「サザエさん」を含む日記 RSS

はてなキーワード: サザエさんとは

2016-04-24

サザエさんって世田谷住みなんだな

てことは金持ちなんだな。

よく考えると両者一流企業勤めの波平マスオ給料合わせたら月100万位貰ってるんだろ。

となると実家は古くても腐っても一等地。

サザエさんの家庭環境改めて考えさせられる。

2016-04-13

めもてきなかきちらし

コンテンツ思い入れがなければダメだという日本商業的にもまかり通ってきた俗説を鑑みるに)、やっぱりひとつ創作にこだわりがあると全くダメで、こだわりがなければないほど商業性や一般性というクオリティに貢献できるので商業的には大変有意義な結果を出せるんじゃないかなと思う。GoogleとかAmazonも、多分自分のやってる「コンテンツ」に興味がなくて、プラットフォームとかどうすれば効率的かみたいなことに注力してるんじゃないかと思う。

日本場合自分で作ったもの」にこだわりすぎて身動きがとれない。また、プラットフォームを作ろうという人達自分たちの作ったサービスの動き方にとらわれすぎている。自分の決めたことにとらわれすぎている。

そういうのは作家に任せておけばいいのであって、フォーマットだけ作ればいいんじゃないかなと。

アメコミヒーロー社会情勢によって変革できるフォーマットをとっている。だからとてつもない時間を生きながらえている。そういう作品って日本あるかなと考えたら、多分ない。長く居続けているのはサザエさんアンパンマンくらいで、前者は何も語りはしない。語るけど、せいぜい時代錯誤なことか持っている機器の変化くらい。アンパンマンは設定が普遍性がなく、大人向けに落としこむことが出来ないので(全身タイツ超人/一般人と、頭がアンパンの人造人間の、どちらが感情移入できるかは明白)いついかなる時代の空気を落とし込めることは出来ない。社会性のある、そしてなおかつエンタテイメント性のある作品は作れない。作ったとしても、アンパンマンでは世界全体に届かない。

ドラゴンボール孫悟空という人格破綻した存在と、世界を脅かす悪役が魅力的だから日本以外の国にも受けている。しかし、ドラゴンボール鳥山明以外が作ったら受けるかと言ったらそんなことはない。それはドラゴンボールエボリューションでも明らかなことだと思う。ファンが作ったものが最高だというけれど、それは商業には成り得ないし、社会性は得られない。ドラゴンボールという作品自体社会性は得られない、鳥山明個人的世界を描いた作品しかない。日本作品はそういうものしかないと思われる。

どんなにクールジャパンだとか政策として日本作品世界に輸出しようといっても、作られる物自体社会性の乏しいものだとしたら一般性は得られないだろう。進撃の巨人も、バットマンスーパーマンのように80年近く愛されはしない。

日本人世界に向けて「売れる」作品を安定供給しようとするなら、すべての自主規制的なものを取っ払い、個人的で、誰にも想像し得なく、そして少数の心に突き刺さるインディペンデント作品を大量に押し出していくしかないだろうなと思う。それは太宰治夏目漱石、それよりももっと前の作者にしてもそうだと思う。日本は今のところ個人的ものしか作れない。ライトノベルもそうだし、内需しか見えてない。ポリティカル・コレクトネスがどうこうではなくて、作る人間の数メートルしか見えてない。それは宮﨑駿もそうだと思う。

クールジャパン、あり得るけれどもそれが全世界普遍性のあるものなんて幻想だ。普遍性がないからこそ求められてる。新堂えるが、トレヴァー・ブラウン国外脱出した意味を考えるべき。自分のありようを考えるべき。どうしても日本人は、自分から自分の周辺から抜け出せない。あるいは自分を外部化出来ない。

から、この環境適応できるとサイコー楽園なんだけどね。

自分自分で終われるから。今の日本が苦しいのは、外部的な存在をきちんと認識できているのかもしれない。

2016-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20160409092704

お、同年代だ。

ガンダム再放送アニメにハマり、その後釜と認識していたザブングルだったけど

主人公が丸顔!ロボットハンドル操作!で「だせえ!もう観ねえよ!」って

それ以降ロボットアニメは観なくなった。

まあ、それでもドラえもんとかサザエさんとかホームズとか、世界名作劇場とか

日本昔話とかは観てた。まあでもここら辺は元増田対象としてるアニメとは

違うよね。

ジャンプアニメドクター・スランプが好きだった。キン肉マンとか北斗の拳とかは

絵が違う..って感じで時々は観る、程度。

ドラゴンボールは引き伸ばしが露骨になってきた辺りであまり観なくなった。

部活やらゲームやらで忙しくなって、自分のペースで進められないアニメから

離れていった。

んーだからちょうど宮崎事件の頃は観ていなかったことになるのかな。

笑ゥせぇるすまんとかは観てたけど。これも違うかな?

笑ゥせぇるすまん面白いよねー、といってもバッシングは受けなかった気がする。

大学生の頃は麻雀ゲームで忙しかった。

友人からVHSエヴァを全巻観せてもらった時は、「おーおもしろいやん」て

思ったけど、他のアニメをチェックするようにはならなかったな。

またアニメを観るようになったのは、正月実家に帰ったときたまたまやってた

電脳コイル」の総集編が面白かったため。「今のアニメはこんなに面白いんか!」

って感じで「プラネテス」とか「グレンラガン」とかをレンタルで借りて全編観たりした。

その後深夜アニメもチェックするようになって今にいたる。

まあ最後まで観るのは週3、4本だけど。


というわけでまとめると、線引きはよくわからないけど

一般アニメ継続してみてた

ロボットアニメから離れたのはザブングルがダサかったか

ジャンプアニメから離れたのはドラゴンボールの引き伸ばしがひどかったか

・戻ってきたのは電脳コイルの総集編が面白かったか

2016-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20160408000358

そんな頭の悪いオタク妄想をいちいちオリジナルアニメにする暇ないでしょ

18巻分あるんだからカットされる話はあるだろうけどオリジナル話を入れる隙なんて無いよ

本編とあんまり関係無いハイウェイスターエニグマとか鉄塔とかイタリアンレストランとかじゃんけん小僧とかチープトリックとかチンチロリンとか

その辺がカットされないかの方が心配

(まぁハイウェイスターは例の名言があるしチープトリック伏線だったりするけど)

あと無駄時間をかけてほしい

チンチロリンで2話は使って欲しい

視聴率取れなかったら長々とやるわけにもいかないんだろうけど

本人も言ってたようにサザエさん的なのが4部の魅力なんだしちゃんと脱線的な話をやってほしいなぁ

2016-04-06

こないだ朝、会社コート脱いだら背中からタオル出てきたんだ

家出る直前に髪洗ってて拭いてたやつ

あっぶねー、なんでこんなもんが背中に入ってんだよ

でもコートの中だし誰も気づいてないよな、良かったーとか思ってたんだよ

今日は買ったばかりの春物コート着て、会社行って帰ってきて

そういやベルトついてるはずなのに使わなかったな、と思い探したんだけど見当たらないの

おかしいなあ、とハンガーにかけてあるコート背中を見たら、

ウレタン素材で留めてあるベルトがそこにあった

なんだよもう、会社行って帰ってくるまで新品の包装つけっぱだったのかよ超ダセえ

なんで最近俺こんなサザエさんみたいなんだよ

みんなが笑ってるよどうすんだよ

2016-03-29

おそ松さん最終話

よくできたアニメだった

それぞれのパーツがパズルのように組み合っており

一見ラバラにみえた各話に一貫性をもたせてる

そしてそれらを破壊してる破天荒っぷり

まともに考察しようとの試みを無駄なことだとあざ笑う

そういう意味でもよくできている

おそ松さんキーポイントはトト子ちゃんにあり

ポイント11話のクリスマス

各種ショートコントの後、最終的に六つ子はトト子ちゃんの家にいってクリスマスを過ごしてくれと土下座する

トト子ちゃんは帰ってくれと土下座する

トト子ちゃんの親は毎年の風物詩だとほのぼのする

六つ子もトト子ちゃんもお互いがああだからということで

終わりなきモラトリアム期間を過ごすことを許されてると思ってるフシがある

お互いに抜け駆けするでなく本当につきあうアプローチをするでなく

その距離感安心して、安心しているからこそサザエさん空間まったりと生きている

ところが24話。Aパートの「トト子ちゃん大あわて」でトト子ちゃんが動く

結婚相手を求めて実際に石油王といいところまでいってしま

まり、トト子ちゃんが本気出してしまったわけだ

それを受けてのBパート

そう24話はつながっている

トト子ちゃんによりホレてる順に動きがあるんだよな

地下アイドルであるトト子ちゃんのマネージメントしていたチョロ松が最初就職を決め

総集編でいっしょに「まわし」をした長男が拗ねてる

次いでトド、カラ、十四と

興味深いのは最後の一松だ

彼は筋金入りのペシミストで家を出たところでなにがどうなるわけでもないし

マイナス面が多いと肌で感じている

もちろんトト子ちゃんとつきあえるわけもないと思っている

それでも今この家に残る理由がないし理由がないからこそ出なければならないと思っている

誰よりも場の空気を読んだ末に最後まで残るという手を選んだがそれ故に今出ないとダメだと

そして案の定野垂れ死に寸前にクリスマス回でちょっかいを出していたカップルに助けられる(ここもつながってる)

傍目からみたらトト子ちゃんは婚活パーティーにかよい

石油王に見初められて、破局して、傷心で語学留学だもんな

石油を掘り当てられずに骨になった六つ子にとって

危機感を煽るには余りあるアクション

今は手は届かないにしてもいつかなんとかなると漠然と思っていた存在がいきなり遠くに感じてしま

ベタだけど効果的なパターン

そしてバラバラになった末におそ松はトト子ちゃんにデートに誘われても無視してしま

この行為ポイント

そのまま最終話につながる

なんたって24話の最後には「つづく」とでてますからね。

野球をすることになり

なんのかんの決勝大会にまで上り詰めるも

負けそうになる

そこでトト子ちゃんが出てくるわけです

勝てばやらせてあげると

これで六つ子とトト子ちゃんは気がつくわけです

自分らは7Pがしたかったと

そう彼らは「いっしょ」にトト子ちゃんを相手童貞喪失たかったわけですよ

そしてトト子ちゃんも薄々は思ってたけどやっと肚を決めて

ひと肌脱いで応える覚悟をみせたわけです

ダメでしたが

六つ子は20歳すぎの青年らしく「セックスがしたい」という思いでがんばっていたわけです

ダメでしたが

からおそ松が迎えに行ったときめいめい自慰行為にふけっていたわけです

20歳すぎの青年から

そしてダメだったのはなぜかというと「つづき」があるからです

彼らはまだ童貞じゃないとダメなわけですよ

から24から普通につづいて巣立っていって童貞喪失してニート脱却して視聴者を感動させちゃダメ

チョロ松の手紙不思議な力で燃えたのはそのためですね

ということで結論、トト子ちゃんはカワイイ菩薩

などという考察を長々と書くときもちわりー

と各方面からいわれるわけです

二期が楽しみですー

まだおそ松クラスタでつながっていよー

ってほうが健全

2016-03-10

サザエさんノリスケは屑なのか。

結論から言えば、国語辞典的には屑ではない。

辞典に則るなら、屑ってのはまったくよいところがないものに使う言葉で、

どちらかというと、悪いことすらできない人に使うほうがいいと思われる。

まず思ったのは、屑ってのはほとんど記述意味はなく、

ほぼ評価的な言葉なのではないかってことだな。

しかちょっと辞典を調べたらそうとも言えないと思った。)

そんで人によってその評価の重みが違うだろうってことだな。

ネットとかでは軽々しく屑とか評価するが、

現実で人を屑と評価するのは相当重い悪い評価だろう。

あと冗談めかして「屑だなあw」みたいに使う場合

「屑(怒)!」みたいに使う場合もあると思う。

国語辞典によるなら、ノリスケは屑ではないと思う。

役に立たないわけでもないし、いい部分がまったくないわけでもないから

2016-02-15

西之園萌絵が嫌いな人はシリーズをどこまで読んだのか

以下Gシリーズまでのネタバレあり。

ドラマは論外とする。漫画は読んでいないのでスルー

S&Mシリーズはみなさんご存じ森博嗣小説だ。ゲーム漫画ドラマアニメ化になっている。どれもキャラデザ原作イメージと違うのが特徴だ。

犀川創平と西之園萌絵という二人の天才議論していたら、いつの間にか事件が解決していたというシリーズ不適切なあらすじで申し訳ない。

96年発行なのに、VRについて現代レベルに迫っていたり、ツイッターマイナンバーの登場を予言しちゃっているところも面白い最近思う。SFでは無いのだが。

メインキャラ二人ともが天才なのだけど、ずば抜けている犀川に比べて萌絵はかなり劣った設定になっている。

これは、そうしないと話が動かないからだ……とメタ視点を持って読みたい。

とにもかくにも、西之園萌絵主人公作品だ。彼女ワトソンでは無いのだよホームズくん。

(※作者談)

アニメ すべてがFになる

中盤までを見て、彼女を嫌いだと思った人→わかる。アニメモノローグ無いから何考えてるか分からないし。

原作アニメ すべてがFになる

すべF全部読んで、それでも彼女が嫌いだと思った人→わからなくもない。

この違いについては見れば、読めば、分かる。

萌絵が奇抜だったり感情的だったりするのは、一応理由がある(自分だけ運よく助かった、両親の突然の死)。

前者に関しては、それを知らないで、序盤でキャラを掴んだ気になって「ビッチだ!」と彼女を嫌いだと言う人に、最後まで見ろ!と言いたくなる。萌絵はバリバリ清純派キャラだ。

後者問題なのだ

アニメや、原作1巻読んだだけで彼女の(犀川の)キャラを捉えるのはとても難しい。あまりにも複雑に作られてしまったキャラクターなのだ。「すべてがFになる」は元々5連作の4作目として作られたというエピソードからしても、「すべF」だけでどうか西之園萌絵キャラクターを把握しないでほしい。という原作読者の重い想いを、誰か受け止めてほしいのだ。

S&Mシリーズは年を取らないサザエさん方式では無く、キャラはみんな確実に歳を取っていく。

とりあえず時系列を追って考えよう。

S&Mシリーズ10作全て見て、なお西之園萌絵が嫌いだと言う人。

嫌いなのによく読んだな、あんな長いの……というのは(四季の)百年譲って許そう。

S&M、つまり犀川&萌絵(四季 真賀田だったりもする)はシリーズを通して、二人の関係性格微妙に変化をしていく。

犀川は次第に優しくなり、社会にほんの少し馴染むような様子を見せている。

萌絵といえば犯罪に関わることで、ヒステリィさを増していく。

まぁそれにも理由があってのこと。ちゃんと全部読めば分かるが、簡潔に言えば彼女は自ら危険に関わることで、自殺願望を満たしているのだ(だから犀川が余計に優しく心配性になる)。

(※補足。萌絵も一応友達が出来たり一般庶民に馴染んだりと、かなり人当たりはよくなっていきます犀川よりは)

最終巻「有限と微小のパン」での萌絵は、とにかくヒステリックだ。

それについても四季が同作中で説明してくれている。

要するに萌絵は、すべFの時に自らの過去の嫌な記憶を呼び起こした『四季』を恐怖、負そのもの認識してしまった。犀川四季にとられてしまう、という恐怖もプラスしている。

犀川&萌絵シリーズとしては、四季の介入でスッキリしない終わり方をする。

嫌いと言う人が居るのも……仕方が無いかな。だって萌絵の最後の見せ場がヒステリックなのだ

犀川が望む生き方妨害してるのが、萌絵なのかもしれないし(書いてる人はそんな感想抱いていないが)、事実萌絵が話を引っ掻き回すので推理邪魔だと感じる人が、もしかしたら居たのかもしれない(いやそこもメタ視点で読めよ、という話なのだけど……)。

じゃあ、S&Mシリーズを読んだ人はVシリーズを読んだのだろうか。

このシリーズ時系列こそ違えどS&Mと同じ世界観で、西之園萌絵をメインとした話が一作ある。「捩れ屋敷の利鈍」だ。

(これを読んだ人が、助手の国枝桃子を嫌いな人がさらに嫌いになるか、好きな人さらに大好きなになるのかも気になる……。)

でもこの話はどうでもよくて、それ以外のVシリーズを読んだか読んでないかでS&Mシリーズへの見方が大きく意見が分かれるところがあるのだ。

犀川が萌絵を好きになれるのか、もしくは何故好きになったのか』

正直S&Mだけ読んでもここは謎だ。彼の気持ちは分かりにくいし、S&M最終巻時点で彼が萌絵にどうしていくのかはハッキリ見えない。好きなんだろうが、犀川先生ロリコン、で片付けれられても仕方が無い程度にしか書かれていない。

からこそ萌絵の犀川への気持ちが、あまりにも一方的に描かれてきたのだ。

しかしVシリーズ最後まで読むと、それがとてもよく分かってしまう仕組み、トリックになっている。

犀川の好みの女性が明らかになるのだ。つまり萌絵は犀川にとってドンピシャだったのだ……。

ネタバレネタバレなのでこれ以上は書かない。

とにかく、犀川は萌絵を選ぶと再確認できるシリーズ、とでも言える(大げさだし、そんなにキャラクターは出てこないのだけど)。

ここまで読んでなお、西之園萌絵が嫌いだと言う人。

マジでなんで読んでるの?このキャラどうやっても主人公だよ?なら紅子も嫌い?よくここまで読んだね!

と言いたいけど、分からんでもないのだ!!(だって森さんの話おもしろいもんね!!)

萌絵の恋愛脳、四季ヒステリックは「四季秋」を経ても変わらないままだし。うん、ヒステリィはうざいもんね。

(ここまで読むと、萌絵が可哀想犀川酷い男だ!という感想も、当然だと思う。犀川はなかなか酷い男だ。萌絵くらい積極的にならないと関われない。)

じゃあ、短編集「虚空の逆マトリクスから「いつ入れ替わった?」は読んだだろうか。時系列的には「四季秋」の中盤だ。刊行時期的に「四季秋」は読んでもソレは読んでないという人が多いかもしれない。

萌絵、超可愛いじゃん?(犀川可愛い

それとも萌絵嫌いな人にはどうでもいい話なのだろうか……重要だと思ったのだが……。

そして、「四季秋」の終盤で萌絵は犀川への接し方に対して、ある解答を得ていたりする。今後彼女が彼に対しどうなっていくのか、読者は少しだけ予測することができる。

……それでも嫌い?じゃあGシリーズは読んだ?「キウイγ(ガンマ)は時計仕掛け」、読んだ?

このシリーズ1巻では萌絵の後輩たちという別キャラクターが動く話だと思って読んでいたのだけれど、もはやもう、S&Mシリーズの続編なのだ(ところどころVシリーズが影を見せるし)。

犀川が出てくるだけではなく、確実に萌絵がメインキャラを食っている(海月と加部谷が主役向きじゃ無い)、裏テーマは萌絵の成長奮闘記だろう。

髪もロングになり、美人で優しい先輩だし、しっかりと自分分析し、過去とちゃんと向き合って、大人しくなって。

(幕間に、Xシリーズを挟み)

すべてがFになる」で最初犀川が言ってたとおりの、彼女本質的性格に戻ろうとしているのだ。

超良い女、って感じになっている。お子ちゃま萌絵ちゃんは、もう居ない。多分。

犀川にはもったいない!けれど、犀川もこのシリーズで随分丸く素直になっている。なんか禁煙までしちゃってる(読者的にいまだに信じてないし、理由をずっと考えているが)。

萌絵が落ち着いたことで、犀川距離感すら生まれた。会えない時間が愛育てるのさと、よく言ったものだ。

本当の本当に、彼女はしっかり大人になったのだ。

Gシリーズまで読んでもなお、萌絵が嫌いですか。……残念です。あなたとは趣味が合わない模様。

読んでない方、ぜひ読んでよ。

萌絵が(さらに)好きになるかもしれないから

Gシリーズ相変わらず謎のままだしトリックは浅い(というか、書きたいものミステリィでは無いのかもしれない)けど、森博嗣が好きに書いてるのは分かるから

目標地点までキャラクターを育ててあげよう、という意思が見えて、気持ちよかったりもするしね。

そんなこと思ってないって作者に言われたら、「あそう……」だけど。

まぁ、書いている自分最初から萌絵が好きなんですけど。

大人しくなったと書いたけど、今後の展開が読めないので、本当に萌絵が落ち着いてくれるのかは謎です。

ただもう死にたがり萌絵ちゃんは卒業してますし、犀川先生とはあははうふふで、西之園先生になりました。

(ただし結婚していないという謎状況)

あ、5月にすべFの島田文子さん主役で新刊出るらしいね

萌絵がGシリーズのメインキャラ食うどころか、主役交代劇が起こっているGシリーズ運命を、四季が握っているのは確か……最新刊を、待つ。


※追記

意外に反響あって作品人気を知るのですが、どのキャラ人間味あって可愛くて好きですよ。

特に特化して萌絵批判について考えてみた結果、愛をぶつける形になりました。

加部谷と海月…とくに海月については短編集と合わせて推理中なのですが、やっぱり主人公としては描かれていないのが、私気になります

Gシリーズで彼の謎が解けるとも思えない…。

http://anond.hatelabo.jp/20160215122729

サザエさん視聴者アニメファンですらないただの普通の人扱いでは

ワンピース小学生までなら同じ

というか小学生までなら子供向けアニメ見てる分にはただの普通の子

http://anond.hatelabo.jp/20160215121737

ワンピースサザエさんを視聴してる人達一般的アニメファンで通るけど

アニメオタクは主に深夜アニメを視聴してる大きなお友達に挙げられるんで。

多分、アニメファンに深夜アニメ話題を聞いても分からないと思うので

アニメオタクはそれだけ特殊存在だと分かって貰えるのではないか?

2016-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20160212113307

それ言ったらサザエさんは確実に一千万は超えてるだろうしなあ

2,30万ってのは深夜アニメじゃないの

ゲームねこあつめやってるなんてのまで含めたらきりないけどさ

2016-01-28

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160127162623

バックグラウンドを知らないと楽しめないってことないけど、

サザエさんもそういうのこだわって言うぞ?

「そこまでどまりなんだよ」とか言われると戸惑ってしまう。

サザエさん監督はいなくてチーフディレクターって役職の人はいるけど、各話で変わるわけではないので特に話題にならない。

原作については、まず、アニメサザエさんの各話は概ね3パートに分かれてて、

サブタイトル、メイン、エンディングの3つとすると、サブタイトルエンディング原作の話が使われることが多い。

まあ、原作未読でも特に問題ないと思うし、あえて原作の話はしないけど。

サブタイトルエンディングっていう概念サザエさん音楽大全を参照しました。「サブタイトル」「エンディング」って曲が使われる部分。

声優は交代の時だけやたら話題になるでしょ。

毎週見てるとすぐ慣れるんだけど、たまにしか見ないやつに限ってガタガタうるさい。

脚本家の話はよくするけど、雪室先生城山先生をメインとして、最近浪江先生脚本の回も増えてる。

浪江先生ポスト雪室俊一を狙ってるのか、キャラの使い方が雪室先生に似てるけど、レアBGM使う頻度が高い印象。

って感じの話はしたくないんでしょ?でもサザエさんでもこういう話するからね。

増田にとってのしんどくないアニメを一つ奪ってしまたかもしれないけど。

http://anond.hatelabo.jp/20160127162623

サザエさん声優といえば、永井一郎没後の、茶風林波平の第一声がどうなるかは、結構注目されり

サザエさん作画といえば、2年前のデジタル移行で、日本セルアニメが終わったとか

しろサザエさんが注目されるときってそういう、既存文脈ありきの話題ばっかじゃね?

2016-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20160127162732

せいぜい脚本家だけじゃん、

話題になるの。

劇場版サザエさんとやったら

おまえ等喜ぶだろ

なのになぜない

クレしんはあるというのに。

サザエさんとかそういったアニメでは

サザエさん

原作とか、

監督とか、

声優とか、

作画とか、

おまえ等の大好きなアニメなのに

そういうのこだわって言わないの?

しょせんおまえ等はそこまでどまりなんだよ。

そういうのありきなところの

アニメって見るのがしんどい

バックグランドを知っておかないと楽しめないような

内輪で盛り上がってるだけじゃん。

2016-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20160116100843

クレしんまともに見た事なかったけど、妹もいるのかあれ。

普通に考えて幼稚園児のクソガキとまだハイハイの下の子いたらすげー大変だよなあ。

まだサザエさんってなら分かるけどさ。

でもサザエさんほど恵まれ環境で生きてる女なんて現実には居ないだろ、と思うけど。

あれは完全にファンタジーだし。

2016-01-12

アラフォーオタク女の読んできた漫画

物心がついた辺り両親の漫画

ポーの一族11人いる、トーマの心臓スターレッド、百億の昼千億の夜、エロイカより愛を込めて、エルアルコン鷹、浮浪雲、じゃりんこちえ、サザエさん、いじわるばぁさんなど

小学校低学年辺り幼児向け

漫画日本の歴史、つるぴかハゲ丸、あさりちゃんドラえもんなど

小学校高学年辺りりぼん

銀曜日おとぎ話ときめきトゥナイト、おとうさんは心配性、ちびまるこちゃん、星の瞳のシルエット有閑倶楽部ねこねこ幻想曲など

小学から中学辺り花とゆめ別冊少女コミックLaLa

バナナフィッシュ、BASARA、THEBBB、はじめちゃんが一番、前略ミルクハウス動物のお医者さん笑う大天使ぼくの地球を守ってここはグリーンウッドなんて素敵にジャパネスクサイファ、月の子OZ花咲ける青少年So What?、×ぺけ

中学辺りジャンプサンデー

今日から俺はうしおととらパトレイバージョジョの奇妙な冒険スラムダンクドラゴンボールキャプテン翼星矢

マーガレット

絶愛

ウイングス、アニパロコミックス

アーシアン源氏聖伝東京バビロン、GoWest、ダンディドラゴン

高校辺り少しディープ

近藤ようこ杉浦日向子諸星大二郎丸尾末広高橋葉介など

大学辺り懐かしの漫画

火の鳥デビルマンブラックジャックベルサイユのバラ、ガラスの仮面日出処の天子

それからはぼちぼち話題漫画を読みつつ今に至る

2016-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20160104230205

この手の子想像する「普通のしごと」というのは、サザエさんの波兵やマスオさんクレヨンしんちゃんのひろし、ドラえもんのパパのようなサラリーマンのことを指すので、まず彼らのしごとがどんな内容なのか具体的にイメージさせられるように教え、そしてそれらの職が日本人の平均年収より高級であって、決して「普通」ではないのだということを知らせたらよろしいのかと。

2016-01-02

サザエさん(作品)が嫌いであ

凡庸で退屈で、内容に新鮮さが全くない

四コマのような風刺でもなくショートショートでもなく……

世の中には録画してまで見る人がいるのだから驚きだ

2015-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20151224160204

おー、返事サンクス

「失われるのは、全体としての○○家という概念」これがまだピンとこない。

(1) 書類上の概念として、山田-鈴木夫妻を「山田家」あるいは「鈴木家」という単一のラベルで扱えなくなる、というのはわかる。だが事務手続きの話ではないという。

(2) 結婚式や親戚づきあいの場面で、「山田家に嫁ぐ」「貴女もこれから山田人間だ」みたいなとらえ方をする人はまだ多いだろう。そこで改姓が一種コミットメントとして機能していることもあるだろう。だけれど日常生活でそれが顔を出す場面なんて、盆暮れに親戚で集まるときくらいで、しかもそれが顔を出すコンテキストというのはあくま山田一族の内輪の話だ。外の人間山田-鈴木夫妻を呼ぶラベルが失われて困る、というのとは全く別の話のように思える。コミットメントの話を除けば、集まった親戚は誰もが山田-鈴木夫妻が山田家の親族であることを知っているわけだから

(3) それらを除いた、日常で「◯◯家」全体を呼称するラベルということを考えた場合、それは現状でも「家族の誰かを起点とした関係」で完全にカバーされている話であって(山田-鈴木夫妻の息子の保育園の人は△△君のお父さん、お母さんという認識であって、現在でも親が事実婚で姓が異なる場合はあるが、そんなこと気にしないだろう)、従ってコンテキストにより「山田家」「鈴木家」を呼び分けることに余分なコストがかかるように思えない。

サザエさんはもちろん、制度としては夫婦同姓を守っているわけだけれど、日常で「◯◯家」が必要となる文脈においては「家族の誰かを起点とした関係」で全て済んでるように思えるので、コストが増加しない例として出した。他の実例として、俺の親の代くらいまでだと兄弟で親戚の家に預けられて育てられたとか子連れで戻ってきた姉が同居とか、複数の姓からなる家族というのが珍しくないってのもある。

何か具体的なシチュエーションで、「◯◯家」全体を呼称する唯一のラベルが失われることによる不具合ってのを出してくれたら、俺も理解できるんじゃないかと思うんだが、例えばどんなケースがあるのかな。

http://anond.hatelabo.jp/20151223230934

遅くなって悪かった。

まず、「ひとつ家族になるときひとつファミリーネームを共有する」ことのシンプルで強力な理屈があるわな。

これは「ファミリーネームを共有していなければ家族ではない」という命題の裏(対偶ではないが)として、同一姓であることが家族であるということをある程度保証してくれている。

そもそも夫婦別姓には、スペイン人のような系譜を示す機能があるものを除いて、合理的機能がない。

それに対する俺の主張は、「適当呼称は無くならない。複数呼び方が使われるだけ。それは従来の呼称(サザエさん一家の例)と同様の運用」ってこと。

君が代替案として言っているのは、家族の誰かを起点とした家族関係なわけな。「山田さん一家」も「鈴木さん一家」も。

で、失われるのは、家族の誰を起点にするわけでもない、全体としての○○家という概念なの。

旦那さんを起点にした家族を指しているのか、奥さんを起点にした家族を指しているのか、もしくは息子さんなのか。

そういった起点を曖昧にしたまま指示する名詞を失う。

(ちなみにサザエさんフグ田家の人間であり、マスオ借家を追い出されて磯野家に間借りしているだけだと思うが…)

2015-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20151223225945

ちょっと待った。話が微妙シフトしてる。(別増田が出てきたのかもしれないが)

変更のコストをどう見積もるか、って話は個別にいろいろあるんだけど、俺が http://anond.hatelabo.jp/20151223155930 に反応したのは「個別家族を指す適当呼称が「無くなる」のが問題。」の一点だけ。

それに対する俺の主張は、「適当呼称は無くならない。複数呼び方が使われるだけ。それは従来の呼称(サザエさん一家の例)と同様の運用」ってこと。

で、通称使用を拡大したとしても「山田-鈴木夫妻の呼び方多様化」は生じるはずなんで、「個別家族を指す適当呼称が無くなる」という点において別姓と通称使用拡大でどういう差異があるのかよくわからないんだ。上で参照してる増田は「事務的問題というより~認識しずらいという点が厄介」と言っているので、役所手続き書類問題ではなく日常的な呼称問題だと解釈したんだが、だとしたら山田-鈴木夫妻のどっちかが通称なのか、それとも別姓なのかは問題ではないはず。

実際の運用として通称使用拡大で済むなら俺はそれで構わないと思ってる。

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