はてなキーワード: タデとは
ハロオタからつんくがクリエイターとして信仰されている理由がピンとこない。
ハロープロジェクトの象徴的な存在としてなら、わかる。始祖として、崇めるなら分かる。
ずば抜けてるのか?
全然起き上がれない〜のなんだよバカ子ちゃんって。マツコミジメックスのいとこか?
人生Bluesだって、スルメ曲って言われてるけど 初見じゃクソつまらんってことだよ?
オタクは、次のモーニング娘のニューシングルがつんく曲であることに歓喜しているが、純エビの意味のわからなさ。
普通アイドルが歌う「純情」って言ったら、邪な心なしに相手を思う恋心だと思うだろ。
ライナーノーツを読んだら、
この歌詞に出てくる「純情」とは「新鮮味」「ピュアな心」という意味でもあって。
無心にモーニング娘。に入りたい!
歌手になりたい!
有名になりたい!
というような気持ちで飛び込んできたあの気持ち、つまり「純情」は今も持っているわという宣言なのです。
信じられないならどうぞ、検証してみてください。
とこういうことを叫んでいます。
いやいやいやー、それを歌われてもなぁ、、、
その辺は歌でつんくの言葉を使うんじゃなくて、インタビューとかパフォーマンスとか、メンバーの言葉で聞きたかったじゃん?それに、その辺りを知らずに聴いた人、置いてけぼりだよね?
「五線譜のたすき」なんて、受け継いでいきます♡みたいな歌を児玉雨子作詞でリリースさせておきながら、『あんなん過去のもんだから』みたいな歌詞をお前が書くんか!!!!
過去に縛られるなと言いたいのかもしれないが、もっと言いようがあったんじゃないのか。
泡沫サタデーナイトからのファンだがセトリを知るためにも過去曲は聴くし、否応にも 作詞作曲が誰かを知ることになる。
恋ならはじまってるって、「当時のアンジュルム」の曲か?? ※スマイレージからのメンバーである田村の卒業シングルなので、餞としてスマイレージらしさがあるという解釈もある。
俺のライブラリから抜粋(もっとあったけど比較的知名度のありそうなアーチストと俺の好きな曲に絞る)
持ってなかった……!
Vtuberの台頭からか猫も杓子もテレビゲームで遊んでいるように感じられる。特にここ数年オンライン環境が一気によくなったからか、もはやオンラインマルチという言葉が消えるのではないかというくらい皆マルチプレイゲームで遊んでいる。ように見える。寂しがり屋のクソオタクである自分も例にも漏れずインターネットの友人とオンラインマルチゲームで遊ぶ。
友人と同じゲームで遊ぶのはやはり楽しい。理由は謎だ。興奮や苦楽を共感するということそのものが人間のなにか原始的な欲求を満たすのだろうか。とりわけ対人ゲームにおいては実際のプレーでは苦虫を噛んだような顔をしていることのほうがほとんどの気もするが、それでもやめれず人を誘ってしまう。人がやっていて楽しそうだなと思って始めたゲームもいくらかある。
ただ大抵は自分の腕前と、ゲームをやる際の友人への接し方で悩んでしまう。幼少期の頃に正常な情緒を同世代との交流の中で育まなかっただろうか。
いや、正確にいうとようやく悩めるようになったというべきか。おおくのゲーマーが気狂いであるのと同様に私もそうなので、ゲームに対して「この下手くそが故で地面を這いつくばるような状況から抜け出したい」以外の感情が介入することについて基本的には一切の想像力が働かない、したがって「こうしたらいいよ」とアドバイスすることが裏目に出る状況を基本的に想定できなかった。
無論ゲームに対するスタンスは各個人のそれを尊重すべきであるというのはよくわかる。私も一人用ゲームは基本的に二周目をしたくないので、取り返しのつかない要素などは事前に調べるし、分厚い攻略本を開きながらコントローラーを握ったことさえある。それを「攻略本読みながらゲームやって何の意味がw」といわれる筋合いはないと思っているし、つまりは他人に言える義理もない。さほどストイックでもなく、好きな武器やキャラクター、戦法を採用して、それでやれる範囲でしかしない(そのやれる範囲がどこなのか、という興味は尽きないと言った感じ)。ただゲームに対する自我形成だけはきちんとしているという自認はある。したがって基本的には相手の気分に合わせたいと考えている。例えばその時一緒にやるフレンドが別に向上心のかけらもなく、ただ今からゲームの都合上どうしても行かないといけないクエストにただ一人で行くのが嫌なだけで私を誘っていたとしても、その目的に応じる。私がこのゲームを上手くなるための修行のようなものは別によそでやればいい。そのゲームがうまければうまいほどここに関する余裕を作ることができる。腕前の都合上余裕がなさそうだなとおもったら素直に申告する。
であるため、問題として立ち上がってくるのは、相手のゲームに対する自我がきちっと形成されているかどうかについてはこちらは知りようがないという点に尽きる。
しばしば、女性は相談する時基本的に解決策を求めているのではなく同情してほしいだけ、という話題がのぼるが、根本的な問題点はおそらく同じで、そこに個人の考えを持ち込むなら性別は全く関係ないと思う。自分の不満に対する解像度が高いか低いかそれだけだ。
私は同情のために「相談」を持ちかける人々に対して、さほどマイナスな感情を持ってはいない。調べればより正確な情報がインターネットに転がっていようとも「今の大剣の装備って何が強いんですか?」と仲間内に訊くことも、また一つのコミュニケーションであると理解できる。ただ向こうが外面的にとってきたスタンスと内情が合致せずコミュニケーションがミスマッチを起こした時の処罰が、当人ではなくこちらにむいてくる時が非常に困る。
「どうしたらよかったのか?」「いまのは何故負けたのか?」と訊いてくる友人がいて、そこに素直に自己が分析した理由をぶつけて上手く行くかは、正直言って五分だ。これは理由を聞いたとて解消できるかどうかはその時点ではほとんどの場合わからないのだから、心底同情はする。ただ、(相談を持ちかけられて受諾するような万全の姿勢であればまだしも)ゲームに負け、自身の機嫌もとってやらないといけない中、こう立ち回るとよいよ、まあ初心者にはできなくて当然だけどね、と厚かましく語れば「わかりきったことを何度も言われて嫌になった」「免罪符として下手だとぼやいているだけで上手くなりたいと思ったことなどない」「もう他のうまい人とやったほうがいい」などと嘆かれることもまったくないとはいえないので、はっきりいってかなり参る。
その上で競技性のあればあるほどゲームに関する「腕前」はかなりセンシティブな話題に突入しがちだ。攻略上有利になるための情報を交換するためにつないでいるボイスチャットのその声が頭に入らない、あるいは必要なコールを忘れる、というのはもはやゲームの腕前とは遠い。ゲームによってはマルチタスクを要求されるため、そもそもそこから苦手な人にはそれ自体が苦痛という面もある。ゲームによっては聴覚や視覚、反射神経を問われるような内容もある。電子スポーツと言われるようになっただけあり、スポーツと似たような、悲痛なほど根本的な問題に直面することもある。それこそ「足音を聴くしかない」とか「忘れないようにするしかない」とか「ちゃんと仲間が教えていたんだが……」とか。
私自身も人間的スペックがそう高いわけではなく同じミスを何度もしたり昨日できていたことが今日できていないとかはザラにあるので、結局「そこ」なんだと気づいた時の絶望感といったらない。であるからこそ、他人に指摘する時結局そこしかないのではとおもった時の苦痛も比ではない。
本音を言えば相手が何ができて何ができないのか、なにがしたくて何を求めていないなんて知ったことではない。勝手に自己解決して欲しいし、求める何かがあれば自分から表現をして欲しい。注意が欠落しがちで、マルチタスクが苦手なら、それを自覚してそのように立ち回ってもらいたい。ただし、たとえゲームが上手かったとしても、我々は基本的に気狂いの馬鹿であるためすぐ「そんなの言わずとも当然だと思ってた」みたいな態度をとってしまいがちで、私自身はこれは好ましくないと感じている。それに娯楽を通して自分がどうありたいかなど、簡単に自己分析できることではないだろう。であるため、丁寧にやれることはやりたいと思って実行しているが、パーフェクトコミュニケーションヒューマンではないのでしばしばこういうことになり、メンタルマッチョではないので心に明確な疲労が累積する。
ゲームというのは基本的には報酬があるとわかっている負荷を楽しむものだと感じる。あちらを立てればこちらが立たないという状況を我々は「ゲームバランス」と呼び、基本的には一方的にこちらが有利である状況を好まず、解消し甲斐のある困難を求める。それがいわゆる攻略というものであり、キャラクターや世界観に深く没頭する以外では、我々にとってゲームの話題はこれしかない、とどうしても思ってしまう。したがって我々にとってほとんどの場合、攻略について語るのはその話題しかないからで、別に相手に上手くなってもらわないと困るからということはないと思う。困るとすれば、それはゲーム上の成績云々ではなく、単純に「何か自己が払うコストで解消できそうな悩みに対して行動を起こさずうじうじとし続けている人間」を見続けることに対する純粋なストレス程度だろう。優しくあやしても信じずアーアーヘタデスワといって殻にこもり、かといって攻略を話題にすればうまい人とやりたくないなどと言われる。そりゃあ私だって、初心者に調子にのらせられるようなゲーム展開に持っていけるほど腕があればどれほど気持ちの良いことか。
結局どうして欲しいのかといえば、私とゲームしないのが一番などを向こうは言った。ここで私がその人とゲームをしなければ、私は自分よりうまいやつとしかやらず、身内の下手くそさに辟易して一緒に遊ぶ相手を選ぶ嫌なやつか?他人の腕前も、そこに対する信念の強さも、これほど興味のないこともないのに。向こうの立場に立ってみればそう上手くもないやつが懇々と指示厨してくるので辟易するだろうといったところだが、あの手合いの人間のこちらの対応にあぐらをかいてくるような態度にもややうんざりとしてきた。小学校の時分、友達の家でやったマリオパーティ64をもうちょっと辛抱強くプレーしていたなら上手くやれたのだろうか。よくわからん。
ゲームが上手くなればそのもやもやの半分は解消できる気がしてしまい、ゲームが下手くそでつらいなあ、となってしまうのだった。
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」という映画をご存知でしょうか。20年以上続くシリーズの中でも傑作と名高い作品です。20世紀も終わり2001年、「20世紀博」というテーマパークにはまる大人達。ある日しんのすけ達子どもを置き去りに失踪してしまう。残されたしんのすけ達は大人を救うため20世紀博へ向かう…という映画です。
若干ネタバレですが大人達は結社イエスタディ・ワンスモア(敵)が発明した"なつかしいニオイ"に影響され幼児退行し文字通り「子ども」に戻っていきます。
立ち位置的にイエスタディ・ワンスモア=P、「大人」=ノクチルに近いのでは無いかと思います。(あくまで立ち位置的な話)
Pは透の中に過去の思い出を回想し、「輝き」としてノクチルの大人として見た時決して褒められた物ではない行為に拍手し、またノクチルもPの中に昔の憧れ(ジャングルジム?)を見た透とその後ろ姿から懐かしさを求め、挙げ句子どもじみた反抗をする姿に近しさを感じます。
オトナ帝国では敵とされた「過去に立ち戻らせようとする大人」が主役となっている訳です。
要するにノクチルの「青春」というのはPという大人の望むその掌の上の出来事で、反抗的なある種幼稚な行動もPの期待する所な訳です。そしてPは彼女達を罰を与えず始末書を書かせる程度で済ませてしまいます。敢えて大人として振舞わない事で子どもを自身の願望の自己投影の手段とする作中のP引いてはライターのエゴを強く感じました。
イエスタディ・ワンスモアのボスであるケンの台詞「夕焼けは人を振り返らせる。だからここはいつも夕方だ。」
子どもとして大人への反抗を遂げたノクチルを夕焼けが照らし出します。遠い過去や子ども時代への回帰の象徴としての輝きなのでしょう。日暮れへの感傷は万人共通のものなのだと思います。
最後は野原一家対イエスタディ・ワンスモアの戦いになります。過去に拘泥し時間を巻き戻し過去という殻に閉じ籠ろうとする敵と未来に向かってひたすら走り続け未来を手に入れようとする一家の戦いです。
先程も述べましたがノクチルに対するPは大人の責務を放棄し、彼女たちの良く言えば純粋な、悪く言えば子ども染みた行為を称賛します。
こういった構図は特に青春モノなどではありふれたものとも言えます。ただ私が気になったのはそれが「大人の主観」でありそれを美化し正当化するような筋書きであることです。
系統として古典で言えば「ぼくらの7日間戦争」のような純粋で爽やかな青春と大人への反逆を描こうとしたのだと思います。ですがPという大人の恣意が前提にあることで純粋さは薄れ「俺たちの7日間戦争」とでも言うべきものになってしまっています。一言で言えば"理想的なクソガキ"でしょうか。青春の1ページという描写も陳腐な物に成り下がります。
今の所のノクチルにおけるPというのは彼女達の成長を阻む存在であり、必ずそこと向き合うべきであると思います。
そこに向き合えない限り"売り物"と"売る者"のエゴ、ノクチルというアイドルがPの自己満足と大人としての子どもへの傲慢の上に成り立つ存在でしか無いからです。
割と悪く書いてる気がしますがまだ1ページ目、最初のコミュまでの感想でしかありません。またそう言った関係性や意識の変化も描かれていくものと思います。
個人的に驚いたのは天塵のコミュを徹頭徹尾称賛する人が割りといた事でしょうか。オレの人生はつまらなくなんかない!(ryと言えるような大人は意外と少ないのかもしれません。
現状の彼女達というのはPに泳がされているだけの存在であると思います。そこに自身から向き合い、殻を破り、誰の定義でも無い私へと変化していく方が健全だとは思いますね。
むかし彼女とブダペストに旅行に行って、チタデラって名前のちょっとした山に登った。
英語かイタリア語かフランス語か知らないが、とにかく城砦を意味するCitadelって単語からきた名前らしい。たしかに無骨な砦のようなものが頂上にあった。
砦そのものには入れないが、高度と位置がちょうど良くて市街が一望できる。いろんな国籍の人が集まって街を見下ろし、思い思いに写真を撮ったりしている姿は牧歌的で素敵だった。ドナウの真珠と呼ばれるだけあってブダペストの街は美しく、それなりに感動した覚えがある。俺たちもドナウの真珠をバックに写真を撮ったが、自撮りが下手すぎて2人の顔ばっかり写っていた。
チタデラ、いい思い出だ。
で、この前なんとなくグーグルマップを見ていたら近所に「知足寺」という寺をみつけた。ちそくじ、とでも読むのだろうが、ちたでらとも読める。なんてことはない普通の寺だが俺たちは大いに盛り上がり、日本のチタデラへと向かった…というのはウソで、彼女は「べつに行くほどではないかな…」とつれない態度だったので俺だけ行った。
普通の寺だった。人はいなかった。境内に入って声をかけられたら怖いので、外から眺めるだけで帰った。
彼女にその話をすると、「よかったね」と言われた。 完
中島美嘉"「(上京してきたばかりの頃) 最初の何ヶ月かの間だけど、街歩いてる人が同じ顔ばっかりに見えて、気持ち悪くてコンビニとかも夜しか行かないようにしてて、、」"
"「上京して5日目ぐらいに東横線に乗ったんですけど、、 ちょうど朝で、乗ってきてた中学生の子とかが何十人もいて、
ふっと見たら男子も女子もみんな同じ顔に見えて(笑) この子たちみんな兄弟なの!?とか思って、、」"
"「東京来る前は福岡にいたんですけど、あそこではそんなことは、、一回もなかったですね」"
浜崎あゆみ"「(東京では)どうしてみんな下を向いて歩いてるの?っていうのが不思議でした。あとなんか、おんなじ顔の人ばかりに見えて、とか(笑)ごめんなさい」"
橘慶太"「(上京して世田谷の中学校に転入した時) クラスの人たちみんな小学生に見えてびびった(中略) 中3なのに、なんかみんなすごい顔が幼いっていうか、小学生ぐらいの子供に見えて、、
あと、みんな顔が似てると思った。でも中身は結構、、成熟っていうか、立派っぽい人が多いと思った」"
北村一輝"「あ~、確かに、おまえ外人みたいだな、とか、東京ではよく言われてきましたね。僕地元は大阪で、両親の実家が沖縄と鹿児島にあるんですけども、
ガキの頃はそっちによく遊びに行ってたんです。そっちではぜんぜん、なんというか、そんなことはなかったんですけども・・・」"
"「東京に来たばっかりの頃なんかは、よくありましたね。東京のほうは、基本の顔みたいなのがあるみたいで、・・・
結構同じような顔されてる方が多くて、そこから外れてる僕みたいなのは、異端視?というか・・・難しいですね(笑)」"
徹子の部屋出演時
"伴都美子:(専門学校に入るのと同時に上京した、という会話の流れ)「たまに周りの人の区別がつかなくなることとか。顔とかが同じ人に見えたり・・・」
推しにプレを買ってあげる♡
推しにプレを買ってあげる
自分の着てる服より高いけど
推しにプレを買ってあげる
時々虚無になるけれど
毎回プレを買ってあげる
ゴミみたいなプレ使うのやめてよ!
私は良いプレ買ってあげる
ヲタってやっぱり ギブ&テイク
プレ着報告待ってます
だ・か・ら
推しにプレを買ってあげる
推しにプレを買ってあげる
私の収入の半分あげる
カテコでは手を振りなさいよ!
私は拍手を送ったげる
フラスタが出せる時は
私がフラスタを送ったげる
そのかわり、他の同担にファンサ一切しないでよ!お願いしますよ!
だ・か・ら
推しにプレを買ってあげる
推しにプレを買ってあげる
私の収入の半分あげる
だ・か・ら
推しにプレを買ってあげる
推しにプレを買ってあげる
私の収入の半分あげる
うじうじ停滞してた若者がどうオトナになるのか、というのは普遍的な良テーマだと思う。
だけど、シナ子のハッキリしないところとか、リクオのうじうじしてるところとかが
そういう、作中に漂うモヤモヤが好きな人も、嫌いな人もいるということだろうね。
ハルがリクオを好きになった理由も、「受験票を拾ったから」だけだと思うよ。
年頃の女の子が、一回あっただけの人をどんどん自分の中で美化して…って、割と普通。
受験票を拾って、名前を覚えてたダイガクセーが近くのコンビニでバイトしてる、
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そういう雰囲気も相まって、人物たちが起こす行動とか、持っている心象の変化とか、
そういうところ、リクオたちが乗り越えていくものが際立っているように感じる。
とまで言っていたシナ子が、周りの人たちに影響されて、何年にも渡る湧くんへの思いを
「みんな変わらずにはいられない。湧くんはもういない、いないんだ…」
と吹っ切る、どれだけの葛藤があってそこに至ったのかとか、切ないけどよかったなとか、
そのキッカケは恐らくハルだろうなとか、今後の展開に繋がってるなとか、色々思うのさ。
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底抜けに明るいキャラのハルも、楽しみにしていた怪獣映画をリクオにすっぽかされ、
でもそれでひいた風邪のせいでリクオに優しくされれば、溜飲が下がっちゃったりする。
チョロいところも、ちっちゃくて可愛いよね。
そんな風に、うじうじしてるリクオも、予備校で打ちのめされてシナ子には子供扱いされたくないと
等身大なハナシが、いくつも絡み合ってる感じなので、移入できるヒトにとことん移入して、
何周かしてみてはいかがか?
まぁ、全体的に見ていっても、「愛とはなんぞや?」にたどり着くと思うので、
好きな見方をするのが一番だぜ。
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あとは、原作との相違点だけど… 雰囲気はホントに素晴らしいと思う!1話最高だった。
ただ、話の順番的には必要な部分が抜けてるなぁと言わざるを得ないかな。
特に、リクオがなんでカメラのバイト始めようと思ったかってところが、すっぽり抜けて…。
カメラのファインダーを通して、リクオが他人とどう付き合ってきたか振り返るハナシがあるんだけどね。
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