はてなキーワード: みかんとは
基本ルール
鬼役を一人決め、他の者は鬼を取り囲むように内側を向き円状に座る(椅子にかけて行うこともある)。
座っている参加者には一人ずつ果物の名前が割り当てられる(リンゴ、みかん、ぶどうなど)。
チームわけをする要領で果物の名前を割り当てておく場合もある。
鬼役が特定の果物の名前を呼ぶと、その果物の名前がついている人は席を交換しなければならない。
一人ずつ別々の果物の名前をあてる方式の場合には、鬼役は2つの果物の名前を続けて呼ぶことになる。チームわけをする要領で果物の名前を割り当てる方式の場合には1つでよいことになる。また、鬼が「フルーツバスケット!」と言った場合には全員が席を交換しなくてはならないとするルールもある。
鬼役はこの席の交換の機会に開いている席を取ろうとする。鬼役が席に座ることができた場合には、座れなかった者が新たに鬼役となる。
上から期待してた順。
すごくよかった。
パワフルすぎて食あたりしてるような。
1クール終わって、同じキャラと戦う回数が多いのがアレだけど、安定しておもしろい。
遊戯王見てたら話進むの遅すぎてアレ。
展開すごかった。
まあよかった。これも話しの進みが遅い。
杉田かっこいい。
お前らりゅうかい忘れたの?
と言いたくなるレベルで前作のテーマ無視してるのが潔くてよかった。
続いて継続物
本当によかった。ディオあたりのはなんども繰り返してみた。
大規模進行終了。かなり熱かった。原作に追いつきそうなのがきがかり。
春アニメじゃなかったという。
これも春じゃなかった。
カードでダメージを食らうとプレイヤーにリアルダメージの機械がついに出ちゃったかー。
ファンタジー要素が㍉レベルなんだけどそっちにスライドはしないんかね。
展開早すぎや。
よかった。
まあいつもどおりよかった。
4人目かわいい。
ちとマンネリ感。夏からは女の子主人公出てきてるんで展開楽しみ。
よかった。
ヒモが気になって見始めた。
よかばい。
シュタゲと同じ人が書いてるようなこと聞いて見た。
すごくよかった。
前期は見てなかったのに実家に戻ってきたような感があってよかった。
なんかギャグ少ない女の子がキャッキャするだけかと思ったら笑わせに来てたり狂気があったりで不意打ち食らわされた。
京アニなんで見た。絵がすごい。
音声でなく文字でしゃべるの、のだめっぽくていい。
よかった。
よかった。
ドーモ。
あれに騙された話をするよ。
あれっていくつかバリエーションがあって、
「りんごエキス入り」とか「みかんエキス入り」とか「とまとエキス入り」とかあるんだけど、
無印いろはす以外って実は全然ミネラルウォーターじゃないんだね。
ラベルに「天然水」って書いてるから、ミネラルウォーターに果実の香りを入れただけの水かと思ってたんだけど、
実はきっちり砂糖が入ってるジュースで、急激に血糖値を上げてくる系だったんだね。
あれを長距離バスに乗り込む前に買っちゃって、水分それしかなくて飲むしかなかったんだけど、
で、あんなミネラルウォーターにしか見えない清涼飲料水を置かれると、本当困るのよ。
血糖値が急上昇するし、虫歯になるし、カラダがボロボロになるのよ。
そもそもミネラルウォーターのブランド名なのに清涼飲料水なのは紛らわしいし、
ラベルの表側を見ただけだと「天然水(使用)」って書いてるだけで
あたかもミネラルウォーターのような雰囲気、おかしいと思うんだけどな。
※追記
正確には病気なのかもわからないし、これについて何科の病院に行けばいいのかもわからないので気がついたことがあれば教えて欲しい。
その症状は何かひとつのものを無性に食べたくなるというやつである。
いつもではないが数ヶ月に一度、いつも朝目が覚めた時に無性にあるものが食べたくなるのである。
そのあるものはその時によって違う。
これまでにあったのは紅ショウガ、納豆、ゴマ、生卵、みかん、りんご、水など。
それ以外のものは全く口にしたくなり、しかも大量に食べたくなる。
紅ショウガの時は牛丼屋で牛丼を頼んで紅ショウガだけをひたすら食べても満足せずスーパーで徳用パックに入ったやつを毎日3パックは食べていた。
生卵の時は卵かけ御飯にしていたが一回5個くらいを毎食食べていた。
水の時は2リットルのペットボトルを常用し8リットルくらい飲んでいた。別に辛いものを食べたわけでもないし、水の時は水以外のものを受け付けなくなる。
だいたい数日でピタリとこの症状は止む。始まりと同じように朝目が覚めた時に何かを執着して食べたくなる欲求きれいになくなっているのである。
だいたい数ヶ月おきに1回だが、何かのストレスという気もなく、まったくなんなのかわからない。
気がついたことがあれば教えて欲しい
タイトルは読むけどアブストさえ読まない。迷ったら取り敢えずいつも読むジャーナルを引く。
1-1 一番最近まともに読んだ文献を思い出す。それを引用している他文献(Pubmedで言うところCited by ■ PubMed Central articles)のうち、出版時期が一年以内のもの且つ変なジャーナルでないところを引く
1-2 ReadcubeのRecommendationをあたる。
2. PDFを入手
母艦はMendelayを使用する。「指定フォルダを常時監視して文献データを同期する機能」と「同期したPDFのファイル名を編集して再保存する機能」を使って手間を省く。
2-1. Pubmedから引く場合、「Save to Mendelay」のブックマークを利用してPDFをダウンロードする(たまにできないときもあるのでそのときは手動でやる)。
2-2. Readcubeの場合、PDFはワンクリックで自動ダウンロードしてくれるので、そのダウンロード先をMendelayの同期参照フォルダに設定しておく。
3. Reviewが混ざっているのでそれを弾く
分かりやすいタイトルの文献ってたいていReviewなのよね(こなみかん)。
4. pdfファイルをFireFoxで読み込んでAbstractを訳す
これにより辞書を引く手間を省く。
5. 読めそうなものだけ本文も読んでAbstract訳を多少味付けする。
以上、必要がなければ一ヶ月に1本も文献を読まない意識低い系の人間が抄読会用の論文を7本ほど急遽収集するさいの、特に勉強にはならないけど取り敢えず用意はできる意識の低い楽なやり方をお示ししましたのでご確認ください。
ここまで市民権を得るために相当な苦労があったんだ。
あの企画を持ち込んだのは直前にもヒット商品を誕生させたチームで、炭酸飲料の市民権再起が期待される一大企画だったんだ。
あの頃コンビニのドリンク棚から炭酸飲料がどんどんと消えていったろ?
健康食ブームは当然ドリンクコーナーの品揃えにも強く影響していたんだ。
炭酸飲料の市民権獲得、それはつまりこれからの炭酸飲料市場を牛耳ることとイコールとも考えられていたんだ。
炭酸飲料のジャンクなイメージを払拭するためには中途半端な戦略では絶対に成し得ないと皆が感じていた。
そうして選んだ手段は、全く新しいブランドを生み出すのではなく、海外ですでに成功しているブランドを高いライセンス料を払ってでも持ち込もうというもので、そうしてこのプロジェクトはまさに炭酸飲料の未来に社運をかける一大プロジェクトへと拡大していったんだ。
そのために多額のプロモーション費用をかけてメディア戦略を展開し、セールス開始と同時にすでに流行しているというイメージを植え付けようとしたんだ。
連日テレビではCMが流れ、様々なタイアップキャンペーンを実施、コンビニに高めのロイヤリティを設定することで店頭では常に目立つ位置をキープすることができた。
この頃は、まさにオランジーナを目にしない日なんてなかったんだ。
しかし発売当時は5%から8%への消費増税が叫ばれるまっただ中。
高いライセンス料をそのまま価格に反映させることは難しかった。
そうして選んだ手段は、内容量を減らしつつもボトルのデザインを変えることでそうした印象を与えなくする一方で、同時に高級路線に向けたの商品訴求への舵取りだった。
ここまで徹底した商品戦略によって、商品のヒットは間違いなしと思われていた。
ところがだ、問題は肝心の味にあった。
日本でオレンジジュースといえば、なっちゃんやぽんジュースを始めとする濃厚なみかん味が主流だったんだ。
熟したみかんのように酸味が少なく甘さが際立ったような味が好まれる中で、さわやかさを押し出そうとするあまりオランジーナは薄く味気がないような、それでいて苦味ばかりが目立つできそこないの味のように感じられてしまった。
一番のセールスポイントであるオレンジリキュールを思わせるような独特な香りが日本では芳香剤のイメージとして根強かったことも災いしてしまったんだ。
一度は手に取られるもののなかなかリピートが伸びず、連日の畳み掛けるようなプロモーションに反して業績は日々低下していく一方だった。
高いライセンス料と大量の販売ノルマに挟まれたサントリーに残された選択肢は一つ。
値下げによる多売しか道は残されていなかったんだ。
販売店舗へのロイヤリティはそのままに卸価格を大幅に下げることで店頭でのプロモーションには一層の拍車がかかった。
販売価格も下げられたことで消費者も手が伸ばしやすくなり、そうして今やっと、当初描いていた市場への浸透率を実現することができたんだ。
あまりにも当然過ぎることを一同が再認識する重要なきっかけとなったオランジーナ騒動は、こうして静かに幕を閉じるかに見えた。
大きく風穴を開けたオランジーナ損失を早急に埋め合わせる必要に迫られていたんだ。
ライセンスもとと幾度なく協議を重ね、新たなオリジナル商品が産声を上げることになった。
そうして再び満を持して登場したのが「レモンジーナ」というわけだが、市場ではもっぱら「カブトムシ味」との評判が高い。
サントリーは再び試練を迎えようとしているわけだ。
ちなみにここまで全て店頭に並ぶオランジーナの境遇の変遷から勝手に想像した裏付け一切なしの個人的妄想です。
わたしは飲料関係でも小売関係でもない単なるコンビニ利用客であり、企業や商品に対する損害を目的にしているつもりも一切ありません。
祝…と言いつつ不安も満載なのだけれども。少年チャンピオン連載の「実は私は…」が、アニメ化するとの話で、大変嬉しい。週刊少年チャンピオンからのアニメ化と言えば、近年では「みつどもえ」「イカ娘」「弱虫ペダル」に続く作品となる(んだっけ?)が、単発ギャグ的な枠でなく、コメディ・ストーリー系の作品でアニメ化されるというのは、こうして見ると、なかなか高いハードルだったのではないか。
「実は私は…」は、あまりアップトゥデイトな作品とは言えない。ギャグにスピード感やキレがあるとは言い難いし、非日常バトル・ゲーム的な話がやたらと増えた昨今、展開は非常にユルく、かつ日常的だ。かといって、そういう方向で多産されているありがちなエロ萌え系(言い換えれば、インターネット環境が日常でなかった頃の青少年向け代替エロ漫画の方法論を用いた類型)でもない。多様なキャラクター(宇宙人とか吸血鬼とか未来人とか痴女とか)を登場させるが、非日常的な性格異常者や極端な悪人・アンチヒーローなどもいない。あくまで日常的な、人間臭い、そしてもどかしいほどに進行の遅い恋愛コメディが延々と展開される学園もの…要は、'80年代高橋留美子的な、古典的手法のドタバタギャグコメディだ。
この作品の美点は、一言で言って丁寧さだ。その特長は、4大誌の他社(講談社、集英社、小学館)ではなかなか実現しにくい資質であるように思われる。たとえば、恋愛感情への気付きとか、直面したときのとまどいなどを、キャラクターごとに丁寧に描き分けて、かつ無理がない。また、キャラクターの掘り下げ方一つとっても、たとえば第68話で、タダのバカエピソードと思われる回に、食べ放題の回のエピソードを伏線として、さりげなく岡田・みかんのサイドストーリーを2ページ差し込み、ぐっとキャラクターに深みを増してきたのには、感心させられた。脇役キャラクターが使い捨てでなく、とても丁寧に扱われている。
また、個人的に、ヒロイン白神葉子の関西弁が非常に自然(ネイティブから見て)であることも、ポイント高い。印象的な口癖である「ちゃうねん」などは、その使い所・表情などをひっくるめて総合的に非常に納得のいく丁寧な使い方がされている。確かに、作者は神戸出身なのだから「自然な関西弁」自体への理解は当然高いのだろうが、それを作品の中に効果的に落とし込むのは、また別問題だ。関西出身のクリエイターでも、作品に関西弁を上手に使える人というのは限られる。
そして、最後にストーリー構成の丁寧さも重要なポイントだ。時間の経過とともに少しずつ進行し変化していく感情や人間関係、それに伴う呼び方の変化、成長していく人間像、などが、コメディに見せかけた中にもしっかりと描かれている。短編作家か長編作家かの分類で言えば、作者の資質は間違いなく長編作家のそれに属していて、長いストーリーをしっかり構成する意識があり、安定感がある。
正直、そういったこの作品のよさが、アニメ化でどうなるのかいくらか不安が残るところではあるが、自分の好きな作品が評価されるのはやはり嬉しいので、経緯を見守りたい。
それらはおそらく私の人生を貧しくする。
私は十年来ガラケーを使っている。web検索やSNSを見るには不便で、満足のいく解像度の写真は撮れず、もちろんLINEもSkypeも使えない。
それがいい。
私は迷いの多い人間だ。気弱で一人では何もできなくて、正解があるならそれにしがみつきたいと願っている。人と話すのも好きだ。
スマホがあれば、私はどんな状況にあっても最安値を、最善の策を探そうとするだろう。
デジカメみたいな解像度の写真がとれるとあれば、結婚式ではより良い構図を探して最良の瞬間を狙い続けるだろう。
いつでも人とコミュニケーションできるツールがあれば、人恋しさが減るかもしれない。
便利なのは分かっている。だがそれが嫌だ。
世界に繋がるツールがあることで、私の今・ここがそれだけのものでなくなってしまう。
私の今・ここは常に世界のいつか・どこかと比べられてしまう。開きっぱなしの窓からどんどん声が入ってくる、晒される。いくつもある正しさで足元がぐらぐらする。
私は弱い人間だ。
そんな便利なものがあれば、いつだってここではないどこかのことばかり見て、今・ここに向かい合うことができないだろう。逃げ道ばかり探してしまうだろう。
いつか・どこかの素敵なものばかり見て、今・ここにあるものを味わいきることをおろそかにするだろう。
誰かに何かを報告することばかり考えて、自分の中で揺れ動く感情を体験することを二の次にするだろう。
私はそんな、みかんをひと房食べながら、口の中のみかんのことではなく次のひと房のことを考えて生きるような生活は嫌だ。
結婚式では最適な構図と方法で写真を撮ることよりも、ハッピーな雰囲気を堪能し、その場のふたり祝福することに全力を注ぎたい。
最安値や最適な商品を探し求めていつまでも決めないというのではなく、買ったものへの愛着を育てたい。
上記の事柄は決して相反する事柄ではないし、上等な頭の持ち主なら容易に両立可能なのだろうけど、私では無理だ。
「最適を探せる環境がある」という状態のせいで、私の思考は「最適であるべき」に食われ、相対化に終始するだろう。
私はそうなった私に気づかないままそうなるだろうし、そんなことは許せない。
ひとつ便利なものをもたらすごとに、名前もなかった雑多なものが殺されてゆく。
あなたが光る画面を見ている間に、窓に移りこんだ白色の陽光は黄から茜に移ろい、あなたの息子は最初の言葉を口にする。
そうやって、今・ここにある私の時間を、手の中で氷を解かすみたいにしてなくしてしまうのは嫌だ。
私の最適は私が決めなくてはいけない。
うちのばーちゃんは、人が来るととにかくお茶を出す。新聞の集金だとかNHKの集金だとかそういう人でもだ。その技術がすごい。普通、ちょっと来ただけの人がお茶を出されそうになったら話を切り上げて帰るもんだ。用事済ませたら帰りたいだろう。仕事中なら尚更。しかし、ばーちゃんは帰さない。いつのまにかお茶を入れて出している。お茶を出すよという気配を出さないまま、いつのまにかお茶が出ている。そもそも常にポットに湯が入っている。あの押して出す古いポットね。軽く20年は使ってそう。っつーか俺が小学生の頃から変わってないからそれ以上。この前、観察していたら、相槌をしながら話の腰を折らず、話を相手に続けさせる。その間に、急須に手早くお茶の葉を入れる。そうだね、そうだねとかなんとか言いながら、急須をくるくる回してお茶をジャー。そのジャーを見た瞬間、来客は話を切り上げようとするものの、ばーちゃんは、それで**は##なの?などと合いの手を入れ、相手が、それは**で・・・と答えたあたりで、お茶をポンを目の前に出す。これで来客はお茶を飲んじゃう。ばーちゃんは聞き上手。話が止まらない。お茶が無くなりかけると追加のお茶が入る。追加のお茶の具合で、相手の暇具合を察知し、漬物とかみかんが追加される。場合によってはうどんが茹でられたりも。そしていつのまにか上がらされ、コタツin。そういう人たちをたくさん見て来た。いつのまにか酒まで飲んでコタツで寝る人まで。
ばーちゃん恐い、恐いよ、そのもてなし技術。何者だよ。俺もたまに行くと、お茶攻撃を受ける。入れてくれたから飲む→追加される→入れてくれたから飲む→追加される。このループ。腹がお茶でパンパン。でも、いつの間にかそうなってるんであって、途中で苦しくなる訳でもない。知らない間に飲まされてる。ばーちゃんに言うような話じゃなくても言わされてる。CIAとかFBIとかに訓練されてるんじゃないかとすら思える。そして帰りがけには野菜とか米とかのお土産を持たされる。俺がお茶でトイレが近くなっているスキに玄関に置かれている。靴履いている間にお土産の話されるから逃げられない。ばーちゃんちの蛍光灯を交換しに行っただけなのに、3時間は会話&お茶。帰りには食料満載。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえもっと恐ろしいものの片鱗を味わったよ。
「僕は見たいんだ。君のもっとも美しくて汚い部分をね」
「あなたに見られるくらいなら死んだ方がいいわ。それくらい見られたくないの…」
「僕は見たいんだよ。君を愛してる。だからこそ見たいんだ。君のもっとも醜い部分を。見せてくれるよね」
「何でこんなところが見たいの?」
「君のような美しい女性にはあるはずのないものだからさ。それを確認するんだ」
「私怖い。こんなところを見られてあなたとの愛が壊れてしまうかもしれないと思うと…」
「大丈夫。僕は君の全てが愛おしい。だから美しい部分だけでなく汚い部分もみたいんだよ」
「私のこと嫌いにならないで下さいね」
「そんなことにはならないよ。見せてくれるね」
「はい…」
「じゃあ、四つんばいになって」
男は親指で丁寧に女のケツを広げた。
「す、すごく綺麗だ…毛も生えていない。皺は、1,2,3…10数本くらいか…」
「いや…数えないで…」
「ももも、もっと見てみよう」
男は親指に力を加える。ぱっくりと広がる穴。
「う、美しい。このような美しいものがこの世に存在するとは…」
「もうやめて…」
「いやまだだ」
「皺が伸びきったぞ。綺麗に充血している。ちょっとウンコをしてみてくれ」
「え?恥ずかしい…出るかどうか分からないけどやってみます…」
「でないなー。君のような美しい女性はウンコなどしてはいけない。今度はちょっとこっちに来てくれないか」
そこには机が2つ並べてあった。
「ここにまたがるんだ。」
「はい…」
「もう少しお尻を突き出して。そう、そしてもっと姿勢を正して、内臓が穴の上にのるように意識してごらん」
「こうですか…」
「そんな感じだ。いい具合に穴が盛り上がってるぞ。次は思いっきりきばるんだ。」
「うー!」
「す、素晴らしい逆さ富士だ。これこそ僕が理想としていたものだよ。ちょっと指を入れてみよう」
「イタッ」
「我慢するんだ。お!なんか固いものにあたったぞ。これは何かな?」
「…」
ヌチュッ!男は指を抜いた。当たりにほのかな異臭が漂った。
「何か匂うな。まあいい。ん?僕の指が少し黄色くなっている。ま、まさかウンコ!」
「そ、そうだと思います…」
「みかんなんて食べてました?」
「そんなことはどうでもよい。また、お尻を突き出して、向こうを向きなさい」
「今度は何をするんですか…」
「次はチンコを入れてみようか」
「そんな!こんな汚いところに!」
次回に続く
これのブコメ見ていたら意外と双極性の人が多くて少し救われた気分になった。
数十年突然の無気力や派手な問題行動を起こしていて、なぜ自分はこらえ性が無いのかと悩んで生活改善などに取り組んできた。
人から見て当たり前の事が出来なくて、その事に自覚的なのもつらかった。何時間掛けても着替えられない日が続き、鬱かと疑ったら双極性障害と診断された。
自分の問題に明確な名前がついて妙にほっとしたと同時に「障害者」であるという事に衝撃を受けた。
今まで特別、障害者に対して差別意識を持った覚えはなかった。せいぜい駅のホームで叫んで走り回っている、成人して力の強そうな知的障害者の人が間違って線路に落ちたりしないだろうか、なぜひとりにしているのだろうかと気をもんだりするくらいだ。でもそれも自分の中で根付いていた差別意識のひとつなのだろう。彼は電車が来たらあっさりと乗っていった。
しかしそういった社会的な考え方よりも双極性障害がどんなものなのかを理解した時、自分は身勝手にも子供の頃に「お前達が健康で生まれてきてくれた事が嬉しい」と炬燵でみかんを剥きながら話していた両親の声が急に思い出されて悲しくなっていた。嘘をついて生まれてきたような気分だった。
知的障害の伴わない精神障害者は意外と多い。見た目に現れないだけで結構いて、薬を飲みながら押さえていけば普通に暮らしている人も沢山いる。だからそんなに不安がらなくてもいい。そう教えられてもなかなか実感がわかない。
だからネット上で名前(それがIDやニックネームであっても)を出して表明している人を見ると安心する。ちゃんと読める文章を書いている。一見普通の人だし全く同じ症状ではないけれど似た悩みの人がいるんだと思える。自分はまだ友人に打ち明ける勇気も持てないのでブコメやIDコールでブラボーできたりはしないけど、ブログやブコメの文章やアイコンだけで勇気づけられる。