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はてなキーワード: 浮世絵とは

2021-05-10

許せないはてなーを許したいけど許せない

弱者男性論で色々盛り上がってるけど董卓アイコン浮世絵アイコンが許せないことを日々思い出して辛い

2021-04-27

戦狼報道官の趙立堅氏、今度は日本批判でまたも微博風刺画Twitter拡散共同通信報道

福島第一原発事故の冷却廃水の海洋放出決定のニュース麻生大臣の「飲める」発言に対し「だったら実際に飲んでみろ」と強気呼応した中国外交部の趙立堅報道官メガネ男性)が、海洋放出批判する風刺絵をTwitter投稿し、日本政府が削除を求めて抗議しているとニュースになっている。

中国浮世絵で処理水を皮肉る 報道官北斎模倣投稿共同通信

https://this.kiji.is/759736731627012096

 

趙立堅報道官の元のツイートはこれ。

Lijian Zhao 赵立坚さんはTwitterを使っています

「An illustrator in #China re-created a famous Japanese painting The Great Wave off #Kanagawa. If Katsushika Hokusai, the original author is still alive today, he would also be very concerned about #JapanNuclearWater. https://t.co/NlTFkqvwmN」 / Twitter

https://twitter.com/zlj517/status/1386635238986510341

舟に積まれてる核物質に注目が行くが、拡大してよく見ると、白波の先が奇形の魚だったり赤子だったり手だったり芸が細かい

 

趙立堅報道官投稿した北斎イラスト転載である。元は微博絵師「一个热爱学习的男孩」が2020年4月20日投稿した作品

[good][good][good]转发@一个热爱学习... 来自沈逸 - 微博

https://weibo.com/1157864602/KbNDq8RGJ?type=comment

 

この一連の出来事に対して思い出すのは、昨年11月末に起きた豪州風刺投稿騒動

[ニュース速報][国際]中国報道官Twitter豪州風刺画像投稿挑発。モリソン首相削除要請。経緯と真相

https://anond.hatelabo.jp/20201130161905

これも微博拡散していた豪州批判風刺画を趙立堅報道官Twitter転載して起きた騒動で、豪州政府激怒してフェイ投稿だとしてTwitter運営に削除を求めていた(Twitter運営要求拒否ツイートは削除されていない)。

日本政府は流石に豪州政府のような的の外れた対応はせず、抗議先も削除要請先も中国当局である政府として全うな抗議だと思う。

ただ共同通信のこの部分が意味不明民主国家国民として豪州政府並みに恥ずかしすぎる。

日本文化対日批判に利用する中国政府高官の姿勢に、日本で反発が広がりそうだ。

浮世絵日本文化からそれを使って日本批判をするな!だって日本政府日本文化日本批判に使われたか中国に抗議したと思ってるの?アホすぎる。表現の自由って…

ニコニコ春画企画が事前番組の時点でめちゃくちゃ面白い

ニコニコネット会議2021でドワンゴ主催春画展を社屋で行っていて、こちらが企画ページ

https://chokaigi.jp/2021/plan/shunga.html

春画の前に全年齢が見れる番組として4月24日23から翌26時半頃まで行われた、

春画展」 第一夜 :浮世絵の名品からあぶな絵まで

がめちゃくちゃ面白かったので簡単に紹介する。

半分は展示協力していただいた浦上満氏が7月に予定している北斎づくしにつながるところも大きいと思うのだけど、

(こちらはこちらで北斎漫画原本を15巻*100冊を使って全頁展示するらしくって楽しみでしかない)

北斎漫画を集めつくしていても15組しかもっていない木箱入り全巻セットから取り出した初版と、

版を重ねた後期での線の潰れや人物名の変更を見比べ、祖父江氏の気のいいおっちゃんのようで鋭い言葉で行きつ戻りつして1時間半。

LIFE誌の世界100人葛飾北斎自画像として備後の三郎高徳掲載された理由や、

西洋画への引用について、あぶな絵が見えてそうなのをアップするところを変えて対応したり。

本番は今週末5月1日なので、アカウント持ってて見れる人は見てほしい。

他の企画だと

テキストモンスターNTT https://www.digitalcity.gr.jp/txmon/usage/)は語彙力を試せて

磁石祭(N高・S高 https://nnn.ed.jp/school_festival/)は熱量を感じられて好き。

2021-02-22

作品規制時代

江戸のころとか浮世絵歌舞伎演目公序良俗に相応しくなければ規制されてたって話を聞いて「大変だったんだな」と思ってたもんだがなー

まさか自分時代さら日本国内で同様の時代が来る思わなかった

これも色んな情報アクセスできて変な人に見つかりやすくなったインターネット時代弊害なんだろうな

ダークネット(笑)にでも潜るしかいかね?

いやどんなところなのかよく知らないんだけど

2021-02-19

anond:20210218230048

思いつく限り。

前提

  • 大人になってくると、(おおむね)異性に対して好意をいだくということが出てくる
  • 好きというのも幅があって、まあ素敵な人となんやかんやしたいという欲も出てくる
    • 話したい、好意を向けて欲しい、触りたい、などなど
    • また逆に、よく知らない・あるいは嫌いな人からそういった「なんやかや」をされるのは苦痛であるというのも、とても重要観点
  • こういう感情があることは、人間有性生殖という方式をとっていることと関係しており、おおむね不可避
  • 子供のうちはこの感覚が無いか薄いので、まだよくわからないとは思う

水商売について

遊郭について

水商売現在

以下略

2021-02-17

おっぱい

以下の記事に関する意見に「女性の胸は普遍的エロではない」的なものを見たので、反論

(いや、他人の体を勝手エロ対象物にするな、という意見は置いといて。もっとふわっとした話ね)

サル乳房に興味ないってことは、おっぱいエッチさを見出し特殊性癖のパイオニアがどこかにいたってことだよな

https://togetter.com/li/1668772

ここのブコメにあるような変な論を見る機会が最近増えた気がして、これってある種の「江戸しぐさ」的な奴が浸透してるのではないだろうか、と危機感を持ったので書く。


江戸時代風呂混浴だったから胸はエロではなかった(からそれ以降の舶来の文化である

→だったら風呂場で露出する性器自体エロじゃなくなる理屈だ。そんなわけあるか。

もっと安易でアホな意見だと思う。

ちなみに、着衣で入る蒸し風呂は「男は湯褌だけ」で、「女は湯巻(薄い着物のようなもの)」である。(「湯」はふつうに裸で入る)

ここからも「上裸における男女の扱いの違い」を感じないだろうか。

※ちなみに、風呂場で乱交する困った春画もたくさんある。混浴で辛抱たまらなくなる人もいたわけですね。(また、それに共感する人が大勢たから絵になっている)

ていうか、風呂での売春が多かったことや女湯の覗きが取り締まられてたのも有名な話だよね。


昔の農村部で胸を露出するのは日常だったので、胸はエロではなかった

着物構造を考えればわかるが、胸どころか下だって大して隠してないわ。

作業や力仕事をするときは裾を捲ることだって多かったわけで、大して意味のある話ではない。

まり昔は、裸に対する認識そもそも違ったと考える方が理解やすい。

風呂」「畑」のような日常空間もっといえば道ばたでも)で見る裸は多くの人にとって「エロいと認識されなかった」ということ。

「裸がエロい」んじゃなくて、「エロいことする空間」だから裸がエロくなるという理屈だ。

現在のたとえで言うと、ヌーディストビーチなんかも実際行くと興奮しないというのと同じである

逆に、現代の街中で全裸の人がいた場合でもエロより先に恐怖を感じるはずだ。


江戸時代春画では胸がエロ扱いされていなかった(から、昔の日本では胸はエロではなかった)

→確かにそういうものが多いが、普通におっぱい好きの絵師だってますがな。都合よく無視せんといて。

「着衣でおっぱい吸ってるだけ」の授乳プレイ春画すらあんねんぞ。

明らかにエロ目線で「胸だけチラリしてる」浮世絵いくらだってある。子供への授乳画もやたら多いし。

というか「江戸時代春画だけ」で昔を語る方が主語がでかすぎる。

そんなん、レイプ絵や輪姦アクメ堕ちの絵が春画に沢山あるから「そらみたことか!女はレイプされたがっている!」と豪語するくらいに間抜けである

逆に春画おっぱい軽視な特殊例だという発想はないのだろうか。


胸は尻に似せるように進化したものである

→本題とは直接関係ないが、最近やたら目にして気になってるのでこれにも反論

進化などに詳しくないのでわからないが、結構胡散臭い話だと思う。

なぜなら発情期の猿の尻の写真を見ればわかるが、人間の尻とは似ても似つかないのだ。赤く膨らんだ猿の尻はどっちかというと「腫瘍とかそれ系」である普段の尻も全然違う形だ。

人間の尻は「二足歩行進化することによって」、人間の尻という独自の形状になったのである

人間のように直立すると肛門真下位置するため、垂れ流しにならないよう括約筋や周囲の筋肉が発達し、あの独自の尻たぶができたのだ。

概念上は同じ「尻」でも、現実の形は別物なのである

人間けが排泄後に念入りに尻を拭く必要があるということ自体人間の尻が特有の形をしている証明だ。

猿は尻で求愛するし、シマウマなど魅力的な尻を持つ哺乳類もいる(検索してみてほしい)が、からといって「胸=尻に似せて進化した」説はあまり安易だと考える。

どの尻に似せて進化したんだ。

※また、女性の胸のふくらみも、人間特有頭蓋骨進化が関連しているという説がある。

猿含め他の哺乳類は口蓋が前に突き出しているので平らな胸でも乳を吸えるが、人間は脳の発達により頭蓋骨が変化し顔面が平らになったため、乳児が乳を吸いやすいように胸が突出したという説である

真偽のほどは定かではないが。


サル乳房に興味ない」ってのも本当なんだろうか

→正直詳しいことは何も知らんのだが、猿の外見から簡単に雄雌を見分ける手段として「乳首が目立てばメス」というのは動物系のドキュメンタリーでよく聞く話である

これだけで判断はできないが、少なくともある種のシンボルではあると思うのだが。

※また、少し話がそれるが、「発情期を有する猿」と「年がら年中発情期の人間」を単純に比べること自体、実はかなりおかしいのではないかとも思う。

大体、猿のほとんどはポコチンにも骨があるのだ。そこからして違うのに、猿の延長で人間セックスを考えるのって正しいことなのかね。

専門家ではないので、どの程度切り分けるべきかはわからないが。


女性目線は?

→これも無視されがちですが、女性の内のかなりの人数(すべてとは言わない)が性行為中に胸というか乳首を触ると、わかりやす快感を覚えるわけです。

そこにエロを見出す方がむしろ自然なのではないか


そもそも

そもそも「性を意識する年頃」に合わせて女性の胸が目立ち始める、という根本的な大事件を忘れていないだろうか。

「性が!性が!異性!異性!」となっているときに、同世代女性はお胸が膨らんでいるのである

意識しない方がおかしい。

しかも触ったらなんかやわっこくて気持ちいいのである

エッチときに触られて気持ちいい女性も多いのである

時代文化によって興味の差はあれど、エロ対象にならない方が不思議だと思うのだが。

2021-02-13

anond:20210213233942

富士山はい噴火してもおかしくない

もっとも、江戸浮世絵にも遠景に噴火する富士山が描かれているわけだが、

庶民普通暮らし継続できている

仮に今、富士山噴火したらふもとの静岡とかは大ダメージかもしれないけど、

首都圏は降下する灰の影響もなくはないけどそれは限定的だと思われる

2021-02-09

マツケンサンバ松平健かっこよすぎわろた

顔が浮世絵歌舞伎役者すぎる

そもそも白人基準感覚日本人の顔を評価することがどんだけ馬鹿馬鹿いかっつー話だよなぁ

2021-01-31

anond:20210128150616

浮世絵とかでは、東京で雪が降ってた景色が残ってるんだよ。

2021-01-10

教養を身につける気のないオタク存在が謎すぎる

オタク文化って端的に言えば「商業ラインに乗った芸術作品を消費する文化」なわけじゃん?

芸術を消費するってのは、最初は単に感覚的にそれを認識するだけに終わるけど、段々そこに付随する歴史だとかについて興味を持ってくもんじゃん?

例えば歴女最初のうちは「竜馬カッコイイぜよ~~~」でしかなかくても、そのうち「そもそもこの時代海外との貿易が~~大陸ではこれこれこういう文化が~~島国というもの特性が~~」とやたら縦横に深く情報を掘り進めだすものじゃん?

オタクってのはそういう傾向、「自然教養を身に着けようとしてしまう癖」があるものだと私は思ってるわけじゃん?

でもそれが一切ないオタクいるか不思議じゃん?

葛飾北斎たそ~~」とか抜かしてるオタクが「え?浮世絵って全部作者が書いてるんじゃないの?」みたいな事言い出したら恐ろしいじゃん?

でもそういうオタク実在するじゃん?

不思議じゃん?

2021-01-09

浮世絵ってすごいよな。

と思う時があって。

だったら集めてみればいいじゃん。

と天から声が聞こえてきて。

でも美術品集めるとか無理だよ、そんなん。

と思ったのだけれど。

なんで出来ないって決めつけるの?まずやってみなよ。

という声が聞こえてきたので、

とりあえず永谷園から始めることにした。

というのは冗談だけど(いや本当に永谷園も集めてるけれど)、

浮世絵はいいよ。

2021-01-07

絵の先生で「漫画みたいな輪郭はですね~~雑魚の証ですね~~ムッフフフン」みたいな奴って版画馬鹿にしてるの?

世界で最も評価されてる日本芸術文化とも言える浮世絵だって版画だし、めっちゃ漫画的な輪郭線入れまくってるけど?

お前さ、浮世絵がもし存在しなかった場合日本芸術会における立ち位置の低さどう思ってんの?

マジお前その一言で程度が知れるんだが。

美味しんぼに出てくるなんちゃってグルメやられ役おじさんか?

2020-12-26

anond:20201226011320

日本画家山口 晃はニコニコで「かつて静物画って聖書モチーフが入ってればあとは何描いても赦されたんですよ」と語っている。逆に言えば聖書モチーフが入ってない場合絵の価値が揺らいだことにもなるが、山口の言うことに沿うならば、聖書モチーフ入りという"言い訳"(山口の言い方ママ)さえあれば、そのルールにさえ則っていればなに描いても赦されたという話らしい。

なぜそんな話になるのかといえば、かつて油絵世界では卑俗な民衆を描くことはタブーというより常識的な振る舞いではなかったから。故に印象派などが大量にポートレイトを描いていた事自体古典からすれば大変奇異に映ったに違いない。かつて油絵といえば王侯貴族やそれこそ聖書モチーフ世界しかなかった。

今で言う萌え絵キャラクターという聖典基準値にして、大きく解釈がズレない限りは赦されて評価される。いわばかつての油画のような文化がある。多分浮世絵なども同じような洗礼の中にあったんじゃないのか。

2020-10-19

anond:20201019021425

アニメ化からでないの?俺は浮世絵の波描写凄いみたいな話でアニメに入った気がする

2020-10-04

anond:20201004163752

頑張って集めたオタクコレクション死ね粗大ゴミになる。

そのことに気づいた一部のオタク浮世絵などの芸術品に擦り寄り権威を求めた。

だがオタクの大多数は反権威から彼らの足を引っ張る。

2020-09-20

完全に消えたメジャー娯楽ってないのかな

一時は覇権をとってたけど今はマジでゴミ、ほぼ誰も知らない…みたいな

剣闘とかか?でもボクシングとか格闘技って根幹が剣闘だと思うんですよね 

浮世絵なんかか?でも漫画とかも様式が変わっただけで要は浮世絵と同じソウルな気がするな

ラジオ…は全然生きてるしな

狩猟もちょいちょい見かける 娯楽としてじゃないかもしらんが

メンコとかは死んだといってもいいかしら 流石に今日常的に趣味としてやってるやつは相当少ないし、かつてはかなりメジャーだった気がする ガキ向けとはいえ

デコレーションメールなんかもいい線いってるか?今やってる奴いないよな多分 ラインスタンプが魂を受け継いでるとも言い難い気がする 限定的流行だったとはいえこれもなかなかいいか

馬上槍試合別に娯楽じゃねえか

乗馬とかどうだったんだろうな かつてより上流階級のものな気もするな

海外旅行!とかいうと悲しくなってくるからやめよう

野球なんかわかんねえな 今のガキって野球部とか授業以外で野球するのかな キャッチボールしてるのくらいは見かけることあるけど試合成立する規模の草野球って見たことないな でも流石に死んではないか

からない 全部多少は生きてる気もするし、メンコなんかは滅んだといっていい気もする

2020-09-17

婚活帰りにBL漫画を買う

日曜日婚活パーティーに行ったのだけれども、残念ながらマッチングしなかった。仕方がないことだけれども、こちらが気になった人に選んでもらえなかったのはちょっと寂しい。そういうわけで、繁華街ツタヤ漫画でも買って帰るつもりで足を運んだ。

本当だったら地元有隣堂で買うつもりだったのだけれど、持っていた歴史の本は読み終えてしまっていて、帰りの電車で手持ち無沙汰になるのが嫌だった。ついでに、部屋を掃除して見つけたクオカードを使いたかった。残念ながら、ツタヤではクオカードが使えなかったけれども。

買ったのは中村明日美子短編集で、2冊買ったから、日曜日の帰りの電車と、昨晩の仕事帰りに分けて読んだ。この人はまず絵がきれいから額縁に入れて飾っておきたいし、BLGLも、感情がこじれてもお互いが本当に好き合っているのが感じられて素敵で、シリアスコメディもうまくて、芸風が広い。何度読んでも飽きないし、いつの間にか全部のコマを覚えてしまうくらい読んでしまう。私の漫画の読むときはこんな風に短篇集を何度も読み返すことが多くて、本棚漫画の数はそれほど多くはない。そもそも私の主食活字で、漫画はおいしい食後のデザートみたいだ。なぜかあまりたくさんは読めなくて、お腹いっぱいになってしまう。

で、中村明日美子作品を読んでいると、好き、以外の感情がなくなってしまう。わかりやすい話のときも、平凡さを感じさせないのはなぜだろう。起承転結テンポの良さ、箸休めギャグのせい? 絵が美麗だからそこに入り込んでしまっているから? 言葉にすると、なんだか普通のことでしかないようだけれど、普通のことを当たり前にやるのは創作では難しい、と元文学サークル所属の私は思う。

童話翻案も素敵だ。あまり上手じゃない人が童話翻案すると、全部似たような話になってしまうのに、中村明日美子はそんなことが全然なくて、切り口が私にはとても思いつけない。昔、兼部していた合唱サークルで、結局そことは喧嘩別れをしてしまったのだけれどもそれはさておいて、合宿で学年ごとに寸劇を出し物としてやることになった。でも、どの学年も童話パロディで、凡庸だな、ってがっかりした(この感想にはきっと恨み言が混じっているから話半分に聞いて欲しい)。でも、この人の作品には全然そんなところはない。

読み通すと、美術館でだらだら、ぼんやりしたような幸せな気分になれるので、とにかくおすすめしたい。六本木でやっていたミュシャ展がすごくよかったときも、この間の浮世絵展も、こんな感じだった。だから、最高の帰りの電車だった。

ところで、結局使えなかったクオカード、何に使おう? また婚活頑張ったらご褒美にしようかな。

2020-09-11

映像がある時代のほうが想像しにくい

縄文時代イメージしろ、と言われるとカラーの実写で想像できるんだが、明治時代って言われるとモノクロ解像度低い写真ベースイメージしか出てこないし、平安時代って言われると紫式部肖像画みたいな絵柄でしか想像できない。

実際はどの時代フルカラー3Dだったんだが、現存資料があるとその表現に引っ張られてしまう。江戸時代なんかは時代劇があるぶんちょっとマシだけど、やっぱり浮世絵も頭をよぎる。

 

将来、ホログラムなりARなりVRなり、まあよくわからんけど3D映像が気軽に撮れるようになったりして2D写真時代遅れになったら、俺たちは2次元を生きていた存在として回想されたりするんだろうか。

いや、さすがにそうはならないかな。写真は独特の魅力あるよな……って思考老害っぽいな。

どうなる未来映像現代リアル想像しにくいと思われるのか…?

2020-09-08

競泳水着全裸水泳海女さんのふんどし

私事

他人迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリア混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所日本にないのは残念だ。何も混浴しろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。

さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである

本題、水泳水着歴史

以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。

有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマビキニには漫画テルマエ・ロマエから言及があった)。つまり絵画の水浴図で誰もが全裸なのは西洋画家猥褻妄想ではない。

水着歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場女性ガウンのものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫シャーロック・ホームズライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。

ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代ビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外観光案内に、トップレス女性写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツオーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。

また、一部のスポーツ施設では、男性全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本CFNMエロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きであるリンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。

なお、女性水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に生理時の衛生管理問題もあったそうである

ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉イギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。

この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国世界リードする国家運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランド英文学史の本にも載っている。

競泳水着歴史

海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である

https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear

上記記事によれば、女性オリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年ストックホルムでのこと。競泳水着歴史は、ここから語られるべきだろう。

初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太もも露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである

ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。

1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。

そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。

女性ふんどし……?

つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどし一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房露出があるのでリンクは控える)。エッチマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。

https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/

https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg

これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。

昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物しまうことで、取りすぎることを防ぐそうである

http://www.chie-project.jp/001/no15.html

たぶん、女性ふんどし使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SM不勉強もので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。

結論

今後の展望

考えてみれば、自分ふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。

今回はここまで。疲れたので、ビーチバレーなどの詳細はまた今度。

2020-08-25

萌え絵の女も気持ち悪いし浮世絵の女も気持ち悪いし日本人の歪んだデフォルメ美的感覚はおれには合わない


今年のお盆浮世絵ばかり見ていた気がする。一週間ほどの休みのうち、三日間浮世絵を見に行ったのだから美術エンジョイ勢の私にしてはかなりの頻度だと思うし、そのすべてが浮世絵というのも、今までになかった行動パターンだ。楽しかったので、ちょっと振り返ってみる。

最初に行ったのが六本木の「おいしい浮世絵展」だ。友人に誘われて行くことになったのだけれども、食をテーマにしていたため、浮世絵の細かい歴史を知らない自分でもかなり楽しめた。加えて、江戸の町や東海道沿いの名所は今でも残っていることが多く、そこに残る名店の様子を紹介する映像も流されていたため、食欲をそそられた。美術館ではあまり味わえない気分だ。江戸時代の食事レシピが載っている本や、当時醤油を詰めて輸出した磁器も展示してあった。

鑑賞後はお腹が空いたのと、美術館の意図したとおりに和風のものが食べたくなったので、私たちそば和菓子屋わらび餅をいただいた。そこには和風パフェもあって、抹茶好きの私としてはそれにも心惹かれたのだけれど、結局はわらび餅に落ち着いた。パフェはどう見ても夕食前に食べられる量でもなかったからだ。私たちはそこで友人の姪っ子の話だとか、仕事の苦労とかについて話した。もちろん、見たばかりの絵でどれが良かったかについてもたくさん語った。

私にとって面白かったのは、歌舞伎座舞台にした浮世絵だ。お客さんが桟敷で弁当を食べたり酒盛りをしたり好き勝手に楽しんでいる。中には花道を横切って弁当を届ける姿もあり、なんともおおらかな世界だったらしい。それと、そこにいたのが美男美女モブ顔の男性だけだったのが興味深かった。北斎なんかだと、いわゆる美人ではないけれども愛敬のあるおばちゃんが出てくる。なんでだろう。というか、北斎漫画、今でも普通に笑えるので好き。

次に行ったのが上野の「The UKIYO-E 2020 -日本三大浮世絵コレクション」だ。たっぷり二百点近くあるので、あっさり見ても三時間くらいかかってしまった。「おいしい浮世絵展」もそのくらいかかった気がするが、友人と一緒だったので多少は疲れが紛れた。だが、今回は一人だったので、より疲れた。私はジョギングが好きだし、友人と富士山に登ったこともあるので、体力はそこそこあるのだけれど、立ち止まっては進み、立ち止まっては進み、を繰り返す美術館では、結構ぐったりしてしまう。

とはいえ疲れた以上に収穫があった。おおよそ年代順に並んでいたので、浮世絵がどのようにして技法精緻にしていったのかがよくわかったし、歌舞伎俳優グラビアみたいな雰囲気から市井の人々も描くようになっていく様子も楽しめた。

でも、私はやっぱり北斎広重が一番好きみたいだ。この二人はどちらかといえば風景画家で、だから他の人に比べると人物が画面に占める大きさは小さい。当たり前といえば当たり前なのだけれど、私が北斎を見たときにそれっぽいと感じる理由の一つが言語化できたので、何となく気持ちが良くなった。

浮世絵には詳しくなくても、どういうわけか心に残る作品はあるもので、以前に世田谷かどこかで見た広重の「亀戸梅屋舗」と再会できたのはうれしかった。もちろん、浮世絵から一枚ごとに刷り具合が違うのだけれど、私が好きな雰囲気のもの出会えたので、なんだかうれしかった。企画展でよその美術館にあった作品と思いがけなく再会できると、やっぱりうれしい。

あと、驚いたのが歌麿の「娘日時計」という、女性の様子を時刻ごとに描いた作品集だ。やっていることが美人時計と全く同じではないか

あと、思わず笑ってしまったのがこんな事件寛政五年に幕府モデルとなった実在人物名を浮世絵に書くことを禁じたときに、浮世絵師が対抗して、人物名を簡単に解読できる判じ絵表記したらしい。たとえば、歯と手と菜っ葉の絵を描いて、「はてな」と読ませるみたいな感じだ。誰がモデルにした作品なのか簡単に読めるのだけれど、幕府としては人名を書いていないのでそれで良しとしたらしい。お役所出版社の腹の探り合いみたいだ。それか、ちょっとエッチなたとえだけれど、成人向け漫画修正しているんだかしていないんだかわからないアソコの黒線みたい。

ところで、何の関係もないけど、上野駅の公園改札の場所が変わって、信号を渡らずとも済むようになった。あそこは人が溜まっていて危なかったし、いい変化だ。そうそう、横浜駅にも中央南改札と南改札をつなぐ通路ができて、階段上り下りしてホームを経由しなくても移動できるようになったし、新しいエキナカのお店ができた。今度行ってみよう。

最後に行ったのが表参道の「月岡芳年 血と妖艶」。とてもよかった。女性図は、ちょっとしたしぐさからこの人はどんな性格なのかが伝わってくる。細かい動作どれ一つとして見逃せない。血みどろの絵もただ凄惨なだけではなく、今にも動き出しそうだ。たぶん、動き出す直前の瞬間をとらえているから、次にどうなるかが私に見えるのかもしれない。日本歴史歌舞伎取材した作品もよかった。歌舞伎は詳しくないけれど、太田記念美術館は概して解説が細やかなので、どの話のどんな場面かがよくわかる。歌舞伎は三回くらいしか見に行ったことがないけれど、またちょっと行きたくなった。それとも、著名な歌舞伎のあらすじを勉強するのが先かな。

ここでは作品一覧の紙がもらえたのはよかった。新型コロナウイルスのせいか、以前は配っていたのに前の二つの美術館は置いていなかったので、作品名前メモするのが大変だった。

なお、ここは前編と後編に別れていて、今月の終わりに展示替えをするらしい。時間があったらまた行ってみたい。上野のほうも展示替えがあるけれど、また三時間じっくり見るのはちょっと大変かな。

最後に、自分でも意外だったこと。はじめのうちは、美術館はふらりと行くのがいいのであって、予約するのは面倒だな、って考えていたんだけれども、慣れたらそうでもなかった。そういう意味では、三回連続して美術館に行ったのは正解だった。それに、浮世絵のことが前よりも好きになれたので、そういう意味でもよかった。

気が向いたら九月も浮世絵見に行くかもしれない。

ちなみに、今週の末には、横浜トリエンナーレ現代美術を見に行くのだけれど、それも楽しみだ。

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