「速瀬水月」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 速瀬水月とは

2013-06-06

私が男性向け作品を好むようになった理由

初めに断わっておくと、自分ネガティブ自意識過剰で気持ち悪いオタク女だ。

同時に、自分はそういうものなんだろうと大半は受け入れている。

周囲に迷惑をかけなければ趣味嗜好なんて自由だと思う自分にとって、最近児童ポルノ禁止法周辺の論調は正直不快だ。

現実で被害の合う子どもがいるのはもちろん許せない。

子ども商品化されること自体も度をこせばよくないと思う。

それが性的ものであればなおさらである

性的虐待などはもってのほかである

だけれど、子ども性的にみること自体が否定されるべきかといえばそうではないと思う。

身につけるべきは性衝動を抑圧することではなく統制すること。

方法はともかく、とっくに結論はでていることではないかと個人的には思う。

統制できない人のためのゾーニングはもちろん必要であると思うが、それ以上の法的規制必要ない。


では、自己統制したり、身を守ることができるようになるためにポルノ必要かどうか。

私自身の答えはイエスである

男性のことは正直わからない。他の女性のこともわからない。

他人すべてに適用できるとは思わないが、個人的な体験としては必要だった。

ただ、三次元ポルノはやはり受け入れがたいものがあった。

そんな自分にとっては二次元男性向け作品が一番安全に見ることのできるポルノだったのである

腐女子を否定するつもりはないが、私にとってはBLの方が理解できないものであった。

まだ男女カプのエロゲラノベの方が受け入れやすく、BL女性作家の描く男性に抑圧されていることへの怒りを示したかのような攻撃性の表現が受け入れられなかった。

その女性らしさが嫌いだった。

イケメンから好かれる物語リアル女性さらダメだったので少女漫画乙女ゲーなどにもはまれなかった。


私は自分性的視線でみられることは不快ではあったけれど、性的視線でみられる自分自身のことや異性を性的視線でみる自分自身のことは否定したくなかったのではないかと思う。

その結果、同じように性的視点で見られている二次元女の子をかわいがるようになった。

ハーレムもの世界少女漫画などの女性向け作品の世界とは異なり、女の子がみんな愛されることで幸せそうで見ているこっちも幸せになった。

そうして二次元女の子を慰撫するうちに、自分自身についても肯定的にみられるようになってきたように思う。

もちろん意識してそうしたわけではない。

これは好きになってから後付けた理由である



それとは別に名作と言われるエロゲー、いわゆる泣きゲーにもはまった。

初めて出会ったのは言わずとしれたKanonだった。

すすめられて真琴シナリオプレイし人の家で号泣した。

ONE輝く季節へ~も同時にプレイした。

長森瑞佳は強いと思ったし、そういう風に人を想い続けられる人間に憧れた。

みさき先輩のシナリオ視覚障害ヒロインというだけではなく、Hシーンでそのことを扱うことが衝撃だった。

性描写をする意味は心のやりとりを描くことでもあるのだと感じさせてくれた。

その後のKey作品はすべてプレイした。

見た目のかわいさやはかなさとはうらはらに麻枝准の描くヒロインはみな芯が強く、優しく、生きることに一生懸命だった。

現実女の子とは違い、きついことも言わなければ他人に嫉妬もしない。

の子競争することもなければ、競争することを要求してこない。

そんな女の子になってみたいと思わせてくれた。


もちろんそんな人間にはなれはしなかった。

そういう二次元女の子になれない自分失望もした。


正直現実の女が嫌いだったんだと思う。自分自身も含め。

二次元ロリかわいくて純粋女の子になりたいと思っていた。

現実にはありえない二次元女の子たちを男の理想のたまものだと気持ち悪がる方々もいるのはわかる。

でも、現実の女が嫌いなのは男だけではなく女も同じなのだ

私の場合たまたま二次元女の子のがいいと思っただけ。



でも現実の女にもいいところはあるのかもしれないと教えてくれたのもやっぱり二次元だった。

例えば君が望む永遠速瀬水月

理想はつめこまれているとはいえ、よくも悪くも女らしいキャラクターだった。

自分の想いを隠し、友人を裏切り、罪悪感にさいなまされながらも、彼氏をつなぎとめるためになんでもする。

受動的に男を責めながらも表面的には受け入れているふりをして、自分の想いを叶えようと行動する。

そんな彼女を肯定的な視点で描いていることが驚きだった。

自分の嫌いな「女」の部分を好きな人がいるんだなと思った。

俺の妹がこんなの可愛いけがないのような作品に出会って、

二次元女の子のようになれないけどなりたいと感じる自分をいいと思えるようにもなった。

京介が桐乃に向けたセリフオタク偏見をもっているのはお前自身だろ」というのは胸にささった。

まさにその通りだと思う。偏見想像だけではなく経験からでもあったけれど。

自分勝手わがままで都合良く人に甘えて、それでも努力家で自分を誇る桐乃を見ていたら、

たとえそういう不快な人がいたとしても自分自身が誇れるオタクであればいいのではないかと思うようになった。


これが三次元の、例えば実写ドラマであったらそうは思えなかっただろう。

同じ趣味をもつ女友達がいたら・・・と考えたこともあるが、それはそれで自己投影して嫌悪たかもしれない。

だいたい男からみたら自分も女であることは変わらない。

「女が嫌いという君はとても女らしい」と何度言われたことか。

現実から切り離された安全ものであるからこそ、自分と切り離していろいろと考えることができる。

それは性的な意味でも同じ。

凌辱ものまでも含めエロかわいく描かれる女性を愛でる視点を取り入れることで、少なくとも好きな人からそう見られることはさほど嫌ではなくなった。

「理解できないもの」を「理解できるもの」にするだけで、不快さは軽減された。


我ながら矛盾していることをしているのはよくわかっている。

でも自分にとっては性的もの二次元から取り入れる過程自分自身を受け入れるために必要だったのだ。

いや、未だその途上にあると思う。

そんな過程を踏んでいる間にもリアルでは人付き合いをし、男性に興味のあるふりをし、彼氏もつくり、別れ、修羅場経験した。

好きな人がいなかったわけじゃないし、女嫌いの女が好きな男嫌いな男とも何人も仲良くなった。

病んだオタク友達も何人もいたし、どうすることもできず距離をとったこともある。自殺して亡くなった子もいた。

それ以外にも私がコミュ障だったせいで迷惑をかけた人もたくさんいる。

今でも申し訳ないと思っているし、誰とも付き合わなければよかったのではないかと思うことすらある。

私がおかしいんだろうとも思う。でも、おかしくて何が悪いとも思う。

何をしててもお互い気に障るようなら人に迷惑かけないようにするには孤立するしかない。

男性なら楽だったのかと考えた時期もあったが、そんなことはなく、それはそれで同じ結果だっただろうと今ではわかる。

みんなでわいわい盛り上がっていることがうらやましい時期も通り過ぎてしまった。

はいしか一人でエロゲを買いに行き、薄い本を買いに行き、男性向けアニメイベントにも参加し、そこで出会えた人と交流して仲良く話ができても、それ以上仲を深めることは求めなくなった。

オタクじゃない友達がいて「別にいいんじゃない」と私を肯定してくれればそれで十分なのである


私は私を理解してほしいと思いながら、理解してくれなくてもいいとも思っている。

それでも、自分を助けてくれ、今現在も楽しんでいるコンテンツがなくなること自体は我慢できない。

一方的に勝手なことを言われて叩かれているのはさらに納得できない。

こんなものに救われるお前がおかしいというのであれば、こんなものに救われざるを得なかった現実世界の方がおかしいと思っている。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん