ひろさちや氏は宗教を持つから人間であって、無いのは動物だ見たいな事を言ってた覚えがあるので
無宗教の身としては、ちょっと敬遠しちゃいますねえ。
宗教ごときでそんなに大幅に区別されるとはとても思えませんし。
ひろさちや氏とやらが、その言葉を言ったかは知りませんが、
「そう考えられる人間」こそが「宗教を信じる人間」なんじゃないでしょうか。
「宗教的な思考の人間」の考える「動物」だと認定される方が、
「宗教的ではない思考ができる人間」にとって、よほど人間的なのではないでしょうか。
宗教の有無を、ひとつの選択肢として捉えられる自由さや寛大さを
宗教を持ってしまうと失ってしまうのかもしれません。
その自由や寛大さを自分はもちろん、他人にも認めない宗教もあるという事でしょうね。
(でも、多分すべての宗教ではないはずです)
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