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2023-12-20

anond:20231220214347

フミさん、東京大学の後輩に人生アドバイスしてあげてよ。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

anond:20231220215257

壁にぶち当たっても頑張ってればいいことあるよって。

2023-12-15

というか琉球大学理系比較するのも失礼かもしれないほど東京大学文一含め文系頭が悪い

琉球大学理学部工学部学生が「やっぱり官僚になろう!」と東大文一を目指せば基本的合格する

しか東大文一の駒場生が「やっぱり法曹文書マンなんて虚業やめてしっかりと実学を学ぼう!」と琉球大学理学部工学部を受けてもこれまでの舐め腐った考え方を叩き直すくらいに死に物狂いで努力しなければ受からない

田舎にある大手メーカー工場で働く駅弁修士工学)の技術者よりも遥かに頭が悪い人間たちが舵取りするからこの国はおかしくなった

東大文一の駒場生を千葉大学工学部勉強させたら実験演習や線形代数で躓いて自分いか頭が悪いかに気がついて泣きながら中退するだろうね

10代で数学三、物理化学をやらなかった代償は一生かけても取り返せないくらい大きい

2023-12-14

教育委員会最後に取り組んだ課題 <其の三>


(前part)

https://anond.hatelabo.jp/20231213191557

3. 若手職員のB君

直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである

最初の方で説明した場面で、職場コピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。

ストレスには耐えられないし、自分勝手スタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手意見曲解することが多かった。

私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行必要個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である

ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。

ところで、あなた職場にもいるのではないか仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレス精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。

残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。

市職員場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。

教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働サービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定基準に達した教育人材を育成することができている。

人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格能力が磨かれ、玉になっていく。

さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合学校歴がよかった。地元の名門公立高校卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。

縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共学童クラブ指導員は、その多くがスカウトである特に男性場合はほぼ100%だ)。教職員採用試験においても、学科面接試験の点数以外で、非公式評価すべき点というのは確かにある。

行政一般事務職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的統計である

高等学校入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。

プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者児童中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合入試前に合格が決まっていた。内申点中三期を満点にするなどして対応する。

マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校入学試験の基本は、学科試験内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。

ただ、その子合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ高校側も不用リスクを取りたくない。名門とされる公立高校問題児が少ない理由ひとつである

B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。

梅雨が明けた頃に、霞が関新卒キャリア官僚研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁研修先のひとつに選ばれていた。

キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。

最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所よもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。

国土交通省官僚が酒を飲んで調子に乗る

 ex.研修部署部長肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど

飲み会最中にB君が頭にきて、国交省キャリア口論になる

国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる

④ほかのキャリア官僚とB君の部署係長が、彼を羽交い絞めにして止めた

……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚場合調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリア東京大学卒だった)。

かくいう私自身も、文部科学省事業査定担当であるとか、会計検査院検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ

人間はいかなる状況の下においても、自己衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当見解であると私は考える。衝動制御することができるし、制御しなければならない。それは現実要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまり一貫性および価値観要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存葛藤解決不能問題さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295



私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。

声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。

B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。

しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。

それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明

本来名誉であるはずだが、その出向期間中退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?

現代社会において、感情が表に出るタイプ人間しんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。



4. サイコパスのC係長

先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。

例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。

係長「お前、こないだできるっていったよな!」

若手部下「すいません」

「なんでできねーんだよ」

「……なんとかします」

「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」

はい。やってみます……」

※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。

後は、イベントだろうか。市区町村においてイベント主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的ものもある。

さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。

その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。

その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである

□ 雨天の場合の中止ラインは?

イベント会場は維持できるのか?

□ 中止の際の広報手段は?

上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テント備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段提示したのがC係長だった。

彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。

私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。

教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社現場責任者と交渉を始めた。

夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社ロビー交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。

私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。

以下、会話を手帳メモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである

「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社契約します。それでいいなら、あなた判断で断ってください。テント作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」

「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」

あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間あなた会社上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる

判断ができません」

「毎年、あんたの会社契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式競争入札せんといか金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間電話するか、あなた判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」

「……」

「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」

「わかりました。指示をお願いします」

係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。

結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業絶対必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である

手続き的には違法である。正しくない。警備会社ロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司処分を受けたという話は聞いていない。

個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。

例えば、テント崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。

(次part)

https://anond.hatelabo.jp/20231216182406

2023-12-11

anond:20231211204700

鈴木常雄86歳なのに戦闘力が高く、本当に驚いたよね。

いくら東京大学法学部採用された前田でも、もしトラブル戦闘になったら、なかなか勝てる相手ではなさそう。

anond:20231211121139

東京大学東京都弁護士会あたりから10億円くらい拠出して、草津町癒しに使ってもらうのは難しいんだろうか。

2023-12-06

東京大学教養学部高校3年生なら誰でもはいれるようにするべき

高2の段階で高3の範囲が終わっている人もいる

高校3年生にオンラインでの講義を行い質問をさせ課題を提出させる

好成績の高校3年生を翌年からキャンパスへ招きそれぞれの道へ進ませる

サボり組は大学よりも就職予備校

これでよいだろう

2023-12-03

こんなんもあったわ

Change.org




#軍拡より生活 !~未来の子どもたちのために平和を!

24,488人が平和を求め 軍拡を許さない女たちの会さんのオンライン署名賛同しました。目標賛同数25,000を一緒に目指しましょう!

ワンクリック賛同

岸田政権は、5年で43兆円、GDP比2%という防衛費の増額を打ち出しました。しかし、防衛費は、その詳細が明らかにされておらず、どう捻出するかも決まっていません。むしろ、この軍拡周辺諸国の緊張を高めました。これが、私たちの国のためになるのでしょうか。

 政府がこれまで掲げてきた、少子化対策労働者賃上げ女性や1人親家庭、非正規労働者性的マイノリティ子どもなど、社会的弱者のための公的支援政策が、マイナスの影響を受けるのは明らかです。

 政府の全世代社会保障構築会議は昨年末改革の方向を示しましたが、働く女性過半数を占める非正規労働者子育て支援のための財源論は先送りされました。現状の日本教育への公的支出先進国で最低レベルです。大学までの教育無償化給食費無償化は、3兆円でできると言われながらも先送りされました。これでは物価高の中、子育て世帯負担は重くのしかかるばかりで、この国の喫緊課題である少子化が防げません。

 ところが、自民党税制調査会は、こうした課題真剣に取り組まず、軍事費増額については、法人税所得税たばこ税の3税を増税して財源の一部にあてることを大筋合意しました。

 子ども女性少子化対策なおざりにした軍拡は、この国を衰退させ、諸外国に敵を作るだけです。軍拡の前にもっと外交努力を積み重ね、平和模索してください。

 今こそ、軍事に進む政治から脱し、生活平和を守る「女性目線政治必要です。軍需産業の育成でなく、平和のための産業技術人材投資してください。女性安心して生活し、働ける環境なしでは、男性子ども貧困します。

 戦後安全保障原則の大転換が、国会審議も、総選挙国民投票もなく、特に女性社会的弱者の声を聞くこともなく進められています私たちはこの歯止めのなき軍拡の決定を認めません。

 私たちは、岸田文雄首相政府与党野党各党の代表連合代表に対し、

 1、軍事費GDP比2%を撤回すること

 2、歯止めなき軍拡を押し進めることをやめ、そして女性子ども若者社会的弱者目線に立った政策を進めること

 この2点を行うことを強く求めます。   

平和を求め軍拡を許さない女たちの会

竹信三恵子 ジャーナリスト和光大学名誉教授

杉浦ひとみ 弁護士

上野千鶴子 WAN理事長 東京大名誉教授

前田佳子 日本女医会長

田中優子 法政大前総長

奥谷禮子 ザ・アール創業者

伊藤和子ヒューマンライツナウ副理事長 弁護士

和田静香 ライター

菱山南帆子 市民運動家

福田香子 アクティビスト

平井美津子 大阪大学立命館非常勤講師

浜矩子 経済学者

東村アキコ 漫画家

代表賛同人(順不同)

望月衣塑子 新聞記者

島田雅彦 作家

駒井知会 弁護士

中島京子  小説家

狩野史枝  与那国島の明るい未来を願ういそばの会

高橋済   弁護士

吉永みち子 コラムニスト

米澤明憲 東京大名誉教授

武市正人 東京大名誉教授

西山誠子 弁護士

長谷部大介 DJ/サウンドプロデューサー

井上春生 映画監督

向井徹 編集者

鳥越俊太郎 ニュース職人

平嶋彰英 立教大学経済学部研究所研究員

安彦恵里香 Social Book Café ハチドリ舎

木村医師・文筆人        

古橋綾 大学准教授

渡部睦美 記者編集者

三牧聖子 同志社大学

本田宏 NPO法人利用制度研究会理事

前田亜紀 ドキュメンタリー映像作家/プロデューサー

小野川文子 北海道教育大学教授

吉岡正晴 音楽ジャーナリスト

宮嶋みぎわ 音楽

津山恵子 ジャーナリスト

黒部エリ 叙述業

三上智恵 映画監督

佐々木芳郎 写真家映像作家

加藤雅司 歯科技工士

五野井郁夫 政治学者

髙橋済 弁護士

石田多叡子 自営業

疋田哲夫 放送作家

海北由希子 自営業 

川口真由美 シンガーソングライター

松井寛子 映画宣伝 

柏崎智子 新聞記者

大坂恭子 弁護士          

西山温子 入管面会活動フレンズ」        

出田阿生 新聞記者          

小林由比 新聞記者

奥野斐 新聞記者

藤原恵美子 映画製作 

青木正美 医師   

元橋利恵 大阪大学大学人間科学研究科招へい研究員

清末愛沙 室蘭工業大学大学教授

星野親行 僧侶 

丸川司文 僧侶

加藤真悟 僧侶

那須野あつ子 僧侶

森祐昭 僧侶

徳正俊平 僧侶

木山響心 僧侶

永井康子 一般社団法人 WITH理事

原田冨美子 編集者 

大袈裟太郎 ジャーナリストラッパー

高瀬毅 ノンフィクション作家

中山和郎 合同会社 きろくびと

米田龍也 日刊ゲンダイ 

まのあけみ 名古屋入管人権侵害をなくす市民の会

高田健 総がかり行動実行委員会共同代表

岡田元治 株式会社リンク 代表取締役社長

アルテイシア 作家

朝岡晶子 団体職員

佐治洋 CL代表取締役

豊島智子 ふくふく女将

山田厚史 ジャーナリストデモクラシータイム同人

志葉玲 戦場ジャーナリスト

山岡淳一郎 ジャーナリスト

進藤榮一 筑波大名教授

小林三四郎 配給会社代表       

山崎雅弘 戦史・紛争研究家

小泉朋 映画プロデューサー

北原みのり 作家

庵逧由香 立命館准教授

富岡Grico ドラマー

宮子あずさ 看護師

猪股哲 南西諸島ピースネット共同代表

中津留章仁 劇作家演出家 

石山悦子 演芸作家

大川和子 遺品3Rディレクター

橋本智子 弁護士

馬場紀子 医師 

生田あい 沖縄意見広告運動事務局長

上原公子 元国立市

秋山則子 新聞記者

小林美穂子 つくろい東京ファンド

比企敦子 日本キリスト教議会(NCC)教育主査

中谷臣 東山高校教師

浜田真理子 音楽

深月ユリア ジャーナリスト女優

白井聡 政治学者

高田昌幸 大学教員

海野雅威 音楽

ジョー横溝 『君に問う』編集長ラジオDJ

松元ヒロ スタンダップ・コメディアン 

田中稔 社会新報編集長

藤井誠二 ノンフィクションライター

島薗進 NPO東京自由大学学長

前川喜平 元文科事務次官

三枝成彰 作曲家

打越正行 社会学者

長間信子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

福浜美津子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

山口京子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

増田雅昭 会社員音楽ブロガー

川上真二 社会福祉士

立岩陽一郎 InFact 編集長

北丸雄二 ジャーナリスト作家

宮崎亮 新聞記者

竹田昌弘 通信社記者

鈴木耕 一般社団法人ジン代表理事

岡田行雄 刑事法研究者

恭子 矯風会グループ代表

永尾佳代 熊本原発止めたい女たちの会代表

シェリーめぐみ ジャーナリスト

松本圭介 歌手

有田芳生 ジャーナリスト

工藤剛史 CL取締役

中田亮 音楽

柏尾安希子 神奈川新聞記者

黒田貴子 歴史教育者協議会副委員長

丹羽雅代 一票で変える女たちの会

後藤弘子 千葉大

2023-12-01

日大アメフト部 監督中村 敏英氏

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20231201/1000099634.html

日本大学アメリカンフットボール部の薬物事件で、最初逮捕された男子部員の初公判が開かれ、

事件学内で発覚したことし7月の状況について「大学本部の人が寮に来て部屋をチェックし、薬物が入った缶が見つかった。副学長が持っていって、監督は『副学長に見つかってよかった』と話していた。副学長がもみ消すと思った」と話しました。


https://www.goodcoach.jp/nakamura/

2002年Xリーグ優勝

2005年全日本選手権優勝を経験

2004年アメリカアリーナフットボールリーグ参戦。

     Memphis Xplorersにてプレー

2006年現役引退オービックシーガルズコーチ

2010~2013年全日本選手権史上初の4連覇を達成

2017~2019年関西大学に在籍し、ヘッドコーチ経験

2014、2018年大学世界選手権日本代表コーチ

2020~2021年東京大学コーチ

2022年日本大学アメリカンフットボール部    フェニックス監督

https://dispo-lab.or.jp/archives/memberall/toshihide_nakamura

株式会社グッドコーチ 代表取締役社長

一般社団法人Di-sports研究所

とのこと。

マスコミはこれらの団体取材してほしい。

日大アメフト部 監督中村 敏英氏

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20231201/1000099634.html

日本大学アメリカンフットボール部の薬物事件で、最初逮捕された男子部員の初公判が開かれ、

事件学内で発覚したことし7月の状況について「大学本部の人が寮に来て部屋をチェックし、薬物が入った缶が見つかった。副学長が持っていって、監督は『副学長に見つかってよかった』と話していた。副学長がもみ消すと思った」と話しました。


https://www.goodcoach.jp/nakamura/

2002年Xリーグ優勝

2005年全日本選手権優勝を経験

2004年アメリカアリーナフットボールリーグ参戦。

     Memphis Xplorersにてプレー

2006年現役引退オービックシーガルズコーチ

2010~2013年全日本選手権史上初の4連覇を達成

2017~2019年関西大学に在籍し、ヘッドコーチ経験

2014、2018年大学世界選手権日本代表コーチ

2020~2021年東京大学コーチ

2022年日本大学アメリカンフットボール部    フェニックス監督

https://dispo-lab.or.jp/archives/memberall/toshihide_nakamura

株式会社グッドコーチ 代表取締役社長

一般社団法人Di-sports研究所

とのこと。

マスコミはこれらの団体取材してほしい。

2023-11-19

かつて人文系博士号は功成り名を遂げた大学者がもらう勲章のようなものだった

最近中東イスラム研究者池内恵氏が博士号を持っていないことが、X上で話題になっていた。やたらに博士号を持っている側を持ち上げたり、あるいは逆に博士号重要ではない、実績を見よ、と反論していたりするのが目に付く。

だが、博士号に関しては議論の前提が違う。かつて、そもそも日本の人文系博士号レジェンド級に希少であり、真っ当な研究者でも取得できないのが普通だったのだから90年代以前の人文系研究者の大部分は、博士課程で博士号を取得することはできないと認識していただろう。

その様相が変わって学位取得が適正化されたのは、池内氏が学部生、院生として過ごした90年代から2000年代にかけてのことだ。池内氏はその変化の恩恵?を授かれなかった狭間最後世代なのだと思う。

その点に触れている投稿がなかったので、メモしておこうと思う。

文系博士号の取得について認識齟齬が生じる原因は大きく二つだ。

現在では人文系博士号運用理系運用に近づいた。だが世代や文理の違いによって事実が見えなくなっている人が多いのだと思う。

90年代前半くらいの状況

90年代中盤当時、大学院について調べていると謎の単語単位取得退学」に出会った。博士課程に進学し修了したとして、しかし残念ながら学位もらえず、ということはある。ここまでは当然だろう。不思議だったのは、単位取得退学という言葉がまるで学位のような扱いだったことだ。プロフィール欄に堂々と書くようなものか?と思った。

調べるとどうやら人文系博士号を取得するのは非常にマレだということだった。それゆえに単位取得退学学位のように通用していたということである

ざっくりと状況を把握するには、下の 3.4.2日本博士号取得者 (1)日本の分野別博士号取得者 あたりを見てほしい。

[科学技術指標2021・html版 | 科学技術学術政策研究所 ](https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2021/RM311_34.html)

実態としての運用はどうだったか。その雰囲気はこの辺のWikipedia記事に詳しい。

[単位取得満期退学](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%8F%96%E5%BE%97%E6%BA%80%E6%9C%9F%E9%80%80%E5%AD%A6#%E4%BA%BA%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E8%89%B2)

1989年以前の東京大学大学院人文科学研究科では、大学院生にとって課程博士論文は書かないことが原則で書くことは例外であったという」

少なくとも90年代以前では、人文系研究者キャリアの初期に博士号は困難であったというより、ほぼ不可能だったみて構わない。かつて人文系博士号キャリア晩年差し掛かってそれまでの功績を評価してもらうもの。今のように博士課程を修了した時点でキャリアの出発点となるような資格のようなものではなかったのだ。

時代の転換

この状況は1990年代に入ると徐々に変化する。

[23博士学位授与数の推移と授与率:文部科学省](https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1407428.htm)によると、博士授与率は、

平成3年度(1991年度)に人文系4.7%、工学系78.1%だったものが、平成13年度(2001)年度では、人文系23%、工学系では88.6%と変化する。まだ差はあるものの確実に変化している。

いずれにせよ、2000年前後は、「博士課程を修了して真っ当な評価を得れば博士号を取得できる」という普通の状況に至るまでの長い変化の途中の時期だった。

現在

博士号を取得する人の数は増え続けている。ただご存知の通り、その活躍先が十分あるとは言えない状況だ。

このことで企業側の受け入れ姿勢批判する向きもあると思うが、それは間違っていると思う。かつての日本博士号(人文系)の授与が異常だったのであり、企業はそれに適応しただけだろう。変な運用を続けていた大学責任がある。企業の変化にはまだ時間がかかるだろう。

以上が、博士号取得に関しての時代状況の説明だ。

博士号価値

現在特に文系に関して博士号は多く取得されるようになったが、だからと言って価値が軽くなったという話ではない。

ただ時代が違ってしまうと、まるで別のものになっていることは押さえておきたい。別の分野の研究ともなると尚更比較するのは困難だ。

(課程博士論文博士など取得プロセスの違いもある)

私自身は結局アカデミアとは無縁のキャリアになったので、個別研究室の中のことを知る由もないが、おそらく池内氏が博士課程に在籍していた2000年前後博士号の扱いの転換期だったはずだ。その当時は学位を取得することは不可能ではなかったが当然でもなかった時代だと言える。

まして、仄聞するに、池内氏は学会因習悪弊に対して相当の武闘派であったようだから、そう簡単学位を取得できる状況だったとは思えない(これは憶測だが)。

池内氏の中東イスラムの分野の研究における業績は既に輝かしいし、一般向けの著書や寄稿も数多い。加えて組織設立運営、後進の育成など、並みの胆力ではこれだけのことはできない。

現在、この世界情勢のもとで池内氏の解説発言は、信頼のおける言説としてますます重要になっていると思う。

当人にとっては博士号の話など大きなお世話で、拘泥もしていないと思う。

ただ、一般の人が博士の扱いの変遷について知らず、この話題によって氏への信頼に一点でも曇りを生じそうな人がいるなら、それは違うとは伝えておきたい。

2023-11-14

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

2023-11-10

anond:20231109111643

東京大学調査によると18から24歳までは結婚意思がある独身は男女同数で、25~39歳で男女比1.22、40~49歳では男女比1.38と圧倒的に男余りになっていくみたいよ。

人口非過密地域(男女比1.31)、関東地方(男女比1.23)で特に男性余剰が顕著(約60万人)だって

女はわりと焦ってアラサーまでに結婚していくけど、その辺で余裕こいた結果男が売れ残っているのではないかな。

2023-11-05

国際法学者になりたくて東京大学文科一類に入るために勉強してたのに、結局親や教員に強く勧められて地元国立医学部に進んでしまったんだよな。

草津町の件でフェミは本当に謝っていないのか?

新井祥子元草津町町議を支援する会 | 「新井祥子元草津町議を支援する会」解散声明 | Facebook

私たちもまた、新井元町議の証言を信じて、黒岩町長に対して強制わいせつの疑いをかけたことにお詫びをしなければなりません。黒岩町長ならびにご家族、ご支援者のみなさまに、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。また、草津町町民のみなさまにも多大なご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます

2023年2月27日

元町議を直接支援していた「新井祥子元草津町議を支援する会」の解散声明である

前置きには「わが人生最大の痛恨事」「痛恨の極み」とあり、非常に気持ちのこもった文章となっている。

謝罪声明書 | 飯塚玲児のNew Lazy Days

私はこのことを重く受け止め、黒岩信忠草津町町長に対して深く謝罪の意を表明いたします。黒岩町長のご家族草津町の町民の方々に対しても、謝罪の意を表明いたします。

こちらは、元町議の訴えを取り上げて書籍にし、いまは裁判当事者ともなっているライターが、2022年12月7日に公開した謝罪である

というわけで、元町議を直接支援していた人たちはきちんと謝罪していることがわかった。

では他のフェミニストはどうだったのだろうか?

そもそも誰がどんなことを言っていたのだろうか?

他ならぬ草津町長の手記から引用しよう。

草津町を「セカンドレイプの町」と呼んだフェミニストらの横暴を許すな 黒岩信忠(群馬県草津町長) - 月刊正論オンライン

例えば東京大学名誉教授上野千鶴子氏は議会関係者が読む雑誌地方議会人」令和三年五月号の巻頭言で次のような文章を書きました。

《極めつけは草津町新井議員町長セクハラ公表したこと与党議員が立ち上がり、リコール運動実施新井祥議員は失職した。やるべきことが間違っているであろう。最初第三者を交えた調査委員会を立ち上げ、事実の究明を行い、事実なら加害者処分することだ、それなのに被害者議会から追い出すとは本末転倒だ》

町長は「明らかに私が加害者であるとの前提で書かれた文章です」とコメントしているが、明らかにそのようには読めない。

上野千鶴子批判しているのは「草津町長の性加害」そのものではなく事実を究明するまえに告発者をリコールしたことである

続けて以下のような主張が引用されている。

全国フェミニスト議員連盟(共同代表増田薫・千葉県松戸市議、前田佳子東京都八王子市議)からは私や議長らに対して抗議文がありました。

群馬県草津町議会は、「女性ひとり議会」です。新井祥議員町長による性被害告発したことへの草津町議会対応は「性被害告発したこと自体否定する」人権侵害だと私たちは考えます

全国フェミニスト議員連盟は裁判中にもかかわらず、リコールが行われ、成立したことについてもやり玉にあげてこう抗議しています

裁判の日程は未定、警察捜査も終わっていない中、客観的認定のないまま十二月六日、住民投票実施され解職賛成が二五四二票・反対二〇八票で新井議員は失職しました。町議議長らが呼びかけ人となって動いたこ住民投票は、地方自治が想定した住民投票趣旨から逸脱している、と私たちは考えます

しんぶん赤旗」にはフラワーデモ群馬主催者代表の田嶋みづき氏による「町長から暴力を受けたと告発したことリコールとなり失職した新井祥子元草津町議、日本共産党山田みどり中之条町議らが参加しました」「性暴力を訴えると排除される社会を変えよう」(一般社団法人Spring代表理事、山本潤氏)といったコメント掲載されていました。

作家北原みのり氏は、朝日新聞が手掛ける「AERAdot.」に「町長にたとえ加害の事実がなかったとしても、この議会のものが十分に性暴力ミソジニー女性蔑視)だった」などと批判していました。

「この事案は、日本で性暴力被害告発する女性が直面する困難を浮き彫りにしている。日本では、こうした被害を訴え出ることは極めて少なく、オープン議論されることはめったにない」

これは米紙ニューヨーク・タイムズの「彼女町長からの性暴力を訴えた後、その町は彼女攻撃した」と題した記事です。

見事に揃って事実を究明するまえに告発者をリコールしたこと問題視する内容である

これらに対して、草津町長はやはり「どれも私が加害者新井氏は被害者だという前提に立ったものばかりです」「明らかに暴力があったことを前提にしています」と書いているが、とてもそうは思えない。

いずれの主張にも「告発真実に違いない」などといった決めつけがないばかりか、「事実の究明を行い、事実なら」や「たとえ加害の事実がなかったとしても」といったエクスキューズさえ入っている。

彼らの批判の中心にあるのは「町長レイプしたこと」ではなく「告発者をリコールしたこと」だ。

まさしく「レイプ」ではなく「セカンドレイプ」を批判していたのである

以上から「多くのフェミ草津町長を有罪だと決めつけたが未だに謝罪していない」というストーリー虚構であると言える。

草津町長を有罪だと決めつけたフェミ謝罪しているし、それ以外の多くのフェミ草津町長が有罪だとは決めつけていなかったのである

フェミはなぜ謝罪しないのか」と糾弾する人たちは、

ちょっとググっただけで出てくるような謝罪文を探しもしていないのだから

本気で草津町名誉を守りたいとも、フェミ謝罪してもらいたいとも思っておらず、

ただ虚構ストーリーに乗っかってまでフェミを叩きたいだけなのだ、ということがわかるだろう。

2023-11-01

相棒見てたけど

右京さんって物凄く頭が良いキャラなのに経歴のところが東京大学法学部ってなってるから「頭がいい」「天才」ってのがしっくりこねえ…

過去の回想とか学生時代でもすごい天才キャラみたいに描写されてるけど、だったらなんで理科一類理科三類ではなく文科一類?ってなるんだよな

その辺の説明がないから余計に

理科一類理科三類からとある事情法学部に進学or東京大学医学部医学科か東京大学理学部物理学からとある事情があって警察庁に入庁って設定に変えられないのかね?

そんでその「とある事情」をスペシャル劇場版でやるとか

2023-10-24

人生失敗を振り返る

官僚になって名を残すつもりだった。

これがそもそもの間違いだった。

東京大学文科一類早稲田大学法学部防衛大学校受験した。

そしてまた失敗した。

防大早稲田には受かったが、東京大学文科一類に落ちたのだ。

さらに失敗した。

防衛大学校ではなく早稲田大学法学部に進学してしまった。

終了。

反省

官僚になると決め、数三を履修しなかった時点で本来東大文一に受かり官僚になる他、道はない。

ただ、幸運なことに俺にはその時点でまだ道は残っていた。防衛大学校に進学し、4年間の防大生活幹部候補生学校を耐え、三尉に任官後も勉強をサボらず指揮幕僚課程と統合幕僚高級課程に合格すれば将軍としてどこかに名前を残すことができたかもしれない。

しかしその選択も失敗した。

結果として俺は法学士という虚無を得て何の専門性も持たずに社会に出て、名前も顔もない大衆の一部となった。

親や教師に勧められたが当時は馬鹿にしていた、地元駅弁大学工学部に進学し、エンジニアリング学位専門性を持っていれば、何かを発明して社会に貢献し名前を残していたかもしれない。今、俺が見ている警察24時にも音声生成AIエンジニアがでている。東大工学部卒のベンチャー企業家らしい。その専門性首相とも対談したという経歴が眩しすぎて死にそう。

正直怖い。

もし俺がこのまま大病を患い、余命宣告でもされたら。

俺はこの日本という国に生まれながら何も成し遂げず何も残さずに死ぬことになる。

なんのために生まれたのかわからない。

ああ、虚しい。

レアさんにてモテたくて猛勉強して東大に入ったがモテなくて通学しながらホストになった話をやっていた。

この手のテレビ企画定番なのが、いかにも頭のいいことやらせスタッフには全然理解してない合いの手を入れさせることだが、今回は複素関数積分で、東大生が定理適用の仕方を語ってるところにスタッフが「なるほど…」と理解してなさそうなトーンで言っていた。

しか東京大学学生にしては簡単なことやってるなーと違和感があった。

計算用紙も見たがもろ

https://eman-physics.net/math/imaginary11.html

のあたり扱ってる内容で、このサイト複素関数から読み始めれば理系マーチに入れる学力なら複素平面終えたての高校生でも数日で計算できるようになる内容だろう。

なんだろう、むしろスタッフがわからないふりをしてるというよりも、むしろスタッフ側が複素関数積分ぐらい知っててこれ東大生に言わせたらいかにもって感じじゃねって考えてて、むしろスタッフの方から東大生に何を言わせるか提案してると考えた方が自然に思えた。東大生におまかせしちゃうとそれこそゲージ理論多様体の話とか難しさに際限がなくなっちゃうから…ってそれでも問題なく思えるんだど、とにかく東大生が勉強してると言ってる内容にしては簡単すぎて不自然に感じたのだ。

俺がすごいと思ったのは仕事中に他のホストが今どれぐらい売り上げてるか頭の中で計算して記憶してるって話。自分ワーキングメモリじゃ不可能だわ…

anond:20231024005302

いやだから

本来統計学的意味での”ある模試における偏差値”ではなくて

大学合格できる学力定量化する意味合いで河合塾が発表している”偏差値”を使っているの。

あなたがどんな模試を受けようが知らんけど

東京大学理科一類合格できる学力があるなら"偏差値"は67.5だし

大学受験業界に限っては母集団がどうかとかは関係なく”偏差値”=学力の数値化だということ。

試験の相性で大阪大学機械工学科には合格できないけど東京大学理科一類には合格できるとかいパターンもあるかもしれないけど、大抵の場合はこの”偏差値”で上から順に席が埋まっていってるから学力定量化できて順序があるものとして扱われがちなの。

2023-10-19

anond:20231017192636

    1914年受験岸信介によると

    東京大学 法学部 の入試ドイツ語筆記試験のみだった

    平民 も 大学に行く時代とはだいぶん事情が違うっぽいな

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