はてなキーワード: 麻枝准とは
それは彼女のテレビ出演時の紹介等で「父親はFROGMANの会社の社長」とあるので
「おお、あのフラッシュアニメ風のアニメ作ってる人の娘なのか」と思って、
クリエイターの子供がクリエイターを目指すんじゃなくて経営者を目指すというのはなんか変わってるな、どういう家庭なんだろう、という風に興味を持っていたんだけど
昨日本屋に行ったら彼女の本が並んでいたのでパラパラっと冒頭を立ち読みしたら父親の経歴が書いてあって、
そこには「父親は、ネットでフラッシュアニメが流行っていたのでその作者FROGMANに会いに行ってスカウトした云々」というようなことが書いてあって
「え、お前作者じゃねえのかよ」
と胸中でつっこんでしまった。
いや、俺の勘違いなんだけどさ。勘違いしていたのは俺だけなのか?
それってつまり、ToHeartの会社の社長っつって高橋龍也と勘違いしたり、Airの会社の社長っつって麻枝准と勘違いするようなもので、知ってる人には常識だけどあんまりファンでもなけりゃころっと勘違いしちゃうよね。
まあ俺が悪いんだけどさ。
それで勘違いに気づいて、少なからずがっかりしたのは俺は女子高生社長に興味があったのではなくてクリエイターの子育てに興味があったから…なのだろう。経営者の子育てには興味はない。高嶋ちさ子は子育てが向いてない(関係ない)。
追記(トラックバックに対する返信)
鷹の爪団などを作ったFROGMANこと小野亮氏は島根で困窮しながらフラッシュアニメを作っていたら話題になり、テレビのCMやアニメ番組作成を手掛けるようになったということで、そこはイメージ通りというか、そういうことのようだ。
で、鷹の爪団のテレビシリーズを制作するに当たって出資したのが株式会社ディー・エル・イーであり、FROGMANは現在当社に所属して活動している模様。
なんかCharlotte見てたら、1話でAngel Beats!の二の舞いになりそうな匂いがプンプンして、あー見なくてよかったという気持ちにしかなれなかった。一時期のKey作品面白いっていう評判は他の人にはともかく、少なくとも僕個人でそれが信じられたのは京アニのおかげなんだろうね。一昔前の京アニ作品もそうだし、ハガレン1期のアニメ版もそうだし、原作にはストーリーがなくてまとまりにくいものにうまく落とし所を見だしたぱにぽになんかもそうだけど、アニメのシリーズ構成や脚本ってクリエイティブなことよりうまく噛み砕いてくれることがすごいんだろうなぁ~と正直思った
僕がアバン見た時に「あ、この設定というか、この言い回し変だ」と思った作品が殊の外人気だから、試しに見てみたんだけど…やっぱり開始6分で設定の破綻を感じてる。コピーしかできない奴が受験で1位って…。それって正解がわかってるってことだろ?2位以下にならないとおかしいはずなのに
あと、マドンナ的存在って言うキャラは死ぬほど聞くんだけど、これも実在しないんだよなぁ…。例えば、GTOみたく「ドジっ子アイドルになっちゃいました」とか、コクラセみたく「いいところのお嬢様で送り迎えがつく人がいるんだ」みたいな誰がどう見ても浮いてる理由が必要なのにそれがないとか…
トドメは事故ったのを救った時に女の子が「一組のだれだれくんが助けてくれた」ってこの台詞も変なんだよなぁ…。なぜクラス言った?
いやさ、僕がノベルゲーとか小説にハマれない理由って理由付けや情報開示の順番がわざとらしくて「あームダだなぁ~」と思うものがあるから。ムダならムダ、メタならメタで突っ込んでくれればいいんだけど、それがスルーされると、嫌な意味での突っ込みどころとして頭のなかに残って嫌になるんだよなぁ
この、テストで100点とったっていう理屈がだからおかしいんだって。おおよそ正しい答えなり、途中式なりを見抜く方法を知ってなきゃ、仮に他人の答案をカンニングできたとしても、それをカンニングによって100点を取り続けたり、学年トップになることは不可能。最低でも途中式を見抜く学力はある
と、これ、ここまでAパートの話なんだけど、この矛盾にいらついて普段の僕ならここでこのアニメを切る。これが流行ってるとしたらみんな頭悪いんだろうなぁ~みたいな感想を抱きながらね。あるいは、頭が悪いかどうかではなく「きっと1クールも経れば、忘れ去られるアニメだろう」と思うか
ちなみに、僕がグダグダ言ってるアニメはAngel Beats!と同じ脚本の人(有名な人だけどあえて名前は出さないで作品名を出してる当たりご理解いただきたい)なので、「あー数年の間に増えたにわかオタクか、作家名でアニメを見てどうやってでも擁護したい人が盛り上げてんだ」が感想。この脚本家には前科がありまして、最後まで見れば面白くなる・矛盾点はあるけど我慢しようと思って多くの人が見てたら、終盤の感動的なシーンが設定の雑さゆえに矛盾してて成り立たないと言うヘマを数年前にもした人なんです…それでお察しな気が
ちなみに、Angel Beats!のどこがおかしいかについては、ドナーカードの意味もちゃんと検索してない、ドナーがどういう条件で提供されるのかも確認してないいい加減な脚本家がドナーカードにできないことをドナーカードによって達成したという嘘っぱちの設定を作ったこと。犯罪的な捏造だよ。天使ちゃんと音無くんは心臓を提供した・されたの関係と言う話になってるけど、音無くんは衰弱死・餓死みたいな状態でとてもドナーとして成立しない死に方してる。だから、転用なんかとてもできないし、それ以前に脳死じゃないドナーは使える部分が限られているから心臓を移植できないのよね…ストーリーの根幹である部分の前提に現実的な設定を使う以上調べて欲しいといいますか、詳しい描写まではいらないけど、5秒で検索したらわかるようなウソは入れないで欲しい気はします…
そこら辺のところがわかったうえでもなおAngel Beats!がいい話だと言ってるバカとアニメの話はできないと改めてはっきり言っておきたい。作中に出てきたから言うけど「こんなのが売れるなんて世も末だな」とABの時から私はそう思ってました
妹のキャラクターが年齢不詳。兄よりも歳上であるかのような言い回しが多いけど、これは伏線?それとも雑設定からくるもの?
KANONやABだけではなく、アレだけ評判がいいリトバスもですか…。しかも、作者が患っている病気で…。流石にわざとやっているのではないかと疑わしくなってきましたなぁ…。 奇跡をゴリ押しされた挙句、他人事のように「なんか泣けるような胸を打つような近さはないけど、テレビ的なわかりやすいいい話とはこういうものなのだろう」とKANONに対して思ったので、「お伽話」は言い当て妙だと思います
よりポピュラーな病気やシステムを扱えば扱うほど「間違った知識の流布」「当事者を傷つける問題」に進展しかねないところがあるため、危うい傾向だと思えました。特にドナーカードの話は免許取ってから日が浅い時期だったのでなおさら気になりました
いやさ、「だーまえ作品における病気はいい話のための演出なんだ」と言うのはわからんでもないさ。ただ、普段「うつは甘え」「サプリで治る」みたいなウソを振りまかれてる躁鬱病患者としてはああいうものってすごく怖いんですよ…。ドナーカードも免許取って人間なら近しい話だからすごく怖いし…。例えば、「うつは甘えだ!私は君を甘やかさない」と心を病ませながらも自分の仕事場で面倒を見て、厳しきして社会復帰させたらそれはいい話かもしれない。だが、それはリスクを負ってくれる人が前提で「うつは甘えだ」と厳しいところに投げ込む風潮がマスコミやだーまえ作品の影響でできたらどうさ?
大体の鍵っ子は、実は自分が感動したシーンとギャグぐらいしか案外覚えていないのかもしれない。あと人物同士の関係の考察とかはするけど、現実に基づいた設定の考察はあまりしてないのかもですね。更に言うと、多分keyの全作品に共通するかもしれないのですが、後半だけ見れば問題ないってぐらい、前半はギャグと日常(現実的ではないですが)の塊なんです。あまり伏線を積極的に張って行かないレベルでね
寓話以上世界仰天ニュース未満ぐらいの位置の何かだと思わないととても安心して見られない感じはあります。京アニ作品として矛盾やギャグが気にならない形の物ではそこまで気にならなかったのですが、近年の麻枝准自らが脚本した作品は…。例えば、Wikipedia読んでもちんぷんかんぷんで日本にはほとんど患者がいない難病「多発性硬化症」みたいなものでだーまえ演出をなさるんだったらまだ批判浴びないし、なんとなくそんな病気があるんやろう…みたいなのがあるけど、ドナーカードはポピュラーすぎるもん!ちなみに、うつ病よりも関わっている人が多いドナーカードは日本中で8000万人の人(運転免許の裏はドナーカードなので免許保有者だけでもおおよそ8000万人)が関わりがあります。
超極論を言えば、だーまえは逮捕されるべきだったとさえ思ってます。だって、ドナーに関わる人間はおおよそ8000万人。免許の裏のドナーカードだけで日本国民の3分の2。それにありもしない間違った知識を流布したり、価値観を押し付けようと言うのだから怖いと感じないほうがどうかしてる。リプライを見た限りKANONやリトバスでも同じ脚本家が同じような病気や矛盾点を調べないで、創作物に流用しているそうです。Charlotteの脚本家に限った傾向なので脚本家全体の衰えとして捉えるのはちょっとむずかしいですが…すいません。流石に極端なたとえですし、「もし、あんな調子でうつ病を扱ったら」というエクスキューズが抜けてるので、不十分なツイートになってしまいました
この話、だーまえさんの作品が人気を取るたびに僕を含めた誰かが「ざっけんなコラー」と言っても言っても騙される人が後を絶たないから繰り返ししてるけど、したところで得るものないからこのへんでやめます。僕以外に…つうよりももう鍵っ子の間で議論され尽くしているであろうテーマなのに、意外と周りで盛り上がるのな…
まぁ、うまる見て「あの秀才キャラ、悩みがないキャラがハナについてギャグだけを純粋に楽しめなくて少し苦痛」みたいなことを言って「そこ!?」的な返事が帰ってきた偏屈な人間の言うことだからなぁ…。きっと受け入れられないんだろうなぁ
江戸しぐさ→歴史的には間違ってるけど、いい話だからいいじゃない!だーまえ作品(とりわけAB)→病気や患者が利用する制度を調べてないから間違ってるけど、ふんわりといい話だからいいじゃない。が重なる。僕が感じてた怖さはそういうことか!。遠い昔の話ならそれでも被害者は少ないのですが、それをポピュラーな病気や医療制度でやってしまうため、実際の江戸しぐさより被害者が出そうで怖く、またいい話だという言い分も江戸しぐさ的な押し売りや稚拙さが絡むため、賛否が分かれる…というところでしょうか
自分としては、村上春樹がサブカルチャーであるところのセカイ系にアクセスした作品は
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」だと思っていた
あの作品は灰羽連盟という変形を経ずに、麻枝准によって流布されてると勝手に思ってる
何にせよ、もしかすると現在のサブカルチャーのメインテーマは「全能感と称賛」にあるのかもしれない
自己との対話を通過し、自分だけの世界で内省をするわけでもなく、ひたすらに力だけが増していく世界
何もかもがご都合主義的に進んでいき、主人公が話にあらゆる力や倫理が味方し、称賛される世界
俗な言葉で言う「やさしいせかい」を基本とし、作品により幼児性やエゴの色彩を強めたのが現代のサブカルチャーなのではないだろうか
http://www.nicovideo.jp/watch/1437122012
この話は単体で見たらどうしようもないくらいくだらない話だった。内容ペラッペラでその分お寒い演出をだらだらと。これ10分くらいで出来ただろ。
なにより西森柚咲の扱いがひどい。がっこうぐらし!に出てくる現実逃避女よりこちらのほうが数段やばい。唐突に意識を失って気づいたら数時間飛んでて知らない間に自分がなにかやらかしているらしいのに全く動じていない。そんなことどうでもいいと言わんばかり。何考えてんだこの女気持ち悪い、でもフォローあるんだろ?って思って待ってたら途中で姉の美咲に入れ替わってから一切フォローなし。姉の美咲はすっきりするかもしれないが、妹は?姉は不良仲間のクズを励ます暇があったら、いきなり違う学校に転校させられる妹に何かいうことなかったの?手紙でも書けばよかったのに。
そりゃきっと見えないところでフォローするんでだろう。きっと見えないところで柚咲は姉の存在を感じ取っていて言葉は不要なんだろう。でも、他の余計な部分をだらだらと描写する暇があったら、ちゃんと描けよ。と見ていてムカムカさせられる展開だった。相当こちら側で脳内補完しないと耐えられんよこれ。
ただ、後への伏線とかんがえるとかなり重要な情報がたくさん提示されている。今回の肝は西森美咲だけは能力が不完全ではない完璧な能力であることだ。あれだけいちいち他の人間の能力に「なんて不完全な能力なんだ」とツッコんでいた主人公がそれを指摘しないのだからまちがいなかろう。ここから逆算すると、学生に能力が発言する条件、それから能力が不完全な理由もわかってくる。そして、OP及び1話の演出から、主人公の妹が能力発言することはほぼ確定であるし、おそらく不完全ではない能力に目覚めるであろうことも推測できる。となると、アホで可愛い妹がどういう状態に追い込まれるかもうすうす想像がつくだろう。また、今回のお寒いシナリオだが、麻枝准のクセからして、今回のストーリは主役級のキャラでリフレインすることになる。以上の条件を満たすとだいぶこの先の展開が絞られてくる。
ってことで、これがラノベや美少女ゲームだったら伏線貼り、ってことで納得できる。情報的にも重要な話だというのもわかる。だが、そこをもっと面白く見せられなかったのか。アニメは1話1話が面白く無いとダメだろうが。しまもよりによって3話だと3話。一番大事なところだ。一番大事な3話でこのクオリティはあり得ない。グラスリップの方がまだなんぼかまし。ま、グラスリップと同じように最後まで見れば面白い可能性はあるが、最後までみないと面白さがわからなくなってしまうというのは、アニメ脚本としてはやはり難がある。
いろいろ文句は言ったし実際3話は単体ではどうしようもないくらいつまらないという結論は変わらないが、文句を言った以上最後まで見るつもりだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E7%94%BB
詳しくはwikipediaでも参照にしてもらいたいのだが、要するに、ごく普通の風景を描いているように見えて、実際にはその風景は現実には存在することの有り得ない、といったそういう絵のことである。
例えば、人々の足元に落ちる影の向きがそれぞれバラバラだったり、あるいは、走っている機関車の煙突から延びる煙が、風に靡くことなく真っ直ぐ立ち上っていたり。
因みに「形而上絵画」において有名な作家と言えば、イタリア人のジョルジュ・デ・キリコがいる。
ググって形而上絵画を探してみようとしたところ、中々見つからなかったので、彼の有名な一枚である『通りの神秘と憂愁』を例として貼っておくことにする。
http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/c/a/r/carcosa/chirico.gif
◇
ところで、僕は大手ギャルゲーメーカーの『key』のドンである、麻枝准の曲が好きである。
特にその中でも、彼がごく初期に書いた『恋心』という曲が好きである。
十年近く前に、ipodで繰り返しこの曲を聞いていたことを思い出す。
時には、学校へ向かう途中に口ずさんだりもした。
そして、この曲を聴いている時に、いつも僕が思い浮かべるのは、一本の木が植わった起伏のある平原である。
日差しは、まるで雨の日の朝に部屋へと差し込む時のように、薄い青色をしている。
平原には一本の木を除いては、構造物と言えるようなものは全くなく、一切が見渡せるようになっているのだが、その地平線のいずれの場所を眺めても、例えば太陽とかそういったような光源は見当たらない。それでも、空と平原は一様に、薄ぼんやりとした青色に照らされている。
先日、久々にこの『恋心』を聴いてみていた。
iphoneを購入したのを機に、ipodに代わるデジタルプレイヤーとして、試しに昔好きだった曲を掛けてみていたのだ。
すると、かつて僕が聞いていたのと同じように、例の、あの青褪めた、薄ぼんやりとした風景が浮かんでくることになる。
僕は、その風景に懐かしさを感じながらに、十年前聞いていた当時よりも、ずっと克明に風景を思い出しつつあった。
どんな君を好きでいたか、もう思い出せない。
楡の木陰に隠れて、僕を呼んでいた
僕はその歌詞に耳を澄ませながらに、ふと、何か不自然なことに思い当たったような気がしていた。
自分が思い浮かべている風景に関して、何か、おかしな点があるように思えたのだ。
そして、その不自然な点、というのに、僕はすぐに思い至ることができた。
つまり、360度全てを見渡せる平原において、光源の一つも見当たらないのに、空や地面が一様に同じ程度に明るい、なんていう光景は、実際のところ有り得ないということである。
キッチンに立って、サラダを作るためのお湯を沸かしながらに、暫く、僕は意識の空白に立ち竦んでいた。
その暗闇から回復したのは、そう時間を経てもいない時のことだったと思う。
僕の耳元には、イヤホン越しに、変わらずその透明な歌声が響き続けていた。
彼女は歌い続けていた。
僕は耳を澄ませていた。
僕はその歌詞にぼんやりと耳を澄ませながらに、一つのことに思い至っていた。
そう、僕が十年前に思い浮かべていた景色は、きっと、本当には存在し得ない景色なのだな、ということにだ。
そして、暫くの後に、僕はひとまず気を取り直して、もう完全に煮立っていた鍋の、電磁調理器のスイッチをオフにしていた。
どこまでも続いてゆく、悲しい景色、君と、笑っていた
いつまでも傍にいるよ、夢の中で、君と笑っていた
麻枝准 - 『恋心』
初めに断わっておくと、自分はネガティブで自意識過剰で気持ち悪いオタク女だ。
同時に、自分はそういうものなんだろうと大半は受け入れている。
周囲に迷惑をかけなければ趣味嗜好なんて自由だと思う自分にとって、最近の児童ポルノ禁止法周辺の論調は正直不快だ。
だけれど、子どもを性的にみること自体が否定されるべきかといえばそうではないと思う。
身につけるべきは性衝動を抑圧することではなく統制すること。
方法はともかく、とっくに結論はでていることではないかと個人的には思う。
統制できない人のためのゾーニングはもちろん必要であると思うが、それ以上の法的規制は必要ない。
では、自己統制したり、身を守ることができるようになるためにポルノは必要かどうか。
他人すべてに適用できるとは思わないが、個人的な体験としては必要だった。
そんな自分にとっては二次元の男性向け作品が一番安全に見ることのできるポルノだったのである。
腐女子を否定するつもりはないが、私にとってはBLの方が理解できないものであった。
まだ男女カプのエロゲやラノベの方が受け入れやすく、BLや女性作家の描く男性に抑圧されていることへの怒りを示したかのような攻撃性の表現が受け入れられなかった。
その女性らしさが嫌いだった。
イケメン男から好かれる物語やリアルな女性はさらにダメだったので少女漫画や乙女ゲーなどにもはまれなかった。
私は自分が性的な視線でみられることは不快ではあったけれど、性的な視線でみられる自分自身のことや異性を性的な視線でみる自分自身のことは否定したくなかったのではないかと思う。
その結果、同じように性的な視点で見られている二次元の女の子をかわいがるようになった。
ハーレムものの世界は少女漫画などの女性向け作品の世界とは異なり、女の子がみんな愛されることで幸せそうで見ているこっちも幸せになった。
そうして二次元の女の子を慰撫するうちに、自分自身についても肯定的にみられるようになってきたように思う。
もちろん意識してそうしたわけではない。
それとは別に名作と言われるエロゲー、いわゆる泣きゲーにもはまった。
長森瑞佳は強いと思ったし、そういう風に人を想い続けられる人間に憧れた。
みさき先輩のシナリオは視覚障害のヒロインというだけではなく、Hシーンでそのことを扱うことが衝撃だった。
性描写をする意味は心のやりとりを描くことでもあるのだと感じさせてくれた。
見た目のかわいさやはかなさとはうらはらに麻枝准の描くヒロインはみな芯が強く、優しく、生きることに一生懸命だった。
現実の女の子とは違い、きついことも言わなければ他人に嫉妬もしない。
他の子と競争することもなければ、競争することを要求してこない。
そんな女の子になってみたいと思わせてくれた。
もちろんそんな人間にはなれはしなかった。
現実にはありえない二次元の女の子たちを男の理想のたまものだと気持ち悪がる方々もいるのはわかる。
でも現実の女にもいいところはあるのかもしれないと教えてくれたのもやっぱり二次元だった。
理想はつめこまれているとはいえ、よくも悪くも女らしいキャラクターだった。
自分の想いを隠し、友人を裏切り、罪悪感にさいなまされながらも、彼氏をつなぎとめるためになんでもする。
受動的に男を責めながらも表面的には受け入れているふりをして、自分の想いを叶えようと行動する。
二次元の女の子のようになれないけどなりたいと感じる自分をいいと思えるようにもなった。
京介が桐乃に向けたセリフ「オタクに偏見をもっているのはお前自身だろ」というのは胸にささった。
まさにその通りだと思う。偏見は想像だけではなく経験からでもあったけれど。
自分勝手でわがままで都合良く人に甘えて、それでも努力家で自分を誇る桐乃を見ていたら、
たとえそういう不快な人がいたとしても自分自身が誇れるオタクであればいいのではないかと思うようになった。
これが三次元の、例えば実写ドラマであったらそうは思えなかっただろう。
同じ趣味をもつ女友達がいたら・・・と考えたこともあるが、それはそれで自己投影して嫌悪したかもしれない。
「女が嫌いという君はとても女らしい」と何度言われたことか。
現実から切り離された安全なものであるからこそ、自分と切り離していろいろと考えることができる。
それは性的な意味でも同じ。
凌辱ものまでも含めエロかわいく描かれる女性を愛でる視点を取り入れることで、少なくとも好きな人からそう見られることはさほど嫌ではなくなった。
「理解できないもの」を「理解できるもの」にするだけで、不快さは軽減された。
我ながら矛盾していることをしているのはよくわかっている。
でも自分にとっては性的なものを二次元から取り入れる過程が自分自身を受け入れるために必要だったのだ。
いや、未だその途上にあると思う。
そんな過程を踏んでいる間にもリアルでは人付き合いをし、男性に興味のあるふりをし、彼氏もつくり、別れ、修羅場も経験した。
好きな人がいなかったわけじゃないし、女嫌いの女が好きな男嫌いな男とも何人も仲良くなった。
病んだオタク友達も何人もいたし、どうすることもできず距離をとったこともある。自殺して亡くなった子もいた。
それ以外にも私がコミュ障だったせいで迷惑をかけた人もたくさんいる。
今でも申し訳ないと思っているし、誰とも付き合わなければよかったのではないかと思うことすらある。
私がおかしいんだろうとも思う。でも、おかしくて何が悪いとも思う。
何をしててもお互い気に障るようなら人に迷惑かけないようにするには孤立するしかない。
男性なら楽だったのかと考えた時期もあったが、そんなことはなく、それはそれで同じ結果だっただろうと今ではわかる。
みんなでわいわい盛り上がっていることがうらやましい時期も通り過ぎてしまった。
私はいつしか一人でエロゲを買いに行き、薄い本を買いに行き、男性向けアニメイベントにも参加し、そこで出会えた人と交流して仲良く話ができても、それ以上仲を深めることは求めなくなった。
オタクじゃない友達がいて「別にいいんじゃない」と私を肯定してくれればそれで十分なのである。
私は私を理解してほしいと思いながら、理解してくれなくてもいいとも思っている。
それでも、自分を助けてくれ、今現在も楽しんでいるコンテンツがなくなること自体は我慢できない。
一方的に勝手なことを言われて叩かれているのはさらに納得できない。
こんなものに救われるお前がおかしいというのであれば、こんなものに救われざるを得なかった現実世界の方がおかしいと思っている。
プロバイダーの設定ゆえ自宅パソコンから全く2chへと書き込みができないという素敵な状態になっているのでスレ立てを依頼したいです。当方スマホも持っておりませんでよろしくお願いします
夕方に書き込んだ時にはお一方代行してくださったんですが、時間帯が悪かったのかどうにもスレが伸びなかった(あと自分がリアルタイムで見れなかった)のもあってもう一度お頼みしたい!
以下内容
スレタイ:iPodでマイベスト30作ったったwwwwwwww
本文:
Fragment(the heat haze of summer) KAMIN
夏影(Re-feel.ver) 麻枝准
THINKER 星野康太
natukage Lia
恋心 Lia
白い夏と緑の自転車、赤い髪と黒いギター the pillows
僕らの恋 riya
This illusion M.H
長い夢 YUKI
BLANDNEW WAY ガネーシャ
Jubilee くるり
夢じゃない スピッツ
楓 スピッツ
Dewprism EndingThema(Rue) square
Forget-me-not 尾崎豊
嵐の中で輝いて 米倉千尋
プロバイダーの設定ゆえ自宅パソコンから全く2chへと書き込みができないという素敵な状態になっているのでスレ立てを依頼したいです。当方スマホも持っておりませんでよろしくお願いします
スレタイ:iPodでマイベスト30作ったったwwwwwwww
本文:
Fragment(the heat haze of summer) KAMIN
夏影(Re-feel.ver) 麻枝准
THINKER 星野康太
natukage Lia
恋心 Lia
白い夏と緑の自転車、赤い髪と黒いギター the pillows
僕らの恋 riya
This illusion M.H
長い夢 YUKI
BLANDNEW WAY ガネーシャ
Jubilee くるり
夢じゃない スピッツ
楓 スピッツ
Dewprism EndingThema(Rue) square
Forget-me-not 尾崎豊
嵐の中で輝いて 米倉千尋
有名メーカーkeyのドンである麻枝准は、どうやら記憶というものを〈死〉に重ねて考えているようだ
彼の書いた曲である〈夏影〉の歌詞に、実在する物体は変わっていき、あるいは滅びて消えていくが、それらの物事に関する記憶だけはそのままで残り続ける旨が書いてある
物体が消滅しても、その不在に代わるかのごとく、記憶が残り続ける
このような場合において、記憶とは不在の象徴であり、あるいは死を象徴するものでもあるのかもしれない
アニメ〈Angel Beats!〉にて、死後の世界というものがえがかれていたのであるが、あの世界は一体何を表しているかと言えば明らかで、メインテーマ曲である〈一番の宝物〉においても語られているように、あれは記憶・思い出の世界でもある
ネット方面で何かとパッシングの目立つAngel Beats!(以下AB
かの作品において何が表現されたかったのか、これが一つの難解さを帯びている
この文章においてはその『表現されたかった何か』について言及していくことにする
ところでかの作品にはとある挿入歌が存在する
『一番の宝物』というタイトルの歌だ
思うに、この曲そのものが、ABにおいて表現されたかったものそれ自体なのではないかと私は思う
というのも、このABのシナリオを執筆したのは、御存知ギャルゲーメーカーkeyの首領(ドンと読む)である麻枝准なのだが、彼が制作日誌で述べている文章の中に重要なメッセージが記されていたのだ
漂うものが同じだ。
この文章は、AB制作終盤近くの仕事を終えた麻枝准によるコメントなのだが、ラスト辺りに盛り込みたかったらしい雰囲気に関しての記述が行われている
穏やかな喪失感
恐らくコレだろう
いつか覚める夢のまた朝
それこそが、ABが究極的において描かれたくあった情景なのではないだろうか
★★★☆☆☆☆☆☆☆
空回り感が否めないファンタジィ
気合が空回りしているのかとにかく冗長。この程度の内容で2時間超えはないだろう。
そのへんからして「子どものための」「良心的な」作品という皮をかぶった大人の慰みものの匂いもしなくはない。
テンプレ通りの「田舎の夏休み」「ピュアな子どもたち」もアレだが、特に脚本には問題が多く、中盤のダレはもちろん、
終盤の安っぽい説教も完全に足を引っ張っている。背伸びして児童文学気取る前に、アニメで非日常を構築することの意味を考え直すべき。
★★★☆☆☆☆☆☆☆
いろいろ不合格......
同じ舛成監督と倉田英之脚本による『かみちゅ!』では、神道的想像力とジュブナイルがスマートにミックスされていたのに対し、
最高の人材と手間暇と予算が投入された今回は、いまひとつ何を目指したのかがわからない。
主題として非常に似通っている『サマーウォーズ』が(成功しているかどうかはともかく)
SFとして、近未来のテクノロジーと人間の在り方を正面から扱っていたことに比較すれば、特筆すべき試みはひとつもなかった。
★★☆☆☆☆☆☆☆☆
これで「宇宙」はちょっとムリ
小惑星探査機「はやぶさ」の帰還などで盛り上がった天文ブームと軌を一にして、異界としての宇宙の魅力を奔放なイメージで再生......し損ねた凡作。
少女への性欲ダダ漏れのキャラデザには目をつぶるにしても、擬似ディズニーランド級に宇宙を貶めた映像演出、
快楽を欠いた活劇、クソ寒い説教と、正しい"子供騙し"のお手本。これでは宇宙にロマンの復権を求めるメンタリティの退行性を疑わせるばかりでは?
★★★★★☆☆☆☆☆
ほほえましい独り相撲の記録
とにかく不用意な作品で、脚本も作画もぐだぐだ。いつもの陳腐なトラウマ
描写と、結局「男の子の生きがいのため、かわいそうな女の子が都合よく必
要です」的な弱めの肉食系ナルシシズム構築に回収しちゃう絶望的な底の浅
さは擁護しようがない(笑)。ウェルメイドな空気系の時代に、手持ちの古い武器(セカイ系センス)で戦いたかったのだろうが、
結果は独り相撲の挙げ句惨敗、むしろ敵の強大さを証明した作品だが、その稚拙な突撃はある意味ほほえましい。
★★★★★★★☆☆☆
あからさまに近年のヒットアニメを彷彿とさせる設定をふんだんに導入して
いるせいで、麻枝シナリオの要である家族愛やトラウマすら、ただのガジェッ
トのように見えてくる。が、それでも物語全体に漂う「ガチ」な空気は、さすがKey&麻枝准というべきか。
さらに、Key原作だというだけで制作のP.A.ワークスの演出が「京アニ化」している現象は非常に興味深い。真似られる
★★★★☆☆☆☆☆☆
説明台詞偏重のアンバランスな演出や超展開を、美少女ノベルゲーム的な文
脈へのリテラシーで深読みできるか否かで見方は変わるが、連続アニメとし
てはやはり破綻。それを割り引いても、終わりなき学園的日常への執着と生
の一回性との葛藤を描くゲーム発のコアなオタク文芸特有の主題に、何か新しい展開を示せたとも言い難い
(例えばゆりの抵抗にはもっと別の掘り下げができそうだが......)。美少女ゲーム的想像力の枠組み自体が、もはや限界か。
以前「Key関連サイトの印象」てのを書いたんだが、このままだと管理人に暗殺(笑)されそうなのでフォローしてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20090227040148
さて、4月から突然Keyファンサイトの動きが鈍くなったのはみなさんご存知の通り。
っても各ブログに貼り付いてる俺みたいな奴はともかく、普通の人は気づいてないかもしれないので客観的にそれを示す。
この図は、各サイトが1ヶ月の間に何回Key関連記事を書いたかを数えたもの。5月はまだ9日なので3倍した値。
名前 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 |
basicchannel | 20 | 22 | 12 | 9 |
---|---|---|---|---|
鍵っ子ブログ | 15 | 12 | 12 | 6 |
key to hearts | 28 | 34 | 29 | (閉鎖) |
nows | 13 | 9 | 6 | 6 |
見て分かる通り3月から4月にかけて一気に更新頻度が下がっていて、5月はこのまま行くと更に記事が少なくなる。
key to heatsに至っては閉鎖したほど。
4月はKeyはいつものネタもあったし、Keyらじイベント、AngelBeats!発表、麻枝准のブログ開設とイベント目白押し。
3月と比べて記事が一気に増えてもおかしくない。
それでも記事が減ってる。
なんでこんな事になったか。
俺もあるファンサイトを管理してた経験があるので分かっていたが、
先日鍵っ子ブログの管理人がTwitterで呟いた一言が俺の予想通りだったので確信した。
http://twitter.com/makura/status/1727958537
彼はkeyに対して批判的な発言をしないので期待薄だったがポロっと出たようだ。ずっと監視していた甲斐があった。
この発言が、Key関連サイトの更新ペースが一気に鈍った全ての原因だが、かなりオブラートに包んだ言い方をしている。
この意味が分かるだろうか。
答えは
4月からせなか:オタロードblogの管理人がビジュアルアーツに入り公式情報サイトを始めた事
これが原因。
まだ誰も拾ってないようなネタとかを拾ってきたり、色々予想してみたり、考察したりしてる。
いかに面白いネタを拾ってくるかとか、速度を競ったりしてるわけだ。
しかし公式が情報サイトを始めるとどうやっても絶対に勝てない。
例えば、こういう記事
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=16
この記事で書き下ろしラフ画まで掲載してるし、何よりまだ発売前だ。速度という面では圧倒的な負け。
著作権的に画集の中身の写真はブログに上げれないが、公式ならそれも考えなくて良い。バンバン上げてる。
Keyらじのレポも
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=19
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=20
準備の裏側・イベントの裏側まで含めてレポできるのは公式ならでは。
スタッフ・客が写りこんでる写真もバンバン使ってるし、一部スタッフでは顔にモザイクすら入れてない。
一般人なんて写真を撮れるかどうかも怪しいし、スタッフに向けてカメラ構えるなんてまず無理だろうしな。
レポの質的にもどうやっても勝ち目が無い。
公式が情報ブログやるんだからそういう付加価値のある情報載せないと意味が無いが
戦ったって100%負けるんだから。
それと多分、この公式サイトそのものが内輪ネタってのもあると思う。
馬場社長が辞令出してたり、時給800円とか言ってるが、オタロードBlog管理人とVAが仲良かったのは誰もが知ってるし、そのコネで入社したのも周知。こんな記事も内輪だからこそ。
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=18
麻枝准とかの制作スタッフがブログ作ってやんややんやするのとは訳が違う。
これが4月以降、Key関連サイトが更新しなくなった理由だと思う。
basicchannelはKeyネタからちょっと離れて来て色んなネタ拾い始めてる。ソースは2chなブログだからあんまり今回の事とは関係ないかな。nowsは知らん。Twitterでも殆ど発言してない。同人ゲームを作ってるらしいので、それにかかりっきりだと予想。
鍵っ子ブログは5月か6月頃には閉鎖すると予想。
本人は忙しいとか言ってるが、Twitter見てる限り明らにブログを更新する気が無いだけ。咲のアニメとか普通に見てるしw
※12.25追記:すいません、ネタばれなのでやってないけどこれからやるつもりの人は読まないでください。書くの忘れてた……そういえば正式発表されたんですかね?これでデマだったら涙目。
最初この情報を知った時の感想は「へー、そうなんだ」でした。んで葉鍵板やら各種ブログやらを見て回って、あまりのウブな反応っぷりに吹きました。「リトバスにエロはいらないだろう……」「友情の物語が崩れる」「ショックです」などなど。う、ウブすぎる……。その割に「エロエロなアフターもの、FDなら良かったのに」という意見は多い。なんという解離。というか、未だに智代アフターがトラウマなのでしょうか。兎にも角にも、実にウブな「リトバス大好き!俺のリトバスを汚さないで><」というご意見の数々に大変、心温まる今日この頃です。
感情的な「エロはやめて」的言説は置いておくとして、エロを入れると「リトバスの構造的に不味い」という説は考察してみたいところです。これはつまり「リトバスは虚構世界をループする中で理樹(と鈴)が成長していくお話だから、構造上、全ルートを理樹(と鈴)は体験しているという前提が成り立つ」ため、単なるマルチエンディングと違い、トゥルーエンドの理樹きゅんは「みんなと致した」末の理樹きゅんになってしまうということです。しかも、回避策として浮かぶ「バッドエンドえろえろ作戦(別名:ナギー夢現エンド方式)」ですら解決できないのが厳しいところ。だって理樹きゅんの繰り返しの中にはバッドエンドも含まれているわけだからね(いくつかのバッドエンドにおいて、次の世界を示唆する言葉は散見されます)。小毬発狂エンドや美鳥バッドエンドでのえろえろは容易に思いつくだけに惜しい。実に惜しい。しかし本当にそうだろうか。本当に「不味い」のか? 実は、全然不味くないんじゃないか? なぜキスはよくてエロはだめなのか。ラストでヒロインたちはキスの話をしているじゃないですか。そもそも「みんなと致した」末のトゥルーが不味いなら、各ルートそれぞれ、恋愛関係になっている時点で不味いし、その時点で「不潔です><」とか批判しないといけないわけです。事実、そういう批判もあるはずです。でも、その構造は受け入れておきながら、いざエロが絡むとなったとたん「不潔です><」は無いでしょう。
個別ルートで純愛を語りながら、それらを渡り歩く美少女ゲームに必須のスキルを、とある偉い人は「解離」と呼びました。リトバスも最初からエロありだったら、この解離スキルを使いこなした歴戦のユーザーはエロ部分を含めて「面白かった」と言うでしょう。「Keyにエロはいらない」というお決まりの言葉は当然出るでしょうが、それはもうお約束みたいなものです。ところが、一度「エロなし」の物語を見てしまった僕らは、いざ「エロあり」になった瞬間、解離がうまく機能させられなくなってしまっています。何を今さら的なウブな反応は、ひょっとするとこの部分にあるのかも知れません。ToHeart2の場合と違って、明確に「共に様々な困難を乗り越えてラストに至った理樹きゅん」との記憶を持つだけに、この解離は困難を極めるというのが正直なところなのでしょう。
だが待ってほしい。逆に考えるんだ。だからこそリトバスのエロはかつてないほどに興味深く、Key史上でも類を見ない独特な魅力を放つ可能性を秘めています。そもそもエロとは禁忌であればあるほど魅力を増すもの。Keyのエロは予てより「予定調和的」で「不必要なもの」としての位置を占めてしまっていたがために「必要のないもの」として処理されてきました。当然です。エロゲーというフォーマットだからエロがあって当たり前。ここから「ずらす」ために麻枝准はAIRを作ったわけです。ナギーの「バッドエンドでのみエロ」はエロゲーのかつての機能からすれば奇形だったわけですし、観鈴ルート→AIRルートに至って完全にエロゲーとしての梯子の数々を外しまくったのも、Keyがエロゲー屋さんであるという前提があったからこそ機能しました。翻って、CLANNADで完全にエロなしとなったKeyは、リトバスもエロなしになって「もうKeyはそっちなんだね」という印象を刷り込むことに成功しました。そこでエロ。そりゃあみんなびっくりするよ。リトバスは元々エロでもいけるように作っているのですが、ユーザーとしては「エロなしで当たり前」なのがリトバスです。「エロなしで当たり前」のはずの物語でポルノグラフィーが展開するという禁忌。遣り様によっては、Keyの新しい世界が見えるかも知れません。そもそもリトバスは実験色の強い作品であり、今後の「ポスト麻枝時代」を築くための礎という位置付けがなされているのは容易に想像がつくというもの。どんどんやってほしい。なんでも試してほしい。それを受け入れるだけの余剰が、あのリトバスという途方もないゲームには含まれていると私は信じています。
原作のシナリオから自分が気になった所だけを抜粋したので、他の人が作ればまた別の物になると思います。2話以降で後付けで説明されたり、回想の形で挿入されたり、時間軸をずらして取り入れたり、というのも当然あると思います。京アニが、この長大な作品の、何を描いて何を描かないのかという取捨選択の趣向を見守っていきたいと思います。
また、あとから追記するかもしれません。→少し追記しました。
やたらと自然が多い町。
山を迂回しての登校。
すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。
直線距離を取れば、20分ぐらいは短縮できそうだった。
代わりに「売地」が写される。
【女の子】「それでも、この場所が好きでいられますか」
………。
【女の子】「わたしは…」
【朋也】「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」
【朋也】「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」
【女の子】「………」
そう。
何も知らなかった無垢な頃。
誰にでもある。
【朋也】「ほら、いこうぜ」
最後の地の文が抜けている。
何も知らなかったから言えた台詞、無垢だったから言えた台詞。
自分はこの町が嫌いだというのに、この場所を好きでいたいと考える女の子。
自分は変化を求めているというのに、変化を恐れている女の子。
ちょっとした反感から口を滑らせた、聞き覚えのいい正論。
ネタバレ(文字白色):いずれ「変わって欲しくないもの」を手に入れて、そして失ってしまったときに、この言葉は自分自身に跳ね返ってくることになる。
ちなみに、アニメでは地の文の「………。」の箇所で、朋也が視線を落とし、次のシーンで朋也の顔が隠れることで反発を表現している。
母を亡くしたショックでだろうか…残された父は堕落していった。
アルコールを絶やすことなく飲み続け、賭け事で暇を潰す生活。
少年時代の俺の暮らしは、そんな父との言い争いにより埋め尽くされた。
けど、ある事件をきっかけにその関係も変わってしまった。
俺に暴力を振るい、怪我を負わせたのだ。
その日以来、父親は感情を表に出さないようになった。
そして、俺の名を昔のように呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼び、言動に他人行儀を感じさせるようになった。
それはまさしく、他人同士になっていく過程だった。
まるで殻に閉じこもっていくように。
今と過去との接点を断ち切るように。
突き放すならまだ、よかったのに。
傷つけてくれるなら、まだ救われたのに。
怪我についての描写はアニメではまだ無かった。
うちの学校は特に部活動に力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。
そんな生徒たちは親元を離れて、ここで三年間を過ごすことになるのだ。
関わり合いになることもなかったが、こんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。
春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。
しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩をやらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。
そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。
退部するしかなかったのだ。
【春原】「はい、ここ、僕たちの席ねーっ」
【春原】「とりあえず学食いったら、誰かいるだろうからさ、ジュースでもおごらせようぜ」
【朋也】「そんなのばっかだな、おまえは…」
【春原】「よし、じゃ、いこう」
やることもなかったから、ついていくことにする。
【春原】「ねぇねぇ、ジュースおごってよ」
春原が後輩を捕まえて、そうせびっていた。
【春原】「百円じゃなくて、二百円」
【春原】「ふたりぶんだから。あっちの人も」
【春原】「うん、君、いい奴だねぇ。なんかあったら、僕たちに言っておいでよね」
【春原】「僕たち、学校の外ではぶいぶい言わせてるからさっ」
他の男子も、何事かと窓際に集まり始めていた。
…鬱陶しいこと、この上ない。
あの中にいたら、むかついて誰か(主に春原)を殴っていただろう…。
暇つぶしには最適。
一日の授業を終え、放課後に。
春原の奴は最後までこなかった。
結局、今日俺が話をしたのは、朝に出会った女生徒だけだった。
【朋也】「好きにしてくれ」
見捨てて、ひとり坂を登り始める。
ただ…
そんな不良に見えなかったから、話しかけてしまっただけだ。
それだけだ。
【女の子】「あっ、待ってください」
どうしたものだろうか…。
遠慮なく、話を聞きすぎたような気がする。
気にならないといったら、嘘になるが…
気にしないよう、務めよう。
これからは、あいつ一人で頑張るしかないことだった。
三年で、ここに来ているのは俺たちふたりだけだった。(智代登場のシーンふたりは春原・朋也)
【朋也】「友達、作ればいいじゃないか、また新しく」
【女の子】「時期が時期ですから、みんなそういう雰囲気じゃないです」
【朋也】「三年生だったか…」
三年といったら、もうクラブも引退寸前なのに…
それをこれから頑張ろうなんて…他人の目にはどう映ってしまうんだろうか…。
新入部員だと言っても、三年生だと知れば、部員たちの反応は当惑に変わるだろう。
ひとりでも知り合いがいれば良かったのだろうけど…。
アニメでは代わりに、同級生が朋也と春原の事を噂している描写と、委員長が不良生徒に話しかける珍しい事態に周りの生徒が注目している描写が入る。
【女生徒】「見て、あの子」
【女生徒】「ほら、あそこ」
窓際にいた女生徒が窓の外を指さして、隣の連れに話しかけていた。
【女生徒】「ひとりで、パン食べてる。なんか、一生懸命で可愛い」
【女生徒】「どこのクラスの子だろ。あんまり見ない子だね」
【女の子】「頭の手は…なんですか?」
【朋也】「いや、別に」
【女の子】「そうですか…」
【朋也】「ああ」
しばらく彼女は呆然と、俺はその後ろで彼女の頭に手を置いて、ふたり立ち尽くしていた。
端から見れば、おかしなふたりだっただろう。
【朋也】「俺はD組の岡崎朋也」
【朋也】「あんたは?」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
遅すぎる自己紹介。
ふたりだけは、出会いの日の中にあった。
【古河】「………」
【古河】「それで…」
【朋也】「よろしく」
【古河】「………」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【古河】「………」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【朋也】「よろしく」
【朋也】「ひとりで帰れるか?」
【古河】「はい、もちろんです」
【朋也】「ハンバーグでも食って、元気つけろよ」
【古河】「え?」
この箇所は原作でも印象的なシーンであり、電撃G'sマガジンで連載中のCLANNADの第一話も、ここをクライマックスにしていたため、この描写が抜かれたことに違和感を感じる人は多いようだ。
ただ尺の問題上「お連れしましょうか」のシーンを第一話のクライマックスにする事に決めたとしたら、
といった理由で、かなり難しいのではないか、と思う。
こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。
………。
「もし、よろしければ…」
代わりに、電灯のついた部屋を見上げる。
一面、白い世界…
………
雪…
そう、雪だ。
今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。
ああ…
僕はこんなところで何をしているのだろう…。
いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。
………。
雪に埋もれた…僕の手。
それが、何かを掴んでいた。
引き上げる。
真っ白な手。
女の子の手だった。
ああ、そうだった…。
僕はひとりきりじゃなかった。
彼女の顔を覆う雪を払う。
穏やかに眠る横顔が、現れた。
そう…
この子とふたりで…ずっと居たのだ。
この世界で。
この、誰もいない、もの悲しい世界で。
完全なネタバレ(麻枝准の他作品のネタバレも含む)なのでここから文字を白色に(匿名ダイアリーは続きを読む記法が使えないようだ。キーワードリンクも消せない。)
ゲームでは、開始時点は幻 想 世 界編であり、そこから始まる本編は長い回想のようなものだと解釈できる。
(もっとも幻 想 世 界では時間が意 味がなさないので『回想』という表現は相応しくないかもしれない。)
麻枝准が自ら企画した作品は最初のシーンに後から繋がる、戻ってくる、という話が多い。
- ONEという物 語の構 造は主人 公が、幼い頃の悲しい出来 事が原 因で思い描いた「えいえんのせかい」から始まり、そこで各ヒ ロ インとの学園でのエピソードを回想することによって、元の世 界に戻る動機 付けを見い出して回 帰する話である。学園エピソードの前半ではそれが回想だと気付かない作りになっている。(より正確に書くと,メ タな位置にいるはずのプレイ ヤにとってはリアルタイムの出来事が、作品中の主人 公にとっては回想になっている、という捻れた構造になっている。)
- AIRのゲーム版では、OPムー ビーの最後から繋がるシーンで、ラス トシーンの少 年が呟く「さようなら」という言 葉を国崎行人が夢うつ つに聴いている。(この時点では何のことが分からない。)これはアニメ版では抜け落ちてしまったが、代わりにアニ メではEDの少 年に「昔の事を思い出していた」という台詞を言わせている。A I Rのプロローグ「我が子よ、良くお聞きなさい。これから話すことは大切な事、これから・・・」のシーンも、クライマ ックスで再び使われている(これはアニメ版でも一緒)。このシーンはプロローグで使われたときは国崎行人と,その母 親を想起させる( 注:「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束,というフレー ズに基づく)が、クライマッ クスで使われたときは「最初の翼 人」が自らの子 供に語りかけた台詞になっている。
- 智代アフターが回想なのは自明なので省略。
アニメ版ではプロローグを省いているため同じような仕掛けはやらないつもりなのかもしれない。
(仮に、アニメでも本編が回想である、という前提に立てば、アバンの『二人が出会った瞬間「光が揺らめ」いて彩度の上がる演出』は
朋也の思い入れ(「今思えばあの頃から俺は・・」的な)の反映とも解釈できる。)
しかし回想は積極的に使われていて、視聴者は、作中人物である朋也の主観的な時間軸を行ったり戻ったりする。
(書きかけ)
メモ: CLANNADがMAD的である理由 静止画MADムービー(静止画とテクストの断片と、音楽のシンクロ)、葉鍵系MAD全盛期(訴訟警告前)、動ポモのMADムービーに関する記述(トレンド:パロディ→原作の感動の再現) 音楽とキャラクターが、世界の連続性を担保しているー断片の羅列が世界を表現する 麻枝准の執筆方(音楽のイメージが無いとシナリオが書けずCDを延々と探している)、「ゲームの音楽は1/3」という麻枝の発言 「キャラ」が連続性を担保している(テヅカイズデッド) ADV形式ゲームの記号性(動ポモ) CLANNADのシナリオに対する二つのアプローチ:エクセルによる時間管理(監督:石原達也) 全エピソードのカード化と、パズルのような組み合わせ(脚本家:志茂文彦) ハルヒの成功がもたらしたもの: キャラクターのメタ物語性の確認:SFもミステリーもギャグもロマンスも同じキャラクターで可能である。(昔から。フルメタだってギャグとリアルだし、FFのようなRPGだって、(何故日本の作品にはシリアスな作品にもギャグがあるのか(ask john)),麻枝准は何故シリアスエピソードで笑いを入れるのか(ONEのバニ山バニ夫、Kanon舞エピソードのウサ耳、CLANNADアフターの風子参上、リトバス最終エピソードの丁寧に伏線まではってある筋肉大増殖) 時間軸を各自の脳内で再構築できる視聴者層が、商業的に成立する規模(DVDの売り上げがトップクラスになる程度には)はいた事の発見 「仕掛け」れば見つけてくれる視聴者と、その情報が直ぐに広まるネットワーク。 キャラ紹介の波線の演出は智代アフターだよね、白地の背景で「朋也の後を渚が・・」ってとこも智代アフターのOPかも? EDのウサギはONEのバニ山バニ夫。EDのだんご大家族の映像がNHKっぽいのは、当然だんご三兄弟のパロディだから シーンのトランジションがワイプなのはゲームのADVのパロディ? 猫。幽霊。 智代登場シーン。不良サングラスにギャラリーが映り、顔から汗がたらたら流れる→闘いたいわけじゃないけど、ギャラリーがいるから後に引けなくなってるのかな。不良が持ってる武器がフライパンってことは、ゆきねえの取り巻きかな、みたいな解釈話も含めて