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はてなキーワード: 再開発とは

2024-04-25

アーバンネットワークって最近言わなくなってきているよな

民営化後のJR西日本によって名付けられた、近畿地方一帯を走るJR線路網の名称であるアーバンネットワーク

大阪神戸京都の三つの都市間を結ぶ神戸線・京都線を基軸に、奈良和歌山福知山などとをつなぐ路線路線図のことである

しかし2010年代くらいから、このアーバンネットワークという名称をあまり聞かなくなった。

京都大阪神戸分散体制から大阪一極集中体制になっていることが要因であろうか。

2011年に大阪駅がリニューアルし、2012年に阪急百貨店梅田本店が建て替えられたあたりからアーバンネットワーク愛称が消えたと思う。

それ以来、JR西日本大阪(というより梅田)にすべての経営資源を集中させているフシがある。

これに触発されて、阪急百貨店本店阪神百貨店本店は全館建て替えを行い、ヨドバシカメラ梅田も増床・増築した。

今年2024年は、梅田貨物ヤード跡地の再開発であるグラングリーンも完成する。

今までは神戸京都もいいところがあったが、今は大阪駅(梅田)に行けば全部事足りる時代になってきている。

ますます近畿圏内の大阪一極集中が加速しているのではないか

2024-04-22

東京が嫌いだけど、仕事関係上仕方なしに東京に住んでいるので、再開発東京がダサくてつまらない街になっていくのを見るのすげー楽しい

こないだ麻布台ヒルズに行ったんだけど、店はつまらないしテナントほとんどはいってなくてシャッター状態でまさしく外見は立派だけど中身が伴ってない「ハコモノ」って感じでまるで地方都市の「金かけたけど無駄になった」建物をみているようですげー癒やされる

2024-04-21

寂れていくのか、もう寂れているのか

うちの近所の駅前一等地

そこに古い大きいビルがいくつかあって、大きいといっても古いか高層ビルじゃないんだけど、横幅はなかなかあった

それらが取り壊されて、どうなるかと見守っていたら、平場の駐車場なるみたい。

この面積を使って、駐車場!?

見渡しはいいよ。駅から降りて広々開けて見えるのはいい。だけど5階以上ありそうだった旧ビルと比べて縦の密度の落差が凄い。もったいなく感じちゃう

そしてそんな広めな駐車場が出来て、どこへ行くのかというと、別に周りに目玉になるような施設はない。

少し大きなライフとか市民ホールはあるが、それらは自前で十分な駐車場を持っている。それ以外で言うと古臭いずっとあるチェーン店飲食店ぐらいしか残っていない。繁華街オフィス街とはとても言えない。住宅街とも言えない微妙さ。

大規模な再開発が残りの跡地含め予定されているのか。いや希望的観測はよそう。きっとまともな建物を建てる魅力さえなく、どうせ遊ばせるならという消極的理由での駐車場だろう。

新しい大型建築が出来なくて寂れていくのか、寂れているから新しい大型建築が出来なかったのか。

新規駐車場とは収容オーバー改善策か、地域の墓標か。

自分ではどっちか決めてかかってるけれど…。

整地中はイベント会場として食べ物フェアをやったりしてたそうだけど、駐車場になったあともそういった活用ができるのだろうか?

早朝、開けた広場を前にすると、わずかに残った春の寒気が心を冷やすのだ。

2024-04-15

最近どこの再開発を見ても「木を切るな」というムーブメントが起こってる。

でも街路樹は植え替え全体だし、本来なら病変や衰退によって危険性が生じる前に植え替えるべきだし、そもそも木の健康を考えたら街中にある事がもはや虐待レベルだよ。

あと街路樹を守ろうとするよりも国産材を使った方が地球環境に貢献できるし緑を守ることにも繋がるよ。

って事を誰か分かりやすくまとめてくれ。俺はそういうの無理だから

でもこのまま見過ごしてるとやがて先鋭化して樹木信仰する宗教みたいになってしまいそうで怖いんだ。

2024-04-14

関東において千葉が最もクソである

仕事の都合上関東圏を中心に引っ越し生活してきたが

断言しよう

千葉がクソ、本当に糞、マジで糞、ゴミ

はい、こんな知性のない暴言聞く耳をもたくなった方もいるかもしれませんがそう言いたくなるくらいにはクソなんです

狭い道幅、急な勾配、少ない商業施設、少ない飲食店、その割に多い宗教施設精神病院

千葉駅中心の再開発が進んでると聞くが何故か最初からあった大型家電店舗の隣に別の家電店舗を建てる、どこにでもあるようなチェーン店を入れるコンビニはすでにあるのに新しく近い場所に何店舗も作る

飲食店においてコスパの悪さは以上、どこも割高、昔ながらの店が少ない、潰されるのかね知らんけど

毎日毎日ストレスが凄い

新生活始まってもう遅いかもだけど千葉だけはやめとけ本当に

他の県でも不便だなと思う時はあったけどそれ以上に良いところがあってストレスなんてたまらなかった

住んでるだけでストレスたまるって何?

賃貸もクソ、ファミリー物件ばかりで一人暮らし物件が異常に少ない、業者も平気で人を騙す、目つきも怖い

2024-04-06

坂本龍一神宮再開発に抗議の自殺をすべきだった

薬断ちとかでもいいよ

デモなんてただのオナニーじゃん

ベトナム焼身自殺してアメリカに勝った

米軍基地への抗議もこれくらいの覚悟でやれよ

2024-04-03

東京観光の備忘 2024年4月

事前準備

羽田空港

東京駅

秋葉原

東京スカイツリー

浅草寺

日本橋

銀座

首都高ドライブ

上野公園

上野動物園

  • 開園と同時にパンダを見に行くべき
    • パンダは一番人気で40分ぐらい並ぶ
    • パンダは展示が2ヶ所あり奥側のパンダは人が並ばないためすぐに見れる
  • 食堂があまり多くないため昼食時は混みがち

築地場外市場

中野

西新宿五丁目

新宿

東京都庁

原宿

渋谷

明治神宮

全体的な移動について

体力的な話

2024-03-27

横浜駅ってもう工事してなくない?

[B! 建築] サグラダ・ファミリア聖堂、2026年ついに完成 スペイン

サグラダ・ファミリア完成で何人ものブクマカ横浜駅を引き合いに出してる(そしてそのブコメスターつけてる)けど、横浜駅工事なんてとっくに終わってるでしょ

もしかしてみなとみらいのあたりを再開発してるのまで横浜駅工事に入れてんの?

2024-03-26

anond:20240326160707

そして分譲マンションとして売るので、ほとんどのデベロッパーは、事業を圧迫しないように最低限確保した公開空地を公園のように整備することが多い。何かい雰囲気になるからね。これは野村に限った話ではないっすね。そして一方で「いい感じの公園っぽくする」のは住友不動産にだけは当てはまらない。住友のタワマンの足元は本当に管理がしやすそう(で無味乾燥)、そういうのが好きな人もいるよな!管理費も節約できそうな気がする!

タワマンはまあいい(というかやむを得ない)としても、タワマンを好んで入居してくる層が問題なんだよなあ。

マンションの外観と内装のかっこよさ」「いい感じの公園っぽいものとそこでベビーカーを押す私」にしか興味ないです。

街とかどうでもいいですどうせ公園イオンファミレスしかいかないし。

という層が大挙して入居してくる。デベロッパーもそういう層にウケればいいという思想再開発する。そうして街が死ぬ

東京 練馬区石神井公園駅前の再開発 異例の執行停止のなぜ?』 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240325a.html

この記事の反応で、ちょっと補足をしたくなったので。

異例の執行停止見出しにあるが確かに類似する都の都市計画上の手続きだと、昨今一番の話題になった某外苑再開発でも、イコモスなどに怒られていても差し止めにはなっていないので、これは相当異例。

練馬区サイトを見ると粛々と淡々スケジュールがこなされているのが分かる(https://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/machi/kakuchiiki/shakujii/saikaihatu.html)。ここまで(借地権の申告:ここで再開発をするので借地を持ってる権利者は早く言ってね保障するから)来て、土地の明け渡し(土地の所有者が再開発に伴いいったん土地を売却し移転する)を差し止める事案は個人的には初めて聞いた。

一般的には、あらかじめ決められている都市計画建蔽率とか容積率とか住宅専用地域とかそういうやつ、国と地方自治体が決めてる)を超えて特例的な建物タワーマンションとか馬鹿デカビルとか、通常の規定以上にデカく建てて儲けようとする建物)を建てる場合

地元意見集約→再開発しよう!と結束

区議会検討議会承認下りたぞ!

東京都の「都市計画審議会」という会議→何度か冷や汗の出る質疑を乗り越えて

承認下りたら、事業

と、いくつかの関門を経ないと建てられない(ものすごくざっくりとした説明)。デカ建物を建てるためには誰もが通る道。

で、この一番最初の「地元意見集約」がないと、行政は当然すべての再開発事業OK絶対に出せない。民間人が所有する不動産行政勝手に動かすことは基本出来ないから。例えば木造住宅が密集してて道路が狭くて救急車も入れないようなところを再開発したいよなぁと考えていたとしても無理。なのでこの1「地元意見集約」がとても大きな要素になる。

そしてこの「集約する」仕事は、多くの場合ゼネコンデベロッパーなど「ここにタワマン建てて儲けたいでゲス」という目的がある人たちが行う。

建前はあくまでも地元住民地権者から相談を受けて、という形だが、あけすけに言えば、何十人もいる地権者マイルドに立ち退きさせる仕事だ。平成以降の地上げ昭和のころのように放火してなんてことはしない。毎日街のバーサンの家に茶飲み話をしに行ったり、商店会の「有志の会」とか「〇〇町の未来を考える会」なんて名前になりがちの再開発推進派のオッサンジーサンどもと夜な夜な地元スナックで飲み明かしたりして、誰が反対しそうか、どうやったら立ち退いてくれそうかなどを探りながら、数年をかけて『地元住民意見を集約する』ということをやってる。これを綿密にねちねちと、時にはお金を使ったり(金で移転してくれる人は割とかなり多い)して、ぺんぺん草も生えないほどに賛成派を取りまとめることで「再開発準備組合」という、再開発の準備をするための組合ができる。組合員は地元地権者、つまり今まで懐柔してきたオッサンオバハン、ジーサンバーサンなどで、「再開発成功させて無事にみんなで儲けよう」というSameBoatのメンバーになる。

通常、東京都や首都圏の好立地の場合は、地権者再開発中の住まい保障なども含めて一銭も金を出さないことがほとんど。地権者自分がもともと持っていた土地差し出して、その代わりに、再開発間中生活再開発後の開発利益の一部(建物の中の新しい店舗だったり、タワマンに建て替わった新居だったり)を手に入れる。

あくまでも邪推だが、今回は、このSameBoatに乗りたくなかった地権者か、再開発不利益を被る可能性がある周辺の関係者(でかい建物が建つのから周辺環境は一変する)が複数いた可能性があるのかなと思う、まぁ邪推ですけども。

不利益を被るかもしれない周辺住民関係者(店やってる人とかね)」は実は、真っ先に懐柔しておくべきキーパーソンなのだが、この手順で業者が雑な仕事をしたんだろうなと思う。私見だが、N村不動産はこういうところがかなり下手というか雑というか、無視する傾向がある。まぁN村が合意形成にかかわってたのかは全然からないので本当に邪推しかないですが、当該の再開発予定地の周りにすでに恐らく同様の再開発スキームで建てたプラウドタワーが立っているので「行けるっしょ」ってなったのかもね。まぁ分からんけど、知らんけど。

ちなみにこのプラウドタワーは恐らく建物高さ90mぐらいじゃないかと思うのだが、NHK記事掲載されている完成予想パースの、当該建物左側に白でごくうーっすらと半透明に描かれている建物がそれにあたると思う。こういうズルいことをするのがデベロッパーである。ちな建物右側に白でごくうーっすらと描かれてるのはやはり再開発マンション「エミリ石神井公園」で恐らく建物高さ50m程度。石神井公園駅前にこんなに青空が広がってるわけがいから!

で、近年に再開発された両隣のタワマンの高さが恐らく90m、50m程度なので、「なんで100mをOKしてんだよ」とツッコミは入るよなとは思う。

まぁ、10数年前にできたプラウドタワー石神井公園よりも高く積まないと今の高騰する事業環境では採算が取れないんだろうなーと予想はできるので、そう言えば裁判で戦えたんじゃとと思うんだけどね。都市計画審議会でそういう言及でもあったら「だってその高さにしないと事業ができません、事業ができないと困る地権者もいるし道の整備もできません」と言えたと思うんだけどなー。さすがに都市計画審議会議事録を見るのは面倒なので、これもあくまでも邪推

で、ブコメにいくつかコメントをしたい。

「街のにぎわいを棄損してる」これは一面では本当にそうなんだけど、一方で、現地を知ってる人やGoogleMapを見た人ならわかると思うが当該地は正直、再開発した方が良い場所ではあると思う。

このあたりとか見るとなぁ。https://maps.app.goo.gl/oacM7JfmgrEmFjsw9 ブッコメにも「まなマート返してくれよ」とあるが、まなマートの辺りとかうっかり火事が出たら大惨事は免れないと思う。私もこういう地元密着スーパー大好物ではあるので気持ちは痛いほどわかるが。特に既に南でも北でも再開発マンションが建ってる石神井公園周辺では最後オアシスのような路地ではあるので本当に惜しい、が、地震火事リスク…。

でも味のある路地と古くからある店がなくなるのは、増田としてもとても寂しいことだよなとは思う(だからこそとても丁寧に反対意見が出ないほどに、広めに地元の人たちと話をする必要があるのだが。これを気合を入れてやったのが小田急下北沢再開発)。

優遇しすぎな面」

計算してないかわからんが、図書館公共用途)、もともとあった区道建物を貫いて再保存しているところから公共用途への供出がそこそこあるプロジェクトのようである。(https://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/machi/kakuchiiki/shakujii/saikaihatu.files/jigyoukeikakusyo-2.pdf)そのせいで、ある程度補助金が手厚いのでは、と思う。事業費や公共床の比率などで補助金額には色々制限があるので、この件だけが手厚いということはないのでは…。むしろそうだとしたら大問題だが恐らくそれはないんじゃないかな(適当な言いきり)。

野村不動産なら割と空間に余裕のある良い建物建てそう」

それは広告イメージ戦略に乗せられておりますな。タワーマンション容積率制限の緩和を受けてはじめて建てることが出来る。その代わりに一定計算式のもとに地面部分に「公開空地」を設けることが法律で決められていて、どのデベロッパーもその最低限度しか公開空地は用意しない。「建物を建てられる面積」は少しでも確保したい、タワー型ならなおさらである規制より多く空地を設けるのはデベロッパー業界ではほぼ有りえない。

そして分譲マンションとして売るので、ほとんどのデベロッパーは、事業を圧迫しないように最低限確保した公開空地を公園のように整備することが多い。何かい雰囲気になるからね。これは野村に限った話ではないっすね。そして一方で「いい感じの公園っぽくする」のは住友不動産にだけは当てはまらない。住友のタワマンの足元は本当に管理がしやすそう(で無味乾燥)、そういうのが好きな人もいるよな!管理費も節約できそうな気がする!

ちなみにこの「高いビルやタワマンの足元まわりの公園状のなにか」=公開空地は、「みんなが憩える空間を整備した代わりに容積を許してやったぞ」という空き地なので、みんなどんどん散歩したり休憩したりしようぜ!

地域を作り替えたい業と地元民として街を守りたい業のせめぎ合い」

このブコメは本当に言いえて妙。上にだらだらと書いたが、「街を守りたい業」の人もいる。この手の件は共産党は必ず絶対に反対に回る、が、本件は商店会の偉い人が表に出てるので共産党とはちょっと違う筋なんじゃないかニャーという気はする、知らんけど。

政治的な話は置いておいても再開発エリアの線引きに入れなくて損した気がする人が反対、なんてのは普通にあるある。どっちも商店会メンバーでどっちもJCにも消防団にも入ってて、それで大ゲンカして大変、とかね。

2024-03-22

[] クリエイティブ仕事AIに取って代わられると喚く人たちって

"クリエイティブ仕事"が何をしているか知らないんだろうな。

[[GDC 2024]「サイバーパンク2077」の街づくり現実都市計画と変わらない。“生きている街”ナイトティはいかにして作られたのか](https://www.4gamer.net/games/189/G018964/20240320011/)

一般的な街」を作るには街の成り立ちや構造研究しなければならない。Google Mapコピーペーストでは,リアルな街を移せるわけではないのだ。

実際の都市構成都市計画を参照することで,完全にオリジナルだが本当にあるかのような街のリアルが生まれさらにそこに暮らす人たちの生活現実味が高まっていくというわけだ。

 まず新たな世界(街)を作り上げるには,起源歴史社会構造派閥政治経済をしっかり理解したうえで進めなければならない。そのためには信ぴょう性が高く,現実のような論理があり,確立されたルール必要だ。

人口分布図や電力地図,各地のギャングや団体の勢力図も用意し,街区特性表現建築物にはそれぞれ脱構築,荒廃,破壊の跡,再開発といった特徴を与え,そこに住む人たちがイメージできる街の風景が作られていく。

2024-03-19

本当に千葉東京ベッドタウンでいいのか

千葉とあるターミナル駅に住んでるが、とにかく朝と夕方外人がいない

昼間歩いてるのは少しのお年寄りわずかな赤ちゃん連れだけである

夕方になれば学生さんで多少賑わうが、それまでは人がいなさすぎて本当に中核市の中心都市か?と思う

当然そんな感じだから、平日昼の客がいなさすぎて、街にあった飲食街は土地の高さに耐えられず潰れてゆく

狭い土地でなんとか商売できて回転率がいいラーメン屋けが残る

客単価をあげざるを得ないため、人が多い地域にも関わらず食べログの点数は低めな店ばかりである

それだけ人がいても、土地に金吸われてお金がないファミリー層と、古くから地主高齢者ばかりなので、賑わってるのはディスカウントスーパーサイゼリアなどの激安店のみである

なあ、本当に東京ベッドタウン目指すの正解なのか?

また駅近タワーマンションが建つらしいが建築費ペイできるだけの金額出せるやつは千葉なんかに住まねえぞ?みんな都内選ぶぞ

下手したら市も赤なんじゃねーの?

なんでターミナル駅なのに賑わいを創出する必要があるととか再開発計画に書かれてるんですかねえと思う

埼玉川口とか神奈川町田厚木の栄え方を見るとどうしてこうなった感が強い

成田闘争の影響もでかいんだろうけどさ…

2024-03-18

川口駅に関してほんのちょっとだけ語る その2

その一 https://anond.hatelabo.jp/20240318182037

 

 

地下街があった

東口の地下に何やら変な駐輪場があるのだが、実はこれは1990年までは地下街であったのだ。出来たのは1960年代のはず。

天井低くてしょぼいし店舗も狭いし店も昭和中期っぽくて古いしで、テコ入れされないままに90年に廃止

というのも、90年にそごうが出来る事になったので、橋上駅の高さのままにデパートに入れるペデストリアンデッキを築造し、地下じゃなくて上の方で発展させる方向になったのやね。

で、駅の真ん前のデッキの基礎を建てるには地下街通路邪魔。って事で、通路を閉鎖してデッキ基礎が貫通する形になった。残りの部分は店舗仕切りなどを取っ払って駐輪場へ。

なので一部閉鎖区画があって鉄板や木の板で塞がれているのだ。増田はここにどうにかして侵入できないかを昔から考えているのであった。

 

川口の乗越線と三菱重工爆破事件関係あるって?

ちょっとあるよ。

本来東アジア反日武装戦線「狼」はお召列車爆破と昭和天皇暗殺を狙っていた。場所東北本線貨物線荒川鉄橋。

1968年まで赤羽以北の東北本線は貨客混合の複線だったが、輸送力増強の為に複々線化されて貨客分離された。これでお召列車貨物線を走るようになった。原宿駅お召列車ホーム自体山手貨物線接続されているから。

そうすると、貨物線橋梁爆破しても一般人危害は与えないという事になる。そこで一味は爆弾設置の為に電線を設置しにいくが、人影があり、付近徘徊しているので恐れて中止した。

そこで目標を変更して三菱重工爆破事件に至ったというワケ。元の一般人への危害回避はどこに行ったんだ。川口の乗越線はやっぱりこの貨客分離が元だから関係があると言えば関係がある。

wikipediaの虹作戦の項には「爆弾を仕掛けようとしたのは旅客線」と書いてあるが、これは間違いじゃないかと思う。そこは間違えんだろうし、増田が聞いていた話と違う。

 

そごうってどうなってんの?

東口駅前そごうそごう西武グループが売却してゴーストビルのままになってるが、三井が取得する見通しと、去年市議会で報告があった。三井という事はララガーデンかららなんとかとかららクロフトかになるのかと思われる。

しかデパートというのはハイコストハイリターンの業態に合わせた建物で、コストメチャクチャかかるんだな。それは冷暖房費やエレベーターエスカレータなどもそうだし、搬入口が狭くて外部の納品代行業者経由で整理して混載で搬入するのでないとパンクするっていうのもある。

から巨大ダイソー一棟貸しみたいなのなら行けるが、色んなテナントが入って納品代行は使わないっていうのは無理など、難点が多いのだ。

そもそもデパート損益分岐点って日商4000万円とかそういうレベルなんでショッピングモールなんかに入るテナント業態が合わないのだ。

からどうなんのかなと様子見。結局開店が流れちゃう可能性もあるね。

 

SLあおば通りってSL走ってたの?

SLあおば通りって道があって、ファミマSLあおば通り店っていうのもありhttps://maps.app.goo.gl/fWvvCmGbAjvhLPZw6 、道筋にはSLオブジェとかもある。

でもこれインチキなんだよね。ここに線路があった事ってないんだ。

アリオは元はビール工場で、そこと川口貨物駅の間にユニオンビール専用線という貨物線があった。でもその専用線は現線路に平行していてJR保線基地に使ってる。

そこでビール工場跡を再開発するにあたり、専用線跡を記念するオブジェを配置したい、でも専用線跡はJRが使ってる…って事で隣の道を指定しちゃったと思われるのね。こういうのは混乱の元だから止めて欲しいですな。

 

地下道入口付近に巨大石碑があるが読めん

あるね。https://maps.app.goo.gl/dGPVNnEXP6hMg3n26

植物の繁茂で全然読めないが、実は同じものが陸橋の西詰にあるよ。https://maps.app.goo.gl/GNdf7d4UP3eT9aYj7

石碑の内容は、整圃事業の謝辞だよ。戦争中にまだ農地ばかりだった駅付近一帯を碁盤目状に土地区画整理をして、その協力した地主達を名上げして感謝している。川口江戸から離れ鋳鉄で栄え舟運で製品を出荷してやがて鉄道が来て~という事を漢文で書いてある。

この区画整理を戦前にやっておいたせいで、戦後に鉄の民需が爆上がりした時に鋳鉄工場が大量に出来て鉄の街となったのだな。

 

また、最初の碑がある場所というのは実は大踏切があった場所だ。駅の方から来た道が斜めに線路群を渡り、対面の斜めの道に踏切で抜けていた。

でもこれは当然危ないわけで、昭和30年代に埼玉県荒川大宮間の踏切を全部立体交差にする工事をしたのだ。それでこの大踏切廃止になって代わりにこの北の川口陸橋が掛けられた。

因みにこの陸橋の開通セレモニーでは神主が来てお清めしから神主渡り初めをしているのが写真に残っている。

から王子から赤羽には踏切が幾つか残っているのにその北の大宮には踏切が無いのだ。

多分西詰の石碑は元は大踏切の反対側にあったのがこの時に移動されたのではと思う。

 

なんで川口はタワマンばかりなの?

そりゃ工業地帯を転換したからよ。

タワマンというのは住宅地には建てられないの。日影規制もあるし、日照権も主張できるからあとから訴訟になる。

でも商業地工業地ではそれらは主張できない。だから工業地帯から転換した地域はタワマンに最適というか、それ以外では建築が難しいの。

更にタワマンには建物の周りに公開空地を設けないとイケないのだが、「大規模な町工場」というのはこれで必要とされる広さに丁度いいのだ。

そういう訳で、川口にある〇〇製鉄、○○鋳造なんて名前会社は、多くがもう工場を持ってないか縮小して他所移転していて、不動産業メインの会社ばかりになってる。

日本初のタワマン川口元郷のエルザタワー32なんだけど、ここは日本ピストンリングというエンジン部品を造っていた会社工場だったところ。

因みにピストンリングは昔は鋳鉄を丸く繰り抜いたものが使われていた。鋳鉄には細かな穴が沢山あるのでここにオイルを保持して焼付き防止になっていたのだ。って事でやはり川口なので鋳鉄なのだ

 

東口にイート川口ってビルがあるが、パチンコ屋ばかりじゃね?

実はここは元は丸井だったのだ。丸井は0101って書くやろ?

その丸井が閉店になって共同所有になり、ビるの愛称を決めた。もとが0101だから1110って訳でシャレや。

 

その他川口面白いところある?

西口から徒歩7分くらいの所に飯塚氷川神社という神社がある。https://maps.app.goo.gl/fKh6qXTZGCNTYGRE9

ここだが、境内結構古い社務所があるのだが、なんとこの社務所選挙投票所指定されている。中は畳と板張りなんだが、そこに土足で入れるようにシートを敷いて投票箱と記帳所を置いて公職選挙が行われる。

すげえ田舎離島神社投票所というのはあるだろうが、東京都から徒歩10分、駅で一駅のタワマン林立地帯でこんな投票所があるというのは珍しいんじゃないか

好事家の皆さんは選挙の日に覗きに来てはどうだろうか?

 

荒川河川敷に教習所みたいなのがあるけど何?

何?じゃなくて教習所や。元々地産グループ教習所だったが、グループ首魁が逮捕された影響で元会社倒産、売りに出されて飛鳥ドライビングカレッジとなっている。

ここだが、ちさん時代から教習料が安いのが特長。都心から近いのに首都圏で一番安いという穴場なんだな。免許取りたい人はイイゾーここ。

因みに2019年台風19号の増水ではコースが7mの泥水の底になって、後にはコースも見えない泥の沼が残り、教員たち総出で泣き泣き泥かきをしたそうだ。

 

 

以上、川口についてちょっとだけ書き記した。

川口駅に関してほんのちょっとだけ語る その1

上野東京ライン川口駅停車が正式決定されて「あそこは乗降客多いから当然」とか「停車駅増えるのヤダ」とか巷間喧しいところであります

そこで川口駅の事をちょっとだけ知っている増田川口駅のあれこれを少しだけ説明するよ。

 

川口市ホーム増の為の土地をずっと確保してした…が足りない件

川口駅西側1980年代までみっちりと町工場が密集していて、特に線路に面したところは国の燃料研究所(後に公害研究所)という大工場があったので、西口広場ってものは無かったのよ。

この公害研が廃止され環境研に改組されたのでその空き地西口ロータリーを造る事になった。

だがこの当時に、今の湘南新宿ラインの元になる東北本線池袋乗り入れが開始されたってわけ。

そこで川口市は駅の西側にこの列車用のホーム増設できるように何も建てない土地をワザワザ造って、「池袋支線停めてよ」アピールをする事にしただった。

場所はここ。https://maps.app.goo.gl/eiJk19EmifLCYrzCA

川口西口緑地噴水ってのがそれ。

 

しかし、これ無理だろ?と気が付いた人も多いかと思う。現在湘南新宿ラインは15両編成だから隣の10両用京浜東北線ホームの1.5倍になり、ホームを造るには全然長さが足りないんだ。

なんでこうなったの?というとその後の川口市がいけないのだ。

実はこの「川口西口緑地噴水」の場所駅前ロータリーだった場所なのだ。つまり道路。こんなせせこましい場所バスの方向転換とかどうやってたんだか?

で、ここは大きなロータリー別に造るから廃止になるんだけど、池袋支線のホーム用地にしよう、という事で期待を残して建物を建てなかった。

だけども公害研跡地再開発では人工地盤の巨大公園、更にその下の1階と2階にはコンクリート製の駐輪場を造ってしまったのだ。ホーム用地にすんのかしねえのかで全く平仄が取れてねぇ。やる気に統一感がなかったのだ。

からホームを造る為に線路敷きを拡幅するには立体駐輪場公園を一部破壊する超高額な工事をせにゃならん。

 

詰んでるじゃん。…ところがそうではないのであった。

 

川口市は駅の東側土地を沢山押さえている

駅の東側線路際に大きな駐車場が見えるだろう。ここ、実は川口市土地なんだな。だからここを利用して線路全体の線形を変えるって方法でも行けるって訳だ。

 

この駐車場土地って何よ

なんで川口市がこの土地持ってるの?かというと、ここは川口貨物駅だった場所なのだ。正確には貨物駅東口のきゅぽらという高層建物、その隣の駐車場、タワマン場所にあった。駐車場場所貨物駅に入る為に線路輻輳してあった場所だな。

 

国鉄は超大赤字を積み上げており、特に貨物営業に人が多すぎで、人件費が莫大だった。

そこで国は思い切って貨物営業をほぼ全廃してしまう事にした。石油の直通便とかコンテナだけ残す。

それで全国の貨物駅遊休施設となった。例えば都心部だと新宿高島屋スクエア渋谷南口オフィスビル群、汐留電通とかあのあたり、秋葉原ヨドバシなど、飯田橋3丁目のオフィスビル群などは貨物駅だった所だ。

 

次に国鉄民営化する事になり、その遊休土地国鉄清算事業団に移管される。売却益を赤字補填にするというスキームやね。

それで川口貨物駅施設川口市ががっぽりと全取りしたってわけ。

んで駅南側は立体公共駐車場とか貸しビル図書館市役所出張所のきゅぽらなんかを建てた。そして北側はそのまんま。何分元が複々線線路から狭くてビル建てるには手狭。でも元が線路から線路用地にするのが一番やね。

 

但しそうなると駅全体を改造する事になるから工費はかなりのものになる。新駅ビル建造込みの工事になるかと。

因みにこういう時、JR線路部分の工事は他社にやらせないで自ら発注するのしか認めないのね。事故があるとヤバいから。だから自治体に金だけ貰うって形になる。

 

ただ、この全体線形変更案は増田の予想なんで、実際はどうなるかは判らん。立体駐輪場公園を壊してホーム用地を西口方に確保するかも知れないし、南の方へ伸ばして途中の家屋を買収するかも知れない。そこはまだ全然決まってない。

 

あと、東口の駅舎(と言っても階段があるだけ)と京浜東北線ホームとの間に隙間のデッドスペース飲食床屋店舗群があるけど、そこも川口市有地でここも活用できる。

とするとやっぱ全体を東に移して駐車場活用案にあるんじゃないかと思われる。

 

川口駅FAQ

 

川口駅西川口駅の間にある高架みたいのって何よ?

電車に乗ってると気になるこれだけど、 https://maps.app.goo.gl/uPyzTQ8tn1QQhPTQA

これはなにかというと、貨物駅に入る為の乗越線だったものだよ。

貨物駅貨物線(現湘南新宿ライン線路)と反対側にあるから貨物列車が駅に入る時には東北本線京浜東北線を全部横切らなきゃならない。その為には全部赤信号にして止めなきゃならないから大遅延の元になる。

そこで乗越線で立体交差にした。

昭和43年まで赤羽から大宮京浜東北線東北線複々線だったんだけど、東北線高崎線特急を増発する際のボトルネックになっていた。貨物列車が多いし、新幹線が無い時分だから新潟行きも仙台行きも秋田行きも青森行きも全部ここを通る。

そこで貨物線を増設して貨客分離する事にしたんだが、問題になったのが川口貨物駅貨物線と反対側にあるこの駅に線路を全部渡って行くったって、既に京浜東北線通勤ラッシュ常態化で、東北線列車増発の為に線増したのにボトルネックを造ってどうする。

ってことでこんな大がかりなものをこしらえた。

 

因みに運転結構大変で、なにぶんにも片方しか入れない。そこで下り列車であれば、一度蕨駅まで行く。そこで機関車を後ろに付け替えて今来た方に出発。西川口付近で乗越線に入って川口貨物駅に到着。

逆に上りでは駅に着くのは普通でいいが、出発後はやはり蕨駅まで行ってから機関車を付け直して赤羽方に出発という何とも迂遠方法を取っていた。

 

貨物駅廃止不要になった筈だが、廃止された線路の一部を保線基地転用した為に、この乗越線を使って湘南新宿ラインの方にレールを輸送するので残されている。

 

そもそも貨物駅貨物線と反対側にあったのがいけないのだけど、川口アリオ場所ビール工場があったのでこっちに造られた。ビール輸送鉄道貨物の大お得意さんであったので無視できないのだ。

因みにビール工場がここに設置された理由は、見沼代用水の分水が取水できた為で…(以下略

 

きゅぽらって名前は何よ?

鉄の鋳造で使うキューポラから取っているよ。

鉄の製造には3種類あって、

1.鉄を融点以上に加熱して砂型に入れて固める鋳造(出来るのは鋳鉄)

2.鉄を加熱してハンマーで叩いて形にする鍛造(刃物など)

3.圧延ロールで押しつぶして板状に、またはパイプ状や棒状にする圧延

というのがある。今一番使わているのは圧延で、何段にも圧延ローラーを掛ける為に長いライン必要になるので工場資本も巨大になる。量産効果製品単価は低くなる。

川口で多かったのは鋳鉄で、町工場ばかりだった。

キューポラ炉はたたら製鉄の応用で、コークス石炭を乾留して硫黄分などを飛ばしもの結構高い)→鉄→コークス→鉄とウエハース状に重ねて入れて鉄が溶ける温度を確保する。

入口が2~3階にあって取り出し口は1階という結構大がかりなものです。

鋳鉄は炭素が多いので、コークス温度を上げるだけじゃなくて鉄に炭素を含有させる働きもあるのだ。

このキューポラが沢山稼働していたから昔の川口大気汚染がすごかった。炭塵だけじゃなくて鉄が溶けた蒸気(ヒューム)も混じってるから健康には悪い。

 

あと一つ入らないのでその二に続く

https://anond.hatelabo.jp/20240318182134

イオンモール立地規制した青森県八戸市20年後どうなったのか

anond:20240313123638

青森県八戸市(はちのへし)。

県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路工業港を有し、東北新幹線八戸駅東北自動車道八戸線三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。

しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドー2024年の夏に閉店する。

八戸市映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。

2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長イオンモール反対を表明するも次の選挙市民の支持を得られず落選

イオンモールを待望した市民は、官僚出身新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端イオン開店した。

さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センター建設土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。

その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。

車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。

街の顔である中心市街地は、税金補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。

かつて市民デパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。

古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。

市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。

中心街仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルマンションはいくつか建設された。

市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーユニバース本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパードラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターサンデー、ヤマダ、ケーズデンキユニクロGUしまむら、西松屋ワークマンもある。日常の買い物には困らない。

しかし、市民は屋内一体型モールイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターボーリング場や、未来書店や、東京アパレルテナント東京話題のある飲食店フードコートが欲しかった。

前置きが長くなったが、この街歴史をみるとする。

明治大正

鉄道忌諱と中心街の大火

明治時代日本鉄道東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。

当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念軍部要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅現在本八戸駅を開設する。

そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまり市街地から離れすぎた立地のため、郊外地方空港様相であるかのように、22万人都市玄関口としてはお察しくださいの状態である

大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。

昭和

中心市街地の復興産業の発展と栄華

太平洋戦争では基幹産業日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害ほとんどなかった。

市の北側位置する旧日本軍飛行場基地米軍接収され、3,200人の米兵により飛行場拡張基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。

八戸中心市街地は、戦後しばらくして、東映東宝、テアトルなどの7つの映画館開店し、地元百貨店開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー地元資本ファッションビル開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。

八戸昭和30年代に新産業都市指定され臨海都市建設工事が始まり八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場八戸火力発電所、非鉄金属精錬所、鉄工所、造船所が建設された。

漁業栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑区画整理が次々と進み新興戸住宅地住宅団地郊外市街地は拡大し、市営バス路線網を拡大し小中高校増設を続けた。

一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。

青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。

平成

大店法改正の波、産業構造転換と商業施設郊外

1991年長崎屋郊外移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋開店

1994年 年末三陸はるか地震震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害

1995年 隣町にイオンモール下田開店現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。

1996年 中心市街地のニチイが閉店

1997年 中心市街地の市民病院郊外移転し、いよいよ中心市街地の危機地元紙で叫ばれるようになる

1999年 八戸臨海部神戸製鋼敷地ピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントイトーヨーカドーホームセンター、のちにヤマダ電機スーパー銭湯開店

2000年 人口過去最高の24万9000人になる

2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める

2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン市民映画館開店

2009年 臨海部八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店

イオンモール立地攻防

2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる

当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼ区画整理し、中心街から八戸市病院移転した付近に立地計画

市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。

しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。

地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街シャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り八戸三社大祭という由緒ある山車祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶

かに市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。

その後、市長は1期で落選し、新市長が当選立地規制条例を制定

2012年 郊外イオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)

中心市街地活性化施策

新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設

2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店

2016年 ガーデンテラス竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビル拠点開設

2018年 市営の八戸まちなか広場 マチニワ屋内広場が開設

令和期

少子高齢化人口減少時代水産業斜陽化、縮小する経済

2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園建設

2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町竣工 13階建で2階以上はマンション

2021年 中心街に新八戸市美術館竣工

2022年 地元百貨店三春屋コロナ経営不信でで閉店

2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定

2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)

2024年夏 イトーヨーカドー八戸沼館店が閉店予定

2025年 青森銀行とみちのく銀行合併青森みちのく銀行設立予定

おわりに

東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーホームセンターがあちこちにできた。

中心市街地は市営の観光施設や屋内広場箱物と、市営書店ができて大変モダン空間になった。

地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンファミマが合計6店舗できた。モスドトールしかなかった街中にタリーズができた。

しかし、市経済の低迷も相まって中心街商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルマンションへ建て替えが進む。

商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモール建設してもよかってのではないか

結果、GMSは衰退し臨海部ヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部シンフォニープラザ2012年開店イオン田向(リテール)のみになる。

よく巨大郊外モール撤退したあと社会問題になるため開発抑制必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベル規制誘導しない限り、一自治体規制をかけても無意味だった。

結局、市民1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。

中心市街地の地権者コンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化施設建設資金が投入され続けている。

2050年までに、八戸市人口社会保障人口問題研究所推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)

人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住コンパクトシティ形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからイオンモール下田に通うことにになる。

せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離イオンモールに遊びに行けただろう。

2024-03-14

住民反対運動で街が発展した話すき

これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638

 

池袋サンシャイン地下道

巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。

一番反対したのは洋菓子店タカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。

これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン

地下道都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。

しか地下道入口東急ハンズオープンすると付近カメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル映画館誕生し、池袋東口東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。

 

池袋馬券売り場

90年代JRA女性ターゲットとしたCMを打つなど競馬イメージアップに努めてはいた。

だが池袋東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージ悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRA土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロン飲食室などを設ける大規模な計画だった。

この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在LABIとなり、池袋家電激戦区っぷりに火を注いだ。

 

立川飛行場

米軍接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地家屋に収用が掛かった。

これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地侵入などの事件が起こり大騒動になった。

憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件

この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町横田基地に集約する事を決定。立川飛行場日本返還される事になった。

箱根ヶ崎付近八高線国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である

 

返還された立川飛行場学校研究所法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。

真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。

 

なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7

(よく見ると滑走路アプローチ>>>>のペイントがうっすら残る)

 

埼京線大宮交通

東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音振動問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線ゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。

そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民利益にもなるスキームにした。

この為に赤羽大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。

なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。

 

神楽坂

空襲失地区の戦後復興東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。

そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的方法を試す事にした。

しか優越資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。

その為に神楽坂は失敗のモデルケースとされていた。

しか建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。

 

歌舞伎町

戦後歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。

しか高田馬場を始発駅とする西武新宿線新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町付近に仮駅を設置された。

当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地勝手占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しか権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。

その為に歌舞伎町地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。

そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。

 

鉄道忌避説は後世の作り話が多い

ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638

 

流山

流山常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。

田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦牛久沼手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。

問題北千住から柏で、今の南回り松戸ルート八潮三郷流山の北回りルートTXコース)がある。

でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウン南側田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮市街出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。

から日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ

 

鳩ケ谷

日光御成街道宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし

これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。

 

日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。

 

海食崖

上野駅を出た京浜東北線大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。

地球の海面は氷河期には氷河南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。

縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)

海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである

すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである

まり上野赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。

 

波蝕台

波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。

上野赤羽では小規模な波蝕台が連続京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。

この波蝕台跡は他の低地より少し高いか田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。

 

砂嘴

陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である北海道標津の野付半島京都天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。

赤羽台地の角なので波蝕台に繋がる形で砂嘴が出来た。

この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴江戸時代荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。

 

荒川川口町

当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。

 

川口町から熊谷まではほぼ真っすぐ

川口町からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。

特に芸術的とさえ見えるのは南浦和北浦和間だ。

https://maps.gsi.go.jp/#15/35.859927/139.661572/&base=std&ls=std%7Canaglyphmap_color%2C0.79&blend=0&disp=11&lcd=anaglyphmap_color&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。

浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である

 

大宮から先も小さいカーブ芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体芸術点高いルートを通っているのでこの区間コピー忍者って感じだ。

 

このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。

 

当時の日本が高度な測量でルートを決められたワケ

文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?

お雇い外国人英国人の力だけではない。江戸時代新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ

台地上に水田を作る場合もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。

 

やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。

更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側からセンチ下/上がっているかが判る。

これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。

 

という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。

2024-03-13

家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策趣味レベルなのか、微妙分からんレベルの規模のやつが。

繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中から田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎から全然文明のある方だろと言われそうな東京西部郊外だ。

道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。

それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。

そんな光景中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。

今やその手の地域ヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。

お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きからいかはともかく。

中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。

逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。

夢なんて大体理不尽不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。

夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地電波塔送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。

住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特にまり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。

そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。

大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい

それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原トランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるか分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽マジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。

大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色マイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。

畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。

施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。

カーテンも張られていないガラスから工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想まりだけれど。

つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。

件の公園日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。

それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。

平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。

おれは地域ヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。

そうは言っても都会なら都会なりに、田舎なら田舎なりに土地が育む心の特定の部位みたいなのはあるのかもしれんなって思った。

2024-03-09

anond:20240309112037

あの辺り再開発されて綺麗になったよね

少し観光地然としてきてる

2024-03-04

anond:20240303202155

川沿いとか川向うって部落隠語だったからな

川を境界にして治安を守ってたからそらそうだろとしか

皇居大阪城など城跡を中心に大きな川を境界見立てエリアを区切るとなんとなくそうなってるはず

再開発法則が当てはまらないところもあるけどね

2024-02-29

昨今の大規模商業施設の閉店祭りメモ

今日2023年2月29日、に埼玉県新所沢駅前にある「パルコ」が閉店するとのことで行ってきた。2023年1月31日渋谷の「東急本店」の閉店、2023年2月28日千葉県津田沼駅前にある「パルコ」の閉店以来。来月の2024年3月31日には東京都八王子駅前の「K8」の閉店、2024年9月津田沼駅前「イトヨーカドー」の閉店にも行く予定だが、何となく有名な大規模商業施設の閉店が多い気もするので、一旦感じたことのメモ:

・ひとまず新所沢津田沼も「道路死ぬほど狭い」。本当に車に轢かれそうなぐらい狭い。土地価格が安いのになぜ?? 踏切も多い!

・戸建て住宅地基本的に雑な区画で、何と言うか新しく住みたい感じは生まれない。ババ抜きのババ感が少しある。

新所沢に行くまでのガラ空きの西武線優先席に座っていたら、眼の前の優先席に座っていた高齢男性結構睨んできた。気のせいかもしれないが、市立小中学校エアコン問題みたいのが未だにある気はした。所沢から新宿方面に向かう電車と何か雰囲気が違った。

新所沢駅周辺は思っていたよりも子供ママチャリが多い。

郊外系の「パルコ」が都心の消費文化を輸入する設定は当時は面白かったのかもしれない。「映画館」「文化施設」等も組み合わせるのも良いが、今となってはその辺のイオンの水準にも達していない。テナント東京のその辺の駅前にある第三セクタービルの方が良い。

新所沢駅に関しては目の前にある謎の噴水広場再開発反対の(当時の)老人たちによって残されたらしいが、案外今後重要になるかも。

新所沢駅から2駅の所沢駅に関しては、駅前が思っていたよりも高層マンションが多く商業施設も多く人も多かった。

新所沢から所沢駅を散策すると郊外系の面白そうな文化微妙にあった。所沢市は自然豊富で、トトロのふるさと基金など自然を活かす運動も盛んであり、そうした意味では面白エリアになるかも。ただ、道路をどうにかしたほうが良い。。。

津田沼は、歴史面白いし、自然もあるが、今後の「再開発」でそれが活かされることは無いように感じる。新幕張にあるイオン劣化版みたいな商業施設マンションがくっついたら成功なのだろう。

・どの閉店祭りでも「私の青春はここで消費しました」みたいな寄せ書きがあるが、何となく虚しい。消費でしか自己表現手段を持たない人たち、という感じ。新所沢建物に関しては残しても良い気もする。ここを拠点にするオフィスがあっても面白い。ただ、全体的に周辺が停滞している印象なので、世代交代が無いと思い切った新しいことは出来ないかも。

・消費で街を作っていく手段も良いが、次の世代に受け入れられないと一気に街が暗くなる。新所沢津田沼も次の世代意識した公共財の創出があまりされてこなかったように思える(新所沢体育館はカッコよかった)。

新所沢体育館近くの膨大な米軍施設返還?されたら、どうするのだろう。あの辺の道路所沢にしてはとても良かったがw

2024-02-27

西成ドヤ街宿泊して驚いた事

3連休に1日有給使って、大阪旅行に行ってた

予算あんまりなかったので動物園前近くの結構値段がするほうの簡易宿所宿泊したとき感想

西成には6回目、ここ最近利用したのは去年の2023/11警察署前のもっと安いところ

今回の宿

西成簡易宿泊施設としては高額な2400円/日(土日休2800円/日、宿直接)、今回は楽天経由で10250円ポイント(平日2350円x1休日3950円x2)

部屋は禁煙和室タイプトイレは共同

風呂時間製で、朝も営業中シャワー室は男女別でサウナもあった(男湯だけ?)

台所は1階のみのタイプ

トイレ使用感はかなりあるが一応キレイ、大便用は全部洋式ウォシュレット

前回との比較

久しぶりに駅前の宿にしたがやっぱり高いだけあってちゃんとしてるなあという印象

11月に止まったところは、トイレのとなりに台所があり、大便器ほとんどぶっ壊れるとかだった

ここはトレインスポッティングに出てくる便所かよと思った

部屋は教説に変な腐敗臭がしてたので窓開けて寝てた

眼の前に警察署があって治安比較安全だが奇声が偶に聞こえてた

今回は比較的静かでタオルとかもちゃんとしていた

連泊だったら交換可能だったし、(比較的)高級シャンプーの貸出とかもやっていた

ビビたこ

海外観光客結構いる

去年も思ったが動物園前駅や新今宮駅前は結構海外から観光客をよく見かける

今回泊ったところはアジア系の方が結構宿泊していてビビった

昔ながらの日雇いおっちゃんのほうが少ない(もっと安いことに行くわな)

まあ、ホステルとかよりは広くて風呂サウナもあるし値段はホステルより安いとなったらこっちに泊まるのは普通かな

カップルがいた

エレベーターで降りてたら下の階で日本人カップルが乗ってきてビビ

こっちはバスガウンで1階の大風呂に入りに行く途中で気まずくなった

下の階は洋式部屋でダブルで使いやすいのかな

なお、東洋系のカップル白人カップルなどもロビーにいてすげえな此処と思ってしまった

女性客がグループでいた

私のとなりの部屋から女性が2人出てきてビビった

洋式部屋ならまだしも畳の和式部屋に女性が泊まるもんかと思った

まあ一人は洋式部屋だったがグループ西成に泊まるとかすげえなと思った

逆にこっちが怖くなった

家族連れがいた

帰る際、幼い男子2人を連れた家族4人が和式部屋2つから出てきてビビった

子供連れが泊まれなくは無いぐらいの施設ではあるが西成でかと思ってしまった

隣の隣は男性1人男子1人だったが男性の方は

バリバリ背中入れ墨入れていたのを大風呂で見てしまったので怖かったが

子供連れで更にビビった

親子でも西成で泊まるんか 最近はとは思った

思ったこ

難波から複数ルートで来れる地域ではあるし、基本平坦ではあるでキャリーバックをもって移動するには良い地域ではある(新今宮駅前は狭いが)

動物園前の9番出口付近はまだ昔のドヤ街雰囲気を残している場所もあるが

駅前ちょっと古いホテルって感じでそこさえ我慢出来るならかなりいい場所なんだろう

新築ホテルでも平日なら5000円とかあるしな

鶴橋難波梅田には電車で気軽に行けるし、新世界に行くには最適な場所だしな

近くにドンキダイソー、大型スパ施設もあるから西成ポテンシャルは実は高いのかも

今後世代交代が起こって色々更新されていく形になると思うがどうなっていくんだろうね

日本再開発ってダサいから一辺倒にしちゃう方式になるからなあ

まあちょっとだけディープ看板とかみたいなら動物園前商店街アーケードを南下すれば

中華カラオケスナックばっかりになっているところに「居酒屋覚醒剤を売るな!」の標識を見れたりはするが

余談

まあ泊まった簡易宿所はどっちも「あーアソコね」ってなると思うが一応伏せて書いた

2024-02-24

https://anond.hatelabo.jp/20240223232150 Googleマップが酷すぎて段々使い物にならなくなりつつある。Googleマップはもはや2019年地図 学び 記事元:anond.hatelabo.jp

Googleマップが酷すぎて段々使い物にならなくなりつつある。Googleマップはもはや2019年地図

ここ最近Google検索の精度、Amazon劣化ぶり、Xのインプレゾンビによる壊滅ぶり、Youtube検索レコメンデーションの精度などの悪化ぶりが話題になっている。大手IT、悪貨に駆逐されて惨憺たる有様やね。この話は最近どころかもうここ5年10年定期的に繰り返されてる話題だが最近特に酷い。 それらの話の中であまり話題になってないけど、Googleマップ品質の低下がやばいタイトルにも書いてるけどGoogleマップ更新されなさすぎてもはや2019年地図やね。2019年から現在まで何も変わってないような土地でだけ正確で、再開発等で大きく変わった場所は使い物にならない。このままだと5年後10年後はさら現実との乖離が酷くなりそう。 2019年というのは、当時も大きな話題になったがGoogleマップゼンリンとの契約を解除した年だ。Googleマップのそれまでの高精度ぶりを支えてた

2024-02-17

商業施設栄枯盛衰

イトーヨーカドーイオンも閑散度は似たようなもんだ、というブッコメに★が多く集まっていて(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/735015)、それを書いた人がどの立場でそう感じているのかは分からないのだが、それはとても正しい。ロードサイドだって平日はガラガラだというブッコメもあり、それもとても正しい。ただまぁ一方で平日は都心ファッションビルデパートだって閑散としてるし休日駐車場の入庫行列するようなショッピングセンターだって閑古鳥なので、そこの時間帯を比較することには、本件を読み解くためにはあんまり意味はない(このご時世に小売って厳しいよなーという文脈なら検討に値する視座ではある)。

まぁ、今のところはイトーヨーカドーが劣勢でイオン好調であるGMS世界というか小売業は本当に栄枯盛衰の移り変わりが速い業界で、イオンがいつまで好調を維持しているかも分からない。分からないが、これまでのところはイトーヨーカドーが降り、イオンが勝ち残っている。ヨーカドーが降りざるを得なくなった理由はいくつかあるが、それは客足以外のところにある。

「賃借」か「自己開発」か

イトーヨーカドー駅前店舗は、多くが賃借ビルの一棟貸テナントである。これはイトーヨーカドーが飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃には効率経営が高い(BS圧縮したまま事業拡大できる)として称賛されていた。少し話はずれるが、イトーヨーカドー地元商店街対立図式は、単なる客のパイ争い以上に「駅前再開発」に絡むものから、要するに再開発の線引きエリア外の商店主が怒っていたという側面もないこともない。

話を戻して。ただし賃借方式だと賃料を支払い続ける必要があるため、薄利な小売店にとっては経営のかじ取りが難しい。イトーヨーカドードミナント出店(回りをイトーヨーカドーだらけにして、低価格の目玉商品を大量投入して周囲の競合を脱落させる手法)が上手だったと言われているが、それは当該の前項記事にもある通りhttps://toyokeizai.net/articles/-/734323?page=2昭和時代ダイエーとの比較においてであり、駅前地域旗艦店GMSを置き周囲にSMを置くという手法は、次項に説明するが、消費者の買い物行動の変化に伴う商圏の変化に付いていけなくなっていたのだろう。ドミナントの難しいところは、囲い込んで他に選択肢を無くさせる過程の「手段」において安売りキャンペーンを続ける必要があるところで、そこも賃借だと館全体の利益を圧迫することになるというリスクもある。

また、イトーヨーカドーGMSであることをアイデンティティにしてきたためか自社のPB衣料品ライン損切りがかなり遅れたのだが、アイデンティティへの固執に加えて、もともと店舗が賃借であるためテナントを入れると自前で仕入れ商品販売や自社PB商品を売るよりも利ザヤが小さくなってしまうのがその理由だと推測できる。PB衣料品昭和の頃は「衣料品は腐らないから賢い」と称賛する人もいたんだけどね…。

一方でイオンは(買収や方針転換もあるので全てではないが)多くの施設が賃借ではなく自社開発だ。拡大戦略の初手から自分土地調達自分建物も建てる戦略発祥地方都市からということもあり「田舎の安い土地二束三文で借り(または買い)自前で建物を建て、広大な駐車場を持つ巨大スーパーGMSというよりも巨大スーパー)をあちこちに作っていった。

自前開発なので建物を建てたコストが償還できればその館の運営はかなり安定的に行えるようになる。またちょっと話はずれるが、イオンGMS店舗イオンモールも建物の作りはかなり安普請というかお金をかけない割り切った作り方をしていて、SCの競合であるららぽーとはもちろんゆめタウンよりも安普請。清掃などの館のマネジメントお金をかけていない(全てのイオンモールがこの限りではなく都市部店舗などはもう少しハイグレードになっているが)。この割り切りが、ある意味イオン現在までの堅調さを支えていると思う。

このイトーヨーカドーは賃借店舗が多かった、というのが、まぁ10年以上苦境が続いている最大かつほぼ唯一の理由じゃないかと思う。そして一つ歯車が狂うと、どんどんうまく行かなくなっていく、経営って本当に難しいな。

商圏の変化への対応

住宅郊外化が進んだことで商圏(客がどのぐらいの範囲から来るかの推測で店の形態ごとに違う)が変化した。スーパーマーケットの商圏が拡大する。毎日の買い物に車を使う人が増えて、駅前出店を中心にドミナント出店をキメてきたイトーヨーカドー駐車場の確保に苦慮することになる。イオンはハナから広大な駐車場が付いている。スーパーマーケットの商圏が拡大すると、駅を中心にした半径に「ドミナント城」を構えていようがあまり意味がなくなってくる。

そのタイミングイオングループは巨大スーパーの次の拡大策としてショッピングセンター開発を本格化する。イオン建物を自前で建てているのでテナントを入れたらまるっと賃料が入ってくる。ヨーカドーが賃借部分をまた貸しするのと比べると旨味が大きい賃料収入になる。要するにイオンモールは実は半分不動産事業デベロッパーである一般的デベロッパーが作るSCにはコアテナント・キラーコンテンツとしてスーパーマーケットを誘致するのが常なのだが、イオン自分がコアテナントであるのが最大の強み。

このビジネスモデルイオンは全国の「ここに商業施設は建つのか」という郊外ロードサイドバンバン巨大なイオンモールを作っていく。同時期にSC競合である三井ゆめタウンバンバンSCの出店拡大を行っていった。これで「家族日常の買い物」という消費行動における商圏が変化する。まずは商圏がいったん拡大(毎日の買い物でも車で30分のSCに)、そしてSCの出店が増えることで「道路網に沿うように」商圏が縮小(もう少し近いSCができたね)という順番で商圏が車前提に変化していった。ここでチェックメイト感は正直あったと思う。他デベロッパーのコアテナントでイトーヨーカドーが入ることはもちろんあっただろうがやはり賃借モデルなので利益は(イオンと比べて相対的に)小さくなってしまう。

イオンさらドミナント戦略も巧みで、多様な店舗ラインナップを作ることで出店用地を比較的選ばずに囲い込みができるようになっていたのもデカい。巨大SC、巨大SM、安売スーパー、小型店、コンビニなど、他の小売店の買収も効率的に使った出店戦略が巧みだった。イトーヨーカドーが、買収したSMチェーンを集約化する(「鳩のマーク」に変えさせるのが象徴的)のと逆に、ラインナップ自体を増やす方向に舵を切ったのが成功の要因だろう。敵がどこに出店しても、何らかのカードを切ることができる体制を作った強さ。イオンは買収したチェーンのブランドをしばらくそのまま使っていたりが全然平気なのだが、買収された店舗じわじわと数年かけてイオンに変貌する。怖いね笑。

商売うまいといえばイオン食品PBトップバリュ複数ラインアップを出しているがこれも恐らく同様の「多様志向」を捉えた戦略で、セブンアイおよびセブンアイプレミアムでやってきたイトーヨーカドーとの経営方針の違いが出ていると思う。ネット民に不評な「黄色トップバリュ」だが(美味しくないよね笑)価格訴求に全振りする商売上手ぶりは、要するに下請企業との関係を保ちながら「安いものが買いたい」客を掴めるし、グリーンアイという単なるグレード分けではないような見せ方がうまい消費者をよく見てるよなぁと感心する。会社として戦略的柔軟さがある(というかイトーヨーカドーが柔軟さがなさすぎるというか)


消費嗜好の変化、その他いろいろ

これは私見だが、「車で肉や野菜を買いに行く」ライフスタイルが定着した理由には、日本人共働き化も大きいと思っている。あなたも私もそうだが、働いている人たちは平日に買い物ができないからだ。休日デカスーパーに色々なものをまとめ買いする、という行動様式自体米国SCを生み出した国でもある)などを中心にすでに存在していたライフスタイルだが、これが日本に定着したことで、自転車で買い物に行ってる場合じゃねえ!という感じになる。一週間分の買い物は重い。保育園学童から子供を連れて帰る足で出来る買物はたかが知れている。

当該のブコメにもあったが、イトーヨーカドーがかつて誇っていた衣料品ニーズは、ユニクロなどのカテゴリーキラーが現れたことで魅力がなくなってしまってたがそれに気づけないままたぶん10年以上ぼんやりしてたと思う。IYGはぼんやりついでにそごう西武を買収して案の定うまく行ってなかった。よりによってそれを買うのか笑、という感じは正直あったけど、駅前旗艦店が華やかだったころの夢を組織が忘れられなかったのか。一方でカテゴリーキラー業界は活況を呈して、駅前にはヨドバシカメラが続々と出店していっている。栄枯盛衰…。

実はネットスーパーイトーヨーカドーの方が先んじて頑張っていた。頑張っていたが、どうも、生鮮品の配送は本当に儲けが出なかったらしい。また足元ではそもそも店員がいない」問題が起きていて配送している余裕がなくなっているという話もちらほら。

生鮮品の配送については巨大な「生協」という存在がいる。実は生協も、いくつかの狂信的ナチュラル生協以外は生鮮品の扱い量はそれほどは多くはないらしいのだが、卵や牛乳などを定期配送してくれて安全基準も高い生協の生鮮宅配が一強で、他の小売はどこも大苦戦しているよう。イオングリーンビーンズという宅配サービスを始めたが、さてどうなるかとワクワクドキドである

2024-02-11

anond:20240211103423

西成AI

日給も住居も人権も、日本だけガチガチ法規制して再開発の芽を徹底的に潰している間に、

外様顧客クリーンでめちゃくちゃリッチホテルを生成して次世代搾取企業に成長

地元民はそれを高額の宿泊料を払って使わせて貰うだけになるんだろうね

インバウンド暴虐無尽客にてひどくやられたのに全く反省してない

これはあきませんわ

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