はてなキーワード: 伝統とは
YouTubeを見ていたら何故かおすすめに鞭杆(べんがん)の動画が出て来たので見ていた
投稿日が13年前で一体どうしておすすめに出て来たか不明だが套路と用法を見ているとなるほどなぁと思った
ちなみに鞭杆(べんがん)とは中国の山岳地帯の羊飼いが長さ120センチ前後の杖を武器として使い始めた中国山西省地方の伝統武術の粋らしい
套路を見ていると上段の受け方に何通りかあって突き、下段にも同様の攻防があるようだった
ただ剣術だとその受け方はしないので120センチの棒での攻防が前提条件であるようだ
今在籍している職員の社会的属性と査定状況の突き合わせをベースとして、入庁後に活躍できそうな要素、逆に活躍できない可能性がある要素について、各面接室のリーダーに共有していた。
また、受験者の内定受諾関係の統計から、実際に内定を受けてくれる可能性についても情報を与えている。私がK市の職員台帳(驚くほど何でも載っている……)のエクセルを弄りまわして統計分析にかけた結果、導き出したものだ。
このチェックリストに該当すると、面接官の主観的要素において面接結果に作用することになる。その一部を示そう。□がポジティブで、■をネガティブとしている。()内は備考。
以下のリストには、面接試験の最中に情報を得にくいものもあるが、2次試験で配布する指定用紙に記入欄を設けることでほとんどカバーできる。
【ポジティブチェックの例】
□ 男性であり、結婚している(必ず優秀というわけではないが問題職員になりにくい)
□ ひとつの組織で3年以上働いたことがある(入庁後に早期離職しない)
□ 出身校(小中高)の2つ以上がK市内にある(地元への愛着がある)
【ネガティブチェックの例】
■ 女性で子どもがいる(公務よりも子どもを優先する者が多い。入庁1年目での産休や育休など)
■ 男性であり、30才以上で親と同居(子どものような性格や行動をする人間が多い)
■ 他市町や民間企業の残り玉がある(内定受諾率が有意に低い)
■ 入庁後にK市に住む意思や予定がない(〃)
※1…あくまで面接官への情報提供である。面接試験は100%採点表に基づいて実施される。
※2…病気や障害、家庭環境など、本人の生き方と関係ない要素はどれだけ査定と相関関係が強かろうが情報提供はしていない。一応付言しておく。
第3章の終わりに、「とはいえ、内定を取るための裏技もあるんでしょう!?」と気になっている読者に、何点かの特別事項を示して結びとする。いわゆるコネというやつだ。
ここでは、合法的なコネ(採用試験の前に自分をアピールする方法)について2つの観点により説明する。非合法なやり方は示さない。
これが一番手っ取り早いうえに、やる気をアピールできる。ここでは、あなたが学生もしくは若年層だとする。
官公庁はあまりインターンシップをやらないし、やったとしても狭き門だ。しかし、一般向けのイベントであれば、ちょっとのやる気で意欲を示すことが可能だ。〇〇美術展や〇〇スポーツ大会、〇〇コンペなど、誰でもエントリーできる行事に参加してみるのだ。何年も参加していれば、幹部クラスの職員に顔や名前を覚えてもらえる。
ここでは3つ、前例を示す。
①.
K市の美術展で中学生の頃から入賞し、高校生の時には全国レベルの賞をもらった子がいた。その子の面接官を務めたのは、当時の美術展の所管課において責任者を勤めていた人物だった。その子は3種類の面接試験を危うげなくパスし、内定を獲得した。面接官いわく、「エントリーシートを見た時点で入庁してほしい」と感じていたとのこと。
②.
成人式の新成人代表で祝いの詞を述べた子。その子は、K市の広報誌の募集を読んで新成人代表への挑戦の意を表した。祝いの詞を自分で考え、成人式のステージで発表を行った。その子は、翌年採用試験を受けたが、残念ながら不合格だった。おそらくだが、祝いの詞の最後に、「将来はK市の職員になりたいです!」と言ってしまったため、自意識過剰であると捉えられた可能性がある。惜しいパターンだ。
③.
子ども議会で将来のK市についての政策提言をまとめた子。当時は中学3年生だった。それが大学を卒業する段になって、K市へのUターン就職を決意し、採用試験を受けた。その子が政策提言を発表した時に議場にいた職員らが、面接を受けた時には上級の職へと昇進していた。そのうち1人が、当日記の序盤で登場した副市長だった。その子は最終面接で最高の評点を与えられ、晴れて主席内定者となった。ただ残念なことに、その子は内定を辞退した。その人に内定を出した時の副市長の嬉しそうな顔と、また反対に落胆した顔は今でも忘れられない。
これが広義のコネだ。一般の人が想像しやすい形だろう。人事への働きかけができる人間に自分を推薦し、点数を底上げしてもらうのだ。これは、ある程度選ばれた人しか使うことができない。
ところで、世間的には極端なイメージでもって、こうしたコネ(縁故)が語られることが多い。まずは、昭和から平成初期までに行われていた伝統的なコネ採用について説明する。
(以下、説明)
昭和の時代にこうした採用が行われていたのは、公務員業界が人手不足だったからだ。K市の昭和60年頃の採用試験倍率は、2.5倍程度である。最低でも10倍はほしいところだ。あまりに倍率が低すぎてロクな人材がやってこない。そんな状況の中、冒頭で述べたA夫さんのような人が多く採用されていた。
当時の地方公務員(特に市役所)は、『民間企業で稼ぐ力や意欲のない、覇気のない人間がなるもの』とされていた。今でこそ、上場企業の平均年収≒地方公共団体の平均年収という関係が成り立っているが、当時は上場企業の方が明らかに高かった。私の記憶では、当時は年収ベースで1~2割程度は上場企業が上回っていた。え、なに? 私の年齢? フミコフミオ氏と同じ年だ……。一応、家内もいる。社会福祉協議会に勤めていて、ひたむきな性格の優しい人だ。
話を戻そう。そんな状況だったので、昭和時代の幹部職員は、役場内の優れた職員の子どもや、地元有力者の子弟や、町内会長の紹介など、使える手はすべて使って優秀な人材を確保しようとした。コネ採用は当時も違法行為だったけれども、時代が許していた。
それがバブル崩壊の数年後を機に、公務員人気が高まるにつれて違法行為の様相が強くなった。コネ採用が判明した一部の自治体は、首長などの幹部職員が引退や検察起訴に追い込まれるようになった。K市においては、1995年頃を境として、それまでとは比べ物にならないレベルの人材(一流大卒や民間経験5年以上など)を採用できるようになった。
(説明終わり)
とあるAさんが、いま在住している自治体の職員になりたくて、かつ上の条件を満たしている(親が優れた職員である、地元有力者に知り合いがいるなど。以下まとめて『有力者』とする)のであれば、以下の手順を満たすことで、法を犯すことなく自分をアピールできる。
[ステップ1]
Aさんが『有力者』に対し、自分を市の幹部に紹介してもらえないか尋ねてみる。
[ステップ2]
Aさん側の『有力者』が、採用試験の責任者(または特別職)と会談する。「あの人とこういう繋がりの〇〇さんという人が、今度採用試験を受けます」と連絡する。相手方は、「ほう、そうなんですね」と反応する。これでステップ2は終わりだ。
※これ以上は発言するべきではない。例えば選挙に出たい人がいたとして、告示期間前であれば、「〇〇選に出馬します!」と宣言するだけなら公職選挙法的にセーフとされているだろう。それに似ている。
[ステップ3]
ここからは時と場合による。文書に残さない形で協議を重ねることもあるし、協議自体が行われないこともある。なんというか、こういう形の行為というのは「空気感」である。
コネ採用を行ってはならない――という考えは、幹部職員や特別職の間でも共通見解である。ここまでリスクとリターンが嚙み合わない行為はない。表沙汰になった時点で、どんなに偉い人間でも職を辞さねばならない。検察への起訴もセットだ。
後は、Aさんが筆記試験で足切りにならない程度の点数を取ればよい。採用試験の責任者がAさんに配慮してかせずか、そういう結果になるように面接試験のセッティングを行う。以上だ。
身も蓋もないことを言う。地元有力者の子弟は、こんなことをしなくても普通に採用される。当人の能力や人格レベルが素で高いことが多いし、事前情報がなくてもわかるのだ。外見に、苗字と出身地、その他履歴書の内容だけで「あの〇〇さんの子どもか血縁者だな」と。苗字が珍しいことが多い。
市役所の採用試験であれば、能力よりも人格や人柄を見る。私が面接官を行っていた〇年間において、最終合格者の筆記試験最低点は35/100だ。35点しか取れなくても、一次試験の面接で5段階中の4がつけば無条件で二次試験に到達できる。理論上は0点でも通過可能だ。さすがに二次試験で落ちるだろうが……。少なくとも、K市の採用試験はそういうルールで運用していた。
ちなみに、35点の子は笑った顔が素敵だった。話し方はふんわりとしていて、それでいて長すぎず短すぎず、話の内容も伝わりやすかった。こちらの質問の意図も理解している。性格適性検査の結果も正直者と出ていた(あれは信用できる。統計学の力は偉大だ)。市長も、副市長も、かくいう私も、あの笑顔にノックアウトされてしまった口だ。今思い出してもあれはずるい。
一見、BLには見えないけれども、ちゃんとBL。何故なられっきとしたBLレーベルの作品だから。そう、BLと非BLの違いは、単にレーベルの違いでしかないのだ……。
作画担当の奥嶋ひろまさ先生はガチでヤンキー漫画家。だが、原作のSHOOWA先生はガチのBL漫画家だ。タイトルと作画担当者の名前を見てから「SHOOWA」の六文字を見ると、すごくヤンキーっぽいというか、「SHOW-YA」と空目してしまうけれども。
不良高校生・赤松愛将(あかまつあいすけ)は、公園に住み着くカレーパン男(初対面の時カレーパンを食っていたのでカレーパン男とあだ名をつけた。)にケンカを挑むのが最近の日課だった。ところがある日、カレーパン男の住まいだった土管が公園から撤去されてしまう。住処を無くしたカレーパン男こと神崎七焚(かんざきセブン)を、赤松は自分の部屋に招き入れるが……。
表紙絵からしてガチのヤンキー漫画以外の何物でもないのだが、中身を見たらやっぱりヤンキー漫画以外の何物でもない。ただ、ひょんな事からなし崩し的に一緒に住むことになっただけの二人のヤンキーが、単に生活用品を揃えに休日のショッピングモールに出掛けたところ、同棲準備に浮かれる恋人同士の絵面になってしまうという、しょうもないギャグ漫画の体がしばらく続く。
そして、これは本当にBLになるのか? という疑念をどっかに忘れてひたすらヤンキーギャグに笑い転げていたら、突然すごく強引にBLっぽい展開に突入。本作が商業BL作品であることを思い出しつつも、それ以前のノリの余韻があるので唐突BL展開もギャグとして笑えてしまうんだが、なんか、正統派ヤンキー漫画の画風そのままでえっちなことを始められると、見てはいけないものを見てしまった感がわいてくるw 青年向けヤンキー漫画らしい裸体絵で、やけにリアルなチン毛の下からライトセーバー(電子書籍的修正。何故ただの白抜きにされなかったのか。)が生えているの、とってもシュール。一般の漫画だったらチン毛までは描かれていても、ライトセーバーまでは描かれないもんな。ヤンキー漫画とBLの融合……は、していないような、絶妙な感じの取ってつけた感のエロシーンw でも後半に行くにしたがって、エロシーン以外の部分でガッツリBLらしい表現になってくるのが面白かった。なのに、いかにも商業BLっぽいような湿気った恋愛模様ではなく、友情と恋のあわいくらいの関係性というのが、小ざっぱりとしていて読みやすかった。
本当にヤンキー漫画を描いている人の描いた漫画なので、ケンカのシーンがリアルで迫力がある。動きの美麗さとかカッコよさよりも体重移動のリアルさに重きを置いているアクション。サラリと台詞に出る、格闘技マニアっぽい蘊蓄。こういうアクション表現は、商業BLにはあまり見られないので、新鮮だった。
商業BLを読んだことのない人にも読みやすいっちゃ読みやすいけど、ここから入るとBLの王道を後から知って愕然としそうなので、読みやすさの割にはBL上級者向けなのかも。
韓国BL。なんかすごい人気がある。本屋に行ったら2巻まで置いてあったなあ。
娼館で生まれ育ったナミンは男同士のまぐわう春画の絵師として知られていたが、現在は絵師を辞め、飲んだくれている。そんなナミンを名家の長男スンホは探し出させて拐い、彼の為に再び春画を描けと迫る。スンホはナミンの描く春画の虜なのだ。ナミンはスンホの暴虐な気質に恐れをなし、しぶしぶ筆を取る。
な、なんか韓国BLまじこわいんですけど……。何でこんなに愛とバイオレンスが分かち難い感じなのかな。といって、私の読んだことのある韓国BLはほんの少しなので、たまたまこわい作風の物だけに当たっただけなのかもしれないけれど。韓国フェミニズム小説のヒリつき感と似たような空気を、ほんのり感じた。
歴史物の韓ドラをちゃんと観たことがないので、伝統的韓服とか物珍しくてわくわくした。半端に服を脱いでいるシーンを見て、へぇ、こういう構造になってるのかあ……と感心してしまった。でも、漫画だし全部を真に受けてはいけないかな?
昼ドラのようにねっちりとしたストーリーと人物描写なので、ついつい続きが気になってしまうけど、読むとメンタルやられそうな気がする。
とある中国系の武術の本に「10年立って禅を組めば気が出る。気の力は何にも代えがたい」と書いてあったので、学生の時から1日1時間ぐらい禅を組んでていた。そろそろ10年ぐらいになるつい最近、本当に気が出てきた。
ある日寝ようとしたときに突然血流が増し、寝れなくなったのだが、この次の日あたりから体の中で何かもぞもぞしたものが動くようになった。足の裏が一番多く、次に背中、仙骨、ふくらはぎの裏ぐらいが良く動く。
体外の気については、まず掌が一番感じやすく、温かい電気のようなものがある。その磁場的なものを捏ねていると、腕全体にも粘り気が出てくる。体の陽面は感じやすく、陰面は感じにくい。脚は手より感じにくく(足裏は除く)、顔面と頭部はいまだ感じられたことがない。中国武術は頭部も武器として使えるので感じられないはずがないのだが、とにかく難しい。眼だけならいける。
一方で、気が出てきたからといって、運動が劇的にうまくなったかというとそうでもない。全身の気を統一して構えれば多少は早く動けるが、アマチュアだと早いかなぐらいで、超人ではない。
気を出すには自然のあるところで禅を組むのが良いのだが、最近は寒い中でも禅を組めるようにはなった。昔は冬は5分も組んでられなかったが、今は風雨のなかで1.5時間ぐらいならできなくもない。寒さの耐性と疲れにくさは養ったのかもしれない。要は健康にはなった。
色々調べていると養気と錬気は違うらしく、気が出てもそこから練らないと武術などでは使えないらしい。よく本で書いてある内容は養気のほうで、錬気は文献が少なく、中国語の本や昔の仙道の本などに当たると多少書いてあったりはする。
最近は構えた瞬間に手に気が一瞬で流れるようにはなってきているが、将来的に超人的なこと、例えば子指1本で相手を抑えるとか、牛の首を切れるとかができるか正直わからない。今まで言うとおりに練っていると大体その通りになってきているので、たぶんできるんだろうとは信じている。
先師の手前、あまり言いたくないのだが、おそらく気が出るまでに10年はかかりすぎた部類だと思う。気功、仙術、煉丹術だと早ければ数日、長くても100日とか1年ぐらいと書いてあることが多く、先師の修業は気が長すぎると思う。最近気が出たのは、気功を増やしたからではと思うところもある。とはいえ、立禅自体の下地はそれはそれで大事ではあるのだろうが。
太極拳はやらないのだが、動作の一部を試してみると明らかに気が流れるので、あれは気功なのだろうとは思った。腕を回すだけで何年も練るってどういうことだと感じていたが、確かに気を感じてから套路に入ったほうが結果的には早そうだ。中国系武術の本は色々読んでいたが、今まで表面的な理解しかできていなかったのを反省している。
たまに中国武術を力学的、戦術的観点からしか語らない人たちがいるが、精、気、神、意などの道教、中医学あたりの背景を理解していないと、昔の自分のようだなと思う目で見てる。伝統的な空手とかはこのあたりもちゃんと引き継いでいて、研究していて面白い。
イエスキリストは別にクリスマスに産まれたわけではないのですが、当時のお祭りを乗っ取るような形でそのような設定になりました。
名称は異なるものの、少なくとも二千年以上前から【クリスマス】は祝われていたわけです。
ユダヤ教のおまつりは【ハヌカ】といいます。紀元前2世紀頃からの伝統です。
燭台に蝋燭を灯し、ラトケス(ジャガイモパンケーキ)やスフガニア(ジャム入りあんドーナッツ)を食べます。
クリスマスプレゼントをどうするかは家庭によるようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハヌカー
キリスト教圏においてユダヤ人が迫害されてきたのは事実ですし、「クリスマス」と呼ぶのを嫌がるひとはいるだろうとは思いますが、
「クリスマスに中華料理を食べる」は初耳です。中華料理って・・・そうとう最近の話ですよね?そんな家庭があったとしてもずいぶんローカルな話ではないかなと思うのですが。
とりあえず、「ユダヤ教 クリスマス」でググってみてください。たくさん記事が出てくるから。
ちなみに意識の高い人は「メリークリスマス」とは言わないで「ハッピーホリデイズ」と言ったりします。どの宗教でも祝日には変わりないので。
一応ググったところ、「ユダヤ人はクリスマスに中華料理を食べる」というのは北米における有名なステレオタイプで、映画や物語の中によくそのようなシーンが登場するそうです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_American_Chinese_restaurant_patronage
Wikipediaの記事中に、一応事実的根拠があるとしてhuffpost の記事が引用されていますが、
「ラビ達が数世紀にわたり論争を続けたが・・・」というノリで完全にニンジャスレイヤー論法なのですが(これジョーク記事じゃないの?)。あと論文があるそうですが私は読んでないです。
https://www.huffpost.com/entry/the-jewish-christmas-trad_b_6272972
とにかく、「ユダヤ人はクリスマスに中華料理を食べる」はアメリカにおける有名なステレオタイプのようですね。(ユダヤ人がどう思っているかは知らない)
本当にそうだと思う?
自民にとって今や「政治的に問題のある性表現」はBLだけになったからじゃね?
今や男性オタクは政治に邪魔などころかもてはやせば追い風になるから、男性オタクの萌え表現は支持して、BLやTLをガンガン有害図書にぶち込んでも男オタクから「男性向けは今や国も認めつつあるのにBLだけが規制されるのはゾーニングしなかったり、フェミニストに加担して俺らの敵に回ったせいなんですよー」と叩かせる状況になるのが一番、「エロを口実に政治的にまずい作家と作品を追い込める」んだよな。
そんな、私たち政治のことと関係ない楽しい話を描いてるだけだよってBLのオタクは言うだろう。
BLの何が政治的にまずいかって、今躍起になっている「伝統的な家庭観を守る」ってやつ。書き手が意識していなくてもBLには政治が纏わるんだよ。中共もやってる手口。
サートゥルナーリア祭はサートゥルヌス神を祝した古代ローマの祭である。農神祭とも。12月17日から12月23日まで(ローマ暦およびユリウス暦で)を開催期間としていた。
ーー中略ーー
奴隷は主人に口答えしても罰せられなかった。奴隷も宴会に加わり、宴会の給仕を主人が務めた。ただし、社会的立場の逆転は表面的なものだった。