はてなキーワード: 情状酌量とは
「とんでもないことをしたと思っている。被害者の方に謝罪したい」とか言ったとして、
これって反省しているとみなされて情状酌量の余地ありってなるのかな。
代理人が返しに来たってことは遅かれ早かれ逮捕されそうなことくらいはわかってて、
この事件に限らず事件を起こしたことに対して反省している(フリも含めて)からって
減刑したり刑期を短くするのってなんかちょっとモヤッとするんだよな。
例えばいじめられていた子供が追い詰められていじめっ子を刺し殺した場合に
ここでやらなかったら自分がやられていたかもとか、そういう経緯とかに対して
減刑とかを考慮するのはわかるんだけど、後から反省しているって言ったところで
もうやったもん勝ちみたい見えるなってのはある。
芸人が依頼主の身元の確認もせずに、しかも事務所を通さず仕事を受けたのが悪いのか?
それとも、芸能事務所の管理責任が問われるものなのか?そもそも事務所と芸人とはどのような内容の契約をしているのか?
「ギャラが少ないせいで闇営業してしまった」は正当な理由になるのか?それで契約している身なら文句は言えないのでは?人気があればファンや世論から同情され味方につけて情状酌量の余地にはなるかも知れないが。そもそもフリーでやればよいのでは?ただ芸能界って事務所がやたら強そうなのでフリー難しそうだけど。ハブられ干され案件も多いし。
サラリーマンに例えると「生活のやりくりに困って、禁止されている副業をコッソリやってしまった、しかも業務内容が反社とニアミスだった」みたいな感じ?
当時は「第二新卒」なんて言葉もなかった。大学を出て仕事につかないのはクズそのもの、大学を卒業して仕事がないなんてありえない!こいつにはなにか重大な人間的欠陥があるに違いない!「なんでこんないい大学を卒業したのに、うちに応募してきたのですか?」
就職が難しいのではない、そもそも求人がなかった。だから市販のアルバイト求人誌をみて「新卒可」のタグを探して、自分から電話をかけた。それができずに「社会人のレール」をはずれたやつは、親と喧嘩して引きこもるしかなかった。就職したところで、そんな時代に求人している企業は、だいたいが「ブラック企業」だった。
大学を卒業しても就職が厳しいらしいとオトナタチが気がつくのは「リーマンショック」あたりだった。それ以前は「お金をかけて大学にいかしてやったのに就職もしないやつはクズか人間的問題のあるやつ」という認識だった。「仕事なんて選ばなければいくらでもあるはず」「甘えてる」
ジョブホップなんてあるわけがない、ブラック企業に指一本でぎりぎりしがみついてるのに、ここからホップしたら奈落の底に真っ逆さま。なに?一部上場企業で通勤ラッシュ時のエレベーター行列が気に食わない?いい時代になったもんだなぁおい。
失われた20年、本来擁護してくれる左派でさえ「自業自得自己責任」の名のもとに我々を見捨てた。労働組合は経営者と「合意」して、まっさきに新卒を解雇した。生き残ったのは「上」にいるオトナタチ。右からも左からも捨てられた。
そりゃさ、左に尻尾振っても餌はくれねぇが、右に尻尾振れば幾分かは餌くれるからね、ちょっと右よりにもなるよ。そもそもオメエラ左が真っ先に俺たちを見捨てたんだろうよ!いまさら何が弱者の味方、権力の監視だよ。
20年間、ワカモノを使い潰しておいて、いざ人手不足になったら「人生再設計世代」の名のもとに再教育するってか、そしてもう一回使い潰すつもりか?
だから!
親の子殺し、子の親殺し、自業自得だよ。自己責任だ。「社会の問題じゃございません、家庭内の問題です。家庭内で処理すべきです」「家庭内で事前に処理した親御さんは情状酌量の余地がある!」
俺たちも自業自得自己責任の名のもとに見捨てられたよ。だから、これから社会で起きることも自業自得自己責任。日本なんてそうやって滅んでいけばいいや。社会保障制度が崩壊する?そんなの自己責任だろうが。俺たちには子もないどころか結婚すらしてないからね、社会保障制度なんて俺たちが食らい尽くしてやるよ。
氷河期世代は去勢済みの世代だから「運動」なんてしないよ。ただ引きこもるだけ。そうやって内側から静かに腐らせるのよ。サイレントテロって知ってるかい?
今日もまた親の子殺しがあったらしいよ、動機は「家庭内に問題があった」だってさ、こうなっちゃ世の中も末だね。
だけどこれはまだ始まったばかりなんじゃないかな。これからもっと増えるんじゃないかな。氷河期世代も40だよ。もう40だし、まだ40だよ。これからの20年、始まるよー、「自己責任」の結果が。
この意見に反対派の人に勘違いしてほしくない大前提として、「死にたいなら一人で死ぬべき」という気持ち自体は正しい。
無関係な人を巻き込んで自分も死ぬ、という行動自体は正しいわけがない。
死ぬ人は少ないほうが良いに決まっている。
それ自体は藤田さんも否定していないし、分かっているのではないだろうか。(勝手に言って違ってたら申し訳ないが)
じゃあ何が問題か、というと被害者を責めるだけの話でこの事件が終わってしまい、「死にたいなら一人で勝手に死ね」という風潮が日本社会全体に蔓延してしまうことである。
少し話が大きくなるが、「他人に迷惑をかけるな」という考えが、世界全体としてどうかは知らないが、少なくとも日本には強く根ざしていると思う。
(実際のところは「自分や自分の親しい人に迷惑をかけ得る行動はするな」かもしれないが)
でも、この考えって息苦しくない?と、とても思う。
人間も生き物である以上は自分本位だし、自分本位である以上他人と関わる際には迷惑をかける。
本当にダメな迷惑は法で制限されるのだから、多少の迷惑であれば見過ごすべきだし気にしないべきである。
しかし、私自身この「他人に迷惑をかけるな」という考えに強く縛られており、他人と関わる際に過度に他人に迷惑をかけないよう気にしてしまう。
その結果、「他人に頼らず一人でやった方が他人に迷惑をかけなくて済むな」という結論に落ち着いてしまう。
そういう人はとても多いと思う。
多くの人がそう思ってるはず(データは持ってないが)なのに、心理的にそうなれないのは、「他人に迷惑をかけるな」という考えが日本人に強く根ざしているからだと思う。
個人的には少しずつで良いので「かけすぎなければ迷惑かけてもいいよ」「失敗してもいいよ」という風潮になれば良いなと思う。
宗教っぽい見出しになってしまったが、話は大きく変わり、私は大学で統計学やプログラミングを学んだ。
どちらも「どのような状況でどのような結果になるか」を考えることが多いと思う。
プログラミングでは常にそのようなことを考えることになるだろうし、統計学では回帰分析などで特にそういった考えが強くなると思う。
ということをする。
ある人の行動を100%予測するのに必要なこの世の全てのものを把握できるわけではないので、予測はあくまで予測であり、100%完璧な分析は現在のところはできない。
でも、この世の全てのものを把握できるとしたら?
妥当な家賃をぴったり当てることができるし、ある人の次の瞬間の行動を100%的中させることができる。
ということは、それを逆に考えると、「ある人の行動はその一瞬前の世界の状態で既に決まっている」ということになる。
ここで、その一瞬前の行動は何で決まっているかというと、さらにその一瞬前の世界の状態である。
では、そのさらにその一瞬前の行動は...?とずーーーっと遡っていくと、「世界が生まれた瞬間に全ての物事は決まってね?」という結論に達する。
世界が生まれた瞬間ってなんだ?などと思うが一旦考えないことにする。
仮に犯罪を犯した人の育った環境、特に父母が悪いとする。ではその父母はどうしてそのような教育をした?というと祖父母まで遡ることになるし、その祖父母はどうして...?と遡っていくと、人類が生まれたときには既にその人が犯罪を犯すことは決まってた、ということになる。
全て、この世界が生まれた瞬間に決まっていた現象であるということになる。
運命はあるのかどうかと言えば、むしろ運命しか存在しないし、自由意志があるのかどうかと言えば、自由意志のように見えるものは存在するが実際には全て決定付けられたものでしかないし、それは自由意志ではないのではないか、ということになる。
「努力してこんなに凄くなりました!」
という成功談も、結局はそういう運命の元に生まれただけで、運が良かっただけだし、
「家庭内暴力を受け続け、学校にも行かせてもらえず仕事も見つからず、50になり親もいない今、死ぬしかないと思った」
という悲惨な話も運が悪かっただけということになる。
運命という言葉が運と命という文字で出来ているのも妙に納得できる。
自由意志に見えるものはあるのだから、それに従って決断し行動しなければいけない。
罪を犯してしまう人が生まれてしまった以上捕まえなければいけないし罰を与えなければいけない。
結局することは変わらない。
この考えは、
「下にいる人を蔑んではいけない」
といったような戒めのようなものにしかならないが、そういう考えが今の日本には必要なのではないかと感じる。
昔からの言葉で言えば、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉にはこのような考えがあるのだと思うし、情状酌量なんかがあるのだろう。
最近話題になったもので言えば、東大入学式での上野千鶴子さんの祝辞が似たものかなあと思う。
話を戻すが、1人の精神的にやられている人がいるとしよう。
そんな人がネットを見て、「死にたいなら一人で勝手に死ね」という言葉が並んでいるのを見たらどう思うだろうか。
なんとも思わない可能性もあるが、少なくとも気分が晴れることはないと思う。
「冷たい社会だなあ」と思ったり、人によっては更に落ち込んで「じゃあ死ぬか...」となるかもしれない。
もしかしたら、そこでまともな思考ができなくなり社会を恨み始めて通り魔になる可能性だってあるのだ。
ごくわずかな可能性かもしれないが、そのごくわずかな可能性で今回の事件が起きてしまった可能性も否定はできない。
今日ある1人が無差別殺人を犯す確率は低くても、今日ではなく例えばこれから5年間、ある1人ではなく日本人全体のうち誰かが、となると無差別殺人が起こる可能性は100%に近づいてしまう。
殺人はいつか起きてしまうかもしれないけど、せめてこの5年という数字を10年、20年にするために、社会をよりよく、暖かくしていこうよ、というのが今回の藤田さんの発言の意図ではないかと私は思う。
何か悪いことが起こったとき、その起こったこと自体や起こした人を責めるだけではなくて(もちろんそういう意見もあってしかるべきだとは思うが)、その根本的な原因を考えて改善していく社会になれば良いなと強く思う。
匿名投稿サービス、特にTwitterでは多いが、ある一般人の失言を何十人、何百人もの人がバッシングしているのをよく見る。
「死ね」とまで言う人もいる。
5chで死ね死ね言うのなら確実ではないが本人に届かないのだからまだマシだが、リプライで直接言うのである。
特に、オタクは学校でいじめられやすいが、そのオタクがTwitterでいじめてるのを見ると虚無になる。(もちろん必ずしも、Twitterいじめている人=学校でいじめられた人 ではないはずだが)
そろそろ誰かしら捕まってほしい。
ぶっちゃけるが、よく見る「被害者(遺族)の前でも同じこと言えるのか」っていう発言はいかがなものかと思う。
遺族に「これこれこう思ってるんですか?」って聞かれれば正直に「はい」と答えるかもしれないが、何も聞かれてないのに遺族の前で同じこと言うわけがないし、遺族以外に言えと言われて言うわけがない。
男友達の間で「おっぱいもみたい!」って言ってたとしても、取引先の目上の女性の前でも「おっぱいもみたい!」って言うか?言わないだろ。頭おかしいのか。
性犯罪なんて、情状酌量の余地なんてありゃしないんだから(あるとしたら犯人が少年だったとか、犯人が心神喪失だったとか)もっと厳罰化したらいい。
今のように、法定刑に幅を持たせない。強制わいせつなら自動的に懲役8年。
再犯は初犯の10倍の刑期、3犯目は初犯の100倍。これも自動的に適用する。
再犯防止のために性犯罪者にGPS付けるよりも、再犯に及んだ奴を確実に刑務所に入れておく方がいい。
再犯防止と称して監視するのは人権上問題があるが、現実に再犯に及んだ奴を厳罰に処するのは人権上の問題はさほどないからね。
今は軽い刑の罪だからとずさんな捜査をしている痴漢も、重罰化すれば捜査に力を入れることが期待できる。
性犯罪者以外にとっては何の悪いこともないこの案。どうだろう。
上の増田とは別人だけど、同じ料金払ってるのに性別によって乗れない車両が存在する、というのはどう考えたって不利益だろう。
駅の構造的に、あの車両に乗れればもっと通勤通学が便利になるのに、っていうところに女性専用車両がある男ってのはけっこういると思うよ。
女性専用車両では確かに痴漢に遭うことはないのだろう、そういう効果があるのは理解する。
でも、それは差別の罪の重さを推し量る際に情状酌量に使う要素であって、差別かどうか判断するときに使う要素じゃないと思うんだよな。
設置の背景には多くの女性が電車内で性暴力を経験しているという事情があり、女性より男性の方が社会的に権力があるという現状があり、男の被る不利益が「あの車両が使えない」程度なので、差別っちゃ差別だけど罪は軽いし今すぐ撤廃しろと喚き散らすつもりにはなれないな、と思う。
(少なくとも、上記3つの点においてことごとく情状酌量の余地が存在しないアメリカの白人専用バスとかと比べるような罪の重さではない)
でも、差別じゃない、とか、男に不利益はない、っていうのは違うでしょ。
切実な事情とかより大きな不利益の前にこのくらいの差別や不利益は我慢しろ、なら理解できるし納得も協力もするけど、差別じゃない、なんていう出鱈目な主張には納得も協力もできない。
もし利用客の多くがこんな出鱈目を信じ込んでいるのなら、俺は協力をやめることを選ぶよ。間違った主張には協力できないもの。
両親は離婚済なので父親は一緒には居ない。けれど私との仲はいい。
私が友人と飲みに行ってて帰りが遅い日に電話がかかってきて、なにかと思ったら開口一番怒鳴られた。
友人にも驚かれたしとても恥ずかしかった。
あれは何だったのかと母親に後日聞いたら「覚えてない」と答えられた。
酒乱の気があるのは思っていたが、こいつ本格的に駄目だな、と思った。
あと、職場でセクハラされたから上に掛け合ったと愚痴をこぼしたら
「ブスのくせによくそんな事できるね」と言われた。
自分の娘が他人に侮辱されてもそいつを構うのかと驚いた。その後は機嫌が悪くなった私に腹を立てていた気がする。
本当に昔からろくな奴じゃなかった。
殴られて頭から血を流した事もある。
酒瓶で背中を殴られた事もある。
お前なんか産まなきゃよかったとずっと言われて毎日泣いて過ごしていた。
吐き癖が変なふうに拗れて一時期食べた物を全部戻してしまったりしたのも、今も思ったら母親からのストレスのせいかもしれない。
こんな風にボロクソに言ってるが母親も母親で事情というか情状酌量の余地はあると思っている。
24歳でデキ婚で私を産み、父親は一切家事育児をせずワンオペ育児で頭がおかしくなったらしい。
私に悪いという感情はあるらしい。あと私の態度が最近冷たい事を気にしてると父親から聞いた。
あと不登校で大学を留年した時にその余分な1年分の学費を母親が出してくれた。
(父親の金銭管理が杜撰っぽいのは大人になってから薄々感じてるので、離婚の原因は母親の性格+父親の金関係な気がしている。)
しかし、そんなもん知るか馬鹿というのが本心だ。知らねえよそんなの。だからって人を傷つけていい理由になるかよ。私はお前のせいで体調悪くして入院までしたわ。
あと私は学費を出してくれた母親が嫌いで出さなかった父親が好きだから
人の恩を感じるのは金では無く行為であること、普段の行いの大切さを勉強した。
弟からも父親からも見放されて(この二人は家を出て行った)可哀想だな、という気持ちもあった。
あと夜中に急に発作のようなものが起きて泣いたり苦しくなったりする事もあるらしい。
だからなるべく尊厳を傷つけないように一応親として扱っていたのだが、上記の最近のクソエピソードが本当にクソすぎて、親として扱う事も認識するのもやめた。一緒に住んでる他人、そう思ったらなんかどうでも良くなった。
そしてついさっき、また夜中に発作が起きたのだけど、甘えられるのが頼られるのが心底面倒だと思った。
前はどうだったか、もう少し心配な気持ちはあったのか。覚えてないけど、本当に心配面倒なクソ女だと思った。
よっぽど顔に出てたのか「面倒?面倒だったら出て行くよ」と泣いた顔で言われたけれど、そうしてくれというのが正直な気持ち無かった。
寝ようと思っていた、と案に出て行って欲しいと伝えたら居なくなった。
そこで思ったのが、一番上の「感情って尽きるものなんだな」という感想。
母親に対して嫌いだけど愛はあると思っていたけれど、それも無くなってる気がする。無関心。そんな自分が薄情な気がしてショックを受けた。
一番心に刺さったのが自分の変化に戸惑う事なあたり、本当に母親どうでもいいんだなという証拠にも思える。悲しいようなこれでいいような、切ない気がする。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190315/k10011849981000.html
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子育てに悩みに悩んで、追い詰められた人が、重度のうつ病を患った。そして、ついには我が子を畳に叩きつけて死に至らしめてしまった。気の毒な事件だ。ワンオペについて様々議論されているさなかの事件であり、特に乳児を抱える母親たちにとって関心が高いようだ。ツイッター上では情状酌量すべきという意見が多く見られた。
量刑が適当かどうか、心情的に納得できるかは置いておこう。自分が気になったのは、「実刑判決になったら残り二人は誰が育てるのか」という声が少なくないことだ。こういった声を上げているのは、母親を擁護する立場の人々だ。なんて厳しい人たちなんだ、と思った。
仮に死因が「事故死」だったとしても、同じ年頃の子を育てるのは辛いだろう。それを、自分が直接死に至らしめた子の兄弟を育てるのは現実的な選択肢なんだろうか。本人は、家族は、耐えられるものなのだろうか。そうは思えない。事ここに至って、それでも、母親であることを求めるのは何故なんだろう。
読んだ。商用サイトなんだからNGはNGだろ。儲けが少ないから、っていうのは情状酌量の範囲で、少額だから許すかどうかというのも加害者のこの人ではなく被害者が決めること。
どちらかというと「商用サイトの自覚が足りませんでした、すみません。もうしません(または今後はきちんと話を通してからサービス紹介をします)。なお実際の儲けはこのくらいだったので、賠償金は下げていただけないでしょうか」と交渉すべきだったのでは。
それをまぁ金目当ての脅し扱いとか、完全に敵認定してるしこれはもう和解の目はないのでは。なんで理由があって怒ってる人をクズ扱いするんだろう。自分が悪いの認められないから?
連絡取れない訳でもないのに無断でアフィリエイトサイトに掲載したのはやっぱりどう考えても不誠実だと思う。これがまかり通るとサービス紹介という名目なら何してもいいみたいなクソアフィが大量に沸く可能性があるし、サービス提供者を全力で支持したい。
かわんごは、もともとホリエモンとひろゆきを足して3で割ったくらいのポジションで、ファンもアンチも多かったが、ここまで嫌われてはいなかった、と思う。
ただ、カドカワのトップになったことで責任感みたいなものが出てきたのか、あちこちに顔を出してさまざまな持論……たいていは「理屈の上では」が常にエクスキューズされるようなピーキーなもの……を語るようになり、それがひろゆきのような在野の論客であれば「またあいつ炎上商法やってるよー」で済むところ、肩書きのこともあって変に影響力が強まり「あいつ本当にヤバイのでは…?」と思われるようになったのではないか。
たとえば「理屈の上では中国みたいに金盾やるのが権力者にとっては理想っすよ(国民としては許しちゃダメだけど)」みたいな過去の発言が、ブロッキング問題のときに引っ張り出されて「かわんごは金盾を作ろうとしている!」とか言われたりしていた。
直接的にはこれが最大の理由っぽい。
かわんごの主張を簡単に紹介すれば「著作権侵害にはブロッキングが最も有効である」であり、これを批判するなら「違憲だからブロッキングはダメ」、あるいは「政府が悪用するかもしれないからダメ」というだけの話なのだが(ブロッキングが本当に違憲かどうかは裁判に持ち込まないかぎり明らかではないし、ひとつでも例外を許せば中国みたいになっちゃう!という潔癖すぎる態度にも問題はあるわけで、個人的には情状酌量の余地はあると思っている)、結果的にこれがほとんど一方的な非難の対象となり、「政府の独裁を擁護する悪の腰巾着」のような印象がついてしまった。
これはコミュ力の塊であるところの山本一郎の煽りが効いてもいるのだろう。
こちらも情状酌量の余地はあると思っているのだが(もともとインフラ面も同時に強化するつもりだったのが「発表は新サービスに絞ったほうがウケがええやろ」と言及しなかったら、「変な機能を増やすだけでサーバーを増強しないつもりか!」と怒りを買ったとか)、ちょうどニコ動のサービスレベルの低下でヘイトを買っており、その憂さ晴らしもあって、水に落ちた犬は叩け状態になってしまった。
たつき降板で、オタクがカドカワに抱いた憎悪にも近い感情が、そのトップであるかわんごに向けられた可能性もある。
ちょうど炎上していたときに、マストドンにネタバレを隠す機能をつけて、「けもフレについて」というタイトル→(クリックしたら)「書くわけねえだろ」みたいな冗談をかまして顰蹙をかったこともあった。
「こんなところでそんな重要な情報を書くわけないじゃん」という本当にただの冗談だったのだが「けもフレのことなんておまえらに教えるわけないじゃん」というファンへの煽りだと解釈されてしまったのだ。
「かわんごってsuica使えないとかで炎上した奴だろ?」みたいなツイートをいくつか見た気がする。
とにかくコミュニケーションが下手。
「理屈を説けば理解してもらえる」みたいに思ってるんじゃないか。
本人はネット活動にさまざまなルールを設けていて、それをブログに明記しているのだが、そんなの読んでからやってくるアンチなんているわけがない。
たとえば一定のフォロワーが集まったらアカウントを消すというルールがあるらしいのだが、そんなことを知らない大多数のアンチは、アカウントが消えれば「かわんごが逃げた!」と盛り上がるだけである。
ブロッキング問題とかもあちこちに意見を残して、Twitterではアンチの煽りでも何でも質問に答えていたのだが、本人には一貫した文脈があっても、大多数の人はその場にある発言だけを(さらに色眼鏡付きで)見て判断するから盛大に誤解を招くのである。
ただでさえエクスキューズが多いのに、そのエクスキューズを伝えようとしない!
「ルールに則って一貫した態度を貫けば皆もわかってくれるはずだ」みたいな、そういう非コミュの極みみたいな考えを持っているからダメなのだと思う。
がんばれ、かわんご!