド姉は言うのだ。

自分を、家族を守るため、石を投げることが必要であれば投げるべき。ただし、他人に言われたからという理由で石を投げるなら虫」

ここだ。最も重要なのはここなのだ

これを言い換えるとこうなる。

自分の力で運命を掴めない存在は虫だと言う他人の言にそのまま乗るなら、そいつは虫」なのだ

その上で元記事の文脈に乗ると、「人間は自らの努力社会を(自らの生活を)改善することが出来る」というテーマに耐えられない人々は、だがそれ故に、実は「虫」ではないのである

彼らが置かれた現実、そのテーマ根底から覆す現実とは、まさに、守らなければならない家族自分に相当する。守らなければそのまま死ぬだけからだ。メイド姉の該当部分以降を鑑みれば、彼らは、逆説的に虫ではないからだ。

そしてメイド姉が「虫」と呼ぶのは、それにすら、無痛であることを選び、耐え切ってしまう者のことだ。

であれば、「虫」というその名は、まおゆうが示した希望の姿にうっかり感動してしまい、その光を盲目的に信じこんでしまった者にこそ相応しいのだろう。

もちろんまおゆう信者の、ましてやまおゆうを楽しんでいる一般ユーザーの全員がそうだとは言わない。だが、その一部には確実に「虫」がいる。そして彼ら「虫」の姿は、努力主義者、苦行主義者意識の高い社畜、その他諸々の、現代の一部で積極的に害悪に貢献する立ち位置から発せられる言論とダブる所が無いとは、私にはとても言えない。

それに「耐えられない」と叫び、「ふざけるな」と憤る人々。

その姿は、石を投げる農民達の怒号に重なるのだ。

2013-03-10

かつてプログラマだったSE体験談

http://anond.hatelabo.jp/20130309233920

下請けが客より技術的に上なのは当たり前」というが、それこそ思い込み。

俺は15年以上プログラマをやってきた。そんな俺がリーマン・ショックで職を失い、得た職はSE(SEになった後で「戻ってきてくれ」的な電話元請けからかかってきたが、SEになってしまったので断った)。

今まで下請けだったのに、上流工程やったり、下請けが作ったプログラムの受け入れ検証をやる事になった。

そこでは元請け元請けで、技術力があったところで下請けの尻拭いしか出来ない事を思い知った。

俺「あの、すいません。今ちょっとnetstat見たら、CLOSE_WAITだらけでして。ソケットクローズあたりで問題がありそうですよね?」

下「へ?くろーずうぇいと……ソケットとは限りませんよね?とにかく調べますが、それが何か問題でも?」

俺「このタイミングで必ずゾンビプロセスが発生するようなんですが」

下「はぁ。ゾンビって特にリソース食わないですよね?それが何か問題でも?」

俺「今回の修正、場当たり的で、多分ケースAは解決しますがケースBで破綻しますよね。これこれこう直して下さいよ」

下「いや、こちらではあらゆるケースを想定してその修正にしましたので。何か問題でも?」

俺「この監視システムクラウドに載せる事を考慮に入れてませんよね?CPUガンガン振り回しても、監視システムが報告する使用率が90%超える事が無いんですが」

下「クラウドクラウド側に文句言って下さいよ」

まぁこんな感じで、いちいち素晴らしい回答が来るのですよ。

元請けなんだが下請けデバッガのような存在になっていく(一般公開される前にバグを潰すに越した事は無いので、別にいいのだが)。

上流工程特にITスペシャリストじゃなくてもなれるかも知れないが、下請けこそ、IT経験者で適当プログラマになった人は多いでしょ。

特に下請けかつ課長部長あたりだとITも分からず、単にスケジュール表をこねくり回してるだけで居るだけ邪魔な人が多いわけで。

まおゆうあたり見て、教育上下世界、そしておっぱいの素晴らしさを認識して、元請けやら下請けやらのフィルターでモノを見ないようにすべきではないだろうか。

2013-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20130222130550

まおゆうの作者が三十万くらい振り込んだら最高に笑える。

2013-02-10

2010年代とはなにか?

ネタポエム

2010年代とはなにか?

2010年代とは

リーマンショックであり、不況であり、超就職氷河期であり、311であり、フクシマであり、日中対立であり、TPPである

2010年代とは

反原発を掲げるしか能のない左派であり、尖閣諸島国有化した石原慎太郎であり、橋下徹であり、維新の会であり、民主党であり、自民党であり、未来の党であり、山本太郎であり、片山さつきであり、幸福実現党である

2010年代とは

意識高い系であり、イケダハヤトであり、ワタミであり、「いじめ」であり、体罰であり、AKBであり、峯岸みなみであり、ヅラをかぶった峯岸みなみである

2010年代とは

まどか☆マギカであり、ガンダムAGEであり、ファントムルージュであり、虚構新聞であり、まおゆうであり、エヴァQである

理想も虚構も破綻した現代日本において繰り返す事ができるのは茶番だけしかなく、故に2010年代茶番時代である

つーわけで、GetFLVを使ってようつべから落としておいた峯岸みなみ謝罪会見の動画でシコってきます。そんじゃ~ね。

2013-02-04

まおゆうアニメ化されたしVIPSSスレについて考えてみた


といっても例のSSではなく(つーか読んでない)、SSスレッドという媒体についての考察だけども。


まず、個人ブログ小説投稿サイトで発表される「SS」や「ケータイ小説」と、
2chの主にニュー速VIP板に投下される「SSスレッド」は別物である

前者と比べてVIPSSスレは劣る、という論旨ではない。
質がどうこう文章力がどうこうといった比較じゃなくて、
そもそもハナから別の表現媒体だと捉えた方がわかりやすいということだ。
両者の比較映画落語を比べるようなもので、どこかズレている(と思う)。

では、他のネット小説SSスレッドはなにが違うのか。
まとめブログSSスレをいくつか読んでネット小説と比べると、次のような特徴がわかる。

  1. 執筆と投下(=発表)が同時に行われる
  2. 読み手の反応レスも同じスレッド内に逐一書き込まれる
  3. 作品は1レス単位(約30行)で分割され、細切れに投下される
  4. 台本SS」と呼ばれる台詞だけの形態が多く、地の文を使ったSSは少ない
  5. 文章以外の要素(AAや挿し絵、BGMなど)も使える


このうち特に重要なのは2と3だ。
「文章による創作物」を発表する媒体書籍投稿サイトなどいくつもあるが、
作者が書いてるそばから読者の反応が“同じ画面上に”書き込まれる媒体SSスレッドぐらいだろう。
まりSSスレを読む者は、
作者が見せる登場人物の声」と、「読者の反応の声」という、二者の声を同時に聞くことになる。

また、作品自体も他の媒体と違って一度に全文を発表することができない。
2ch掲示板システムには行数と投稿間隔に制限があるからだ。
たとえばニュー速VIP板なら、3~5分おきに30行以内で書き込まなくてはならない。
この「量と時間の制約」が、作品に“間”を与える。

強制される時間的な制約と、その間にも挟まれる読者の声というノイズ
この二つがSSスレッドを仮想上の演劇空間として成り立たせている。

ようするに、VIPSSスレッドは「小説」ではなく「演劇なのだ

ここでなにかライブ映像を思い出してみてほしい。
演劇でもお笑いでもバンド演奏でもなんでもいい。

ライブでは、上演の時間やペースは作り手が決めるものであり、
受け手は同じ立場の観客たちとともに声をあげて反応を返す。
演者はあらかじめ予定していた作品を披露するが、
ときに観客の声に反応して、上演中にアドリブ差し込むこともある。

これは「完成品を一方的に送って、受け手自分のペースで楽しむ媒体
たとえば小説文庫本CD音源映画DVDなどとは全く違う。
(記事のはじめで通常の「SS」を映画に、「SSスレッド」を落語にそれぞれたとえたのもこの違いからだ)

まりSSが投下されるスレッド仮想的な“ライブハウス”として機能するのだ。
となると、まとめサイトはそれを事後的・俯瞰的に楽しむ“公演DVD”に当たるだろう。
仮に他の媒体で発表される小説作品を映画とたとえるなら、
読者との双方向性共時性が備わったSSスレッドは紛れもなく演劇である
(ちなみに、このようなスレッドという媒体演劇性は「ゲーセン少女」などの擬似体験談スレでも発生する)

残った特徴4、5もまた、基本的にはSSスレッド演劇性に由来するものである
VIPPERは3行以上読めない」といった言葉があるように、2chで長文は避けられる。
それはSSについても同じで、空行の少ない長文はまず読まれない。
だがSSスレについていうなら、長文が読まれない理由もスレッド舞台に似ているからだと思っている。

SSスレッド一期一会の軽いもので、イメージとしては道ばたの大道芸を見るようなものだ。
では、舞台上にだれ一人立たず、長ったるいナレーションけが延々と続くさまを想像してほしい。
話のつかみから無駄風景描写を重ねる語り方は、スレッドという舞台上ではこのように映るのだ。
これがSSスレ地の文が避けられる理由だと考えている。


そんなわけでワナビだったりときどきSS書き手だったりする観点から私感をまとめてみた。
まおゆうはよく分からないけど、いい機会だと思ったので。わかりづらくてすまん。
媒体演劇性はSSスレだけでなく、擬似体験談スレ解釈に関しても応用できる気がする。
特徴4や5で触れたSSスレッド特有の演出法(と、できれば具体例)については、気が向いたらそのうち。

2013-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20130118091853

あの「高度な批評」をしてる人達が問題としてるような「まおゆう心酔者」って

見たことないんだよなあ俺

http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20130115/1358256185

まおゆうガンダムを踏まえて、より先へ行こうとした部分

 ガンダムシリーズはそのほとんどが、最終話においては「明日がやってくる、希望を持って生きよう」という方向性収束する。

逆襲のシャアで、アムロは「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類絶望もしちゃいない!」と言う。それは「明日からやってくる日々の中で毎日努力してすこしずつよくしていけばいいじゃないか」ということを言っているのだ。これは、まおゆうにおいて魔王が言う「一緒に行ければ、どんなことでも乗り越えられるさ。それに何が起きたって幸せだけは約束できる。丘の向こうには、きっと“明日”があるんだから」と、努力方向性として、ほぼ同一だ。

 逆襲のシャアにおけるシャアというのは、急進的改革派なわけだ。現在絶望してテロに訴えてでも世界を変革しようとした。

 まおゆうにおける最終的な敵対概念は、守旧というか停止主義だ。既得権益をまもるために世界を静止させようとした。

 これらにたいして、アムロ勇者魔王毎日の改良によって徐々に変革をなすべきだという主張をとなえる。ゆっくりでも、一歩ずつ、悪いところを直しながら明日へ進んでいけばいい。そういう主張だ。両者はその点において同じ側に立っている。

 逆襲のシャアは素晴らしい作品だけど、あえて疵を探すとするならば、アムロの主張を実行できるかどうかに、疑義があることがあげられる。

 これは主観も入るので、視聴者全員に「そうだったでしょ」と決めつけられる話ではないのだが、アムロのなかに、その主義を唱えるのとはまったく逆の個人的バックボーンも見え隠れするのだ。

 アムロは「人類絶望もしちゃいない!」と叫ぶわけだが、彼は一年戦争で心を通わせた少女をうしない、英雄として戦争終結に貢献したにもかかわらず戦後体制派に飼い殺されていた過去がある。事実、その後、反体制派武装組織に協力している。彼は十分以上に絶望するような人生は歩んできているのである

 もちろん、それは悪いストーリーではない。彼が不遇を託っていたからこそ、アムロ叫びは読者の胸を打つ。自らの絶望から立ち上がったからこそ「人類絶望もしちゃいない!」と叫ぶ彼は雄々しく、格好良い。その意味では、キラヤマトの「それでも守りたい世界があるんだ!」も、ほぼ同一の文脈だ。

 もっといってしまえば、まおゆう勇者も確実に同じ文脈だろう。

 英雄として世界を救うもにもかかわらず迫害を受け、絶望しかけるが、個人的な繋がりや精神的克己によって立ち上がり、人々を救うために奔走する。

 「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問いにたいして、アムロ勇者は「信じられる!」と叫ぶ。それは、彼らが彼らの魂を担保として叫ぶわけだ。その強い輝きによって闇を飛び越える。

 これらはストーリーとしてはよくできているが、じゃあ、それが、読者である我々にも適用できるか? といわれると返す言葉に困る。つまり、我々があの種の絶望におとされたあと、再び立ち上がって「人類絶望もしちゃいない!」と叫べる保証はどこにあるのか? という点だ。「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問いにたいして、逆襲のシャアは「アムロなら叫ぶね」と答える。そして、現場にいた兵士サイコフレームで思いが伝わった結果命を捨ててそれに賛成する。

 この構図が、 id:Gaius_Petronius が批評したところの「英雄譚」であり、「英雄譚の限界なのだ

 アムロは立ち上がり叫んだが、我々が同じ事を出来るとは限らない。というか、出来るようには思えない。サイコフレームの光があれば特攻くらいは出来る気がするが。

 これにたいして、まおゆうは別の答えを読者に提供しようとする。それは歴史的な視点だ。

 読者は現代日本に住んでいる。色々問題があるし、苦しみもある。でも、500年前とくらべてみれば明らかに恵まれている。みんなご飯をそこそこちゃんと食べている。電気が通っている。暖房冷房もある。乳幼児死亡率は極限にまでへらされた。風邪即死意味する病ではなくなった。なんとネットにまで繋がってる。それどころか個人用の通信機器をみんなが持っている。これら視点で見れば、現在は、過去よりも、確実に具体的により良くなっている。もちろん大きな戦争エネルギー問題もある。が、飢え死にばかりしてた頃に比べて、漸進していることは確実だ(この認識にぐだぐだ文句をつけてる人間中国アフリカ奥地に移住した例を知らない)。

 その視点提供した上で、魔王は「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問に答える。

 「信じられる。だってそれは歴史を見れば明らかだ。人間は愚かかもしれないし、間違いを沢山起こすが、それでもここまでやってきた。この先にいけないはずがない」と。

 この具体性や説得力は、アムロにもキラヤマトにもなかったものだ。

 主人公個人の精神的高潔さや勇敢さに仮託をせずに、読者にも実行可能なやり方で「英雄を超克」させてくれる物語上のギミックだ。

(この部分の指摘が、「物語三昧」には欠けているようにおもわれる)


 まおゆう提供する「丘の向こう」というのは「戦争が起こらないSF処方箋」でも「近代に続く血みどろの道」でもない。

 「丘の頂上に立ったとき見られる向こうの景色明日」と対になるようにしてあらわれる、「丘の頂上に立ったとき見られる歩いてきた景色歴史」であり、未来過去の両方をあわせた視界だ。読者に提供される「丘の向こう」というのは、この視界であって、それ以上でも、以下でもない。そしてこの視界は、英雄の苦難や高潔をもたないでも、誰にでも(それこそWikiを検索する程度の労力で)手に入る。

 まおゆうガンダムを踏まえて、より先へ行こうとした部分があるとすればここだし、物語の類型を一歩進めた部分も、まさにここにある。

2013-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20130116183257

あーはてサって全米ライフル協会っぽいもんな。わかります

「広めちゃいけない」。すげぇ。

まらないでも嫌いでもない。

「広めちゃいけない」。

世界を浄化するために他人を抹殺しよう」ってとこに回帰するんだ、まおゆうが憎まれるはずだ。

http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20130115/1358256185

http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20130115/1358256185

とか読んで。

まおゆうからまりまおゆうとは関係のない地平の話をする。

(だから、上の記事に対する直接的なレスとはとても言えないのだが)

まおゆうを取り巻く大きな断絶


まおゆうを取り巻くアンチの言説は、まおゆうという作品に対していろんなツッコミをする。それは、

1)内容の科学的もしくは専門的妥当

(たとえば、1年で農業改革なんて出来ねぇよ、とか)

2)内容の政治的、倫理的善悪

(個人にそこまでの自助を要求するのはいかがなものか?)

おもにこの2方向に集約されると思う。

(あとは、ファンや作者に対する人格批判なんだが、その話はこの文章後半に持ち越す)

上記の2点はたしかに疵である。結果物語は駄作になり得るレベルの疵かもしれない。

が、それは要するに、究極的には小説としての巧拙の問題なのだ

ここで言う巧拙っていうのはやれ台本形式がどうしたとか文章のレベルがどうのこうの言う最近ラノベ語りではなく、物語の展開から隙を取り除く程度の意味合いだ。

巧拙の話で言えば、ダメな作品が世の中にあるのは当たり前だし、むしろ良いことだ(母数的な意味で)。

それがメジャー化したところで別段何の問題だって有りはしない。「それ以外の選択肢」があふれた現代なのだから

しかし巧拙の程度の問題に対して、どうも、アンチの人は常軌を逸して過激なように思える。

Twitterでは焚書を促したりする人や、ファンにたいして自殺を勧めるような表現まで見えるわけで、それはどうにも違和感がぬぐえない。

上のURLも楽しんでいるだけのファンにガソリン放火をして自分燃えながらゲラゲラ笑っている絵面に見える。

ここにはなんかもっと、個人のアイデンティティを賭け金にしたなにかがあるのを感じてしまうのだ。

まおゆうにおいて経済がどうこうとかいうのはテクスチャであるというのは見れば判るわけだけど

そのテクスチャを通して、あるいは取り除いて、まおゆうという物語の言っていることはほぼ1点に集約される。

それは「人間は自らの努力社会を(自らの生活を)改善することが出来る」ということ。これだけだ。

まおゆうに激しい拒絶反応を示す人々は、どうも、まさにこの部分が受け入れられないように見える。

人間は自らの努力社会を(自らの生活を)改善することが出来る」という考えそのものが受け入れられない。

もっといえば「人間努力で何かが改善できる、何かが為せるだなどといった欺瞞を高所から語るな」と憤ってるように見える。

そしてその感情を、俺は、リアルな話ではあると感じる。

それが良いのか悪いのか、とくに、そんなもん世間様に開陳して良いのかどうかは横に置く。

彼らがそういう憤りを感じているのは、現代社会において、リアルだととても強く感じるのだ。

いま思えば、初期にまおゆうを礼賛した人々は「人間は自らの努力社会改善することが出来る」ということに感動を覚えていたようだ。

まおゆうがそれに値する作品か? という話に接続したいわけではない。

どう感じるかは個人の自由なのだからその感想自体はまったく間違っていない、という話だ。

しかしその一方で、「人間は自らの努力社会改善することが出来る」という作品や、それを無邪気に礼賛する人というのは、

ある視点から見たら、どうしようもなく無神経で、脳天気で、生かしておくわけにはいかないほどいらだたしさを持つと言うことも、理解出来る。

この問題はとても深く、大きい。それは圧倒的な断絶だ。

(こう書いてしまうと作品のコアファンや作者には申し訳ないけれど)もはや、まおゆうは、どうでもいい。

まおゆうに描かれている作中の問題提起であるとか、作品の疵であるとか、小説としての上手い下手であるとか、そんなものを越えた問題がここにある。

こう例えると卑近になってしまうかもしれないのだが、

それは、小中高とよい大学に入れば幸せになると言われ多くの時間苦痛勉強に費やし、大学に入っても就職のために歯車的なロールを強要され

しかし実際ふたを開けてみれば、終身雇用崩壊経済はガタガタになり、どんなに働いても給料高齢者年金で吸い上げられ自分はもらえないと知ったような。

いわば、洗脳に近い価値観インストールを受けたけど、それらはみんなうんこでした――みたいな人間が、

人間は自らの努力社会を(自らの生活を)改善することが出来る!」なんて朗らかな事を言われたら殺意を覚えても仕方がない。

その殺意の前には、作中が中世に近いファンタジーで、いま実際の現実は21世紀なのだなんていう「歴史オタ」のいいざまはなんの意味を持たない。

まおゆうを認める派と認めない派の対立というのは、おそらく、すでにまおゆうとは関係ない次元にあるように思う。

その対立は、まおゆうのものよりもずっと現代的な問題だ。

この問題点接続したことが、まおゆうの最新の価値であるように思う。

2013/01/16:誤字なおしたよーごめんよ

2013-01-15

なんで左サイドからまおゆうが叩かれてんの?

まおゆうネオリベ戦争賛美ではない」という意見左派オタの俺が全力で釣られてみた - Togetter

http://togetter.com/li/437842

とか。


あの魔王のタームって

歴史の流れで言えば封建主義社会をぶっ壊すとこだよね。

彼女が「血を流さねばならぬ」って言ったらそれは要するに

王族領主を断頭台にかける方向の話だろ。

下層民の境遇を悪化させるなんて話はしてねーよ。


だいたい戦争賛美っていうのはさあ

自民族の明白な使命」とかを称揚して開戦するあの考え方のことだよ。

魔王勇者が言ってるのは「世界を我々のデザインで改変する為には血も流れるだろう」だから

これに対して贈るべき批判は「戦争賛美だー!」じゃなく「中二病乙」だろ。


魔王のやってることって

・同族を裏切り、殺させ

・旧秩序を転覆

・少人数による思い付きと理想世界を改造しようとする

という

どう見ても左翼サイドの偉人の行動じゃね?これ。


まおゆう中学生に悪影響だとか言うなら

俺はむしろあれ見て左翼過激派なっちゃわないか心配だけどな。

冗談だよ。アニメ中学生が〇〇になる!とかタワゴトは大概にしよう)


魔王ご都合主義中二チートのおかげで超人的英知と理性を与えられたからまあやれてるけど

人の身でああいう誇大妄想を抱いた人間の末路はポルポトスターリン毛沢東だろ。

2013-01-01

2012アニメ 個人的まとめ

以下、チラ裏ですよー。

長いよー


去年見たアニメを纏めてみる。

年始周辺では前年末の物を見ていたりするので、それも含んでます。あくまで自分が見たものということで。

個人史的な観点もあり、重ね重ねチラ裏でさーせん致します。



■前年からのもの


ベン・トー

日常を改変する系統。近所のスーパーでって考えると楽しいねーっていう。

二つ名、各話タイトルなど、タイムセール一発ネタからの発想の展開がツボを抑えていて、「冗談シリアスにやりきる」面白さ一本、この清々しさが視聴継続の意欲につながったように思います

OP曲「LIVE for LIFE 〜狼たちの夜〜」が作品世界によく合っていて、なぜかとても好きでした。


gdgd妖精's

正月休みが開けてから存在認知して、1月ニコ動課金してまで見てた。

視覚声優ラジオ、ですよねー。たのしいねー。二期あるようで目出度い限りでございます

一年間、私のツイッターアイコンコロコロさんでした。


映画けいおん!

3月にみました。

TV本編から心理的に大分たっているなーという状態になっていたようで、前半の学校のシーンはセルフパロディにみえるな、という結構他人事な突き放した感覚の中で見ていました。

はいえ、ロンドンの話になる頃には、その辺も忘れて見られており、あずキャットさん関連のストーリーラインなども心温かく、総合的によろしかったのではないでしょうか。

ともかく2012年の選として上がるくらいに楽しかったです。


2012年のもの


モーレツ宇宙海賊

序盤のオデット2世の掃除をするモブの場面で掴まれました。日常系トピックとなる出来事のバランスが素晴らしかったと思います

OPEDももクロで、それは作品的には合ってたんじゃないかと。特にED曲は好きでした。


咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A

咲の時点でも大きなタイトルだったと思うのだけれど、阿知賀編によって咲はプラットフォームになったとおもう。

はいつもOPED曲がフィットしているのでコントロールが確りしていて非常に好きです。リスペクト


氷菓

原作既読での視聴。降って湧いたようなアニメ化しか京アニということで非常に喜んだものでした。

京アニは自社の成長を、ひいてはアニメ表現の成長を考えている」。そう思う中に京アニブランドへの信頼感は強まり、またそのように思うからには私は京アニ信者なのであろう、まさにそのような自己認識に至ったものこそが私の人生においての昨一ヶ年なのでございました(何。

鍛え上げた萌えアニメ映像文法を、ラノベと一般小説境界のような原作適用することで、アニメ表現の可能性を押し広げる京アニ⊿。

男子二人の人物の掘り下げが素晴らしく、奉太郎・里志の屈託にも非常に共感できました。

私はストーリーなどの制作意図にはよく共感するのですが、アニメではあまりキャラクター共感することがないので、これは珍しいことでした。

女性キャラでも、えるはともかく、摩耶花をきちんと描写できていたように思え、それはすごいっす。

(この辺のキャラクター群像って、普通さくら荘くらいの感じになっちゃうよねーといってみる)

それと、佐藤聡美さんに関しては、俺妹で魅力に開眼して、さあ!というタイミングでの千反田さんだったので、非常に期待しておりました。それが個人的あざと過ぎゾーンに踏み込んでおり、文化祭エピソード軍門に下るまで時間がかかったというのも良い思い出です。えるたそ~(何。

営業観点なのかED1が萌えアニメ仕様だったのが不満でした(笑。


SAO

原作既読での視聴。アクセル・ワールド原作に忠実ながらも自分の望むところとは違う解釈だったので、こちらがまともに見れる脚本だったのは幸甚でした。

ストーリー舞台・道具立て、ブレイクするまでの過程と、作品内外共に今日エンターテイメントの流れとして象徴的な重要作品という認識2012年SAOのあった年、と記憶されるのでは的な。良過ぎない画質で安定しているのも好感。

キリトさん本気モードの表情の悪役張りの歪み方が、人間表現指向性として優れていると思いました。

あと直葉ED曲Overfly超好き。

あとWEB小説上がりのラノベ作家は応援したい。まおゆうもいいけどログ・ホライズンの方アニメになんないかな。


ヨルムンガンド PERFECT ORDER

一期は、OPストーリーラインのカリカチュアっぽい感じがあわなくて、あまり見なかったのだけれど、キャラ掘り下げからタイトルの核心に進む二期は、見やすくて楽しかった。

EDなぎさんで素敵だったのだけれど、とくにED2ラテラリティは非常に格好良くて素晴らしい。


中二病でも恋がしたい

氷菓の後にネタっぽいのやるのかよって思ってたら、ちゃんとしたドラマになったので、京アニすみませんでした。まあ終盤の感情表現の的確さといったら、すごい素晴らしいしか感想が出ない程のものでした。

あとOPの正統アニソンっぷりが凄いと思った。流れに心を込めるのはもちろんのこと、単語それぞれに感情が込められ、抑揚のうねりが独特のグルーブを醸す表現ZAQの名を高めたのでありました。


ガールズ&パンツァー

茨城出身なので。町おこし的な成功をよころばしく思っています

戦車戦の「リアルらしさ」の表現が見事にアニメ化されていて、コール・オブ・デューティの臨場感がよみがえる思いでわくわくして見ていました。あと学園艦。あと西住殿~


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

アニメーションの出来として一段レベルが上(自分が見た範囲では)なので、ストーリーがどうとか以前に選ぶと入ってくる感じ。


猫物語(黒)

ニコ動でみました。羽川翼一言に均して「とても好きなキャラクターなんです」。

ああ…羽川さん…羽川さん…きこえていますか…(何



以上9本をあげてまして、重ね重ね重ねてチラ裏失礼いたしました。

10本上げたかったんだけど、集まった水準を基準にすると上記9本までしか入りませんでした。

微妙にシンフォギアとかは入らない価値観なんですよ自分



メモ]2012に見たアニメ一覧

(★は最終回まで見たもの。★の多いものはその中でも特に気に入ったもの。☆は中盤~終盤くらいまで見たもの映画最後まで見て当然なので無印で)


2011ベン・トー★★
gdgd★★★
2012/12けいおん(映)
2012/1アマガミSS二期★
リコラン
キルミー
ミルキィ二期
シンフォギア
モーパイ★★
偽物語
アクエリオンEVOL
あの夏★
ラグランジェ★
パパ聞き
妖狐僕SS
2012/4これゾン二期
ルパン不二子
夏色キセキ
さんかれあ
戦コレ
アクセル・ワールド
うぽって
阿知賀編★★★
シャイニングパン屋
氷菓★★★
2012/7 TARITARI☆
人衰(撮りためていてあとで見ます
チョコ
はぐれ勇者
カンピオーネ
ココロ
ホラ二期
SAO
信奈
2012/9新世界より
2012/10ヨルムンガンド二期★★
えびてん
K★
サイコパス
中二病★★
BTOOOM★
武装神姫
絶園のテンペスト
ひだまり四期☆
ジョジョ
ガルパン★★★
さくら荘★
2012/11エヴァQ(映)
2012/12猫物語(黒)★★★

2012-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20120817175718

まおゆう』という小説をどうぞ。

魔王と 魔王を滅ぼそうとした勇者が 話し合って 魔物人間共存について考えるお話です。

2011-06-05

y_arimは↓この記事読むなよ!危ないぞ!

http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20110604/1307155344

萌え豚起源の分析を興味深く読んでいたy_arimだったが、

AutoPagerizeによって追加された次の記事のタイトル漫画版まおゆう」堂々の完結」を見てしま

全身の毛穴から血を吹き出して病院送りになる。

2011-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20110520143903

物語の影響が怖い(キリッってお前の妄想だろw

だったら、まおゆうなんざ、それこそ「どうでもいい」だろうがよw

あんな程度の低いもの」って「批判に対する批判」はそこらじゅうで散見されるが、それに対する反論はなんでしたっけ?

危険なんじゃなかったんでしたっけ?w

http://anond.hatelabo.jp/20110520142743

まおゆうが批判されてるのはテクノクラートの支配はよくないってことで、大本増田はそれをだったら代替案を示せって批判してるんだろ。大本増田の文章ちゃんと読めよ。物語の影響が怖い(キリッってお前の妄想だろw

あとはてサ嫌韓流の影響は嫌うけど共産党宣言の影響は好きだろwまおゆうまどマギはこのくらい違うからはてサ対応が違っても当たり前。お前の言ってるのは「嫌韓流共産党宣言もどっちも同じ本だから、片方評価するならもう片方も評価しろ」って馬鹿なこと。本もそれぞれ内容が違うこと理解してない。だからこういう別々の作品むりやりくっつけて批判を封じるやつはうざいし嫌われるんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20110520135820

件の元増田っす

このアニメ褒めるならまおゆう褒めろって言ってるからなあ

ちがうよ、まおゆうを批判するのがイデオロギーやらに関する「物語の影響が怖い(キリッ」なんだから

それを言い出すなら、まどかも怖いって話さ。

そして、「まどかが評価できるなら、まおゆうを批判してる理由も消えるだろ?」ってな話。

まどかの「物語の影響」は、「統治者にならないかおk」って、そりゃあんまりだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20110520140558

まどかが評価できるというなら、まおゆうだって評価できる。

この書き方見ると、まどか評価する連中はまおゆうも評価しろってことだろ。まどか評価してまおゆう批判した馬鹿とも書いてるし。別の作品をむりやりくっつけて批判を封じるこういうタイプキチガイは最悪の迷惑。一番嫌われるタイプ

http://anond.hatelabo.jp/20110520135820

まおゆうを批判したのにまどかを褒めるのはおかしい」という話じゃないの。

http://anond.hatelabo.jp/20110520135147

まどかが評価できるというなら、まおゆうだって評価できる。

まおゆう信者は他のアニメまどか)を引き合いに出して、このアニメ褒めるならまおゆう褒めろって言ってるからなあ。迷惑なキチガイ度が高い。こういう何々を褒めるなら何々も褒めろってのはアニメ界隈で一番嫌われる。別の作品をむりやり一緒にして反論を封じるやり方な。まおゆうアニメ化もされてないけどww

http://anond.hatelabo.jp/20110520134924

まおゆう信者は「まおゆう世界を変える」って本気で思ってるんじゃないか典型的カルト臭がする。

そういう視点に立つなら、まどマギ信者だっているはずで、両者は同じ土俵にいる。

http://anond.hatelabo.jp/20110520132829

そこでまおゆうじゃなくて「人類は衰退しました」とか「ストライクウィッチーズ」を出すなら繋がりは見えるんだが、あえてまおゆうを出すところにキモヲタ特有の視界のせまさを感じずにはいられないよな。

それは大元増田と、それでhokusyu引っ張り出して反論してる馬鹿に言ってくれよw

そんなのどっちもどっちバカバカしいって話なんだからさww

http://anond.hatelabo.jp/20110520131133

まどかが評価できるというなら、まおゆうだって評価できる。

うわあ…

これは痛い

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