はてなキーワード: 検算とは
もしも300万円くらいの車が、最小の部品価格が税別10円で構成されていたら、
前提:
④1万円超えたところで、最大の部品の単価ということにする
⑤300万円超える部品が集まったところで、それを車の正確な定価とする
最小部品の単価 10円 → 消費税(8%とする) : 0.8円
第2部品の単価 =10円 x 1.1(中間マージン) x 10個
第3部品の単価 =110円 x 1.1(中間マージン) x 10個
第4部品の単価 =1210円 x 1.1(中間マージン) x 10個
=13310円 → 消費税(8%とする) : 1064.8円
第4部品の単価が1万円超えたので、これを最大の部品の単価ということにする
すると、ここにさらに中間業者が10%上乗せし、300万円を超える個数を
300万円を超えるには、205個の第4部品(中間マージン込み)があればよさそう
ということで、正確な車の価格は、
3,001,405 円 → 消費税(8%とする) 240,112円
ということは、国が最終的に手にする消費税は
240,112円
96.8円 x 205x10個 = 198,440円
0.8円 x 205x10x10x10個 = 164,000円
TOTAL \1,001,236円
ん?車の定価に対して3割も国がもらっている?消費税は8%なのに?もらいすぎじゃない?
これ、定期的に話題になって、いつでも意味ない派が大多数なんだけど、意味あるケースも多々あるから。
まず、Excelの内容が正しくない場合がある理由は多岐にわたる。
・誤った計算式を設定した(されていた)
・データソースが外部サービスのとき、外部サービスの方に誤りがあった
など。
で、誤りの検知方法なんだけど、ざっと見ればわかるはずとか、眺めればわかるはずとか言ってる人が多数だけど、それじゃ見落としのリスクが高いから。
文章だって、一字一句確認しながら読んでも誤りを見逃すことが結構ある。だから、校閲という職種が存在するんだね。
電卓でチェックというのは、そういう誤り検出のメソッドの一つ。
・チェックのカバー率が常に100%(文章で言えば、一字一句飛ばさずにチェックするのと同じ)
同じ時期に未経験から中途採用された三十路女ばかりの弊社事務アシスタント。
お互い不出来なところもあるし、フォローしあってやってきたけど、一人とんでもない人がいてフォローが限界。
データ入力を頼まれて分担したら、チェック用の数式の参照範囲が変わっていて検算が合わないのに、それを出来上がったと上司に送る。最後に相互チェックしてからまとめて送りましょうね、って事前に決めてたのになんでそういうことしちゃうの?
水曜締め切りの仕事に火曜午後まで取りかからずにいて、結局締め切りの時間になってから出来そうにないから締め切り伸ばしてくれってもうそれ何度目?その後始末、他のメンバーが残業してるのに何も言わずに定時で帰るのはなんでなの?
そもそも仕事終わりそうにない状況なのに上司捕まえて一時間近く自分の大学時代の話を延々と続けているのは一体どういう理屈なの???
課長も部長も「彼女なんか世界観が独特だよね」とお茶を濁すだけで別に注意も指導もしないのは怠慢すぎるわ
本人に、締め切り直前で出来ないと言われても困るから半日前までに進捗教えて欲しいって頼んだら、半日前になってから「これから着手します〜」って…
それ本当に終わるの?他の人の倍以上の時間かけて完璧なもの出してこない人が今から着手?終わらないんじゃないの???と思うから、今からなら手伝いますよって伝えても、「私が頼まれた仕事なので私が最後までやります!」っていうけどさ、それ最後結局課長から他のスタッフ宛に「確認お願いね」って回ってくるんだけど?最後までできてないじゃん???
他スタッフ同士ではもう彼女に対してドン引き通り越して触らぬ神に祟りなし状態なんだけど???
脳に障害でもあるわけ??
日がな一日黙って座っててくれたら相当されだけでも平和なのに、手が空いたからって話しかけられても、頼める仕事用意するのに余計な手間がかかるんだよ!!!!!
彼女がいることで良かったことなんて、他スタッフ同士の連携が高まったり、前職経験をお互い生かして効率的に仕事する雰囲気が出来たらしたくらいだし、それだってもう「彼女がいなければもっと効率的なのに」っていう雰囲気が滲み出てるんだよ!!!!!
一言でまとめると「自分が支持し、主張する立場の恣意性(非論理性)に無自覚な人間が多すぎる」。
青識亜論まわりでいま丁度燃えているけど、個人的な印象論の範疇で言えば、フェミニストやLGBT側の立場の人間は、「自分が他者を抑圧している可能性」というものに無自覚すぎるんですよ。
「自分が、自分自身にとって大事だと思う権利を守るために、それを侵害する他者の権利を抑圧する」、これ自体は別に珍しくもなんともない。だけど、それを無自覚にやるのは流石に問題がある。丁度、「ラノベの表紙が気持ち悪い」「LGBTが気持ち悪い」「殺人」を等価に置いた社会学者がいたよねという話題でもそれは結構散見される。
今更こんなことを言わなきゃいけないくらいに人類の知性は発展してこなかったんだという事実を目の当たりにするのは悲しいけれど、「論理的に等価である」というのは別に珍しくもなんともないんですよ。
「LGBTが気持ち悪いと思う権利」も、「ラノベの表紙が気持ち悪いと思う権利」も、誰にだってあるんです。
そこから一歩進んで、「LGBTが気持ち悪いと発言する権利」も、「ラノベの表紙が気持ち悪いと発言する権利」も、誰にだってある。ただし、そこには発言したなりの責任が伴う。「LGBTが気持ち悪い」と発言することによって、LGBTである人々を抑圧することはあるでしょう。それと同じことで、「ラノベの表紙が気持ち悪い」と発言することによって、ラノベの表紙を描くことをライフワークにしているイラストレーターさん・ラノベの表紙によって生きる糧を得ている人々(ざっくり言うと女性から切断された「キモくて金のないおっさん」を例に挙げておきますが、もっと単純にそれを単純に「いいイラストだなー」と思いながら受容する人々[男女問わない])を、抑圧することもあるでしょう。
では、その二つの何が違うかって、「何かを気持ち悪いと発言することで、どれだけの存在を保護しようとしているのか。そうすることで、どれだけの存在を切り捨てることになるのか」という違いでしょう。
LGBTへのヘイト発言を禁止することで救われるLGBT当事者の気持ちの価値は、LGBTへのヘイト発言を禁止された人々の気持ちの価値を上回る。LGBTに対するヘイト発言は、LGBT当事者を下手すると死にすら追いつめてしまう可能性があるし、そういった想像は容易だからだ。
では、それと論理的に等価であるところの、「ラノベを気持ち悪いと発言する」ことの場合はどうなのか。ラノベを気持ち悪いと言われることで抑圧される対象は、発言を受けたことでLGBT当事者と同程度に守るべきなのか。これは個人的な見解だが、同程度の重みを持たせることは、少なくとも想像の範疇では難しいのではないかと考えている(これは、あくまで個人の想像の範囲である)。
だけど、そこから一歩進んで、「気持ち悪いから規制すべき」という話になると、話は別だ。
「LGBTは気持ち悪いからその権利を規制すべき」となったら、まあ、少なくない人間が直感的におかしいと思うだろう。「気持ち悪い」という内心の権利を守るために、他者の人権を制限するというのは、保護法益のバランスが全く取れていない。
では、「ラノベの表紙が気持ち悪いから、ラノベの表紙を制限すべき」という話になると、直感的におかしいと思う人が減る、という印象が、本増田にはある。減る理由はわかる。当事者の属性の違いだ。LGBTである人々の存在は、少なからず想像がつく。フェミニズムが守ろうとしている「女性」という存在も同様である。それに対して、「ラノベを表紙を制限することによって抑圧される人々」の存在がやや想像しづらいというのは、まあ、わからなくもない。
ラノベの表紙は「娯楽」である。娯楽に対して、LGBTというのは在り方そのものである。在り方そのものと、娯楽とであれば、そこの比重が異なるのはわかる。だが、世の中には、少数であっても、「ラノベの表紙を書くのが生業である人々」「ラノベによって救われている人々」が存在する筈なのだ。そこにあるのは、人類の数%(1億人近く)の権利を守るために、数千人の権利を縛るべきかどうか、という利益衡量の問題である。人類の半分である女性の権利を守るために、何千万人と存在するミソジニーな人々を抑圧すべきか。あるいは、女性の権利を守るために、ラノベに関係する人々の権利を抑圧すべきか。
ここで本増田が言いたいのは、「お前の発言で抑圧される人々がいるから、ラノベの表紙を気持ち悪いと言うな」という話ではない。
現実世界において権利と権利がぶつかるのは当然であって、そのような現実において、ある特定の立場の人々を「守らない」という選択をするのは、仕方がないことだとは思う。だけど、その「守らない」という選択をしたことから目を背けるのは、誰がどう取り繕ったとしても、欺瞞でしかありえない。
LGBTを気持ち悪いと思ってしまう人間にとって、それは仕方がないことだ。だが、発言した瞬間に、LGBTの人々を敵に回す覚悟が必要だ。
それと同時に、ラノベの表紙を気持ち悪いと思う人間が、それを口に出し、主張する場合、「他人を抑圧する」という現実から目を背けてはならない。
況んや、「規制すべき」という話になると問題はかなりでかくなる。ここに来ると、「規制すべき」という形で、表現の自由の問題が関わってくるからだ。
「表現の自由」は、誰かが誰かから抑圧されないための権利である(それは主に公権力であることが多かったが、それ以外の私的権力からの抑圧を防ぐためでもあろう)。それは、どんな人間にとっても、本来的に備わっているものである、と法学は人権の定義をそのように構築してきた。それを制限するためには、それなりの整合性、具体的には「保護法益がどの程度大きなものなのか」を精緻に検算しなければならないと、様々な判例の構築によってその線引きを見積もってきた。世の中の人々が考えている以上に、表現の自由はものすごく大きなものなのだ。
それに対して、気軽に「ラノベの表紙が気持ち悪いからそれを制限しよう」と言い出す人たちは、その権利の重さをどの程度理解しているのだろう。「ラノベの表紙が女性を扇情的に描くことで、女性蔑視・女性の「モノ化」・男尊女卑的な観念等を強化する」というのは理解できる。そして、それを守ることがそもそも男尊女卑的な、フェミニズムが批判し続けてきた構造権力を強化するから全く擁護できない、という話もわかる。
だけど、それを主張することで、逆に自分たちが誰かを抑圧する可能性について無自覚か、目を背けているひとが多すぎやしないだろうか。
最悪、抑圧が発生するのはいいよ。民主主義ってものは絶対に少数派の意見を切り捨てる(厳密に言えば、多数派は少数派の意見を最大限聞かなくちゃいけないのだが、本題から逸れるので一旦措く)ので、仕方がない、避けようがない部分もあろう。でも、「そもそも自分たちは誰も抑圧していない」と言いはじめるのは、何か違うんじゃないか?
俺が、青識亜論は少しむかつくけどそれ以上に彼を擁護したくなるのは、それが原因だ。青識亜論は特権性について何度も言及していた。市民社会において、どのプレイヤーも、プレイヤーとしては等価な筈なんですよ。市民が市民を抑圧することはできない。市民は抑圧に対して抑圧に反発する権利がある。その権利が、あたかも存在しないようにふるまう少数派が多すぎる。
せめて、「私は少数派の権利を守るために多数派の権利を抑圧する立場に立ちます」くらいの大上段はふるってほしいものだ。本増田はその権利を守る。
Aくんにきちんと「説明」できないとしたら、Aくんが「彼基準では」間違ってない可能性もあるよね。
例えばあなたが「小学生10人のチームに配属された」として、集計作業を全部「たとえば、1こ、2こ、5こ、3こ…と注文がきたら、面倒くさがらずに必ずペアにして、「1+2=3、5+3=8 だから3+8=11」って書いてね。で、最終的な合計だけを返して。」とか指示されて、一応その通りにしようと思っても、そんな入力が1000個くらいあったら、さすがにキレそうにならない? もう少し業務改善できないのかとか思うんじゃないかな。でも、社員の基本が小学生だとしたら、そうしない限り「いつでも誰でも検算できる」保証がなくなってしまうわけで。でも、そんな作業で残業とかさせられたら、そのうちこっそりエクセル使っちゃうんじゃないかな
で、見つかって「ダメだよ、言うとおりにしないと。」とか「なんで言うとおりにしないの?」とか責められたら、あなたの返事もAくんのようになるだろうね。「数字を二つづつ足し算して書くってことですよね。分かりました→やらない」「すみません、でも~(延々と自分がなぜそうするかの説明、ただし周囲には理解できない)」…ね? 実際にAくんとその周囲に大人と小学生ほどの差はないかもしれない、でも、Aくんがこれまでいた環境は、大学などの「みんな賢くて共通の関心を持って独立して有能で熱心である」ことを前提に構築された組織。対して一般の会社などは、「グループで作業し、一定の確率で恐ろしい怠惰、無能、不誠実な人間が存在して、それでも致命的な事態が起きないように」設計された組織。前者に適応していた人間にとって、後者の組織に放り込まれたときの違和感というのは、それこそ大人が子供の集団に放り込まれたくらいあるわけよ。
というわけで、Aくんに「言い聞かせる」ことができる人がいるとすれば、Aくんの違和感を理解して寄り添うことのできる人でしょうね。同じ違和感を感じて、そのギャップを乗り越えた経験者、Aくんにキレずにその説明を聞き理解し、なぜそれでは困るのかをきちんとAくんに納得がいくよう説明できる人。そういう人を探してお願いするしかない。そうでなければ、遠からずAくんは病むか退職かの二択を迫られることになるよ。それはあんまり好ましいとは言えないことだよね。
化学が壊滅的に悪かったからです(地理も悪いですが、それはいつも通りなので())。
友達がいない(死にたい)僕は、周りの人たちがどれ程の点数だったのか気になっていて、もし良かったらみなさんの自己採点も聞かせて欲しいです…
では、僕の自己採点結果をとりあえず。
因みに、僕の志望大学は、九州大学医学部保険学科(放射線技術科学専攻)です。
リスニング 38/50
数学IA 83/100
数学IIB 100/100
物理 88/100
化学 68/100
地理B 69/100
今まで化学も大体8割後半〜9割前半を維持していただけに今回のこの点数はショックです。まさにココロが折れる場所…
代わりに、良かったこともありました。
まずは数学IIBで満点だったこと。今回の数学IIB簡単でしたよね?15分くらい余ったので、積分計算の検算までできました。数列のシグマ計算が無かったのも大きかったかと(大体いつもマーク模試で、答えが4桁になるシグマ計算が出てたので、いつも計算ミスしてたんですよね…)
二つ目は、国語の第1問が48点でした。代わりに小説と古文が爆発しました。評論で漢字以外全くミスがなかったのは今回が初めてです。
三つ目は、ついに英語の筆記で9割を取ることができたこと。(自称)英語大好き人間(得意とは言ってない)で、休みの日は大体英語の勉強してた成果がだんだん実ってきた感じです。でも、リスニングが伸びない…河合塾では、毎週リスニングチェックテストをやってて、それはいつも満点なんですが、マーク模試になると8割以下まで点数が落ちてしまう。長時間英語を聞いてると疲れてくるのだろうか?なんとかしたいので、誰かアドバイスをください。
第1問 12/16
第2問 12/16
第3問 8/16
第4問 13/16
第5問 6/16
第5問は無機です。
エネルギー、電気分解、無機が課題だと痛感しました。これから毎日重問やろうぜ!(多分やって週一)
以上、僕の自己採点です。
皆さんも、僕と一緒に是非傷の舐め合い(という名の自己採点公開)をやりましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20170425223255
どうも、エクセルでマクロ組めるのだけが取り柄の古参兵です。今年9年目に突入。
もういい加減老害の佳境に入り始めているのでしょうか、新卒フレッシャーズの言うことがよくわからないので増田をしたためます。
・入力と閲覧が一緒
これのどこがクソ仕様なのかわからない。というか大抵のツールは入力と閲覧一緒じゃね?ワードとかファイルメーカーとかフォトショとか。パワポぐらいだろ「見せる」のに特化した専用モードあるのがデフォのやつって。
元データを間違えて書き換えた?あるある。それが怖いから共有フォルダ内のファイルは必ずデスクトップに落とすとかして落書き可能なコピーを生成してからコピーの方をいじっとる。何にせよいい経験ですね。
オプションだか何だかで表示対象減らせるから好きに弄りたまえ。
自分に必要なツールがどれで、どれなら減らしてもダメージが無いかを見極められるならの話だがな。
・機能を充実させすぎ
言いづらいんですけどエクセルはデフォ設定だと表示されてる機能は足りないです。私の主力にして命綱の「開発」がデフォだと非表示のはず。
まあそれはともかく、これも上記と一緒で、気に入らなければ非表示化できるので好きにすればいいです。非表示化したことで使わなくなり(=使えなくなり)、いざ必要って時にマゴマゴして上司から叱られたり先輩からかわいそうな子扱いされるというリスクも含めて自己責任の範疇ではないでしょうか。
少なくともデフォルトがOFFよりは親切設計だと思います。必要なものが表示自体OFFられてると探しようがないみたいなとこある。
・変化がわからない
あ、これは正直完全同意だわ。
「何故か数値が合わないんだけど何故合わないのかわからない」みたいなときにセルを一個ずつ覗き見すんのマジめんどい。
でも結局は慣れです。慣れとセル参照表示です。私は慣れられなかったのでマクロ(というかVB)に走りました。マクロは良いぞ。検算がラク。少なくともセル一個一個見なくても良い。
要らんところで忖度してくる。
具体的に言うと数値を勝手に日付型にしてくれたりパーセンテージにしてくれたりする。
いいから。そういう気遣いはいいから。君にそういうの求めてないから。VBAみたいに指示したことを指示通りにやってくれればいいから。
俺の経験上、仕事とかで心の負債が貯まってくると必ず見る夢がある。
大学を卒業できなくなる夢だ。卒業したのに、卒業資格を取り消されるという夢の場合もある。
例えば、その夢の中の俺は、就職も決まってるけど必修の単位が1つだけ残ってる状態で、その試験日に寝坊してしまって慌てて駅に向かったりする。
現実の俺は学生の頃、大学まで徒歩五分だったのにだ。違和感を感じつつも、とにかくヤバイ人生詰むと思ってるから駅に向かおうとする。
大学の卒業を取り消された夢の時は、仕事中に会社に電話がかかってくるところから始まった。
聞くと、卒業から10年近く経ってるのに、俺が受けた講義の単位が取り消されることになり、ついてはそのままだと単位不足で遡求的に学位が取り消されるという話。
救済措置は用意してやるから、いついつにテストを受けに来いと言われる。
テストを受けに行くと、
・テストの内容が小学校2年の算数レベル。本当に2+3×6=? くらいの内容。
これまた違和感を感じるのだが、夢の中の俺は必死で、何しろ大卒か中退かの瀬戸際、人生がかかってるから解答欄に20と書いた後も、何回も検算している。
大学の卒業を取り消されるかも知れない試験だから、簡単に見えるけど実は微分方程式が必要なんじゃないか、こっちの問題はフーリエ変換するんだっけ、とか混乱している。
先日、メンタルヘルスのテスト結果で産業医だかカウンセラーとのお話し合いを推奨する手紙をもらった。
本当に周りから見てもヤバイと思われて、上司と面談した際にこの話をした。はたまた、常勤なのにほぼ毎日夜中3時とかに電話で起こされるという、明らかに俺より過酷な働き方の同僚にも聞いてみた。
すると、その2人もメンタル不調の時に似たような夢を見ると言っていた。
そういう若者が大学なり専門学校なりで「きちんと」エクセルを学んでしまうと
今度は手計算ではなく完全にエクセルで全部計算するようになったりして
逆に怒る人が出てくるんだよな。
マクロは手抜きだとか、表計算は信頼置けないから検算しろとか。
PCの「素養」はあって欲しいけど、完全にできるというレベルには達してほしくないという難しい要求は
やっぱり学生が入社前の勉強で自分でどうにかできるものではないと思うし
会社によってどの程度のレベルを要求するのかもかなり違うと思うし。
勿論、社員教育の段階で教えてるのに出来ない新入社員が文句言われるのは基本仕方ないことだとは思うが
この件で大学がなってないから云々騒ぎになってるのはお門違いだと思う。
大学で教えるような本当にきちんとした学問なんて、むしろ企業人からしたらうっとおしいばあいもあるわけで、
それを忌避している人すらいるわけで。
私は某大学数学科の学部生です。塾でアルバイトをしており、先日、中学1年生のクラスで1次方程式の解き方を教える機会がありました。その際に起きたことについて書いておこうと思います。
私の認識では、中学数学において「4x-6=xを解く」とは「4x-6=xを満たす実数xをすべて求める」ということです。中学数学の参考書は「4x-6=x, 3x=6, x=2」という書き方しかしておらず、これでは、「4x-6=x⇔3x=6⇔x=2」なのか「4x-6=x ∴3x=6 ∴x=2」なのか分かりません。前者であれば問題ありませんが、後者であれば論理的に不完全であり、x=2が実際に4x-6=xを満たすことを確かめねばなりません。
中学1年生にこのようなことを話半分に説明したところで、理解してもらえるはずありません。しかし、このことは本質的であり、また、中学校で曖昧にしたまま方程式を解かせるから高校数学の論理と集合で多くの人が躓くのだと私は考えています。そこで、1コマまるまる使って論理、命題、必要条件・十分条件の授業を行いました。それから、1次方程式を解くときの式変形では式だけを並べるのではなく、式と式の間に⇔か∴を挿入し、その論理構造によっては検算も行うように指導しました。結果、生徒の多くは戸惑いながらも喜んで授業を吸収してくれ、小テストでも多くの生徒の理解を確認することができました。
ところが全く予期しないことに、保護者数名から苦情が入ったようで、塾長からかなり厳しく叱られてしまいました。「教えるべきレベルを逸脱している」とのことでした。塾長は英語国語社会の担当で数学の素養がないのもあるのか、方程式を解くということについて必要条件・十分条件の概念は本質的であり、教える必要があるのだと力説しても、「必要ないし、普通の内容を教えることに時間を使え。ここでの方針に従えないならしかるべき措置をとる」とまで言われる始末でした。
仕方がないのでそれからはテキストに徹底的に従って授業していますが、指導の方法について、私が間違っていたのでしょうか。モヤモヤしています。
ツイッターとかで、小学校の算数で掛け算を逆にしたらバツというのはおかしいとかドヤ顔で騒いでるじゃん?
馬鹿?
バツに決まってる。
そうじゃないと、将来大人になってさ、
Aさんは、常にエクセルファイルを、物品名、金額(円)、個数(個)、合計金額(円)の順で管理していました。
たとえば、ペン、50、60、3000みたいに。
Bさんは、常に、物品名、個数、金額、合計金額の順で管理していました。
でも、どちらだとしても数学的に誤りではないので、上司も誰も何も言いませんでした。
ある4月、AさんはBさんの部署に異動になりました。Aさんはいつものように、エクセルファイルを立ち上げ、今日購入する分を……。
確かに、異動して新しいところに来たんだから、ちゃんとファイルの項目名確認して慎重にやれよっていうのはわかる。
1日目は、慎重にやるかもしれない。でも、時間が経って、何も考えずルーチン的にやるようになると、習慣って馬鹿にならないよね。
日本全国で、色んなミスが多くなれば、少なからずそれって損失になる。
誰が悪いかはさておき、どうすべきか、パッと思いつく効率いい方法って、たぶん今思った事と同じっしょ?
それが、義務教育であって、社会で生きていくための教養だと思う。
んなこと、小学生でもわかるし、わかるからこそ逆にしちゃうの。
気になるなら、物理学科に行ってから、可換かそうでないかとかそういうの議論すりゃいい。
そういうセンセーとか自称科学リテラシー高い人に限って、逆にしただけでバツつけんなとか言ってるけどさ、
「サイエンスコミュニケーション」って、「科学的素養の無い愚かな一般人に正確な科学的考え方を啓蒙しよう」じゃないっしょ。
方向性として、たとえば、「科学的知見を、わかりやすく社会に役立つ形で提供して、より良い社会にすること」でしょ?
だから、算数の順番は、それが数学じゃなくて算数で、社会で生きるための義務教育である限り、
なるべく統一されるべきであって、それが本人の役に立つと思う。
いくら、科学が出来ても、社会に出て、○○さんの書類はぐちゃぐちゃで作り直さないと使えない、とか、
そこの「ルール」よりも自分のルールにこだわってスムーズにいかない、とか、
誰だって言われるの嫌じゃん? 頑張って勉強したのに、そういうことで批判されるの悲しくない?
バングラデシュで流行しているというペットボトルのクーラー、あれがなんかずっともやもやしてるので、オーダだけでもあってるか概算してみた。
ただ、流体力学なんて20年前に習ったきりだし、今完全に酩酊しながらこれを書いてるのであってるかどうかわからない。誰か検算して。
・前提
なんか元記事を見る限りやっぱりベンチュリとしか思えないのでベンチュリの式で計算。
外の気温30℃で計算。
気圧はとりあえず1気圧。
計算がめんどくさいので空気は非圧縮性・粘性無視(たぶんこれがだめだと思う)
大雑把に添え字1が外、2が部屋の中(というかペットボトルの出口)。
v1:外で吹いてる風速[m/s2]
A2:ペットボトルの細い方の断面積[m^2]
T1:外の気温[K]
v1=3[m/s2](微風)
d1=0.01[m](10cm。こんなくらい?)
d2=0.0025[m](2.5cm。これもこんなくらい?)
p1=101325[Pa](1気圧)
T1=303[K](30℃+273)
じゃあ計算してみよう。
ペットボトルの太い方の断面積
ペットボトルの細い方の断面積
非圧縮性のベンチュリの式(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%AA)より、
いきなりこの時点で怪しいな。
けど続ける。
次に、ベルヌーイの定理(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86)より、
v^2/2+p/ρ=一定値
これより、部屋の中と外での圧力と速度の
これを変形して、ペットボトル出口と外の圧力差p2-p1を出す。
p2-p1=(v1^2-v2^2)×ρ/2=1336[Pa]
気圧差13ヘクトパスカルか…。
さらに、ボイル・シャルルの法則(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87)より
セ氏に換算すると
299-273=26[℃]