はてなキーワード: 怠惰とは
男と一緒に女が、遠目なので判然としないが男性向けの美少女キャラが描かれているように見えた缶バッジをつけていた。
もっと近づいて確認しようとしたが、駅の階段をホームへ降りている最中で人が多く、その女の俺の間にも一人いて、「その前に割り込んででも」ということはできなかった。
横顔が見えたが主観的に可愛かった。
可愛い女が美少女グッズをつけていると、なんのキャラなのか、可愛い女がどういう男性向けに興味を持つことがあることがあるのかという意味で、野郎が美少女グッズをつけているのを見かけたときよりも各段に気になる。
そういう稀少な人が興味を持つ対象はどんなものだろうという、単純な心理だ。
別に変な下心は無い。
それがただの建前だとしても、所構わずナンパする迷惑野郎よりは俺のような腑抜けの方がましだろう。
やはり女で男性向けの缶バッジを持っている割合はごくわずかだとすれば、この悶々も、逃がした魚は大きいという単純な心理現象にわずらわされてるだけなのだと心の整理がつけられるだろう。
もしかしたらブスよりは可愛い女の方が男性向けを好む傾向があって、それには「容姿の良い女は美少女キャラに対して劣等感を持ちにくい」などというような因果関係もあるのかもしれない。
強迫観念が風化するのはまだまだ時間がかかりそうなので早く心の整理をつける材料となる統計的事実が見出されることが期待される。
もちろんそのとき直接聞いてしまうという手もあったけどたぶん一度そういうことをしてしまうとあらゆることを都度見知らぬ人に節操なく尋ねるようになるのではないかと思った。
スマホの画面にちらっと漫画が見えただけで気になる性分には質問事項があふれている。
一度だけ訊くならまだしも、電車内を質問しながら練り歩くようになれば誰が見ても狂人だ。俺もそんな奴には一度も出くわしたことは無い。
一度だけ訊いて、それ以上は我慢するか、一度でも訊くのを我慢するか。
俺には同じことに思えたのだ。
むしろ一回でもやってしまったことに対しては心の側で「なぜ一回はよくて二回はだめなのか」という理屈が頭をぐるぐる回る傾向が俺にはある。
その心理的ストレスは前者よりも大きい気とも思った。結局帰納法的な原理で理屈の内容は都度変質していき歯止めがかけられなくなり気がしたのだ。
まあ世の中の美少女缶バッジの大抵はもしかしたらboothかアニメイトで売られていたもので、その二つ売り切れ含めくまなく見さえすればその女が身に着けていた缶バッジを見ること自体はできるのかもしれない。
強迫観念に苦しむ日々を送っている割にはそういうのは面倒に感じる怠惰さを合わせて持っている。全てを網羅せんとするようなオタク気質とはある意味まったく相反した、気になっていることに限って迅速に解決したいという質なのだ。
事実、皇族制度をみても血統氏族を優遇すれば利益を得られる構造になっている
だから障害児や後期高齢者、出産期を過ぎた女性、独身の男女、あるいは国家資格者でない者は、価値なきがごときに言われる
しかし彼らは、「産業革命を起こさなかった日本人は欧米人より価値がない」(奴隷消費者としての価値しかない)、とは何故か言わない
価値がないとされる人間を排除すれば、欧米人に劣らない能力を持てるのか?と言えば、否だ
欧米人が医学を発達させ、工学を発達させて道具や機械を作り、法律を発達させたのは、人を価値がないと見なして排除したからではなく、病気があったり不器用な人の障害を取り除き、搾取を防止しようと努力したためだし、大学や研究所が競って発達してきたためだ
昔コミュニケーションは苦手だけどコミュニケーションの意思はあるって意味で「私コミュ障でw」って言ったら自分の怠惰をコミュ障って言って誤魔化すなって会話打ち切られてそのままずっと気まずいままだったことある
しかも先にコミュ障で……って言ってる本当に引っ込み思案の子がいて、その子と言った相手が仲良いしなかなか話してくれないから伝わるだろうと思って私も同じw一緒に仲良くしよって意味で言ったのにその子は友達の自己紹介聞いてなかったから怒られるだけで終わった
「vtuber嫌いだけどvtuber迫害する奴がもっときらい」
「宗教そんなにいいのか、なら入ってうまい汁すいたかったのに迫害があるならあらかじめ邪魔されてる!うっすら損した気がする!」ってことだろ
報道をみて後知恵でこういうことを書いてるわけなんだけど
こういうやつに限って迫害がなくてもいつまでまってても宗教なんか入らないし自分からは何もしない 本当に愚痴しかいわない
親がはこんでくれる飯に文句つけるようなやつ 楽園にいながらもっといい楽園に入れない自分を悔しがるようなやつ
そんでこれ味が嫌いっていちいち表明するだけで好きでもだまってる、褒めない、支援しない、働かない、なん~~~にもしない
迫害にしろ宗教にしろまわりが自分レベルより怠惰じゃないことに恐れを抱いてるだけだよそれ
増田でなら愚痴れてよかったね、クズのゴミ溜めに入れておめでとう君も今日から立派なクズ仲間だね
追記:
でもよく考えると元増田がなんとなく中国語っぽい言い間違いしてるのも趣深いよなw
中国から日本にきて愚痴を言える自由を満喫してるとこなんだろうか?wwwwwww
黄熊天安門
「やるべきこと」が見つからないんじゃなくて、能力が無い君にはそもそも「やるべきこと」なんて存在しないんだよ。
実際そうだろう、「やるべきこと」が見つかって生き生きとしている人たちは、皆優秀な、能力のある人たちばかりだ。
君は「やりたいこと」が沢山あるよね。でもその「やりたいこと」が「やるべきこと」にならないのは、君が単純に怠惰で能力不足のバカだからなんだよ。
だからいつまでも「やりたいこと」で終わる。周りから期待もされないし、場所も道も与えられない。
世の中には、どうしてもダメな人間と言うのが存在する。役に立たない人間。この世に必要ない人間。
現代社会はやさしいから君のような人間をあからさまに排除したりしないけど、疎まれて、不必要とされていることは常に意識しないとね。
つくづく自分って怠け者だなあって思う。
全てがめんどくさくて、やる気がなくて、受動的にネット上のコンテンツを消費するだけの日々。
なんでこんなにクズなんだろうって考えると、たぶん、固定マインドというか、決定論というか、人の性格は生まれ持ったガチャ的要素で全て決まって、後天的な意思決定とか努力ではほとんど変えられない、みたいな考え方が染み付いてるからだと思う。
週7でそこそこ頑張った部活では、もともと運動神経がいい人に歯が立たなかったし、逆にサボりまくった受験では、地頭のおかげでそこそこ良い大学に入れた ーー そういう経験が山ほどある。
さらに、遺伝で6割とか8割とか決まるらしい統計的な傾向とか、未来は全て決まってるとするニュートン力学の考えの援用だとか、決定したと意識する随分前に脳が勝手に決定してるという認知科学とか、色々な知識が努力を否定してくる。
つくづく自分って怠け者だなあって思う。
全てがめんどくさくて、やる気がなくて、受動的にネット上のコンテンツを消費するだけの日々。
なんでこんなにクズなんだろうって考えると、たぶん、固定マインドというか、決定論というか、人の性格は生まれ持ったガチャ的要素で全て決まって、後天的な意思決定とか努力ではほとんど変えられない、みたいな考え方が染み付いてるからだと思う。
週7でそこそこ頑張った部活では、もともと運動神経がいい人に歯が立たなかったし、逆にサボりまくった受験では、地頭のおかげでそこそこ良い大学に入れた ーー そういう経験が山ほどある。
さらに、遺伝で6割とか8割とか決まるらしい統計的な傾向とか、未来は全て決まってるとするニュートン力学の考えの援用だとか、決定したと意識する随分前に脳が勝手に決定してるという認知科学とか、色々な知識が努力を否定してくる。
ふと、広大なネットの海に彼の断片が揺蕩っていないことに、一抹の寂しさを覚えたので。
彼に逢ったのは大学2年の春のこと。九州出身の僕にとって、コートが手放せない北関東の春寒に辟易していた頃であった。
新歓委に適当に名を連ねた自分は、準備のために何ひとつ手を動かすこともなく、当日ふらりとやってきては三枚目を演じる役目に殉じていた。
定かではないが、正確にアイデンティファイしたのは、何度目かの食事会のことであったろうと思う。えらく目に残る濃紫のダウンコートに、これまた鮮やかなスカイブルーのボトムス、黄緑のリュックという出で立ちで、ママチャリを漕ぐ小柄な姿に、台湾の街なかをゆく人を彷彿したものである。
彼が口を開けばすぐに明晰さに気がついた。女史の多い学類の中で数少ない男子、話を聞いてみると、さらにマイナーなところで史学徒志望とあっては、親交を温めるに十二分であった。必然的に同じ授業を受けることになり、同じ時間に学生控室に居ることになった。
半年も経つ頃には、先輩風なぞ吹かせられないほど優秀であることを思い知らされた。彼の謙虚な姿勢で分かりにくかっただけで、史学は勿論、政治、社会、哲学、文学、芸能に至るまで幅広く人文学の素養を蓄えているさまは、正しく博学才穎と評するに値する。
なるたけ楽をしようという学生と対照的に、彼は努力の人でもあった。史学徒らしく先行研究を丁寧に洗い、批判的思考の先に論理的な積み重ねをするといった基本を忠実に守り、そしてその先を直向きに追究していた。
彼の尊い所は、それらの要素をコメディカルに自嘲し、扮飾していることであった。口癖に「チャップリンのような男になりたい」と言っていたが、恐らくはそのあたりに起因するのだろう。オフの彼は道化であることを心がけていたように思える。
実際、彼が醸し出す人間的魅力は、接する多くの人々の心を開かせてきたに違いない。それは悲しいかな、告別式に集まった人の数で可視化された。
院進を悩んでいた頃、自分の無才さとそれを補えない怠惰を刺激され、逃げるように就職した。
少ない給料でも、彼が困ったときに本代くらい捻出できれば、それで十分だと思って。自分は一線で人類の知を切り開く探求者にはなれなくとも、彼らを応援することくらいはできる、そう思っていた。
遺された人にはありがちな思考過程ではあるが、彼が居なくなった後の世界は何も変わらなかったことが恨めしかった。まるで彼という存在を皆忘れているかのようで。
自分もそんな世界の一員だった。彼の告別式でも、その後一人で2月の寒空の下をバイクで3時間走ったときも、ひとつぶの涙も出やしなかった。次の日にはケロッと出勤した。
暫くして事後処理で窶れきった主査の先生へ手紙を書いたとき、初めて涙が溢れた。「彼の分まで生きましょう。彼もきっとそれを望んでいるから」と、宛てたのは先生へだったが、届いたのは自分のところだったのだろう。
思いきり泣いたことで随分気持ちは楽になったのだが、前よりもずっと、フラットに彼と向き合える自分がいることに気づいた。それは嬉しいことだった。少し遠いところに行ってしまった、くらいに思えて、以前よりずっと身近に彼がいるような気がするからだ。聖書にある「神に近づいた」状態と似たような心持ちなのだろう。
以来、こうやってことあるごとに彼を思い出すわけだが、そのたびに僕の中の彼が記憶のリフレインだけでなく、その先の知新を促す。僕は過去の一時点に比べて、ずっと世界に対して心を開けるようになった。
彼がやっていた南相馬の農村社会史を引き継ぐことはできないが、彼がやろうとしたことは自分にも引き継げる。今、僕が眼の前の人々を愛し、その未来へと思いを馳せることを大切にしているのは、きっと彼がそうだったからだろう。
彼の不在は世界を変えなかった。だが、彼の存在は僕の視座を変え、そして僕からまた誰か別の人へ伝播する。それが世界を変える頃に、誰も彼の名を知らずとも構わない。よもや小汚い小男から手渡されたバトンだとは世人も思うまい。彼という人間の射程の如何に大きなことか。
君がいなくなっても地球は回り続けている。コロナで世の中がひっちゃかめっちゃかになって、東京五輪があって、君の好きだった能年玲奈は今も芸能界で頑張っていて、相馬の野馬追祭りは久しぶりに開催された。国会は相変わらずだけど、安倍さんのことは、そっちに行ったから君のほうがよく知っているだろうね。
どうか、もう少しそこで待っていて欲しい。君の好きな偉人たちがごった返しているだろうから、ヒマはしないだろう。僕はもう少し僕にしかできないことを探してやってみるよ。また会えたときには色んな話をしよう。
【コミュ障】という言葉を初めて聞いたのは大学に入学してすぐのことだった。
当時出来立ての言葉だったのか、所属するコミュニティが変わったから耳に入るようになったのから定かではない。
「私コミュ障だからさ〜ww」と言われる度に不快な気持ちになったのを覚えている。
自分のコミュニケーションへの怠惰をそんなしょっぱい言葉で正当化するな、と。
X氏の同僚で、その日初めて会ったY氏と雑談をする機会があった。
X「何か趣味あるの?」
私「そうですねぇ、無趣味なんですよ」
でも「得意料理は?」とか「女子力高いねw」とか「おすすめの本は?」とか返ってくるのが耐えられない。
趣味=詳しい、得意 だと思われるのが耐えられない。そんなに大層なものではないから。
X「音楽は聞く?」
私「いやぁよくわからなくてw」
X「Yさんは×××が好きなんだよね?」
Y「よくご存知ですね!嬉しい」
嘘。ぜーんぜん嘘。
推しとか好きな曲とか訊かれるのが耐えられない。恥ずかしいから。知らないだろうし。
どうして人は訊いてもわからない質問をするのだろう。変な空気になるのはわかりきっているのに。
そしてまた、自分の話はできないのにYさんの話題には乗っかれるんだ、という驚きがあった。
X「AさんとBさんは犬を飼っていて、Cさんは猫を飼っていて、Dさんは飼いたいけどペット不可マンションで…あれ、Yさんは何か飼ってるの?」
私「わー」
わー、じゃないのよ、わーじゃ。
私も好きです飼ってました可愛いですよねって言えばいいじゃん。
その後の展開を大して伴わない情報開示くらいすればいいじゃん。
でもできなかった。できないことにショックを受けた。一度逃したら話題に乗っかるなんてできるはずもなく、呆然とその後の話を聞いていた。
それにしても相槌が下手で、そのことにも絶望した。
「おー」「ははぁ」「なるほど」「なるほど」しか言っていない。なるほどが多すぎる。
普通に仕事をしていく上で不備は発生していない。質問もできるし受け答えもできる。相槌は馬鹿だが。
ただ自分がやっている仕事を訊かれると答えられない。咄嗟に思い出せず、半分くらい少なく見積もって開示してしまう。
多分もう少し忙しいけど、それを聞いた人はこいつメッチャ暇だな、と思うと思う。
同僚に「もっとちゃんと仕事してます!って周りにアピールしなきゃ評価してもらえないよ」
と言われたのを思い出す。どうしても、自分の話ができないのだ。自分を少なく見積もってしまう。自分の話ができない。
自分のコミュニケーションへの怠惰をそんなしょっぱい言葉で正当化するな
と学生の私は思った。今でもそう思っている。だから周囲に言わない。
言わないけれど、本当に私はコミュニケーション能力が足りていないのかもしれないと怖くなっている。その日から毎晩泣いている。
でも、この恐怖を人に話すことができない。
【コミュ障】という言葉を初めて聞いたのは大学に入学してすぐのことだった。
当時出来立ての言葉だったのか、所属するコミュニティが変わったから耳に入るようになったのから定かではない。
「私コミュ障だからさ〜ww」と言われる度に不快な気持ちになったのを覚えている。
自分のコミュニケーションへの怠惰をそんなしょっぱい言葉で正当化するな、と。
X氏の同僚で、その日初めて会ったY氏と雑談をする機会があった。
X「何か趣味あるの?」
私「そうですねぇ、無趣味なんですよ」
でも「得意料理は?」とか「女子力高いねw」とか「おすすめの本は?」とか返ってくるのが耐えられない。
趣味=詳しい、得意 だと思われるのが耐えられない。そんなに大層なものではないから。
X「音楽は聞く?」
私「いやぁよくわからなくてw」
X「Yさんは×××が好きなんだよね?」
Y「よくご存知ですね!嬉しい」
嘘。ぜーんぜん嘘。
推しとか好きな曲とか訊かれるのが耐えられない。恥ずかしいから。知らないだろうし。
どうして人は訊いてもわからない質問をするのだろう。変な空気になるのはわかりきっているのに。
そしてまた、自分の話はできないのにYさんの話題には乗っかれるんだ、という驚きがあった。
X「AさんとBさんは犬を飼っていて、Cさんは猫を飼っていて、Dさんは飼いたいけどペット不可マンションで…あれ、Yさんは何か飼ってるの?」
私「わー」
わー、じゃないのよ、わーじゃ。
私も好きです飼ってました可愛いですよねって言えばいいじゃん。
その後の展開を大して伴わない情報開示くらいすればいいじゃん。
でもできなかった。できないことにショックを受けた。一度逃したら話題に乗っかるなんてできるはずもなく、呆然とその後の話を聞いていた。
それにしても相槌が下手で、そのことにも絶望した。
「おー」「ははぁ」「なるほど」「なるほど」しか言っていない。なるほどが多すぎる。
普通に仕事をしていく上で不備は発生していない。質問もできるし受け答えもできる。相槌は馬鹿だが。
ただ自分がやっている仕事を訊かれると答えられない。咄嗟に思い出せず、半分くらい少なく見積もって開示してしまう。
多分もう少し忙しいけど、それを聞いた人はこいつメッチャ暇だな、と思うと思う。
同僚に「もっとちゃんと仕事してます!って周りにアピールしなきゃ評価してもらえないよ」
と言われたのを思い出す。どうしても、自分の話ができないのだ。自分を少なく見積もってしまう。自分の話ができない。
自分のコミュニケーションへの怠惰をそんなしょっぱい言葉で正当化するな
と学生の私は思った。今でもそう思っている。だから周囲に言わない。
言わないけれど、本当に私はコミュニケーション能力が足りていないのかもしれないと怖くなっている。その日から毎晩泣いている。
でも、この恐怖を人に話すことができない。
「糖尿病」という病名から来るネガティブイメージすなわち「怠惰なデブ」というスティグマ故に多くの人達が診断を怖れて発覚が遅れるせいというのが大きいだろうに
政府や医療関係者は個人への生活習慣改善や通院を促すばかりで絶対にそれは改めようとしないのが凄い
糖尿病の「怠惰なデブ」イメージとは真逆で、白血病や結核は寧ろ「美人がかかる病気」「美人薄命」という美しいイメージがあるよな
夏目雅子は白血病でなく糖尿病で死んだら悲劇のヒロインとして記憶される事はなかったろうし、沖田総司も肺結核だったから悲劇の美少年のイメージがついたんだろう
如何に致死率が高くとも、白血病や結核にはネガティブイメージは皆無でそれどころか「美人薄命」の美しいイメージがつくので
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/12f23b0a7768a23b516abfe0562333d563ae9f0d
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1928948
こいつらさ、ルッキズムって言葉を「何も考えず怠惰に生きてきた自分を全肯定してくれる魔法の言葉」としか思ってないだろ
人の容姿ってどういうものなのか、どうやって作り上げられていくのか、誰からどう評価されるのか、そういうことを考えているようには到底思えない
自分が価値を理解できずにやってこなかったことをやってる他人が評価されてるのが悔しくて悔しくてたまらないっていう薄っぺらな嫉妬心しかないでしょ
若い頃に見た目について考えるのを勝手に無価値だと決めつけて、周囲の人間を「あんな無駄なことに時間使ってる人、全員バカですw」とか言って鼻で笑いながら生きてきたけど、
大人になってあれが必要な事だったのだと薄々気付いてもなお、コツコツと努力するのは絶対に嫌だから屁理屈で自分の価値を粉飾しようとしている浅ましい人間の集まり
結局この考え方は「自分が価値を感じないことに価値があると思っている人間は全員差別主義者だからどんなに傷つけてもいいんだ」という身勝手で何の根拠もない思い込みで、
そこに向き合わない限りは仮に人の評価と容姿が全く無関係な時代が到来しても別の場面で訳の分からないことを喚き散らして社会から弾き出されるのがオチだよ
こういう人達も、それなりに良い大学を出てそれなりに難しい頭脳労働に勤しむ、世間的に見れば「頭の良い人」なのかもしれないけど、
それはあくまで学校や仕事で身につけた専門分野限定のもので、今までロクに考えてこなかったりやってこなかった専門外の事を同じようには扱えないよ。
怒りと悲しみをアルコールで流し込んだ末の文章なので色々目を瞑って欲しい。
1.私は漏斗胸という病気を患っている。
漏斗胸とは胸骨が内側に大きく凹む先天性の病気だ。見た目はそこそこキモイ。
胸骨が凹み胸筋が著しく少ないため痩せていてもビール腹のようになる、見た目は完全に餓鬼である。
心臓は体の中心にあるなんて豆知識があるが私の心臓は左にズレている(多分)。
目立った症状は無いが、心臓に穴が空くリスクや臓器に負担があるらしい。
不整脈が併発することもあるらしく、脈拍を計るときは看護師に「落ち着いてください」と言われる。落ち着いてます。
直接の因果関係は不明だが漏斗胸の人はガリガリの体形になる。臓器に負担をかけているせいなんて言っている医者もいる。
実際私は超が付くほどガリガリだ。家系の人間も揃ってガリガリ体系なので遺伝的要因もあるのかもしれない。
ネットで調べても標準体型の人なんて殆ど見かけない。いるとしても症状が軽い。
筋肉量が少ないので運動全般が苦手(特に腕立て伏せ)で、自分は運動ができないダメ人間なんだと悩んでいた。
筋トレをしても成果が得られず、飯をかきこんでも体重は増えない。
大人からすればしょうもない事で悩んでいるなと思うが、子供にしたら自分の人生を全否定されたような衝撃がある。
それらが漏斗胸が原因だというのはごく最近知った。幼少期の時に知れていたら心情的に幾分か楽だったかもしてない。
原因があるとはいえ、一度染みついたコンプレックスは油汚れのようにしぶとい。コンプレックスは理屈ではない。
他の病気を馬鹿にするわけでは決してないが、見た目でわかりやすい障害だったらよかったなと思ってしまう時がある。
私のような見た目で分かり辛い障害は怠惰の烙印を押される。支援や理解を得ずらい障害はその障害なりに辛い思いをしていることを知って欲しい。
「漏斗胸なんだから仕方ないじゃん」「この体に生んだのはあなたなのにそれを馬鹿にするのはおかしい」
すると決まって「俺は治すかどうか聞いた、お前が拒否したんだろ」と返される。
確かに聞かれた、だがそれは聞かされたのは年端も行かぬ時だ。
自己が確立しておらず、コンプレックスを抱きにくい子供に決断を迫り、それを生涯、証拠品のように"つきつける"。
異議あり!裁判長それは子供の頃の結婚の約束をネタに結婚を迫るヤバい人間と同じです!
いくら悔もうが私に染み付いたコンプレックスは消え無いが、心は幾分楽になる
毒親とは思っていない。彼は単純に論理的嗜好ができないだけで悪意はない。彼は他人の身体的特徴をいじることを息子とのコミュニケーションだと思っている。周りの人間に指摘されなかったせいで気づかぬまま還暦を迎えた。彼は彼で被害者なのだ。
そんな彼に育てられたからか自尊心が育たないまま大人になった。
他人に褒められても気持ち悪いと感じてしまうダッセェ人間になった。
不幸中の幸いなのかそれらを客観的に判断できる人間にはなった。
自身の無能さに気づかないまま生きられた方が良かったかもしれないが。
こんな人間なので偏った主張だとは思うが最後に一つだけ言いたいことがあるので聞いて欲しい。
これから子供を産もうとする人、既に子供がいる人。あなたは一つの生命を生むに値する人間ですか。
子供の人生の大半はあなたが作り上げた環境に左右されます。これは紛れもない事実です。
あなたは自分を"まとも"な人間だと思っているかもしれない。そんな綿あめみたいなフワフワの幻想は捨ててください。
自身の社会的ステータスや幸せのために子供を作る時点であなたは紛れもない加害者です。日本は自身の子供に労働力を強いる貧困国ではありません。親のエゴで子供が作られる国です。
トンビはタカを生みません。しかしトンビをタカにしようと努力することはできます。
子供が好きで、愛しているなら、あらゆる努力を惜しまないでください。あなたの子供をこんな文章を書く人間にしたくないでしょう。
怒りと悲しみをアルコールで流し込んだ末の文章なので色々目を瞑って欲しい。
1.私は漏斗胸という病気を患っている。
漏斗胸とは胸骨が内側に大きく凹む先天性の病気だ。見た目はそこそこキモイ。
胸骨が凹み胸筋が著しく少ないため痩せていてもビール腹のようになる、見た目は完全に餓鬼である。
心臓は体の中心にあるなんて豆知識があるが私の心臓は左にズレている(多分)。
目立った症状は無いが、心臓に穴が空くリスクや臓器に負担があるらしい。
不整脈が併発することもあるらしく、脈拍を計るときは看護師に「落ち着いてください」と言われる。落ち着いてます。
直接の因果関係は不明だが漏斗胸の人はガリガリの体形になる。臓器に負担をかけているせいなんて言っている医者もいる。
実際私は超が付くほどガリガリだ。家系の人間も揃ってガリガリ体系なので遺伝的要因もあるのかもしれない。
ネットで調べても標準体型の人なんて殆ど見かけない。いるとしても症状が軽い。
筋肉量が少ないので運動全般が苦手(特に腕立て伏せ)で、自分は運動ができないダメ人間なんだと悩んでいた。
筋トレをしても成果が得られず、飯をかきこんでも体重は増えない。
大人からすればしょうもない事で悩んでいるなと思うが、子供にしたら自分の人生を全否定されたような衝撃がある。
それらが漏斗胸が原因だというのはごく最近知った。幼少期の時に知れていたら心情的に幾分か楽だったかもしてない。
原因があるとはいえ、一度染みついたコンプレックスは油汚れのようにしぶとい。コンプレックスは理屈ではない。
他の病気を馬鹿にするわけでは決してないが、見た目でわかりやすい障害だったらよかったなと思ってしまう時がある。
私のような見た目で分かり辛い障害は怠惰の烙印を押される。支援や理解を得ずらい障害はその障害なりに辛い思いをしていることを知って欲しい。
「漏斗胸なんだから仕方ないじゃん」「この体に生んだのはあなたなのにそれを馬鹿にするのはおかしい」
すると決まって「俺は治すかどうか聞いた、お前が拒否したんだろ」と返される。
確かに聞かれた、だがそれは聞かされたのは年端も行かぬ時だ。
自己が確立しておらず、コンプレックスを抱きにくい子供に決断を迫り、それを生涯、証拠品のように"つきつける"。
異議あり!裁判長それは子供の頃の結婚の約束をネタに結婚を迫るヤバい人間と同じです!
いくら悔もうが私に染み付いたコンプレックスは消え無いが、心は幾分楽になる
毒親とは思っていない。彼は単純に論理的嗜好ができないだけで悪意はない。彼は他人の身体的特徴をいじることを息子とのコミュニケーションだと思っている。周りの人間に指摘されなかったせいで気づかぬまま還暦を迎えた。彼は彼で被害者なのだ。
そんな彼に育てられたからか自尊心が育たないまま大人になった。
他人に褒められても気持ち悪いと感じてしまうダッセェ人間になった。
不幸中の幸いなのかそれらを客観的に判断できる人間にはなった。
自身の無能さに気づかないまま生きられた方が良かったかもしれないが。
こんな人間なので偏った主張だとは思うが最後に一つだけ言いたいことがあるので聞いて欲しい。
これから子供を産もうとする人、既に子供がいる人。あなたは一つの生命を生むに値する人間ですか。
子供の人生の大半はあなたが作り上げた環境に左右されます。これは紛れもない事実です。
あなたは自分を"まとも"な人間だと思っているかもしれない。そんな綿あめみたいなフワフワの幻想は捨ててください。
自身の社会的ステータスや幸せのために子供を作る時点であなたは紛れもない加害者です。日本は自身の子供に労働力を強いる貧困国ではありません。親のエゴで子供が作られる国です。
トンビはタカを生みません。しかしトンビをタカにしようと努力することはできます。
子供が好きで、愛しているなら、あらゆる努力を惜しまないでください。あなたの子供をこんな文章を書く人間にしたくないでしょう。
怒りと悲しみをアルコールで流し込んだ末の文章なので色々目を瞑って欲しい。
1.私は漏斗胸という病気を患っている。
漏斗胸とは胸骨が内側に大きく凹む先天性の病気だ。見た目はそこそこキモイ。
胸骨が凹み胸筋が著しく少ないため痩せていてもビール腹のようになる、見た目は完全に餓鬼である。
心臓は体の中心にあるなんて豆知識があるが私の心臓は左にズレている(多分)。
目立った症状は無いが、心臓に穴が空くリスクや臓器に負担があるらしい。
不整脈が併発することもあるらしく、脈拍を計るときは看護師に「落ち着いてください」と言われる。落ち着いてます。
直接の因果関係は不明だが漏斗胸の人はガリガリの体形になる。臓器に負担をかけているせいなんて言っている医者もいる。
実際私は超が付くほどガリガリだ。家系の人間も揃ってガリガリ体系なので遺伝的要因もあるのかもしれない。
ネットで調べても標準体型の人なんて殆ど見かけない。いるとしても症状が軽い。
筋肉量が少ないので運動全般が苦手(特に腕立て伏せ)で、自分は運動ができないダメ人間なんだと悩んでいた。
筋トレをしても成果が得られず、飯をかきこんでも体重は増えない。
大人からすればしょうもない事で悩んでいるなと思うが、子供にしたら自分の人生を全否定されたような衝撃がある。
それらが漏斗胸が原因だというのはごく最近知った。幼少期の時に知れていたら心情的に幾分か楽だったかもしてない。
原因があるとはいえ、一度染みついたコンプレックスは油汚れのようにしぶとい。
他の病気を馬鹿にするわけでは決してないが、見た目でわかりやすい障害だったらよかったなと思ってしまう時がある。
僕のような見た目で分かり辛い障害は怠惰の烙印を押される。支援や理解を得ずらい障害はその障害なりに辛い思いをしていることを知って欲しい。
「漏斗胸なんだから仕方ないじゃん」「この体に生んだのはあなたなのにそれを馬鹿にするのはおかしい」
すると決まって「俺は治すかどうか聞いた、お前が拒否したんだろ」と返される。
確かに聞かれた、だがそれは聞かされたのは年端も行かぬ時だ。
自己が確立しておらず、コンプレックスを抱きにくい子供に決断を迫り、それを生涯、証拠品のように"つきつける"。
異議あり!裁判長それは子供の頃の結婚の約束をネタに結婚を迫るヤバい人間と同じです!
いくら悔もうが私に染み付いたコンプレックスは消え無いが、心は幾分楽になる
3.毒親とは思っていない。彼は単純に論理的嗜好ができないだけで悪意はない。彼は他人の身体的特徴をいじることを息子とのコミュニケーションだと思っている。周りの人間に指摘されなかったせいで気づかぬまま還暦を迎えた。彼は彼で被害者なのだ。
そんな彼に育てられたからか自尊心が育たないまま大人になった。
他人に褒められても気持ち悪いと感じてしまうダッセェ人間になった。
不幸中の幸いなのかそれらを客観的に判断できる人間にはなった。
自身の無能さに気づかないまま生きられた方が良かったかもしれないが。
こんな人間なので偏った主張だとは思うが最後に一つだけ言いたいことがあるので聞いて欲しい。
これから子供を産もうとする人、既に子供がいる人。あなたは一つの生命を生むに値する人間ですか。
子供の人生の大半はあなたが作り上げた環境に左右されます。これは紛れもない事実です。
あなたは自分を"まとも"な人間だと思っているかもしれない。そんな綿あめみたいなフワフワの幻想は捨ててください。
自身の社会的ステータスや幸せのために子供を作る時点であなたは紛れもない加害者です。日本は自身の子供に労働力を強いる貧困国ではありません。親のエゴで子供が作られる国です。
トンビはタカを生みません。しかしトンビをタカにしようと努力することはできます。
子供が好きで、愛しているなら、あらゆる努力を惜しまないでください。あなたの子供をこんな文章を書く人間にしたくないでしょう。
っつーか、民主主義をどう扱えば良いのか分かってないんだ。
「この政策はこういうコストやデメリットがあるけど、あっちの問題と考え合わせると、このコストとデメリットは受け入れるべきで、政府はよくやっている」
というような事を普通の国民が答えている。
でも、日本のニュースだと、国民はデメリットがある時点で拒否反応を示す。
「許せないですよねー」「怖いですよねー」「困りますよねー」レベルの反応しか返ってこない。
「それが受け入れるべきコストやデメリットなのか」というレベルの判断をしていない。
選挙に行かない理由とか聞いても、「投票したい党が無い」とか平気で答えてる。
各政策のトレードオフとか何も考えてないし、現実的な選択肢の中から選ぶ気もない。
ただ「与えられたものに不満を言うだけ」。
お客様。
「今日何食べたい?」と聞かれても、何も答えられない癖に、出て来たものに文句言う奴。
これが何でかって考えると、多分、日本国民は主権を勝ち取った事が無いからだろう。
考えてみりゃ、選挙権を得た明治維新も、その平等化が進んだ第二次大戦も、どっちも国民は何もやってない。
お上に逆らわずに唯々諾々と従ってるうちに、他人がお上を倒して与えてくれた民主主義だ。
そのせいで、主権をどう扱えば良いのか、全く知見が無い。
権力を持つこと、権力を倒す事、どっちにもリアリティを感じていない。やった事が無いから。
日本国民にとって、民主主義は最初から「誰かが良い物くれるのを口開けて待ってるもの」だったのだ。
これは江戸時代の市民がお上に不満を言って落書書いてた時から何も変わっていない。
自力でお上と戦う気はない。陰で悪口言いながら、表立っては逆らう気はない。そういうのを奴隷という。
誰も、「政府は腐ったらどんなに大変でも倒さなければならない」とは子供に教えないし、「権力は放っておいたら国民に害になる」とも考えない。
放っておけば、何か夢みたいな選択肢が出て来るものだとナチュラルに期待している。
その帰結が、「投票したい党が無いから投票に行かない」という究極の他人任せ。
食べたいメニューを誰かが目の前に出してくれなきゃ何も食べず、自分で作る気もなく、しかも自分が怠惰だと考えず「自分が欲しい物が出て来ないのが悪い」と平気で考えている。