はてなキーワード: 畜産とは
今から30〜40年くらい経つ頃には、ヴィーガン勢力が今よりずっと力をつけていて、肉を食うのは野蛮人!みたいな雰囲気になってる可能性って、結構ある気がしてならないんだよな
俺自身はぜんぜんヴィーガンじゃないんだけど、それはそれとして、今のうちにちょいちょいヴィーガンフードとか食って、肉なしの暮らしに慣れといた方がいいんじゃないか?って気もしている
まあ、合成肉とかもあるんで、ホントどうなるか分かんないけど
でも、ヴィーガン思想ってマジで共感できないから、嫌なんだよなあ!
・動物が苦しむ
・環境に悪い
→それはよくないけど、それを言うなら大抵の労働環境はEvilだし、やっぱ人類が滅ぶしかない
しかし、全然共感できないからこそ、ヴィーガンフードなんじゃないかとも思う
50のオッサンになってから、全然共感できない思想のために肉を断つのはキツそう
今のうちにちょくちょく断っておいて、いざ肉はもうダメっすよとなったときに、ああOK OK、うまいよね野菜、みたいな感じでサラッと流せるのが理想
でもヴィーガンフードって高いんだよな その割にたいしてうまくないし
難しいぜ
このまとめ( https://togetter.com/li/2013016 )のブコメを見てたら、ヴィーガンに対して、「よろしいならば戦争だ」、「カルトの教え」、「ただのアタオカ」、「疑似科学風の新興宗教」とか何とか色々放言があって驚いた。
何に驚いたかというとまとめのツイートの論理を全く追えていない点。
このまとめの主となるツイートの内容は「ヴィーガンの主張は規範的なものだから、他人に同調するよう迫るのは当たり前」と言う内容であって、
ヴィーガンの主張が正しいなんてことは全く言っていなくて、ほとんど必然的な論理関係「規範的な主張を認めるならば、それを他人にも認めるよう求める」を確認しているに過ぎない。
割合多くの人がツイート内の「正義の原理」と言う言葉を見て、「ツイート主はヴィーガンが正しいと主張している」と言う解釈をしたようだが、
普通に読めば、もしくは少しでも倫理学を学んでいれば、この「正義の原理」の意味は「規範的主張の根拠となる原理的な規範」と言うぐらいの意味であることがわかる。
誤った解釈をしていた人は改めてまとめのツイートを見てみてほしい。明らかにそう書いてある。
読んでもわからなければ、おそらく非常に基礎的な学問のトレーニングが足りていないから、適当にいっちょ噛みするのはやめた方がいい。
で、この論理が追えていない時点で、もうほとんどまともに話が通じる相手ではないので、文章を続けても仕方ないのだけれど、
このまとめのツイートが言っているようにヴィーガンの少なくとも一部は規範的な立場で肉食を否定している。
いわゆる「最大多数の最大幸福」、つまり、幸福の総量の最大化、そして苦痛の総量の最小化が善であることを前提として、
「動物も人間も苦痛を感じる」、「人間の苦痛には配慮して、動物の苦痛には配慮しない合理的根拠がない」と言う点から、
動物に多大なる苦痛を与える畜産をやめるよう求めるものだ(これは非常にラフなまとめ)。
この主張の根拠等についてはこれ以上詳しく述べないが、動物倫理の本を見れば書いてある。
つまり、少なくとも一部のヴィーガンの主張は明確な原理的主張を持っている。だから、否定したかったらこの原理を否定したらいい。
「カルト」、「宗教」と適当にレッテル貼りしたり(そもそもこれらの言葉をかなり独自の定義で用いているようだが)、
いつでも逃げられる場所から「よろしいならば戦争だ」とか「アタオカ」とか言っても、意味はない(ことはない。ただかなり合理性を捨てていると思うのだが、それでいいのだろうか)。
で、ヴィーガンに攻撃的な人たちは結局どんな武器を持っているのか?
ヴィーガンは少し本を読んでみればわかるように、実のところ、非ヴィーガンでも認めざるを得ないほど、単純ながらも強力なロジックを持っている。
それに対して、肉食側は今のところ、相手の主張を理解しないことによって敗北しないという「無敵戦略」や
1年生の生物で金玉袋と大陰唇が同じって聞いて、今まで自分が玉袋に興奮していたと思うとショックだった。
2年生では動物園の元獣医の教授の授業では人工繁殖で精子を採取するのに肛門から電極を刺して前立腺を刺激して射精させるとか何とか。人間用を探したがそんなモノは無かった。
3年では実習で牛の肛門に手を突っ込んだ。まずウンコを掻き出してからうんこ側から子宮を確認し人工授精の為のストローを差し込む。アナルに手を入れて子宮を触るなんてエロすぎて内心バクバクだった。当時の彼女(嫁)にやろうとしたが指3本入れたらぶん殴られました。
4年では浴びるほど牛のまんことアナルを見たので僕のまんこの概念が覆ったと思う。牛も人間も変わらない。だから何回も牛のまんこで抜いた。これは墓場まで持っていく僕だけの秘密。
10月6日から鹿児島県で全国和牛能力共進会(全共)なる大会が開かれる。「和牛のオリンピック」とも呼ばれ、各県の農家・関係者は大いに盛り上がっているが、一般の人たちにはいまいち浸透していないと思うので、簡単に紹介する。
全国和牛能力共進会、略して「全共(ぜんきょう)」と呼ばれる。今年は鹿児島開催なので「鹿児島全共」だ。今年で12回目の開催。おおよそ5年に1度開かれてきたため、「和牛のオリンピック」とも言われる。が、これは一般向けにわかりやすくキャッチ―な言葉だから使われているもので、関係者はおそらくオリンピックという意識は薄い。国内大会だし、畜産が盛んでない県は出品しないし。主に個人が育てた牛が出品されるのだが、道府県(東京都からの出品はない)ごとに選考会があるため、個人ではなく地域の勝負という色合いが強い。牛は「県代表」という扱い。今回は過去最多の41道府県から459頭が出品される予定だ。これほどの数の和牛が集まるのは「全共」だけ。しかも各地の選考会を勝ち抜いてきた選りすぐりの牛たち。競馬場のパドックさながらに立派な牛がぞろぞろと歩くのを見るだけで、新鮮で楽しい。
審査は、種牛の部と肉牛の部に大きく分かれる。その中にもさまざまな部門があり、最高位となった牛(県)に内閣総理大臣賞が贈られる。種牛は、「いい子牛を生むための雄と雌」のこと。道府県単位での出品なので、地域で育ててきた系統が優れているかどうかで評価される。牛たちが会場を歩き、引き手(農家)の指示でぴたっと止まり、審査員が体格や立ち姿を評価する。農家はこの晴れ舞台に合わせて、牛の調教を続けてきた。調教というのは、ちゃんと嫌がらずに歩いたり、長時間にわたって立ち姿勢を維持できたり、審査員から触られても動じなかったり、そういう調教だ。
肉牛は、「いい肉かどうか」。肉量と肉質が評価される。今回から「脂肪の質」も評価基準に入るようになった。いわゆる「さし」ももちろん大事だけど、味や口どけも大事だよね、という観点だ。こちらの牛たちはいわゆる片道切符。会場で処理されて枝肉にされて、せりにかけられて審査される。
中でも花形とされているのが「総合評価群」という部門。これは種牛と肉牛の両方を出品する唯一の部門で、「この種牛たちがいるからこんなにいい肉牛ができる」という、まさに産地の総合力が問われる。ちなみに、前回大会まで総合評価群は「花の7区」と言われていたが、今大会から区分が再編されて番号が変わり、「花の6区」となってしまった。
詳しい審査基準は、主催者である全国和牛登録協会が公開している。http://cus4.zwtk.or.jp/zenkyo/wp-content/uploads/sites/3/2019/08/12sinsakijyun.pdf
やはり、内閣総理大臣賞(日本一)に選ばれるのはどの県かというところ。日本一となれば向こう5年間、その県は名実ともに「日本一の和牛」を名乗って販売できる。会場には海外のバイヤーや商社なども訪れる。経済効果は計り知れない。
開催県である鹿児島にも経済効果がある。前回大会が開かれた宮城県では100億円の経済効果があったという。(ただ宮城全共は、仙台市のかなり都市部で開催されたため、一般客の来場者が多かった。それを狙っていた面もある。)
宮崎県が、過去の大会結果をまとめていた。https://www.pref.miyazaki.lg.jp/shinsei-chikusan/shigoto/chikusangyo/zenkyo2017.html
日本一と名乗れるのは、種牛と肉牛のそれぞれの優勝県。だったのだが、「団体賞」なるものができたことで、少しややこしくなってしまった。9回大会と10回大会は、種牛の部で優勝した宮崎がそのまま団体賞だったので問題なかった。前回の11回大会では、種牛の部でも肉牛の部でも優勝していない鹿児島が団体賞を受賞し、鹿児島も「日本一」を名乗ることになってしまった。ここでひと悶着があったりした。(ただ実際に結果も良かった上での団体賞だし、日本一を名乗ることに問題はないのだが)
そんなことがあり、今大会では「団体賞」がなくなった。個人的には日本一にならずとも、全共に出品すること自体が名誉なことであり、各県では出品牛・出品者を盛大に祝ってほしいと思う。
・今回の会場は霧島市と南九州市で、お世辞にも人が集まりやすい場所ではないが、空港など主要各所からシャトルバスが出るので、行けることはいける。ただ遠い。ただ、種牛の部の会場に行けば、間近でたくさんの牛が見れる。各県のブランド和牛の試食提供もある。関係者の熱気と、その熱気に応えようとする立派な牛たちを、ぜひ一度見てほしい。
・高校生の部は、牛だけでなくプレゼンテーションもあるというのが他の部門と違うところで、おもしろい。高校生部門は前回大会から設けられた。前回大会では、牛だけの評価だったら宮崎県の高鍋農業高校が1位だったのだが、プレゼンが良かった岐阜県の飛騨高山高校が巻き返して優勝した。会場ではプレゼンを聞いて泣いている人もいるほど、良かった。なので今大会では必ず各校はプレゼンにも力を入れてくると思われる。それも見どころ。
・和牛といえば、黒毛で肉付きのいい「黒毛和種」が一番にイメージされ、飼われている頭数も最も多いわけだが、実は褐毛(あかげ)もいる。熊本や高知が主な産地で、全共にも出品される。黒光りマッチョの中に1頭ポツンと褐毛の牛がいると、どこかはかなげで可愛らしさを感じて、思わず応援したくなってしまう。実際かわいい。Wikipediaにまさにその写真があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%90%E6%AF%9B%E5%92%8C%E7%A8%AE
・次回の開催地はもう決まっていて、北海道だ。北海道は乳牛のイメージがあるが実は和牛にも力を入れていて、どんどん頭数が伸びている。鹿児島全共で良い結果を残せれば弾みがつく。こちらも注目だ。
・お乳を搾る乳牛は和牛ではないので、当然だが全共には出てこない。ただ乳牛(ホルスタイン種)の大会もあり、こちらは「ホル共(ホル全共)」という。こちらも5年に1回開催で、2020年に開かれるはずだったがコロナ禍で中止となってしまった。https://www.facebook.com/media/set/?set=a.956624817743892.1073741843.128156943924021
ありえんコヴェナントの続きを出してくれ。
リドリースコット、まじで頼む。
金なら出す。500万くらいだけど……
これがリドリースコットに届いてくれ。
分かるぞ。
エイリアンとブレードランナーで、ホラーとSFができる監督になったよな。
でも難解になるエイリアン……一部のコアなオタクだけがエイリアンの本質を楽しみ、一般視聴者はホラーとしてのエイリアンだけを楽しむ……
4のリプリー畜産によって、一般視聴者は完全に置いてけぼりにされた。
ブレードランナー2049、あれは近未来を感じるSFとしてよかったよな。
そこそこ流行ったよな。
普通に生きてる人間たちは、自分達の出自とか人間が人間たる理由とかどこまでが人間かとか考えないんだよ。
だから、そこ伝わんないわけ。
こっちは大歓喜だった。
もうほんと、リコーダーの練習して吹けるようになった。あの連弾(連吹き?)の曲。
ただエイリアン4までを見ていたノホホン40〜60代は、突然の人間とはテーマについていけず、もちろんプロメテウスなんか見てないので話が分からない。
分かったのはリドリースコット、お前だけなんだよ。
だけど頼む、ありえんコヴェナントの続きを出してくれ。
まじで続きを出してくれよリドリースコット……
もうかれこれ5年は言ってるよ。
まじで出してくれ続き……
【追記】
コメントで寄せられた種々の意見について反論しようと考えたが、いずれも下記でリンクを張ったサイトを読んで貰う方が早く、正確なのでそうしてください。
だったらこんな記事を書く意味はないじゃないかということになるが、まあサイトの紹介記事として書いたと思えば無意味ではないと思っています。
http://therealarg.blogspot.com/2019/02/VeganFAQ.html
【追記おわり】
ツイッターでヴィーガンがトレンド入りしてて、覗いてみると過激派ヴィーガンのテロ行為が炎上しているという内容だった。
そのニュースを受けて、そういった活動だけではなくヴィーガニズムそのものへの批判が多く為されており、その中にはヴィーガンに必ずと言っていいほど寄せられる批判がいくつか見られた。
というわけで以下でそれに勝手に答えておきたい。
ちなみに、ここで書いてあることを読むより以下のサイトを見てもらう方が良いので、時間があるならそうしてください。
http://therealarg.blogspot.com/2019/02/VeganFAQ.html
これは一見かなりもっともな主張に見えるし気持ちもわかるのだが、「押し付けるな」という反論はズレている。
なぜならヴィーガニズムというのは「動物の権利を侵害するのは止めよう」という倫理規範だからで、「野菜を食べて健康になりましょう」という思想ではないから。
「殺人や差別をしてはいけない」というのは思想という以上に倫理規範である。「お前が差別しないのは自由だけど、俺は自由に差別して生きていく。それに口を出すな。住み分けて生きて行こう」という理屈が通らないのと一緒で、倫理規範は他人にそれに従うことを要請するという性質がある。
だから、ヴィーガンに反論するのであれば、「「動物の権利を侵害しては行けない」という倫理規範は存在しない、成立しない」とか、「そもそも肉食という行為は動物の権利を侵害していない」「そもそも動物に権利なるものは存在しない」という方面で反論しなくてはならない。それなら議論は成立する。
上記に付随して当然出てくる疑問だろう。
だが、結論から行くとこのテーマをここで書き切ることは到底不可能なので、おのおので関心を持った分野の本を読んでくれということになるが、
①権利というものは現状では人間にしか認められていないが、それはなぜなのか。「神が人間にだけ権利を与えた」といった説明も出来るが、論理的ではない
②ひとつには、権利は「苦痛を回避すること」と説明出来る。つまり、理由なく苦痛を与えられてはいけない、という考えは権利の1つの側面である
③大半の動物は痛覚を持ち、苦痛を回避するように振る舞う。よって、不要に苦痛を与えられない権利は動物にもある
だから動物を不要に苦しめるような畜産産業はやめるべき、となるわけですね。
・植物は殺していいの?
これも極めてよく用いられる反論で、「プランツゾウ」という名前までついている。
上記したようにヴィーガンは動物の権利を擁護する立場であり、おおざっぱに言えばそれは「苦痛を与えてはいけない」という言葉で要約できる。そして現在の科学的な知見でいえば、植物は痛覚を感じていない。だからヴィーガンは植物の権利は擁護しない、というか植物に権利を見出していない。
逆に言えば、明確に知性や痛覚を有する植物にたいしては、ヴィーガンは同様に権利を見出し、擁護することになると思うよ。
これを言う人だって、道端の草を踏んづけるのと野良犬を踏んづけるのなら後者の方が抵抗あるんじゃないかな?
・人類は長い歴史を肉を食べて生きてきたので、それが自然だし、文化でもあるのでは?
長い歴史があっても間違っているならやめるべきでは。間違っていないなら根拠を示すべきでは。
一つ考えてほしいこととして、「完全に動物肉と同じ味、同じ値段、同じ栄養素の人工肉」が開発されたとする。あなたはその状況で、あえて実際の動物の肉を選ぶだろうか。
多くの人は「それなら動物を殺さないでこれを食べよう」と判断するんじゃないかな。ピアノの鍵盤とかハンコにあえて象牙を使わないでいいのと同じ理屈。
もちろん、現状でそんな便利なものはないんだから現実的にヴィーガンになるのが難しいのは解る。解るが、ヴィーガニズムに理があることも解ってもらえるんじゃないだろうか?
感謝していれば権利を侵害してもよいということを主張してるわけですが大丈夫ですかね…
「いつも働いてくれてありがとう」と感謝すれば人を奴隷してもよいってことなってしまうのでは?
・ヴィーガンが自分たちの活動をアピールするために牛乳をぶちまけたりしているのは矛盾では
要するに言論でおとなしく反論しても世界は変わってくれないということで、それは全く間違いではないのかも知れないが、個人的にはこうしたパフォーマンスが有益だとは思わない。
ただ、一部の過激派を例にして全体を否定できないことも言うまでもない。
現実的に今すぐヴィーガンになるハードルがかなり高いのは実際のところかなりわかるけど、すくなくとも理屈としてのスジはわかってもらえるんじゃないかな。
畜産技術の進んだ現代でさえ、1グラムのたんぱく質を育てるのに13.5グラムの植物性たんぱく質が必要と言われ、家畜が食べた量の9割近くは、何らかの形でロスされ、その割りに育つのが遅く、肉牛になるには3年程掛かります。
文化人学者のマーヴィン・ハリスによれば、食の傾向はすべからく「損失」と「利益」によって決定されるそうです。
人々が牛肉を食べるのは、まだ利益が損失を上回っているからに他なりません。
恐らく、何らかの形で損失が上回った時、現在の牛肉食文化は転換を余儀なくされるでしょう。
ぐぐったら1・2時間の違いらしい
https://www.do-yukai.com/meal/27.html
https://www.gohansaisai.com/fun/entry/detail.html?i=680
鶏なら二十羽殺すところ、肉牛なら一頭殺せばいい。
命を大切にするなら、断然肉牛を食べた方がいい。
サイトを見ても「天然とんこつ」「天然とんこつスープ」という記載はあっても
何がどう天然なのかの記載は一切ない。
食品で「天然」と使う場合、基本的に「養殖」の対義語として使われることが多い。
辞書的な意味で見ても「天然」は「人の手の加わっていない自然なさま」という解釈が一般的だ。
だが、とんこつラーメンに用いられているとんこつはほぼ99%間違いなく飼育された畜産豚のはずだ。
もしかしたら野生の豚を捕まえてきてそれから取れたとんこつしか使っていない可能性がないとはいえないが、
だとしたらサイトにもそう書くだろう。
どう考えても養殖とんこつなのだと思うが、一蘭の中では天然とんこつらしい。
難しい話だ。
世界中の水は、人間よりも家畜用として多く使われています。世界の水の30%が畜産に使われ、5,000匹の豚は20,000人が住む街と同量の汚水を排出するとされています。
穀物1トン生産するために必要な水は1,000トン~2,000トンで、一日分の食糧を生産するのに必要な水の量はおよそ2,000リットルです。
日本人は一人平均一日3,000リットルの水を消費していると言われています。肉を食べるのを止めることは、節水に繋がります。
また、家畜の飼育工場から出る廃水は、水路や河川を汚染して人間にとって有害であることはもちろん、生態系全体をも破壊しかねません。
家畜も水飲むもんな
大型のエキゾチックアニマル・経済力動物を飼ったり、野生鳥獣を保護するならば、
でも、SNSや映像的な映えを狙って、上記の条件(1〜5)を満たしていないのに、
大型のエキゾチックアニマル・経済動物を飼ったり、大型の野生鳥獣を保護するヤツがYouTubeやTwitter上にいたりなんかするわけですよ
そんでですね、彼・彼女らが言うには『飼えなくなったら食べればいいじゃん』って言うんですよ
まぁ確かに犬猫などの愛玩動物と違って、食べても法的に問題は無いですし、
増田の親世代(60代)なんかだと、子ども時代に家で飼ってたはずのアヒル・鶏がいつの間にか居なくなってた、
そして食卓に上がってたと言うのがギリ発生した世代じゃないかな?って思います
ただね?それ以下の世代は、親が農業・畜産業の従事者でもない限り、命のやり取りとは距離がある世界に生きてきたはずなのですよ
犬食文化がある国のド田舎ですらペットとしていったん飼った犬は食いませんし、食う人は非難されます
で、『飼えなくなったら食えばいい』方向じゃない人らは、何をするかというと、『施設に引き取らせればいいよ』方面に舵を切ります
というか施設のオーナーの提供・サポートを元にやっているビジネスアニマルYouTuberってそれなりいますよね?
犬猫のかわいいSNS映えする時期だけ飼って、年をとって動画映えしなくなったり・視聴者に飽きられたら施設に引き取らせるよ!って
フツーに大炎上する案件だと思うんですけど、エキゾチックアニマル・経済動物だと許されちゃうのでしょうか?
繰り返しますけど、親が農業・畜産業の従事者でもない限り、命のやり取りとは距離がある世界に生きてきたはずなのに、
不快というよりは怖いです
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数ある中からわざわざ増田を選んで『サイコパス怖』とお気持ちを書いてるので、多少は汲み取れない当たり屋(←なお、誰も増田を読めとは頼んでいない)に付き合いましょう
b:Id:hilda_i “そんでですね、彼・彼女らが言うには『飼えなくなったら食べればいいじゃん』って言うんですよ”えぇ……、言うの?
b:Id:choosyf 彼らって複数形だけどサンプル数1だったりして。
b:Id:Arturo_Ui 「大型のペットはどういう環境で飼うべきか(=飼えなくなったらどのように処分すべきか)」と「飼っているペットを食用に供してもよいのか」、2つの論点を切り分けるべきかと存じます。
違ったものができたとしてもそれが食べられるものかとか、良いものかとかは別問題。
しかも、それほどお金をかけたものを吉野家で使う事はほぼほぼ無理、高すぎてコストに合わん。
よって、吉野家がそんな品種改良に関わる事はできないと推察される。
家畜改良増殖目標(以下「目標」という。)は、家畜の改良増殖を計画的に行
うことを通じ、畜産の振興を図ることを目的として、家畜改良増殖法(昭和 25
年法律第 209 号)第3条の2に基づき、おおむね5年ごとに家畜(牛、豚、馬、
めん羊、山羊)の能力、体型及び頭数等に関して 10 年後の目標を定めることと
されている。
...
https://www.maff.go.jp/j/press/seisan/c_kikaku/attach/pdf/200331-2.pdf
「交配」を使った品種改良では、必ず「固定」をしなければなりません。しかしこの「固定」をするのには、親を交配してから7~8回イネをくりかえし育て、種を取らなければなりません。しかしふつうイネは1年に1回しか育てられません。そのために「固定」を行うだけで7~8年もかかってしまいます。
...
...
ですから、交配を行うとき7~8年後、またはそれ以上先の時代に、どのような品種が必要になるのかを予想して交配をしなければなりません。この予想には、とても気をつかいます。
https://www.naro.go.jp/laboratory/tarc/rice_faq/variety/025101.html