はてなキーワード: 教授とは
というタイトルだけで内容が要約されてしまったので、これで終わりでもいいのだが、せっかくなのでもう少し書いてみる。
ただ、当事者にとってのアウティング(=バラし)になるリスクを踏まえ、可能な限りボカして書くので予めご容赦を。
その人と最後に会ったのが20年も前なので、まさしく昔も昔の知り合い。
いわば出向先で知り合った仕事づきあいでしかないのだが、とにかく仕事熱心で、自分がこの会社を支えているんだという、自信と自負に溢れていた。
新婚ホヤホヤで、奥さんと「子供どうしようかー」みたいな話をしていたっけ。
その実力で以て、業界でも少なからず活躍するだろうなーと当時は思っていた。
それが自分の社会人生活も20年目ということからか、最近になって当時のことがふと気になり、あの人、今どこで活躍しているのかなーと思って、名前と画像でググってみた。
程なく見覚えのある顔が、きれいなメイクと手入れの行き届いたロン毛に、柔らかそうなゆったりしたカットソーとともにヒットした。
ついでに現在の音声も聴く機会があって、「あーそういうことなんだ」と把握。
もちろん女性というジェンダーで生きる手段も色々あるようで、つまり全員が全員、手術して戸籍を変えて…というわけではなく、実際某東大教授のような「女装男子」もいる。
ただどんな形であれ、男性から女性にジェンダーを変えた=トランスジェンダーなのはほぼ確実だと思う。
ちなみにトランスジェンダーとして生きるきっかけは、いわゆる「性別違和」というやつだそうで、これはもうシスジェンダーの人間には想像を絶するほど苦しいと聞く。
トランスとして生き方を変える前はもちろん、体に大変な負荷と社会適応の苦労の末、望みのジェンダーを手に入れた後でさえ、自殺する者が少なからずいるらしい。
いわゆる「その立場になってみないと絶対にわからないこと」だらけの世界であることは間違いない。
なので、ただのシス男性でしかない自分がなにか軽々しく言えた話じゃないのは百も承知だが、
「それもまた人生だよな」
と、この件については不思議と納得していたり。
普通の枠に当てはまらない人間は別にそんな珍しいことじゃないし、「自分は普通のはずなのに」とわけもわからず苦しむのと、
「普通ではない」ことに自覚的に苦しむのでは、たとえ同じように死にたくなる苦しみだとしても、恐らく後者のほうがQOLはマシだろうから。
それに、普通の人とは世界の見え方が違うことが、何かマイナスじゃないことをもたらす可能性もあると思うし。
どこで足がつくかわからないこともあり、かつ書き方一つで炎上しそうな話題だと思い、なかなかリアルでは話せなかったので、ここに書き置いていく。
友達とかにも話しにくいし、かといってインターネットにおいてでさえ友達が作れないコミュ弱なのでたまに見かけるここに。
中退して半引きこもりになって二年が経って、やっと感情の成長を感じた。というよりも、それまでデフォルトだった厭な気持が消えたというか。
こうなる前は、ずっとゲームに打ち込んでた。食事もしなくなって、数キロ減ってBMI16切りかけて、それでも飯が食えなかった。ひたすらにゲームだけをしてた。多分現実逃避だった。
親の怒鳴り声もいつからか止んで、それでもたまに幻聴みたいにしてゲームのSEが親の声に聞こえては心臓を冷やしてた。ただ親のせいにしすぎだなって思うしそれなりに罪悪感はちゃんと覚えているのであんまり家族のことは言わないほうがいいのかもしれない。
布団の中でゲーム実況見ながら夜を明かして、エナジーバーのパッケを布団の外に捨てては窓の外を通る小学生の元気そうな声に頭痛がしてた。それから数日後、ふっとゲームをしなくなった。
課金もしてた。過去の貯金でズンパスも買ってたし、スキンも課金して取ってたし、レベル上げもしないと課金が無駄になると思ってた。でも、すうと興味が消えた。代わりに学校に通えなかった悔しさと、今はもう大学に進学して授業の話をしている友人が酷く羨ましいという思いがあふれた。ついでに劣等感と孤独感で吐くぐらい泣いた。勉強は好きだとずっと嘘をついてきてたと思ってきたけど、噓から出たまことか本当に好きだったのか、あの勉強がしたいこれがしたい、それがしたいから大学に行きたい。でも学費が足りない。友達はみんな、大学に行っている。成人式の服を見繕っていた。教授が。課題が。今まではゲーム漬けで麻痺してたのかもしれないってぐらい泣いた。惨めだし、本当に本当に悔しかった。中退の理由は、カッコよく言えば理想と現実のギャップで病んで死にそうになったから。繕わずに言えば宿題ができなかったから。勉強はそこそこできたし模試も良い点とれたけど、家で勉強できなかったから。「君たちは要領がよかっただけ」という昔通っていた塾の講師の言葉が今更ながら身に染みる。
泣いて、泣いて、それでも編み物かと言わんレベルのメンタルは数か月かけて多分それを乗り越えた。「中退して、こんなに惨めで泣くのだって、それで諦めてないだけ強さじゃん」って思えるようになった。無根拠な自信だって、それで物事を始められるなら良いじゃないかと思えるようになった。周りからの意見はそもそも聞いちゃいないし、じゃあ自分の心の内で決めようって。身だしなみにも少しずつ気を遣えるようになった。まだ途中だけど、バイトも再開して学費をためつつ勉強も再開した。相変わらず楽しくはなかったけど、自分の歩みで進む、自分だけの解説ブックを作るのはとんでもなく楽しいことに気が付いた。推しの配信を見れるように英語以外も勉強し始めた。
多分、時間が必要だったんだと思う。それにしては失ったものが大きいし失いすぎたと思うけど、そんな自分でも友人はまだ繋がっていてくれてるし、自分に無根拠でも自信を持っていいことに気が付いた。噓からでさえ実が生まれるなら信心から生まれるのは極自然だし。
オチがないな~~って思ったけどまあ日記ならこれでいいし、とにかく自分はよく頑張ったしこれから始められるというのを脳内で捏ねる以外の方法で吐き出したかったからいいや。履歴書的には絶対に無駄な二年間だったけど、メンタルも編み物からアルミ缶ぐらいにはなったしやりたいことの見極めもできたからいい二年だったんじゃないかな。今でこうなら多分将来は笑い飛ばせると思う。なんなら二年で済んだのが早いじゃんぐらい。
頑張るぞ~~~~~~~!!!!!
twitterに書いてることを本として書けば良いと勧られた件で盛り上がってるけど、
自分としてはオッカム先生にぜひ普段ツイッターで書いてることを本にしてほしい。
北海道とか稚内とかの地域格差の話とか、自分史としてまとめたら普通に意義があるのではないか。
自分史的な構成で、ツイッターやってる大学の先生が書かれた本というと、最近出た中公新書にもそういうのはある。
普段からツイッターでいろいろと長い理論を書かれてるけど、それこそ本としてまとめたらいいのではって感じでしょ
地域格差関連は多分まとまった考えを持っている人による論考は多く求められるものだと思う。北海道という地域研究としても重要だろう。
まとめておけば、1つの資料として後世に対して有意義ではないか。
たぶん北大法学部関係の学界の話題とかも見るべきものがあると思うし、理科大長万部の話も有用と思うんよ。
「工学部ヒラノ教授」で大学で苦労した話を先生が語るって本はすでにある。
大学に入る経緯の点なども含めて、大学文化を語る上で重要な史料になりうるものだと思ったんよな。
ヒラノ教授の作者も「語り部」としての活動だといってた気がするし。同じような形で、教養部オッカム先生とかの本にできんかな。
教授が何度も連絡してくれて書き上げただの、留年したけど他の研究テーマが与えられただのと出てきたんだけど指導教員って、普通こんなに面倒見が良いの?
うちの研究室だと後輩が2ヶ月くらい不登校になったときは何の連絡もせず、学期末直前に成績が出ませんよとだけメールしただけ(もちろんそこから出てきても間に合わない)で特に教員側からアクションなんてなかったんだけどそういうもんじゃないの?
俺の修論も方向性も示してくれないのが普通だと思ってたんだけど、主体的に動かなくても進捗が遅ければ干渉してくれるものなの?
誰もが、は大げさだけど旧帝大とか有名私大の名門研究室の教授を(伝統芸能みたいに)継承する一握りの人以外みんな不幸になる設計だと思う。
考えてみて欲しい。人文系の博士課程(後期)に進む人というのは幼少期から勉強が出来て親や学校の先生に期待されて大学に進学している。
論理的思考能力や粘り強く課題をやり抜く力とかも身に着け、指導教員に励まされながら論文を書き30前後に博士号取得で能力の頂点に達する。
問題はその後だ。
大学を卒業して企業に入った場合、その年代では仕事を覚え裁量範囲が増し(場合によっては部下もいて)給与や処遇も1年目よりはよくなっている筈だ。
しかし人文系博士はどうだ?博士号取得したてで就けるのは非常勤講師、それも年々減っている。時給換算すれば家庭教師より悪い。
自分が大学生の頃馬鹿にしていたようなF欄大学の学生に「パンキョー」で専門分野とは異なる分野を教えながら学会費を捻出し勉強会などで研究を続けるほかない。
なにより気が滅入るのは先が完全に見通せることだ。80代の名誉教授から大学教授、准教授、助教、常勤講師まで上はびちびちに先輩が詰まっている。
理系ならば海外からスカウト、民間研究所に就職という手もあるだろう。だが誰が哲学や宗教学や文学の博士を高級で迎えたがる?[反語的疑問文]
かつて自分が馬鹿にしていた同級生が企業の管理職に成ったり起業するのを横目に見ながら、世渡りが上手くマスコミ受けがいい分野(社〇学を筆頭に)で著書が売れる研究者を羨みながら
学生の頃と変わらない住まい、服装、生活パターンを続けていれば不安と嫉妬で頭がおかしくなるのも無理はない。
男性研究者の場合はさらに深刻だ。「女性研究者登用」という制度(それ自体は正しい)のおかげで挑戦権さえ得られないリスクさえある。
いっそ性転換してMtoFとして応募してみないか?という悪魔のささやきが聞こえてくる。
SNSでの暴言はもちろんいけない。昨今の事例を鑑み、普通の人間ならリスクと便益を考えてやらない。
あっという間に何十年とかけて積み上げて来た勉学と研究と人間関係と研究者としての将来をふっとばしてしまったある人文系研究者を見てつくづくため息が出た。
「諌める」…便利な言葉やね。池内恵が件の非常勤講師と指導関係にあるわけでもないのに。
横だけど、正直そこ違和感あるんだよね。
非常勤講師と大学の関係なんて千差万別で、確かに語学講師とかで数コマ同じ大学に依存していると講師の力が弱いとは言えると思うんですよ。
でも、「帝大の研究室が抑えてる、専門性の高いポスト」みたいなケースだと、大学にとってめんど臭いのは講師との関係じゃなくて、その背後にいる教授との関係だからね。
高々月3万円をケチって、著名教授と喧嘩するか、ってことを考えてみれば、非常勤講師だってそんなに立場弱いことないよ。
現在、Twitterで炎上中の雁琳(がんりん)こと、甲南大学非常勤講師・山内翔太氏。まだ30代頭の駆け出しの研究者なのだが、彼が「身バレ」して炎上するに至った経緯を見るに、東大教授・池内恵氏が故意に仕掛けているとしか思えなくなった。
ご教示いただきありがとうございました。大学の人間としては山内翔太さんですね。衒わず自分の名前で堂々としていらっしゃればいいんです。言論を理由に圧力・工作かける人はとっくに知っているはずなので、実名で堂々としていることが最大の防衛策です。
https://twitter.com/chutoislam/status/1454774138883608586
例えば2021年10月31日の上記ツイート。わざわざ山内氏のリサーチマップ(研究者のプロフィールサイト)を貼って、彼の匿名アカウントと個人情報を紐付けている。
もし池内氏のこのツイートがなければ、ここまで炎上することはなかっただろう。
非常勤講師と勤務先の大学との関係がこのようなもの(メールボックスももらえないから宛先には使わないのが常識で、高い確率で大学当局が開封してしまう)であることは大学関係者には周知の事実なので、大学当局が読むことは予期していたと推認できるが、その推認が働かなかった理由は何か
https://twitter.com/chutoislam/status/1484392599200829440
また2022年1月21日の上記ツイート。すでに多くの大学関係者から「んなわけねーだろ」とツッコミが入っているが、池内氏がこのように非常勤講師に対する大学当局の「横暴」を強調することで、山内氏と勤務先の甲南大学との間に、無用な対立構造を生み出してしまっている。
書くならその白饅頭とやらを駆逐する規模で書かんと話にならん。客を奪われた白饅頭にネットで陰口言われ揶揄されるぐらいになれ。陰口怪文書書く側になるな。書かれる側になれ。以上
https://twitter.com/chutoislam/status/1484838070562160641
それはTwitterで書かずに一冊の本としてお書きになればよろしい。単行本500ページの憎悪と呪詛を書き連ねて文学・思想、文明批評となっている原稿を送ってくれれば、出版社を紹介します。読む人いるでしょう。
https://twitter.com/chutoislam/status/1484832718407933952
そして極めつけは、2022年1月22日の上記の2つのツイート。東大教授という立場や出版社とのコネクションを利用し、若手研究者の言論・執筆活動を束縛し、自らの従属下に置かんとする態度がありありと見て取れる。
これが大学人、しかも東大教授のやることだろうか。池内氏は山内氏を玩具にして遊んでいるつもりなのかもしれないが、自分の道楽でひとりの若手研究者の人生が終わりかけていることを深刻にとらえていただきたい。
saebou氏は
を発している。
「saebou氏がいきなり雁琳氏の暴言について勤務先の大学に対処を求めた」とう批判は的外れになる。
内容証明郵便の控えもアップロードされておりほぼ真実であろう。
問題は、雁琳氏の手元には内容証明郵便は届いていないということである。
大学は「文章」を所持しているがこれは大学当局が管理するもので雁琳氏に渡すことができないと主張している
→雁琳氏は12月に甲南大学から呼び出されたときにこの「文章」を見ており、最初「自分宛」だったと勘違いしていたが「大学宛」だったと修正している。
→雁琳氏のその時の大学当局との会話の録音内容からはこの文章が1.か2.かは判断できない。
予想
①甲南大学がハラスメント窓口宛文章と雁琳氏気付の内容証明郵便をひとまとめにしてしまい、気付として本人に渡すべきものを渡していない。
②甲南大学事務のサインで内容証明郵便は受理されたが、雁琳氏に渡すまでの間に紛失があった
③雁琳氏の元に内容証明郵便は届いたが雁琳氏が破棄・紛失してしまいその事実を覚えていない
→雁琳氏は大学のメールボックスをあまりチェックしていないという。
①②の場合「saebou氏がいきなり雁琳氏の暴言として勤務先の大学に対処を求めた」とう批判は無効かされる
また雁琳氏の「2021年12月に大学に呼び出されてからの」saebou氏批判が第三者のミスに起因するもののため不幸な的外れとなってしまう。
雁琳氏気付の内容証明郵便控えは間違いなく存在するので、saebou氏主観では「先に本人に伝えた後で、応答がないのでハラスメント窓口に相談した」形式を満たしている。
雁琳氏の怒りの相応の部分はいきなり大学から呼び出されたことに起因しており、ここで問題がこじれている。
現在のweb議論で①②③の可能性が検討されていないのが不思議である。
雁琳氏におかれましては、先ずsaebou氏との論争の前に大学に再度
「文章は2種類届いておりそのうち1つは自分気付で受け取る権利がある」
確認し、
念入りによく探すことをお勧めしたい。
増田の主張
・これを本人抜きにいきなり大学に告発することについては、かなり黒寄りのグレーではないか?
・雁琳氏を部分擁護する弁護士や教授は、擁護の焦点を「本人気付にできるものを飛ばして、いきなり勤務先大学に対応を求めた」に絞る者が多いが
雁琳氏の過去の暴言について、saebou氏から雁琳氏に直接内容証明郵便を送りつけることをそのものを批判する者は殆どいない、と認識している。
雁琳氏にはここを①②③を解き明かし
「今回の一連の発言は突如勤務先に通知が送られたことに対する怒りの表明であり、私に第一報が届くよう配慮したのならばsaebou氏には過去の暴言を謝罪する」
と表明して頂くのが一番穏当な対応ではないだろうか?
ポスドク・非常勤・非正規は揉めたら首切られて詰みなんて十秒考えれば分かる。
切られなくても悪評が残れば常勤への採用ルートに乗ることはまず不可能になる。つまりどっちにしろ詰み。
逆に一度常勤になってしまえばよほどのことがない限り首切るのは困難。
自分の専門分野でどれだけめちゃくちゃ言おうが、自分の専門と関係ないデタラメを学問っぽく粉飾して稼ごうが全くノーダメの教授というのは世にいくらでもいる。
弁護士は請け負いの打診もせずに、事実関係が明確でない段階で"懲戒請求にあたるかもしれない"とか言ってるし、
教授は"「権力勾配」は男女間じゃなくて「正規職/非正規職」のあいだにあるものなんですよ専任准教授さん。"とかのたまう。
Twitter論客はこぞって"彼の言動を肯定しないが"とか付けて論評するだけ。
彼を助けるつもりがあるなら、それぞれの立場から具体的な支援や幕引きのための仲裁をすればいいのにツイートするだけで誰も何にもしない。
そしてそれを本人がRTしている。
これがあまりに物悲しい。
捨て石の前線兵士とそれを悼むだけの後方みたいな構図になってる。
> “今後他大学の教授に対する性差別的な誹謗中傷を計画しないよう”
は,そう聞こえないこともないけど,文脈と社会常識から「誹謗中傷を『継続』しないよう」がただしい気がしてきたので変更します.
----------------------------------------
これは当然のことと思うけど,この書き下しだけ読んで「こいつはこんなこと言っていた!」って噴き上がるのはご容赦ください……言及するならきちんと自分で音声聞いてね,だいたい10分ちょいくらいなので
ハラスメントとされる行為の中には「それは一般社会でも犯罪だろ」というものもあれば、「それは別に一般社会では犯罪ではないだろ」というものもある。無断で尻を触るなどは一般社会でも強制わいせつ罪にあたるし、服を破くとか持ち物を壊すとかの嫌がらせをしたら器物損壊罪になる。しかし、では例えば「無視をする」というのはどうか?
一般社会において、私が誰かから何度か声をかけられて無視したとしても、それ自体はなんの犯罪にもならない(それが犯罪になるならこの世はナンパ師の天下になってしまう)。しかし、若く健康で聴覚障害を持たない大学教員が、自分が指導している学生からの再三の礼儀にかなった問いかけをガン無視したとしたらどうか。これはハラスメントではないか。
一般社会において、二人きりで食事をしようと持ちかけることや他者に愛を告げること、あるいは「セックスしよう」と誘うことは完全に自由である(それがダメなら親友に「おい、今度サシ飲みしようぜ」というのもダメになってしまう)。しかし、たとえば上司が(とりわけ異性の)部下にこれらを持ちかけたら紛れもないハラスメントということになる。
つまり、「一般社会では自由だが、職場などの特殊な環境では処罰の対象となる行為」というのがあるわけだ。それらは本来自由な行為であるのだが、一定の条件下では処罰の対象になってしまう。ということは、その範囲はなるべく厳密に設定されなきゃいけないということになる。だって、本来自由であるはずのものを罰するんですよ? その条件はきちんと決めておく必要があるでしょう。
アカデミックハラスメントは、「研究・教育機関、および学会等の学術組織において、立場が優越的な者から下位の者に対して行われるもの」と定義されるのが一般的だ。
たとえばある人物の公表された論文に「くだらん論文だ」「こんなのなんの価値もない」「こんな非生産的な研究にカネと労力が注がれているのは嘆かわしい」ということはまったく自由である。公開された論文については誰もが言及する権利を持っているからだ(表現の自由)。しかしそれを指導教授が受け持ちの院生に言ったらアカデミックハラスメントになる。
もしこの定義を崩せば、たとえば大学教授であるナンパ師が見ず知らずの女子大生に声をかけるのもアカデミックハラスメントということになってしまう。それはどう考えてもおかしいだろう。アカデミックハラスメントというのは、あくまで学術的機関・組織での権力関係に基づいて設定されるべきものだ。
では、大学でも学会でも縁がない非常勤講師やテニュアトラックの助教に誹謗中傷された任期なし准教授は「アカデミックハラスメント」の被害者なのか?
誹謗中傷の被害者ではあるだろう。それは正々堂々裁判に訴えて賠償金をもぎ取ればよろしい。それについてはなんの異存もない。しかし、同じ大学の同僚ではなく、学会で顔を合わせているわけでもなく、直接の権力関係があるわけでもない(むしろ被害者の方が立場が強い)場合には、それはアカデミックハラスメントとみなされるべきではない。
そしてアカデミックハラスメントではないのなら、自ずと罰されるべき発言の範囲も違ってくる。上に挙げた「くだらん論文」の例を考えてほしい。これを指導教授が院生に対して執拗に言ったら学内でお叱りを受け、場合によっては戒告などの処分に発展するだろう。だがもし、これを評論家が大学教授に向けて言ったのだとしたら、地裁から最高裁までのすべてで「単なる論評であり誹謗中傷とはいえない」との判決が出るはずだ。論文を読み、それをどう評価するかは自由だからだ。「こいつは無能な研究者だ」というのはどうか。指導教授が院生に言ったら一発でハラスメントだろうが、評論家が具体的に論文を引いてこいつの言ってることはおかしいと指摘した上での話なら、自由な論評の範疇ではないか。「彼女はどうしようもないバカな極右だ」「彼は救いようがない愚かなフェミニストだ」というのはどうだろう。「某教授のやってることはニセ科学だ」「某教授のジェンダー研究なんてまともな学問じゃない」はどうか。さすがにこのへんになると裁判でも危ういかもしれない。しかし、これを評論家が言うことすら許されないのだとしたら、言論の自由とは、表現の自由とはいったい何なのか。