はてなキーワード: 暗喩とは
昨日、マッドマックスの3回目を見た。見たと言っても途中でやめてしまったが。
初回はどちらかというとブームが終わった頃に見た。
レビューや記事にはできるだけ目を通さないようにして、ほぼ自分の感性だけを頼りに見たのだが正直な感想は面白くなかった。
そのうちに今度はアカデミー賞を取った。
何か見落としているシーンやメッセージ性があるかもしれないと思ったからだ。
初回では理解できなかった言わんとすることも少し見えてきた気はした。
ただ、それで尚更評価を落とした。
しかしそれ以降も絶賛の声は途絶えなかった。
マッドマックスといえば最高の映画。最高の映画といえばマッドマックス。
それで今回は、様々なレビューや解説にしっかりと目を通してから見ることにしてみた。
何がそんなに絶賛されているのか、分かった上で見たかったからだ。
演出の完成度や演技の素晴らしさを絶賛する記事が山のようにでてきた。
マッドマックスが完成された作品であることはよく分かったのだが、肝心の、なぜ最高なのかはあまり見つけることができなかった。
そうして3回目を見始めて思ったことは、作品内における居場所のなさだった。
登場人物は全員が狂っていて、それでいて全員が自分だけが正気だと思っている。
大半の人間は世界が狂っているからとそれを受け入れようとするが、その中でも飛び抜けて狂っているマックスとフェリオサが、狂った世界にさらに狂った方法で抗おうというのがこの映画といっていいだろう。
マッドマックスの名の通り、全てが狂っているのだ。
違う。マッドマックスはまさに世の中をそのままに写しただけの話だ。
現実でも世界は狂っているし人間も狂っている。その中で自分だけが正気だと信じているのだ。
狂気こそが正気であるし、狂気の中にあれば正気こそが狂気なのだ。
この理不尽と狂気に囲まれているつらい現実で必死に正気を保とうとしている中で、なぜそんなものを娯楽映画の中から暗喩として発見しなくてはいけないのか。
登場人物の誰ひとりとして感情移入もできなければ、むしろ現実に存在する狂気に置き換えて穏やかな傍観者としてもいられなかった。
今回は少年ジャンプ+
読切祭の残り感想。
あと、「金未来玉杯」ってのがやっている模様なので、それに絞って感想を書く。
「金未来杯」にはエントリーできないけど面白いギャグ漫画を集め、その1番を決定する企画らしい。
低劣だけれども、キライじゃないよ、そういうの。
読切祭の八つ目。
ふぅむ、流行に乗ったテーマではあるけれども、設定を捻るだけでなく盛り上げる展開も含めつつ、ストーリーもそれなりに面白いと思う。
まあ、まあ色々と粗があることも否めないが。
ストーリーの構成からテーマを考えるに、バトル部分が本旨ではないのは分かるんだけれども、あっさり気味なのはやっぱり残念かなあ。
まあ、でも読切祭の中では個人的に上位だよ。
さて、読切祭の総括だが、前回含めて色々と粗探しとかしていたけれども、なんだかんだ全体的にレベル高かったと思うよ(玉石混合な世界で漫画を読み続けている身としては)。
総合的な漫画力で「ハトトコネコ」、テーマに甘えずストーリー構成で魅せてくれた「SOCIAL GUARDIAN」、キャラクターの人格に気概を感じた「こっち見て片山先生」、面白いコンセプトの「冬春の仕事」あたりが自分の中で印象深いかな。
破天荒な主人公の言動が、最終的になんだかん人々を引き付けるという構成は好きだけれども、ギャグのレベルは普通の範疇かな。
設定を活かしたギャグ、ストーリー展開をもう少し期待していただけに、それが残念。
ギャグの方向性がときたまズレているというか偏っているというか、天丼ということを考慮してもワンパターンに感じる箇所もあったり。
まあ、でも軽妙なやり取りはノッてて面白いと思った。
ギャグマンガだから、やるからには過剰な言動のキャラクターという自覚の塊を持った「ストロングスタイル」という、まあコンセプト自体は悪くないと思う。
だが、ギャグのほとんどが唐突で尊大というか、いまいちピンとこない。
ネタ選びや、ギャグに一貫性がないのが、そう感じさせる要因だろうね。
作者自身よく分かっていないというか、扱いきれない状態で描いてしまったという印象を受けた。
ノリと絵柄だけならコロコロとかの小学生向けで連載してそうなタイプだね。
けれど「吸血」の定番ともいえるのか、明らかに「アレ」を髣髴とさせる暗喩的な表現も含まれている。
まあ、それがコンセプトともいえるし、それ自体は面白いんだけれども、シチュエーションなり登場人物だったりとかを練って、もっと話を転がしたりして面白く描けたんじゃないかという気がする。
終始テーマに沿っているのは好印象だけれども、舞台というかシチュエーションの都合上イマイチ盛り上がりに欠けるってところが難点か。
ワー、カワイイー。
動物擬人化ものだとか、萌えだとかの定番アイテムが、それ以上の役割を果たせていない。
設定だとかテーマを踏まえると、むしろ及第点以下だと評価してもいいほど活かせていない。
こういうファンタジー的な要素に、それっぽい理屈を付けるのって楽しいからね。
ちゃんと、前編でネタとして提供される設定が後半の展開で活かされている構成なのがよろしい。
総合的に纏まってて、これといって言いたいことはないんだけれども、強いて言うなら構図とか、コマ割とかかなあ。
さて、金未来玉杯の総括。
ギャグマンガに絞った企画だったのだけれども、当初の私が予想していたのとは趣が異なるマンガが多くて、嬉しさとガッカリ半々って感じ。
投票は~……どうしようかな。
総合的なクオリティならば「綾樫くんは飼っている」だけれども、あくまでギャグマンガという土台に乗っけて評価するならば、軽妙なやり取りの「たちあがらない勇者テンツ」とか、テーマで紡がれる内容が一貫している「吸血童貞タナベ」、キャラの濃い主人公でガンガンいくオーソドックスなタイプの「キング=カイザー=エンペラー」も捨てがたい。
まあ、後で決めよう。
確かに洪水起こしたり建物壊したり放射線吐いたりってのは東日本大震災的で、
「発生した事象」が東日本大震災を重ねあわせている事は確かなんだろうけど、
今回のゴジラは「解決しないでおくと際限なくでかくなる問題」という性格が与えられているし、
その根底にあるのは一人の人間の憎悪と、多くの人間の苦痛が設定されていると思う。
そう考えた理由は、ラストシーンの尻尾が、自分には「苦しみ悶える人間を縒り合わせて作ったのがゴジラである」という表現に見えたからだ。
最初は本当に何がしたくて暴れてるのか分からない感じで暴れていたゴジラは、
一時姿を隠した後、憎悪の塊のような形相の第4形態に変貌して姿を表したわけだが、
あの一連の流れは、ゴジラの思考というか、因果の存在を感じさせた。
あそこで民間人を見捨てられず、まだ弱い間にゴジラを殺せなかったことで、大河内総理は後の災厄の芽を摘みそこなった。
芽を摘めるのは人災だけだ。
自分の受けた印象だと、何らかの理由で不満を爆発させて無軌道な破壊をエスカレートさせた人々(第一形態、第二形態、第三形態)が、
強く対処できなかった事によって手のつけられない災厄となったものがゴジラ(第四形態)であるという感覚から、
ゴジラは「格差問題、民族問題等の、東京に住む虐げられた(と本人たちが感じている)層がテロリスト化する現象」の暗喩に見えた。
そんな感じ。
シン・ゴジラにおけるゴジラが原発の暗喩であることは一目瞭然だし、皇室がオミットされているのも事実だ。
そのうえで、
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49324
54年の『ゴジラ』が、観客に核兵器の恐怖を植えつけたほどは、多分、反原発の世論形成に直結するものではないだろう。
分かる人には分かる、という程度の暗喩だ。
このように、「描かれていない」点をあげていけばいくつもあるが、それはないものねだりというものなので、そのことで批判する気はない。
いま挙げた要素を入れればいい映画になるわけでもないだろうし、だいたい作り手は何が抜けているか分かっていて、あえて、削っているのだろう。
これだけ予防線が張られているのに、
ブクマカは「何でも原発に結びつけるサヨクガー」みたいな捻りのない反応をしていてバッカじゃねえのって感じ。
それと「いかなる媒体でもネタバレがあるなら警告して当然」という態度も腐女子の学級会みたいでバカバカしい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/49324
本作も庵野作品らしく、元ネタからテーマを考えると分かりやすい。以下、元ネタと目される作品・事件との比較から本作のテーマを考える。
http://anond.hatelabo.jp/20160731121447
『シン・ゴジラ』は『日本のいちばん長い日』から多大な影響を受けている。激しいカット割りは岡本喜八作品の特徴そのものであるし、日本が重大な危機に直面した際に、どう対応するのかということを題材としている点でも同一である。
しかし、そこで描かれるテーマは異なる。『日本のいちばん長い日』はポツダム宣言受諾を目前に、原爆を2発落とされておきながら、なお利権争いを続ける官僚・政治家の醜悪さが描かれる。そこでは官僚・政治家が一丸となって事態に対処するという姿勢は見られず、最終的な解決は天皇が”ただ独りで”下した「御聖断」によってつけられる。
他方、『シン・ゴジラ』では、責任逃れのために策謀を凝らす政治家・官僚が現れたりはするものの、官僚・政治家・科学者(+ドイツ・中国・米軍)が”一丸となって”ゴジラの問題に対処する。そこには、どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる、というポジティブなメッセージがある。
『シン・ゴジラ』のストーリー展開は『エヴァ/ヱヴァ』におけるラミエル戦とそっくりである。すなわち、『エヴァ/ヱヴァ』においては使徒ラミエルを倒すために全国の発電所および送電車が動員され、日本国が一丸となって協力する姿が描かれる。『シン・ゴジラ』においてはゴジラを倒すために全国のプラントおよび化学工場が動員される。
『エヴァ/ヱヴァ』においては、こうした戦いを通じて主人公シンジ君が生きる意味を見出す過程が描かれる。父に捨てられた経験から生きる意味を見失っていたシンジ君は、エヴァに乗って世界を救うことが自分の使命であると自覚していくのだ。
しかし、シンジ君はその後、使徒レリエルとの戦いの過程で、自分が乗っているエヴァがとんでもない化け物であることに気付きはじめ、続くバルディエル戦で親友トウジに重傷を負わせる(漫画版では殺害)に至って、生きる意味を完全に見失う。
そこで描かれるのは「みんなで協力して事態に対処したところでそれらは全く無意味である」というかなりニヒリスティックな結論である。
他方、『シン・ゴジラ』においてはこうしたひねくれたストーリー展開はないため、「みんなが一丸となって協力すれば危機を乗り切れる」というポジティブな結論になっている。
『シン・ゴジラ』においては初代ゴジラをリスペクトすることが明言され、ゴジラのデザインやストーリーに初代ゴジラの影響があることがしばしばインタビューなどで語られている。
『ゴジラ』のテーマの1つは、当時問題となっていた第五福竜丸事件を背景とする、反核兵器の思想である。ゴジラは水爆実験の影響で出現し、東京でゴジラがまき散らした放射線は罪のない児童にまで及んだという描写からこれがうかがえる。
他方、『シン・ゴジラ』でも核及び原子力問題がテーマとされている。ゴジラは海中に投棄された核廃棄物を喰らったことで東京に出現し、原子力エネルギーによって動いている。
しかし、『シン・ゴジラ』ではこの問題に対する姿勢はもう少し複雑なものとなっている。
まず、①原子力で動くゴジラの破壊力はすさまじく、東京は一瞬で火の海にされてしまう。他方、②ゴジラがまき散らす放射線による被害は小さいとされ、③ゴジラのエネルギー源の研究を進めれば現行の原子力発電よりもより安全でクリーンなエネルギーを調達することができることも示唆される。作中ではこのゴジラの2面性を評して「ゴジラは神の化身にして、人類に福音をもたらすもの」とも言われる。
しかし他方で、④国連安保理による核兵器投下はきわめて否定的に描かれる。
ここには、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」というメッセージがうかがえる。
以上の検討から、『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある。
◇「私は好きにした。君らも好きにしろ。」は岡本喜八監督から庵野監督へのメッセージ(牧吾郎の写真に岡本喜八監督の写真を採用したのはこのせい)。「この国で好きを通すのは難しい」はこれに対する庵野監督の回答。現代における作品作りの難しさを言っている。
これを踏まえてラストの「そろそろ好きにしたらどうでしょうか」を聞くと趣深い。すなわち、『シン・ゴジラ』は、色々な制約(予算やオールドファンの批判)で自分の好きに映画を作れない監督が、それでも俺は好きな映画を作るんだ!という映画である。結局、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』のラストと同様、フェリーニの『8 1/2』と同じ結論になる。
◇ラスト、血液凝固剤を流し込むシーンは、一見バカバカしいと思ってしまうが、福島第一原発にコンクリートを流し込むという形で実際にやったこと。
◇ラスト、ゴジラは死には至らず、凍結されるにとどまるが、これは同じく凍結状態にある福島第一原発を模している。今後も対処を続けないと、とんでもないことになるよ、という暗喩か。
(1) 孤独な男(シンジ・牧吾郎)が、強大な力(13号機・ゴジラ)を手にして事件を引き起こす。
(2) 危機に対応するのが現実主義的な集団(ゴジラ討滅のために核の使用も辞さない人類・エヴァ殲滅のために初号機を主機として使用するヴィレ)である。
すなわち、両者ともに、危機に対する現実主義的な対応を描いている。トーンの明暗を分けたのは、視点を孤独な男(シンジ)サイドに置くか、現実主義的な集団(日本政府)に置くか、の違い。
妻を放射線で亡くしたことで反原発思想になった結果、日本の学界を追放されてアメリカへ。
国民の生活や命よりカネを優先して原発開発を続ける日本に報復するために、核エネルギーで動くゴジラを出現させた。
その結果、①多数の東京都民が疎開により生活拠点を奪われ、②いつ復活して再び惨禍をもたらすか分からない凍結ゴジラが都のど真ん中に鎮座してしまった。
自分は下品なのも過激なのもバリバリやりまくってる立場なんだけどさ、
よくわからない自主規制してる人間って表現規制を推進してる人間を白痴か猿とでも思ってるんだろうか。
Saints RowっていうGTAのパチモンみたいなマフィアやらギャングがドンパチやるゲームがあるんだけどさ、
そのゲーム日本語版では自主規制によって「ドラッグ」という表現が全て「サプリ」に置き換わってんのよね。
ちなみにそれは字幕上の単語を単純置換しただけの話だからギャング達は心身ともにやつれたサプリ中毒者にサプリを売り歩き
サプリを密輸して、警察から逃げまわり、サプリを巡ってギャング同士で殺しあってんの。
すっげーシュールだよ。
多分これを暗喩って気づかないでプレイした人間は一人もいないし、
むしろ暗喩感が増していかがわしさが増したとすら感じてしまうレベル。
エロゲも同じ感じ。
ランドセル背負って小学校的な学校に通ってて、小学生程度の顔つき体つきで、
主に小学生みたいな行動をする小学生みたいな女の子がゲームの中でいかがわしいことされてて、
でもその女の子はどうやら設定上は18歳以上らしいということになって、
「なるほど!18歳以上なら問題ないな!表現規制なんて考えは改めよう!」
って規制する側が考えを改めるわけないじゃん。
呪いとか魔法が信じられている世界で「魔女」と村人から忌み嫌われ、1人で村の外れで暮らしている少女の元に、
この世界では異端である科学を信じていて、呪いや魔法を否定するために魔女を科学しにきた、科学者の女の子とが、
二人でどうすれば幸せになれるかを議論しあい、要するにどういう形であれ我々を否定する人間が居るということが幸せではない、ということに気づき
魔法とはマイノリティの暗喩である見たいな感じには一切ならず、
魔法の力と科学の力の合わせ技で、迷信深い村人たちをギッタンギッタンに成敗していく、痛快ストーリーの場合、
みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!
番 | 馬名 | 脚質 | 短評 |
---|---|---|---|
1 | b:id:Nettouochi | 大逃げ | 最多出走回数 |
2 | b:id:sabacurry | 逃げ先行 | 最近増田ではなくお気に入りから見てる? |
3 | b:id:c_shiika | 先行差し | 料理得意そう |
4 | b:id:taihe | 差し追込 | アイコンかわいい |
5 | b:id:zeromoon0 | 先行 | ブクマ指南役 |
6 | b:id:msdbkm | 逃げ | 言葉遣いがかわいい |
7 | b:id:kash06 | 自在 | 大人1 |
8 | b:id:vlxst1224 | 超追込 | 大人2 |
9 | b:id:Re-KAm | 大逃げ | 無言パスファインダー |
10 | b:id:hungchang | 逃げ先行 | 慣れ合い嫌いそう |
11 | b:id:nezime | 先行 | スターください |
12 | b:id:aukusoe | 逃げ | 明喩 暗喩 隠喩 提喩 換喩 諷喩 引喩 |
13 | b:id:metroq | 逃げ | めぐまれない増田救済家 |
14 | b:id:sny22015 | 逃げ先行 | 大人3 |
16 | b:id:oooooo4150 | 逃げ先行 | 最優秀3歳牡馬候補 |
17 | b:id:whkr | 差し追込 | 他の話題との組み合わせブコメ |
18 | b:id:death6coin | 自在 | 我が道を行く |
19 | b:id:feita | 先行差し | アイコンすごい |
20 | b:id:tamilele | 逃げ先行 | アイコン変わったから分からなかった |
21 | b:id:furutanikaede | 逃げ | 出てきたり出てこなかったり |
22 | b:id:kidspong | 先行差し | まさに関西のお笑い |
23 | b:id:sugimurasaburo | 逃げ先行 | ですます |
24 | b:id:QJV97FCr | 先行差し | 読めない |
25 | b:id:sukekyo | 先行差し | 目がこわい犬 |
26 | b:id:cider_kondo | 自在 | 仕事は電気?アニメ製作? |
27 | b:id:masudamasurao | 逃げ | 最近増田で見ない。さみしい |
28 | b:id:gazi4 | 自在 | 一行紹介大好き http://profile.hatena.ne.jp/gazi4/ |
29 | b:id:kenjiro_n | 先行差し | 高そうな腕時計 |
30 | b:id:mugi-yama | 先行差し | 言葉の用法指導 |
お昼食べに行くからここで終わり
わーい初心者の僕にも表できたよ
追記:
msdbkmさんのご指摘により訂正致します。furutanikaedeさんごめんなさい
増田先輩が使っているのを真似しました。すぐにブクマページに飛べるので便利>sabacurryさん
違います。ブコメの順番を脚質にしただけです。逃げは1番目のブクマ、先行は2~10、差しは10~30、追込は30~くらいです>oooooo4150さん
毎朝、目が覚めたら布団の中でスマホでニュースサイトを開いて、地球近傍小惑星が衝突確実!みたいな記事がないかチェックするのが習慣になっている。
ベン H ウィンタース の「地上最後の刑事」みたいな終末世界にならないかと、常に祈る日々。
赤木智弘の「希望は、戦争。」の記事が出て約10年になるが、まったく状況が変わらないどこらひどくなる日々。
飼ってる犬は15歳になってかなり弱ってきていて、見ているだけで胸が締めつけられるし。
親父は癌で3回めの手術を受けて、このあとどうなるかわからないし。
若いころに自殺未遂4回してて、毎回大恥かいて、もう自殺なんかしたくないし、そもそも死にたくないし。
映画『ズートピア』のニックとジュディのカップリング二次創作が流行する一方で
「恋愛関係にならないからいいのに」「友情だからいいのに」という声も多く聞く。
人種差別を暗喩した作品のキャラクターに対する「この二人は恋愛じゃないからいいのに」の残酷さ。
異性同士の恋愛を「異性愛至上主義」「ヘテロ至上主義」を「押し付けられている」と、そういう方向でしか捉えないフェミニストが昨今増えている。
インドならカースト制、日本ならいわゆる在日や部落差別の問題、障碍者のきょうだい児、
異性同士でも、法的には許されていても、周りの圧力によって結婚が難しい場合はいくらだってあります。
ズートピアが人種や民族、あるいは障害の問題を動物によって描いたのなら、他に配偶者がいる訳でもない成人同士の関係を「絶対に友情だ、恋愛になる事は100%ない」と断じてしまう事はそれはそれで問題ではないか。
現実の、一見自由に見える日本でさえ異性愛だってすべての点において歓迎されている訳ではなく
異性愛を何のわだかまりもなく翳りもない、一方的に押し付けられるだけの嗜好と考えるならばそれは無邪気に過ぎると思います。
だから監督は「未来については分からない」と言ったのだと思いますが。
公式に答えを求めるな、二次創作で楽しめ、と言いますが、そういう土壌を持たない普通のファンならば公式で回答を求めるのは自然な事に思える。ファンには「この二人に恋愛関係になって欲しい」という感想を出す権利はあると思うよ。制作側にはそれに応える義務がないだけで。
試しにジュディを「日本人」、ニックを「在日」で擬人化して考えてみるといい。「この二人でそういうの(恋愛)はありえない」という言葉の、何と残酷なことか。
だから「将来的にどうなるかは分かんないけどね。」というのが模範解答だと思うのです。
信じられないほど幼稚な論理だ
直喩とは喩えだとはっきりの書いていることを言う
暇な大学生が書いたのかな?
もう少し勉強した方がいい
明示とははっきりと書かれてあるということだからサブリミナル効果やその類なんて比喩だとは言えないよ。
言語によらない直喩なんてその表現された内容について「~のようだ」と文字にして言い換えることができる程度の判断でいいんじゃないかな。
反対にいえばメタファーは文字にしたときに「~のようだ」と簡潔に言い表せない対象であるということだ。
たとえばある楽器と男根を執拗に交互に並べた場合には楽器そのものを「男根のようだ」と言い表すことはできないけれど暗喩としては機能する。
そもそもメタファーとは暗喩であるため,創作者が直接的に記述することはない.その結果として,構造的に受け手の問題となる.仮に楽器が男根のメタファーのように感じたとして,それをみんなに伝えたところフルボッコになったのであれば,周囲の受け手はそれを男根のメタファーとして感じなかったということである.暗喩であるがゆえに,正解はどこにも明示されておらず,暗喩は多数決的な構造を有している.ふたりエッチのバナナは男根のメタファーだよね,という話であればほぼ全ての人が頷いてくれただろう.
逆に,創作者が男根のメタファーのつもりで創作していたとしても,それが誰にもそう感じられなかったのであれば,独り相撲であり,それは男根のメタファーではないのである.そもそもメタファーで議論をすること自体,不毛なのだ.