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2024-03-28

マイノリティリベラル特区を創れないだろうか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2339319

「おれたちニホン教に改宗しろ」と迫る日本人が多いからではなかろうか。個人的には創価学会(教団組織)は嫌いだけど、学会員鳥居をくぐれない禁忌はしばしば嘲笑対象になるが、禁忌を守る態度としては尊敬する

こういう素朴な人たちの思想は完全に間違っているけど不満は本物だから何らかの対処必要なんだろうな。正しくないからと言って無視し続けると米国のような分断を生む。

中韓には勝てないと分かって、女性を押さえつけることもできず、アイヌ沖縄相手にしてもらえないので、今度はムスリム差別を始めるのか。

攻撃差別的なツイ多いね。全部合わせろじゃなく配慮可能範囲対応し無理な所は無理なので受け手対処してねってものでしょ。アレルギーに置き換えたらどうなの?ここは日本とか来てなんて頼んでないとかイタい

将来的には全国に広げるとして、まずは一つの市町村単位で、誰でも安心して過ごせる特区を創る。

不寛容には不寛容」ということで日本国籍のネトウヨだけは最初排除する。

心理的安全性が確保されたところで、リベラル系の新聞社政党からお金を出して、特区内ではどのマイノリティ安心して過ごせる環境を整える。

パートナーシップ条例から一歩進んだ同性婚を認める

ヤングケアラー学校に通えるようにする

・誰でもトイレ女性安全スペースを確保する

毒親から逃げられるシェルターを確保する

・すべての言語対応した看板ポスターを設置する

レインボーパレード政治デモも定期的に開催できるようにする

食事ハラール対応もする

女性が肌を人に見せないで済む権利を確保する

自分たちの身内の不祥事自分たち戒律でさばけるルールも確保する

・使いやすいベンチを置いて公園でも自由に寝泊まりできる環境を確保する

児童虐待の恐れがある家には強制的に立ち入り検査する

・障がいのある人を他の市民ケアする日常

・親から子へマイノリティ文化宗教教育する権利を確保する

・外見だけで職務質問する悪弊撤廃

2024-02-20

大阪万博賛成派一般人の考え

大阪万博に対する賛成の立場公言する私は、近頃X上で高まっている論争の中で、中止に伴う料金が4月以降に大幅に上昇するという事態に直面しても、賛成の声が聞かれるべきであると強く感じている。ここで私が大阪万博を支持する根拠を明確に述べたい。

第一に、万博を中止しても、その資源有効に他の目的に振り分けられるとは到底思えない。反対派からは、能登地震復興資金として利用すべきだという声がしばしば挙がる。しかし、実際には、万博の中止がそのような形での資源有効活用保証するものではない。2億円をトイレに費やしたり、現実的ではない空飛ぶ車の採用を進めるような組織が、資源を適切に配分するとは考えにくい。そのため、不透明な使途よりは、万博という比較的透明性のあるプロジェクト資源活用する方が、遥かに望ましいと私は考える。

第二に、万博を強行しても100%の失敗とは言い切れないものの、様々な問題が明らかになり、それが責任追及へとつながる流れは、東京オリンピックの時に見られたシナリオ類似している。私は、東京オリンピック成功したと見なしている。コロナという前例のない事態が発生したにもかかわらず、昭和時代に対する懐古的な視点を打破する手段として、それは有効だった。賄賂癒着などの問題が表面化し、日本社会悪弊を浮き彫りにする絶好の機会となった。大阪万博もまた、失敗する可能性は高いが、この国際的プロジェクトを通じて責任問題が大物政治家や実力者に及ぶことを期待し、そのプロセスを目撃したいと考えている。なお、仮に成功したなら私は喜んで行くだろう。

反対派の皆様には、この観点からもう一度考え直していただきたい。大阪万博は、単にイベントの成否を超えた、社会的政治的意義を持つプロジェクトである。その全体像理解し、賛否双方の意見を深く考察することが重要である

2023-11-19

かつて人文系博士号は功成り名を遂げた大学者がもらう勲章のようなものだった

最近中東イスラム研究者池内恵氏が博士号を持っていないことが、X上で話題になっていた。やたらに博士号を持っている側を持ち上げたり、あるいは逆に博士号重要ではない、実績を見よ、と反論していたりするのが目に付く。

だが、博士号に関しては議論の前提が違う。かつて、そもそも日本の人文系博士号レジェンド級に希少であり、真っ当な研究者でも取得できないのが普通だったのだから90年代以前の人文系研究者の大部分は、博士課程で博士号を取得することはできないと認識していただろう。

その様相が変わって学位取得が適正化されたのは、池内氏が学部生、院生として過ごした90年代から2000年代にかけてのことだ。池内氏はその変化の恩恵?を授かれなかった狭間最後世代なのだと思う。

その点に触れている投稿がなかったので、メモしておこうと思う。

文系博士号の取得について認識齟齬が生じる原因は大きく二つだ。

現在では人文系博士号運用理系運用に近づいた。だが世代や文理の違いによって事実が見えなくなっている人が多いのだと思う。

90年代前半くらいの状況

90年代中盤当時、大学院について調べていると謎の単語単位取得退学」に出会った。博士課程に進学し修了したとして、しかし残念ながら学位もらえず、ということはある。ここまでは当然だろう。不思議だったのは、単位取得退学という言葉がまるで学位のような扱いだったことだ。プロフィール欄に堂々と書くようなものか?と思った。

調べるとどうやら人文系博士号を取得するのは非常にマレだということだった。それゆえに単位取得退学学位のように通用していたということである

ざっくりと状況を把握するには、下の 3.4.2日本博士号取得者 (1)日本の分野別博士号取得者 あたりを見てほしい。

[科学技術指標2021・html版 | 科学技術学術政策研究所 ](https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2021/RM311_34.html)

実態としての運用はどうだったか。その雰囲気はこの辺のWikipedia記事に詳しい。

[単位取得満期退学](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%8F%96%E5%BE%97%E6%BA%80%E6%9C%9F%E9%80%80%E5%AD%A6#%E4%BA%BA%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E8%89%B2)

1989年以前の東京大学大学院人文科学研究科では、大学院生にとって課程博士論文は書かないことが原則で書くことは例外であったという」

少なくとも90年代以前では、人文系研究者キャリアの初期に博士号は困難であったというより、ほぼ不可能だったみて構わない。かつて人文系博士号キャリア晩年差し掛かってそれまでの功績を評価してもらうもの。今のように博士課程を修了した時点でキャリアの出発点となるような資格のようなものではなかったのだ。

時代の転換

この状況は1990年代に入ると徐々に変化する。

[23博士学位授与数の推移と授与率:文部科学省](https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1407428.htm)によると、博士授与率は、

平成3年度(1991年度)に人文系4.7%、工学系78.1%だったものが、平成13年度(2001)年度では、人文系23%、工学系では88.6%と変化する。まだ差はあるものの確実に変化している。

いずれにせよ、2000年前後は、「博士課程を修了して真っ当な評価を得れば博士号を取得できる」という普通の状況に至るまでの長い変化の途中の時期だった。

現在

博士号を取得する人の数は増え続けている。ただご存知の通り、その活躍先が十分あるとは言えない状況だ。

このことで企業側の受け入れ姿勢批判する向きもあると思うが、それは間違っていると思う。かつての日本博士号(人文系)の授与が異常だったのであり、企業はそれに適応しただけだろう。変な運用を続けていた大学責任がある。企業の変化にはまだ時間がかかるだろう。

以上が、博士号取得に関しての時代状況の説明だ。

博士号価値

現在特に文系に関して博士号は多く取得されるようになったが、だからと言って価値が軽くなったという話ではない。

ただ時代が違ってしまうと、まるで別のものになっていることは押さえておきたい。別の分野の研究ともなると尚更比較するのは困難だ。

(課程博士論文博士など取得プロセスの違いもある)

私自身は結局アカデミアとは無縁のキャリアになったので、個別研究室の中のことを知る由もないが、おそらく池内氏が博士課程に在籍していた2000年前後博士号の扱いの転換期だったはずだ。その当時は学位を取得することは不可能ではなかったが当然でもなかった時代だと言える。

まして、仄聞するに、池内氏は学会因習悪弊に対して相当の武闘派であったようだから、そう簡単学位を取得できる状況だったとは思えない(これは憶測だが)。

池内氏の中東イスラムの分野の研究における業績は既に輝かしいし、一般向けの著書や寄稿も数多い。加えて組織設立運営、後進の育成など、並みの胆力ではこれだけのことはできない。

現在、この世界情勢のもとで池内氏の解説発言は、信頼のおける言説としてますます重要になっていると思う。

当人にとっては博士号の話など大きなお世話で、拘泥もしていないと思う。

ただ、一般の人が博士の扱いの変遷について知らず、この話題によって氏への信頼に一点でも曇りを生じそうな人がいるなら、それは違うとは伝えておきたい。

2023-11-12

ビンの蓋の話

 いい年をして職場押し付けられる事務処理がなかなか自分担当というかたちから変わらず、やりたくねえなあと毎日思いながら毎日やっている。

 誰に尋ねても必要性がうまく説明できない業務と、それに伴う得体の知れない数字PCスクリーンと紙面の両方でこれをにらんで、憎悪疲労で膨らんでいく負の感情を、せめて、自分の次の若手はこういうくだらない作業から解放してやりてえな、という気持ち中和しようとしながら、積み重なった量をようよう消化している。

 あるイラストレーターtwitterで、「自分が受けた嫌な経験を、他人には経験してほしくないと思うのと、味あわせたいと思うのと分かれ道はどこにあるのだろうか」ということを書いていた。

 これを見て最初イメージしたのは、中学生の頃にやったドラクエ7の石板集めのことだ。

 ストーリーを先に進めるために、割れた石板のピースを集めて一枚に復元する必要があるのだが、これの一部分が欠けていると、極端な話、これまでに行ったすべての街やダンジョンを訪れて探し直さなくてはならない。ちょうどゲーム攻略インターネットクロスし始めた時代だったので、自宅に環境がある人なら特に困らなかったのかもしれないが、我が家はそうではなかった。一度通過した興味のない場所を嫌々たどり直す、ただただ苦痛で、うんざりさせられる「作業」に多くの時間を費やすことになった。

 ドラクエ7は何回かリメイクされているようだが、もし石板集めが簡単になっていたら、過去経験者としては少し残念? な気分がなくもない(それこそ、いまはネット接続しない攻略環境なんてほぼあり得ないので、当時のままでも困りはしないだろうけど)。

 あれが醍醐味だったのに、とは口が裂けても言えない。あの石板探しはまごうことなゴミ要素だった。

 それでも、今のユーザーにもあれを経験してほしい、と思うのは…なんだろうな?

 もしも楽になってしまったら、当時のプレイヤーけが馬鹿馬鹿しい時間の浪費に巻き込まれたことになって気に入らないから?

 「まあさ、こういうゲームだったんだよ」と新規ユーザーの肩を笑って叩くため?

 なんにしても後ろ向きで、なんとなく湿り気のある、あまりポジティブ感情ではなさそうだ。

 ゲーム経験というのは、けっこうこういう感情に人をとらえがちな気がしていて、過去経験者はどこかで、評判の悪い要素にブーブー言いながら、新しい参入者も被害者になるのをどこかで楽しみにしている気がする。

 それでも、嫌な経験というのは、基本的には根絶されていくべきだと思っている。

 だいたい、世代が変われば次の世代にはそのとき悪弊が新たに生まれるのだから、今あるもの積極的に無くさなければ、どんどん増えてしま理屈である。俺が最後世代だ。そういうつもりでやっていることがいくつかある。

 職場燃え尽きた人がいる。

 そろそろ定年も見えてきた大変に優秀な人である燃え尽きた、ということは過去燃えていたということでもある。

 俺のやっている気の滅入る事務処理だってちゃんとやらなければ会計に細かい狂いが生じたり、今後の事業計画に影響したりするので無駄とは言わないが、その人が以前所掌していたのは、組織の今後や体制にモロにかかるような仕事だった。その業務を進める過程で、組織内に一定数いる非合理と旧弊権化のような上層と同僚と、あとは人ではない空気感みたいなものに対して戦い(別に、あらゆる古いものがすべて悪いわけではないが)、すり潰されて疲れて、最終的に2勝8敗、ぐらいの感じの人だ。

 その人とこの前に話をしていた。流れで、ある事業広報方針について「あれはどうもおかしいと思う」という話題になった。

 それは以前、この人が取り組んで最後まで取り崩せなかった、企業の内部コミュニケーションの不足と各セクションごとの自負と他課へのおもねりあいが嫌な感じに複合した悪魔のような部分と関連していて、火中の栗というか、正確には昔その栗を取ろうとして大火傷をした人がいたので冷めても誰も手を出さなくなった、みたいな状態なのだが、その火傷を負った当事者であるその人は俺の話を聞きながら、(特に期待もしていないだろうし、俺は登った梯子を外されるほど仕事ができない)「今だったら、自分ならこうするな。やってみれば」というようなことを言ってくれた。俺はというと、自分でも意外だが、まあ頑張ってもいいかもな、と思った。

 何年も前に読んだショートショートで、飲み屋で誰かが開けようとしたビンの蓋がなかなか開かず、その場にいた何人かの客が挑戦したあと、特に体格がいいわけでもない冴えない男がそれを開けてみせた、という話があった。

 様子を見ていた語り手に男が聞かせたところによると、ああいものは色んな人が挑戦するうちに、誰も気づかないうちに少しずつ蓋がゆるまっているもので、自分成功したのは、その頃合いをちょうどつかまえただけなのだ、ということだった。

 科学的には力が足りない者が何人挑もうが関係ない気がする。それはともかく、この世の色々なビンの蓋が、色々な人の手によって少しずつゆるまっているということを考える。

 まだ蓋が固く閉まっているなら、強烈な英雄でなければそれを開けられないかもしれないし、誰も成功しないかもしれない。ただ、特に優れたところのない人間でも、単にやろうとするというだけで、結果として蓋を開ける最後の誰かになるかもしれない。

 なので、くだらないことは終わりにするよう頑張りたいし、意味のあることは始めていきたい。それが凡夫の目に無価値有意義と見えるだけで、実はちゃん理由があって余計なことはしない方がいいことだってあるだろうが、それはまた別の話である新劇エヴァだって、Qのあとちゃんハッピーエンドで終わったじゃないか。まあ、それでも、ドラクエ7未来プレイヤーが虚ろな目で画面をにらみながら、あのくだらない石板を探さなくて済むとなると、それは多少、面白くねえなと思わなくもないわけだが。 🦑

2023-08-14

人を恨むのを辞めたい

倫理的に許せないと思った相手の不幸を願う悪弊がある

そいつが嬉しいことがあると私は苦しいみたいな

これは完全にダメなやつなのでやめたい

何をしたらいいの?寺に修行に行くとか?

2023-02-05

外患誘致の法定刑が死刑のみなのって大逆罪の悪弊を引き摺ってるよね

成熟した国家として死刑だけの刑罰を残してるって片手落ちすぎないか

2022-10-25

anond:20221025101514

胡耀邦さんが民主的で偉大な人だったからな

その愛弟子である胡錦涛さんもそのマインドを受け継いだのだろう

オープンマインドだった 胡耀邦趙紫陽時代藤村 幸義)2011年4月

最近中国経済発展こそ著しいが、自由闊達雰囲気はあまり伝わってこない。それどころか政治民主化は遅れ、メディアへの規制は強まるばかり。経済面では国有企業勢力が再び増している。なにか時代に逆行している印象もある。

これまでの経済発展方式を転換すると言いながら、実際には大胆な改革に踏み切れずにいるのも歯がゆい改革・開放政策に着手してから30年余り。中国はいまいちど、この政策に着手したころ、胡耀邦趙紫陽リーダーシップをとっていたころのオープンで溌剌とした雰囲気を思い起こす必要があるのではないか

胡耀邦に初めて会ったのは、北京空港だった。筆者が特派員として北京に赴任してまもない1979年の半ばころだったと記憶している。すでに前年末の党中央委員会議で、中央政治局委員・党中央宣伝部長への就任が決まっていたが、我々外国人記者の前には姿を見せていなかった。

背が低くて頭は三分刈りくらい、なんとも貧相な男が、突然筆者の前に姿を現した。にこやかに笑っている。すぐに、これがあの胡耀邦だと分かった。つまり、筆者が復活後の胡耀邦の姿を見た最初外国人記者だったのだ。気がついた他の記者たちが寄ってきて、たちまちのうちに人垣を作ってしまった。

胡耀邦経済シンポ開催を

その後はとんとん拍子で出世していく。1981年6月に華国鋒のあとを継いで党主席就任した(1982年9月には党主席制の廃止に伴い、新しく導入された総書記就任)。

筆者がその自由闊達な人柄に直接触れたのは、1984年6月、日本経済新聞社人民日報との交流スタートさせ、北京取材代表団を送り込んだ時だった。人民大会堂で、胡耀邦と会見するチャンスを与えられた。初めて会った時の貧相な感じは消え、頭髪も長く伸ばし、威風堂々としていた。

中国首脳との会見では、相手側に一方的に喋りまくられ、こちから質問するきっかけを作りにくいのが通例だった。しかし我々は違った。儀礼的なあいさつは最小限にとどめ、日本経済新聞社の初代北京支局長だった鮫島敬治氏と筆者がタッグを組んで、次々と質問を繰り出した。

これに胡耀邦も応えてくれた。会見は予定時間を大幅に超え、1時間半にも及んだ。「今後10年間に外国から500億ドル外資を導入してもいい」と、手に持った鉛筆を振りかざしながら、対外開放に積極的姿勢アピールした。

このやりとりがよほど気に入ったらしい。最後胡耀邦は、同席した人民日報の秦川社長の方を向いて、「ことし秋に人民日報日本経済新聞が共催してシンポジウムを開くように」と指示したのだった。秦川社長も驚いた様子だったが、すぐに同意し、その場で日中経済シンポジウムの開催が決まってしまった。

かくて1984年11月に「中国の対外開放政策日中経済技術協力」をテーマにした日中経済シンポジウム北京で開催された。筆者は当時、国際部デスクだったが、数カ月ほどその仕事を離れ、シンポジウムの準備にかかりっきりになったのを覚えている。シンポジウムパネリストには、いま日本航空再建に采配を振るっておられる稲盛和夫京セラ社長(当時)にも加わってもらった。

シンポジウム終了後には、胡耀邦と再び会見できた。年に2回も会ったことになる。メディア単独で年に2回も中国首脳と会えたというのは、異例中の異例だった。

胡耀邦はこの時、韓国との直接貿易について「南北交流の進展を見ながら」との条件付きながら開始を示唆した。いまや中韓貿易は大きく発展しているが、当時としてはかなり大胆な発言だった。我々との2回目の会談胡耀邦も気を許したのかもしれない。

胡耀邦は1987年1月に総書記を解任されるが、日中経済シンポジウム継続され、1988年11月北京で第3回目が開催される。この時に会見したのが、胡耀邦の後任として総書記就任した趙紫陽だった。

●会見でビールを飲んだ趙紫陽

趙紫陽胡耀邦に負けず劣らず、あっけらかんとしていて、オープンマインドだった。ブルジョワ的との批判を恐れずに、いち早く背広を着こなし、ゴルフ場にも通った。

ある時、明の十三陵近くのゴルフ場趙紫陽とばったり顔を合わせたことがある。アウトの3番か4番だったろうか、ゴルフ場スタッフが駆け込んできて、「中国の偉い人がプレーするので、ちょっと待っていてほしい」と要請された。しばらくすると、趙紫陽がパターを手にしてやってきた。せっかちな仕草で、最後までボールを沈めずに、次のホールへと移動していってしまった。

会見では終始、ハイテンションだった。すでにこの頃になると、批判勢力攻撃さらされ、趙紫陽政治立場はかなり苦しくなっていた。会見が始まって間もなく、趙紫陽付き人ビールを持ってくるように要求した。外国人との会見で、中国首脳がビールを飲むというのは、おそらく前例のないことだろう。約1時間の会見中にコップ2杯を飲みほした。ビールに力を借りなければ、思い切ったことも言えなかったのであろうか。この会見の半年後に、趙紫陽天安門事件からんで失脚してしまう。

改革に前向きだった両首脳

胡耀邦失脚の際に、日中経済シンポジウム開催を独断で決めてしまたことが失脚の一つの理由になった、との報道もあった。しかしその後もシンポジウムは隔年開催で続けられ、日中交流の促進に役割を果たした。

胡耀邦趙紫陽ともに、中国の古くから悪弊を取り除き、新しい枠組みを作り上げようと一生懸命だった。やや性急なところがあったにせよ、常に前向きの姿勢を失わなかった。

中国はいま、経済成長の維持、インフレ抑制投資から消費中心への構造転換、という3つの難題に直面している。ところがこの3つの中で、どうしても優先しがちなのは経済成長の維持である。国際金融危機に際しても4兆元という巨額の財政投入によって、成長率を維持しようとがむしゃらになった。

その結果、GDP日本を抜いて世界第2位となるなど、世界から大いに注目を浴びたのだが、半面でその後遺症ともいえるインフレに手を焼いている。ましてや、投資から消費中心への構造転換になると、対策が後手に回りがちで、ほとんど効果をあげていない。胡耀邦趙紫陽のあの改革へのチャレンジ精神いまいちど、思い返すべきだろう。

特に胡耀邦清廉潔白なことでも知られていた。昨年4月、人民日報温家宝首相執筆した、胡耀邦評価する論文掲載している。その中で温首相は、「70歳を過ぎた胡耀邦が、食事睡眠時間も惜しんで人々の暮らしぶりを知ろうと、対話などに努めた」と胡耀邦地方視察に同行した時の思い出を披露している。暖房が効かない宿舎に泊まって風邪をひき、高熱を出したが、それでも仕事を続けたという。胡耀邦がいま存命ならば、腐敗・汚職蔓延している最近中国政治に何と言うだろうか。

ふじむら・たかよし 1944年生まれ 67年日本経済新聞入社 北京特派員 論説委員などを経て2000年退社 現在 拓殖大学国際学部教授 著書に『老いはじめた中国』(アスキー新書)『中国の世紀 鍵にぎる三峡ダム西部大開発』(中央経済社)など

2022-06-30

中抜きの件の何が問題

これ、もちろん以下の問題もあるけど、

・末端にいくほど低賃金となりスキル的・モラル的に人材レベルが低下する

・末端にいくほど人材の正体が不明になる、中国人スパイとかがエンドユーザ企業情報抜き放題

しろこっちのほうが問題だと思ってる。

簡単不労所得やすいということで、中抜き企業モラルのない反社会的勢力跋扈やすい。新電力MVNOと同じ。(これらは淘汰されたが)

・上流請けに入ったら入ったで、無駄工数を積み上げて請求することに慣れ、社会的に無価値人材になる、あるいは詐欺的な人材になる

・以上まとめて日本精神性低下・国力低下につながる

たぶんバブル期ジャパンバッシング時代政治的にしくまれものだと思うので、すぐには改善できないだろうけど、

ウクライナ戦争や中国一帯一路債務の罠・サイレントインベージョンという危機が目前に迫っている中、

見過ごすことはできない問題だと思う。

G7・クアッド・IPEF・PGIIでも経済力地域力として日本重要役割を担っているので、

このような古い悪弊は一掃することで、持続的な世界貢献ができると思う。

2022-05-26

今週号のジャンプマガジンに堂々と「児童ポルノ」が掲載された件

今週号の週刊少年ジャンプおよび週刊少年マガジンを読んで驚いた。

堂々と児童ポルノ掲載されていたからだ。

と言っても、読者のほとんどはそれが児童ポルノだと気づいていないかも知れない。

普段日本漫画表現の歪みを侃々諤々しているネットリベラルですら同じである可能性が高い。

何故なら、それが「男児の裸体」だったからだ。

 

この「男児ポルノ」が今週号のマガジンジャンプに同時に掲載されたのは示唆的だ。

何故なら、これこそ昨今のポリコレを求める声に日本漫画編集部なりに答えた結果だと考えられるからだ。

今、少年漫画誌では女性の裸体は乳首ひとつ出せない状況に既になっている。

それは明らかに世間性的表現規制を求める声に答える形で起こった変化であり、日本漫画業界は「怒られない本作り」を明確に指向している。

からこそ、今回こういう形で「男(”LGBTQ”)ならいいんだろ」という歪んだ認識の片鱗が垣間見たことは大きな問題を孕んでいる。

 

何よりの問題は、この歪んだ認識は「遅れた日本漫画業界」に限った話ではない可能性が非常に高いことだ。

この「男児ポルノ」は、間違いなく表現問題普段声高に訴える「リベラル」「フェミニスト方面からの叩きも弱くなるだろう。

しろ、一切何の問題とも捉えられず、完全に無視される可能性が一番高い。

これらの中心層がフェミニストであり、北原みのりのような「男性性的搾取カウンターとして肯定される」という思想をそれが男児であろうと適用するだろうからだ。

これは、彼らが普段自分たちモデルのようにうそぶく欧米価値観とは実は全く違う。

 

欧米では」児童ポルノ問題視に、それが男児である女児であるかを問わない。

ここで守られるべき弱者とされるのは児童なのであり、子供を守ることに性別関係いからだ。

今回両誌に掲載された男児の裸体は明らかに性的に強調されたもので、「欧米なら」児童ポルノ認識されることは間違いない。

しかし、日本においては、欧米ポリコレ理解しているつもりの層ですら、これをスルーする可能性が高い。

繰り返すが、これが欧米の厳しい基準では完全に「児童ポルノ」と認識されるレベル性的表現であるにも関わらず、だ。

 

ひとつ問題が指摘されると、それを改めることが出来ないのみならず、歪んだ解釈であさっての方向に問題悪化させる日本社会の悪弊に、またひとつとんでもない事例が生まれようとしているのを感じた。

2022-02-12

ひろゆきさんみたいに詐欺個人情報ぶっこ抜きを20年続けて悪弊を稼いで、

芸能人の仲間入りしたくなったか質問自分で用意してそれに応えて切り抜き動画です~(再生数いじり)みたいな詐欺

「何者かになったおっさんです」ってのは違うと思う

2022-01-27

anond:20220127133753

実にシンプルな話で、個人主観を表明するということにかけては、自由にやればいいんですよ。好きでも嫌いでも、批判でも称賛でも、快でも不快でも。

『ただし、』というのがこの話の全てであって、

例えば宇崎ちゃんや戸定梨香が社会的に悪、つまり性犯罪を誘発するだの性差別助長するだのと主張するなら、当然そのエビデンスを示しやがれと全力で反論されますよということだ。

で、話がそこに至ると沈黙し、代わりに出てくるのがTPO論だ。

TPO論はあくま二次的な議論に過ぎない。その前にする話があるだろうが、という点で。

自身不快感に過ぎない感情について、性差別を匂わすような理路で正義マウントを取る悪弊を、今すぐやめるべきなのだ

それは広告キャラクター社会に与える影響などよりはるかに深刻な、自由権の侵害だ。

2021-11-19

妊娠出産男性性の象徴

anond:20211119212031

ああこの人達、みんな。

みんな、フェミニズムの教えを大切にしていることがわかる。

出産こそが家父長制社会悪弊の最たるものだろう。

フェミニズムにとって経産婦とは、女性であるにも関わらず男に日和って性資源を与えてしまった名誉男性といったところだろう。

2021-10-01

anond:20211001115353

ある程度わかる

結局カルトに替わる「コントロール可能マイルドカルト」みたいなの構築しないと

持続可能社会にならない

ボトムアップで小さな社会構築するって案もあったけど今全然うまくいってないだろ

PTAですらみんなに押しつけあってるんだぜ

町内会みたいなの復権してトップから締めないとダメ

 

[追記」 

https://anond.hatelabo.jp/20211001115539

こっちのツリーでも似たような話してる

結局カルトがいい悪いって話ではなく

リベラリズム価値観ではカバーできない社会機能があって

それを昭和悪弊と言って全部とっぱらった結果カルトしか補填できるものがなくなったという話だと思う

2021-09-16

アマゾン講談社直接取引とのことだが

まあ取次システム悪弊だとしても、歴史的にそういう経緯があったわけでそれ自体ニュートラル事象である

それよりも先日オリンピック写真集衝動買いしてしまったがさっそく場所を取ってうざいのでPDFにしたいところだが、こういう人間が増えてるから本は売れなくなるのだろうな

2021-08-17

京大佐藤ナニガシって教授

左派新聞記事で、今次の東京五輪批判的に論評してて、

「考え方の異なる他者を想定しない日本社会悪弊」の一環として、

「だれが決めたのかは知りませんが、違和感が残りました」つーて入場行進が「あいうえお順」だったのを批判してたんですよ。

なーーーにぃ!やっちまったなぁ!!

それ、即座におまえさんにブーメランだぞw というか、投げようとして振りかぶったら間違って自分の後頭部にぶっ刺したくらいの感じやぞww

西欧ローマンアルファベットを使う文化ばっかりじゃなくて、世界はいろんな文字体系、ソート順の考え方があるんやで、みんなで理解し会おうな!っていう趣旨で、毎度開催地一般的言語による並び順で入場することになってるの、知らんのか?学者ってバカやなぁw

2021-07-24

anond:20210723225938

UhoNiceGuy ネトウヨで一応、自民支持だけど、テレビ持ってない。増田はこれで成功でいいの? これはひどい オリンピック

EmanuelWilfer 以前からテレビなしで生活してて開会式の時もYoutube観ながら他の作業してたけど、Twitterタイムラインは「感動した」「泣いた」と大盛りあがりで自分バカみたく思えてきた。

onigoy 自分が左かはともかくテレビないので観てない…😔🐻 あとで読む

このへんのテレビ持ってないアピールって2ch文化悪弊だよな。NHKプラス無料配信されてるのに、、、

2021-07-18

自粛破りの居酒屋コロナ患者の大増殖源になっていたことはもはや

疑いようのない現実なわけで、

そんな居酒屋に入り浸っていた連中が医療崩壊で根こそぎ死に絶えることで社会悪弊改善されないかなと期待している

巻き添えで犠牲者が出るのはまあ戦争と同じだ

2021-05-13

anond:20210512221825

んなこたーねー。リベラルって言うのはそもそも民衆が旧来の制度権力による束縛から解き放たれて寡占されていた自由を分け持つべき、という考えだが、節度必要というスタンスだ。

まり公共の福祉に反しない限り、って奴だ。

それに対してネオリベネオリベたる所以はその節度すら忌避するところにあり、自分の影響力が大きいときに「受け持つべ社会的役割」を模索合理的範囲落ち着け義務無視するというのが特徴だ。

まりネオリベとはリベラル内包する社会継続性に貢献する義務すらも「旧来の悪弊」とうそぶいて攻撃する奴のことだ。フェミニズムがどっちなのかは…、人次第としか言いようがないな…一人一派らしいし。

2021-04-13

anond:20210413125606

論点ずらしする前に

指摘されたところに答えろよな

まじでこの悪弊はどうにかならんのかね

2021-04-09

anond:20210409171219

あと、これは役所特有繁文縟礼(はんぶんじょくれい文化だと思うのだが、

文書を複雑にすればするほど仕事をした気になってしまうという悪弊がある。

たとえばマイナンバーサイト確定申告サイトなんか、

昔よりはシンプル説明しようとしているものの、結局2回も3回もページ遷移して、PDFにたどりつくw

まりアホとしかいえないのだが、製作者もアホらしいと思いながら作ってるんだろうなあと。

ICカードリーダーみたいな利権も発生しているし。

シンプルにしてしまうのは悪だ、みたいな文化があるのが日本の弱さだね。

2021-02-11

擁護にともなうリスクと論争の加熱に勝手ビビる

森元氏の発言及びその謝罪会見が袋叩きにされている一方、色々とアクロバティックな擁護も出てきて、基本的に「はあ? 何言ってんだよ?」という感じではあるんだけど、もうちょっと微妙気持ちの悪い感覚があるので整理しておく。

以下は意訳なんだけど、

・「確かに発言のもの問題、その反省を込めて、だからこそ現在の職責を全うしてほしい」

・「自責の念が強すぎて、むしろあいう感じの会見になってしまった」

・「そもそも、当該の発言批判されているのはマスメディアの切り取りが原因で、ちゃんと全文を読めば森元氏はむしろ女性活躍に期待している」

…という感じで、どれだけ多次元的な擁護理屈をひねり出せるか、未知の競技芸術点を争って火花を散らす。

どこかのバカトンチンカンなことを言い始めたときたまたまそいつ権力を持っていたりすると周辺が頑張って支援しようとすること、それ自体はどの共同体でもあるんだけど、今回のケースで特に気持ちが悪いな、と思ったのは、なんていうか、擁護してる人たちに発言リスクを取ってる自覚全然感じられないことだな、と俺は思った。

つの発言に対する基本的な反応が批判的なトーンで形成されているとき、逆に支持を表明することはいわば逆張りなわけで、自分にも延焼するリスクがあるわけじゃんな。っていうか、俺なんか小心者だから多数派同意見です、って口をそろえるときでさえ「でも、本当にこっちが正しいってことでいいのかね?」とかって不安になったりするんだけど、まあ置いといて、とにかくマイノリティに乗っかることには、本来危険が伴う。

じゃあ、今回森元氏を擁護していた人たちにその危険を冒している覚悟がうかがえたか、っていうと、あんまりそういう感じもしないんだよな。「まああいつら、まともじゃねえもんな」っていう色眼鏡ガッツリかかってるんだけど、それだけじゃなく、擁護って選択肢普通に合理的判断として成立してるっぽい。「ここはしっぽ振っといて全然パイでしょ」的な感がある。

これは「(私の立場的には)ここはしっぽ振っといて全然パイでしょ」と補足されるんだろう。政治的にはそりゃそういう判断もあるだろうけど、極論さ、「数字の2は偶数だけど(私の立場的には)奇数です」ってことはないわけじゃない。今回の件って、ある意味森元氏本人の発言以上に周縁部の度が過ぎてるというか、言論って空間において、逆張りするのがそんなノーリスクでいいんか、と俺はシンプルに驚いた。

まあ、会長は辞意を表明されたので、その辺の合理性判断も実際に正しかたかどうかはまだわからないんだけど、例えば客船が航海中に大洋のど真ん中で船体に大穴が空いて物理的にはこれから沈みます、ってとき普通は真っ先に脱出しようとするんだけど、「いや、大穴が空いたからこそ頑張って航海を続けてほしい」って船室で言い張ってたやつがいて、そしたら船が奇跡的にそのまま進んじゃって…みたいなことが、計られつつあった(というか、今回は無理かもしれないが、似たようなことはこれまで何回か起きていた)としたら、なんかすげえな、と思った。

良識ってやつはたぶん、「いや、あの発言普通にクソだぞ」ってことをずっと言い続けないといけないわけで、大変だけど大事だよなあ、と思う。

非難というカウンターがないと、奇態な理屈でこねられた擁護ってなんとなく霧散してうやむやになるんだろう。だから、「お前あんときこんなこと言ってたよな。そのケツ拭いてから死ねよ」ってのは前提として大事なんだけど、ここから全然話が変わるんだが、それはそれですげえ怖いことだな、って感じもするんだわ。

それは、健全性をこの社会にもたらすってことの裏表として、悪辣言動を割りの合わないものにする、非合理的行為として定着させることがあるからで、それが達成されるまで、いわば双方で自分の主張に対する賭け金を釣り上げ続けてる状態突入するわけじゃんな。今回の事例は、(俺の眼には)「健全性」対「時代錯誤調子っこきのジイサン&とりあえず擁護しとけば最後は結局得になるでしょサポーター」って構図に見える。今回はたぶん後者が降参するだろうし、その方がいい。でも、将来的には別の局面で、「おいバカ」「なんだバカ」って言い合ってる状態になって、お互い自分合理的だと思ってるわけで、それがどっちかが血反吐はいて「すいません、もう勝負続ける体力がありません」って土下座するまで続くのかよ、と思うと、それもすげえな、と思う。

いや、なんで体力切れ前提なんだよ、そうじゃなくて純粋客観的大義が達成されて悪弊が倒されるんだよ、って反論もあるだろうし俺もその方がいいと思うけど、なんかそう前進的な事例ばっかりでもないっていうか、なんか、最後のゴール地点に到達するまで、どれだけ精神上の流血があるんだよ、と思うと勝手結構げんなりする。ぶっちゃけ、今回の事例は問題として解法がちょろい方だよな、これ以上の難問、対立人間の知性は解けるのかな、その論争に参戦するのってお互いに言葉でしばき合うより良いことなのかな、とか思っちゃう

たぶん、俺みたいな「この世に正しさはもたらされるべきだけど僕は疲れるのも自分が誤答するのもイヤなので何もしません!」みたいな連中に負けずに戦ってきた人たちの手で、普通選挙とか女性参政権とかアパルトヘイト廃絶運動とか成されてきたんだろう。後から「お、なんか世の中平等になってんじゃん。すげーな」とか言ってフリーライドしてる立場なので申し訳ないな、ってのと、でも疲れたくねえしな、ってのがいま一人の市民として結構あるな、というのが今回の森元氏の件で思った。

2020-12-16

anond:20201215164115

「f84w1dqd60j 漫画家でもアニメーターでもYouTuberでも、黎明期若いしかいないのは当たり前では?」

というブコメがあるけど、今のゲーム業界と昔のゲーム業界の大きな違いのひとつとして、1本のソフトの開発期間が長くなり、そのために若手が場数を踏めないっていう問題があるんだよね。

昔で言えば、大卒1年目で有名作に新人プランナーとして関わり、2~3年目で続編作でメインプランナー役割を持たされ、4年目でいよいよ新規タイトルディレクター任される、みたいなキャリアパス存在した。

今は下手すりゃ1本のゲームの開発にかかりっきりのうちに4年が経過する。これでは試行錯誤もできないし、失敗もできない。

外山氏:(略)ただ、当時はバッターボックスに立って空振りしても、せいぜい数千万円の赤字で済んだんです。ここが難しいところで、今や開発費は億単位以上です。億レベル赤字を許容してバッターボックスに立たせるのは、だいぶ勇気がいる行為ですよ。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/170828

でもこればかりは、業界悪弊だとか、上が詰まってるとかじゃなく、ゲーム自体ボリュームがめちゃくちゃ増え、グラフィックもめちゃくちゃリッチになり、それに伴って工数が増しているのだから仕方がない。

大手だとスマホゲームの開発で経験を積ませたりできるみたいだ(聖剣3リメイク版のメインスタッフが以前はスマホゲームやってたスタッフらしい)。

2020-05-24

anond:20200523213620

10年くらい前のLAW & ORDERで題材にされた悪弊が、国は違えどまんまリアリティーショーにこべりついてるんだもの

もうリアリティーショー番組リアリティーショーでもやって自分たちネタしろ

視聴率バトルとか制作費バトルとかで

2020-04-19

anond:20200419083028

「下」でいるなら別に勉強しなくてもいいんだけど、

「上」にいる奴まで勉強もしない。俺様つえーをやりたい。というのを野放ししたのが腐った儒教

儒教論語でなくてもいいけど、それならマネジメント論を勉強しろと言いたい。だが、それもやらない。

そして上に行くにあたってマネジメント論も、上が下を思いやるという仁も考えていない。

上が自分をおだててくれたり、下を統率する能力関係なしに成果を上げたやつを引き上げた結果。成果主義論の悪弊でもあるかもね。

功には禄を、徳には地位をという西郷隆盛言葉もあるが、下を労い適切にマネジメントする能力がないやつも引き上げた結果でもあろう。

「下は上に従え」だけが残ってるのが日本

上が下を率いるにはどうすればいいか?が完全にないまま昇進しているからこその「体育会系」の「腐った儒教」だよ。

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