はてなキーワード: 更年期とは
蓮舫や稲田、少し前の豊田とか見てもさ、更年期迎えた女性に重要ポストとか無理なんだよ。
気合とかそういうのじゃないの、更年期障害って。命の母飲んだって収まらない。思考より感情がカタパルトで飛び出すの。飛び出したら急加速したりUターンしたり凄いの
ストレスとか勝手に数十倍にして感じるし、自律神経もボロボロ。リコールどころじゃない欠陥車状態
本当に女性の事考えるなら、それくらいの時期は権限は少な目にグループの一員として面倒見るくらいがちょうどいいよ。意思決定とか正常な判断無理だから。虫の居所で言う事変わるとかしょっちゅうだよ。
そもそも男女平等とかうるさいの、更年期も過ぎ去って閉経直前のババア共でしょ。お前らはまた人間に戻れているけど、おかげで人と獣の間の女性が責任押し付けられて爆発寸前なんだよ
専業主婦で、家で寝っころがってワイドショー見て薄い持論言うのは更年期の正しい過ごし方だし、パートとかの比較的責任の少ない仕事こそが更年期の正しい働き方だよ
先月、母が亡くなった。
母を亡くしてからとても寂しくて時々私も死にたくなる。
早く死んでしまいたい。
私には父がいない。いないというより、いるにはいるが私が生まれる頃から別々に暮らしていて、あまり面識がない。あまり会ったことのない人を父親だと思えないので、父がいないということにしている。
私は昔から内弁慶で外では大人しく良い子のように振る舞うのに家ではワガママ自己中だ。母には何度もワガママを言った。母が私を生んだ歳は初老に近い歳と言ってもいいと思う。その為、私が小学生に上がる頃には母は子育てだけではなく、更年期とも戦っていた。更年期で気分の下がる中、私のワガママはうっとおしかっただろう。更に気分の下がった母はよく、「死ぬ」ということを口にしていた。その母の口癖がうつったのか、中学に上がる前には「死にたい」とよく言う子供になっていた。
小学校高学年のとき、私はいじめにあった。今思うと、いじめではないのかもしれない。ただ、「からかい」の延長線なのかもしれない。クラスの男の子から見た目のことをよくからかわれ、それが嫌で嫌でたまらなく、自殺をした。「死ぬ」という言葉が身近だったからつらいことがあれば死ねばいいのだと思った。でも自殺は失敗した。遺書まで書いたのに、首を吊ろうとしたロープは途中で千切れ、ただ首に痣を残しただけだった。死ねなかったことがあまりにも惨めで寂しく感じ、母に、男子にいじめられてること、自殺しようとしたことを伝えたら母は泣いた。「気付いてあげられなくてごめんね」と言いながら泣いた。なんだか余計に自分が惨めだと感じた。
中学の頃もいじめられた。これももしかしたらいじめられてはないのかもしれない。ただ、私は人付き合いが苦手で上手くクラスの子と話せず、完全にクラスで浮いてた。親友だった子は他の子といっぱい喋っていた。親友を取られたように感じた。
私は被害妄想が激しい方なのでもしかしたらそれは妄想かもしれない。でも、私を菌扱いしてる男子がいたことは事実だし妄想じゃないことははっきりしている。
この時も死にたくなった。でももう失敗はしたくないし、あんな惨めな思いはしたくなくて、なんとか学校に行って生きてた。
学校から帰ってきて、家の庭で何度も泣いた。家の中で泣いたらいじめられてることが母や姉にバレるから。なぜか家族にバレたくなかった。理由はよく覚えてないけど、とにかくバレたくなかった。
でも精神は不安定だから家の中で横暴な態度を取り続け、母に当たっていた。何かを察した母は「またいじめられたの?」と聞いてきた。私が母に当たる度に母はそれを聞いてきた。私はそれに腹がたって更に母に強く当たった。
そんなことが続いて、ある日母と大げんかをした。私は何かを言った。言った内容は覚えてないけど、何か、母をとても傷付けることを言った。それを聞いて母は私に「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言った。私は泣いた。産まなきゃ良かったと言われたことではなく、母にそんなことを言わせてしまったことに泣いた。私があの時母に言った言葉は覚えていないが、私が母に「産まなきゃ良かった」と言わせるような、誘導するような言葉を言った気がする。私は母をすごく傷つけただろう。
私が高校にあがり、しばらく経った時、母は癌になった。家族でいっぱい泣いた。みんなで頑張ろうと言いながら泣いた。
何度か入退院を繰り返し、発症から約1年後、母は頑張って癌を治した。
それで安心したのも束の間、私が高校を卒業する頃には母の癌が再発した。脳腫瘍だった。
私は高校を卒業した後、短大に通うために少し遠くで一人暮らしをした。母が再び闘病する姿は近くでは見ていない。姉や母がたまにかけてくる電話で母の様子を知っていた。
私が短大を卒業し、地元に戻って来る頃、二度目の闘病を母は乗り越えた。
でも、後遺症は残っていた。
身体の左半分は思うように動かないし、少し認知症のような感じの言動も見られた。
母の闘病を間近で見ていない私は認知症のように幼児退行した言動を時々起こしたり、理不尽なことを言う母を自分の母と思えなかった。
別人のように感じた。
どうしても受け入れられず、また、キツく当たってしまった。
最低だ。恥ずかしい。そんな思いはあったが、気付くとキツく当たっていた。本当にバカだと思う。
母の脳腫瘍はまた再発したのだ。
もうこれで三度目の闘病だ。担当医は「もうダメだ」というようなことを言った。
そのことは母には伝えなかった。だからなのかわからないが、母は、担当医が予想するよりも長く生きた。最後の方は意識はほとんどなかったがそれでも生きていた。
それでも私はバカだから母との残された時間を大事にしていなかった。
母が死んだのは朝方だった。病院は家から車で1時間ほどかかるところにある。寝起きの姉と私は母の最後に間に合わず、看取ることができなかった。私達が病室に着いた時、母はもう冷たかった。
「なんで私達のことを待ってくれなかったんだろう」そう思ったとき、母の「あんたなんか産まなきゃ良かった」という声が頭の中に響いた。
姉は献身的に母のことを見てたが、私は違う。バカだから母を沢山傷付けたし、悲しませた。
もしかしたら母は死に際に私の顔なんて見たくなかったのかもしれない。
周りの、親戚や母の知り合いはそんな私のことを慰めた。
ありがたい言葉だ。でも、そんなの他人の予想でしかない。母の本心はわからない。私にあんなに傷付けられ、本当に幸せだったのだろうか。自分が授けた命を無駄にしようとし、酷い言葉を投げるような娘など本当は大嫌いなのかもしれない。
だって、「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言わせてしまった。
母の本心が知りたい。
私はバカだからまた、母を傷付けるようなことを口にしてしまう。死にたい。
また命を無駄にしたいと思っている。
今夜眠りに着いたら明日の朝、目が覚めなければいいのにと思う。
死んで、母に会いたい。母に会って母に謝りたい。沢山傷付けた分、沢山沢山謝りたい。
そして母の本心を知りたい。私のことを許さなくてもいい。私のことが嫌いなら罵倒されたって構わない。「あんたなんか産まなきゃ良かった」ともう一度言ってくれたっていい。なんで私達を待たずに死んでしまったのか聞きたい。
母の本心を聞いたら私のこの不安定な気持ちは落ち着く気がする。早く死にたいという漠然とした不安も無くなる気がする。
さっさと死んで、母に会いたい。
明日の朝、目が覚めなきゃいいのに。
あまりの重さにぶっ倒れたりして、学校の先生の勧めで婦人科に行った。そんなに重いなら病気の可能性があるからって。
(思えばいい先生だった)
結果として健康だった。なーんにも異常無し。ただ生理痛の重い人。
試しにピルを飲んだけどほとんど効果は無かった。結局ロキソニンでなんとか耐えられる程度に収まるのでそれでって事になった。
なんとか良くなる方法は無いかって色々聞いた。病院を変えたりもした。
でも言われる事は同じ。冷えないようにして、規則正しい生活とバランスの取れた食生活。あとはストレスを貯めないようにって言われるだけ。
再発する度に病院に行く。病院に行ったら膣剤を入れて貰って、一週間後に見て貰って完治してるって言われる。
そんでその一週間~10日後に再発する。それを延々と2年以上繰り返した。
生理前に再発して、生理が終わるのを待って病院に行って、膣剤入れて貰って1週間待って、治ったの確認して1週間ちょっと経つとまた再発して、生理中に薬入れても無駄だから生理来るの待って終わってから病院行っての繰り返し。
先生は治らないなら問題だけど毎回一度治ってるから問題無いって言った。毎月再発してる状態が半年続いても1年以上続いても毎月一度治ってるから問題無いんだって。
夫も何度か検査してくれたけど異常は無くて、セックスの前後だって清潔になるように気は使ってた。勿論陰部に石鹸は使わなかった。でも再発した。
22の時結婚して子供が欲しかった。子供を作るにはセックスしなきゃいけない。でも排卵日前後には毎月カンジダで、カンジダになると痛くてセックスどころじゃない。だから再発を防ぎたい。どうすればいい?って何度も聞いた。
この時もいくつも病院に行った。でもどこの先生もたかがカンジダくらいで大げさなって反応で(それをそのまま口に出す人も居た)、よく再発するのものだからって苦笑いされるだけだった。
カンジダになった状態で妊娠しても胎児に影響があるわけじゃないから、子供が欲しいなら痛かろうとセックスすれば?とも言われた。
結局冷えないようにして、規則正しい生活とバランスの取れた食生活。あとはストレスを貯めないようにってまた言われるだけだった。
パンツを何度も買い換えて、結局男性用のトランクスを履くようにしてようやく落ち着いた。女性用じゃ綿でもシルクでも駄目だった。
今年27になった。最近やたら排卵痛がひどいのでまた病院に行った。
子宮内膜症だった。かなり初期だけど卵管の近くに出来ていて、卵管が腫れているって。癒着はしてなさそうだから排卵に問題は無いけど痛みはこれのせいだって。
薬で対処も出来るけど、薬飲んでる間は妊娠できないし再発のリスクも高いから早く妊娠しちゃった方がいいって言われた。
簡単に言うなよ。
夫も私も複数の病院で色々検査した。でも何も異常は見付からなかった。むしろ超健康って太鼓判を押されるような数字だった。
でも出来ない。人工授精や体外受精も検討してるけど、私の方がナーバスになってたからまだ年齢的なリミットにも余裕があるし様子を見ようって結論になった矢先だった。
不妊は専門の病院がいいよと知り合いから聞いたのでいつも行ってる病院とは別の病院で相談してたから、今の先生がタイミングから始めようって言うのは当然なんだけど、がっくりくる。
色んなやり方あるよ。ホルモンの薬飲んだり注射打ったり精子選別したり顕微鏡使ったりさ。
でも最終的には運でしょ。
妊娠って良くも悪くも努力に比例しないもの。出来る時は出来る。出来ない時は出来ない。
女性の1割がかかる超メジャー病気のくせに原因も解らない。対策は生理止める事だけ。生理がある限り再発の可能性がある。って何?
結局冷えないようにして、規則正しい生活とバランスの取れた食生活。あとはストレスを貯めないように??????
聞き飽きたっつーの。
女って男性と比べると怪しげな民間療法にハマる人多いと思うんだけど、それって婦人科が無力過ぎるからなんじゃないかなぁ。
死なないからいいじゃんって感じで研究に手抜いてるんじゃないかって勘ぐりたくなるくらい役に立たない。
婦人科系の症状で苦しんでる人ってすっごい多い。病院行っても改善しなかった人も相当数居る。
よく生理痛は我慢しちゃせず病院へ!って見聞きする。病気の有無は大事な事だから勿論調べた方がいい。
でも、生理痛にしろ、不妊にしろ、出産の後遺症にしろ、更年期にしろ、婦人科に行っても解決しない事が多すぎる。
どうにか楽になりたくて、楽になる方法は無いかって探し廻って怪しげな民間療法とか健康食品に手を出しちゃう。
だって出来れば快適な毎日が欲しいもの。月に何日も痛みで寝込んだり、めまいや吐き気で苦しみたくない。
まぁ生理痛や不妊を前面に出した健康食品や健康法は基本的に詐欺なんだけどね。後はガンとハゲ。悩んでるけど改善しない人が多いからこそ商売になる。
婦人科に絶望はしてるけど西洋医学以上に信頼できるものもそう多くはない。だからこれからも病院には通うよ。今の先生はいい先生だと思うし。
今まで通り冷やさないように気をつけるし、11時に寝て7時に起きて3食食べる生活をするし、間食は控えて一汁三菜の和食生活を心掛ける。
適度に運動して、お風呂にも毎日浸かる。趣味も充実してるからストレスは元々左程貯まってない。夫とも家族とも友人とも関係は良好だし。
続けるけど、これだけやっても生理痛は重いまんまだし、タイツ履いたらカンジダになるし、多分子供も出来ない。
でも冷えないようにして、規則正しい生活とバランスの取れた食生活。あとはストレスを貯めないようにするしかないんでしょ???
【追記】
この部分が怒りの根本の全てです。結局あれも解らないこれも解らないで役に立ちやしない。
命には関わりませんが人生には大きく関わる疾患にはなってます。なので全然良くないです。
早期発見を!とか言う割に早期発見できた所で何も出来ないとか悪い冗談でしょって感じですよ。
何も出来ないなら発見しても意味ないじゃん。気のせいだと思ってた腹の痛みが気のせいじゃなかったって解っただけです。
もうお腹が痛くない日の方が少ないんです。気のせいだと思ってた時の方がマシだった。
とてもじゃないですけど
ただそれだけなんじゃないかと思うのだがねぇ。
とはまだ思えません。時間が経てば変わるかもしれませんけど。
15年分のヒステリーをぶちまけてる上にかなりしつこくリアクションを取っているので医者に対する態度に疑問を感じるのは当然だと思いますが、
私だって普段から何もかもに噛みついてギャーギャー騒いでるわけじゃないですし、医者に対してこんな失礼な態度は取りません。
むしろ傍目には淡々として映るのか、本人に治す気が無いうちはまた再発するよ。改善するものは改善しなきゃ、とか言われた事があるくらいです。
だから何をだよ!!ってなるんです。
医療が万能じゃないことは百も承知です。別に私の体調不良の全てを解決しろって言ってるわけじゃない。
ただ少なくとも私の役には立たなかった。何も改善しなかった。薬局でロキソニン飲むのと変わらなかった。それをわーわー喚きたいだけです。
増田は「50歳の時」と書いているので少し昔の話なんだと思う。
今はホルモン療法が確立されているから更年期??と思ったら即婦人科へ。
エストロゲンジェルやパッチを入れれば一週間もすれば嘘みたいにホットフラッシュは落ち着く。
先輩や友達の話をよく聞いて理解を深めて40過ぎたら通いやすいところでいい医者を探すことをおすすめしたい。
しかし、50歳の春、私は更年期障害になった。正直、更年期障害なんて大したものではないと思っていた。
更年期障害は私の人生を大きく変えてしまった。 家族、友人、多くの人を傷つけ、大切なものも多く失った。
でも周囲の粘り強い支え、幸運な出会いもあって、何とか克服ができた。今では元の幸福を取り戻すことができたと言える。
更年期障害は心身共に症状が現れる。それゆえに知識がないと混乱をしてしまい、治りが遅くなるばかりか、周囲の人を傷つけ更に自分自身を追い込むことになる。
そう思うことが沢山ある。
それを今更年期障害に悩んでいる人に伝えたくなった。
興味があれば読んでみてください。
私は昔から特に見た目、賢さに恵まれたわけではなかったが、健康だけには自信があった。風邪らしい風邪は引いたことがないし、入院したことも出産のときぐらいだ。
子供を産んだときもあまりにあっさりと産んでしまったので、主治医が若干苦笑いをしていたほどだ。
そんな私は、当然、華やかな人生を歩んできたわけではない。しかし女性としての普通の幸せは手に入れることができているという満足感はあった。
私にはもったいないくらいの優しい夫、26歳の長女は嫁ぎ、23歳の長男は社会人に。子供が自立したのと、夫の定年退職もあと数年に迫っていたので、「老後ものんびり楽しく過ごしていこうね。」と仲良く話し合っていた頃だった。
その変化は突然やってきた。
最初に異変を感じたのは3月、事務のパートに行く電車の中だった。
暖かくなってきたとはいえ、その日はさほど暑い日ではなかった。
午前10時、電車の中は通勤ラッシュも終わって混雑はしていなかった。それなのに顔がほてり、汗が止まらなかった。私はそんなに汗っかきではないはずなのに。
「なんだろう・・・」
不思議に思いながらもその場は特に深刻に考えることもなかった。
だが、職場に着いても汗は止まらない。クーラーの効いた室内でみんなが涼しそうにしているのに私だけは暑くて汗がでてしまう
一瞬そう思ったのだが、仕事が忙しかったため、その心の声をなんとなく流してしまった。
この判断が私を長い苦しみの追いやったのかなーと今でも後悔している。
汗の症状はその後も続いた。
特に夜に暑くて目が覚めてしまうことは辛かった。パジャマやシーツが汗で濡れて冷たくて目が覚めたこともあった。
汗だけであれば慣れてしまえばどうってことはなかったのだが、1ヶ月経つ頃から別の症状も出るようになった。
朝起きるのが辛く感じるようになった。起き抜けから身体がだるく、軽いめまいもあった。なにより気分が重い。仕事に行きたくないな-と思い休んでしまうことも増えてきた。
家事に関しても大好きだった料理もする気がおきず、惣菜を買って帰ってしまうことが増えた。 掃除も洗濯も苦痛になり週末まで溜め込んでしまう日が続いた。
これまで主婦としてしっかり家事をこなしてきたことには自負があったので、そんな自分が許せず、罪悪感でいっぱいだった。
そんな心身ともに不安定な時期が続く中、 あの事件が起きてしまった。
さすがの夫も家事が以前のように行われていないことに気がついたのだろう。
「最近家事があんまりできてないみたいだけど、何かあった??」
心優しい夫は気遣いながらもそう聞いた。
夫は優しく聞いているだけだっただろう、ただ罪悪感に追い込まれていた私は夫に対して怒りを露わにして
「何にもわかってないくせに!私を追い詰めるの!!」
と大きな声をあげてしまった。
私が感情的になることなんて結婚してから一度もなかった。昔から気が長い方で怒ることなんて滅多にない。ただこのときの私は感情までコントロールできなくなっていた。
夫の驚いた顔が今でも忘れられない。
ケンカ一つしない、互いを尊重し、問題は優しさで解決するそんな関係を長年続けてきた。でも、その大切に育んだものに大きなヒビが入ってしまった。そう思った瞬間だった。
すぐにフォローをしなくては。そう思うけど心が追いつかない。 一体わたしはどうなってしまったのか。
夫はそう言ってくれるけど、私は認めたくない気持ちがあった。
夫は最も信頼できる人ではあるけれど、異性ゆえに相談しにくいこともある。特に心や身体のことは打ち明けるのに抵抗があった。
とはいえ、私にも明らかにおかしいという自覚はあった。けどどうしたらいいかわからない。追い詰められていた私は遂に親友に相談をした。
大学の同期の加奈子だ。大学を卒業してからも定期的に会い、今でも家族ぐるみの付き合いをしている。私の全てを話すことができる唯一の人。それが加奈子だ。
私は加奈子にこれまで起こった全てのことを打ち明けた。
「それって更年期障害じゃないの??」
今まで、病気一つしたことが無い私は、正直更年期障害と言われてもピンと来なかったが、加奈子の言う典型的な症状と私のそれを照らしてみると、確かに当てはまることが多い。
実は加奈子も昨年に経験をしたという、加奈子とは3ヶ月に一回は会っているのに全然気が付かなかった。
「私は軽かったというのもあるけど、職場の友人が更年期障害を疑ってくれて、早めに対処できたのが良かったかもね。まさみも早いうちに病院に行ったほうがいいよ。更年期外来ってのがあるから。」
友人の話というものはすんなり入ってくるもので、すぐに病院を探し、近くの婦人科に足を運んだ。
その医師によると、更年期障害は一般的に2から3年続き症状が収まることが多いとのこと。
「これが2,3年も続くのか」
この医師はHRTという療法があると提案をくれた。しかし、あまり病院に慣れていない私は、なんだか大掛かりな治療のように感じ少し抵抗感があると伝えた。
それであれば漢方という方法もあるとのことなので、まずは漢方治療から行うことにした。しばらく加味逍遥散喉、半夏厚朴湯、大防風湯、抑肝酸、を服用し様子をみた。
しかしながら、3ヶ月経過しても、だるさ、めまい、気分の重さに関しては改善がほぼなかった。これでは辛い生活は続くばかり、夫に対しても感情的になってしまうことが多くなったため会話も減ってしまった。
娘、息子への連絡も減ってしまったし、たまにする電話でも以前より感情的で口うるさくなってしまったのか、前ほど家に寄り付かなくなってしまった。
私の世界がどんどん狭くなり、壊れていくような感覚に包まれていった。居てもたってもいられなくなった私はまたも加奈子に相談した。
「加奈子は何で治したの?」
以前はなんとなくプライドが邪魔して具体的な治療までは聞けなかったが、今度は率直に聞いた。
「私はHRTをやったんだけど、あんまり改善しなかったんだ。軽度だったというのもあって大豆製品を中心に食べる食事療法をやってた。途中からちょっとエクオールのサプリメントも飲んだよ」
漢方にも改善はみられなかった。HRTはやはり抵抗があったので加奈子と同じ治療を選択した。
私は加奈子より症状が重いように感じたので、食事療法を中心に最初からエクオールのサプリメントも服用した。
友人同士体質が似ているというのはないだろうが、この選択は私にとって正しかった。
効果はわりとすぐに現れた。約2週間程度でずっと持っていたイライラ感が少しずつ減ってきた。それに伴い感情のコントロールができるようになり、夫との会話の回数が増えてきた。
1ヶ月経った頃には身体のだるさが改善してきて、家事に対して前向きになれた。
掃除は軽くではあるが毎日、洗濯は週2程度、料理は週に1度くらいしか作れなかったが、簡単なものなら毎日作ろうという気分になってきた。
一度改善の兆しが見えると気分は晴れやかになってきた。治療に対してどんどん前向きになって大豆食品を多く取り入れた食事を調べたり、エクオールに関する知識も積極的に仕入れ、よりよいものを探すようになった。
そして、3ヶ月目には、ほぼ以前の私を取り戻すことができた。
休みがちだった職場の方々も理解をしてくれて、職場にも以前のスケジュールで復帰することができた。
家事も以前のようにしっかりとこなせるようになった。夫も私を気遣って家事を身に着けてくれたので、以前より2人で一緒に家事をやるようになった。
夫との会話も以前のように弾むようになり、信頼関係も戻ってきたように感じた。夫も私が更年期障害であることは理解してくれていたようで、
「症状が収まろうが収まるまいが、ずっと寄り添っていくつもりだったよ」
と言ってくれた時には思わず大泣きをしてしまった。この感情の動きは更年期障害によるものではないと今では確信できる。
結果的に私は友人の進めた食事療法+エクオールサプリメントの民間療法で幸い比較的短い期間で更年期障害を乗り越えることができた。
自分の心と身体が思い通りにならない約半年間は本当に苦しかった。
周囲も理解はしてくれるけど、気持ちが離れていっていることはわかる。その孤独感が特に辛かった。どうにもできない自分も本当に歯がゆかった。
私が今も後悔していて、あなたに伝えたいのは、一つだ。
ほてりを感じる日が続く、気だるさ、気分の重さがなかなか抜けないといった症状を感じたら、すぐに更年期障害かな?と疑い病院に行くべきだということだ。まずは更年期障害であるということを理解してほしい。
もちろん私に効果のあった治療があなたにとってベストだとは思わない。HRTを受診したほうがいい場合もあると思うし、漢方が効くこともあると思う。また他にも治療法があると思う。
なので、どんな治療でも良いと思う。開始することで前向きになれるし、意外と周囲の理解も得られる。更年期障害は早い人は30代後半から、誰もが抱えうる問題であって、決して恥ずかしいものではない。
一人で抱え込んで、症状が悪化し、周りに迷惑をかけることが、孤立を招き更年期障害を非常に辛い病に変えてしまう。
病院が嫌だということであれば、気軽にカウンセリングを行ってくれるNPO法人もある。まずは更年期障害であることを疑い一歩を踏み出してみて欲しい。
私はいちばん大事な家族という存在を失ってしまう寸前まで精神的に追い詰められてしまい、本当に苦しい体験となってしまった。
この体験談が役に立ってくれることを願っている。
ある意味、昔は男性の方がそういうフリーダムな社会だったと思うが。
男性更年期障害が女性と比べて問題とされるのが遅れたのも、そのせいだと思ってる。
更年期になるくらいの年齢の男性だとそれなりの地位を築いていて、目下の人間相手にイライラをぶつけても許される状況である事が多かったからね。
家庭においても男尊女卑だから、妻にイライラをぶつけても妻が我慢するしかなかったわけだし。
でも女性はそれでは許されないから、女性の更年期障害は問題であり治療するべきものとかなり昔から言われていたわけだ。
現代はそういうのも職場でやればパワハラ家庭でやればDVだのと言われて問題になるようになり、更年期障害の男性も女性と同じようにイライラを我慢するしかなくなったから
http://anond.hatelabo.jp/20170531123102
なんかこっちのスーパーの客層がすごく悪く見えるのは気のせい?
たまたまでしょ。全国各地にいるだろ。
こんなばあさんも全国各地にいるだろ。
たまたまだよ。
地方から関東へ移り住んできたんだけど、ほぼ毎日スーパーに通ってる。
なんかこっちのスーパーの客層がすごく悪く見えるのは気のせい?
生活保護受けてそうなオッサンやジジイが発泡酒1本だけ持ってレジに並ぶ。
朝イチとかじゃなくて11時とかの一番スーパーが混む時間に来て「レジおせーよ」とか言って勝手にイライラしてる。
いやコンビニ行けよ。定価で買って早く帰ればいいのに。
スーパーって安く売ってるけどその分レジ並んだり自分で袋詰めしたり手間があって当然だと思ってた。
でも袋詰め?マイバッグ詰め?すらレジ店員に任せる客が多くてレジに時間が余計かかってるのも事実なんだよね。
更年期さしかかったおばさんがカゴにマイバッグを被せて何も言わずにレジレーンに置く。
可哀想に店員はひとつひとつ気を遣って詰めていく。汁の出る肉や豆腐にはポリ袋を被せてる。
こういう客に限って大量買いなんだよなー。
しかも客はやってもらって当然のような顔してる。リラックマのマイバッグ、別にこのスーパーで買ったものじゃないでしょうに。
大量買いするくらいなら袋詰めも自分でやるって発想ないんですかね?
地元はジジババばっかだったけどこんな自分勝手な客には別に気付かなかった。
中国地方なんでレジ袋有料なんだけど、それでも店員に詰めてもらってる人なんて滅多に目にしなかったけど…
でもやっぱスーパーでお茶1本とか買うのやめなよ。60円とかそこらのさあ。
それはコンビニでやれ。
結婚して数年
なかでも頻繁に思い出してしまうのが
周囲の大人達から「反抗期」という言葉を使ってからかわれ続けたこと
自分は大人になっても絶対に「反抗期」という言葉を子供に使わないと誓った
なんでもかんでも「反抗期だから」みたいな感じで片付けられたこと
例えば本気で怒っていても「はいはい反抗期ね」って言われるあの感じ
反抗期という言葉を使わないでくれと言っても余計にからかわれた
こっちがムキになればなるほど「反抗期扱い」されてからかわれる毎日
見事な負の連鎖
今となってはドツボにはまる様子も冷静に振り返ることができるけど
当時は負の連鎖爆発でそれどころじゃなかった
「こっちは真剣なのに!なんで真面目に聞いてくれんのだ!」と思っていたし
人間扱いじゃなくて反抗期という名前の生き物扱いみたいなのも腹が立った
というか元々の怒りに「反抗期扱い」への怒りも上乗せされて
火に油を注ぐように余計に怒りが燃え上がってしまうことを分かってほしかった
この「なんかムカついた」という部分も大事な側面だと今は思う
理屈っぽい話だけだと何かとその理屈の部分に話が終止してしまうけど
あと反抗期を別の言葉に置き換えたらどうなるかも考えてみてほしい
それはもうハラスメント以外の何物でもないし
余計に相手の怒りを買うことは間違いないだろう
それにもし公の場でこの類のことを言ったら吊るし上げられる時代だと思う
でも反抗期や思春期という言葉を使ったからかいは別物扱いというか
こと子供の扱いとなるとどうにも軽んじられてしまう気がするというか
そこら辺のことに無自覚な人はまだまだ多いんじゃないかっていうね
だから大人になったらちゃんとそのことを周りに伝えようと思ってたんだけど
でもそれじゃいかんということで
かつての記憶を掘り返してちゃんと文章に残しておこうと思った次第
それにしても子供の気持ちを完全に忘れてしまう前でほんとに良かったと思う
本当にそう思います。最近、初めて日本に来たという某国の方と交流する機会があったんですけど、こちらの中にもあちらの中にもお互いの国に対する無意識の「決めつけ」というか、どエライ勘違いがたくさんあったことを知ってお互いにビックリしたんですね。最初はなんでこうも食い違うんだろうと思ったんですけど、結局のところお互いがお互いの国のことをよく知らず、今まで「決めつけ」を訂正してくれる人もいなかった事が大きいんだろうなと思ったんです。世の中にはハッキリ言われなきゃ認識すらできない事柄や間違いがたくさんあるぞと。そういうこともあって今回ハッキリ声を上げてみようと思った次第です。
watatane まだ反抗期が終わってない人、ついに親になる。
我ながらちょっと青臭いことを書いているなという自覚はあったので、こういった指摘が来るかもしれないと思っていました。でも子供の時の心情を誤魔化して書くのは当時の自分に対して不誠実な気がしたのでストレートに書くことにしました。それと、同じような言葉でも子供の自分と大人になった自分が言った場合でどれだけ反応が違うんだろうか、あるいはほとんど同じだったりするのかなという興味もありました。
女のマネジャーに目をつけられ。『私はあなたの為を思ってやっているの!』ってのりでいびってくる。
おかげで精神的にやばくなり、昨日体調を崩し休んだ。
更年期になってしまい毎月3日ほど目眩頭痛腹痛冷えのぼせ耳鳴り下痢に悩まされ休んでしまう。
婦人科でホルモン治療、漢方、ピルなど多種多様に受けたが改善せずほんとに困っている。
毎月女のマネジャーに呼び出されてはネチネチいわれる。
暫く毎月呼び出されて対策していこうと言われたけど、余計プレッシャーで会社に行きたくなくなる。
休む前もわからなかったので手を上げて聞いたら『切り分けができてない』と言われ、履歴を書けば
『これじゃわからない』と言われた。
研修では深く掘り下げて教えないから、独り立ちして実際のケースに触れて質問して覚えていくのに、
萎縮して聞けない状態。
もうやめたほうがいいのか?
自由恋愛とLGBTとフェミニズムと少子化はそれぞれ結構な関連性を持っていると思うが、
それら4つすべてのカウンターサイドに位置する最も分かりやすい概念がPC的に褒められない封建的家族主義なのであまり大っぴらに語られない、というのが現状だと思う。
日本で経験的に少子化を避ける為の方策として制度的コストを払う対象として選ばれたのがイエ制度なら、それを廃するためにはそれ以上の知恵が必要なのだろう。
しかし、いったん蓋が開いてしまった後の社会で、まるっきり元に戻すことなどできるわけもない。
なら、せめて過去のあやまちを社会が総括するぐらいのことはしないと、新たな道の模索もできるはずがないのではないか。(LGBTに関しては過度のタブー視が近代以降のもののようなので現状が変とも思わないが)