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ネットスラングにおいて「地雷」とは、かつてはエロゲー用語のことだった。私の知る限りでは二十年ほど前から使用されていた。
ttps://anond.hatelabo.jp/20201209101046
当時のエロゲーは一本8,800円が基本で、タイトル名とパケ絵とエロゲ雑誌のわずかな情報だけで購入を判断していた。購入前情報と作品のクオリティに乖離が大きいこともしばしばで(端的に言ってクソゲーであること)、そうしたゲームを買ってしまうことを地雷を踏むと表現していた。次第にそうしたゲームのことを地雷ゲーム・地雷ゲー、あるいは単に地雷と呼ぶようになった。アニメは地上波放送なら無料で漫画やラノベは高くても1,000円なのに対して、エロゲーの価格が8,800円と高額であり、しかも購入しなければ内容がわからないことから、金銭的な損失のショックを地雷を踏むことに例えたのだろう。
地雷ゲームを防ぐにはメーカー名(ブランド名)や製作スタッフ(シナリオやCGのクレジット名)で判断をすればよい。しかし、新興ブランドの新作に対してはそうした戦略をとれないので、2ちゃんねる等の掲示板で感想を見てから購入を決めることが賢い判断だった。だからこそ、地雷の可能性があるエロゲーを予約するだの発売初日で購入するだのと宣言することは勇者として崇められたことだったし、感想が「〇〇は地雷だった」でもその情報は重宝されたのだ。
二十年ほど前のエロゲー業界では「はじめてのおるすばん」[2001年](以下はじるすと略す)が話題だった。発売元はビジュアルアーツ傘下のZEROというブランドであるが、ZEROは製作スタッフ名を伏せて実験的なゲームを発売することが多く、内容がクソゲーであることもしばしばだったので地雷メーカーとも呼ばれていた。当時、国際NGOが紛争地帯での地雷ゼロキャンペーンを推進していたので、それになぞらえて地雷ZEROなどと揶揄されていた。当然「はじるす」も発売前は目に見える地雷と評されていた。しかし、児童ポルノ法制定[1999年]から続く規制強化の論調に反発するかの如くに幼く見える女の子が18歳以上と言い張る公式ホームページによる紹介ページが大好評になり、エロゲー業界を超えた大きなムーブメントとなった。当時ネットサーフィン(死語)をしていた人は、「はじるす」紹介ページのパロディを見たことがあるはずだ。この「はじるす」、想定を超えたブームによる品切れが続き、なおかつゲーム内容がおおむね前評判通りでもあったので(メインヒロインがゲーム開始時に非処女であることに物議を醸したが)、地雷ゲームの汚名を返上するほどの人気作となった。発売後2~3か月ほどは、「はじるす」を求めて各地のエロゲーショップを巡回する「はじるす難民」が続出したという。今日でのネットスラングとしての「難民」の意味は、きらら系の癒しアニメが最終回を迎えることによって、アニメによる癒しに強く依存したファンが新たな癒しを求めて彷徨うことである。「ゆゆ式」や「きんいろモザイク(1期)」が放映されていたころに「難民」の用語が流行り始めたが、その元祖は「はじるす」だと思っている。
地雷の意味が変化したきっかけは、同じビジュアルアーツ傘下のイージーオーから発売された「うちの妹のばあい」[2003年](以下、うちいもと略す)であろう。当時のイージーオーは知名度は低く大きなヒット作を出していなかったものの、シナリオ・CG・システムともに一定以上の品質を保持していたので、知る人にはある程度の評価をされていた。「うちいも」は発売前の公式ホームページによる宣伝に力を入れており、なおかつ当時は妹ものブームだったこともあって大きな評判となった。しかし、イージーオーは「寝取られ」のジャンルで知られるブランドでもあったので、古参のファンと何も知らない新参者との間で大きな議論を呼んだ。「イージーオーのことだから、また寝取られ描写があるのだろう」、「いや、公式情報によると妹との純愛にしか見えないので、寝取られはありえない」という具合であった。結論を言うとバッドエンドルートでヒロインの寝取られがある。それも、ご丁寧に攻略ヒロイン全員分にだ。今でこそある程度の市民権を得た「寝取られ」だが、当時はまだ理解できる人が少なかった。純愛を望んだ多くのユーザーにとっては意図せずに「寝取られ」を見せつけられる結果になったので、作品としては不評や反感の意見が飛び交うこととなった。しかし、「うちいも」が「地雷」と呼ばれることはあまりなかった。と言うのも、「うちいも」は前作の「雨やどり」を超えるボリュームのシナリオ・CG量があり、バグや不具合もなかったので「クソゲー」ではなかったからだ。シナリオの内容についても、分岐によってはハッピーエンドもあり、そちらでは「寝取られ」も無く概ね好評を得ていたので、作品全体は「地雷」ではないもののバッドエンドが「地雷」と評されたり、「鬱ゲー」と呼ばれるジャンルを好むユーザーからはむしろ高い評価を得たりもした。これが「地雷」の用語がクソゲーを踏むことから変化して、ジャンルやシチュエーションがユーザーの嗜好と不一致することに対して用いられてきた最初の例だと思われる。ちなみに、イージーオーは「うちいも」の賛否両論の騒動を受けて、公式ホームページで「純愛宣言」をすることとなった。内容としては、今後リリースするすべてのゲームで「寝取られ」描写をしないというユーザーに向けての宣言である。しかし、イージーオーは失った評判を取り戻すことができず、ブランドは解散することとなる。
次に「地雷」がキャラクターに対して用いられた例も述べる。エルフの「下級生2」[2004年]である。エルフは今でこそ解散してしまったものの、かつては老舗の有名ブランドであった。「東のエルフ、西のアリス」と呼ばれ、業界大手のアリスソフトに匹敵するほどの人気があった。エルフは「ドラゴンナイト」シリーズや「同級生」シリーズで知られるブランドで、エロゲーをやったことのない人でもタイトル名だけは知っていることだろう。昨年アニメ放送された「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」も原作はエルフにより発売されたエロゲーである。「下級生2」の発売当初はエルフの人気シリーズ続編ということもあって当然多くの期待と注目を浴びることになった。しかしながら、「下級生2」も「寝取られ」(正確には寝取り?)が原因で不評を買う結果になってしまった。メインヒロインの「柴門たまき」は主人公の幼馴染だがゲーム開始時点で医大生の彼氏持ちという、学園ものの恋愛アドベンチャーとしては斬新な設定であった。「たまき」を攻略することは、彼氏持ちの女が幼馴染の男(主人公)と二股デートをすることと同義でもある。そして攻略を進めると「たまき」は二股がバレて彼氏に捨てられることになる。その後もシナリオを進めると、主人公との情事を重ねる際に「たまき」は医大生と肉体関係を持っていたので非処女であると告白するのだ。そのうえ、「たまき」は情事の内容をいちいち元彼氏と比較をするのだ。ゲーム序盤では、「たまき」は主人公の幼馴染でクラスのマドンナ的な存在として描かれていたにもかかわらず、その本性は性悪ビッチ女だったという展開にピュアな童貞エロゲーマーの精神が耐えられるはずもなかった。激怒したエロゲーマーは、エルフのファンクラブを退会しゲームディスクを真っ二つに割った画像をアップした。これが「たまきん事件」の顛末である。「下級生2」が「地雷」と呼ばれたことはもちろんだが、それと同じくらいに「たまき」も「地雷」と評された。これがゲームではなくキャラクターに対して「地雷」が用いられた最初の事例かと思われる。
ちなみに、00年代中頃になると地雷ゲームの呼称はあまり使われなくなってゆく。その理由としては、体験版や公式ホームページによる情報公開が進み、発売前からある程度内容を推測できるようになってきたからだ。さらに、アリスソフトの「妻みぐい」[2002年](定価2,800円)を契機に廉価ゲームが流行って、エロゲーは一本8,800円という常識が崩れたこともある。それにより、新興ブランドがクオリティの不明なエロゲーを8,800円で発売することもなくなったので、エロゲーマーが地雷を踏むことも無くなった。次第に地雷ゲームの言葉は廃れていった。さりとて、クソゲーが消えたわけではない。クソゲー愛好家の間ではHYPERSPACE(通称:超空間)というブランドのエロゲーは有名だが、「地雷」ではなく明らかな「クソ」なので地雷ゲームと呼ばれることはなかった。
なぜ「地雷」の歴史を長々と述べたのかというと、冒頭に述べた増田にて、同人界隈で腐女子が地雷という言葉を用いることを知ったからだ。今でこそ「地雷」は「下級生2」の例で述べたように、キャラクターや人物に対して用いられるのが常である。実在人物においては、合コンの相手・交際相手・風俗嬢などに対して使うことが多いだろう。しかし、腐女子は同人作品の受け入れられないジャンルやカップリングなど嗜好の不一致という意味で用いているのだ。これは「うちいも」における地雷の用法と同じである。そうした観点からみると腐女子が用いる「地雷」はむしろ原点回帰と言えなくもない。そうした意見を述べてみようかと思った。しかしながら、エロゲーとは関係ない文脈で「地雷」を用いている場で長々とエロゲーの歴史を語っても尋常者は嫌悪するだけとなるので、ツリーに表示されないようにh抜きでURLを張ってこのように長々とした文章を描いた次第である。
私は「地雷」用法は本来の意味に立ち返るべきだと言及するつもりなど毛頭ない。ただ単に、インターネット黎明期の頃から続くネットスラングが用いられた当初の時代の雰囲気を主張したくなっただけである。かつてネットスラングはエロゲーマーをはじめとしたヘビーなインドア男が生み出すのが常だった。インターネットは、現在のようにWi-Fiで楽チン接続するのとは訳が違った。高額で場所の取るデスクトップPCを用意し、プロバイダー契約にも金を払い、様々な配線を床や壁に絡ませて、頻繁にフリーズするWindowsで面倒なインターネット接続設定をする。このような芸当は、注ぎ込める時間と金の全てを家の中で消費するヘビーなエロゲーマーにしかできないことだ。手間暇をかけて接続したインターネットの利用方法はもちろんエロゲー情報の収集である。だから、当時生まれたネットスラングが現実では全く使い道の無い言葉となるのも当然のことだった。逆に、現実の言葉がエロゲーマーにとっては違う意味を持つこともある。2007年に月探査衛星の「かぐや」が世間ではニュースになったが、当時Googleで「かぐや」と検索するとエロゲーブランドの「アトリエかぐや」が最上段に表示されるというありさまだった。今では到底信じられないことかもしれないが、もしも日本のインターネット文化を構成したのが引きこもりエロゲーマーばかりだったらというおぞましい現実が、インターネット黎明期に実存していたのだ。
もちろん私もヘビーなインドアエロゲーマーだ。しかし、エロゲーから離れてもう十年以上も経つ。エロゲーとはもはや無関係の私が、「地雷とは元々エロゲー業界で用いられてきた言葉で…」などと述べたところで、誰の代弁にもならない無意味な話にしかならない。GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーは「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と演説したが、その言葉を借りれば「エロゲーマーは死なず、ただ消え去るのみ」と言ったところであろうか。しかし、職業軍人とは違い私はただの一消費者に過ぎず、しかもその趣味を現実世界では誰にも公言できないので、演説どころかこのような匿名ブログでしか述べることができない次第だ。それに、こうして長文を書くこと以外に自身がエロゲーマーであったことの証明ができないので、もはや消えていたも同然だ。
エロゲーマーは死なず、とうの昔に消え去っていたのだ。
初めて増田になりました。
学生の頃にCLANNADのアニメを観て、それは大層泣きました。
シナリオの都合のよさとか、主人公にキツい運命を与えすぎでは?とか、そういう理屈を超越したところにこの作品はあって、京アニは見事にこの物語を演出してみせたと思う。
あの頃は家族とか友達とか人のつながりっていいな、と大まかにはそんな感想だったと思う。
しかし今の私は違う。見終わって、人はなぜこんなにも傷つきながら前を向いて生きなくてはならないのだろうと思った。
いやまあそもそも、5年目にして転職を2回しているような人生なので察してほしい。
働き続けることがこんなにもつらいのだと、布団の中で思う日々だ。
多分この日記を開いてくれた人はCLANNADやリトバスをすでに履修済みだろう。よって割愛する。
私の胸を打ったのは、AFTER STORYに入って、朋也が働き始めたところだ。
卒業後にプーだったことを負い目に感じていた主人公は、自分で仕事をみつけ、住む場所をみつけ、愛する人の5年目の高校生活を支える。
その18歳の岡崎朋也がなんともいじらしく、可愛く、行動してみせた自分がどこか誇らしく瞳が輝くも、あっという間に現実を突きつけられてしまうのだ。
新居に渚を迎えて浮ついた気持ち、職場の先輩の芳野と初めて車で現場に向かったときに、すれ違った家族を窓越しに見送った時の未来を期待する表情。
それがもうたった一日の労働で、家に帰ったら愛する渚の話に耳を傾けられないほど疲れ切ってしまうのだ。
学生時代にはその細やかな描写に気が付かなかった、まったく印象に残っていない。
改めて視聴した今回は、汐をめぐる物語以上に、朋也が働き続ける姿が目に焼き付いて離れないのだ。
本人も作中で話してはいるが、学校生活では友人たちの悩みを解決し、手を差し伸べてよい方向へ導いてきた朋也が、
人を導くことができるという自惚れが、働き始めたことで一瞬で瓦解する。
労働とは、そりゃ楽しいこともあるかもしれないけれど、大多数は生きるために嫌々行っているものだ、
学校が楽しくないからと不良のような生活を送っていたあの朋也が、逃げ出さずに仕事と向き合う姿は、まさしく日本という社会で生きるためには組織に所属して労働しなくてはならないという現実を突きつけてくる。
古河家だって、流行っているパン屋ではないことから、渚や朋也の目にみえないところで重いそろばんをはじいているのだろう。
朋也は渚を失ってからも仕事をしつづけた。本人はそれを汐からの逃避だといったが、生きるためにはお金が必要で、庶民は働かないと生きていけない。
どれほど傷ついても生きることから逃れられないのなら、仕事をしたり、人とかかわって生きていかないといけない。
汐の治療のために仕事をやめた朋也は、汐が亡くなってしまったら、もう死のうと心のどこかで覚悟していたのだろう。(原作で描写あったっけ…)
だから生き続けるための仕事をやめて、それを察した芳野は戻ってくるようにと声をかけた。
5年目に触れたCLANNADは家族っていいなとか楽しい友達が欲しいな、とかCLANNADは人生とかそういうことも感じたけれど。
傷ついた人間もその傷が癒えずとも前を向いて生きろと、そんな空をつかむような悲しいエールを受け取ったのだ。
思いっきり割愛するが、リトバスの主人公は親友たちを一度に失うという大きな傷を負う。
そして彼らが死ぬ運命は避けられぬのだと、その痛みを抱えてまでも生きろと言われる。
物語を通してハートが強くなった理樹は喪失をも受け止めて強く生きようとする。
まあ最終的にはうまいこと物語が展開してハッピーエンドになるのだけれども。
だーまえは何かとプレイヤーたちに強く生きてほしいと願っている気がする。
書を捨て街に出よう、じゃないけれど傷ついても現実逃避せずに真っすぐ生きてね、という応援。
ビジュアルアーツ20周年のイベントで配布された曲なのだが、わざわざイベントに来たような熱心なファンに「僕はもう大丈夫だから 今度はそう、きみが幸せになる番だよ」なんて語りかけてくる。
オタクなんて大小あれども、傷ついて生きてきて、エンタメにそれを救われているような人間ばかりなのだ。
そんなオタクたちに、現実に立ち向かえとスパルタ的に奮い立たせようとする。
あと多くのkey作品は現実から逃げるとBADED行きなのだ、智代ルートなど非常に印象に残っている。
そこまでして、どうして生きていかねばならないのか、、、なんて思う。
俺たちは人生の主人公なのだから、現実から逃げずに、居心地のいい環境を作って、ささやかながら生きがいをみつけて、VAにお布施して生きろと。
才能もない、とりえもない、頭もよくない、覚えも悪い。
ぐずぐずに崩れた自尊心を取り戻す手助けをしてくれる渚や朋也、恭介や理樹、そんな存在は周囲にはいない。
久々にCLANNADを観て、そりゃあもう想像外の感想を抱いたのだ。
現実をまっとうに生きている人々が圧倒的に多い世にこんないじけた文章を残せるのなんてここしかない。
自室に引きこもっていたようにみえた恭介だって、実は虚構世界で四苦八苦していた。己の失敗に落胆してはいても、決して行動をやめていたわけではない。
生きることとは行動なのだと、布団の中でスマホを触るオタクへ作品を通して鼓舞している。
もしもここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
サマポケ面白かったから買ってプレイしてね、プレイし終わってたらFD発売か京アニでアニメ化することを一緒に願おうね。
あとVAにできることは、だーまえの後継者を必死に探して育成することか、keyを畳んで新たな才能で作品を作るか、だーまえの治療費を全額出してあげてkeyブランドを守るかだ。
今トモシビという曲を聞いている。
「希望だけでは終わらせたくない、この弱さを超えていこう。
けっして消えないトモシビを、燃やし続けたい、不安定な心に、未来を明るく、照らせるのはきっと自分でしかない。」
この歌詞は歌っているSuara自身が書いた物だが、作品のToHeart2の裏側にある下川社長の悲哀が伝わってくる。
かの文章から伝わるイメージのそれではなく、あの尼崎のコンテナの中で曲を作っていたときの彼のイメージだ。
あのとき、DOZAや折戸と音楽を作っていたとき、彼は何を思い描いていたんだろう?
そして、高橋龍也も超先生もうだるちんもいなくなった後、彼はどうしようと思ったんだろう?
外様のむーむーや枕流に頼っていていいのか?
むーむー主導だと純愛ものなのになんやかんやでハーレムになるぞ、しかも前作のヒロイン毎。
枕流主導だと純愛ものなのになんやかんやでヒロインたちがぎすぎすした関係になり、とどのつまり誰も幸せになれないオチで終わるぞ。
三宅もこみパがあたったもののあれは、題材とちゃん様の画と東京勢ぶっこ抜きのインパクトあってのものだったし、本当に大丈夫か?
大体、三宅主導で書くと哲学だか宗教だかの難しい話を調子にのってしだすかもしれないぞ? 高橋龍也を抑えたようにまた抑えれるのか?
まるいたけしも急に誰もしらない古典文学作品の引用とかするんじゃないか? と気が気でない。
そんな中、ToHeart2は2の名を冠するにふさわしいかどうかはともかく、売り上げ的には大大大ヒットで終わった。
そのとき本当に下川はトモシビの歌詞のようなことを思ったのだろうか?
本当はあの尼崎のタイヤ売りに戻りたかったんじゃないだろうか?
「自分じゃ無理なんだよ、もう。」というあきらめの声が、何故かイメージされる。
自分だけの力で前に進むことがもう限界だと、下川は思っていたんじゃないだろうか。
だから、あえてフル戦力を使い、最大ヒットしたToHeartの続編を作った。
歴史にifはないからわからないけれど、ToHeart2がもしコケていたら、どうなっていただろう。
超先生はどうなっていただろうか?
友達の危機に折戸はどうしようと考えただろうか?
もしビジュアルアーツに傘下するようになり、折戸、下川、DOZA、中上、水無月、高橋、超先生、うだるちんで何か作品を作っていたかもしれない。
以前「Key関連サイトの印象」てのを書いたんだが、このままだと管理人に暗殺(笑)されそうなのでフォローしてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20090227040148
さて、4月から突然Keyファンサイトの動きが鈍くなったのはみなさんご存知の通り。
っても各ブログに貼り付いてる俺みたいな奴はともかく、普通の人は気づいてないかもしれないので客観的にそれを示す。
この図は、各サイトが1ヶ月の間に何回Key関連記事を書いたかを数えたもの。5月はまだ9日なので3倍した値。
名前 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 |
basicchannel | 20 | 22 | 12 | 9 |
---|---|---|---|---|
鍵っ子ブログ | 15 | 12 | 12 | 6 |
key to hearts | 28 | 34 | 29 | (閉鎖) |
nows | 13 | 9 | 6 | 6 |
見て分かる通り3月から4月にかけて一気に更新頻度が下がっていて、5月はこのまま行くと更に記事が少なくなる。
key to heatsに至っては閉鎖したほど。
4月はKeyはいつものネタもあったし、Keyらじイベント、AngelBeats!発表、麻枝准のブログ開設とイベント目白押し。
3月と比べて記事が一気に増えてもおかしくない。
それでも記事が減ってる。
なんでこんな事になったか。
俺もあるファンサイトを管理してた経験があるので分かっていたが、
先日鍵っ子ブログの管理人がTwitterで呟いた一言が俺の予想通りだったので確信した。
http://twitter.com/makura/status/1727958537
彼はkeyに対して批判的な発言をしないので期待薄だったがポロっと出たようだ。ずっと監視していた甲斐があった。
この発言が、Key関連サイトの更新ペースが一気に鈍った全ての原因だが、かなりオブラートに包んだ言い方をしている。
この意味が分かるだろうか。
答えは
4月からせなか:オタロードblogの管理人がビジュアルアーツに入り公式情報サイトを始めた事
これが原因。
まだ誰も拾ってないようなネタとかを拾ってきたり、色々予想してみたり、考察したりしてる。
いかに面白いネタを拾ってくるかとか、速度を競ったりしてるわけだ。
しかし公式が情報サイトを始めるとどうやっても絶対に勝てない。
例えば、こういう記事
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=16
この記事で書き下ろしラフ画まで掲載してるし、何よりまだ発売前だ。速度という面では圧倒的な負け。
著作権的に画集の中身の写真はブログに上げれないが、公式ならそれも考えなくて良い。バンバン上げてる。
Keyらじのレポも
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=19
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=20
準備の裏側・イベントの裏側まで含めてレポできるのは公式ならでは。
スタッフ・客が写りこんでる写真もバンバン使ってるし、一部スタッフでは顔にモザイクすら入れてない。
一般人なんて写真を撮れるかどうかも怪しいし、スタッフに向けてカメラ構えるなんてまず無理だろうしな。
レポの質的にもどうやっても勝ち目が無い。
公式が情報ブログやるんだからそういう付加価値のある情報載せないと意味が無いが
戦ったって100%負けるんだから。
それと多分、この公式サイトそのものが内輪ネタってのもあると思う。
馬場社長が辞令出してたり、時給800円とか言ってるが、オタロードBlog管理人とVAが仲良かったのは誰もが知ってるし、そのコネで入社したのも周知。こんな記事も内輪だからこそ。
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=18
麻枝准とかの制作スタッフがブログ作ってやんややんやするのとは訳が違う。
これが4月以降、Key関連サイトが更新しなくなった理由だと思う。
basicchannelはKeyネタからちょっと離れて来て色んなネタ拾い始めてる。ソースは2chなブログだからあんまり今回の事とは関係ないかな。nowsは知らん。Twitterでも殆ど発言してない。同人ゲームを作ってるらしいので、それにかかりっきりだと予想。
鍵っ子ブログは5月か6月頃には閉鎖すると予想。
本人は忙しいとか言ってるが、Twitter見てる限り明らにブログを更新する気が無いだけ。咲のアニメとか普通に見てるしw