はてなキーワード: アラサーとは
高齢出産のメリットを延々と語ってくる同僚(先輩)が居て、本気で言ってるのかマジでわからない。
精神的余裕がある
経済的に余裕がある
→経済的に余裕のある20代ママもいればない高齢出産ママもいる
→20代に産んでも仕事も遊びも出来るのでは?というか仕事は今後もしていくし、遊びが何指してるのかわからないけど、私の中での遊び(夜中に飲み歩いたり、友達とフェスやクラブに行く)は20代前半までに終わらせることなのでは?クラブにアラサーの人いると痛いなあって思っちゃう。
なんて思いながら今日も聞き流してる。
高齢出産アゲな話聞きすぎて一周まわって何も信じられない
自分にできるかどうかは別なんだけどね
あんまり変わらないと思った。まあ、厳密には駅じゃなくて、電車だったんだけど。
以下、独り言。
ここのところはいつも時差出勤で、9時半くらいの電車に乗れば十分間に合う生活が続いていた。
その気楽さが雰囲気に出ていたのか、席がちらほら埋まった電車の中をふらふら歩いているとき、突然、座っていたおじいさんが「なんや、お前はこんな時間に遊んでいるんか」と発話した。
ちょうど空いている席がその人の前の席しかなかったので、どうしようかと思ったが、(まあ、架空の人に話かけているかもしれないし。仮にこっちに話しかけているとしてもどうでもいいしな )と無視して、座ることにした。
座ったあとも、おじいさんのお話は続いていて、「これから遊びに行くんか。こんな時間に電車乗ってからに。どうなってるんや。ちゃんと働かなあかんぞ。わしの息子やったらどついてるぞ」等と話していた、一人で。
(いや、スーツ着てる奴に対して、遊びに行くと思うわけないし、やっぱ架空の人と会話しているのかな。というか、ご自慢の息子さんは結構暴力的なのかな。なんにせよ、ヤベー奴だな)とは思ったが、どうでもよかった。
なぜなら、出社したら課長協議をするべき事項が二つほどあって、どんなロジック・順序で話を展開するか頭の中で復習しつつ、課長がどんなことを気にしそうか、それに対して係長がどんな頓珍漢な返しをしそうか、さらにそれをどうフォローしようか、考えを巡らせていたからだ。
昨日、日付が変わる前まで資料を作っていて、でもまだ山場は終わっていなくて、仕事で頭がいっぱいだったのだ。
おじいさんは、飽きることなく話を続けているが、言っていることはループしていた。
課長協議のシミュレーションが大体終わったので、僕はスマホで株式市場を眺めていた。
どうやら、eSIM関係で日本テレホンが急騰しているらしい。さくっと買って、後場が始まる12時半には上がっていようと上がっていまいと売るか、と考えた。
まだ、おじいさんの話は続いていおり、ホームレスのような匂いも漂っていたが、特に気にはならなかった。
おじいさんはあらゆる人に無視されており、 近くに大学生くらいの女性の二人組がいて、至極なごやかに楽しそうに会話していた。
(というか、さっきのは、もしかして、僕がこのおじいさんの息子だったら、教育的意図で殴っている、っていう意味だったのか?)とふと思ったが、まあ、どうでもよかった。
スーツを着て遊びに行くわけがないし、時差出勤を理解できなくても、出張帰りとかいくらでも可能性があるのに、それがわからない、年だけとった世間知らず を哀れに思った。
それに、どうせ、あと五分で目的駅に着くのだ。本質的に自分の人生には関係がない人だった。
トンネルを抜けて、目的駅に着いたので席を立ったら、「〇〇駅か」とおじいさんが発話した。
(マジで僕に話しかけてたのか)と少しおじいさんに興味がわいたが、面倒くさいという気持ちが勝ち、背格好等を観察することもなく、さっさと降りた。
課長協議の一つは無事に終わり、もう一つは課長に急用が入ったため流れた。
21時くらいまで残業して、帰り道、まあまあ仕事が上手くいったな、と思い返しているときに、ふと今朝の出来事の意味を考えた。
あのおじいさんは、なぜ突然通りすがりのアラサーのおっさんに説教をはじめ、全く聞いてももらえなかったのに、それを延々と続けたのか。
一つは、自分の常識に照らして不道徳な行いを目にしたと感じ、それが気に入らなかったから。
もう一つは、自分は知性に優れ、適切なアドバイスができる人間であると認められたい、という承認欲求があるから。
さらには、そもそも鬱屈したものを抱えており、それを解消する話相手もいないから。
大体こんなところだろうか。
こういった動機で、求められてもいないのに無関係な人に話しかけ、誰も聞いていないのに、それをやめない。
なんか、最近のニュースに対する僕のはてブのブコメもそんなに違わないなと思った。
過剰でずれた正義感と知性を見せびらかしたいという自己顕示欲求、さらには承認欲求。
誰かを馬鹿にしたい(=自分がその人より優れた存在であると思いたい)といマウンティング欲。
それだけではないにせよ、絶対そういうものが混じりこんでいるよな、と思った。
一週間前くらい前、「進撃の巨人が最近また面白さを盛り返している」という趣旨のスレのまとめをみて、そのまとめサイトのコメ欄も絶賛一色だったので、なんか違和感を感じ、異論を唱えた。
「作者はなにがしたいのか、もうファンタジーでもなんでもなくて、迷走しているだけじゃないか。テーマもクソもない」という趣旨のことを書いたら、レスがついて、面白さを熱く語ったあげく、「その面白さに感じるところがなく、そもそもテーマがどうとか気にする奴はお呼びじゃない」という言われた。
で、そこでふと醒めて、(まあ、確かに、そもそもアンチスレではなく、面白さを語り合うスレだし、そのまとめだし、自分が場違いなだけだったな)と反省した。
なんでもかんでも一言モノ申すマンになってるの、自分でもおかしいと感じた。
ちょっと前にツイッターで見かけた「Twitterとかいう全員が低い方向へ流されていくどうしようもない川。」というツイートを思い出した。
少し、いろいろと過剰だよな、と思った。
そんなことを考えていると、家の最寄り駅についたので、ココイチによって晩御飯を食べることにした。
いつもの習慣でなにか漫画を読もうとすると、『進撃の巨人』が目に入ったので、それにしようかと思ったが、今はまだ余計なものが自分の中に残っているように思われたので、またにすることにした。
いつか、心が落ち着いたときに読み返せばいいし、そのときにまとめサイトでのやりとりを思い出してもいいし、思い出さなくてもいい。
どちらでもいい、と思った。
コロナ禍でオンライン飲み会が主流となり、地元からも大学時代を過ごした街からも離れてしまっている身としては、今まで会っていなかった人たちと飲む機会がむしろ増えている。
自分で言うのもアレだけれど、いわゆるスクールカースト三軍の集まりである。
クラスの端っこで仲間内だけでワイワイして、学校行事に関わることを敬遠し、彼女持ちの男に嫉妬しているくせに自分は女の子とは喋れない。そんな奴らの集まりだ。
学生時代に培った消極性はアラサーになっても大きくは変わらないらしい。みんな勉強だけはできたので、それなりの大学を出て、それなりの所に勤め、それなりの給料を貰っているはずなのに、一人しか結婚していない。
その一人も、女性側がだいぶ積極的だったからゴールインできた感が強い(そいつの話に依れば、だけれど)。
そこで、全員が同意したのが「この年になっても初めて合う人と未だに何を話せばいいか分からない」という悩みだった。
やっぱりみんな変わってないらしい。
流石に何年か社会人をやっているので、職場の周りの人とは話せるし、取引先とビジネスの話もできる。
それでも、同じ会社でも違う部署の人や新しく会社に入ってきた人、ごくたまに参加する合コンの相手とかと雑談するのは苦手だ。という話で一通り盛り上がった。
その中で一人がこんなことを言った。
「話にオチがないと、話しちゃいけないような気がするんだよな」
確かにそうだと思った。
結局のところ、自分たちのような人間は、自信がないから、せめて話にオチぐらいはないと話してはいけないような気がする。
人間には興味を持ってもらえないだろうから、せめて話すコンテンツぐらいは面白がってほしいと思っている。
でも、喋りのプロでもない自分たちの「オチがある話」は身内ネタが多くなってしまうので、初対面の人と話せることがなくなる。
このことに自分でも初めて気づいた。
要は「だれでも薄く興味があって、オチがなくても何となく続く話題」へのアンテナが自分には足りないのだった。
そしてそれは天気の話だったり、ワイドショーを賑わすニュースの話だったり、政治経済の話だったりするのだろう。
何故多くの人が、天気の話をこんなにするのか理解できなかった。ちょっと暑いか寒いかなんて、何で話す必要があるのだろうと思っていた。
それは、多くの人が円滑なコミュニケーションをするために話していたのかと今更気づいて恥ずかしかった。本当に天気の話がしたい人なのかと思っていた。
今まで、自分は天気の話題なにすらうまく返せてなかったような気がしてきていた。
本当に職場の人と自分と会話できているのかすら少し不安になった。
これからは「だれでも薄く興味があって、オチがなくても何となく続く話題」にもっと目を向けなければいけない。
みんなは「またしょうもない話しかしてないなー」と言っていたが、自分としては得たものがあった。
ZOOMを切り、水を飲んでいるときに、ふと、さっきの自分の気付きはみんなに話したほうか良かったんだろうか、と思った。
何だか恥ずかしくて言えなかったけど、同じ気持ちになった奴がいたかもしれないのに。
きっと、こういうところも直さないといけないのだろう。
コロナ禍でオンライン飲み会が主流となり、地元からも大学時代を過ごした街からも離れてしまっている身としては、今まで会っていなかった人たちと飲む機会がむしろ増えている。
自分で言うのもアレだけれど、いわゆるスクールカースト三軍の集まりである。
クラスの端っこで仲間内だけでワイワイして、学校行事に関わることを敬遠し、彼女持ちの男に嫉妬しているくせに自分は女の子とは喋れない。そんな奴らの集まりだ。
学生時代に培った消極性はアラサーになっても大きくは変わらないらしい。みんな勉強だけはできたので、それなりの大学を出て、それなりの所に勤め、それなりの給料を貰っているはずなのに、一人しか結婚していない。
その一人も、女性側がだいぶ積極的だったからゴールインできた感が強い(そいつの話に依れば、だけれど)。
そこで、全員が同意したのが「この年になっても初めて合う人と未だに何を話せばいいか分からない」という悩みだった。
やっぱりみんな変わってないらしい。
流石に何年か社会人をやっているので、職場の周りの人とは話せるし、取引先とビジネスの話もできる。
それでも、同じ会社でも違う部署の人や新しく会社に入ってきた人、ごくたまに参加する合コンの相手とかと雑談するのは苦手だ。という話で一通り盛り上がった。
その中で一人がこんなことを言った。
「話にオチがないと、話しちゃいけないような気がするんだよな」
確かにそうだと思った。
結局のところ、自分たちのような人間は、自信がないから、せめて話にオチぐらいはないと話してはいけないような気がする。
人間には興味を持ってもらえないだろうから、せめて話すコンテンツぐらいは面白がってほしいと思っている。
でも、喋りのプロでもない自分たちの「オチがある話」は身内ネタが多くなってしまうので、初対面の人と話せることがなくなる。
このことに自分でも初めて気づいた。
要は「だれでも薄く興味があって、オチがなくても何となく続く話題」へのアンテナが自分には足りないのだった。
そしてそれは天気の話だったり、ワイドショーを賑わすニュースの話だったり、政治経済の話だったりするのだろう。
何故多くの人が、天気の話をこんなにするのか理解できなかった。ちょっと暑いか寒いかなんて、何で話す必要があるのだろうと思っていた。
それは、多くの人が円滑なコミュニケーションをするために話していたのかと今更気づいて恥ずかしかった。本当に天気の話がしたい人なのかと思っていた。
今まで、自分は天気の話題なにすらうまく返せてなかったような気がしてきていた。
本当に職場の人と自分と会話できているのかすら少し不安になった。
これからは「だれでも薄く興味があって、オチがなくても何となく続く話題」にもっと目を向けなければいけない。
みんなは「またしょうもない話しかしてないなー」と言っていたが、自分としては得たものがあった。
ZOOMを切り、水を飲んでいるときに、ふと、さっきの自分の気付きはみんなに話したほうか良かったんだろうか、と思った。
何だか恥ずかしくて言えなかったけど、同じ気持ちになった奴がいたかもしれないのに。
きっと、こういうところも直さないといけないのだろう。
アラサーの女。恋人とセックスレスになった。恋人はそこそこのおじさん。私に勃たなくなってしまっただけかもしれないけど、もうセックスしたくないらしい。それ聞いて超しんどい。セックス大好きだけど、別に誰とでもしたいわけじゃなくて恋人とのセックスがめちゃくちゃ好きだった。大好き。簡単に幸せになれるし、多少の揉め事や不安もセックスしたらふんわりと解決してた。なのにもうしたくないって言われた。したくないって言ってる相手に強要するのは男女どちらに対してでも性暴力だと思うから強要できないし、そもそも無理にしてほしいと思ってるわけじゃない。
本人には言えないけど、もっといろんなことがしたかったとかいろいろ後悔あるなあってぼんやり考えちゃう。あんなこともこんなこともいつかしてみたいなーとか考えて楽しかったのに、もう実現することはないんだと思うととても悲しいし辛い。恋人が元気なうちにいろいろしておくべきだった。
10年来の友人に対して「あれ?」と思うことが増えてきた。
出会った時は誰の話でもニコニコと聞く、おっとりとした優しい子という印象だった。誰に対しても人当たりがよく、丁寧な対応をするので、社会人になってからは色々な知り合いの結婚式の受付を任されてるのを見た事がある。仕事も若手の段階で経営部門に抜擢されたらしく、彼女なら仕事もきちんとやっているだろうから、ちゃんと評価されたんだなと思っていた。
だが、最近になってよく分からない違和感を覚えることが多くなった。
例えば、複数の友人と遊んでいる時、「有名なたい焼き屋さんが近くにあるから行ってみよう!」となりみんなで向かった。先に飲み物を買いたいという話から、お店近くのコンビニに入ったのだが、コンビニからでてきた彼女はなぜかホットスナックを買っていた。「え?」と問いかけると「見てたら欲しくなっちゃって」と言い、当然たい焼き屋ではたい焼きを食べず、私たちが食べる様子を見ながら「いいなー食べたいなーでもおなかいっぱいなんだー」と零していた。
他にも、何か頼み事をする時は、基本2回以上頼まないといけない。聞いていないからだ。「じゃあこれをお願いしていい?」「なるほどねーそっちの方がいいと思うよ」「いや、あなたに頼んでるんだけど…」「え?」みたいに。
一人の友人が引越しをしたから遊びに来て欲しいと言ったので、私ともう一人の友人はそれぞれ手土産を用意して向かった。彼女は私たちを見て「どうしよう何も用意してない」と言い、コンビニに向かっておやつとパンを買っていた。不思議な選択だな?と思いながら友人宅に向かい、手土産や友人が用意していたおやつを広げながら談笑していたら、彼女はカバンから自分が買ったパンを取り出して食べ、広げられたおやつを食べ、自分で買ったおやつを食べ…としていた。コンビニで買ったのは自分用のおやつだったらしい。
誰の話でもニコニコ聞いていた訳ではなく、誰の話も聞いていなかったのではないかと思った。他人に対して本当に興味が無いのではと。学生の頃は気にならなかったのに、アラサーになると彼女の行動への違和感が拭えない。とはいえ長年の友人にこんな事を思ってしまう私の方が変わってしまったのかと自己反省もある。
私は友人が少ないから彼女と縁を切るという選択はない。だけどどうしてもモヤモヤしているので、誰にもみられないところでこっそり吐き出してみた。
私の人生は我慢が多かった。そして親も私が我慢するのを納得させようとマインドコントロールしていた。
月日は流れてアラサー間近になり我慢は(基本)報われないと気付いた。
職場に仕事を丸投げする他部署の上司がいる。他部署と私の部署は密接に連携して仕事をする。新人だった私は丸投げされた仕事をこなしていた。だが、雑に丸投げをされてどう仕事を進めたいのかも指示をくれない。自分が自分の部下や直接関係者に聞けば良いことを私から聞かせて辟易していた。
ある日直属の上司に相談すると「それは増田さんにしか出来ない仕事だよ~。私だったら怒っちゃうから~。」と言われた。
私は憤怒した。何故ならもう何度も相談していたからだ。直属の上司にも更に上の本社の上司にも。返答は「上手くやって~」で終了。要は自分達に回って来ないように私を生け贄にしていたのだ。
でも、ふと思う。私は何で我慢しているのだ?業界未経験だから後ろめたさがあったからか?初めて仕事を振られたときに上司に相談したものの何の反応も無かったからか?(というか上司も仕事を丸投げされてるって気づいたら言えよ。)
とそんな時に「我慢は報われない」ということを知った。Twitterで回って来た漫画で主人公の事務の女の子が妥協して我慢した結果、全てを失った話だ。(失ったという語彙で合ってるか分からない。)
どこかで自分は我慢をすれば神様からボーナスが貰えると思っていた。だが実際は自分に我慢をさせると周囲からはゴミ箱のように扱われるのだ。そりゃ自分が自分をゴミ箱のように扱っているからだ。
ぷっつんと糸が切れた私は丸投げ上司の仕事を断った。そして、直属の上司にも丸投げ上司の仕事はもう受けないと伝えた。
その後丸投げ上司は私の後輩に仕事を頼み、直属の上司は本社の上司に泣きついた。「私は後輩が困っているのを見過ごせないんです!」と言った直属の上司を白い目で見ていたら謝られたので許した。
前に他の先輩に「皆自分のことしか考えていない。誰かが仕事を引き受けないとたらい回しにされるだけなのに。」と怒っていた。私は素直に我慢するのが好きな人なんだなと思った。我慢をするのは勝手だが強要しないで欲しい。
我慢をすれば報われないこともない。しかし、報われる確率はかなり少ないし大切に扱われることもない。我慢を美徳とする考えは悪だ、と私は学んだ。
敵「無理に決まってるだろ。飲食店なんて5年持たないところがほとんど」
ワイ「20から35まで飲食店経営で飯食ってきたんだよなあ。もちろん儲からなくなって三軒潰したけど、それまでは普通に生活出来てたし貯金もそこそこあるんやけどなあ。」
こういう敵が多いのってなんなんだろ
コロナ中に目覚めたから、ようやく遠征もできるようになって、歯止めが効かない。
この頃の月の手取りは25万くらい、貯金は400万くらい(だけど、年末に大きい買い物で-100万くらいが決まっている)。
子供部屋に住んで、月にコミコミ6万円入れるだけで済ませてもらってるから、お金を使うことがほぼない。
在宅常態になって、つまらんランチやら飲み会やらなくなったし、服とかもいらないし、地味に続けてた英会話学校は潰れてしまったから来月からは趣味とお母ちゃんに払うお金だけだ。
貯金さえ崩さなければいいかと思って、月平均15万くらいいいかなーって。
珍しく友達と遊ぶ月だけ、なんとなくの1回分くらいは我慢する。会えるほうがやっぱ楽しいしさ。
結婚とかするなら、いまもっとちゃんとしなきゃなんだろうけど、いつか来る母ちゃんの介護以降は一生ひとりで生きてくんだし、向こう1年くらい貯金が増えない生活したっていいよねえ?
ブルーレイ買ったり、CS入ったり、その都度喜んで沼の仲間だって言ってくれてたのに、推しイベに備えて今は少し抑えなくて平気か聞かれてる。そいつの推しイベ期間だったりするから、一緒に盛り上がれていいかなと思ったのになあ。
学生の頃から、たまーにマンガ単行本買ったり、ちょっとだけ遠くの山を見に行ったりするだけで、ほぼ無趣味&金のかからない丁寧に見えるズボラ生活だったから、急に始まった趣味ある暮らしに戸惑っているのは確か。
使い過ぎかどうか、年収とかを友人には言ってないからどーにも分からねえよう。
誰か、いいよって言ってくれ。
すごく前の記事ながら。
自己肯定感が低くなった原因をふたつほど。
例えば九九や都道府県の暗記。メイクや髪のコテ巻き。蝶々結びにおにぎり作り。
「できて当たり前」ができない時に「母と全く同じ手順」で成功するまで叱られ続けた。
母の言う語呂合わせで都道府県は覚えさせられたし、おにぎりを握る方向が逆なだけで違う!と怒られた。
「母の考えが正しい」「母の意見を聞かなければ」が潜在意識にすりこまれた結果、「私は生きてはいけない人間だ」と15年間悩むことになった。
※自死しなかったのは、私ごときの死体のために火葬費用がかかるのが申し訳なかったから。働けるようになったら死に必要なお金を貯めてから死ぬから許してください神様.......の気持ちで生存してた。
これは友人に数年間にわたり指摘され続け、理解できるようになった。
ひとりっこゆえ、母は周囲の子どもたちを手本に私を育てようとした。(これは大人になって聞いた事)
あの子はスイミングを習っている、中学の部活はテニスにしたらしい、高校はここにしたそうよ、バイト先はここがいいらしい!等々。
ライフステージごとに成功例を持った身近な人たちのアドバイスを連れてきた。
それを信じ込み、私の意見は「普通ではない」と否定され続けた。爆笑。
同じ道をたどれど、成功例ほど成功出来るわけないので比較されてしまい、絶望される。
○○ちゃんはこうなのに.......と何度ため息をつかれたことか。死にたかった。
私なんかが生まれてきてごめんなさい、の気持ちでいっぱいだった。必死に頑張っても成功例のようにはいかず、苦しかった。
数年後、母に褒められたい一心で母の褒める人を真似してたんだ、上手くいくわけないわと気づいた。
ちなみに母に褒められた記憶はない。母はあるというが、記憶にないからしかたない。
これをみてる全親&未来の全親!まじで子どもは褒めて育ててあげて!自分の価値観で否定したり頭ごなしに怒らないで!ちゃんと!声を聞いて!子どもの存在を認めてあげて!!!!!
選択的夫婦別姓には賛成だが、別姓の場合の手続きを同姓のそれより1000倍くらい面倒にしてほしい。
そうすれば、同姓を選んだ人たちが、「別姓が選べるのになんで同姓にしたの?(遅れてるね)」と言う人たちに対して、「面倒だから同性にした」と返すことができるから。
選択的は、多様性を認めているように見えるが、そうではないと思う。
「同姓にしたい人は同姓にすればいい。選択肢が増えるだけなら困らないのになぜ反対するのか」
と言うが、実際、選択的夫婦別姓が可能になった時、同姓にすることと別姓にすることは全く対等にはならない。
同姓は古く、それを選ぶ人たちも価値観がアップデートされていないことになるから。
別姓こそ正しく先進的で、同姓は古い価値観に基づくから「間違っている」「遅れている」ことになる。
別姓が序列として同姓の上にいる扱いになる。
専業主婦に「ならざるを得なかった」時代が終わり、女性には選択するものが増えた。多様性だ。多様な選択肢が女性にも与えられた。
でも現実はどうか。
専業主婦を選ぶ女性は、「働けるのに働いていない」ことから、夫に抑圧されているなどと言われ、「遅れている」扱いをされる。
専業主婦という生き方を選んだ女性と、働くことを選んだ女性。どちらを選んでも地位は変わらない。自分の意思で選んだのだから。
多様性を認めるように見えて、実質的に何かを時代遅れに扱っているだけだ。
新しい価値観が生まれると、思想家たちは今あるものを相対的に古いもの・終わったものとして扱う。
働かない女性と働く女性の関係と同じように、同姓と別姓も同価値の選択肢としては存在しない。
正しい価値観は常にひと席しかないから、そこに新しい価値観が座ったら、前にいた価値観は席を譲る。
だから、選択的夫婦別姓を導入するときに、別姓にするのを簡単にしたら、絶対に「同姓にする奴は遅れてる」と扱う。絶対に。
なぜ「選択肢が増えるだけで、同姓にしたい人たちは困らない」などと言えるのか。
あなたは聞かないかもしれないが、別姓にしたことを誇っている人たちは絶対に訊ねる。
同姓にした人を見下す。
選択肢が増える「だけ」ではない。
だから、面倒くささを増してほしい。
どうしても別姓にしたい人は頑張れるだろう。
「古い」価値観でも同姓にしたい人たちは従来の面倒臭さを味わう。
それぐらいしてくれないと、従来のシステムである同姓を選んだ人たちが質問されて、わざわざ相手が納得する内容を提供してやらないといけなくなる。
そんなこと言わない!という人はその意思を大切にしてほしい。でもそれはあなたがいい人だからで、別姓を誇りに思う人たちはそうではない。別姓を選ぶ人にもそうじゃない人がいるということは認識しておいてほしい。
おっぱいというパーツの意味がいまいちわからぬまま、アラサー(オーバー)を迎えた喪女である。
思えば「グッドモーニング・コール」でななこが「Cカップやでうちは!」とゆりりんのパッド盛りを暴露したときも、何を言うてんやお前は、と首をかしげていた。12歳にしちゃでかいと思うけど、Cカップで胸を張れるななこ、今思うとかわいい。
のちに女体の素晴らしさと乳房の役割を知っていき、なんて素晴らしきものなのかと感動しても、自分についてるのか、くらいにしか思っていなかった。なぜなら喪女だから。
カップ数がちょいデカ(安心してくれ、アンダーもデカい)なもので、実はセブンティーンなどで「モテる子がつけている代名詞」と言われていたおピーチジョンにあまり縁のない人生だった。
お若い方がご存知ないだろうが、おピーチジョンの社長は00年代あたりか、巨乳になんか恨みでもあるのか?というくらいDカップ以上を展開しなかった。「サーキット」「デコルタン」などというモリモリ盛りブラ一辺倒、ブラ界の小悪魔ageha道をひた走っていた。
当然それは男性の目が常にあり……
なぜか当時、目ン玉や耳のように「自分の体に2つついているパーツ」であるにも関わらず、おっぱいなるものは「人のためのもの」のように吹聴されていたのである。
喪女、腐った意味以外で男性にあまり興味がなかったので、自分の体にぶらさがったこのパーツに対し、自分のためだけにそれなりの愛情を持ち、かわいがり生きてきたのである。
そんな、年始にしか合わない年下の親戚(遠縁)みたいな存在だったおっぱいに対し、真剣かつ深刻に向き合わねばならぬ時が来た。
加齢である。
なんや知らんが、「クーパー靭帯は伸びればもう戻らない」ちゅう、ホラーな言説を聞いたことがあるだろうか。そんなカイジの鉄骨渡りみてえなもの、アキレス腱くらいわかりやすいフォルムで外部につけといてほしい。なんで人体模型に記載されていないのにそんな恐ろしいポテンシャルを秘めているのだ。
そして我々はセーラー戦士と違い、月に住んでいない。重力みっしりの地球(テラ)に住んでいるのである。クイン・ベリルあのおっぱい、地球にいたまままもちゃんに好かれたい一心でキープしてたんだろうか。頭が下がる。
話を戻そう。実際に下がっているのは喪女のむね肉である。時を戻してくれ、ぺこぱ。
せめてこれ以上垂れるのはやめてほしい。このままだとツイッターで前触れ無く出てくると怖い漫☆画太郎先生のババアになってしまうではないか。
喪女は、震えた。こうなったらおもしろ友人G子に頼るしかない。この世大体のものを手に入れた現代に生きるゴールドロジャー、もとい楊貴妃なのだが、なぜか喪女と気が合う。
Gカップ(推定)のおっぱいのケアを聞いてみたところ「PJのナイトブラとバストケアクリーム❤」という返事が返ってきた。
こちとら在宅勤務で会議がない日はブラに人権を与えてないのに?夜もブラ???????
しかし漫☆画太郎ババアになりたくない一心で、「確かに普段から人権、もといブラ権を与えていないから下がるのだろう。株と一緒だ。ケアすることで下げは食い止められるはず」
なんかパジャマとか色々展開してるし、デザインかわいいし、サイズ展開も前より豊富~!雑誌のみな実が眩しい!
キラッキラのお姉さんにアドバイスをもらい、なんとか購入。なお2%オフになるとはいえ、「ピーチジョンのアプリが自分のスマホにある」という気恥ずかしさに耐えられずアプリDLはできなかった。2%でも消費税8%の時代に戻れるから、できる人はDLしとこう。
おっぱい「ぽよよん」
これは!!すごい!
一回だけでなんだかハリとツヤが増した気がする。皇潤ヒアルロン酸ファンデか?
そしてナイトブラ
結構苦しいような……まあスポブラ程度といった感じ。寝れないほどじゃないし、肉の流れを防いでくれそうである。
そしてこれ、盛れる。普通のブラみたいにしっかりホールドしてくれる。お店のお姉さんが「在宅勤務のときにこれ使われている方が多いですよ」という言葉を鵜呑みにしてよかった。喪女的にはブラ権復古の大号令である。
寝心地……悪くない。なんかこう桃井かおりになった気分。もっと若い例えないかって?朝ドラじゃない二階堂ふみ。わかりにくいな。喪女だから許してくれ。
翌朝
いけるかも。なんとかなる気がする。円錐にならずに済むかもしれない。フランス書院表紙の熟女乳くらいでおさまってくれないだろうか!?ただでさえベイ◎◎クスボディなのに、これ以上ボリューミーに見られたくない。円錐は嫌だ。円錐は。
何より、ちゃんとケアをしている自分というのが気持ちいい。今まで薄目でしかケアしていなかったところに手をかけてやる自分。これが……ていねいな暮らし……!?
目が充血すれば目薬を指すし、耳がモッタリすれば掃除する。