はてなキーワード: 岡崎朋也とは
初めて増田になりました。
学生の頃にCLANNADのアニメを観て、それは大層泣きました。
シナリオの都合のよさとか、主人公にキツい運命を与えすぎでは?とか、そういう理屈を超越したところにこの作品はあって、京アニは見事にこの物語を演出してみせたと思う。
あの頃は家族とか友達とか人のつながりっていいな、と大まかにはそんな感想だったと思う。
しかし今の私は違う。見終わって、人はなぜこんなにも傷つきながら前を向いて生きなくてはならないのだろうと思った。
いやまあそもそも、5年目にして転職を2回しているような人生なので察してほしい。
働き続けることがこんなにもつらいのだと、布団の中で思う日々だ。
多分この日記を開いてくれた人はCLANNADやリトバスをすでに履修済みだろう。よって割愛する。
私の胸を打ったのは、AFTER STORYに入って、朋也が働き始めたところだ。
卒業後にプーだったことを負い目に感じていた主人公は、自分で仕事をみつけ、住む場所をみつけ、愛する人の5年目の高校生活を支える。
その18歳の岡崎朋也がなんともいじらしく、可愛く、行動してみせた自分がどこか誇らしく瞳が輝くも、あっという間に現実を突きつけられてしまうのだ。
新居に渚を迎えて浮ついた気持ち、職場の先輩の芳野と初めて車で現場に向かったときに、すれ違った家族を窓越しに見送った時の未来を期待する表情。
それがもうたった一日の労働で、家に帰ったら愛する渚の話に耳を傾けられないほど疲れ切ってしまうのだ。
学生時代にはその細やかな描写に気が付かなかった、まったく印象に残っていない。
改めて視聴した今回は、汐をめぐる物語以上に、朋也が働き続ける姿が目に焼き付いて離れないのだ。
本人も作中で話してはいるが、学校生活では友人たちの悩みを解決し、手を差し伸べてよい方向へ導いてきた朋也が、
人を導くことができるという自惚れが、働き始めたことで一瞬で瓦解する。
労働とは、そりゃ楽しいこともあるかもしれないけれど、大多数は生きるために嫌々行っているものだ、
学校が楽しくないからと不良のような生活を送っていたあの朋也が、逃げ出さずに仕事と向き合う姿は、まさしく日本という社会で生きるためには組織に所属して労働しなくてはならないという現実を突きつけてくる。
古河家だって、流行っているパン屋ではないことから、渚や朋也の目にみえないところで重いそろばんをはじいているのだろう。
朋也は渚を失ってからも仕事をしつづけた。本人はそれを汐からの逃避だといったが、生きるためにはお金が必要で、庶民は働かないと生きていけない。
どれほど傷ついても生きることから逃れられないのなら、仕事をしたり、人とかかわって生きていかないといけない。
汐の治療のために仕事をやめた朋也は、汐が亡くなってしまったら、もう死のうと心のどこかで覚悟していたのだろう。(原作で描写あったっけ…)
だから生き続けるための仕事をやめて、それを察した芳野は戻ってくるようにと声をかけた。
5年目に触れたCLANNADは家族っていいなとか楽しい友達が欲しいな、とかCLANNADは人生とかそういうことも感じたけれど。
傷ついた人間もその傷が癒えずとも前を向いて生きろと、そんな空をつかむような悲しいエールを受け取ったのだ。
思いっきり割愛するが、リトバスの主人公は親友たちを一度に失うという大きな傷を負う。
そして彼らが死ぬ運命は避けられぬのだと、その痛みを抱えてまでも生きろと言われる。
物語を通してハートが強くなった理樹は喪失をも受け止めて強く生きようとする。
まあ最終的にはうまいこと物語が展開してハッピーエンドになるのだけれども。
だーまえは何かとプレイヤーたちに強く生きてほしいと願っている気がする。
書を捨て街に出よう、じゃないけれど傷ついても現実逃避せずに真っすぐ生きてね、という応援。
ビジュアルアーツ20周年のイベントで配布された曲なのだが、わざわざイベントに来たような熱心なファンに「僕はもう大丈夫だから 今度はそう、きみが幸せになる番だよ」なんて語りかけてくる。
オタクなんて大小あれども、傷ついて生きてきて、エンタメにそれを救われているような人間ばかりなのだ。
そんなオタクたちに、現実に立ち向かえとスパルタ的に奮い立たせようとする。
あと多くのkey作品は現実から逃げるとBADED行きなのだ、智代ルートなど非常に印象に残っている。
そこまでして、どうして生きていかねばならないのか、、、なんて思う。
俺たちは人生の主人公なのだから、現実から逃げずに、居心地のいい環境を作って、ささやかながら生きがいをみつけて、VAにお布施して生きろと。
才能もない、とりえもない、頭もよくない、覚えも悪い。
ぐずぐずに崩れた自尊心を取り戻す手助けをしてくれる渚や朋也、恭介や理樹、そんな存在は周囲にはいない。
久々にCLANNADを観て、そりゃあもう想像外の感想を抱いたのだ。
現実をまっとうに生きている人々が圧倒的に多い世にこんないじけた文章を残せるのなんてここしかない。
自室に引きこもっていたようにみえた恭介だって、実は虚構世界で四苦八苦していた。己の失敗に落胆してはいても、決して行動をやめていたわけではない。
生きることとは行動なのだと、布団の中でスマホを触るオタクへ作品を通して鼓舞している。
もしもここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
サマポケ面白かったから買ってプレイしてね、プレイし終わってたらFD発売か京アニでアニメ化することを一緒に願おうね。
あとVAにできることは、だーまえの後継者を必死に探して育成することか、keyを畳んで新たな才能で作品を作るか、だーまえの治療費を全額出してあげてkeyブランドを守るかだ。
原作のシナリオから自分が気になった所だけを抜粋したので、他の人が作ればまた別の物になると思います。2話以降で後付けで説明されたり、回想の形で挿入されたり、時間軸をずらして取り入れたり、というのも当然あると思います。京アニが、この長大な作品の、何を描いて何を描かないのかという取捨選択の趣向を見守っていきたいと思います。
また、あとから追記するかもしれません。→少し追記しました。
やたらと自然が多い町。
山を迂回しての登校。
すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。
直線距離を取れば、20分ぐらいは短縮できそうだった。
代わりに「売地」が写される。
【女の子】「それでも、この場所が好きでいられますか」
………。
【女の子】「わたしは…」
【朋也】「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」
【朋也】「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」
【女の子】「………」
そう。
何も知らなかった無垢な頃。
誰にでもある。
【朋也】「ほら、いこうぜ」
最後の地の文が抜けている。
何も知らなかったから言えた台詞、無垢だったから言えた台詞。
自分はこの町が嫌いだというのに、この場所を好きでいたいと考える女の子。
自分は変化を求めているというのに、変化を恐れている女の子。
ちょっとした反感から口を滑らせた、聞き覚えのいい正論。
ネタバレ(文字白色):いずれ「変わって欲しくないもの」を手に入れて、そして失ってしまったときに、この言葉は自分自身に跳ね返ってくることになる。
ちなみに、アニメでは地の文の「………。」の箇所で、朋也が視線を落とし、次のシーンで朋也の顔が隠れることで反発を表現している。
母を亡くしたショックでだろうか…残された父は堕落していった。
アルコールを絶やすことなく飲み続け、賭け事で暇を潰す生活。
少年時代の俺の暮らしは、そんな父との言い争いにより埋め尽くされた。
けど、ある事件をきっかけにその関係も変わってしまった。
俺に暴力を振るい、怪我を負わせたのだ。
その日以来、父親は感情を表に出さないようになった。
そして、俺の名を昔のように呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼び、言動に他人行儀を感じさせるようになった。
それはまさしく、他人同士になっていく過程だった。
まるで殻に閉じこもっていくように。
今と過去との接点を断ち切るように。
突き放すならまだ、よかったのに。
傷つけてくれるなら、まだ救われたのに。
怪我についての描写はアニメではまだ無かった。
うちの学校は特に部活動に力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。
そんな生徒たちは親元を離れて、ここで三年間を過ごすことになるのだ。
関わり合いになることもなかったが、こんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。
春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。
しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩をやらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。
そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。
退部するしかなかったのだ。
【春原】「はい、ここ、僕たちの席ねーっ」
【春原】「とりあえず学食いったら、誰かいるだろうからさ、ジュースでもおごらせようぜ」
【朋也】「そんなのばっかだな、おまえは…」
【春原】「よし、じゃ、いこう」
やることもなかったから、ついていくことにする。
【春原】「ねぇねぇ、ジュースおごってよ」
春原が後輩を捕まえて、そうせびっていた。
【春原】「百円じゃなくて、二百円」
【春原】「ふたりぶんだから。あっちの人も」
【春原】「うん、君、いい奴だねぇ。なんかあったら、僕たちに言っておいでよね」
【春原】「僕たち、学校の外ではぶいぶい言わせてるからさっ」
他の男子も、何事かと窓際に集まり始めていた。
…鬱陶しいこと、この上ない。
あの中にいたら、むかついて誰か(主に春原)を殴っていただろう…。
暇つぶしには最適。
一日の授業を終え、放課後に。
春原の奴は最後までこなかった。
結局、今日俺が話をしたのは、朝に出会った女生徒だけだった。
【朋也】「好きにしてくれ」
見捨てて、ひとり坂を登り始める。
ただ…
そんな不良に見えなかったから、話しかけてしまっただけだ。
それだけだ。
【女の子】「あっ、待ってください」
どうしたものだろうか…。
遠慮なく、話を聞きすぎたような気がする。
気にならないといったら、嘘になるが…
気にしないよう、務めよう。
これからは、あいつ一人で頑張るしかないことだった。
三年で、ここに来ているのは俺たちふたりだけだった。(智代登場のシーンふたりは春原・朋也)
【朋也】「友達、作ればいいじゃないか、また新しく」
【女の子】「時期が時期ですから、みんなそういう雰囲気じゃないです」
【朋也】「三年生だったか…」
三年といったら、もうクラブも引退寸前なのに…
それをこれから頑張ろうなんて…他人の目にはどう映ってしまうんだろうか…。
新入部員だと言っても、三年生だと知れば、部員たちの反応は当惑に変わるだろう。
ひとりでも知り合いがいれば良かったのだろうけど…。
アニメでは代わりに、同級生が朋也と春原の事を噂している描写と、委員長が不良生徒に話しかける珍しい事態に周りの生徒が注目している描写が入る。
【女生徒】「見て、あの子」
【女生徒】「ほら、あそこ」
窓際にいた女生徒が窓の外を指さして、隣の連れに話しかけていた。
【女生徒】「ひとりで、パン食べてる。なんか、一生懸命で可愛い」
【女生徒】「どこのクラスの子だろ。あんまり見ない子だね」
【女の子】「頭の手は…なんですか?」
【朋也】「いや、別に」
【女の子】「そうですか…」
【朋也】「ああ」
しばらく彼女は呆然と、俺はその後ろで彼女の頭に手を置いて、ふたり立ち尽くしていた。
端から見れば、おかしなふたりだっただろう。
【朋也】「俺はD組の岡崎朋也」
【朋也】「あんたは?」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
遅すぎる自己紹介。
ふたりだけは、出会いの日の中にあった。
【古河】「………」
【古河】「それで…」
【朋也】「よろしく」
【古河】「………」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【古河】「………」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【朋也】「よろしく」
【朋也】「ひとりで帰れるか?」
【古河】「はい、もちろんです」
【朋也】「ハンバーグでも食って、元気つけろよ」
【古河】「え?」
この箇所は原作でも印象的なシーンであり、電撃G'sマガジンで連載中のCLANNADの第一話も、ここをクライマックスにしていたため、この描写が抜かれたことに違和感を感じる人は多いようだ。
ただ尺の問題上「お連れしましょうか」のシーンを第一話のクライマックスにする事に決めたとしたら、
といった理由で、かなり難しいのではないか、と思う。
こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。
………。
「もし、よろしければ…」
代わりに、電灯のついた部屋を見上げる。
一面、白い世界…
………
雪…
そう、雪だ。
今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。
ああ…
僕はこんなところで何をしているのだろう…。
いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。
………。
雪に埋もれた…僕の手。
それが、何かを掴んでいた。
引き上げる。
真っ白な手。
女の子の手だった。
ああ、そうだった…。
僕はひとりきりじゃなかった。
彼女の顔を覆う雪を払う。
穏やかに眠る横顔が、現れた。
そう…
この子とふたりで…ずっと居たのだ。
この世界で。
この、誰もいない、もの悲しい世界で。
完全なネタバレ(麻枝准の他作品のネタバレも含む)なのでここから文字を白色に(匿名ダイアリーは続きを読む記法が使えないようだ。キーワードリンクも消せない。)
ゲームでは、開始時点は幻 想 世 界編であり、そこから始まる本編は長い回想のようなものだと解釈できる。
(もっとも幻 想 世 界では時間が意 味がなさないので『回想』という表現は相応しくないかもしれない。)
麻枝准が自ら企画した作品は最初のシーンに後から繋がる、戻ってくる、という話が多い。
- ONEという物 語の構 造は主人 公が、幼い頃の悲しい出来 事が原 因で思い描いた「えいえんのせかい」から始まり、そこで各ヒ ロ インとの学園でのエピソードを回想することによって、元の世 界に戻る動機 付けを見い出して回 帰する話である。学園エピソードの前半ではそれが回想だと気付かない作りになっている。(より正確に書くと,メ タな位置にいるはずのプレイ ヤにとってはリアルタイムの出来事が、作品中の主人 公にとっては回想になっている、という捻れた構造になっている。)
- AIRのゲーム版では、OPムー ビーの最後から繋がるシーンで、ラス トシーンの少 年が呟く「さようなら」という言 葉を国崎行人が夢うつ つに聴いている。(この時点では何のことが分からない。)これはアニメ版では抜け落ちてしまったが、代わりにアニ メではEDの少 年に「昔の事を思い出していた」という台詞を言わせている。A I Rのプロローグ「我が子よ、良くお聞きなさい。これから話すことは大切な事、これから・・・」のシーンも、クライマ ックスで再び使われている(これはアニメ版でも一緒)。このシーンはプロローグで使われたときは国崎行人と,その母 親を想起させる( 注:「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束,というフレー ズに基づく)が、クライマッ クスで使われたときは「最初の翼 人」が自らの子 供に語りかけた台詞になっている。
- 智代アフターが回想なのは自明なので省略。
アニメ版ではプロローグを省いているため同じような仕掛けはやらないつもりなのかもしれない。
(仮に、アニメでも本編が回想である、という前提に立てば、アバンの『二人が出会った瞬間「光が揺らめ」いて彩度の上がる演出』は
朋也の思い入れ(「今思えばあの頃から俺は・・」的な)の反映とも解釈できる。)
しかし回想は積極的に使われていて、視聴者は、作中人物である朋也の主観的な時間軸を行ったり戻ったりする。
(書きかけ)
メモ: CLANNADがMAD的である理由 静止画MADムービー(静止画とテクストの断片と、音楽のシンクロ)、葉鍵系MAD全盛期(訴訟警告前)、動ポモのMADムービーに関する記述(トレンド:パロディ→原作の感動の再現) 音楽とキャラクターが、世界の連続性を担保しているー断片の羅列が世界を表現する 麻枝准の執筆方(音楽のイメージが無いとシナリオが書けずCDを延々と探している)、「ゲームの音楽は1/3」という麻枝の発言 「キャラ」が連続性を担保している(テヅカイズデッド) ADV形式ゲームの記号性(動ポモ) CLANNADのシナリオに対する二つのアプローチ:エクセルによる時間管理(監督:石原達也) 全エピソードのカード化と、パズルのような組み合わせ(脚本家:志茂文彦) ハルヒの成功がもたらしたもの: キャラクターのメタ物語性の確認:SFもミステリーもギャグもロマンスも同じキャラクターで可能である。(昔から。フルメタだってギャグとリアルだし、FFのようなRPGだって、(何故日本の作品にはシリアスな作品にもギャグがあるのか(ask john)),麻枝准は何故シリアスエピソードで笑いを入れるのか(ONEのバニ山バニ夫、Kanon舞エピソードのウサ耳、CLANNADアフターの風子参上、リトバス最終エピソードの丁寧に伏線まではってある筋肉大増殖) 時間軸を各自の脳内で再構築できる視聴者層が、商業的に成立する規模(DVDの売り上げがトップクラスになる程度には)はいた事の発見 「仕掛け」れば見つけてくれる視聴者と、その情報が直ぐに広まるネットワーク。 キャラ紹介の波線の演出は智代アフターだよね、白地の背景で「朋也の後を渚が・・」ってとこも智代アフターのOPかも? EDのウサギはONEのバニ山バニ夫。EDのだんご大家族の映像がNHKっぽいのは、当然だんご三兄弟のパロディだから シーンのトランジションがワイプなのはゲームのADVのパロディ? 猫。幽霊。 智代登場シーン。不良サングラスにギャラリーが映り、顔から汗がたらたら流れる→闘いたいわけじゃないけど、ギャラリーがいるから後に引けなくなってるのかな。不良が持ってる武器がフライパンってことは、ゆきねえの取り巻きかな、みたいな解釈話も含めて