はてなキーワード: レポートとは
レポートの採点を教員が直接はしねーよ。学部の採点(下読み)なら大学院生(アシスタント)の仕事だ。
テストの採点を教員自身がやってると思ってるレベルでその話に参加しないでよ
むしろどこまでコピペを許して、どこまでコピペを落とすかはちゃんと話し合ってるよ。
とはいえ、あまりにもコピペが多すぎて通さざるをえないんだよ。半数以上落第出してもいいとかルール変えてくれればコピペを落とすのはそこまで難しくない。
落第って1割ぐらいしか出せないよねという暗黙のルールがあるからセーフネットに引っかかって最低点がついて救済されてるだけ。
コピーについては結局のところ、大学の文化が根づいてしまっている気がします。
もちろん、他人が作ったもののコピーは禁止であると教わりますが、他の方もこの匿名ダイアリーで書かれている通り、「先輩や友人のレポートを写す」文化が少なからずあります。
複数のレポートを切り貼りして出せば、一見オリジナルなレポートができるからです。
この程度なら、これくらい変えて書けば…といった事が、私自身の周りでもありました。
大学に入った当初からこのような文化で生活をしていれば、当然論文を書くときにも影響が出てくるでしょう。
ただ、良い論文というのは、過去の論文からの引用が多いかどうかによって決まる部分もあります。
もちろん、引用したところをしっかりと明記する必要がありますが、明記すれば立派な「引用」です。なければ「剽窃」になります。
事実、小保方さんが発表したコメントの中にも「これがやってはいけないことであるという認識がなかった。」とコメントがあったように、それに関する指導が甘かったのではないかなあ…とも思います。
なんだろ、この増田は
論文での「引用」(というか参考)という意味を分かっていて、件の「コピペパクリ」の意味を理解してないのか、
それとも修論の時に同じような「コピペパクリ」をしまくっていたのか、
その辺が良くわからない。
4割もあればすごい、ってか、逆に4割もあったらその修士論文の内容疑う。
イントロダクションなんてのは99%過去の論文の引用で終わる。
最後に自分の考えをちょっと書いて、だからこの研究は重要なんです、って書くけど、そこまでは全部過去の物の引用。
で、何か、論拠とか式とか結果とか全部引用。当たり前。
ただ、引用って「文章のコピペ」ではないよ?単に、書いた内容の根拠はここにあります、と言うことを示す「参考文献」を示すこと。
何か、文学とか歴史学とかなら、過去の人の「文章」その物が重要でその言葉を引っ張ってくることがあるかも知れないけど、
実験系の論文でまるまる同じ「文章」を載せたらそれは通常単なる「パクリ」とみなす。参考文献として載せてても。自分の言葉で書けよボケ、って、って指導教官に大目玉食らう案件。
参考文献載せてなくて後からばれれば、例え学生レポートだとしても退学にされてもおかしくない案件だけど。
その辺、「引用」の意味を履き違えてる。「引用」はいいんだよ、というか、むしろ論文なんてほとんど引用から成り立つし、いかにそれを組み立てるか、みたいなところもある。
ただ、「パクリ」は駄目ですよ、って話。
自分が利用するときに、検討/実践した内容なので誤りやより有益な情報がありましたらご教示ください。
厚生労働省の助成事業にあたる公益社団法人全国保育サービス協会、
財団法人こども未来財団からシッターや一時保育を選ぶのをおすすめします。
会社で配布される、ベビーシッター育児支援割引券を利用する場合は、
財団法人こども未来財団の割引券取扱事業者一覧から探してください。
お住まいの地区によってシッター券などが配布される場合がありますが、
区の助成券に対応するにも免許、資格を証明する、保育士認定書の写しなどさまざまな書類の提出などが必要だからです。
ベビーシッターは紹介サイトで個人間で契約を交わすよりも幾分安心です。
助成券/ベビーシッター育児支援割引券に対応しているシッターかつ、
シッターが対応している区を調べます。だいたい、50くらいは見つかると思います。
50のシッターサービスに登録するのはありえないので2つくらいに絞り込みます。
私が利用しているシッターサービスは、下記のものを提出しています。
こんな感じです。預けるのが面倒になるくら準備が大変・・・
たまに今回の事件になったような紹介サイトの有人版みたいなのもあります。
人を調整して派遣します系の。それよりは、保育園運営しているところのほうがいいなとは思います。
そしてある程度、運営期間(実績)があるほうがいいかなと、思います。
>できれば2011年の災害時を経験しているところがいいです。
と書きましたが、災害時の対応はどうしますか?など質問を投げて、
調べてから折り返しますなどいくつか反応が遅いところがあります。
まずは”【1】提出物がしっかりしているところ”で書いたものを一式用意します。
相手が訪問してきたら名前を確認して、一通り子供や荷物の情報共有する時間を設けます。
こっそりですけど・・・室内をリアルタイム配信するのもいいでしょう。
子供も見知らぬ人に部屋で2人きりというシチュエーションがはじめてになるので
今後の参考にするためです。(お気に入りのおもちゃを増やすとか、食欲の様子とか)
リアルタイム配信の方法は、なんだっていいんですけど世界中に公開するわけにはいかないので
skypeのアカウント2つとってビデオ通話状態のままにしてみました。
鍵が掛かってる&チェーンもつけているので電話またはチャイムをならして帰宅をお知らせします。
※シッター中はヤマトが来ようが勧誘が来ようが絶対あけないです。
だいたい、2500/h*9時間(日中価格)=22500円です(ドドーン!)
助成券をフル活用すれば1.7万くらいには収まりまると思います。
まぁ、ちょっと目を離すと怪我する/死ぬ子供をみてるわけですからこれくらいの料金になりますよね。
預け先を自宅ではなく、一時保育所にすればもう少し安くなると思いますが宿泊・日/祝日はやっていないところが多いですね。
※区の乳児院(ショートステイ)だと、1泊5250円というのがありますが親の病気が理由などではないと利用は不可能です。
個人間で2人の幼児を16時~翌日10時で4000円の依頼をしていました、格安ですね。
(ニュースでは無職とありますが、依頼内容やプロフをみると夜間のお仕事のためのようです。
シングルマザーだから認可保育園は優先的に入れるんだけど夜間はやってないですよね・・・)
まともなところにお願いすると2時間分の費用にしかなりません。
さらに深夜料金や宿泊保育をすると費用がかかるし、兄弟2人だと料金は割り増しです・・・
だいたいは1日預けた分の費用>稼ぐ費用となってしまうわけですね。
相手の連絡先を電話と名前のみしかしらないのに預けるというのも危機感が足りなかったと思います。
利用者としては、怪しいところは絶対に利用しないのを徹底しなければならないし、
そもそも怪しいものをそこらへんに湧かしておくなよと思うわけで。
自治体でも国でも率先して制度・資格・指導をしっかりしてほしいものです。
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ここで言う引用は狭義の「引用」であり、お前が言う論文の引用のことは指していない。
「全て自分で書いた」と言ったら語弊があるから、転載引用した部分は自分では書いていないと書いただけだなんて、読めばすぐわかる。
参考文献として上げるという意味での引用なんて、当然している。
だいたいまじめにレポート書いたって文脈で「引用って体でコピペしまくってましたーテヘッ★」なんて書くか馬鹿。国語勉強してこい。
あと最初から相手を馬鹿にした体で書き出すのはどうかと思うよ。いきなり馬鹿って言われると「は?」ってなるだろ?さっきのトラバ受けて思ったろうけどさ。
早大理工で教員(任期付き)と学生(学部から博士まで)の両方の経験がある者です。今は早稲田にはいません。男性です。
小保方博士の博士論文に関する一連の話と早稲田大学の学位に関する批判、
そしてこちらのお話を読んでわりと感情的になってしまい筆をとった次第です。
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
基本的にはこの日記での話は早稲田に絞ります。他大学のことは人づてに噂を聞く程度なので詳細な話はわかりません。
元記事、いいたいことは凄い良くわかります。大方の早稲田の学生のノリはこれでしょう。
ただ、全員がそうだとは思ってほしくない。
レポート・研究を汗水たらしてやっている学生もいる、学生の為を思い指導する教員もいる。
2-6-2の法則じゃないですか?そりゃ、やる気のない人もいますよ。
このような批判は普通は気にしませんが、なぜか理性的に考えられず感情的になってしまうのが研究と博士号に関する話。
「早稲田はコピペでも博士取れるんでしょ」とか言われると腹が立ちます。
客観的に見るとそんなこと気にしなくていいのでは?と思うでしょう。けど困ったことに本当に腹が立つんですよ。
それはおそらく博士号取得の過程が私の研究者としての原点で、自分が本当に頑張ったと恥ずかしげもなく言えるほど頑張ったからです。
「はいはい、頑張った自慢ですか?」という批判も気になりません。
そもそも博士課程は修士取得後3年間と言われていますが、基本的には何年いたかではなく成果が全てです。
産学連携プロジェクトで企業ともに数年かけて研究・開発を行いやっと出た成果。
論文を書くと先生に原稿が真っ黒になるほど直される、後輩にグチを言いながらも頑張って修正した論文は審査に落ちる(リジェクトされる)。
けど這いつくばってまた直して、審査に通り(アクセプトされる)、新たなテーマで似たようなことを繰り返す。
やっと博士論文をかけると思ったらは先生を殴りたくなるほど色々な議論があり(先生ごめんなさい)。ようやく学位授与式でガウンを着るのを許される。
そこには「あなたは4年間で130単位とったので学部卒業ですね」とは全く違う達成感・誇りがあります。
だって、宇宙の様に広い科学の研究分野の中の非常に狭い範囲を2ミリだけ、いや2ミリも広げたんですもの!
実際小保方博士がどのようなプロセスで博士号を取得されたのは今の段階ではわかりません。
コピペの件があるのでなんとも言えませんが、おそらく似たような経験をしてきたのではないかと思います。いや、思いたいです。
数ある疑惑はあるものの、根幹の部分ではウソをついてると思いたくないわけで、少なくとも今の段階ではSTAPの存在を信じたいのです。
最悪の場合、小保方さんとその指導教員が2-6-2の下の2になってしまう可能性はありますが...
はてブやTwitter等でコメント頂いた様で有難うございます。共感されるとの方もいて嬉しいです。いくつか補足です。
[補足]
「博士号=オメガの勲章説」は正しいです。よく言われるのが博士号は「足の裏の米粒」と言います。その心は「取りたくて気になって仕方がないが、取っても食えない」
「130単位とったらハイ卒業」は言い過ぎました。気を悪くした方ごめんなさい。ちなみに早稲田でも学部、修士でそれぞれ卒論・修論審査があります。
博士審査と大学について。この日記の話はたまっていた感情を吐き出した様なお話です。
「博士はコピペでOK何でしょ」に対して博士取得者として言われっぱなしは嫌だったので「博士号とるのはホント大変なんですよ」ということが言いたかったのです。
ただ、今回の問題で早稲田大学という学位を授与する機構への信用が揺らいでいることは間違いありません。
まずは真相を究明し、問題再発がないようにするべきです。
[補足2]
博士号をとる条件は分野により大きく異なります。基本的には学科ごとに規定があります。
私の所属していた学科のルールは論文に関しては「筆頭著者で国外の主要な国際会議(カンファレンス)1本+国内外のジャーナル1本」でした。
このルールに学科や指導教員の暗黙のルール(国際会議もう1本欲しいよね等)が加わることもあります。
そして、この条件を満たすと指導教員から「そろそろ博士論文書いて卒業するか?」というお達しが来るわけです。
この時は嬉しいことは嬉しいのですがとても複雑な心情です。その後教授会の議題に上がり、主に業績のチェックが行われ、承認されると博士論文の執筆を開始します。
論文完成後、公聴会(いわゆるPh.D Defense)で審査を受け、様々な会議体にかけられた後最終的に合否が決まります。
詳細なフローに興味がある方は以下をご覧ください。
http://www.sci.waseda.ac.jp/students/doctoralthesis/process/
当初私が小保方博士と早稲田を擁護するような記述をしたのこのようになチェック体制があるからなのです。
つまり、責任転嫁するわけではありませんが博士論文の審査を開始する前に利害関係にない第三者による審査(ジャーナルやカンファレンスの論文)があるわけです。
今回の件はずさんな論文でもNatureの査読が通ってしまったという話なのでもはや説得力がないかもしれませんが、
国際会議やジャーナルに筆頭著者で通しているということはその人の実力を客観的に示しているはずなんですよね..
ただ、本人が博士論文取り下げと言っている現状では、私も意見を変えざるを得ないかもしれません。
話は変わりますが、博士学生のあるあるネタが漫画になっているPh.D Comicsというのが有ります。良かったらみなさんも読んでみてください。
http://phdcomics.com/comics.php
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
http://www.waseda.jp/student/waseda/wf8.html
早稲田は長い間、革マル派が支配していて多くの学部で94年まで定期試験が2年に一度ストライキで中止になって全員が単位をもらってた。
ストライキを無視して試験を始めると活動家と称するおじさんが試験上に入ってきて答案用紙をすべて破っていたのよ。
で、やむを得ずレポートにする教授もいるんだけど、そういう教授のところにはおじさんが5人くらいやってきて何時間も吊し上げにする。
革マル派の要求を拒否した教職員は殴られたり襲われたり盗聴されたり長い間それはそれはひどい目にあってた。
そういう危険な状況だったのでテストはしてもどんな内容でも名前と学籍番号さえ書いてあれば優をつける「全優制」が定着した。
そんな状況を見た学生は勉強などせずサークル活動ばかりしていた。
2年に一度のストライキの年にはすべての単位がもらえるから自動的に卒業になっちゃう。
卒業したくない学生は仲の良い教授のところに行ってわざわざ不可にしてもらってたくらいなんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
論文でコピー&ペーストをしてしまったのは、学部時代からレポートにおいてコピペが常態化していたからという話を聞いて、ではなぜレポートにコピペが蔓延するのか原因を自分の経験を基にして考えてみた。
実験や課題に対して自分の力のみで手法や解法を毎回ひねり出すのは非常に大変なことである。しかも、それが成績に直結するのであれば尚悩ましい。簡易的なレポートであればその作成手順は下のようなプロセスになるだろうか。
↓
↓
一定の結果を出力し、見直しを行う
他者に頼らないなら、問題解決の基礎は自分の力と文献のみとなるはず。しかし、自分の調査能力や思考能力のみにより、それを採点する側から見て理想的な結果を常に出すことは難しい。自力では想定し得ない領域を減らすために、他者(自分と同じことをしている学生)の力を借りる=相談することは珍しくないだろう
弊害となってくるのは、この他者が現在進行形で問題解決に取り組んでいる人間ではなく過去に行った人間、即ち過去のレポートであった時である。過去のレポートには自分の行為によるフィードバックは無い。また、それは多くの場合何度も多数の学生により推敲されているため完成度の高いものであることが多い。時に誤字脱字や誤答が混じっていることもあるが、それはまだ経過が浅いものであるか、時たま出てくる例外である。
自分で解決する以上の完成度を持つレポートはどのような形で"参考"にしたところで、最終的に自分の解がそれに近づくことを助長するだけである。特に必修範囲の実験レポートのようなものは提起から結論までの道筋が既に決まっている。従って、付け加えることができる領域はとても狭い。理想形が存在し、それが眼前にありながら自分の意思で離れることがどうしてできるだろうか。
提出物に正確な解答が存在しそれと比較して成績が付けられる以上、成績=レポート完成度向上に全力を尽くすのであれば、過去のレポートのコピペこそが最善の手段であることは明らかである。しかも、大学によってレポートの量は半端ではない。時には1日に複数あり、1つあたりの質も問題となる。それに対して毎回プロセスを踏みながら満足な結果を出せない。学生は自身の意思で自分のレポートをよりよいものにするために不正を行っていく。
採点員がコピペレポートに高評価を付ければ、自身の能力向上に繋がっていないことを半ば承知で、その学生の丸写しはさらに加速していくだろう。
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コピペをなくす方法は困難であるが簡単である。レポートを出させる講義の内容を毎年変える、もしくは提起する問題を変えばいいのだ。
そうすれば過去のレポートは無用となる。新聞のスクラップ化しところどころ同じような課題が出てくることもあり一定の有用性は残るだろうが、この時点で全てを写されることは免れ、新たな、または変形した課題に対しては学生自身の応用能力にその解決は委ねられる。
大学生自身に解決を求めることはできない。中身は年ごとに異なるし、コピペへの問題意識の徹底しても成績採点をしている以上より高い点数を求める心理をなくすことはできないため、過去の高完成度レポートの流通を食い止めることにはならない。せいぜい、情報格差が生まれてくる程度である(こちらも別の意味で問題である)。
また、減らすという意味ではコピペを行う意義を減らすために、レポートそのものの数を減らすことも有用である。1つのレポートに熟考できない、していられない環境下においてコピペは省力化という方向で意義がある。使わなくとも平均的学生が注力し続けていれば全てを解決できる程度の分量であれば、自然と不正は減っていくかもしれない。
私自身の経験として、コピペを行ったことは実験レポートにおいては無い。これは1週間に1本しか提出が求められていなかったこと締切が教員によっては緩かったこと、私に同じ学科の先輩のつてがなかったからであろう。私の大学では学部時代の実験では試行のためのコマ以外に記入のためのコマが設けられており、レポートの書き方を一から教えてくれる教員もいたこともコピペを行わなかった一因である。
必修の力学関連においてはしたことがあるが、これは文字通り毎年大量の同じ課題に出され続けており、正に早稲田大学内部と同様の状態にあったためである。その講義の担当教員は試験においてしなければいい程度の認識で、阻もうとしていなかった。
丸写しがいいことでないのは確かである。既に卒業した身としては、学生に解決を求めるよりそれを助長しがちなシステムの方にメスを入れた方がいいと考えている。
業績業績とせっつかれているのはどこの研究者も同じだと思うんだけど、私大は特に熱心なんじゃないかと思う。
クビになりたくないという心から捏造をしてしまう研究者が出てもおかしくない状況ではある。
落ち着いてじっくり考えて研究するより、クソ論文でも一本だしたほうがいい状態だもの。
できるだけインパクトファクターの高い論文誌に、できるだけ多くの論文を掲載させる。
学生のコピペレポートに関しては、大学全入時代が現況だと思う。
進学の理由「みんな行くから」「大学入らないと就職がきついから」、専攻を選んだ理由「一番成績がよくて入れそうだったから」「暗記で試験突破できるから」
心理学でも毎週実験はあって、そのたびレポートが課せられて一つでも提出できないと留年になる。
どうせこの増田にトラバしたところで、もうトラバツリーはずっと下まで続いてて目につくことはないだろうけど
早稲田と偏差値的には同レベルな某国立大でもこういうコピペ文化はあったよ。人数は早稲田よりずっと少ないから、指導教員の多さはコピペレポート自体とは関係ないんじゃないかな。
当時無駄に意識が高かった俺は「そういうのまじ高等教育機関にあるまじき行為だと思う」と鼻息あらく(若干友人に引かれながら)豪語し、引用以外はすべて自分で書いた(偉そうに言うことでもないあたりまえのことだけど)。
早稲田は母数が多いから、そういう考えを持った奴はきっと一定数いたはず。そしてそういう人こそ、研究者になっているんじゃないだろうか。
小保方さんはもう擁護のしようがないけど、関係ない早稲田卒の研究者を「あいつは早稲田卒だからどうせコピペ論文だろう」と決めつけるのは可愛そうだと思う。
まあ当たり前だが、論文でコピペなんて許されるわけがなく、修論で孫引き(引用の引用)をしただけでも教員に叱られた。
しかし当時を思い返してみれば、理系の学生の話を聞いていたら、論文だとか研究だとかの感覚が、自分の身の回りと違っていたな。早稲田で理系っていうと、理工か教育か、あと人科とスポ科だったけどね。よく覚えてないけど、理工か教育の学生がしていた話だったと思う。
そもそも、いわゆる理系と文系では、研究や論文のやりかたが根本的に違う気がする。法律学の論文では、自分で書くのは当たり前で、コピペなんてしたらぶん殴られるかもしれないな。卒論やレポートだとばれない可能性があるし、レポートごときだと基本書からコピペする奴はいるだろうけど。
いわゆるコピペは、倫理違反だし、多くは著作権侵害だ。引用はしてよいし、論文なら引用を基礎にして成り立つものだといって過言ではない。だが、引用元を明示して、区別して記載しないといけない。
まして博論は、修論に比べても、独自性が高くないといけない。そうでないと学位が出ない。私の感覚からすると、博論でコピペというのは信じがたい。
ここいらでうちの大学の内情も書いてみようか。
イメージとしては天才が3%、真面目が60%、なまけものが20%、どうにもならないのがその他って感じ。
レポートでなんでなまけものってわかるかというとコピペっぽいな…という臭いがするから。
真面目な人は多かった気がする。
1回生の時にやる物理学実験とかで人のレポートをコピーしていた人はあまりいなかったんじゃないかな。
非リアが多いので「チェイチェイ〜レポート見してくりくり〜」とか言う人が滅多にいないというのもある。
コミュニケーションが苦手で人に頼れない(またはプライドが高くて頼れない)ので、ついていけない時は頑張るか潰れるかの二択になる。
身の回りで卒論のコピペはなかったが、学部生の間に遊びまわってどうにもならない学生の論文を研究室のみんなで手伝った(というか周りがほぼ書いた)ことはある。
新規性がどこにあるの?とかいう未熟なものもいっぱいあったけどね。
卒論発表会では落とされることはまずないんだけど、教授たちからの厳しい指摘がバンバン飛んでくる。
その研究ってなんの意味があるんですか?みたいな根本的なことを言われる。
(が、落とされることはない)
そういえば教授は自分の研究室の学生には質問しないんだけど、仲の悪い教授の研究室の学生には難癖つけたりしてたなー。
ここまで書いて思ったけど、単位に厳しい大学のほうがコピペは多いかもね。
少々デキが悪い生徒も補正して60点(可)にしてくれる教授も多い。
必修科目の単位が取りにくて落としたら一発留年だったらオレだってコピペはしないまでも人のレポートは見せてもらったかもしれないな。
理工系のもっと低レベルの私大だったけど、コピペさせてくれる友達もいなくて、
毎週のレポートで徹夜が続き、3年の後期に過労から鬱になって留年した。
留年だと学費が普通にかかるので、2単位のために百万円以上かかったことになる。
日付と名前と学籍番号だけ変えてさっさと提出し、就職活動で早々に内定をもらった同級生が羨ましかった。
一年遅れで配属された研究室は、自然エネルギーの看板を掲げていたが、
研究よりも学会行事や企業との共同研究、新聞への記事提供などに興味があるようで、
与えられたテーマは原子力関連で、後日提出された教授の論文の一章が自分の卒論の内容と一致した。
思えば講義内容が古いノートの板書のみ、テストが当該分野の教科書のコピペだった時点で気付くべきだった。
地下の実験室には高価な機材が並んでいたが、教官が実験室に現れることは滅多になく、
聞くところによれば、設備の多くが原子力関連企業からの「協力」によるものらしい。
他の国立大学にはかつての教授の同僚の研究室が二つあり、院生には両者の中間の結果が求められた。
出来のいい院生は原子力関連企業への内定が決まり、結果が出せない院生は、
報告会で人格を否定されて、やがて研究室に顔を見せなくなった。
特に結論はない。
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
ゼミの人数が多い問題や、レポートの採点を学生がやってるのはマンモス大学なら普通だと思う。
自分の大学では学生が採点するにしても基準があったし、出席カードをかねたレポート用紙に書くことが多かったからコピペはしにくくなっていた。
ラーメンの下りはさも悪いことのように書いてるけど、学部生や修士の研究のオリジナリティなんてそんなもんじゃないか?
そしてそれでトップジャーナル以外は査読も通ってた。問題設定のために先行事例をレビューするのは当然で、
自分の言葉でパラフレーズされてる限りそれはパクリとは言わないと思うんだが。レビューするために先行事例をかき集めるのだって大変だし、
そこから問題設定をするのは自分で考えるしかないことだと思う。本当に「コピペ」だったのだろうか?
あと自分の大学では学部と修士以上は明らかに指導のレベルが違った。学部のゼミは超適当な先生も、修士はがんがん留年させていた。
そういえば何年か前、ニコニコ動画だったか、数十ページにわたる卒論をこなすために、全自動でレポート用紙に手書きしてくれる機械をハードからソフトから全部自分でDIYしてた動画を見たことがあったな。
早稲田以下の私立大にコピペが蔓延してると思われてるのは嫌なのでメモ。
1年生物理実験レポート 手書き指定だけどコピペ厳禁 見つかれば、公開叱責される。再提出は内容不足かよほど文章がひどい時だけ。
2年生専門実験レポート TeXの使い方とテンプレを教えてもらい、メールでレポート提出。一部でもコピペしたらその実験回は0点、3回で不可。内容指導は再々提出まで。コピペしなければほぼ全員通る。
3年生専門実験レポート(+α) 指導教授一人+TA(院生)二人に、学生は8人〜12人。 教官次第で赤いレポートが延々往復される。
はじめの数回は再再再再提出が3割ぐらいいる(赤が入ると次の章を見てもらえないため)。毎年脱落者(留年)もでる。
3年生後期実験 卒論に向けて、希望研究室で実験や卒論にむけて専門研究、学習をやる。研究室に4人〜12人。研究室次第。
どの専門科目でも、提出物のコピペはかなり厳しくチェックされてる印象をもってる(コピペ即呼び出しor0)。特に2年までは質よりやる気(?)。
少なくともコピペ文化はなく、専門科目でレポートの貸し借りは友人間でも慎重。しても「コピペはするなよ」と念は押し合う。
うちが偏差値でも規模でも(レポートの量と質も?)元記事より下回るのに、コピペ文化に落ちないのは、
卒論が必修でない事と大学院進学が半分ぐらいで人的に元記事より余裕がでてるのことも要因のひとつだと思う。
早稲田大学のコピペ文化が話題になっているので、早稲田の理工ではコピペに対してどのような教育がなされているのかの現状を書きたい。ちなみに、私は早稲田大学の理工を5年ほど前に卒業し、某国立大学の大学院に進学し、いまはふつうの社畜である。
今になってはとても反省しているが、早稲田の理系はコピペで成り立っているといっても過言ではなかったと思う。もちろん全ての学生がそうというわけではないが。
早稲田の理工に入ると、1年生の実験が始まる。週1回の実験で、レポートや試問が課され、それをまとめる必要がある。また、2年生になると学科別の専門的な実験が始まり、レポートの量も増え、求められるものも増える。レポートはダメなところがあると再提出になる。ひとつでもレポートが提出期限を守れていないと即留年である。規則は厳しい。
そこで、そのとてつもない量のレポートを量産するため、学生たちは必死にコピペを行う。先輩たちから大量に受け継がれてきた「過去レポ」をもらい、それを切り貼りして組み合わせるのである。切り貼りする手間がないときは、一字一句同じレポートが作られる。写経である。
教授陣はコピペを容認している。学生がコピペを多用するのを知っていているため、私のいたときはレポートはすべて手書きでないと認められなかった。つまり、こういうことだ。どうせ殆どの学生はコピペをするのだから、それをパソコン上でやっては何も身につかないので、せめて手書きで丸写しをさせて覚えさせよう、と。実際に何人かの先生たちはそれを公に口にしていた。写経ならまだ意味があると。こうなると、どうやって大量の過去レポを得るかが重要である。実験の成績は、コミュニケーション能力を測っているともいえる。つまり、どれだけ過去レポを集める能力があるか、だ。
国立大学にいってびっくりしたのだが、国立大学の理系と早稲田のような私立大学の理系では学ぶ環境が全く違う。私の進学した大学院では、教授ひとりにつき1学年あたり学生は3人までしか認められていなかった。しかも、研究室には実験を手伝ってくれる技術の人がだいたい雇われている。
一方早稲田の理系は、お金がないからなのか学生と先生の比率がおかしい。研究室は基本的に1人しか教授がおらず、そこに多いときは1学年12人配属になる。典型的な年では1学年7〜8人くらいだろうか。つまり、学部4年・修士課程1年、修士課程2年だけだとしても学生は20〜30人いる。そんなにたくさんの学生がいて、教授の目が行き届くはずがない。先ほどの1年生や2年生のレポートも、教授が見るには多すぎるので、ほとんどは修士課程の学生が採点を行う。そのため、かつて自分たちが行ってきたコピペを批判するケースはない。コピペでも必ずレポートは通過する。
1年生,2年生,3年生と学年が上がるにつれてひたすらコピペを繰り返してきた学生は、卒業論文でもコピペを行って卒業する。もちろん自分で書く人もいるが(私の研究テーマは研究室ではじめての分野だったため、卒論をコピペするにもその対象がなかった)、ほとんどの人は先輩の修論や卒論をコピペする。研究をやったといっても、学部の研究レベルといえば、次のようなものだ。「すでに過去の研究によって、日本ではトンコツラーメンが作られている。そこにはよく高菜が入れられている。ただし、そこにほうれん草を入れた人はいない。そこで私はほうれん草をいれた」というようなレベルだ。少なくとも、高菜までの話はすべてコピペだ。
そうやってコピペされてできあがった卒論や修論は、教授にはほぼ見てもらえない。できあがった卒論や修論を一番読むのは、それをコピペする次の学生である。そして、一番の問題は、こうやって育っていった学生には、次のように思う人が出てくる可能性があることだ。「レポートとは、コピペをすることであり、それは普通の方法である」と。学生にとって論文を書くこととコピペは表裏一体なのだ。博士課程にいったからといって、それがいきなり変わるかというと難しいと思う。もちろん変わらなければならないが。
早稲田の理系がここまで低いレベルなのは、私立ならではの教授の数が少ないことに加え、附属高校から上がってくるボンクラ学生がいることもある。もちろん附属から来た学生がみんなひどいわけではないが、スクリーニングされていないので下限がない。私が在籍していた研究室には、三角関数のsinを理解していない大学4年生がいた。彼はまともに実験もできなかったが、やはりコピペにより卒業していった。
このように、早稲田の理系はコピペで成り立っているといっても過言ではないケースがある。そのため、今回話題になっていることも、早稲田出身から言わせれば、なんら違和感はないのではないだろうか。私もコピペで突破してきたので、何も批判できない。
オボカタさんのコピペ騒動で古傷が傷んでるやついる?
教職過程に足りない科目を取ってた他大学の通信教育の最終レポートで、同じようなことをしたことがある。
結論から言うと、あとで全部バレてやり直し。やり直しですんだのは情けをかけてくれたんだと思う。
結局教師にならなかったけど。
採点者にバレなさそうな、よくまとまったソースを探し、わからないように加工、細工し、何食わぬ顔で提出する。
そんなことしてるうちに、剽窃したソースが自分の成果のように思えてきて、とても気分がよくなる。
早めに仕上げて、一緒に通信教育を受けていた友達に見せて「すごいねー!」と言ってもらおうとしたこともあった
オボカタさんも同じかんじだったのかなー
最初は楽しよう、と思ってただけだったのが、褒められるうちに研究者を目指すようになって、
だんだんと、今から正当なルートで努力だけではどうにもならない、手に余るものをどうにかしなきゃいけなくなって……
どうなるんだろうな………